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<Bitter or Sweet?・恋人達の物語>


ラビュリントスの涙 〜Minotauros〜

■00

 その圧倒的な建造物は、総て白大理石で出来ているようだった。
 滑らかな白さを湛えた壁は左右に曲線を描いて伸び、全体が円形をしているのだろうと想像させる。中心にかけて盛り上がった天井は高さ数メートルといったところで、外観から察するに内部は一層。現代東京から迷い込んだ者ならば、ドームを思い浮かべてもらえれば近いだろう。
 ともかく、そんな巨大な建造物を、あなた方とマリカは並んで見上げていた。
「この迷宮の中に、探してきてほしいものがあるの」
 迷宮? 探してくる? 口々に問いかけるあなた方に、マリカはこくんと頷く。
「一歩足を踏み入れれば迷うことは必定、なんて言われている大きくて複雑な迷路よ。道は渦巻き状に続いてるらしくて、その中央に神殿のような部屋があってね。そこに私の探している宝物──“ラビュリントスの涙”があるっていう話なの」
 ラビュリントスの涙。反芻するあなた方は、今一度建造物に目を遣った。
 この中に入って、その宝物を探して来いと? 思わず眉間にしわが寄るのも致し方ない。
「無理なことを頼んじゃってごめんなさい。でも私では入れないのよ。2人で門をくぐらなければ受け入れない、2人の想いの深さが影響を与える──これがこの迷宮のルール」
 だからあなたたちにお願いしてるってわけ。そう言って、マリカは背後に隠していた両手を取り出した。
 片手に握られていたのは赤い糸の毛玉。もう一方の手には、白銀に光る剣を携えている。
「この糸は細くて長く丈夫だから、迷宮の奥に入っても尽きないと思うわ。剣のほうは護身用に、扱いには注意してね。それから一人にひとつずつランプをあげるわ。ね、迷宮探索に便利でしょ?」
 ランプと糸が迷宮に入る上で必要なことは何となく解る。でも、どうして剣まで?
「……それはね、」
 マリカはそこで言葉を切り、扉を閉ざしたままの白い門に視線を投げかけると。
「迷宮には、2体の“魔物”が彷徨ってるそうよ。そして落とし穴やトラップもたくさんあるみたい。──気をつけて、探検してきてね」
 苦笑しながら、肩をすくめて見せた。


■01

 その黒猫は、栄神万輝の腕の中から飛び降りて──くるり。前方回転ののち地に着いたのは、人間の2本の脚。
 少女の姿になった千影は、両手を握り締めながら「うにゃん♪」と花の笑顔を咲かせた。
「探検ボーケン♪ 何が出るか楽しみだね、万輝ちゃんっ」
 背中の翼をぱたぱたはためかせそうな元気の良さで、どうやら千影は迷宮探索をすこぶる楽しみにしているらしい。
 その様子にマリカがくすりと笑い。それを見た万輝も、「チカが嬉しいなら」と綻んだ口許で同意を述べた。
「それにしても“ラビュリントス”……ギリシア語で迷宮か。この円形の形も、意味があるものなのかもね」
 万輝は眼前の白い迷宮を眺め遣る。クノッソス──不意に唇からまろび出た言葉を、千影の耳がピクンと拾う。
「なになに万輝ちゃん、何か言ったよね?」
「……そうだね、入る前に説明しておこうか。迷宮と言えば、っていう有名な話があってね」
 万輝はマリカをちらと見る。彼女は含み笑いで先を促した。────どうぞ?

 クノッソスは、エーゲ海に浮かぶクレタ島にある遺跡だ。紀元前2世紀頃に島ではクレタ文明が栄え、その政治・儀式の中心地だと考えられているのがクノッソスである。
 20世紀に発掘され、以後世界的に著名となったこの遺跡には、王の居室や宗教儀礼に使用される部屋など、実に数百もの様々な室が複雑に配置されている。その姿、まるで迷宮。
 そしてこの迷宮の遺跡には、ギリシャ神話に描かれたある伝説が遺されている。

「その昔。迷宮には、ミノタウロスという牛の頭に人間の体をもつ化け物が閉じ込められていた。化け物には、毎年アテナイから連れて来られた生贄が捧げられていたんだけど、ここで立ち上がったのがアテナイの王子テセウス。
 彼は生贄に紛れて、迷宮に乗り込もうとしたんだけど……そこでね、クレタ島の姫アリアドネに逢った。彼女は異国の王子を見初め、脱出不可能な迷宮へと向かう彼に糸を渡した。テセウスはそれを入り口に結び付けて迷宮の奥へと入り、見事ミノタウロスを倒してね、アリアドネの糸を辿って無事脱出することが出来たんだよ。
 ……と、そういう話があるんだけど」
 千影に解り易いようにと饒舌になった万輝は、そこで一息落ち着ける。
 それから腕を組み。指先で、マリカの持つ赤い糸玉を指した。
「今の伝説……参考にするべきかな」
「そうね。私もそういうつもりで渡そうと思ってたの」
「運命の赤い糸を?」
「2人を繋ぐものだもの」
 はい、とマリカは糸と剣とを差し出す。万輝はそれらを見比べた後。
「僕たちにはあまり必要ない代物だと思うけど……静夜もいることだし、剣はチカが持ってて」
 抜き身の剣を取り上げ、千影に渡す。
 逆に千影は糸を取り、そして足元にいた静夜もおまけにつけて。
「じゃぁ、こっちは万輝ちゃんね」

 押し開かれる白い扉。
 2人はランプをかざし、薄闇に閉ざされた迷宮へと一歩を踏み出した。


■02

 渦巻き状の道、とのマリカの言葉通り、迷宮内部の道は緩やかにカーブしながら奥へ奥へと続いていた。
 建物の中は、ランプが無ければ足元の確認に不自由するほどの乏しい明るさだが、かといって真の闇に閉ざされているという訳ではない。未明、もしくは宵闇の頃合といったところか。
 万輝は視線を上──圧迫感を与えるほどに高い壁の上部へと視線を動かす。上にいけばいくほど明るさが増しているような、と気がついて、ドームの天井から外の明かりが差し込んででもいるのだろうか、と推察する。
 迷宮の中は静かだった。自分たちの足音だけが白い石の壁に響き、いっそ寒々しいほどだ。
「万輝ちゃんっ!」
 突然千影が叫ぶ。横を歩いていた万輝は大音響を耳に受け、思わずビクリ、肩を竦めた。
 声は壁の間を反響し、わんわんわんと遠くまで木霊する。
「何だよ、千影……驚くじゃな、」
「すごいすごーい! ねえ万輝ちゃん、チカの声、いっぱい響いたねぇ」
「……ヤマビコがしたかったのか」
 はしゃぐ千影が繋いだままの手をぶんぶんと振り回し、それにあわせて床に落ちた影が踊る。千影が人型になったのはランプを持つため──正確には、取っ手の輪の部分を腕に引っ掛けている──だが、ああ、そんなに動いちゃ中の灯火が揺らめいてしまう。それに携えた剣の切っ先がぶらぶらと、危ないじゃないか。
 と考えつつも、万輝は彼女の為すに任せてやれやれと息を吐き出すのみ。笑んだ表情は、とても嫌がっているとは思えない、いっそ甘さ。
 迷宮の扉を開けてからずっと、2人は手を握り合っている。中でバラバラにならないようにと、どちらからともなく指先が求め、当たり前のように互いを絡めた。
 万輝のもう一方の手には、千影と同じ様に引っ掛けたランプと、マリカから貰った赤い糸の玉がある。(ちなみに静夜は頭の上及び肩付近にしがみついてるようだ) 参考にした伝説の通り、糸の一端を扉に結びつけて来たから、帰りはこれを辿って戻れるだろう。
 糸は歩みに合わせてどこまでも延び、マリカの言うとおり尽きそうもない。万輝は目視してそれを確かめると、
「ほらチカ、行くよ」
「うんっ」
 再び歩き出す。と、ほどなく、選択肢にぶつかった。
 道なりに真っ直ぐ進んでいく道と、左手──内側へ急カーブを描いている道、それから歩いてきた道を合わせて三叉路になっている。2人はそれらを見比べる、道の先は薄暗がりで見通せない。
「どっちかなぁ?」
「そうだね……とりあえず真っ直ぐ進んで、間違ってそうだったら戻ればいいか」
 選んだ先の道も平凡に続いていた。トラップがあると聞いているが、今のところ危険は無さそうだ。
「……じゃあ。千影、ちょっと待って」
「え、なぁに? どしたの?」
「調べもの」
 目を閉じ、耳と意識とを澄ます。
 万輝の能力のひとつ、リーディング。場に遺された想いに同調し、情報を収集することが出来る、それ。
「万輝ちゃん、何かわかりそう?」
「そうだね……迷宮の奥にいるものの定番はミノタウロスだけど……魔物か探し物で、何かわかることがあ」
 答えの途中、途切れたのは意識に触れるものがあったからだ。追って、掴む。
 ────……見つけた。

『ダーメ』

「え」
 パチン、と。
 指先に触れていたものが弾けたような気がした。掴んだと思ったものが跡形も無く消えて、万輝は驚き目を見開く。
 ぱちぱち瞬きしていると、千影が不思議そうに下から覗き込んできた。
「万輝ちゃん?」
「……阻まれた、かな」
「邪魔されちゃった?」
 そう、と頷き。────考える。今のは、何だ?
「感じたのは……怒り、強い苛立ち、あと何だろう、絶望、かな」
「ふーん、いい気分じゃないのばっかだね」
「そうだね。……途中までしか探れなかったから、断片的なんだけど」
 もっと奥に、と踏み込もうとした瞬間何かが目隠しをした。手を伸ばした途端に、後ろからぬっと視界を覆われた感じ、と喩えようか。
 何者かが自分のリーディングを遮った。そういうことを出来る何かが、この迷宮の中にいるということらしい。
 ────それが、魔物? 牛頭人身の?
 もう一度探れないこともないが、その何かがまた邪魔をするだろう。仕方ない、万輝は思い直し、千影を促し歩き出す。

 その、3歩目。

「!」
 床についた爪先が、予想よりも深く沈みこむ。いや違う、咄嗟に見た足元、床がひび割れ砕けて亀裂、それがみるみる広がって──穴。
 下向きの重力が万輝を奈落へと引きずり込む。トラップ、閃いた言葉に舌打ちする。しまった、これがか。
「チカ!」
 叫んだのは、手を離さなかった傍らの少女の名。
 次の瞬間、繋いだままの手と肩に痛みが走った。衝撃、思わず顔を顰め、しかし釣られた腕の先を見上げて──予想通りの光景に、満足げに笑む。
「か、万輝ちゃ〜ん、だいじょう、ぶ?」
 背中の翼をはためかせ、千影が自分の腕を掴んで中空に浮いていた。細身とはいえ男の(しかも静夜つきの)自分を持ち上げるのは大変だろうに。
「ありがとう、チカ」
「万輝ちゃんが、無事なら、いいの」
 うう〜ん、と唸りながら、千影は万輝を伴い床の残っている縁にまで飛行する。重い荷物を漸く下ろし、ぺたんと座り込んでしまった千影の頭を、無事地に足をつけた万輝はぽふぽふと撫でてやった。
「ご苦労様」
 ふと見ると、千影は手に何も持っていなかった。どうやら自分を救うため、持っていた剣やランプを穴へ落としてしまったらしい。まあ、剣は元より必要を感じないものだったし、ランプも自分が死守したのがひとつある。糸は……ああ、手の中に残っている。ならば特に問題無いだろう。
 装備を確認し終えると、万輝は改めて、穿たれた穴へと目を遣った。首を伸ばし黒々とした空間を覗き込めば、遥として深さの知れない底無しの闇。幅は両側の壁いっぱいまで、長さは自分の足元から……4、5メートルはありそうだ。
 行く手を阻むようにして口を開ける落とし穴を前にして、万輝は考える。今のように千影に運んでもらえないことはないが──。
 その千影は、やっと体力を回復させて立ち上がったところだった。スカートの裾を払うその姿を、万輝はしばし見つめると。
「戻ろうか、さっきの分かれ道まで」
「戻っちゃうの?」
「あえてこの先を選ぶ理由は、今のところ見つからないし」
「万輝ちゃんがそう言うなら、チカはいいよ」
 それじゃあ決まりだ。万輝が言うと、千影は嬉しそうに再び手を握ってくる。指と指とを絡めて、ぎゅっと、離れないように。
「次はどんなのがくるんだろうね? あのね、万輝ちゃんは、チカが守るからっ」
「……うん」
 2人離れないように、固く。
 ────固く。



『……そう。そうでなくっちゃ』

 ふふぅ、と。
 女の頬と唇が、愉悦と酷薄の入り混じる微笑を形作った。

『────壊す甲斐、ないでしょ?』


■03

 それが聞こえたのは、糸を手繰りながら道を戻る途中ことだった。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……────。

 聞こえてきた遠鳴りに、思わず立ち止まって顔を見合わせる。
 何か、とても、大きな音。静寂の詰め込まれた迷宮の中だからなお一層、その音は荒々しく2人の耳に届いた。
「……また何か、トラップかな」
 前か、後ろか。音は、自分たちが向かっている方向から聞こえた……ような気がする。音が反響し過ぎるせいで確実とは言えないが。
 しばらく停まったままで様子を見てみたが、それ以降音は何も聞こえてこない。留まったままではこれ以上情報を得るのは無理かと、判断して、2人はまた歩き出す。

 そして分岐点へと辿り着いた時、奇妙な事実に出くわした。

「……どういうことだろう」
 立ち止まった万輝は首を傾げ、その横で千影も同じ様に「あれぇ?」と人差し指を口許に当てて不思議がっている。
 目の前に、道があった。しかしそれは先ほど見た分かれ道とは違う──十字路。前後と左右に伸びる4つの道だ。
「糸、ちゃんとあるよ万輝ちゃん。こっちから来たのは、間違いない……けど」
 千影は道の内一本を指して言う。それは万輝もランプの光で確認した。
 この道を自分たちは通って来たのは確か。なのに、今直面している分かれ道を自分たちは知らない。そもそも、自分たちは一度しか選択をしていないのだ。素直に戻ってきたのだから、最初にあの分岐路に当たらなければおかしい。
 一歩足を踏み入れれば迷うことは必定。万輝の脳裏にマリカの言葉が甦る。──そして覚える、違和感。
 迷宮に入ってからこちら、道はほとんど一筋だった。客人を惑わすための造形、と名がついているのに、複雑怪奇とはほど遠い素直な道程だと感じていた。
 では、何故迷宮なのだ?
 何を以って、ここは、迷宮?
「……まさか」
 そして閃いたある仮定。
 まさか、いやしかしそれならば辻褄が合う。
「チカ」
「にゃん?」
「この迷宮、もしかすると」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。

 言いさしたところで突然、先ほど聞いたのより生々しい地響きが鼓膜を叩いた。近い、と感じて2人同時に振り向く。
 万輝が数歩前へ進み出てランプをかざすと、ほの明かりの中、側壁から迫り出してきた壁によって道がまさに閉ざされゆく光景が浮かび上がった。
「あぁ〜」
 ゴォン、と壁が壁にぶつかる轟音が木霊し、千影が情けない悲鳴を上げる。
 歩いてきた道が、今や行き止まりと化して目の前に立ち塞がっていた。
「万輝ちゃん、こっち、ダメになっちゃったよ?」
 元より正解のわからぬ道を進んでいる。ひとつ選択肢を潰されたこの事実が果たして吉なのか凶なのか判じることは叶わないが、何となく閉じ込められたようで良い気はしない。
 だがそんな心情的なものよりも、収穫のあったことを喜ぶべきか。……喜ぶべきか?
 思い、万輝は嘆息した。
「……やっぱり、そうかも」
「かも?」
「動いてるみたいだね、この迷宮自体が」
「動いてる? えっとぉ、壁が?」
「動いて、道を変えてる」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……────。

「今も、何処かで」
 遠くの残響を聞きながら、肩を竦めてみせる。
 あの地響きは迷宮が形を変える音、平たく言えば、今さっき目の前で見たように壁が勝手に動き出す音だ。
 一定の形を保たない迷宮、変化することで惑わす道。これが、この“迷宮”の所以というわけか。
「とりあえず進もうか。……糸が、動いた壁の下敷きにならなきゃいいんだけど」
「えっと、真ん中にあるお部屋に行くんだよね?」
「そこにある“ラビュリントスの涙”を目指してね」
 なみだ。うーんと上目遣いで思案した千影は、続いてぱっと顔を輝かせる。好奇心という名の光が、その緑石の瞳にきらきら煌き。
「ねえねえ万輝ちゃん、それってどんなものなんだろ? キレイなもの? おいしいものかな?」
「さあ、リーディングで探れなかったから。……でも、涙っていうくらいだから」
 きらり光を弾く感情の雫。
 想像して、万輝は微笑う。
「……どんなのだろうね?」

 と、その万輝の双眸に映る千影の笑顔が。
 不意に、強張る。

「チカ?」
 呼びかけても、千影はすぐには答えない。
 代わりに、繋いだ手に強く力を込められて。
「あのね、万輝ちゃんは、チカが守るよ?」
「……わかってる。ああ静夜、こっち、腕のほうにおいで」
 兎姿の得物を抱き、今一度千影に問う。チカ、何を感じてる?

 耳を劈く轟音が静寂を爆発させたのはその時だった。

 背にしていた十字路の向こう、明かりが届くほど近い場所で衝撃が炸裂した。もうもうと上がる粉塵。万輝は静夜を腕の中に庇い、千影は薄明かりの中目を凝らす。
 徐々に晴れていく煙の下に、幾つもの影──瓦礫が横たわっているのに気づくまで数秒。それが壁の残骸だと推察したのは次の瞬間。そして、煙の中に巨体と思しき影を見つけたときにはもう。
「アアアアッ!」
「万輝ちゃんっ」
 今度は千影が手を引き走り出した。糸を伸ばして、2人は未知の道へとひた走る。
 その急ぐ足音が通路を吹き抜け響き渡り。影が追いかけてきたのはそのためか、腹の底から搾り出すような雄叫びを上げながら、巨大なそれは2人のあとを大股で追跡してくる────のを、万輝は承知で。
「チカ、待って」
「えぇ?」
 立ち止まって万輝は振り向いた。何故かと問われれば、見定めるためだと答えようか。
 ウウウウウウ、と唸るそれは、盛り上がった胸板を反らして拳の一撃、意味も無く壁を撃ち抜く。壁に穴を穿った彼は、腰に布を巻きつけただけの原始的な姿、2メートルはあろうかという巨体と隆々たる筋肉を誇る、恐らく大男だ。
 恐らく、と但し書きをしたのは、それの頭部がすっぽりと麻袋の様なもので覆われていたからで。喉元には首輪、それで袋を留めているようだ。
 魔物。万輝は反芻する。
 これが、迷宮の、魔物?
「アアーーッ!」
 魔物は天に向かって咆哮、そして四方八方無茶苦茶な軌道で、文字通り岩をも砕く拳を振り回し、床を壁をも打ち壊していく。
 ともすると、あの覆いで視界が遮られているせいかもしれない。魔物の暴れ方は、自分たちを狙っているというよりは、周囲をむやみやたらと破壊しているように見える。
 出来ればあの魔物が何者か、先ほど自分を阻んだものなのかも知りたいところ。強制的に戦闘に引きずり込まれない限りは様子を見ようと思っているが────。
「……それはちょっと、無理か」
 一直線にではないが、魔物は徐々にこちらへ近づいてくる。このままでは巻き添えを食らいそうだ。
 チカ、呼べば千影は心得たもの。うんっと頷き、2人手を繋いだまま走り出そうとした。
 ところが。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。

「あ、」
 前方でまたあの壁の軋む音がした。そしてゴォォン、と勢いよく硬質なものがぶつかる音と、足元にまで伝わってきた衝撃に悟る。
 壁がまた、閉まった。
「アアッ!」
 はっと振り向けば、もう随分と間合いを詰めてきた魔物の姿。その拳が壁を砕き、減り込み、また叫びながら引き抜く獰猛さ。視界がきいていないだろう顔の正面が、しかしこちらをまっすぐ捕らえる。
 魔物の、見えぬ視線が。

 ────魔物の。

「迷宮の守人か……あるいは、囚われ人か」
 万輝の思考が、不意に呟きと零れ落ちた。
 しかしそのささめごとは、弾丸の様に突進してきた魔物の咆哮に呑み込まれる。狂ったかの叫びを撒き散らしながら近づいてくるそれ。
 と、見据えていた万輝の視界を千影の背中が遮った。
 まるで庇うかの様に千影が──主の盾となるべき神獣が、万輝の前に立つ。
「万輝ちゃんをいじめる子は、チカが許さないよ?」
「グオオオオオオ!」
 加速の勢い。走り寄る魔物は両手を振り上げ、拳として2人に叩き付けた────それを、本性へと身を変えた千影の爪と牙とが、ガッ! 力強く受け止める。
 耳を劈く唸り声を上げる人身の魔物と、鷹の翼を広げ威嚇する黒獅子とが、狭い通路の間で押しまた押し返す。拮抗、鋼鉄をも切り裂く黒獅子の牙は魔物の拳に食い込んでいるが、それを噛み砕くには至らない。
 黒獅子は思う、まるで密度の高い岩石を食んでいるかのよう。人の身体とは思えない、なんて、堅い。
「静夜」
 一方、兎を弓へと変じさせた万輝は、魔物の頭部を狙って矢を番える。しかし両者が激しく鬩ぎ合っているせいで、また明かりが心許ないせいでなかなか的が絞れない。
 千影が押し負けるとは思っていないが、楽に御せる相手でもないらしい。ならば援護を、と考えたのだが。
「ウウウウウウォォォォ!」
 天も裂けよとばかりの壮絶な怒号が魔物からほとばしった。魔物は麻袋に覆われた頭を無茶苦茶に打ちつけ、黒獅子はそれを避けながら腕を引っ掻き、頭突きに怯むことなく肩にかぶりつく。
 その隙に万輝は矢を放った。ヒュンッ、だが魔物の動きが激しいせいで頬の辺りを掠っただけ、命中はしない。
 と、その風切り音に気づいたのか。魔物が自分を襲う黒獅子から、矢の飛んできた方向──万輝の方角へと意識を向ける。そしてアアアアと叫びながら黒獅子を振り払い。
 駆ける、こちらへ。

 ────万輝ちゃんっ!

 千影は咄嗟に身を翻し魔物の背に取り付く。暴れる岩の身体、体当たりで床に落とす。衝撃。床に走る亀裂。
 魔物が呻く、うつぶせに、蹲り、唸る、苦しむ。
「アアアア…あ、あっ…!」

 すると、次の瞬間。
 魔物は、突然動きを止めた。
 そして何故か両手で頭を抱え、うう、うう、とまるで苦しんでいる様。いや実際何かに悶えているようで、2人は呆気にとられてしまう。
「……どうしたんだ?」
 我知らず漏れた万輝の呟き。魔物はさらにもがきのたうち、そして。

『……期待外れね』

 声が、唐突に降った。


■04

 振り向けば影。万輝の背後から、その人影は足音も密やかに現れた。
 ランプの光の輪の中に進み入って来たその人は、白いドレスを纏う女性──いやそう呼ぶには少し面差しが幼く、凡そ自分たちと同じ年頃かと窺われる。白は光沢から察するに絹か何か上質なもの。足元を隠すほど長いスカートを優雅に捌く淑女の足取りで、少女は魔物へと歩み寄った。
「何してるの? ダメよ、役に立たなくっちゃ」
 少女が魔物の腕に触れる。途端、魔物はびくんと跳ね起き、首を押さえて呻きだした。ふオオふオオと吐き出す息が浅く切れ切れで、呼吸に苦しんでいるのだと嫌でもわかる。
 突然の闖入者、さすがに万輝も困惑した。──しつつも、その思考の波間に閃きの光を見つけたのは、分析に長けた頭脳のおかげか。
 甦ったのはマリカのあの言葉。
 魔物は、2体いる。
「……ミノタウロスと、もう一人」
 少女が肩越しに振り返り、万輝に微笑んだ。
「ああ、貴方ね? 私の中を覗こうとした人」
 彼女が笑みを深める。すると、その姿が視界から消えた。
 ────と、思った途端に現れた。
「!」
 いつの間に移動したのか、万輝の目の前に少女がいた。そして身構える暇も無いほど素早く、締め上げる強さで喉を掴まれる。
 皮膚に痛み。呼吸を止めて窺えば、少女の長く鋭い爪が、凶器として動脈に押し当てられていた。
「何をしに来たか知らないけれど……ふふ、貴方たちのおかげでこの迷宮も喜んでる。迷わせて、壊したいって……ね?」
「こわし、」

 万輝の語尾が紡がれるのを待たずして、2人の姿は掻き消えた。カン、と高い音がして彼のランプ、それに遅れて糸玉が床に転がり落ちる。
 千影はあまりにも突然の出来事に思考がついていかず、え、え、と困惑しているうちに魔物が雄叫びを上げた。
「グアあアああアア!」
 すぐさま察して千影は後ろに跳ぶ。
 立っていた場所が粉々に砕かれ、魔物はまた首を押さえながら、もう一方の手を握り締めて床に壁にと乱打する。
 万輝ちゃん、万輝ちゃんどこ? 魔物の攻撃を避けながら、千影は乱れそうな鼓動を整えようとしていた。漸く理解に追いついた「万輝が攫われた」という事実が、千影を苛み焦らせる。
 一体万輝は何処に連れ去られたのか、あの少女は何者なのか。とにかく探しに行かなければと思うのに、一段と激しさを増した魔物の攻勢がそれを邪魔する。歯噛みする千影の耳に、
 その時、声が聞こえた気がした。

「……ウウ、なし……いて、アア……く、れ」



 突然開けた視界に、万輝は息を呑んだ。少女に身を拘束され、声を発しようとした瞬間にぱっと景色が変わったのだ。
 暗さに慣れた瞳に眩しさを感じて上を仰げば、遙か高い位置の天井に円形の穴が穿たれ、そこに嵌められた曇り硝子越しに柔らかな光が差し込んでいるのが見える。
 首を廻らし見回すと、そこは大きな部屋だった。部屋、というと語弊があるだろうか。全てをあの白大理石で作られた開けた空間、目の前に万輝の腰ほどの高さの台が、その向こうに階段、上りきったところに数メートル四方の広場がある以外、何の飾りも調度もない殺風景な場所だった。
「いらっしゃい」
 少女が首から手を離し、けほっ、一度咳き込んでから万輝は改めて、自分をここへ連れて来た張本人と対峙した。少女は軽くウエーブのかかった亜麻色の髪を後ろに払い、僅かだけ唇の端を上げる嫌らしい微笑み方をする。
 目鼻立ちは、美人とは言いにくい平凡さだ。少女は心持ち顎を上げ、万輝を見下ろす視線をわざとしたようだった。
「この迷宮に、何しに来たの?」
「…………」
「ねえ、教えてよ。お客様は、貴方たちのほうでしょ?」
 当然、逡巡。やがて少女が答を待つのを止めないことを悟り、仕方なく口を開いた。
「……“ラビュリントスの涙”。ここに、あるらしいんだけど……それを探しに」
 ラュビュリントスの涙。復唱した少女が、何故か鼻で笑った。
「……そんなもの、ありっこないわよ」
 ありっこない? 奇異な物言いに耳を留めた万輝に、しかし少女はそれ以上言葉を紡がなかった。
 代わりに、「ところで」と切り出して。
「ひとつ、選んで?」
「選ぶ?」
「ここは迷宮の中心にあるの。見てわかる通り扉のない、閉ざされた場所よ。私が連れ出さない限り貴方ここから出られない。だから選んで、ここに留まるか、迷宮の外に出るか」
 思いがけない提案、万輝は訝しげに目を細める。少女はそれを見越していたかのように、こう続けた。
「でもね、迷宮の外に貴方を運ぶのはちょっと疲れるの。だから条件を出すわね」
「条件……って?」
 そこで、少女は我が意を得たりとばかりに──にこり、微笑む。

「外に出すのが貴方一人であること。……つまり、一緒に来たあの子と別れられたら、外に出してあげるわよ」


 (続く)  


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【3689 / 千影・ー(ちかげ・ー) / 女性 / 14歳 / 【魂の獣】栄神・万輝の守護獣】
【3480 / 栄神・万輝(さかがみ・かずき) / 男性 / 14歳 / モデル・情報屋】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

千影様・栄神万輝様

初めまして、辻内弥里と申します。この度は当ノベルにご参加くださいまして誠にありがとうございます。納品までお時間いただいてしまい、申し訳ありませんでした。
OPにもありました通り、こちらは前編となっております。後編は3月5日より募集を開始する予定です。引き続いてのご参加、心よりお待ち申し上げております。
なお、キャラクタ描写などで何かご指摘・ご要望ございましたら、プレイングやファンレターなどでお寄せくださいませ。
それでは今回は、ありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。