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笑顔二つ 約束三つ
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その夜、一条樹里は些か不機嫌顔で窓の外を眺めていた。
指先は寝巻きの襟を彩る白銀の飾りを撫でている。
元はそのような装飾など無かったのだが、とある出逢いを経た翌朝に、気付けばそれがあった。
ブローチなどのように取り外し出来るものではなく、生地そのものが加工されて羽根の形を象っている。
まるで魔法のような贈り物は再会を約束する証のように思えた。
にも関わらず、あれから半月。
“彼”からは何の音沙汰もない。
「かわぴー、わやだよ、わ・や・っ」
窓枠に頬杖をつき、少女らしからぬ悪態をつく樹里の表情は剣呑さを更に増す。
かわぴーこと影見河夕。
そろそろ出て来た方が身の為でないだろうか?
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そんな天の声が聞こえたのか否か、再会は唐突に訪れた。
翌日の夕刻。
陽が傾き始めた頃に学校から自宅へ向かって歩いていた樹里は、交差点を挟んだ向こう側に河夕の姿を発見して目を輝かせた。
「いた!」
声を上げると同時、背中のランドセルを揺らしながら走り出す。
同じ下校途中の子供達の間を駆け抜ける身のこなしは、まるで「風」。
迷いの無い足取りは真っ直ぐに目的の人物を目指した。
しかし相手も只者ではない。
姿は見えているのに追いつく事が出来なかった。
「かわぴー!?」
呼んでも応えない。
樹里のこめかみが小さく震える。
「そやってムシして、あとで後悔しても知んないからね!」
少女は更にその速度を増して追いかける。
車道を渡り、ガードレールは飛び越え、曲がり角は迷わずこちらと進路決定。
河夕の姿は常に前方に見えていた。
だが、追いつけない。
「むーっ!」
眉を吊り上げて足を止めた。
もう追ってあげないと胸中に息巻きながら深呼吸を繰り返す。
と、おもむろに前方の彼も足を止めた。――まるで樹里が追い駆けてくるのを待つように。
「かぁーわぁーぴぃーー……っ」
もしも彼女が、あと少し大人であれば、この奇妙な状態を怪しむ事も出来ただろう。しかしこれが罠だと気付くには、少女は純真過ぎたのだ。
得意の稲妻キックを繰り出さん勢いで駆け寄り、触れた刹那。
――…狩人 ノ 匂イ……
「え」
驚くより早く、少女の身体は落下した。
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「えー?」
樹里は遙か上空を見上げて小首を傾げる。
どうやら河夕の後ろ姿を追っている内に高台まで来ていたらしく、止まった彼に駆け寄った彼女は、そのまま道の端に設えられていたガードレールを飛び越え、真下のアスファルトに落ちたらしかった。
その高さはおよそ二〇メートル。
普通であれば即死だ。
しかし少女は無傷。
足首を捻るなどの見えない怪我も無かった。
だからと言って、少女の「えー?」は無傷に対する疑問ではない。
高所から落ちて何ともないのは今回が初めてではなかったし、言ってしまえば怪我の有無など、どうでもよかった。
問題なのは仕留めたはずの獲物――否、確かに捕らえた標的…、どう表現するのが妥当かは不明であるが、何にせよ、其処に居た何かに稲妻キックが入らなかったという事が問題なのである。
しかも、この高さから人を落とすという悪質な行為。
拳を握り締めて確信する。
これは何らかの悪者の仕業に違いない。
「樹里のコーゲキをかわすなんて…っ、タダモノじゃないっ!」
心の内に正義の炎を燃やして感情を昂ぶらせれば、それが「悪者」を刺激する。
――…何故 死 ナナイ……
――…何故 生 キテル……
わらわらと集まり始めた黒い靄は、テレビコマーシャルで見た菌増殖の映像を連想させる。
――…狩人 ノ 匂イ……
――…狩人 ノ 匂イ……
――…狩人 ノ 匂イ……
声ではない声が響く。
樹里を囲む。
「なんかよくはわかんないけど、ワルモノはゆるさない!」
その正体を知らずとも雰囲気で伝わるものがある。
次第に人間の姿を象る黒い靄は、樹里の知る影見河夕になり、これが少女の怒りを更に煽る。
「かわぴーはワルモノじゃないんだから!」
その姿に見えるのは樹里だけであり、他の人間には、会いたい別の誰かに見えるというのが、それの正体。
「悪! 即!」
少女はランドセルを地面に下ろした。
構え、走る。
飛ぶ。
「いーなーずーまぁっ! キーック!!」
空中で見事な体勢を維持し、敵に突っ込む少女。
しかし生身でない相手に攻撃が通じるはずはなく、すり抜けた樹里は先刻と同様にアスファルトに投げ出された。
「ひきょうもの!」
キッと睨み返す樹里は、やはり軽い身のこなしで着地。
その身体には傷一つつかない。
再び攻撃態勢に入る、同時に黒い靄の動きに気付く。
――…狩人 ノ 匂イ……
――…狩人 ノ 匂イ……
――…狩人 ノ 匂イ……
靄は、ランドセルに飛び掛った!
「!?」
樹里は目を瞠る。
靄がそのような行動に出た理由は判らない、だがランドセルを傷つけられるのはイヤだった。
何故なら、その中には――。
「樹里!?」
不意に頭上から声が降る。
驚愕と同等の戸惑いを滲ませた声は、彼の。
「なんでこんなトコに…っ!」
それは樹里に言ったのか、それとも靄にか。
咄嗟の言葉が出ない樹里の視線に追われて、彼の手には白銀色の日本刀が握られる。
「次から次へと鬱陶しい! とっとと失せろ!!」
――ギャアアアアアアァァァァァッ……!!!!
頭上から振り下ろされた刃に、樹里の蹴りを一切受け付けなかった靄が悶絶の声を上げた。
さらさらと、次第に砂粒となって風に吹き消されて行く。
それを見届けて、顔を上げた彼は、影見河夕。
「樹里、おまえどうして魔物に襲われて…」
言い掛けた言葉は、それきり。
次いで上がったのは樹里のレッグラリアートを食らって倒れた河夕の呻き声だった。
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「かわぴー、はんかくさいよ。ホンット、はんかくさっ!」
「はんかくさい…ってどういう意味だ…?」
「はんかくさいは、はんかくさいんだよ。わやだよ、ほんとっ」
飛び出る言葉の半分以上を理解出来ない狩人だが、少女を怒らせたがために悪態を吐かれているのだろう事は何となく理解する。
最も、怒らせた理由には全く思い当たらないのだが。
「っ痛…」
樹里の蹴りを食らって青痣になった腕を押さえつつ、彼女のランドセルを持ち上げる。
さすがの狩人も突然の攻撃には虚を突かれたらしくレッグラリアートは見事に決まった。
樹里が「はんかくさい」と言うのも、自分の攻撃をかわせなかった狩人に呆れての事だろう、…というのが河夕の見解。
たとえ相手が恋人であろうと平気で三ヵ月も待たせるような野暮な男である。
少女の繊細な気持ちを判れと言うのは酷な話しだろう。
「ほら、魔物に食われる前に間に合ったからな。持って帰っても問題ないぞ」
「……ありがとう」
怒ってはいても礼儀正しい少女はちゃんと礼を言ってランドセルを受け取った。
と、不意に河夕の手が止まる。
「――樹里、中に何を入れてるんだ?」
「何って……」
眉を顰める河夕に、樹里は中に入れていたものを取り出す。
それは、寝巻きの上。
あの夜の河夕が、襟元を加工し白銀色の羽根を象ったそれである。
「おまえ、学校にパジャマ持っていくのか?」
驚く狩人に、樹里は頬を膨らませる。
「持ってたらかわぴーに会えると思ったんだもん」
羽根の飾りは「約束」だと信じた。
そんな少女の気持ちを知ってか知らずか、河夕は、まさかそれを家から持ち出すとは思わなかったと困り顔。
実を言えば、あのマンションの中にある限りは大丈夫だろうと思って狩人の力の片鱗を残してきた河夕である。
それを外に持ち出せば魔物に匂いを追われ、襲われるのは必至。
樹里が襲われたのは自分のせいと言う事だ。
「……」
今回は無事だったから良いとしても、次回もそうだとは限らない。
自分が現れる以前の少女の身のこなしを見ていなかった河夕は自責の念に顔を歪めたが。
「これ、やくそくだったんだよね?」
「え…」
「大事にしてたから、また会えたんだよね」
「――」
真っ直ぐに見つめられて言われたら、否定など出来ようはずがなかった。
「……ああ」
「やっぱり!」
屈託のない笑顔を向けられて、河夕も失笑する。
ランドセルを背負い直した少女を、まるで妹にするように抱き上げた。
「わっ、かわぴー?」
「樹里、もう一つ俺と約束しよう」
同じ高さで揃う視線に、樹里は小首を傾げる。
「なに?」
「そのパジャマは、今後二度と家の外に持ち出さないこと」
「それが約束?」
「ああ」
どういう意味かはよく判らない樹里だったが、聡明な少女は、それが大切な事なのだろうと察する。
「うん…。じゃあ、かわぴーも樹里と一つやくそくしよ!」
「どんな約束だ?」
「次に会うやくそく!」
簡単で。
それでいて大切な、約束。
二人は笑う。
手の中の白銀色の羽根が、いま夕焼けの赤い光りに瞬いた――。
―了―
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