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memento mori.
▽オープニング▽
何が起こったのか、理解することが出来なかった。
ただただ、胸が苦しくて痛くて、藻掻くしかできなくて…。
地に伏して何度も何度も激しく咳き込む。
肺が上手く機能しない。
まるで呼吸の仕方を忘れてしまったかのようだった。
涙が一筋だけ、頬を伝うのが判った。
それを最後に、意識がブツリとテレビの電源を切るように潰えた。
…………………。
ガタンガタン…。
ガタンガタン…。
心地よい揺れに気がつくと、俺はそこに座っていた。
見回してみればそこは随分とレトロジカルな佇まいの列車の中。
ぽつりと俺はそこに座っていた。
ガタンガタン…。
ガタンガタン…。
「…終点まで乗って往かれるのですか?」
「え?」
俺は驚いて、声のした方向を見定める。
そうして初めて気付いた。
俺と対面する席に一人の少年が座っているのだ。
黒い仕立ての良い制服の下に純白のシャツとリボンタイ。
育ちの良さそうな少年だ。
優しい目をしている。
「俺は…」
そこまで言って、俺は言葉に詰まってしまった。
俺は何故ここに居るのだろう。俺は何処へ行くのだろう。
何も…何も判らなかった。
「名前…」
俺が戸惑っているのを感じたのだろうか。
少年はそう言って、こくりと首を傾げた。
「名前は…憶えていますか?」
言われて、少しだけひやりとする。
よく知っているはずなのに、いざという時素直に出てこない。
そんな経験はないだろうか。
それと同じで、俺は一度、口ごもる。
「名前…俺の名前は…」
▽▽
「白月・蓮(しらつき・れん)…」
蓮はやっとのことで、言葉を口から押し出した。
前後の記憶が曖昧な中で、自分の名前を忘れてしまっていなかった安堵に、ほ、とため息をつく。名前とは「自分」というものを決定づける一番簡単でとても重要な手法だ。この異様な状況で名前を思い出せるだけで、蓮の心には大分余裕が生まれていた。
そうして改めて自分の置かれた状況を把握しようと、辺りを見回した。ガタンガタンと枕木を踏む音が示すとおり、そこは列車の中のようだ。だがその内装は、おおよそ東京都内を走っていそうにない、木造りの椅子と床をしたレトロジカルなものだった。
どうして自分はこんな列車に乗っているのだろう。ここは何処なのだろう。
手がかりを求めて車窓に目を向ける。そこにはどこにでも有りそうな都会の風景。灰色の建物が次々に流れてゆく。
「蓮さんと仰るのですね。僕の名はシキと云います」
少年、シキが唇の端を上げて言う。穏やかな、穏やかな微笑みだった。優しい瞳がじっと蓮を見ている。
「俺は、どうしてこの列車に乗ったのかな」
その視線を切り離すように視線を下に向け、問うてみた。明快な回答を期待してのことではない。先ほど自分の名前を強く意識したように、何か「自分」を確定づける行為をしないと、自己を保っていられなくなる。己の意識は雲のように流動して霧散し、この列車の空気にとけ込んでしまう。何故かそんな感覚を覚えたからだ。
ふいに、蓮は気付いた。この雲を掴むような、それでいて静かで穏やかな感覚には覚えがあったのだ。蓮は頭を抱えるように両手をこめかみに当てた。
「…俺は…死んだのかな?」
「!」
今までずっと穏やかに微笑んでいたシキの表情が、ほんの少しだけ揺らいだ。ごく一瞬の間だけだが、それを確かに感じて、蓮はしてやったりと唇の端を上げる。そして、やっと合点がいったように穏やかな顔でため息を一つつき、仰ぐように中空を見つめた。
「この感覚はかすかに覚えがあるよ。でも、記憶にはない」
「貴方は…」
謎をかけるよに蓮が呟くと、シキは若干戸惑ったように訊ねてくる。
「俺は以前、一度死んでいてね。多分、その時の感覚なんだな、これは」
くすくす、と蓮は笑った。だが、その笑いは自嘲でも皮肉でもない。純粋に可笑しさを堪えきれない。
そんな蓮を見つめながら、シキは一度だけゆっくりと瞬きをする。
シキの瞳は最初と変わらず優しく感じる。だが、それは生者にあるべき生気がその瞳に宿っていない故だということに蓮は既に気付いていた。「まるで玻璃のようだ」、蓮はそう思った。
「しかし、死んだとなると、この列車の終着駅っていうのは死後の世界というやつなのかな。ふふ…どんな世界なんだろうね。俺は一度行きそびれてるからね。本当の両親が待ってるのかな?それとも鬼でもいるのかな?」
蓮は至極楽しそうに車窓を眺めながら一人ごちる。
車窓の景色はいつの間にか都会から、どこか懐かしい片田舎の景色に変わっていた。
車窓からの眺めは蓮の興味を惹いた。気付いたからだ。この列車の車窓から見える景色は今までの蓮の記憶の断片だ。それを強く連想させる景色が記憶とは逆さの順になって連なっていく。
灰色の町での生活、妖魔との戦い、養父母からの独立、厳しい修行の日々、暖かい家庭。
そして、暗い暗い海の底…。
いつの間にか歯を食い縛りすぎていたのか、キリ、と軽く歯が鳴る。だが、それも気にせずに蓮は食い入るように車窓を眺めていた。
だが、そこで車窓からの景色は砂嵐に遭ったように白くザラつき始めた。そして、いつしか列車は何もない空白の景色が広がるだけの空間を走っていた。何も、見えなくなった。
蓮はしばらくその何もない景色を見つめていたが、大きなため息とともに切なげな表情で中空を仰いだ。
この車窓に魂に刻まれた記憶が再生されているのならば、もしやと思っていた。でも、ダメだった。記憶の扉は死しても開かれなかった。もしや、自分はあの時、別の魂を受けて別の人間として生まれ変わってしまったのだろうか。
忘れてしまった過去には縛られていないつもりだった。だけど、やはり、そこに確かにあったはずの自分を取り戻したいという気持ちが、僅かにでも有った。過去を取り戻せなかったことより、そのことに蓮は戸惑っていた。
養父母の顔が脳裏をよぎる。実の子供のように、厳しく、それでも暖かく、育ててくれた。その養父母をほんの少し裏切ってしまったような、そんな小さな罪悪感があった。
中空を仰いだまま目を閉じている蓮に、シキは何も言わなかった。ただ、その手にそっと触れた。
「…!?」
蓮ははっとしてシキの手を振り払った。
シキの手が触れた瞬間、そこから流れ出るように蓮の罪悪感が消えていった…いや、シキに流れ込んでいったのだ。
「何を…?」
蓮が手を引いて訊ねると、シキは振り払われた手を見つめながら、呟くように答える。
「死者から怒りや不安や罪悪感…負の感情を取り払うのも僕の役目ですから」
「だから、それらを自分に取り込んでいると?」
「ええ…」
蓮は初めてこの少年に微かな苛立ちを感じた。
「『それ』は俺の感情だよ。いくら負の感情だからって、キミには、あげない」
強い調子で言い放つ。だって、その苛立ちでさえ、大切な自分の一部だ。それなのに強制的にそれを奪われるのは我慢がならなかった。
蓮の剣幕に、シキは小さく瞠目する。
また、ただ列車が枕木を踏む音だけがその場を支配した。
▽▽
「ところで、あんなことをしているということは、つまり、キミは死後の世界への案内人なんだろう?キミは死というものをどう思っているんだい?いつからこんな事をしているのかは知らないけど、考えた事、あるかな?」
長い間続いた沈黙を突如破ってなされた蓮の問いかけ。
シキは落としていた視線を上げ、小さく首を傾げた。だが、それは答えに窮してではなく、どうしてそんなことを聞くのか、という類の困惑のニュアンスのものだった。証明するように、シキは答えを用意していたかのようにすぐ口を開いた。
「死は…この世の生けとし生けるもの全てに平等に訪れるもの。それだけです。そこに意味を見いだそうとするのは人間の業でしょうか。でも、そうした人間の為に、僕は存在します」
「キミは人間じゃないのかい?」
淡々とそれだけ語るシキに、蓮は更なる問いを突きつける。先ほどとは違い、シキは少しだけ迷うように玻璃の瞳を彷徨わせた。が、すぐに思い直すように蓮を然りと見つめて、ゆっくりと語り出す。
「…剰りにも永く此処に居すぎました。もしかすると、僕も彷徨える魂の一つなのかも知れない。でも、剰りにも永く此処に居すぎたのです…。僕は此処で魂が迷わぬように導くことしか出来はしない…」
「つまり、それがキミの見出した死の意味、なのかな。なら、キミは人間だってことだ」
そう言い放った蓮に、シキは初めて驚いたような表情をしてみせた。
「そんなことを云われたのは…初めてです。自分の死に気付く人はごくたまに居ますが、皆、僕のことを『死神』と呼びました」
「死神か、それは詩的でとても素敵だね。でも、俺にはキミが人間に思えるよ」
「どうしてですか?」
「キミが死神なら…そんなふうにはならないんじゃないかな」
蓮がシキの指先を見る。それに釣られてシキも自分の指先を見た。…先ほど、蓮の罪悪感を取り込んだ部分だ。そこはほんのりとどす黒い色に変化していた。
「…他人の負の感情なんか取り込むからだ。俺のほんの少しの罪悪感でこれだから、死を恐れる人の果てしない恐怖感なんか取り込んだら、キミも相当苦しいはずだ」
「………………」
俯いて何も答えないシキに、蓮はふとため息をつく。
「キミがどうしてここに囚われてこんな仕事をしているのかは解らないし、立ち入るつもりもない。キミが人間でも死神でも、それとはまた別のものでも俺のこれからすることは変わらないからね。けど、キミが俺の思ったとおり人間なのなら、俺の気持ちも解ってもらえるかな、と思ったんだ。
死後の世界はキミのおかげもあって安楽そうだね。俺の本当の両親もそこで待ってるかも知れない。けど、実のところ、顔も憶えていない本当の両親より、俺が死んだら泣いて悲しんでくれるだろう今の両親の方が大事なんだ。あの人たちの元に帰りたいと思う。本当の両親には…悪いと思うけどね」
そういうと、蓮はゆっくりと立ち上がった。人を死後の世界へ運ぶ列車にもう用はない。簡単に現世に帰れるとは思わなかったが、このまま列車に運ばれて死ぬのはもっとごめんだった。
だが、その瞬間、シキの手が蓮の袖口を引いた。それは強い力ではなかったが、蓮は立ち止まる。シキはしばらくの間、袖口を放そうとしなかった。蓮はじっとシキを見つめた。俯いたシキの表情は見えない。
「僕は此の列車の管理人。其れ以外は解らない。故に、貴方を死後の世界へ運ぶ義務が在るのです。でも…僕も…何処かへ…」
そこまで先ほどまでと同じ淡々とした語り口で呟き、しかし次の瞬間シキは蓮を勢いよく振り仰いだ。そのシキの目は、幽かな光を宿していた。
「××××××××」
その時、シキが何を言ったのか、蓮は聞き取ることが出来なかった。
▽▽
蓮はベッドの上で目を覚ました。
ゆっくりと拓ける視界に映ったのは、心配そうに蓮を見つめる草間の姿。
「目が覚めたか?」
草間が声をかけてくる。蓮は辺りを見回した。
「…ここは?」
「病院だ」
「…病院?…ッ!!」
なぜ自分が病院のベッドにいるのか解らない蓮は起き上がろうとして、激痛に背を丸めた。激しく咳き込む。
「ああ、無理するな!お前、妖魔に胸を貫かれたんだぞ!」
草間が話すところによると、蓮は妖魔退治の仕事の最中、妖魔の最期の反撃を受け、刺し違えになったのだという。草間がすぐに発見して病院に搬送してくれたから助かったものの、一晩生死の境を彷徨っていたらしい。
蓮は草間に支えられてまたベッドに背を預けた。
「だけど、おまえも大抵頑丈だなぁ。最初は瀕死でどうなるかと思ったが、意外とすぐに持ち直したんだぞ」
草間のほっとしたようなそれを聞きながら、蓮はぼんやりと窓の外を見た。植えられた病院の庭木に鳥が留まって…鳴いていた。それに気づいたのか、草間は窓際に寄ってその鳥を確かめた。
「ああ、ホトトギスが鳴いてるな。めずらしい、まだ春なのにな」
草間が珍しそうにつぶやく。
「ホトトギス?あれはホトトギスの鳴き声なんですか?」
「ほら、そんなことはいい。安静にしてろ」
「貴方が言ったんじゃないか…」
「独り言だよ。けが人のくせにいちいち反応すんな」
「………………」
蓮は不服そうにしながらも、草間の言うとおりにもう一度ベッドに深く沈み込んだ。それでも、気は窓の外に向いていて、それをみた草間はふとため息をついて語り出した。
「あんまり縁起のいい鳥じゃないみたいだな。ホトトギス自体『不如帰』とも書くし、『帰るに如かず』と鳴いているとも言われるな。帰るところのなくなった彷徨う魂の化身なんだと」
「彷徨う魂の…」
「あの世に引きずられることもあるって話だ。お前も気をつけろよ。何しろさっきまで死にかけてたんだからな」
戯けたように言って、草間は病室の時計をみた。
「もうすぐ、ご両親も東京に到着する頃合いだ。そのときに疲れて寝入ってるなんてことがないように、今のうちに眠れるなら眠っておけよ?」
「ああ、そうだね…」
そういいながら、蓮はすぅと目を閉じた。そうすると病院のざわめきも草間の気配もすべてがそっと遠ざかって、蓮の脳裏には窓の外で鳴くホトトギスの声だけが響き渡っていた。
「帰りたい、帰りたい…」
蓮にはそのホトトギスの声がそう聞こえていた。
「俺の気持ち、解って…くれたんだ…な…」
蓮は眠りに落ちる瞬間、無意識にそう呟いていた。
<了>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【7433/白月・蓮/男/21/退魔師】
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■ ライター通信 ■
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>白月・蓮 様
はじめまして、ライターの尾崎ゆずりはです。
ご参加ありがとうございました。
今回は「memento mori.(死を想え)」というテーマで始めましたが、
どちらかというと「ホトトギス」がテーマに成り代わってしまいましたね。
因みにシキの名前もホトトギスの漢字表現の一つ「子規」から発想を得ました。
今回、以前に一度死亡経験のある蓮様のご参加であり、
シキ自身のことにもプレイングで触れて下さったおかげで、
裏設定として用意していた部分がほぼ一作で出せてしまいました。
書き手としては嬉しい限りなのですが、嬉しさの剰り、突っ走ってないか心配です。
突っ走ってませんか?私、突っ走ってませんか?
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