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<Bitter or Sweet?・PCゲームノベル>


gentle promise



 白い息を吐きながら、シュライン・エマは買い物袋を片手に帰路を急いでいた。
 バレンタイン間近のショーウインドウは華やかで、矢を持った天使の姿が描かれている。 チョコレート売り場には可愛らしくラッピングされた箱が並び、女子高生の集団がキャイキャイ言いながら選んでいた。
 楽しそうな彼女達を横目で見ながら、シュラインはマフラーに顔を埋めた。 どんな手順で作れば良いのか、脳内で確認する。
 華やぐ街中を北風に追い立てられるようにして歩く。切り裂くような冷たさに耳の先がジワリと痛くなり始めた時、不意に小さな女の子が蹲っているのに気づき、足を止めた。
 濡羽色の髪はふくらはぎ辺りまで伸び、今はアスファルトの上に広がっている。 よく目を凝らして見れば、細く頼りなげな肩が小刻みに震えているのが分かる。
 どうしたの? 優しく声をかけてみれば、少女がゆっくりと顔を上げた。 透き通るような白い肌はやや青ざめており、紫紺色の瞳は涙に潤んでいる。
「チョコの作り方が分からないの」
 冷たい空気を揺るがすかのように、凛と澄んだ声はやけに大きく響いた。 外見年齢は8歳ほどの少女は、瞳と表情だけがやけに大人びており、アンバランスな印象を与える。
「どうしても手作りのチョコを、あげたいの」
 お願い、手伝って ――――― 少女はそう言うと、氷のように冷たい手を差し伸ばした。
 驚くほど冷たい手に、シュラインは両手で包み込むようにして体温を移してあげると、ゆっくりと頷いた。
 放っておけない雰囲気、あまりにも必死な目はシュラインの心を動かすだけの力があった。
「こっち、こっちよ」
 少女がシュラインの手をグイと引っ張り、裏路地に入って行く。 細い道を抜けた先は行き止まりで、綺麗な彫刻の施された扉が壁に張り付いていた。
「この先よ」
 少女が躊躇いもなく扉を開けた瞬間、暖かな春の風がシュラインの身体を包み込んだ。


☆ ★ ☆


 小奇麗に片付けられた部屋の中で、シュラインは一瞬のうちに起きた出来事を思い出し、目の前でジっとシュラインを見上げている少女に視線を落とした。
 確かにシュラインは冷たい風が吹き荒ぶ街中にいた。しかし、裏路地にあった扉を抜ければ、暖かな春風が吹く草原だった。黄色やピンクの花が踊る中を少女がシュラインの手を引っ張り、小高い丘の上にポツンと建っていた丸太小屋へと連れて行った。
「あなたはいったい‥‥‥」
「あたしはセーラ。あなたは?」
「シュライン・エマって言うの。シュラインって呼んでね」
 不思議な世界に連れてこられてしまったものの、目の前の少女・セーラに悪意や敵意は見られない。 いそいそと調理器具を出している彼女の目は、心なしか輝いているようにすら見える。
「材料は揃ってる?」
 シュラインは不思議なこの世界のことや、セーラの事を一旦頭の隅に追いやり、気持ちを切り替えるとそう尋ねた。 紫紺色の瞳がジっとシュラインの青色の瞳を見上げ、何かを見極めようとでもするかのように暫し無言で固まった後でゆっくりと頷いた。
 時間の差が気になるが、おっとりとした子ならシュラインの周りにいくらでもいる。 草間興信所を手伝っている関係上不思議な人を多々見る機会があるシュラインは、少しの事くらいでは動じなくなっていた。 それこそ、生理的にダメなゴで始まる茶翅のアレ ――― 名前を言うのですらも鳥肌が立ちそうになる ――― 以外ならば、そうそう取り乱しはしない。
 セーラが材料と器具を並べ、1つ1つ丁寧に確認した後で彼女が持ってきたエプロンを身に着ける。 女の子趣味なソレはピンクと白のレースが入っており、一瞬着るのを躊躇させるようなインパクトがあったが、シュラインは苦笑しつつも身に着けた。
 ふくらはぎ辺りまで伸びたセーラの濡羽色の髪を2つに結び、手を洗うと腰に手を当てた。
「セーラちゃん、何を作りたいか決まってる?」
 困ったように首を振ったセーラに、シュラインは視線を宙に泳がせた。 お料理初心者の子が作れるような、簡単で尚且つ見栄えのするものと言ったらなんだろうか?
 ――― ただチョコを溶かして型に流しただけじゃつまらないわよね‥‥‥
「そうねぇ‥‥‥チョコバナナのムースを何個か作ってみましょうか?」
「チョコバナナ、の、ムース?」
 キョトンとした顔をして、セーラがパチパチと大きな瞳を瞬かせる。 アスファルトの上に座り込んでいた時は、透き通るような白い肌は青ざめていたが、暖かなこの場所ではやや薄ピンク色に染まっている。
「難しくないの?」
「えぇ、大丈夫よ。セーラちゃんでも上手く出来るわ」
 キラキラとした目を輝かせながら頷くセーラに笑顔を向けると、チョコレートを細かく刻むようにと指示を出し、自身の持ってきた荷物の中を覗き込んだ。
 買ってきたオレンジピールを棒状に切り、幾つかをウィスキーに漬ける。ウィスキー漬けのオレンジピールは勿論草間・武彦用で、漬けていないものは零とセーラの分だ。
 危なっかしい手つきでチョコを切っているセーラの隣で、シュラインもチョコを細かく切ると牛乳を温めておき、彼女が終わるのを待ってから一緒に湯銭の準備をする。
「シュラインさんは何を作るの?」
「オランジェットを作ろうと思っているの」
「おらんじぇっと?」
 キョトンとした顔のまま首を傾げるセーラ。手元に視線がいっていない分、非常に危ない。
 ちゃんと手元を見るようにとやんわり指示を出し、セーラの方に温めておいた牛乳を入れ、二人でチョコレートがトロリと溶けるまで無言で時を過ごす。次第に甘い香りが部屋中に漂い始め、シュラインはオレンジピールの水気を取るとココアを塗り、チョコに潜らせた。
 マシュマロを加えたり電子レンジで加熱したりした後で、セーラがノロノロとバナナを切って器に入れると顔を上げた。
 シュラインも自分の手元に集中していたためいつの間についたのかは知らないが、セーラの頬にはチョコレートが飛んだ跡がついていた。
 冷蔵庫にチョコレートムースとオランジェットを入れ、ラッピングの用意をする。 箱を組み立て、リボンを選んでいた時、セーラが紫紺色の瞳に好奇心を覗かせながらシュラインを見上げた。
「シュラインさんってお菓子作り上手」
「そうかしら?」
「うん。とっても上手」
 にっこり、邪気のない子供特有の笑顔で微笑まれ、シュラインの顔も自然を緩む。
「有難う、そう言ってもらえると嬉しいわ。 元々料理は好きだったのだけど、お菓子作りをするようになったのはチョコ好きが高じてなの」
「そうなの? シュラインさん、チョコ好きなんだー。あたしもチョコ大好きなんだぁ」
「昔は今ほど色んなチョコの品がなかったから、外国のお菓子の本なんかを眉間に皺寄せながら作ったの。小さい頃だったから、難しい料理用語なんかはわざわざ辞書を引いて調べたりもしたのよ。‥‥‥懐かしいわ」
「難しい本を読んででも作りたかったんだね」
「えぇ。自分で食べるだけじゃなく、友達にもあげたりして‥‥‥美味しいって言ってくれた時の笑顔を見えるのが好きだったの」
「美味しいって言ってもらえると、幸せになるよねぇ。‥‥‥言ってほしいなぁ‥‥‥」
 セーラの瞳が翳る。 シュラインは訊いても良いものか悩みながらも、慎重に言葉を選んで口を開いた。
「セーラちゃんは、誰にあげるつもりなの?」
「えっと‥‥‥す、好きな‥‥‥男の子‥‥‥」
 今にも消え入ってしまいそうなほど細い声でそう言い、セーラが頬を染める。
 長い睫が綺麗な色の瞳を隠し、頬に薄っすらと影を落とす。
「シュラインさんは、誰にあげるの?」
「私も好きな人にあげるのよ。それから、何時もお世話になってる女の子に」
「何時もお世話になってる女の子?」
「好きな人の妹さんなの」
 そうなんだーと言ったきり、セーラは目を伏せた。 何かを悩んでいるらしい横顔は真剣で、心なしか暗い。
「セーラちゃん、何か心配事でもあるの?」
「どうして?」
「さっきから暗い顔をしているから」
「ねぇ、シュラインさんは、決まりごとって守らなくちゃいけないものだと思う?」
「決まりごとって言うのは‥‥‥赤信号では渡っちゃいけないとか、そう言うの?」
「それに近いもの」
「そうね‥‥‥守らなくちゃいけないと思うわ。赤信号で渡ってしまったら、車に撥ねられてしまう危険があるもの」
「そうだよね‥‥‥決まりは、守らなくちゃいけないものだよね‥‥‥」
「でも、破るためにあるんだって言う人もいるわよね」
 突然の言葉に、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして固まるセーラ。 小さな子供にこんな事を教えても良いものかと悩みつつ、それでも今のセーラにかけてあげるべき言葉は“決まりは決まりだから絶対に守らなくてはいけないもの”ではない気がした。
「どうしても納得できない決まりだったらその気持ちを訴えれば良いし‥‥‥自分の責任の範囲内においてなら、破ってみるのも必要な時があるわよね」
 草間興信所の事務員をしているシュラインは、度々決まりごとを破らざるを得ない状況に陥る時がある。 例えば進入禁止の建物に霊を追い駆けて入るとか、例えばピッキングで鍵を開けて中に入るとか‥‥‥。
 セーラの瞳が明るく輝き、嬉しそうに胸の前で手を組むと長い髪を揺らす。
「あのね、シュラインさん。あたし‥‥‥」
 組んでいた手が解け、白い指がシュラインの手に触れる。 その瞬間、シュラインの脳裏にある光景が映った。



 広い原っぱで、真っ白なワンピースを着たセーラが花を摘んでいる。 薄いピンク色の花、黄色い花、白い花、オレンジ色の花、淡い紫色の花‥‥‥花籠は色とりどりの花に彩られ、華やかだ。
 花を摘む事に夢中になっていたセーラがどんどん崖の近くへと歩いて行く。
『危ないわ、そっちに行っちゃダメよ!』
 そう声をかけるが、シュラインの喉からは掠れた息が出ただけに過ぎなかった。 自身の手を見てみれば、向こう側の風景が薄く透けて見える。
 幽霊になったかのような錯覚に眩暈を覚えながらもセーラの元へ駆け出そうとした時、危険な場所まで歩いてきてしまっていた事に気づいたセーラが慌てて立ち上がった。踵を返して走り出そうとした瞬間、足元が滑って華奢な身体が崖の向こう側にすっと消える。
 驚きに目を見開き口元に手を当てる。実際はほんの数秒だが、それでも何時間もの時が流れたような錯覚。 どうしたら良いのか途方に暮れていた時、崖の下から黒い羽が見え、勢い良く金色の髪をした少年の姿が現れた。その腕にはセーラが抱かれており、顔は恐怖に引き攣っている。
「お前さ、天使なら飛べるだろ?」
 銀色の瞳を細めながら溜息混じりに言い、少年がセーラを地面にそっと下ろす。
「‥‥‥あ、そう言えばあたし、空飛べるんだったんだ‥‥‥」
「もしかして、新米か?」
「うん。この間病気でね‥‥‥」
「そっか」
「あなたはどうしてあたしのこと助けてくれたの?」
「悪魔が天使助けたのがそんな珍しいのか?」
 セーラの瞳が揺れる。 どう答えたら良いのか思案する彼女の頭をそっと撫ぜると柔らかく微笑み、少年が高く空に舞い上がった。
「こっちだって、好きで悪魔になったんじゃねぇよ‥‥‥」



「‥‥‥インさん?シュラインさん?」
 はっと顔を上げれば、目の前には冷たいオランジェットとチョコバナナのムースが置いてあった。
「早くラッピングしよう?」
「え、えぇ‥‥‥」
 今のはなんだったのだろうか? 混乱する頭を必死に落ち着けながら、シュラインは手早くラッピングの作業を進めた。隣ではセーラが鼻歌交じりに手を動かしており、横顔はどこか嬉しそうだ。
「今日は有難うシュラインさん。シュラインさんのおかげで美味しそうなチョコが出来たわ」
 ラッピングが終わり、エプロンを畳んでテーブルの上に乗せたシュラインにセーラがそう言い、持っていた箱を差し出した。
「これはシュラインさんに」
「有難う。私からも、セーラちゃんに」
 プレゼント交換が終わり、にっこりと二人で顔を見合わせると一瞬沈黙が落ちる。
「セーラちゃん。‥‥‥あなたは、もしかして‥‥‥」
 シュラインの気まずい視線に気づいたセーラがはにかみながら手を横に広げる。 バサリと音を立てて純白の羽が部屋一杯に広がった時、シュラインの足元が揺れた。 刹那地震かと思うが、だんだん狭まる視界と霞がかっていく風景を前に、シュラインはこの世界からの帰宅の時を悟った。
「あたしだって、好きで天使になったんじゃない。 好きな人も選べないような世界は ――――― 」


★ ☆ ★


 カチャリと目の前の扉が開き、驚きに目を見開いた武彦が危うく煙草を口から落としそうになる。
「シュライン、いつからそこにいたんだ?」
「多分、いまさっきから‥‥‥」
 シュラインの不思議な受け答えに首を傾げつつ、武彦がすっと手を引っ張る。
「シュラインさん、顔色が悪いようですけど‥‥‥何か温かい物作ってきますね」
 心配顔の零がトテトテと台所へ走り、武彦の大きな手がシュラインの額に当てられる。
「熱はないみたいだが‥‥‥なにかあったのか?」
「天使の子と‥‥‥悪魔の子の恋物語を見たの」
「はあ?」
「それは素敵ですね。それで、その後どうなったんです?」
 インスタントのホットココアを入れてきた零が興味津々の顔でシュラインの話の続きを待つ。
「それがね、どうなるか私にも‥‥‥」
 分からない。 そう言おうとした時、ふと脳裏にある光景が映った。
 純白の羽を生やした少年と少女が手を取り合い、花を摘んでいる。 花籠には色とりどりの花が入っており、少年の胸には大事そうにチョコレートの箱が握られている。 こちらに背を向けていた二人が振り返り、紫紺色の瞳と銀色の瞳が喜びに輝く。
 “ありがとう” 確かにそう形作られた唇が、ジワリと滲んでいく。 ぼやけた視界がクリアになった先にあったのは、唐突に難しい顔をして黙ってしまったシュラインを不安そうな顔で見入る零と武彦の姿だった。
「零ちゃん、良ければ最初から話すわ。 それから、これは二人にバレンタイン。天使の子と一緒に作ったのよ」



END


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員