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絵本の子供と窃盗犯
1.
その日、草間興信所にやって来た者を見たときから、草間はすでに嫌な予感を覚えていた。
風貌は何処にでもいるような小柄な男だが、草間はこの男と面識がある。
「灰原さんだったか?」
「あ、はい。そうです」
灰原という名の男はぺこりと頭を下げてから待ちきれないとばかりに草間に向かって依頼したいらしいことを口にした。
「実は、ボクの持っている本が盗まれたんです」
「窃盗なら警察が良いんじゃないのか?」
つい草間がそう返してしまったのは言った言葉そのままの意味があるが、もうひとつ理由がある。
灰原は所謂愛書家というもので、しかもその本といえば奇妙な本がほとんどなのだ。
盗まれたという本も、おそらく普通の本ではないのだろう。そうでなければここを訪れようとはしないはずだ。
「いえ、警察はあまり信用していないので普通の本でもこちらに来ていたと思います。彼らが丁寧に本を扱ってくれるとは思いませんから」
そんな如何にもな灰原の言葉は適当に聞き流し、草間は本題について尋ねた。
「じゃあ、今回は普通の本じゃないってわけだな。どんな本なんだ?」
「はぁ、それが」
そこまで言ってから灰原は何かを躊躇うように考え出した。どうもこの男少々まだるっこしい性格をしているようだ。
「あのな、ここまできて言い渋っても意味ないだろう。後ろ暗い本なのか?」
「いえ、そんなことは……ただ、あの本を長く持っているのは危険な場合があって」
十分後ろ暗いじゃないかと草間は思わず言いそうになったが、それよりも話を続けさせるほうが先だ。
「危険っていうのは?」
「はぁ、その本は持ち主を少し選ぶんですが。あまり気に食わない相手が持っていると、その、危害を加えることもあるんです」
危害という単語に草間は表情をかすかに険しくさせ、それに気付いた灰原は慌てて付け加えた。
「いえ、あの、命に関わるとかいうことはないんです。子供のやることですから」
「子供?」
「はぁ、その本──絵本なんですけど、それを描いたのは小さな子供なんです。ただ、その子供はもう死んでいまして本の中に住んでるんです」
気に入らない相手の元にいる場合、絵本の中に住んでいる子供がいたずらをしかけるのだという。
「持ってる相手を気に入っているのならそのままでも良いんですけど、そうでない場合本が可愛そうですから取り返してください」
どうやら、灰原にとっていたずらを受けているかもしれない窃盗犯のほうよりも盗まれた本のほうが大事らしい。
その様子にやや呆れた目で見ている草間を無視してお願いしますと灰原は頼み込んだ。
2.
律花にその話が回ってきたのは彼女自身も読書を好み、そして何よりも灰原と親しいと呼べる関係でいるからという点も大きいのかもしれない。
「絵本の中に子供が住んでいるんですか」
「あぁ、そしてその子供……のほうか? それとも本自体か? どちらなのかは俺にはわからんがとにかくそれに危害を加えられたら困るから何とかしてくれということらしい」
「それはどちらもです、当然じゃないですか」
草間の言葉に灰原は心外だというふうに抗議してみせるが、草間にとっては本のほうに危害を加えられているかもしれない相手のほうはどうでも良いのかと聞きたくなってしまうようだがそんなことを灰原に言っても無駄なのだろう。
「灰原さん。もしも本が気に入らない人のところにあって取り戻した後私を嫌わないでいてくれるようなら、少しの間お借りしてもいいですか?」
灰原が気に入って持っていた本というのならば律花にしても興味をそそられる対象だ。いったいどんな本なのかということも気になるし本に住んでいるその子供にも会ってみたい。
その申し出に草間は物好きなと言いそうになるのを堪えているようだったが、灰原はなんの躊躇いもなく「はぁ」と頷いてみせる。
「それは、律花さんなら大事に扱ってくれるのはわかってますし本のほうも気に入るでしょうから構いません」
持ち主から承諾のサインが下りたとあればやる気もますます沸いてくる。
「まずはどこで誰に盗まれたのかを突き止めなくちゃいけませんね。黒猫亭ではそういうことをされる方が入れるとは思えませんし、黒川さんは性格は悪いですけどそういうマナー違反はされないでしょうし」
灰原と出会うきっかけとなった黒猫亭という奇妙な店は、言い方はおかしいかもしれないがそういう面での『セキュリティ』は万全のように律花には思える。仮にその店で盗まれたのであれば、それは何かしらの意味があって店が許可した場合だけだろう。
「そうですねぇ、黒川は確かに性格は悪いですが知り合いからものを盗むということはあまりしないんじゃないでしょうか」
あまりという言葉に灰原の黒川に対する見方がうかがえるが、今回の事件に黒川は無関係のようだ。
「では、盗まれたのは黒猫亭ではなく別の場所というのは確かですね?」
「多分、そうだと思います」
ここでもうひとつ律花の好奇心をくすぐるものがある。黒猫亭で静かに本を読む以外の灰原の行動というものを律花は聞いたことがない。唯一知っているのは以前一緒に行ったことがある古本市くらいだ。
「差し支えのない程度で良いんですが、灰原さんの普段の行動を教えていただけませんか?」
「ボクの行動ですか?」
律花の言葉に気を悪くしたわけではないが、うーんとしばらく灰原は考え込んで口を開く。
「ありふれてると思いますけどねぇ。朝起きてその日の天候や気分で読む本をいくつか決めてそれを出して、古本関係から送られてくる市や出物の情報をチェックして、何もなければそのまま黒猫亭で過ごしているのが大半です」
「黒猫亭へはどういうルートで行かれているんですか?」
「ルートですか? さぁ、あまり気にしたことがないなぁ。本を読みながら歩いていればすぐに店の前に着いているので」
灰原の場合、本を読んでさえいれば周囲で如何に奇妙なことが起きていたとしても気付かないのかもしれない。もしかすると黒猫亭へ至る道もそのつどで違うのかもしれないが本人は気付いていないのだろう。
「お前さんさぁ、本読むのと店に行く以外に何もしてなくて何処で本を盗まれるんだ?」
違う意味にも取れるような呆れた草間の言葉に、しかし灰原は深く意味を捉えようとはしておらずいつ盗まれたかということだけを考えてまた考え込んでいた。
そんな様子を見ながら律花は盗まれたという本について考えてみた。
「灰原さん、その本には子供が住んでいると言われていましたよね?」
「あぁ、はい。そうですが」
「その子供は灰原さんを気に入ってくれていたんですね?」
「そうですねぇ。悪戯や抗議をされたことは一度もありませんから多分」
ここで本に住んでいる子供の性格の一部が浮かんでくる。灰原は子供相手に何かを積極的に行うような男ではない。そんな男の元でおとなしくしていたということはその子供はあまり干渉されず静かに過ごすことを好むのかもしれない。
「その絵本ですが、本としての価値はあるんでしょうか」
「価値ですか? うーん、通常の本としての価値という意味ならないと言っても良いと思いますよ。小さな子供が作っただけの手作りの本ですから」
「それがどういう経緯で灰原さんの元に?」
「世間的には無価値でもそういう奇妙な本を専門に扱ってるところとも縁はありますから、そういう方面から」
その言葉に一瞬草間は後ろ暗い方面じゃあないだろうなと尋ねたいような顔になったが、結局口を開くことはしなかったが、律花はその言葉でひとつの可能性を思い浮かべた。
「黒猫亭以外で立ち寄ったお店や場所はありますか? 例えば、いまおっしゃった世間的には無価値の本を扱われるというお店などに」
その質問に、灰原は僅かに驚いたような顔で律花を見た。
「店ですか? でも、ああいう店に出入りする人に悪人がいるとは思いたくないなぁ」
同好の士を疑うことなど考えもつかないらしい灰原の態度に草間は呆れたように今度は口を開いた。
「あのなぁ、愛書家なんて奴は度を過ぎたらとんでもない連中もいるってことくらいお前さんだってよく知ってるだろ? 自分が欲しい本はどうやっても手に入れたいっていう連中はごまんといるさ」
「悪人と一概には言えないかもしれませんよ。もしかすると何か必要に迫られて本を拝借してしまったのかもしれませんし」
草間の言葉に些かむっとした態度をとった灰原を宥めるようにそう言いながら律花は話を続けた。
「それじゃあ、何処かお店に寄ったんですね?」
「はぁ、珍しい本が入ったからという連絡を受けたんで寄った店があるんです」
「じゃあ、そのお店で盗まれた可能性があるということですね」
その問いに、灰原は「はぁ」と頷いてみせた。
3.
灰原に案内されて律花が向かった先はいつ潰れてもおかしくないようなぼろぼろの外見をした構えと、それ以上に目を引く店の外にまで溢れ出そうな本を抱えた店だった。
よく見てみれば乱雑に積まれているように見えてそれらが神経質なまで細かく分類されていることがわかる。そして、そのタイトルのほとんどが律花の聞いたことのないものばかりだ。
「おや、灰原さんどうしたんです?」
店に入った灰原の姿を認めた途端、店主らしい年老いた男がそう声をかけてきた。
「そちらのお嬢さんは?」
「初めまして。秋月・律花といいます。実は灰原さんに調査をお願いされて調べているんです」
「ボクの本が一冊盗まれたんですよ」
「本が?」
灰原の言葉に店主は驚いた顔をしてみせ、うちに来る客でそんな真似をするような人間がいるとは考えられないと主張したが、律花の話にはきちんと耳を傾けてくれた。
「悪気があって盗んだわけではないかもしれません。もしかしたら何か事情があるのかもしれませんし、本のほうが迷い込んでしまったという可能性もあります」
「そうだねぇ、ここはご覧の通り少しばかり変わった本が集まってる場所だから、本のほうも迷うことがあることは確かだ」
店には店主と灰原、そして律花の三人の姿しかいまはない。それなのに店中から様々な気配がし、時折律花の肩をとんとんと叩くものもいる。
「灰原さん、ここにいる間、本はずっと手元に置いていたんですか?」
「ボクは鞄から出してません。ずっと持っていました」
そう灰原は主張したが、そのとき律花の脳裏を過ぎったのは灰原の性格──本を読んでいる間なら何が起こってもほとんどのことでは気付かないという点だ。
「灰原さん、このお店にいるとき本を読んでいましたか?」
「本ですか? そりゃ、何冊か棚に並んでいるものをチェックしたりはしましたけど……」
「その棚はどの辺りですか?」
律花に聞かれるまま灰原は店の中でも人目につきにくい場所を指差した。
そちらを見れば、癖のありそうな気配が至るところに漂っている。
「もしかして、あの辺りの本はお客に悪戯をすることがあるんじゃないですか?」
突然そう言われた店主は僅かに驚いた顔をして見せたものの、しばらくしてからそれに答える。
「悪戯かい? あの辺りの本は少し癖があるのは確かだからもしかするとそういうこともするかもしれないが」
その言葉に頷いて律花はすたすたとその棚に近付いた。
「あなた方の中で、灰原さんの鞄から本を抜いて他の方の鞄に移した……なんて悪戯をされた方がいますか?」
にっこりと笑顔を浮かべながら、しかし嘘やごまかしは通じそうにない口調で律花がそう尋ねた途端、その周辺の本の気配がばたばたと慌しくなった。
4.
「……つまり、犯人は本だったっていうわけか?」
呆れ返ったような草間の言葉に律花は頷いて見せた。その傍らには一冊の手作りの本がある。
あれから本たちに詳しく事情を聞いたところ、律花の迫力に押されてかほんの出来心で行った悪戯だったとすんなり白状した。
とばっちりで本を盗んだ犯人に危うくされかかった人物も絵本からの悪戯を受けながら何処でこれを手に入れたものか困り果てていたところだったらしく、事情がわかってすぐにその本を灰原に返してくれた。
ああいう本屋に訪れるものであるから本の取り扱いに関しては丁寧なものだったので、そのことは灰原を非常に安堵させたものだった。
「で、『犯人』はどうする気だ?」
「みっちりとお説教をしてもらうことにしました。当分お店の外には出してもらえないそうです」
「ともあれ助かりました。あのままだったらいつ本が戻ってきたかわかりませんし」
灰原はすっかり安心した顔でそう言ったが、それに対して律花は言葉を付け加えた。
「灰原さんも灰原さんです。子供から目を離すなんて駄目じゃないですか。今度からは外に出すときはもっと気をつけないといけませんよ?」
「……すいません」
まさか自分にまでお小言が来るとは思ってもいなかったらしい灰原はすぐにそう謝り、その様子に草間は思わず噴出しそうになるのを堪えていた。
「それで、お約束通りこの本はしばらくお預かりしても大丈夫なんですね?」
「それは勿論。本のほうも律花さんに感謝してるみたいですから。開いてみてください」
灰原に促されるまま本を開いたとき、律花はあっと小さく声を漏らした。
そこには迷子になって泣いている小さな子供のもとへやってきた優しい女性の物語が描かれていた。
「これがこの本のストーリー?」
「それは書下ろしですよ。いまでも本の中で新しい話をどんどん描いているんです。常識にとらわれていない子供の描く話というのはなかなかおもしろいですよ」
是非楽しんでくださいねと灰原はそう付け加え、律花は改めて本を見た。
泣いていた子供が優しい笑顔を浮かべた女性に向かって『ありがとう』と告げているシーンは温かく律花の心に残った。
了
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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6157 / 秋月・律花 / 21歳 / 女性 / 大学生
NPC / 草間・武彦
NPC / 灰原純
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■ ライター通信 ■
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秋月・律花様
いつもありがとうございます。
この度は、当依頼にご参加いただき誠にありがとうございます。
灰原の持っている本ということで興味を持っていただき、子供好きということで本は律花様のほうへお預かりしていただく形となりました。
灰原の日常が僅かに出てきましたが、盗んだ『犯人』についてなど含めお気に召していただければ幸いです。
またご縁がありましたときはよろしくお願いいたします。
蒼井敬 拝
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