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貴方のお伴に 〜杏の花の咲く頃に〜
新しい年が始まったと思ったら、もう三月。
春の足音は、すぐそこまで聞こえてくる。
こんな日は、花でも見たかった。ちょうど、梅の花の時期だ。
散歩ついでに、寄り道して、見にいこうかな。
今日はテスト最終日で、半日で終わることだし。
書き終えたテストを伏せて、ぼんやりとそう思う。
それがきっかけだった。
「何これ……今、三月よね?」
放課後。
みなもはそんな言葉を白い息と一緒に吐き出しながら、自分の身体を抱え込むように腕を組んで歩いていた。向かい風が寒いを通り越して、痛い。
外に出た瞬間に、嫌な予感がしたのだ。確かに陽射しはあるけれど、それ以上に北風が厳しい。昼間は暖かかったのに。
癒しのための遠回りは、なんだか我慢大会の体を成してきた。
それでも、この坂を登りきれば目的の緑地だ。あとちょっと。ここまできたら、見て帰りたい。その一心で、北向きの風を真っ向から受けながら坂を上る。自然と、顔は俯き加減になっていた。
ふと、道路の脇に目が留まる。
ゴミ捨て場だった。集配はだいたい朝に行われるのに、マナー違反のゴミがまばらに見受けられる。どこの町にも、そういう人はいるものだ。ちょっと悲しい。
その中。一箇所に目が行く。その場にそぐわないもの。
人形?
しかも、ただの人形じゃない。ちょうどこの時期だけ脚光を浴びる人形。和装の着物の裾を扇を広げたように座っているそれは、雛人形だった。
それも、女雛だけ。
立ち止まる。そのことを不思議に思って、拾い上げた。
今日は三月四日。雛祭りは終わったばかり。
でも、だからと言って使い捨てにするようなものじゃない。
確かにかなり古そうで、ところどころ衣装はほつれているけど、壊れてるって訳じゃない。
顔についた汚れを指でぬぐう。
改めて見ると、上品な顔立ちだ。結構良いものなのかもしれない。優しげに細められた眼差しが、こちらを真っ直ぐに見つめてくる。
そうやって、人形に気を取られていたからだろうか。
周りの状況が見えていなかったらしい。
叫び声が上がる。怒鳴り声だったかもしれない。
顔を上げたときには、目の前に自転車がいた。
下り坂を一気に降りてくるそれは、かなりのスピードで。
倒れこむように、尻餅を衝く。
弾みで、人形が手から零れ落ちた。
一度弾んで、道の真ん中へ。
そこから先は、まるで、ドラマでも見ているようだった。
計ったように、後ろからトラックが走ってきて。
みなもの鼻先を掠めるように、轟音を立てて駆け抜けていく。
一瞬前までお雛様がいた、その場所を。
座り込んだままで、呆然と見つめる。
散り散りになった着物の切れ端、身体の欠片。
足元に、そんな欠片の一つだろうか、何かが転がり込んでくる。黒い、ビー玉を一回りは小さくしたようなもの。
手に取る。覚えがあった。
雛人形の――その瞳だった。
軽く、撫でるように触る。手で、そっと包む。
供養でもしてあげよう。そう思った。
なんとなくもう、梅を見る気にもなれなくて。踵を返し、道を戻り始める。
不思議と、風は止んでいた。
そうだ、久々津館に持っていこう。自然とそう思う。坂を降りきったところで、家とは逆方向に曲がる。
違和感に気づいたのは、ちょうどそのときだった。
躓く。
何か引っ掛けたのだろうかと思った。だけど、そうじゃない。
足元を見ても、何もない。疲れてるのかな。そう思って、また歩き出す。
身体が重い。
さっきのことがずっと頭に残っている。足取りは軽やか、なんて言えない。でも、気分が重いから身体も重い、そんな程度じゃない。背中を指先で、触れるか触れないかの間際で撫でられたような、そんな寒気が走った。
顔を上げる。次の曲がり角までが、果てしなく遠く感じる。
こんなに寒いのに、額から汗が滲む。頬を伝う。
それでも、ちゃんと一歩ずつ進んでいるのに、だんだん風景が遠ざかっていく。
――。
聞き取れないほどの声が、頭の中で響く。
足が、鉛のように重い。
――ない。
声が大きくなってくる。
――消えたくない。
聞き知らぬ声。悲痛な声。
声は、頭が割れそうなほどに大きくなってきた。それとともに、意識が遠のいていく。それは、意識がなくなるという意味の比喩ではなくて。身体から離れていくような、そんな感覚だった。
肘が上がらない。この前人形にしてもらったときは、どれだけ力を入れても反応がなかったが、今回は違う。自分ではない何かに、押さえつけられている。抵抗されて、言うことを効かなくなっていく。
まるで、身体を奪い取られるような――。
そこで、気づいた。
手の中のもの。あの、雛人形の瞳。
多分、不遇だったあの人形。消えたくない。そんな思い。その一心で。自分の身体を奪い取ろうとしている。
それはただの直感だったけれど、確信に近かった。
それでもようやく、久々津館の外壁が見えてきた。。アンティークドールショップ『パンドラ』の軒先も見える。
身体の重さは変わらないが、相手を確かに認識したからか、酷くはならなくなっていた。これなら時間はかかるが、なんとかたどり着けそうだ。
そうすれば、何とかしてくれる。久々津館の人たちなら、この、捨てられたかわいそうな子の魂を送ってくれるだろう。
けれど。
捨てられた悲しみは、どれだけ大きかったんだろう。
ふと、そう思ってしまった。
心が、触れ合う。
映像の切れ端が、フラッシュバックする。これは――人形の、記憶?
次々と、流れ込んでくる。
――長年、大事にされてきた。母から娘へ、順々に受け継がれてきて。
暖かく見守ってきた。いつしか、意識が生まれようとしていた。数々の人々の思いや性格を受け継いで。
なのに。
それが、ある日。あっさりと、捨てられてしまう。新しい雛人形に置き換えられて。
粗大ゴミでは面倒だからと、散り散りになって、捨てられてしまう。
涙が一筋、零れ落ちる。この子も辛い思いをしてきたのだ。
抵抗しようという気持ちが消えていた。なんとかしてやりたいと、思ってしまった。
足が止まる。意識は混濁して、交じり合って、一つになって、薄まっていく。
やがて、みなもの意識は――
深く溶け込んで、消えていった。
そこから先のことは、良く覚えてない。
自分のような、他人のような。
夢のような、現のような。
レティシアがいたような気がする。
鴉も来ていたかな? 炬が心配そうな顔で見ていた。
こんな表情もできるようになったんだ、なんて思ったっけ。
このまま、夢と現の境のようなこの世界で生きるんだろうか。
そんなの、嫌だ。
いまだに見る、悪夢。人形になったまま、倦んで朽ち果てていく夢。緩やかな絶望だけがある世界。
それが、現実になろうとしている。
ただ、一方で。
それでもいいか、と思える自分がいた。
混ざり合った意識の中で感じる、生きたいという思い。それは、とてもとても強い。
自分なんかより、もっと、有意義な時間を生きてくれるんじゃないか。
そう思ってしまう。
それに、ここは絶望で満たされているけど、それが帰って心地よい。まどろみに沈んでいるようで、暖かい。生まれる前の、胎児の頃に近いんだろうか。
――だめよ!
鋭い声が響く。どこか懐かしい声。
レティシアの声だ。
――戻ってきなさい。あなたを必要としている人だって、いるんだから。
そんな人なんて、いるんだろうか。そう思う。このままが楽でいい。
――みなもサン!
必死な声が響いた。声はさっきと同じように聴き覚えがあるのに、なぜだか、強く心を惹き付ける。
聴きなれた声。けれど、初めてのトーン。
――帰ってきて!
炬の声だ。
感情を爆発させた声。そんな声を聴くのは、初めてだった。
こんなにも、思われている。
私はまだ、必要とされている。
目を開けると、炬がすぐ横にいた。右手にぬくもりを感じる。両の手で、優しく包まれていた。
首を傾けると、視線が合った。その瞳は、潤んでいた。
「まったく、心配のかかる子ね、ほんとに」
別の方向から声が降ってきた。
「前は地下室だったわね。まあ、今回はどうも不可抗力っぽいけど……」
見上げると、やれやれ、といった風に苦笑するレティシアの顔があった。
そういえば、数か月前と同じだ。人形になって、放置されてしまって。今と同じように、助けられた。
「ごめんなさい」
そんな言葉が、素直に口を衝いて出る。
「それで……私は――どうなっていたんですか?」
我ながらおかしな質問だった。
炬のすぐ横に腰掛けると、レティシアは語り始める。
みなもの感じていた通り、持っていた人形の瞳らしきもの、それに残っていた意識、いや、意思というべきものに、乗っ取られようとしていたらしい。
「いったいどうしたの、 あれは、何?」
逆に聴かれる。当然だろう。みなもも、事の経緯を話す。ゴミ捨て場で見かけた女雛だけの雛人形。手にとってみたけれど、不慮の事故でばらばらになってしまって、瞳だけが残ったこと。それを久々津館に持ってこようとした途中で、身体が重くなって――。
「あなた、その人形の記憶に触れて、同情――いいえ、もっとそれ以上の感情を持ったんじゃない?」
図星だった。大人しく、小さく頷く。
「……だからね。炬が偶然見つけて連れてきたときには、ほとんど人形と言ってもいい状態だった。乗っ取られたんじゃなく、同調してね。普通だったら単純に人形の意識、魂みたいなものを追い出せばいいんだけど、そうもできなかった。混ざり合ってたから」
レティシアはそこまで言って、一つだけため息をついた。じっとこっちを見つめてくる。無言の間が、少し怖かった。
「炬の呼びかけのおかげね。何とかあなたが表面に出てきて、人形の意識を抑えこむことができたみたい。けれど」
人差し指で、軽く額を突かれる。
「あなたの中に、まだ『彼女』はいるわ。あなたに溶け込むようにして、ね。彼女は生きたがっていたんでしょう。なら、あなたはその分もしっかり生きてあげないとね」
胸に手をあてる。いつもより暖かいような気がした。
ふと、柔らかな風が当たる。いつのまにか、外は明るい。丸一日、寝ていたようだった。
風と一緒に、甘い香りが流れてくる。窓が開いていた。その向こうに、ささやかに咲いている薄紅の花が見えた。
「梅、ですか?」
聞いてみると、レティシアはゆっくりと首を振った。
「早咲きの杏の花よ。今のあなたにぴったりかもね――花言葉は、『いつまでもあなたと一緒』よ――あの人形の瞳は、お守りにしておいてあげるから、持っていってね。大事にしてあげて」
まあゆっくり休んでいきなさい、と言いながら、レティシアは部屋を出ていった。
炬が、まだ心配そうにこちらを見ている。
もう一度、「ありがとう」と言うと、はにかみながら、笑顔を返してくれた。
――色んな人に、生かされているんだ、私は。
いくつも寄り添って咲く杏の花を見ながら、そう思った。
昨日とは違う暖かい風と陽射しが、とても気持ちよかった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【1252/海原・みなも/女性/13歳/中学生】
【NPC/炬(カガリ)/女性/23歳/人形博物館管理人】
【NPC/レティシア・リュプリケ/女性/24歳/アンティークドールショップ経営】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、伊吹護です。
依頼ありがとうございます。
今回のお話、こんな仕上がりになりました。自分は、どうしてもこういう展開に持っていくのが好きなようです。
満足していただければ幸いですが……またのご依頼、お待ちしております。
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