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<東京怪談・PCゲームノベル>


デンジャラス・パークへようこそ 〜天使と女神の浅草オペラ〜

 皐月の風に、葉桜がさやさやと揺れる。
 滴るような緑に囲まれた井の頭池に浮かぶのは、何艘ものボートだ。池のあちらこちらから、水上の風景を楽しむ人々の、楽しげな歓声が聞こえてくる。
 珍しいことに今日はボート乗り場が大人気で、順番待ちの行列ができている。カップルは見当たらず、そのほとんどが親子連れではあるけれど。
「弁天さま。今日は何だか、公園の人出が多くないですか? ボート乗り場で鯉太郎さんがてんてこまいしてましたよ」
「世間はゴールデンウイークじゃからのう。ふわああ」
 公園を見回ってきた蛇之助に、弁天はやる気のない欠伸で応える。
 連休のまっただ中、ファミリー向けに対応可能なスポットは盛況なれど、弁財天宮1階カウンターは閑散としているのだった。弁天はネットニュースなどチェックしながら、「おおっ、某世界的ダイヤモンドショップがファンション誌とのコラボでジュエリー展を開催しているのう。これは行かねば!」などと言っている。仕事をする気はないらしい。
 たしなめようとして口を開きかけ、しかし蛇之助は、別の物想いに囚われる。
「そうか、GWでしたね。毎年のことなのに、つい失念してました。この時期に休暇を取られるお勤めのかたもいれば、お仕事が忙しくて、それどころではないかたもいらっしゃるんですよね……」
 この時期、社会人を対象にしている外国語教室などは集中講座が設けられるなどして、講師のスケジュールは普段以上に余裕がないだろう。彼の恋人が訪ねてくれる可能性はとても少ない。
 眷属の心の動きを知ってか知らずか、弁天はうむうむと相槌を打つ。
「ときに蛇之助、おぬしがわらわの眷属になってからどれほどになるかのう?」
「どうしたんですか急に。……そうですね、ざっと数十年程度かと思いますが」
「ふむ! 当然、わらわには日々感謝しておるであろうのう?」
「それは、はい、まあ一応」
 弁天がこういう前ふりをする場合、たいていろくな展開にならないというのが、眷属生活数十年の中で体得した知恵だ。が、それを回避する方法などないというのもまた、身を削って得た悟りである。
 案の定、弁天はにんまり笑い、すっと両手を差し出した。
「苦しゅうない。煌めく数十個のゴージャスダイヤモンドネックレスに込められたおぬしの気持ちを、どどーんと受け取ってやろうぞ」
「………………ダイヤってそんな」
「ダイヤでなくとも、ルビーでもサファイヤでも許してつかわす。ともかくわらわは記念のジュエリーを所望する〜!」
「ええと、私にも可能なことと不可能なことがございまして……」
 この女神は、何でいきなりこんなことを云いだしたのかと訝しんだが、何のことはない、先ほどチェックしたジュエリー展の案内がインプリントされてしまったのである。
「あらー、ダイヤ。いいんじゃない?」
「おわ、しえる? いつの間にカウンター内にっ?」
「しえるさん! 来てくださったんですか」
 弁財天宮の住人が気づかぬほど自然にその場に馴染みつつ、嘉神しえるは弁天の真後ろからパソコンモニタを覗き込んでいた。
「ええ、根性で休んだわ! ところで蛇之助、たまには弁天サマ孝行したら? ジュエリーで喜んでもらえるのなら、安いものじゃない」
「ほーっほっほ。これ蛇之助。おぬしの最愛の恋人もこう申しておる。わらわへのプレゼントを遠慮することはないのじゃぞ」
「そうよ。母の日も近いことだし」
「…………………む? 母の日?」
「あ、ほらほら。このネックレスのデザイン、可愛いわよ。弁天サマに似合いそう」
「おお、チェリーブロッサムネックレスじゃな。しえるは目が高いのう。イヤリングとセットで、おぬしもどうじゃえ?」
「私は、そうねえ、お給料の3ヶ月分の婚約指輪があれば……ん? ところで、眷属のお給料ってどのくらい?」
「蛇之助の収入は波があるから把握できぬのう。神聖都学園大学生命科学研究室と薬理学教室のかけもち助手、ときどき某教授に押し切られて畑違いの民俗学のフィールドワークのお供、力仕事系では某カメラマンのアシスタントもしておるようじゃが」
「全部、弁天さまの眷属業務とは関係ないアルバイトですけどね……」
「ねえ弁天サマ。私、このジュエリー展、仕事帰りに覗いたことあるのよ。新宿のデパートの特設会場でやってるから行ってくるといいわ。はい招待券」
「これはまた手回しの良い。招待券が1枚ということは、蛇之助を置いてひとりで出かけてこいという意味じゃな。気が利くのう〜〜」
「やだー! そんなに褒められると恥ずかしいじゃない」
(このひとたちは……)
 弁天としえるは一見和気藹々と、仲良く語り合っているかのように見える。
 んが、蛇之助の目には、ふたりの背後にびしばしと飛び交っている稲妻が、いっそうの激しさを増しているのが感じられる――とはいえ、それも含めて。
(……似たもの同士だなぁ……。なんだかんだで気が合ってるというか……)
 むしろ、自分がお邪魔虫なのではなかろうか。そこはかとない疎外感にため息をつき、蛇之助はカウンターに置いてある金魚鉢に目をやった。はっと時計を確認する。
「いけない。金魚に餌をあげる時間でした」
 言うなり、いそいそと餌袋を取りだし面倒を見ている様子に、しえると弁天は同時に「ふ〜ん、優しいのね〜〜」「ほ〜〜。いつも熱心じゃのう〜〜」と思わせぶりなツッコミを入れる。
 しかし蛇之助は、その声も聞こえぬかのように、赤い金魚が水草をぬって泳ぐさまをじっと眺めているのだ。
 白い手で金魚を掬い、小さなビニール袋に入れて渡してくれた、たおやかな吉原弁天の面影を追うかのように。
「……金魚、大きくなったわね」
「そうとも。あのとおり、それはそれはこまめなケアをしておるでのう――気になるかえ?」
「別に」
「おぬしらしくもない。そうツンデレせず、素直によっしーのところへ殴り込みに行けばよかろうに。蛇之助同伴で」
「そうね。いつかは白黒つけなきゃと思ってたの。……吉原弁天とは」
「よっしーは魔性の弁財天ゆえ、難物じゃぞ。本人が誘惑したわけでもないのに、殿方はついふらっとなるのじゃ。相手が神であろうと他所の眷属であろうとお構いなし。えっちゃん(江ノ島弁天)の眷属の五頭龍も、しの(不忍池弁天)の眷属の龍次郎も、すっかりよっしーファンになってしもうたそうな。この機会に、蛇之助の目を醒ましてやらねば」
「弁天サマがそんなこと言ってくれるなんて。邪魔しないの?」
「邪魔はせぬよ。ジュエリー展の招待券をもらった恩義があるでのう」

 ――邪魔はせぬが、見物はするぞえ。

 さっそく蛇之助の腕をがしっと掴んで、浅草へ赴くしえるの後ろ姿に、弁天はにんまり呟いた。

  ☆  ☆

「あのぉ、しえるさん。今日はこれからどこへ?」
「ちょっと、ね。ご挨拶したいひとがいるのよ」
 あれよあれよという間に、しえるに引きずられてJR中央線に揺られ、乗換のために神田で降りても、蛇之助にはとんと行先の見当がつかなかった。
 東京メトロ銀座線の浅草駅に到着し、吉原神社方向に歩き出したとき、さしもの蛇之助も、しえるが誰に会いに行くつもりなのかを察した。が、特に動揺するでもなく、嬉しそうな笑顔になる。
「ありがとうございます、しえるさん。貴重なお休みなのに」
「……え?」
「ご挨拶にいきたくても、他所の弁天さまを訪ねるわけにはいかない私を、案じてくださったんですね」
「そういうことにしてもいいけど、ちょっと違うの」
 しえるはにっこりと笑みを返し、石の門をくぐる。
 大正12年の関東大震災で失われた吉原の鉄門を模しているという、吉原弁財天の門を。

 ――世俗いふ 吉原を知らざるものは 人に非ずと
 ここは異界ではない。しんと静かな、鎮守の場だ。
 同時に、女の戦いの場でもある。
(さあ、勝負よ。吉原の弁天サマ……!)

 吉原神社の境内には、井の頭の弁財天宮に相当するような建物は見当たらなかった。
 だが、ふたりが門をくぐったとたん、甘い香をはらんだ風が吹き――

 気づいたときには、美しい格子戸の、古き見世を思わせる一間に通されていたのである。

「……ようこそ、蛇之助さん。お久しぶりですこと。そのせつはお世話になりました」
 妖艶な身体に薄絹を纏い、すっとお茶を出す身のこなしの柔らかさ、ほっそりした指先、白いおもてに陰影を落とす、長い睫毛。
(……すごい。こういう女神を『弁天様』って言うのよね。って、あれ?)
 お馴染みの井の頭の彼女も弁天様には違いないのに、この差はいったいどうしたことか。
 しえるの隣に座った蛇之助は、見たこともないほど懐かしそうな、そして心配そうな顔で頭を下げる。
「吉原弁天さまもお変わりなく。その後、何かお困りのことはありませんか? ……私では役に立たないかも知れませんけど」
「おかげさまで大丈夫ですわ。あれ以来、毘沙門天のご乱行も落ち着いたようですし」
 吉原弁天は華奢な腕を伸ばし、その指先で蛇之助の頬を、つ、と撫でる。
「少し、おやつれになった……? 井の頭弁天は気丈でパワフルで、それが個性でもありますが、あなたのように優しいかたには荷が重いでしょう? よく頑張っていらっしゃるわ」
「いえ、私など……。吉原弁天さまこそ、眷属をお持ちにならずに、ずっとおひとりでお暮らしとのことで、さぞご不便ではないかと常々」
「はい、そこまで。離れて離れて」
 しえるもまた、それは優美な動きで、ふたりの間に割って入る。
 たった今までしえるの存在をスルーしていた吉原弁天は、いかにも驚いたふうに、袖で口元を覆った。
「ま……。気の強そうなお嬢さん。いつからここに?」
「最初っからいましたけど? 初めまして、吉原弁天様。お噂だけはかねがね。蛇之助の、こ・い・び・と・の嘉神しえるです」
「……恋人……? そうでしたの」
 袖を口に当てたまま、吉原弁天は嘆かわしげに蛇之助としえるを見比べる。
「優しいかたには荷が重いでしょうに、よく頑張っていらっしゃるわ」
「どーゆー意味よ!?」
「それで、わたくしに何か、御用でいらっしゃいますの?」
「……貴女を美化してる蛇之助の前じゃ、ちょっと言えないわ」
「かしこまりました。女同士のお話ですのね」
 小さく頷いた吉原弁天は、蛇之助ににこりと微笑んで、立ち上がる。
「わたくしとしえるさんは、しばらく境内を散歩してまいります。蛇之助さんはどうぞ、ここでゆっくりしてらして」
「え? あのぅ……」
 女の戦いに、男は異分子である。
 蛇之助は、湯呑みを持ったまま、ぽつんと残された。

  ☆  ☆

「縁結び……?」
 意外なことを聞いたという顔で、吉原弁天は切れ長の目を見張る。
「そう。井の頭の弁天サマは邪魔ばかりするから、吉原弁天様だったら大丈夫かしら、と、思って」
「まあ。楽しいことを仰るのね」
 しゃらら、と、鈴を振ったときのような音が境内に響いた。何事かと思ったら、吉原弁天の笑い声である。
 文字通りの鈴を鳴らすような声に気圧されまいと、しえるはきっぱり言い放つ。
「というか、恋愛自体は成就してるのに、障害が多いのよ!」
「神代の昔から、思い通りにならないのが恋というものですわ」
「一般論じゃないのよ。心当たり、あるでしょう? 貴女の存在もそのひとつだもの」
「わたくしが、障害」
「そうよ! だって蛇之助ってば、金魚見て、ぼーっとして……上の空で」
 歯切れの良い声が、少しくぐもる。
「わかってるわ。ヤキモチよ。ええ嫉妬よ! だから、お願い。貴女が弁天様なら――」
 すう、と、息を吸い込んで、しえるは最後の気合いを入れた。
「ビシっと縁結びして……お、お嫁に行かせて頂戴な! ……というか、あの、貰ってくれたらいいなっていうか、その、……いつか……」
 だんだん小声になり、真っ赤になっていく様子に、吉原弁天は再び、美しい笑い声をあげる。
「凛々しい、可愛いお嬢さん。あなたがそう思うのなら、縁はすでに結ばれているの。神の出る幕なんてないのよ――そうそう」
 吉原弁天はゆらりと袖を振り、風を興した。
「今の会話は、蛇之助さんにも聞こえるようにしておきましたわ」
「よ」
 しえるの顔が、いっそう赤くなる。

「余計なことしないでよーーーーー!!!」
 
  ☆  ☆

 ――そして。
 蛇之助の隣では、ちゃっかり後を追ってきたハナコと弁天が、並んでお茶を飲みながら、一部始終を聞いていたのだった。
「ふぅぅむ。この場合、どちらの勝利じゃろうのう、ハナコ」
「んー、結果オーライでしえるちゃんでしょ。だってよっしーは縁結びしてくれたわけだし。良かったね蛇之助ちゃん、愛されてるじゃん」
「…………あの、私にもですね、プライバシーというものが……」
 ギャラリーの登場にがっくりポーズを取っている蛇之助の顔も、真っ赤である。
  
  ☆  ☆

 戻ってきた吉原弁天としえるは闖入者に文句を言ったが、弁天は上機嫌で提案をした。
「なかなか良い勝負であったぞ。おぬしらの健闘をたたえ、今から皆で浅草の有名飲食店巡りをしようと思うが、どうじゃ? 具体的な店名は大人の事情があるゆえ大きな声では云えぬが、30種類以上のケーキを誇る老舗カフェ、かの坂口安吾が贔屓にした風流なお好み焼き屋、明治45年に『電気ブラン』をリリースして大評判を取った老舗のバーという、選りすぐりのラインナップじゃぞ」

 ケーキ→お好み焼き→電気ブランのコースを一同が制覇するころ、場はもうすっかり、なしくずしに和んでいた。女同士のどーでもいい会話が、浅草の老舗のバーに喧噪を招いている。
「むー、やはりわらわは、チェリーブロッサムイヤリングとチェリーブロッサムネックレスがセットで欲しいぞえ〜」
「あれ、超かわいいよね。いくらだっけ?」
「イヤリングは1,029,000円で、ネックレスは3,003,000円じゃあ〜〜」
「微妙な値段だなぁ。お金持ちが美人に貢ぐにはお手頃だけど、かたぎの男のひとには辛いね」
「『ディトゥーリメンバーコレクション』と呼ばれているシリーズですね? わたくし、参拝のかたにいくつかいただきましたわ。宝石類はたくさん持っておりますし、もういりませんと云ったんですけど、気持ちだからどうしても受け取ってほしいと仰ったので」
「なんじゃとぅ、この魔性めが。いらぬのならわらわに寄こせぃ。宝の持ち腐れじゃ」
「弁天ちゃんさぁ、そういうのを横流しされてもうれしくないでしょ。早く彼氏みつけて、買ってもらいなよ」
「くっ! あんなことをいっとるぞ、しえる!」
「彼氏持ちの私にふってどうするのよ」
「蛇之助には、ディトゥーリメンバーコレクションを、しえるとわらわにプレゼントするほどの甲斐性がないではないか」
「……………あのう………。おふたりにお揃いのジュエリーを貢がなきゃならないんですか……? いつの間にそんな話に………ていうか、すみません、お許しを………」
「気持ちだけでいいのよ、蛇之助」
 酔いつぶれモードの蛇之助を介抱するしえるに、弁天が菩薩のような笑みをみせた。
「そういえばおぬしら、婚約指輪はまだであろう? わらわが気を利かせて用意しておいたぞ」

「「「「ええええーーーー!」」」」

 一同、超びっくりであるが、次の瞬間、あっさりオチは判明した。
 弁天がしえるの薬指に、それはそれは巨大な、キャンディジュエルリング(ストロベリー味)をはめたからである。
「なによこれー!」
「だから婚約指輪じゃ。わざわざ日暮里に足を伸ばして、菓子玩具問屋街で大袋30個入りを購入したのじゃぞ。足りぬというなら大奮発で袋ごとやろう」
「んね弁天ちゃん、ちなみにこのアメ、いくら?」
「1個30円くらいかのう。ほれ、しえる。感謝の言葉を云わぬか」
「気持ちだけ、もらっておくわ」

 しえるはまじまじと、とんでもなく大きな指輪を見つめる。
 ストロベリーキャンディは、大粒のルビーのように、きらりと光った。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2617/嘉神・しえる(かがみ・しえる)/女性/22/外国語教室講師】

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■   ライター通信(神無月まりばな)       ■
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お久しゅうございます!
まさかの吉原弁天ご指名に驚きました(笑)が、しえるさまの心情を思えば、必然であったかも知れませんね。
懐かしの浅草巡りができて楽しかったです。
今回はジュエリーにこだわってみました(そこ?)。