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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


されど血の味を知る

 見上げれば、丸くくり貫かれた空。
 「それ」は自分が文字通り「井の中の蛙」であると理解していた。その言葉は偶然知ったものである。続きがあるらしい。しかし、その「続き」を知ることは叶わなかった。暗く深い井の中で、他に興味もわかなかった。
 「知」への欲求は年月とともに狂気へと変じていた。
 ある日、井の中に落ちてきたものがある。
 傷ついた小鳥。
 「それ」は、ためらわなかった。確信があった。井の底に朱が広がった。
 「それ」は、知った。

 依頼人は、制服姿の少女だった。
 草間武彦は、その少女を知っていた。有名な怪奇ホームページ「ゴーストネットOFF」の運営者、瀬名雫である。この業界では有名な少女であった。武彦の嫌う、この業界では。武彦が話を聞く気になったのは、彼女のあまりに真剣な顔と、その顔色の悪さにただならぬ気配を感じたからだ。
 調査も自ら行う、ということを信条にしていると聞きかじっていた武彦は、重苦しい空気のために、その疑問も口にできなかった。コーヒーを飲みながら、ただ話を聞いていた。
「――人を食う井戸、ねぇ…」確かに目の前の少女には似つかわしくない話だな、と考えていた武彦の顔つきが、次の一言で変わる。
「消えたのは、クラスメイトなんです……」
 沈黙が重苦しく部屋に満ちた。
「…枯れ井戸があるなんて、変わった学校だね」かろうじて口をついてでた言葉に、武彦は自身で怒りを覚えた。何か他にあるだろう、と下唇を噛む。
 少女はしかし、気にした様子もなく、力無く首を横に振った。
「ありませんでした。井戸なんて、学校に」

 武彦は、依頼が自身に来たことも、無理からぬ話だ、と考えていた。瀬名雫は、その話をどこから聞いたのだろうか。失踪したのがクラスメイトならば、噂ということも考えられる。しかし、彼女が運営するホームページからならば? 可能性は充分にあったが、武彦は確認しなかった。怪奇現象に精通した彼女は、「最悪の可能性」を考えた。その可能性の高さも。怪奇現象に強いと噂の草間興信所を、わずかばかりの希望で訪れたのだろう。武彦には、その手を振り払うことはできなかった。
 校舎の裏手に、それはあった。校舎の壁と緑のフェンスの間にぽっかりと口を開けている。そこに井戸を設ける必要性も全く感じられない。何より唐突感がある。いよいよ雫の話は真実味を帯びてきた。
「じゃあ、あとはよろしくな」後ろを振り向き、武彦が言う。武彦の言葉に、和田京太郎は無言で頷いた。
「武彦さんは何すんの?」言葉は京太郎の隣にいた、鈴城亮吾から発せられたものだ。
「考えがあってね。別行動さ」ひらひらと、上に挙げた手を振り、武彦は来た道を戻り始める。「付いてくんなよー。まだまだ推測の域を出ねえからな。何より――」
 言いながら、振り向いた武彦の表情は極めて真剣なものだった。
「――任せられるから、お前達を呼んだんだ」

 京太郎が井戸へ降りるためにリペリングの準備をしているとき、気になったのは何より亮吾の行動であった。亮吾がその手に持っているのは鉄パイプである。それを何かいじり回していた。あらかた準備を終えたため、京太郎がその様子をじっと見ていると、それに気付いた亮吾が手を止めて顔をあげ、口を開く。
「井戸…まぁ良い悪いはともかくとして、昔ッから古井戸にはなんか曰くがつきものだよなぁ…」
「いや、そんなことよりお前は何してる」
「何って…降りる為の準備だよ」亮吾はきょとんとした。鉄パイプは、亮吾が「倉庫」から持ってきたものだ。亮吾は、日頃から役に立ちそうなものをその「倉庫」にため込んでいた。買った物から、様々な「現場」から拾ってきた物まで。今回持ってきたような物だけでなく、パソコンなら数台は作れそうな電子部品も多くそこにあった。ほとんどの人間に、「倉庫」の存在さえ教えていない。「コレクション」を理解することのできる人間は、同じ考えの者しかありえないからだ。
 ふわふわと、鉄パイプが井戸の上で浮遊している。亮吾の手による電界操作だ。その鉄パイプは十字型に組まれ、乗ってつかまることができるようになっていた。夜間工事にでも使うような大きなライトで照らしながら、亮吾は古井戸にゆっくりと降りていく。
「先に行くよ〜」
 小さくなっていく声を聞きながら、リペリングのワイヤーを手に、京太郎はしばし呆然とした。そもそもリペリングは行方のわからないクラスメイトや、亮吾のために用意したものだ。京太郎自身は、自分の能力と壁蹴りによって落下の勢いを弱めれば、そのまま下降できる自信があった。今井戸を目の前にする限り、それは可能だろう。
「…緊張感の無い奴だ。あの速度で、下から襲われたらどう対処するんだ?」
 軽くため息をつき、京太郎も井戸の中へと消えた。

 井戸の底に二人が到達したとき――正確には降り立つ直前、京太郎は違和感に眉をひそめた。隣の亮吾も感じているようだ。何か、目に見えない膜を通過した、そんな感覚だった。足下にはわずかに水があり、かすかに揺れている。
 降りた先は、広い空間だった。「広い」という感覚は正確ではないかもしれない。明らかに入口よりも広い。井戸の底を空間にしておく理由は無いはずだ。「広い」という感覚もそのために覚えたものだ。
 異状に気付いたのは、亮吾が先だった。
「ねぇ、何かおかしくない?」
 京太郎が振り返ると、亮吾は下を見て足下を気にしている。
 京太郎も下を向く。水が揺れていた。いつまでも。
「!! 水が、増えてる!?」
 亮吾が先に気付いたのは、その身長故であろう。京太郎にとっては膝下程度だが、亮吾に至っては、ほとんど足全てが埋まっていた。
 ちりちりと背筋に殺気を感じ、京太郎は前をにらみつける。亮吾が前方を照らす。
現れたのは、巨大な、白い「蛙」。顔面は、発達した魚の頭に似た骨で覆われている。目と思われる部分は、真っ黒だ。
亮吾が右手を前に突き出す。青白く光ったと見えた次の瞬間、亮吾の手から凄まじい速度で放たれたものがある。超電磁で加速、射出された10円玉だ。しかしそれは、暗闇へと消える。「蛙」は通路の壁に張り付いていた。動きは速い。対して、こちら、特に亮吾は水に足を取られて動きづらい。
京太郎はリペリングのワイヤーに取り付けた特殊な器具を、亮吾に渡した。
「これを付けて、少し上にあがってろ」
 亮吾に手渡したものは、空中で姿勢を保つための補助器具だ。亮吾が頷き、その器具を取り付け終えた、まさにその瞬間、「蛙」が二人に殺到した。

 京太郎は舌打ちしつつ、空中で姿勢を整え何とか着地する。右肩に鈍痛を覚える。とっさにワイヤーを引っ張り、上にあげたため、亮吾は無事なようだ。
「この水だ、電撃は使えないな」
 京太郎の周囲を、風が取り巻く。水がうねるほどの風の中、平然と京太郎は銃を撃った。まったく風の影響を受けず、それは「蛙」へと直進する。しかし銃弾は外骨格に弾かれ、「蛙」は腕を振り上げ、一気に振り下ろす。単なる水が、大きな波となって襲いかかる。京太郎は勢いに押され、壁に背中から打ち付けられる。京太郎の呼吸が一瞬止まり、「蛙」が両掌を合わせ、丸めるようにする。腕に力が込められ、水鉄砲の要領で高圧で水が打ち出された。
京太郎の眼前に、鉄パイプが現れ、隙間無く京太郎を隠した。亮吾による盾だ。盾をわずかに押しやりながら、先程まで凶器であった水が飛散する。
すでに盾の後ろに京太郎の姿は無い。壁を蹴り、空中で完全に地面と平行になった京太郎は、身をよじり「蛙」の上、天井すれすれを滑るように移動する。風の能力による、滑空だった。銃弾が無防備な背中を襲い、「蛙」はたまらず上を向いた。
 そこに、強烈な白の光。爆発するような光が、「蛙」の眼を射る。「蛙」は、ずっと暗い井戸の底にいた。光が苦手だろうと、武彦から依頼内容を聞いた京太郎が、独自の判断で持ち込んだ照明弾だ。
 強烈な光は、激痛となって「蛙」を襲っているらしい。眼を押さえ、のたうち回っている。周囲を力任せに、それでいて見当外れに腕を振り回している。壁を叩くせいで、地震のような震動が辺りを包んだ。
 その騒々しさとは裏腹に、京太郎は落ち着き払って、銃弾を浴びせる。
 京太郎と「蛙」の動きが、同時に止まった。
「亮吾、さっきの、できるか?」
 亮吾がそろそろ、と降りてきた。「さっきの」とは、超電磁砲のことだ。
「できるよ」と亮吾。「出費が…」と内心わずかに思ったが、口には出さない。
「よし、あいつをひっくり返す。できるなら頭、無理ならどこでもいい。柔らかそうな所をぶち抜け」
 言葉は、前方へと流れた。
 展開していた風を、全て腕に集める。「蛙」はまだはっきりとは見えていないようだ。緩慢な動きで、腕を振り上げる。
 その腕と、京太郎の拳が交差し、触れることなく行き交う。「蛙」の腕が水面につくより早く、京太郎の拳が外骨格のさらに下を捉え、振り抜いた。京太郎の腕の動きと寸分の狂いもなく、そこに巨大な風の柱ができあがった。
 拳と風の柱の、間断無い打撃に、「蛙」が空中で腹をこちらに見せた。気味が悪いほどに、白い腹を。
「蛙の解剖なんて、今時ゴメンだよなぁ」
 亮吾のつぶやきとともに、電磁の雷が「蛙」を貫いた。
 京太郎はその瞬間を見ることなく、背を向けていた。
 亮吾も井戸の出口に見える、丸い空を見ていた。
 巨大な水音と、風に巻き上げられた水が降らす雨音を、二人は最後に聞いた。

 「蛙」が現れた方向とは逆方向から、武彦が姿を見せた。亮吾を降ろそうとしていた京太郎も、その亮吾もさすがにこれには驚いた。
「俺なりに調べてね。突然現れた井戸は、巣が移動したものじゃなく、自分のテリトリーを広げたものじゃないかと予測したんだ」突然現れた井戸の話は、複数あったらしく、その分布は円状だったらしい。武彦は、その中心に「巣」があると踏み、そこを調べていたのだ。
「何だ、くたびれ損?」宙に吊られたままの亮吾が言う。
「いや、そんなこと無ぇよ」武彦は苦笑した。後ろの様子を見るように、ちらと目線をそちらに向け、「後ろ」に聞こえないように声を潜めた。
「彼女は、泡みたいなものに包まれてた。子の餌にするつもりだったのか、自分が喰うためにとっておいたのかはわからん。何をしても衝撃が吸収する、その泡が突然、消えた」言い終わった武彦は、ちらりと視線を外す。そこには、無惨な姿となった「蛙」が横たわっている。
 二人は、武彦が「彼女」と呼んだ「後ろ」に眼を向けた。そこには、血の気の引いた少女が一人、立っていた。
 京太郎は、「蛙」のほうに眼を向け、この井戸の「広さ」と暗さに初めて感謝した。
 あれを彼女に見せるのは、忍びない。

 井戸に出た四人は、空の広さに驚かされた。
 青空は、深く、どこまでも吸い込まれそうにさえ思える。
 三人でさえ、そう思うのだ。彼女の心情、感動はどれほどだろうか、と三人は思った。
「井の中の蛙(かわず)か…」京太郎がぽつりとこぼした。
「大海の広さを知らず」続きを亮吾が請け負う。座って、ぼんやりと空を見ている。
「その続きって、知ってるか?」武彦がにやにやと笑って言う。
「続きなんてあるの?」
「ま、誰かが付け足したって話だがな。中国ではやっぱり大海を知らずまで、とかも聞くなぁ」武彦も空を見上げた。
 少女が初めて口を開いた。
「何ですか? 続きって」
 武彦が、はっきりとした口調で答えた。その言葉は、空に吸い込まれるように、いつまでも響いていた。
「――されど空の深さを知る、だ」



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1837/ 和田京太郎 / 男性 / 15歳 / 高校生
7266/ 鈴城亮吾 / 男性 / 14歳 / 中学生

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■         ライター通信          ■
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いかがだったでしょうか。
気に入っていただけたのならば幸いです。
ちなみに、「井の中の蛙」の故事成語の「続き」ですが、
武彦の言葉通り、「日本人が考えた」というのが主流なようです。
執筆時には、原典を確認していません。すいません。
なかなかいい「続き」だな、と思ったので今回採用しました。
それでは、機会がありましたなら、また。