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<東京怪談ノベル(シングル)>


+ 白色世界に死は訪れず +



「こんな人知りませんか?」


 私は手にした紙を目の前の男性に見せる。相手は一度それに視線を落とすが、すぐに首を左右に振り、「知らない」と口にした。
 その返答を聞いた私は男性の腕に手を絡めていた女性にも同じように問いかける。だがその女性もまた幾ばくかの時間考え込むような素振りをした後、「御免なさい。分からないわ」と言った。


「――――あの、すみません。少しお尋ねしたいのですが、こんな人を知りませんでしょうか」


 沢山のビルが立ち並ぶ都会の片隅で私は忙しなく足を動かしている人達にかわるがわる声を掛ける。
 急に声を掛けてきた私に対して皆何かしら不思議そうな目で見つめてくるが、構わず手を差し出して紙を見せ付けた。
 紙に描かれているのは一人の少女。
 私が目を覚まし、初めて思い出した記憶の中に出てきた「あの人」だ。
 自ら描いた拙いそれを補うようにところどころ線を引き、特徴を書き込んである。どんな雰囲気だったか、どんな容姿だったか、どんな声をしていたか、どんな服装をしていたか、年齢は幾つくらいか……。
 それこそ、私が思い出せる限りの全てを紙に書いた。


 目の前では声を掛けたばかりの女性が書き込まれた特徴を指でなぞりながら、んー、と首を傾げる。
 私は返答を待つ間、頼りなく辺りを見渡し、誰か他に知っていそうな人物はいないだろうか考えていた。
 視界を覆い尽くさんばかりの人の波が右から左へ流れていく。その奥の建物には駅の看板が取り付けられ、その下にぽっかりと開いた入り口に数え切れないほどの人がまるで吸い込まれるかのように消えていった。


「申し訳ないけれど……見覚えないわ」
「いいえ、お時間取らせて申し訳御座いません。ご協力して下さって有難う御座いました」
「見つかるといいわね。じゃ、私はこれで」


 人の流れに乗るように女性は駅構内へと姿を消す。
 私は重苦しい息を吐き出しながらガードレールに腰をかけた。


「こんなことで本当に「あの人」を見つけられるかしら……」


 この世には似たような人間は複数存在するだろう。
 だが私が捜し求めているのは「記憶の中のあの人」と「同一人物である少女」なのだ。記憶のない私が手にする唯一の手掛かりとも言えるその存在は心の中で深く重く在った。
 目覚めてからずっと傍にある日本刀を硬く握り締める。片時も離したことのないそれの鍔に額をつけ、目を伏せた。


 瞼を下ろせばすぐに「あの人」の姿が蘇る。
 それこそ手書きの人相画ではなく、色褪せることのない鮮やかな映像で。


 この三日間、人の多く行き交う都市に赴き、多くの人に話しかけた。
 何十人……いや、もしかしたら何百人かもしれない。時間が許す限り私は人々に問いかける。……だがその多くは「知らない」と虚しく返されるだけ。
 それでもめげずに私は雑踏の中に「あの人」に似た少女を見かける度に追いかけ、人違いであると判明すれば心の底から申し訳ない気持ちに陥りつつ紙を差し出して訊ねた。
 体育館らしき建物などを見つければ足を踏み入れ、そこが「あの場所」ではないと肩を落としながら再び彷徨い始める。
 心当たりがありそうなものには何でも近付き、探りをいれた。
 思いの果てには警察に頼ってしまうことも考えたが、自分の存在をどう伝えればいいのか分からず、交番の前で足を翻してしまった。


「そろそろ別の場所に行きましょうか」


 いつまでも休んではいられない。
 こうしている間にも時間は刻々と流れていくのだ。私は地面を軽く蹴るようにして立ち上がり、身体についた埃をパンパンと払い落とす。それから立ち並ぶビルの影が人々へと落ちていく様を見つつ、胸ポケットの中に紙を仕舞いこんだ。


「御前はまだ人を探しているか?」


 歩き出そうと一歩足を踏み出した瞬間、何やら全身黒尽くめの長身の男に話しかけられる。
 この数日間誰かに話しかけることはあっても話しかけられることなど殆どなかった私はあまりの突然さに自分に宛てられたものだと最初気付かなかった。下ろしたばかりの手を持ち上げ、自身を指差す。すると男は一度だけ深く頷いた。


「そう、御前のことだ」
「何か用かしら?」
「ここ数日間貴方の様子を見させて頂いた。ある少女を探している――そうだな?」
「……そうだけど、それが何か?」
「その少女に心当たりがある」


 そう言い切ると、男は身体を翻した。
 戸惑いながらその背を眺めていると、男はくっと顎をしゃくる。どうやら「後をついてこい」という意味らしい。


「何処へ行くの?」
「御前の探している人物が私の知っている少女だとすれば少し問題が生じる。ここでは人も多く話し辛いから裏で話そう」


 誘導するように男が先を歩む。
 私は仕方なく男の後を追いかけることにした。


 表とは違い、裏は物静かで人の気配が全くない。
 三毛猫がにゃぁと小さく鳴きながら私達の前を横切っていく。思わず黒猫でなくてよかったと思ってしまった。
 シン、とした空気に聴覚が張り詰められるのが分かる。足音すら過剰なまでに響いている気がした。男の背だけを見ていたせいか、左右をビルの壁で遮られた寂れた裏路地に入り込んでいたことに今更気付く。上を見ればやけに空が狭く切り取られているのが見えた。
 ゆっくり顔を正面に戻すといつの間にか男が足を止めこちらへ身体を向け、私を見ていた。射抜くように強められたその黒の瞳に自分の姿が映り込む。


 ……キィ……。
 金属が擦れる様な音が聞こえ、思わず自身の手に握り込んでいた刀を胸へと引き寄せる。だが音の正体は私の刀ではなく、男の手にいつの間にか握られていた地を擦るほど巨大な刃を持った『大鎌』だった。


「御前の居るべき場所はこの世界ではない。早く自分の居るべき世界へ帰るんだな!」


 男は口を開く。
 鎌が地面からふわりと浮き上がるのが見えた。


―― ヒュッ!!


 裂くような空気の波動に頭よりも先に身体が動いた。
 咄嗟に手にした愛刀、譜露素刀(ふろすと)の鞘を素早く抜き、刃を前面に押し出すように攻撃を受け止めた。相手は体重を乗せるようにぐぐぐっと鎌を押し、近付いてくる。突っ張っていた私の足はじゃり……っと砂を踏んでずり下がった。
 左右を建物に囲まれ、許された行動は前進か後退かのみ。
 状況の悪さに思わず舌打ちをしつつ、鎌を払うように力を入れた。


 ガンっ!
 カキンッ!!
 男が鎌を振り上げれば私はその隙をついて距離を縮めるために地面を蹴る。だが瞬時に眼前に現れた私を嘲るように男は構えを変えて攻撃をかわす。
 言葉は要らない。
 男は『敵』だ。


『御前の居るべき場所はこの世界ではない』


 リフレインする声。


『早く自分の居るべき世界へ帰るんだな!』


 持ち上げられる鎌。
 それが今目の前で男が振り上げたものであることは変わらない。男が敵意を持って私を葬り去ろうとしていることは変わらないのだ。


 私がいる場所はこの世界ではない?
 自分がいるべき世界へ帰れ?
 ―――― それは少なくとも、「あの人」の傍ではないとやけに冷えた頭の底で理解した。


 二人の間に重い空気が漂う。
 無言の時間がどれくらい流れただろう。このままでは埒が明かないと私は刀を改めて握り込んだ。柄が仄かに熱を持っているのが分かる。じりっと足を滑らせれば、それが合図かのように男が私に飛び掛ってきた。
 その時、僅かに時間が遅くなったのを感じ、慣れた動きで私は刀を引き、そして訪れる勝敗の時。


 肉を絶つ感触。
 刀の先から極寒の温度が男へと侵食しているのが見て分かった。
 ゴトン……、と人の塊が転がる。それは斬った部分を極低温の氷で閉じ込める譜露素刀の能力によって哀れにも氷付けにされた男の姿だった。男の武器だった大鎌が惨めに地面に転がっているのを見て、静かに唇を持ち上げる。


 右手の甲からつーと赤い液体が伝う。
 どうやら自分も男に傷をつけられていたらしい。痛みのない傷に僅かに違和感を覚えるが、戦闘後でまだ神経が鈍っているのだろう。後でどこか適当な場所で手を洗い流し、手当てをしよう。
 私はすでに凍り付いた男のことなど頭の中から捨てるように、その場を後にした。



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 ポタ……。
 ……ポタ、ポタ……。


 氷が水へと変えられる温度。
 固められた肉が再び柔らかくなる時間。


 …………ポタ、ン。


 伝う水滴。
 伸びていく一筋の水。
 それは意思を得て。
 歪んだ存在を追いかけるように。


「何も知らずに眠る道より、全てを知って苦しむ道を選ぶか……」


 男は去り行く女を嗤う。
 死に属したことを知らぬ哀れな死体を。
 死を纏う神の存在を撥ね除けた死者を。


「……愚かな」


 溶けた氷を纏うように男が立ち上がり、鈍い動きで一歩一歩歩き出す。
 ポタ……。
 水滴の痕が途中で消えたこと。
 それはこの場を立ち去った『彼女』が知るわけもなく。


 ―――― これからもきっと男は、女を見てる。









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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【7390 / 黒崎・麻吉良 (くろさき・まきら) / 女 / 26歳 / 死人】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、再度発注有難う御座いました!
 前回に引き続きまして今回も一人称で書かせて頂きましたがいかがでしょうか? 彷徨い歩く黒崎様、突然現れた謎の男(死神)、斬り捨てて去った後氷付けから再び動く時間。どれか一つでも心に残る言葉があれば幸いですv