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<東京怪談・PCゲームノベル>


piece.DG limited edition 【 at School 】

 …貴方は誰と行く?

 と、言うより。
 …外を色々調べてみるには、自分はむしろ足手纏いになるのではないか。
 水原新一と月神詠子が避難させてくれた空き教室の中。一番最後に意識が戻ったセレスティ・カーニンガムはまずそう思う。今の状況。セレスティはいつからか意識が飛んでしまっており水原と詠子に助けられた。自分より少し前に目覚めてはいたようだが、遠山重史もセレスティと同様の状態にあったらしい。そしてセレスティは――いやセレスティだけではなく遠山も、足の方に――機動力の方にやや難がある。更にセレスティは体力的にも難ありな訳で、余計。
 対して水原と詠子の二人は、余裕と言うには語弊があるだろうがそれでもやはり『自分自身だけ』以上に気を遣えた事は確かな訳で――少なくともセレスティと遠山の二人を助ける余裕はあったと言える訳で。…ならばここはひとまず――少なくとも斥候役はまず二人にお任せした方が。
 と、そんな風に考えながら他の三人の様子をそれとなく窺っていると。
 まず、遠山の声がセレスティの考えを肯定した。
「…俺は動くなら大事を取ってもう少し休んでから動きたい。…カーニンガムさんもその方が良いんじゃないかと思うんですが」
 それにこんな状況ならば、ベースとなる場所は考えておいた方が良くはないですか。外の状況がどうなっているのかわからないと言うなら尚更。今ここに居る時点では取り敢えず四人とも皆無事で居る、何も起きていない。ならばこの空き教室と言う安全なベースは、確保しておくべきだと思います。
「…それに俺もカーニンガムさんも、きびきび動くには不向きです」
 何処か皮肉げに笑いつつ、遠山は誰にともなくそう告げる。それを受け、水原の視線が――意識がセレスティに向いた。…セレスティは思わず苦笑を返してしまう。それだけで意味は通じた。
 セレスティの苦笑を受けると、すぐ水原の視線は詠子に移る。
「…じゃあ遠山君とカーニンガムさんにはひとまずここで待機していてもらう事にして。僕と月神さんで何か当面の目的作って、行って戻ってくる事にしてみようか」
「ボクは構わないけど…それで良いのか?」
 これまた誰にともなく詠子が言う。水原の提案を受けつつ、遠山とセレスティの様子を窺っている。
 と、そこを遮るように――と言うかまるでそちらの意見を代弁するように水原が口を開いている。
「どうせただ待ってるつもりないでしょ。ここに居ながら調べられる事は調べておいてくれる。そうだよね?」
 にこり。
 今度は遠山を見ながら、水原はあっさり笑う。
 遠山は、やれやれと言った風に小さく肩を竦めている。
 …こちらもまた、それだけで意味が通じている。水原が言ったその通りの事を考えていたらしい。
 水原は更に続ける。
「取り敢えずここを出てからの連絡は――長丁場になりそうだったら三十分毎にこちらから定期的に携帯に入れる事にする。三十分以内で戻って来れるようなら特に入れない。但し、何かあったらその時にもすぐ入れる。勿論待機組も何か問題が起きたら取り敢えずこちらに連絡を。僕たちの方は、危険だと思ったらひとまずここに戻ってくるから。危険でここまで戻って来れないようだったら何処か別の場所で遣り過ごす。そうなった場合も連絡を入れる。…何か問題が起きたら無理しない程度に臨機応変に動きましょう、ってところでね」
「…そうですね。あまり予めかっちりと行動方針を固めておかない方が良いでしょう。一つ一つ状況を整理しつつ、この状況に有効な法則を探って行くべきだと思いますよ」
 水原に同意しつつ、セレスティはおもむろに――ゆっくりと立ち上がる。そのまま教室の前側――黒板の設置されている側に近い方のドアに向かう。
「…カーニンガムさん?」
 たった今、セレスティと遠山はここで待機している事に決めた筈では? 思いつつも他の三人がセレスティの行動をただ見送ってしまっていると、セレスティはドアから教室に入ってすぐ内側の位置になる壁、胸より少し下程度の高さにある教室内の明かりのスイッチをぱちんと切り換えて天井を――そこに設置されている照明――蛍光灯を見上げている。
 つまりは普通に照明を点ける行動を取ってみた訳で。
 セレスティのその行動と殆ど同時、あ、そうかと水原が声を上げている。
 水原のその反応に、セレスティもはいとすぐに肯じる。
「…窓の外が暗くなって、それから異形の者が現れたと言うのなら、明るくなれば? と思ったんですが」
 ここが点くなら廊下の照明も点けられるのではと思ったんで、まずは確かめようと思ったんですが…。
 と、続けるセレスティの科白に、詠子もはたと気付く。
「…そういえば。…ボク全然気にしてなかったけど」
「…俺も気にしてなかった。照明…確かめてみる価値はあると思う」
 遠山もまた詠子に続けて同意。そして遠山は科白の後半で水原を見ている。
 残りの二人からも同意を受けて、水原も頷いた。
「じゃ、取り敢えずの目的は決まったね?」
 電源。
 配電盤室を確認する事。
「…まぁ、何か超常現象的な理由で明かりが点かないなら電気確かめてもしょうがないとは思うけどね」
「…今更です。まぁ私も…水原さんの仰るその可能性が著しく高い事は認めますが、可能性があるなら取り敢えず一つ一つ確かめて潰して行くべきだと。そうでしょう?」
 ネットの方が繋がる以上、この場所の無線LAN中継機は生きている事になる訳ですから、ただ電力が落ちているのだとは元々考え難いですし。でも、可能性があるなら。
「ごもっともです」
 じゃ、ひとまずここの事はカーニンガムさんと遠山君にお任せして。
 そろそろ行く事にしようか、月神さん?

 ――――――『空き教室待機組:セレスティ・カーニンガム、並びに遠山・重史』。



 そんな訳で、水原と詠子が廊下に出るのを見送って。
 セレスティはひとまず遠山の様子を窺ってみる。
 取り敢えず、この状況でも動揺している風は無い。さすが水原の弟子と言うだけあってこの手の事態には慣れていると言うべきか…ともあれ、冷静にノートPCの方を何やら操っている。
 …訊いてみた。
「画面を介した向こう側に人の気配が無いと言う事ですが。それ以上はネット内の様子に変わりありませんか?」
「少し見た限りでは…そう思いますね。大抵のページは問題無く見れます。神聖都学園のホームページも――この時点で神聖都学園のサーバも生きている事になりますね。…取り敢えず通信の『手段』自体は断たれてないような感触です」
 但し、通信をするのなら――相手が居なければ幾ら手段があっても使う意味が無い訳で。
 幾らネットに繋ぐ事が可能だと言っても、それでは元々サーバに置かれているデータしか読めない事になる。
 新着メール…本当に用事があってのメールは元より、幾ら対策をしても何処からか抜け路を潜り届いてしまう迷惑メールすら、何度確認しても一通も来ていない。…メールボックスの中身を確認する事自体は、可能でも。
「…カーニンガムさんはこの事に何か意味があると思いますか」
 ――外が暗くなった。
 ――照明は点かない。
 ――通信は生きている。
 ――人が、居ない。
 ――得体の知れない異形が、居る。
 その事の、意味。
「…そうですね…ただ電力の問題ならば照明・通信共に落ちそうなものですからね。…少なくとも何者かの意図を感じます。何者かによって照明だけが故意に落とされている可能性、もしくは超常現象的な理由で本来普通に出来る筈の事が出来る事と出来ない事に不自然に分けられ、選択された結果が私たちの前に情報として提示されている可能性…そんなところでしょうかね」
 …どちらにしても、すぐ目の前にある情報をしかと見極め整理する事は必要だと思いますが。
 セレスティはつらつらと答えながら、今度は窓際に歩み寄る。
 そしてそこから見える外の様子を確認。…校内に人が居ないとなれば。誰か、校外へと脱出する者が居るのか。…居ない。と言うより、外の様子はただ暗くなっただけでもないようで。何か、もっとぞっとするような嫌な感触が満ちている。視力が弱い為、視覚ではっきりと判断する事は出来ないが――まともな景色が続いているかどうかさえ、ひょっとすると疑わしいような。
「…遠山君」
「何かありましたか」
 窓の外に。
 ノートPCを操りながらも――キーを打つ音は途切れていない――遠山は即座に返してくる。セレスティは目を細め、鋭い眼差しで更に窓の外を見続けている。
 もどかしい。
「…私は視力が弱いのではっきりとは言い切れないのですよ。ここから見た外の様子――遠山君の目にはどう映るか、確認して頂いても良いですか」
 セレスティのその頼みに、遠山はノートPCを畳むと窓際に歩いて来、セレスティの隣まで来る。
 そして言われた通りに外を確かめるなり、思わず呻いた。
「…そう来るか」
「どうです?」
「外には『何も無い』みたいです――『文字通り』に。ただ、暗いだけ――そこにあるべき風景すら無い」
 少なくとも、俺にはただ闇にしか見えません。…一応、矯正の必要が無いくらいには俺の視力はある筈なんですが。
「…やっぱり私の気のせいではありませんでしたか。となると…ここは、空間でも捻じ曲がって外界から隔離されてしまった、とでも考えるべきですかね?」
「そうとでも仮定すると一番しっくり来そうですね。建物の外に在るべきものが一切見えないんですから」
 それにこの場所…異形が出るとか外が暗いとか実際に見てわかる異変だけじゃなく、皮膚感覚でもう何かおかしい気がします。
「皮膚感覚…遠山君でも感じますか。…遠山君は霊感やそれに類する感覚、お持ちなんですね?」
 …『皮膚感覚でもう何かおかしい』。そんな発言の仕方を遠山のような人物が『自信を持って』する以上は。
 確認する。
 セレスティはセレスティの方で、感覚の方が人一倍鋭い事は今更言わずとも周知の事。そして本性が人魚にして人の姿を得た今でも類稀なる強さを誇る水霊使いの能力を持つ訳で、人魚としての魔力や水に属する浄化の力なら元々持っている事にもなる。当然、普段生活する中磨かれている視覚以外の身体的な感覚のみならず、『そちら方面』の力を観、感じる感覚もまた鋭い。
 その上に、セレスティと同席している遠山の方もまた、ある程度信頼に足るその手の感覚があるのなら。
 セレスティに言われ、遠山は少し考える風を見せた。
「…。…はっきりは言えません。それ程際立った霊感は無いと思いますが…一応、ある程度はそんな感覚もあるんだと思っています。自分のこの感覚を信じた上で文献から得た術式を執り行うと、求めた通りの効果を実感を持って得られる事は確かですから。…ですからこういった状況下では、努めて自分の感覚を信じる事にしています」
 呪術や魔術の類を使うには――そういった感覚は必要不可欠なもののようですからね。
 ですからそれら術法をある程度執り行える以上は、俺に霊感のようなものが無い訳では無いのだと。
 ただ、少なくとも、客観的な確認・検証をした事は――まだありません。あくまで主観の話で。
 遠山のその科白に、セレスティは頷く。
 …元々、こういった事柄は主観的である話。感覚でわかると言うのならば、話もし易くなる。…不可思議な、超常現象的な事柄――その辺が感覚的にわからない相手に、言葉を以ってしてその事柄をわからせるのは難しい。
 が、遠山ならばその辺を気遣う必要は無く済みそうである――その分、話が早く済む。
「私が見るに、この場所は何らかの負の力――邪の力、闇の力のようなものが強く満ちているようです」
「ですか。…それでか。なら…できるかもしれない」
「何か策が?」
「さっきから一応の準備はしてみてるんですけれど。ここに現れる異形を『式神』として縛れないかと思って」
 今はここに待機しているとは言え、ずっとここに居る訳には行かないと言う事に変わりはない訳で。いずれ外に出た時に徒手空拳では心許無いですから。
 だからと言ってカーニンガムさんの水霊使いとしての力にばかり頼るばかりにも行きませんし、何か武器を探してそれを使う事にしても、それで異形に抵抗できる力を持てるかはわかりません。…月神さんなら異形に抵抗出来るだけの力はあるようですが――彼女は元々霊的なものに多少干渉も出来るようですし、戦闘面でも元々強いですから俺と比較対象にはならない。
「ですから、式神として縛ると言っても…使える武器の一つになれば、とでも言う程度の話です」
 少なくとも同じ異形であるなら、襲ってくる異形に対して抵抗は出来そうな気がしますから。
「…要は特定の異形にこちらの言う事を聞いてもらえるように仕向けるって事なんですが。場に満ちる力を巧く利用すれば出来そうな気がするんです」
「その術式、こうなる以前の段階で行った事は――成功はしているんですね?」
「何度かは。…ですが成功した事があるのは本当に小物相手ばかりですから、今の状況で――人を襲えるような力のある異形相手に成功するかどうかはわかりません。賭けです」
 カーニンガムさんは負の力と仰いましたが――何故か俺はそれが嫌じゃないんですよ。この場に居て、むしろ力が湧いてくるような、そんな気さえするんです。ただ何か、ひどく後ろめたい感覚も同時に湧き上がってくるんですが。…そんな後ろめたさの理由が…負の力だから、って事なのかも知れませんが。
「ただ、どちらにしろ…こうなる以前より、術を執り行って成功する可能性は高いような。より強い術を執り行えるような。そんな気がしてならないんです」
「本当に?」
 念を押してみる。
 成功するかしないかより、そんな状態で――術を使って君自身が大丈夫なのかとの懸念を込めて。
 遠山は頷いた。
「取り敢えず、今の俺は左足以上を捨てる気はないですよ」
 既に殆ど利かなくなっている左足以上は――今、新たに自分を犠牲にと考える気はありません。そんなに反動があるような術を執り行うつもりは、ありませんから。
 頷いた遠山は、すかさずセレスティにそこまで返している――口に出した言葉の裏にあるセレスティの懸念も先に読んでいる。
 セレスティは微笑んだ。
「それを聞いて安心しました」
「こんなまだまだ訳のわからない状況でいきなり自分の身を捨てるような真似をしたら、それこそこの左足に申し訳が立ちません」
 遠山は手を伸ばして己の左足を軽く撫でる。…拭えぬ罪の烙印であり、同時にたった一人に捧げた愛の証でもある殆ど利かない左足。
 と。
 遠山とセレスティの話す声以外は全く静かだったその場所に、いきなり鋭い破壊音が響き渡る。ガラスか何かが砕けるような音――ガラスの窓が派手に破られた音。セレスティと遠山が立っていた窓際の位置すぐ斜め上、淡く金色に光る何かが外側から窓をぶち破っている。
 咄嗟の事。セレスティは大気の成分から水を抽出――抽出できる時点で大気の組成自体には変化が無いとは確認――、その水で自分のみならず遠山も庇う形でガラス片に対する障壁を作成。遠山は逆にセレスティの背を抱えるようにして連れ、ガラスが割れた位置――異形が外から侵入して来た位置から教室の内側の方に退いている。…現在は左足が殆ど利かないとは言え、遠山は元は運動部、それも有望選手でもあった訳で――現役を退いた今は必然的に幾らか鈍ってはいるがそれなりに基礎体力は高い方になる。左足の不自由にも疾うに慣れた今、意外なようだが咄嗟に人一人抱えてほんの少しの距離を移動するくらいは大して難しくない。
 ほんの少しだが二人が退いたところで元居た位置――ガラスが割れた位置を振り返る。侵入して来ている異形の姿――ごく淡くぼんやりとだが遠山にもその異形の姿は視認できた。
 …ここに人が居る事がついにバレたらしい。
 異形の姿の全身が教室内に下り立っている。兎と蜘蛛が混じったような異様な姿がガラス片の上に居る。大きさはそれ程ではない――それこそ兎程度の大きさ。そこから蜘蛛の如き長く細い足が複数本伸びている。その異形はすぐさまセレスティと遠山二人の姿を認め、認めるなり跳ぶように突進してきた。…兎のようだとは言ったがガラスを破って来ている事からしてもそれ程大人しそうではない。セレスティは先程作った水の障壁をそのまま移動、その異形の突進を遮る形に持ってくる。それで咄嗟の足止めが叶った――と思うと。
 遠山がいつの間にかノートPCを開いている。そしてその画面は自分から見える側ではなく異形から見える側に向けられて床に置かれている。両手共に空けられた遠山の手は何度か複雑に指を組み替えて――幾つかの印を組んでいる。同時に、その印を意味する真言を一つ一つ丁寧に唱えてもいる。
 それで。
 事が起きたのは殆ど一瞬だった。
 …ノートPCの画面に映し出されていたのは、短冊型の呪符が何枚も不規則に重ねられたような、そしてそれ以外にも何か色々と書き込まれているような奇妙な図柄。その図柄のあちこちから画面の外に向かって何本も細い光の線が伸び、突進してくる兎と蜘蛛が混じったような異形の姿を絡め取って動きを縛ったかと思うと――その光の線は幻ででもあったかのようにすぐ消えた。
 だが異形の姿は光の線に一瞬だけ縛られた通りのそのままの格好で床に転がり、動こうとしない――動かない。
 セレスティは一応の警戒の為、異形の姿を見据えたまま――水の障壁も展開したままで口だけを開く。…とは言え、どうなったのかの予想はついている。
「成功したようですね」
「足止めして頂けたおかげです」
 その科白を聞いて――遠山本人の口から肯定の科白を聞いてから、セレスティは展開していた水の障壁を解いた。…それでも異形は転がったまま動かずその場に居る。遠山が「起きろ」と命令口調で呟いた。それで――その命令通りに異形はむくりと起き上がる。続けて「来い」と呼ぶと、その異形は突進ではなく普通に歩く程度のゆっくりとした速度で遠山とセレスティのすぐ前まで来て止まった。
 …それで、次の命令を待っている。
 遠山は軽く安堵したように細く息を吐きつつ、セレスティを見た。
「あまり複雑な命令は出せませんが」
「…ところで遠山君、こちらの道にどなたか師匠いらっしゃいましたっけ?」
 式神使役――呪術の系統に。
「いえ。素人の独学です。文献紐解いて俺でも使えないかと色々考えてみた結果なんですけど」
「でしたら上出来過ぎると思いますよ」
 普通、独学でここまではできません。
 平常ならば手放しで感嘆したいところですが――今はそれどころではないと言う訳で。…こうなってしまっては、このままここに居る訳にも行きませんね。
 結局、この教室の中もこの教室以外と変わりない。…今現れた異形は遠山君が式神として縛る事が出来ましたが、一度見付けられてしまった以上、次にまた別の異形が現れて襲って来ないとも限らない。…結構大きな音がした以上、ガラスの割れた音を聞きつけて集まってくる可能性だってある。今のように一体ならまだしも、数で来られたら対処が難しい。
 ならばこれからどうするか。…決めるなら早い方が良い。
「…仕方ありません。私たちも水原さんと詠子嬢の後を追う事にしましょうか」
 取り敢えず他に当てはない。



 待機していた空き教室で使えそうな物――セレスティの杖代わりもしくは打撃武器として利用出来そうな掃除用具入れにあった箒とか――を手早く適当に見繕った後。
 セレスティは廊下を歩きながら水原&詠子組に連絡を入れている。二人と別れたあの後、窓を割って空き教室の中に異形が乱入して来た事。まず無事かと問われる。無事ですとすぐに返す。…そこは、一番重要な話。
 ともかくそれで、あの空き教室も大人しく待機できる場所ではなくなったと判断した為これから二人の後を追う事にしたと伝える。携帯の向こう側では今すぐこちらに戻ろうかどうしようか一時迷ったようだったが、ひとまず今居る地点からでは配電盤室に行った方が近いと言う事で、先にそちらに行って――可能なようなら照明をつけてみてから戻って合流すると結論が出た。
 何故なら携帯で話す中、個体差はあるがやはり異形は総じて明かりに弱そうだと結論が出た為。セレスティ&遠山側では先程まだ空き教室から出る前、一応確かめてみようと言う事で――遠山が式神として縛った異形に対し、携帯に付属しているライトを点けて突き付けてみたところ、僅かながら怯んだような感じが見られた。その事を水原&詠子側にも伝えると、そちらでも道中で同じ事を何度か確かめたと返答が来た。曰く、全般として明かりに怯みはする。…個体によっては明かりを突き付けただけで消滅する事さえもあるらしい。…そうなれば照明を先にと考えるのは正しい判断だろう。
 セレスティ&遠山側は空き教室を出てからは今のままで方針の変更は無し。水原&詠子組の後を追う事にする。通話の中で水原&詠子組がどんな順路で配電盤室に向かったかも聞いた。出来る限りその順路に沿うようにしてセレスティ&遠山組も配電盤室に向かう事を考える――水原&詠子組も配電盤室を確かめ次第同じ道を戻るから、と示し合わせている。
 …取り敢えずはそれで通話を終了させた。遠山が式神として縛った異形に用心の為先導を任せ、セレスティと遠山は廊下を歩いている。今の時点では新たな異形の姿はまだ無い。廊下に、周辺の様子に特におかしな風もない。こうなる以前までと建物自体が変化している様子はない。ただ、暗いだけ。
 なので、空き教室で起きた事などの情報を整理する時間に当ててみる。
「見たところでは建物の外は何も無いようでしたが…外に出る事自体は可能なようですね。あの異形――今はキミの式神ですか――が証明してくれました」
 ガラスを割って外から入ってくる、と言う行為そのもので。
「…この異形、水の属性を嫌っているのかもしれません。カーニンガムさんが水で障壁を作って止めた時、障壁の効果と言う以上に少し固まって動けなくなっていたような気がします。だからこそ、あっさり式神として縛れたような気がしますし」
「そうだとしても…水属性がここに出る異形の全てに効果あるかどうかはわかりませんけどね。どうやら明かりの効果にも個体差があるようですし。偶然、キミの式神になっているその異形が水を嫌う属性だった、と言う可能性も有り得ます。…水が本質的に持つ浄化の力が効いたのならば少しは期待していい気はしますけど」
 この場所は負の力が満ちている気がする、と言いましたよね。
 ですから、その、反属性としての効果があったのなら。
「…その辺りの事、もし次に別の異形に遭ったら、確かめてみる事にしましょう」
 まぁ、遭わないで済むに越した事はないんですが。
「反属性…。邪気祓い――魔除けの護符のようなものがあれば、確かめるのに有効でしょうか?」
「お持ちですか?」
「二枚程記憶してますのでそれなら描けます。それから…摩利支天の印や真言も有効かと思うんですが」
「摩利支天…確か仏教に於ける蜃気楼・光の神格化をした天部――軍神でしたね。…照明だけでもある程度有効だった訳ですから、扱えるのであれば恐らく有効でしょう。…でもその辺りの事を今この式神君で確かめるのはひとまず止めておきましょうね?」
 折角、今は大人しく私たちの先導をして周囲を警戒してくれている訳ですから。
「…試してみて効いたら効いた時と思うんですが。…まぁ確かにこいつは…少なくとも機動力は俺やカーニンガムさんよりありそうですし、まだ使いどころがありますか」
「そういう事です」
 にこりと微笑みセレスティは頷く。
 と、往く道を先導させていた式神が突然立ち止まり特定方向に向かって態勢を低くし唸り出す。警戒しているような仕草。セレスティも遠山も気付き、息を殺す。
 新手が来たか。
 思うか思わないかと言うところで、特定方向を警戒し唸っていた遠山の式神が――淡く金色に光る新手の異形に勢い良く吹っ飛ばされていた。現れたのはどうやら兎もどきより数段大きな人型――とは言え大まかに人型と言うだけで本当に人間そのままの形をしているようではない個体。それが獰猛な獣のように四つん這いになって構えている――それでも人型と思えたのは神聖都学園の制服らしい服を纏っていたから。けれどこちらへの敵意――殺意は疑いようもない。式神を吹き飛ばすなりその異形は勢い良くぐんとこちらに肉迫してくる。
 その時には先手必勝とばかりにセレスティが空気中から抽出した水で刃を複数生成、一気にそちらに飛ばしている。水の刃を飛ばした直後――と言うか殆ど同時、すかさず携帯付属のライトでそちらを照らした。…これでどの程度効くか。セレスティが思っているところで遠山の声がした。オン・マリシエイ・ソワカ。符を描いて試す時間は無かった為か、摩利支天の印を結び真言を唱える事をまず選んでいる。
 この三段の『攻撃』でどう出てくるか。新手の異形――殆ど人型、それも神聖都学園の制服らしい服を着たそれの動きは踊りかかろうとした空中で不自然に止まっている。水の刃に貫かれ穴だらけになっている。…水の刃と、ライトと、摩利支天の印に真言。どれも効いているらしい。遠山が真言を重ねた。…元々淡い金色の光が更に薄くなっている。輪郭がぼやける。実体が薄くなる――そう見ていいのだろうか。思いつつ再びセレスティは水の刃を作成、攻撃の意味もあるがどちらかと言うと実体を確かめるようなつもりで再びそれらを飛ばした。飛ばされたそのままの軌道で突き刺さる――異形が居たその後ろの壁に。
 消えた。
 それを確認してから、セレスティはライトを消し、固形化させていた水の刃を解放。水はばしゃんと撥ね元の液体に戻り廊下に水溜りを作る。遠山は真言の詠唱を止め印を解く。二人ともそれだけで良しとせず更に注意深く辺りを確かめる。今の異形の前身を察しはするが敢えて口には出さない。今この場所に他の異形は――遠山の式神以外、居ない。
 が。
 ――人が、居た。人型の異形が現れた方向少し離れた位置、足許に座り込む――へたり込んでいるような女子生徒が二人居る。…怪我の有無まではこの距離ではわからない。
 吹っ飛ばされたところから立ち直った遠山の式神が先にそちらに近付いた。淡く光る金色の異形の姿に女子生徒は叫び声すら出ないらしい怯えようを見せる。震えている。セレスティはひとまず彼女らを宥める事を考えるが、その時――自分の傍らに居る遠山の身体が何故かびくりと固まったような気がした。
 先程までとは明らかに違う遠山の反応。この異常な状況下に置かれながらもずっと冷静を保っていた彼が今になって何に反応するのか――彼女たちに?
 知り合いだろうか。
 思いながらも取り敢えずは口に出さない。遠山の様子からして今は確認する時でないと見た。
 セレスティは女子生徒二人を宥め安心させる為、ゆっくりと近付いてみる。
「お怪我はありませんか」
 セレスティにそう問われた時点で、女子生徒二人は茫然とセレスティの顔を見上げている――見惚れている。まぁ元々それを狙っての行動でもあるのだが。セレスティはそれだけで老若男女問わず魅了できる程の美貌を持っている訳で、怯える少女を宥め、話を聞いてもらう為にはそれを利用するのが一番手っ取り早い。そしてそれを利用した結果、普通に見惚れるような反応が先であるなら――へたり込んでいたにしろ、彼女たちには特に異常は起きていないようだと判断できる。
 女子生徒はセレスティの美貌に見惚れ、ぼうっとしている。
「…あ、あの…有難う御座いま…――」
 少し間を置いてから、女子生徒の片方がセレスティに気遣われつつも黙りっぱなしだった自分に気付き、慌てて礼を言う。が、その途中で――科白が止まる。
 科白を止めた女子生徒一人の方の視線がセレスティから逸れている。俄かに我に返ったその時、今度は偶然視界の隅に入ってしまったセレスティの連れの人物――遠山の存在にこそ彼女は慄いた。もう一人の方もいきなり科白が止まった事で相方の様子を見、その視線を追って――同様に慄き、息を呑む。
 …二人とも瞠目して遠山を見ていた。
 遠山の方は素知らぬ顔で式神を呼び寄せ、怪我はないか様子を見てから改めて命令を出し周囲を警戒させている。そこに居た女子生徒二人が自分を見る視線に気付いているだろうに一切応じようとしない。
 そちらを完璧に無視した状態で、遠山はセレスティだけに振る。
「行きましょう」
「…遠山君?」
 訝しげにそう返されたところで初めて、遠山は二人の女子生徒を見る事をした。
 その視線には一切の感情が込められていない。
「お前らも。付いて来るなら付いて来い。…別に強制する気はない。お前らが判断して、好きにしろ。こちらの方が――カーニンガムさんが居れば付いて来るにも怖くはないだろ」
 素っ気無くそれだけ告げると、もう目もくれない。
 無視。
 このあからさまな態度はさすがにセレスティも気になって、今度は訊いてみた。
「遠山君、この御二方とお知り合いなんですか?」
「…どうでしょう。知り合いは知り合いなんでしょうけれど…あまり知り合いとは思いたくありません。二人の方も――喜多村と小峰の方も、同じでしょうね」
 遠山のその科白に、女子生徒二人――喜多村朋美に小峰雛子は何も反論しない。迷わず名前を出した以上知り合いである事は確実、けれどどうやら好ましい相手ではないらしい事だけは察しが付いた。実際、喜多村と呼ばれた方も小峰と呼ばれた方も、一度その姿に気付き思わず凝視してしまった後は――今度はまともに遠山の姿を見られない様子でもある。…彼女らの態度を見ていると、どうもセレスティの美貌に惹かれるより、遠山への懼れの方が勝っている――遠山を懼れている。
 遠山も遠山で話をする為に一度無感動な視線で見たっきり彼女らを二度と見ようとはしない為、流れる空気がぎこちない。遠山がここまで極端な態度を取っているのは――今この場所がこうなる以前の普段通りの状況まで含めても、セレスティは今のところ見た事がない。
 セレスティは考える。
 知り合いは知り合いでもこれは何か、深い因縁のある相手と見た。
 …となると。間に入る私としては色々と気遣う必要がありそうです。遠山君はどうにも苦労性な方のようですし、あまり思い詰める事の無いよう運ばなければ。思いつつ、セレスティは女子生徒二人――喜多村と小峰に微笑み掛ける。襲われて何かに感染していたり――例えば先程の制服を着た異形のようになってしまったりするのならひとまず眠って頂こう――と考えてはいるのだが、そういった問題が特に無いようなら彼女たちを連れて行くのに吝かではない。彼女たちが今までこの状況下でどうしていたのかの話も聞ける――それもまたこの状況を分析するのに有用な情報の一つになる。
 と。

 ちかちかと頭上の蛍光灯が瞬いた。

 その瞬きが止まった時には視界に入る廊下の照明が全て点灯している。水原&詠子組が配電盤室に到着したと言う事か――それで明かりを点灯させる事も出来たと言う事らしい。
「…点けられましたか」
 呟いた途端に、セレスティの携帯が震え出す。着信画面を確認。相手は水原――すぐに出る。…照明の点灯はやはりそちらの手によるものらしい。
 曰く、照明の方だけ電力供給が切ってあったとの事。ならば何者かの手でわざわざ校内の照明へ供給される電気『だけ』が落とされていた可能性の方に絞られたか――何者かがあの異形を校内に放つ為? …だが。遠山の縛った式神はやや色が淡く、動きが鈍くなってはいるが、まだ居る。携帯付属のライトでは小さいからそれ程の効果は無かったのだとしても、廊下の照明が全く点いている今もまだ、消えてしまってはいない。式神としての呪縛が関係しているのか。…どちらにしろ、完全に効果がある訳ではないらしい。
 これから――と言うより話している今現在、来た順路をそのまま取って返し、急いで戻っている途中である旨水原は伝えて来る。セレスティも喜多村嬢に小峰嬢と言う女子生徒二人を見付け今一緒に居る事を伝えた。途端、え、と水原は驚いたように言葉を止める。彼女たちに対する遠山の反応を裏付けるような水原のその態度。…水原さんは遠山君と彼女たちの事を何か知っている。
「御存知なんですね」
 彼らの事。その関係。
(…よりによって喜多村さんに小峰さんですか。それは遠山君にとってはきつい。彼女たちの方も同じでしょう)
 何と言うか…今はもうお互い手を出せない仇同士みたいなものですから。と言っても和解したとは程遠い。…色々込み入っているので詳しく説明するのは時間が要ります。
「…。では今は一つだけ。…そう仰るのなら――どちらが仇に該当しますか?」
 遠山君と、彼女たち二人の――どちらが仇に該当するのか。仇同士などと言う穏やかではない言い方をされてしまえばまずそこが気になる話。…それによって、三人への対応の仕方を考え直す必要もある。
 水原からはすぐ返答が来た。
(どちらが、では無く今はもうお互いに。…掻い摘んで言うと遠山君は自分の彼女を二人に呪殺されていて、それで喜多村さんと小峰さんの二人は遠山君に呪殺されかけています。喜多村さんと小峰さんに対しては最終的に術の成就はしてませんが、呪いの効果はぎりぎりまで――殺す寸前まで行ったようなものです。そしてどちらもお互いが呪殺を執り行った事を知っています)
 遠山君の左足が殆ど利かないのは、その時の呪術的な報いが残っている為で…――と。
 そこまで携帯の向こうから聞こえて来たところで、いきなり電波状態が悪くなったように水原の声が遠くなる。入ってくるノイズ。がしゃがしゃとぶつ切りに聞こえるそれら。

 直後、再び照明が一気に落ちた。

「水原さん――水原さん!?」
 呼び掛けるが、セレスティが耳に当てている携帯からは、つー、と既に通話が切れている音しかしない。
 セレスティは厳しい顔で通話を切る。その動作をしながらも自分の居る場所のすぐ周囲の様子と、共に居る三人の様子をすかさず確かめる。何があった。…一度点灯した照明が消えた事と、殆ど同じタイミングでセレスティが携帯に――通話相手に強く呼び掛ける声を聞くなり、ひっと息を詰め怯えたように抱き合っている喜多村と小峰の姿。遠山は式神を傍らに連れた状態で、セレスティ同様冷静に周囲の様子をまず窺っている。但しそうする直前、ほんの一瞬だけ鋭い目でセレスティを見ていたのに気付いた。…水原との通話の内容を察したからか。
 まぁ、セレスティもセレスティで特別通話内容を隠すような話し方はしていなかった。…今の場合はそれで良いと判断している。過去にあったと言う呪殺の件。知らないでいるより少しでも知っていた方が――そしてセレスティが少しでも知っていると言うその事を遠山の方にも知っていてもらうようにした方が、良いような気がしたので。
 遠山の左足が殆ど利かないのは呪殺未遂の報いである、と言う話だけなら何度か聞いていた。けれど具体的に何を考えて――何があってそうするに至ったのかまでは知らない。今の水原の話で初めて、触り程度だが事情を聞いたようなもの。
 薄暗い――否、今はもう殆ど闇である廊下に、呪術で殺し合った仇同士がすぐ傍に居る。…事実だけ見るならそういう事なのだろう。けれど水原のあの話し方では、遠山の彼女だと言う人物が呪殺されたのが先で、それで遠山が仕返しに呪殺を試みたと言う風に聞こえた。となると仇に当たるのはまず少女二人の方。けれど遠山が試みた呪殺は成就していない――失敗したのか取り止めたのか。
 先程目の前で見た、遠山が二人に対して言った理性的な科白。空き教室で式神を縛る術の話をしていた時、利かない左足の事に触れた時の誇りに満ちた態度。ならば――失敗では無く取り止めた。そのせいで術者の身に報いが返った。遠山本人が、それで良いと判断した――ならば、その殺された彼女の為にこそ、呪殺を取り止めた。そして今目の前にある少女二人の遠山に対しての怯え切った姿を見る限り、死の直前ぎりぎりまで追い込んだ事で充分仇は取れているようなもの、としている――と言う事なのかもしれない。…考えようによっては、死に至るまでの経過をじっくりと味わわされ思い知らされた上で殺されない方が余程恐ろしいとも言える。だからこそ――仇同士と言うなら今はもうお互いに。水原はそう言ってきた…そんな気がした。
 セレスティは改めて遠山の姿を確かめる。
 と。

 ――――――瞠目していた。

 そのまま、動かない――動けないでいる。
 彼の視線の先。元々進んでいた方向、前方の廊下。
 いつの間にかぼうっとした光が佇んでいる。
 今度は大まかに、ではなく見間違いようのない人型の。
 神聖都学園の制服を着た。
 女子生徒の。
 長い髪が乱れて顔にばさりとかかっている。
 その下には、表情の無い顔。
 ただ、濁った目だけが。
 何か言いたげな、色をしている。
 こちらを見ている。

「…加寿、子?」
 遠山が茫然と呟いている。

 ――――――唐突に音も無く佇んでいたその姿。
 遠山重史が誰より大切に思っていた相手、その人。
 もう亡くなっている筈の。

 喜多村朋美と小峰雛子に――彼女らに呪殺されている筈の。

 ――――――赤羽加寿子、その人の姿。



 途端、何が起こったのか――ひどく混乱した。
 むしろその声にこそ驚いてしまうような金切り声の絶叫が、遠山が加寿子の名を呟いた直後に響き渡る。唐突に音もなく現れた女子生徒らしい姿と、遠山の呟いた名を聞いた途端、何かの箍が外れたような耳を劈く凄まじい叫びが発されていた。続けてばたばたと慌しく走る音が続く――喜多村と小峰がとにかくその場から、女子生徒――赤羽加寿子らしい姿から離れたいとばかりに、転げるように闇雲に廊下を逃げ去っている。
 叫びの主は彼女たち。セレスティは反射的に逃げる彼女たちを止めようと考えたが――自分の身体を顧みて現実的に追える訳もない。…こんな状況でパニックを起こしてはまずい。思うが二人を止める手段を考える前にまた状況が変わっている。
 赤羽加寿子らしき姿はすぐに消えていた。ほんの数秒の間だけ――その姿が四人から少し離れた位置の前方、廊下の真ん中に佇んでいただけで――その姿を見せ付けたかと思うとそれっきり消えている。移動したのではない。ただ、ふっと掻き消えた。何事も無かったように。元々誰も居なかったかのように――亡霊のように。
 ただ。
 赤羽加寿子らしい姿が消えた途端――実質的に喜多村と小峰が逃げ去ったのと殆ど同時、遠山の式神が赤羽加寿子らしい姿が佇んでいた方向に弾丸のように突進していた。下っていた遠山の命令。「逃がすな、追え」。…何を? 疑問に思う間もなく赤羽加寿子らしき姿の佇んでいた場所――ではなく彼女の姿があった場所を通り越したその向こう側にまで式神は進んでいる。…別に赤羽加寿子らしい姿を追っている訳ではない。命令通りに先に疾る式神を追い、遠山もそちらに向かっている――左足の件がある為それ程の速度にはならないが、それでも廊下を駆け出して――右足で跳ねるようにして早足で進んでいる。
「遠山君!?」
「今、何者かが明らかにこちらの様子を窺って――確認してから逃げました。追います!」
 そして言葉通りに遠山は進んでいる。…何者かがこちらの様子を窺ってから逃げた。そうなると今のこの状況を何か知っている相手かも知れない。早々にこの状況を打開する事が出来たなら、今逃げてしまった喜多村と小峰の二人もまた助けられる事になるだろう。そう判断し、セレスティも遠山の後を追う事を選ぶ。…水原たちと示し合わせた順路からは逸れてしまうがやむを得ない。逸れるなら逸れるで、元々の順路からどう逸れているのかもさりげなく確かめつつ遠山に付いて行く。
 と、程無く式神が向かった先の方から人が喚く声がした。戦っているような男の声――複数ではなく一人分の。明らかに今この状況下に置かれてからセレスティも遠山も初めて聞いた声。同時に何者かと乱暴に揉み合っているような音も聞こえる――遠山が式神として縛った兎もどきの異形と、か。そうは悟るが遠山は式神への命令を撤回しない。「待て」と言わない――そうしたら逃がしてしまうと思ったか。
 少しして、廊下の先、式神が一人の男子学生を襲っているところにまでまず遠山が辿り着く。が、何故か遠山はその状況を目の当たりにしても何もしない。男子生徒の姿を認めた時点でまた止まってしまい、式神がその男子生徒を襲っているのを見て驚いたように立ち竦んでしまっている。
 少し遅れてセレスティも追い付いた。セレスティが追い付きその姿を見せたところで漸く遠山も我に返り、式神に「止めろ」と強く命令を出す――が、聞き入れない。遠山は忌々しげに舌打つ――制御が利かなくなりました、解き放ちますとだけ告げ、迷わずノートPCを開いた。
 ノートPCの画面に表示されているのはその異形を式神として縛る時に使った、呪符が幾つも重なっているような例の画像――表示させたままで持ち歩いていた。遠山は開いたそのノートPCの画面と男子生徒を襲う式神の間、何も無い中空に手を伸ばし――そこに何か何本もの糸でも張られていると仮定してその糸を手で絡め、勢いよく引き千切るような仕草をして見せた。途端、式神として縛られていた兎もどきの異形は今まで襲い掛かっていた男子生徒に向かってがくんとつんのめるような態勢になっている。
 それから兎もどきの異形はすぐさま立ち直り起き上がると、今度はつい今し方まで襲っていた男子生徒には見向きもせず、取って返して遠山の方に跳びかかって来る――が、それも成功はしない。呪縛から放たれた異形が遠山に跳びかかる事を選んだその時。セレスティが再び構成し飛ばしていた水の刃が、兎もどきの異形が遠山に到達するよりも先にその淡く光る身体を一気に貫いている。途端、異形だった淡い光が霧散する。
 遠山から式神を解き放つと告げられた時点でセレスティにはこうなる予想はついていた。式神――に限らず使い魔は、使い魔としての術を――呪縛を解かれると元の術者を襲う場合が多い。今の場合なら、遠山を。だからセレスティは遠山の選択を知った時点で、式神だったその異形を倒すつもりで容赦無く水の刃を撃っていた。…御苦労様でした。お休みなさい。一応、短い間ながらお世話になった事は確かなので労いだけはかけておく。
 式神が最後の役目として足止めた男子生徒は息荒いまま壁に凭れて座り込んでいる――傷付いてしまっている。遠山はその前に屈むと、彼本人に断りも入れずおもむろに手を伸ばし男子学生の傷付いたと思しき部位――左の肩から肘の上辺り――を確かめている。大した事は無いなと呟くとあっさり手を離し、再び男子学生を見た。…セレスティは少し怪訝に思う。本人に断りを入れない事といい、傷を確かめはしているが、殆ど気遣う態度では無い。
 男子生徒の前に屈み、彼の傷を確かめていた遠山はそれ以上何もせず立ち上がる。
 立ち上がってから初めて、遠山はその男子生徒に声を掛けた。
 …その声には冷たく霜が下りている。
「何故逃げた。山吹」
「…。…やっぱり今のもお前なんだな遠山」
 式神。…それも、ここに現れる異形の中から、従えた。
「…それがどうした。まさかお前だとは思わなかった。お前こそ何故加寿子の姿を――俺たちの姿も確認してから逃げるような真似をした?」
「うるせえ。殺したきゃとっとと殺せ。なんでそこで止めるんだどういうつもりなんだよお前は!」
「…。…死にたいのか?」
「お前今暴走した式解いただろ。解けば自分に向かってくるってわかっててなんでそんな真似――!」
「…。ああ。…だからどうした。お前には何も関係ない。お前を殺してしまってはこちらの目的が果たせないから解き放ったまでだ。まさか俺がお前に情けをかけたと思っているのか? それこそそんな義理はない」
「――っ」
 山吹と呼ばれたその男子生徒は唇を噛む。
 …気のせいか、セレスティには話が微妙に噛み合っていないように聞こえた。
 遠山は質問を繰り返す。
「もう一度訊く。何故逃げた」
 それも、あれ程冷静に。
 お前が俺たちの姿に、加寿子の姿に驚いて逃げたようには見えなかった。
 俺には――俺たちを観察しているように見えた。
 だから追いかけた。
 お前は何を知っている?
 遠山は畳み掛けるが、山吹は答えない。
 そこまでのやりとりを聞いてから、セレスティは口を挟んでみる。
「…またお知り合いですか。遠山君」
 この、彼。
「山吹有也。神聖都学園三年。俺が元居た陸上部の人間です」
「…おや。色々と詳しい方のようにお見受けしたのですが」
 呪術の事など。キミとの対話からして。…式神の事についてなど、特に。
 セレスティがそう続けると、細く息を吐きつつ遠山は目を閉じた。
「…手っ取り早く言うと、喜多村と小峰に加寿子を呪殺させるよう仕向けた奴ですよ」
「なるほど。確かに水原さんの仰る通りなんですね」
「…。…カーニンガムさん。あの間で何処まで聞きましたか」
 水原さんと連絡を取った時。
 俺たちの事を。
「殆ど聞いてないですよ。彼女ら御二人と遠山君が呪殺の絡んだ仇同士のようなものだと言うだけしか。今水原さんの仰る通りと言ったのは、込み入った話で詳しく話すには時間が掛かると言われた事に納得したまでです」
 それより。
「水原さんと言えば――話している途中でいきなり通話が切れた事も、一度点いた照明が再び消えた事も心配材料なのですが。加寿子嬢でしたか、先程彼女の姿がいきなり現れた事とそれらの事…何か因果関係を感じます」
 セレスティは遠山にそう話を振る。その実、さりげなく山吹の様子も窺っている――山吹は遠山の問いに答えない。ならばと自分の話す事を聞かせている。その話にどう反応するか。それで情報を得る事を考える。
 遠山は変わらぬ態度で山吹をじっと見ている。
「それを訊く為にこいつを追ってきたんですよ」
「…んな事ァお前の方がわかってんじゃねぇのかよ」
 遠山。
 山吹がぼそりと呟く。
 だが。
 遠山にはその意図が読めない。…俺の方がわかってる? 何故そう思う?
「…」
「…お前がやってるんだろ」
「…山吹?」
「お前が赤羽を連れ戻したんだろ! それで今――!!」
 …こんな風にして俺に仕返ししてるんだろ。責め立ててるんだろ。俺やあいつらを化物に襲わせてるんだろ。
 お前なら出来たんだろ――お前ならここまで出来るんだろ。
 もう勘弁してくれよ。
 これだけの事やっといて、なんで途中で止めるんだ。
 それ程俺たちが憎いのか。
 まだ責め足りないのか。嬲り足りないのか。
 ――これならあの時あのままお前に殺された方が余程ましだった――!
「…」
 最後は殆ど泣き声だった。
 目の前に立っている遠山の足許に、山吹は殆ど破れかぶれで食ってかかるように――泣き付いて来ている。助けてくれ。許してくれ――殺してくれ。
 形振り構わず懇願してくる姿に、遠山は面食らった。助けてくれや許してくれならこの状況下、まだわからないでもない。だが――殺してくれ?
 それも、俺に対して。
 山吹の科白。
 この態度。
 …ならば山吹は今のこの状況下、加寿子に何度も会っている? そして加寿子本人に――傷付けられた方が、殺された方がましと思えるような目に遭わされている――と言う事か?
 確かめる。
「…加寿子に会ったんだな」
 何を話した。
「――それを俺に訊くのか。そうやって嬲るのか。お前らさっき話してたじゃねぇか…っ!」
「…」
 先程遠山らの前に唐突に加寿子らしい姿が現れた時の事。どうやらそれを指しているらしい。
 それで――山吹は驚いてはいなかった、訳か。
 既に何度も加寿子に遭遇していたのなら。
 散々責め立てられた後だったのなら。
 先程加寿子が遠山の前に現れたあの場面を偶然見て、加寿子と遠山が繋がっている事を確信した。
 それで、逃げた。
 …そういう事か。
 遠山はそう気付く。
 気付いたら、思わず喉の奥から笑いが込み上げてきた。
 …なら、この状況は。
「加寿子が居るのか、本当に。そうか。居るんだな。…この状況は加寿子が望んだのか。それでお前らが居る訳か。そうか。…それでか」
 込み上げてくる笑いが堪え切れない。止まらない。
「式神の制御が離れたのもそのせいか。…あの異形はお前の眷族か。俺などが手を出す必要も無いか。加寿子」
 喉を鳴らして暗く笑う遠山に、山吹は訝しむ。
「遠山…お前…?」
 違う、のか?
 お前が、したんじゃ。
「ああ違う。残念ながらな。…幾ら何でもただの素人にこんな大掛かりな事まで出来るような力なんざある訳ないだろ。勘違いも甚だしい。余程何も考えてないと見える。…だがいい事を聞いた。お前の言う通りなら俺は何も邪魔する気は無い。全て加寿子に任せる。助けない。許さない。殺さない――俺はお前に対してそうしていればいいんだろ?」
 後は加寿子の気の済むように。
「なっ――待てお前何言って――!?」
「俺がここに居る意味もお前と同じなら歓喜の極みだ。加寿子の事、ただ死なせてしまった時点で俺もお前らと同罪だからな」
「おい待てちょっと待てよ遠山! だったらそこの綺麗な旦那がここに居るってのはどうなんだよ!? 関係無いだろ何も。…なああんたもそう思うよな!? 黙ってないでなんか言ってくれよ!!」
 狼狽えた山吹は懇願するように科白の後半でセレスティに振る。…どうやら山吹はここに来て漸くセレスティと言う第三者がそこに居る事に気付いたらしい。
 セレスティはちょっと考えた。
 …色々と急な話である。追ってきた対象である彼――山吹君の話を聞くに、そしてそれを受けての遠山君の話を聞くに、この状況には呪殺された加寿子嬢が深く絡んでいるらしい。それが真実にしろ山吹君の思い込みだったにしろ、話としてはそういう要旨。
 そして遠山君は、山吹君の話の通りである事を望んでいる――そうである事に救いを見出している?
 この状況で私はどう出るべきか。
「さて…。今ここがこんな状況下に置かれているのが――加寿子嬢に纏わるキミたちの因縁が原因であると言うのが事実なら、確かに山吹君の仰る通り私は関係ありませんね。そうなると…見届け役として選ばれた、と言う可能性はどうでしょう?」
 今の私は、遠山君とはそれなりのお付き合いもありますし。
 因縁の元らしい呪殺の件も、触り程度の話は聞いています…詳細までは知りませんが。
 取り敢えず、少なくとも客観的に見られる第三者の立場であるとは思いますよ。
「…そうだ。キミがそんなに助けてほしいと希うのなら、今ここで懺悔してみたらいかがです?」
 山吹君。
 この場所が――この空間そのものが加寿子嬢の仕業だと言うのなら。
 きっと彼女は聞いていてくれますよ。
 もし私が見届け役としてここに居るのなら、きっと邪魔もなさらないでしょうし。
 セレスティはそう言いながら微笑んで山吹に近付き、目の前で屈んでみる。軽く目を見開く山吹。遠山はそんなセレスティに対し邪魔はしない。セレスティの手が山吹の傷付いた部位に伸ばされた。触れはしないが、それで、ふっ、と何か締められたような感覚が山吹の傷周辺に生まれる。
 これで取り敢えずの止血は完了。大した事はない傷でも一応の応急処置くらいはしておく。
 伸ばした手を下ろし、セレスティはそのまま山吹の話を聞く態度を取ってみる。
 …ここではまだ遠山を止める事を選ばない。
 それは今の遠山君は放っては置かない方が良い精神状態になっているとは思う。
 が、真正面から話をするにはまだ情報が足りない。
 だから、山吹君の方に聞く。
 何があったのか。

 山吹は訥々と話し出す。
「…俺は…まさか本当に死ぬなんて思わなかった。ただの憂さ晴らしだった…」
 高一の頃、初めて会った頃から。
 ずっと、遠山が邪魔だった。
 いつも俺の進もうとする前に遠山が居た。
 何をしても俺は敵わなかった。
 走る事も。
 それ以外も。
 勝ちたかった。
 だけど。
 勝てなかった。
 呪う事も考えた――オカルトには興味があって、いつか執り行ってみたいと思っていた。自分なら執り行えるのだと思っていた。
 その対象に遠山を考えた。
 でもそれでは負けだと思った。
 正攻法で勝てなければ意味が無いと思った。
 何度も悩んだ。
 誘惑に駆られた。
 その手の文献を何度も読んだ。
 …遠山重史と言う人物を調べる事を考えた。
 呪術を執り行うには対象の事を知っておく必要がある。だから、遠山を調べる事を選んだその時点でどうする気だったのかは――もう、自信がない。
 ただ、遠山を調べて――遠山の弱みを探り当てる事は出来ていた。
 赤羽加寿子と言う彼女の事。
 彼女の置かれている状況を――彼女をいじめていた喜多村朋美と小峰雛子の存在も知った以上、その時はそれだけで憂さは晴れたようなものだった。それ以上、直接どうこうする気は無かった。
 無いつもりだった。
 でも。
 また少し経って、揺らいだ。
 遠山は相変わらず俺の前に居て。
 俺も勝ちたいと言う気持ちは変わらなかった。
 ある日偶然、喜多村や小峰と話す機会が出来た。
 二人は俺と遠山の事を知っていた。
 気付いていた。
 ――…二人は、赤羽が。
 ――…俺は、遠山が。
 目障りで。
 利害が一致した。

 …面白半分で、呪いの事を、話してみた。
 詳しく。
 色々。
 知っている事を、調べた事を。
 執り行ってみないかと持ち掛けた。
 軽く二人も乗ってきた。
 止めようとは思わなかった。
 遊び半分だった。

「貴様…っ」
 山吹がそこまで言った時点で、遠山が山吹の胸倉をぐいと掴み上げている。
 セレスティが遠山のその腕にそっと手を乗せる。
 …憤るのは全て聞いてからでも遅くはないかと。
 そう意味を込めて。
 応えて遠山は山吹を乱暴に突き放す。
 黙り込む。

 山吹は縋るようにセレスティを見る。
 セレスティは頷いた。
 ごくりと唾を飲んでから、山吹は話を続ける。

 …それで、赤羽加寿子は死んだ。
 校舎の屋上からの転落死。
 呪術を執り行ったのは、それが公になった、前日の事。
 …偶然にしてはタイミングが合い過ぎた。
 それで初めて、恐ろしくなった。
 本当に呪殺してしまったのだと、思った。
 それから――俺も、喜多村も小峰も、口裏を合わせた訳でもないのにこの事について何も話さなかった。それっきり会おうともしなかった。廊下ですぐ側を擦れ違っても無視をした。知らない同士だと思おうとした。
 …赤羽の死を境に、遠山が走れなくなっていた。
 その事で、遠山は、赤羽と――喜多村や小峰との間にあった事は知らなかったのだと、知った。赤羽が死んで初めて、知ったのだと。
 程無く、やっぱりどうしても走れなくて、遠山が陸上部を辞めていた。
 …俺の進もうとする前から遠山が消えた。
 ずっと望んでいた事、嬉しいのだと思おうとした。
 けれどどうしても嬉しくはなかった。
 忘れようと思った。
 忘れられなかった。
 忘れる為に部活に打ち込んだ。…恐ろしい事をしてしまったのだとは思っていた。思っていたけれどそれでも何処かに、自分は呪術に成功したのだと言う自負も生まれていた。
 どうしてもオカルトを捨てる気にはならない自分が居た。
 それから、時間が経っていた。
 いつしかまた、普通にその手の文献を見られるようになっていた。
 そんな頃、また、喜多村や小峰と話す機会が何度か出来た。
 …連中も俺と同じだったらしい。
 恐ろしいとは思っていても、心の何処かで味をしめてしまった――と言うところもあったんだと思う。
 二人もオカルトの世界に足を踏み込んで来た。
 二人は呪術に関する助言を俺に求めてきていた。
 赤羽の時に呪殺に成功したと言う自負が、また首を擡げた。
 喜多村と小峰の二人にまた頼られた、と言う事も、自尊心を擽った。
 恐ろしさは薄らいでいた。
 …少しして、原因不明の、どうしようもない体調不良に陥った。
 入院までした。
 体調はただじわじわと悪化した。
 原因がわからないから手の施しようがなかったらしい。
 このまま死ぬのかと思った。
 …ぎりぎりで助けられて、遠山が赤羽の仕返しに俺たちへの呪殺を試みたのだと知らされた。
 俺が小峰や喜多村に教えたのと同じやり方をそのままなぞって。
 それは本当は間違えたままの危険な呪術で――場所が神聖都学園であった為にこそ、効果を持ってしまったのだろうとも聞いた。赤羽の時も、俺たちの時も。
 遠山はそんなものを『そんなものであると承知の上で』躊躇いもせずそのまま使って見せたのだと言う。
 その後、その報いで遠山の左足が殆ど利かなくなった事も知った。プロに制止されてその術が破られた事――と言うより既に殺す寸前まで行っていたその術の無理矢理の撤回の方が大きな理由で、それは絶対に完治しないものになった。けれどそれも承知の上の事で――遠山は自分の身すら捨てて俺たちを呪っていた事を知った。
 勝てないと思った。
 あの時、取り返しの付かない事をしたのだと、今度こそ思い知らされた。
 だからもう、どう償ったらいいかわからないと思った。
 償いようがないと思った。
 …それで今、こんな状況に置かれて。
 死んだ筈の赤羽が居て。
 何処に行っても、何度も目の前に現れて。
 その目が俺を責めている気がした。
 許さないと。
 ぞっとした。
 何処に逃げても逃げられない。
 おかしくなりそうだった。
 どうしようもないまま暫く廊下を彷徨い歩いてて…赤羽とお前が一緒に居るのを見付けた。
 赤羽はすぐ消えた。
「そうしたらお前が追いかけてきたんだ――」
 山吹はそこで遠山を見る。
「だからお前がやってるんだと思った…あの兎もどきの化物で追い立てて来られた――襲われた時には肝を潰した」
 …けれど同時に心の何処かでほっとした。
 これで終わりなんだろうと思ったから。
 漸くこの場所から解放されるのだと思ったから。

 遠山は淡々と呟く。
「なのに俺はお前を襲う異形を制止したって事か」
「…」
 山吹は力無く俯く。
「…俺はどうしたらお前らに償える」
「………………『お前らに』じゃない、加寿子にだ」
 俺に償う必要はない。
 初めから。
「…?」
 山吹は不思議そうな顔で遠山を見上げる。
「俺がこの状況を作り出した訳じゃない。加寿子を呼び戻した訳じゃない」
 …ならどうして俺はここに居るんだ?
 何もわからないまま校内を彷徨ってる。
 あの異形に襲いかかられもした。
 今度は遠山が話し出す。

 …加寿子がここに居ると言うのなら尚更。
 もう、自分の都合の良いように考える事など出来ない。
 一度は都合の良いように考え呪術に手を出しお前らを殺しかける事をした。
 お前らに自分のした事を思い知らせる事が出来た。
 だが最終的には俺はそれを止めた。
 それで俺は、まだ浅ましく生き残っている。
 今に至っても喜多村の小峰の――山吹の姿が目障りで仕方無い。俺がもう二度と走れないのは自業自得だと言うのにその憤りをお前らにぶつけている。時が経つにつれ、加寿子にぶつけてしまいそうになる自分さえいる。
 全て自分が勝手にやった事なのに。
 お前らのせいでも、まして加寿子のせいでなどある筈が無いのに。
 何処かで考えている。
 そんな自分を誤魔化して――あの時の連中から呪殺を止められた事で、お前らに思い知らせる事が出来た事で救われたと勝手に思い込み、新たな目標を立てて生きている。
 …それは本当に加寿子の望んだ事か?
 違う。
 山吹たち同様俺もこの場所に居る事でわかる。
 やはり加寿子は俺の事も恨んでいる――。

 遠山の話をそこまで聞いて、セレスティは漸く口を挟む事をした。
「…そうは仰いますが、私はその…赤羽加寿子嬢がキミを恨んでいるとはやはり思えないのですけどね?」
 今の話を聞いている限り。
 恨んでいるともそうでないとも。
 自分がいじめられている事を遠山君に言わなかったのは――大切な人に心配をかけたくないからこそ言わなかった、と言う場合もあります。
 彼女はどうして言わなかったのか――私にその判断は出来ません。
 キミは加寿子嬢の望む事、と仰いますが。
 それが行動指針のようですが。
 …それこそ、それでいいのでしょうかね。
 故人の想いの代弁は誰にも出来ませんよ。
 故人自身が本当に目の前に現れて話をしてくれるなら別ですが。
 先程、加寿子嬢は姿を見せただけ。
 何も具体的な話はしていません。
 山吹君は、この場所で加寿子嬢と何度かお会いしていると言う事ですが、何か具体的なお話はしましたか。
 責められていると思ったのは山吹君自身の後悔や懼れ故ではないですか。
 物言いたげな瞳の色は、見る者次第でどのようにでも読み取れますよ。
 そしてこの異常な状況下で遭遇してしまったなら、元々後ろめたい事があるのなら――より恐ろしく感じてしまって当然です。
 遠山君。
 加寿子嬢がどう思うかじゃない。これからどうするのかは、キミ自身が決めるべき事なんですよ。
 そしてキミは、疾うの昔に決めていたんじゃないんですか。
 山吹君たちを呪殺しかけたと言うその時に。
 喜多村嬢と小峰嬢の件で水原さんと話した時、水原さんは君たちの事を『今はもう手を出せない仇同士のようなもの』と言い表していました。
 この、『もう手を出せない』のは誰に言われた訳でもない、キミ自身が自分の意志で決めて実行していた事だったんじゃないんですか。キミは人に言われたからってそれだけで物事を撤回するような人じゃないでしょう?
「…」
「それだけじゃなく、少し気にかかる事があります。加寿子嬢がこの状況の原因だと言うのなら、それこそ月神詠子嬢の存在が謎だと思うんですが。…水原さんはキミが起こした呪殺事件の時に噛んでらっしゃったらしいですから一応関係者と見てもいいでしょう。今この場に居合わせている私は、多少無理矢理ですが…君たちの見届け役に連れて来られたと仮定すればまぁいいとします。ですが詠子嬢が学園に来たのは…そもそも遠山君が起こした呪殺事件よりも後になるようですし、遠山君と顔見知りではあるようですが…お付き合いらしいお付き合いも殆ど無いようです。そして彼女は今も我々とは別行動をしています。どう考えても何も関係ありません。でも今、彼女もまた我々同様この状況下の校舎内に居ます」
 そしてあの加寿子嬢の姿が唐突に現れた時、私と水原さんとの通話が切れて、再び照明が落ちました。
 喜多村嬢に小峰嬢にと遇った直後、水原さんに君たちの因縁の触り程度の事情を聞いた時点で、です。
「何か、試されている気がしませんか」
「…え?」
「そもそもどうして――ここまで来ていきなり、キミに関わる者ばかりが現れるのでしょうね、遠山君」
 空き教室から出て暫く探索に出た先で。
 空き教室に現れた、一番初めに見た異形は――どう見ても心当たりの無い異形の者。
 次に見た異形は、辛うじて人型、そこに神聖都の制服を纏っていました。その時に喜多村嬢と小峰嬢が居ましたね。無傷で。
 それから、いかにも亡霊のような姿の加寿子嬢。その加寿子嬢がすぐ消えて、追いかけた先に居た、山吹君。
 …私には少しずつキミを追い詰める為の要素が揃えられているように思えてならないのですが。
 遠山君。
 当初の目的に帰りませんか。
 それでもやはりこのまま、加寿子嬢の名を免罪符にした自暴自棄と言う一番楽な道に逃げますか。
「…カーニンガムさん、貴方…!」
 反射的に遠山は激昂する。
 けれどセレスティは動じない。
「その通りでしょう? 加寿子嬢が遠山君の事も恨んでいるだろうから殺して欲しいんじゃなく、加寿子嬢の事を想うとキミ自身が死にたくなるだけでしょう。遺された者が辛いのは当然です。それもキミの場合は生前の加寿子嬢がいじめられていた事を知らなかったと言う負い目がある。自分のせいで山吹君が絡んできて呪術と言う結果が出てしまったと言う負い目がある。
 …改めて一つ伺います。加寿子嬢は本当に呪殺でお亡くなりになったと思っていますか?」
「それは――どういう意味ですか」
「自殺の可能性も考えてらっしゃいませんか、遠山君」
「――」
「タイミングが合う事なんて幾らでもあります。それを偶然と呼ぶか必然と呼ぶかは…まぁ呼ぶ方の勝手な話です。加寿子嬢に呪いが掛けられたのが前日、その翌日に加寿子嬢が校舎の屋上から転落死。…その二つの事柄の因果関係は証明できません。因果関係が証明できないものが、呪いなどオカルトと一纏めで言われるものです。これだけの情報では、呪殺されたとは言い切れない」
 そしてもし自殺だったとしたら。
 負い目どころじゃなく、キミが自分を罰したがっている理由が良くわかります。
 どれ程追い詰められていたとしても、たった一つだけでも何か生きる希望が、救いとなるものがあるのなら――人は自殺はしないでしょうからね。
 即ち自殺だとしたら、加寿子嬢にとってのキミは、最後のたった一つの救いにすらなれなかった事になる。
「…そうですよ」
「…遠山?」
 山吹が困惑して遠山を見上げる。
 遠山は構わず続けた。
「呪殺と自殺、どちらの可能性も充分有り得た。…一番初め、何も知らない内は自殺だと思っていた。後で加寿子が呪殺されたと言う話を聞いてその時逆上はした。けれど実際にその呪殺の方法を調べている内に…調べれば調べる程、わからなくなってきた。…これでは出来る訳が無いと思った。やっぱり自殺だったんじゃないかとも思えてきた。…実際に表向きには自殺で片付けられた。警察も学校も何の根拠も無くそう片付ける訳もない。学校にしてみればとんでもない汚点だ。そう簡単に納得する訳が無い。簡単に片付けるには自殺より事故の方が都合がいいに決まってる。なら動機だけじゃなく状況証拠の方でもそれなりの物が出たって事だ。…呪術で自殺の状況証拠が用意出来るか? そんな事は俺にはわからない。そもそも呪われた結果として自殺する事を選んだのかもしれない。呪いなんか関係無くて自分の意志で自殺したのかもしれない」
 区別なんか付けられなかった。
「どちらにしろ寄ってたかって加寿子を追い詰めた事に変わりはない。そう思ったんです」
「…だから、同じ方法をなぞって呪い返したんですね」
 効果があるかないかなど関係無く。
 そして――間違っているものであっても何か呪いの効果が表れるのなら、必ず自分自身をも巻き込むと思って。
 初めから。
 加寿子嬢の代わりの仇討ちでは無く、加寿子嬢への贖罪しか考えていなかった。
「そういう事です。だから何を恐れる必要もなかった。今はこの左足も、逆に慰めになるくらいです」
 加寿子が持って行ってくれたような気がして。
「遠山お前…そこまで」
「呪殺か自殺かなんてもうどうでも良くて、ただ自分が納得したかっただけなんだと…思います」
 消え入りそうな声で、告げる。
 セレスティは頷いた。
「…なら、加寿子嬢御本人の意志が聞けるなら、それが一番と言う事ですよね。加寿子嬢が今現在どう思っていらっしゃるのか、今のキミには知り得ない事になりますから」
 さて、どうしますか?
 セレスティは改めて訊いてみる。

 …この場所。この状況下。
 山吹の言っていた事。
 遠山自身の目で見たもの。
 …可能性。

「…加寿子を、捜したい」
 口を衝いて出ていた。
「お付き合いしましょう」
 セレスティはすかさず返す。
 と、遠山の表情が心持ち少し和らいでいる気がした。
 そこに。

 ――――――…『莫迦』。

 声がした。
 遠山の耳にだけ。
 不意に聞こえたその声に遠山は驚き、瞠目する。
 今はもう聞ける筈もない声。
 先程の姿だけではなく――今度こそ、加寿子の声。

 ――――――…『莫迦。って説得力ないか。私も莫迦だったもん』。
 なんで生きてる内に何も言えなかったのかな。
 言えないなんて思う事、なかったのにね。
 重史には言った方が良かったみたいなのに、ね。
 なのに、生きてる内はそう思えなかった。

 …昔の通りの。
 生きていた頃と何も変わらない。
 少しはにかむような声。
 恨みも何も見出せない。
 昔の通りの。
 その、声。

 遠山は思わず口を押さえる。
 肩が震える。
 まだ、聞こえる。

 ――――――…『嬉しいけど、嬉しくないよ』。
 重史の、その気持ち。
 私の事を考えてくれたって事だろうから。
 でもなんで重史の事も恨んでる事になるかなぁ。
 私は重史を煩わせたくなかっただけなんだけどなぁ。
 やっぱり私が莫迦だったんだよな。
 きっと。

「…違う。
 そうじゃない。…ごめんな。ずっと、お前に背負わせ過ぎた」

 加寿子。
 生きてる内だけじゃない――亡くなってからもまた。
 ずっとお前に背負わせ過ぎた。
 お前の名を以って、贖罪の理由にした。
 お前はそういう奴じゃなかったのに。
 お前なら、簡単に許してしまうと知っていたのに。
 その事からは目を背けた。

 ただ、俺が何もかも許せなかっただけなのに。
 カーニンガムさんの言う通り、俺はお前の名を免罪符に使っていた。
 お前の想いはこうであると勝手に考える事をした。思い込もうとした。それが望みと。
 お前の名に押し付けた。
 その方がきっと、お前はずっと辛かった。
 …そんな簡単な事が、ずっと、わからなかった。
 莫迦なのは、俺の方。

 ごめんな。加寿子。
 ――――――…俺は今もまだお前を愛していていいだろうか。



【.DG somewhere chat.】

「惜しかったですね。この方は『彼女』を出せば結構脆いと思っていたのですが。
 思ったより冷静に判断出来ているようです。
 まぁ、あの方が同行していらっしゃった事も大きいようですが」

 …ともあれ、まさかここで『本物の彼女』が介入して来るとは思いませんでしたが。

「仕方無いだろう?
 ここは0と1だけで構成されてる訳じゃない。その間にある曖昧なものも構成要素に含まれてる。
 電子の海だけじゃない――人の心の奥底にある無意識の海も混じってるんだからね」

 …『本物の赤羽加寿子』の意識もまた、何処かでここに繋がる事に違いはない、って事だよ。
 生きていようが死んでいようが区別は無くね。
 僕たちの思惑如何に関わらず。
 僕たちの思惑なんか簡単に通り越す。

「だからこそ、楽しい。…だろ?」
「僕が言うならわかりますが貴方がそう言えるのはどうなんでしょう」
 …本当に貴方は興味深い。



 セレスティは元々居た筈で無い場所で気が付いた。
 軽く驚いて思わず目を瞬かせる。
 …ごめんな。ずっと、お前に背負わせ過ぎた。遠山がそう告げた後、山吹君の姿も何も区別無く辺り一帯が異形と同じ色に輝き始め、やがて凄まじい光量が辺り一帯を呑み込んでいた。その時にはもう目を開けていられなかったのだが――今は眩しいと思ってからどのくらい経ったのか。いつの間にか、何事も無かったように椅子の一つに座っている自分が居る。別に目の前がちかちかする訳でも無い――見た筈の光の影響は特に残っていない。
 目の前に置かれている紅茶の匂いで、漸くセレスティは元の通りに調子が戻った気がした。ティーカップからは湯気が立ち上っている。まだ充分温かい――煎れてから長く放っておいた訳でも無い。…今私はカフェテラスでお茶をしている。いつから。何処のカフェテラスで――ここは神聖都学園の中庭、一般公開もしているスペースだった。
 共にテーブルに着いているのは三人。私のすぐ左隣は詠子嬢、その隣、私から見ると真正面は水原さん。そしてその隣――同時に私の右隣にも当たる席に遠山君。私たちが着いていたのは四人掛けの丸テーブル。先程の状況下でも一緒に居た筈の彼らと、何事も無かったようにのほほん紅茶など飲んでいる。テーブルの上には紅茶の他にノートやルーズリーフに教科書の類も散乱している。勉強会か何か、そんな雰囲気で。
 詠子と水原がノートを覗き込みながら何やら真剣に話し合っている。…無事である。その事にまず安堵。いったい何があったのか。わからない。けれどどうやら今はもう、何の問題も起きていないようではある。
 いやそれどころか、先程の状況は――夢か何かと言う事なのだろうか。それにしては現実味があるように思えたのだが。
 思いながら遠山の様子をちらりと見てみる。
 と。
 その時ちょうど、一人の男子生徒がテーブルに近付いて来、遠山に声を掛けていた。
 山吹有也。
 …少し驚く。
 彼は遠山から何かの本を借りていたらしく、それを返しに来たところであるよう。その時点で驚きである――あの山吹が遠山から何か借り受けるような事をするのか?――あの遠山が山吹に何か貸し出すような事をするのか?
 目の前では山吹がこれ、と仏頂面で本を差し出している。差し出した本を受け取りつつ、わざわざ捜しに来るか? と嫌そうに遠山。俺はもう帰るんだよ。今日中に返すって言ったろ、とこちらも嫌そうに返す山吹。と――ああ今日は余所の学校と合同練習って話だったか、とあっさり何でもないように切り返す遠山。
 その態度に山吹は反射的に動揺し言葉を失った。…合同練習。つまりは部活の――遠山が元居た陸上部の。山吹が敢えて口に出さなかったその事に遠山の方で平然と触れている。…お前が遅れたら他の連中が困るだろ。とっとと行け目障りだ。遠山はそう続けながら、返された本をひらひらと翳し山吹に見せ付ける。本は受け取った、もう用は済んだろと言わんばかりの態度。
 …それで山吹は去って行く。結局、言葉を失ったっきり、別れ際におうだかああだかと挨拶のようなよくわからない感嘆符を残して行っただけ。
 いつからか、水原が心配げに遠山を――遠山と山吹の様子を見ている。…詠子も遠山を心配げに見る水原の様子を不思議がってか遠山を見ていた。けれどどちらも特に何も言わない。
 けれど遠山は――山吹を見送った後何故か、まずセレスティに対し苦笑を見せていた。
 それから。

 ………………貴方が居たから戻って来れたような気がします。

 そう言われた、気がした。
 ぽつりと。
 他に聞こえない程度の小さな声で。

 セレスティは思わず改めて遠山を見返してしまう。
 けれどその時はもう遠山はこちらを見ていない。今の声は幻聴だったかと思う程。何事も無かったような全く普通の態度で先程山吹に渡された本を鞄に仕舞っている。その後も平然と紅茶を啜り、ノートに纏めた事柄について水原に何か訊いているよう。つい今さっき山吹と話していたにも関わらず、特にその事でどうこうと言う蟠りのようなものは感じない。
 平静そのものな遠山のその態度に、逆に水原の方が途惑っているようにさえ見える。
 一連のそれを見て、察しが付いた。
 暗くなり異形が跳梁していた先程の状況。あれはやはり、事実起きた事なのだと。少なくとも、本来私が知る筈の無いあの場で話されていた遠山君と山吹君の関係、呪殺に絡む話は――本当なのだと。
 で、どういう原理でかはわからないが今はそれが無かった事のようになった上で、元に戻っているのだと。
 …元に戻る直前、あの場所で遠山が最後に言っていた科白。
 あの科白。…誰か、とても親しい者に対し受け答えるような科白に聞こえた。ならば――セレスティ自身は聞いた訳では無いが、あの時遠山君には本当に加寿子嬢の声を聞く事が出来たのかもしれない。そうとさえ思う。
 そうでもなければ遠山君は、仇同士のようなものであるあの山吹君の一挙手一投足でさえ平静に見ていられないような気がする。ただそこに居ると言うだけで神経に障り、思い詰める材料にしかならないような。
 けれど今の様子を見る限り、それ程ではなかった。ずっとその肩に背負っていた重い荷を少しだけでも下ろしたような、そんな風に感じられた。…今までのように無理矢理平静を装って見せているのではなく、頑なに拘る事を止め自分の中で気持ちを整理する事を選んだような。
 それは勿論、忘れるつもりは無いだろうが。傷として残るだろうが。…けれどそれでも、過去を、後ろだけを見て呪殺の件を引き摺るつもりは本当になくなったような。

 …当然ながら現実として、これで特に何が変わったと言う訳でもないのだろうが。
 それでも。
 彼の心にとって、良い方向には持って行けたような、気がする。

 ――――――…願わくばこれからも、彼があまり思い詰める事の無いようにと、祈ってみる。

【了】


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

■PC
 ■1883/セレスティ・カーニンガム
 男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い

■パートナー選択NPC
 ■遠山・重史

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          ライター通信
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 いつも御世話になっております。
 今回はいまいち謎なシナリオである上に、金銭的な御負担が大きめであるにも関わらず発注有難う御座いました。お待たせしました。

 内容ですが…どうも遠山をパートナーに選んだ場合の一番有効な手をプレイング時点で打たれてしまったようなので(判断基準の詳細は内緒です)、恐らくは遠山選択の場合の一番ハッピーエンドな形になりました。でも遠山なので愛想無くてあまりハッピーエンドらしくないですね…(苦笑)
 ともあれ、如何だったでしょうか。
 …今回ノベルの作成中、ライターが遠山に引き摺られたのか…ちょっと思考の迷宮に迷い込んでぐるぐるしてしまってたんですが(汗)。何だかそのぐるぐるした分でやや長文化している気がします…このシナリオは基本的にもう少し短めなノベルにする予定だったんですが…。

 少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いです。
 では、またお気が向かれましたらその時は(礼)

 深海残月 拝