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<東京怪談ノベル(シングル)>


零れる桜の花びらと

 あれから、三週間くらいが過ぎた。
 学校は春休みに入って、蕾をつけたと思った桜は、あっという間に満開になった。
 一面の、春。
 道行く人たちも、どこか明るい顔をしている。
 穏やかな光景。
 三週間前と同じ道を歩く。長い上り坂。あの時受けた冷たい風は、柔らかく暖かなものに変わっていた。
 ゴミ捨て場が見える。ちらりと目を掛けて、通り過ぎた。
 あの人形のことを思い出す。呼応するように、胸がちくりと痛んだ。
 あの雛人形は、今も自分の身体の中で生きている。自分の中に溶け込んで、生きている。
 左手で軽く胸を押さえながらしばらく行くと、あの時は途中で引き返した公園の入り口が見えてくる。
 人の行き来は多い。高台に作られたそこはかなり広く、梅だけでなく桜もたくさん植えられていて、近所ではそれなりに有名な花見スポットだ。この時期、混むのは当たり前だろう。
 人の間をすり抜けるようにして少し歩き、片隅にあるベンチへ座った。
 そこは、桜の木が植えられている広場から少し離れている。
 遠目に、咲き誇る桜の木たちの艶やかな様子が見て取れた。その下で騒ぐ花見客の楽しそうな声が、微かに流れてくる。
 どこからか、鳥のさえずりが聴こえた。辺りを包む音は、それだけ。
 離れているといっても、数十メートル程度。
 なのに、この世界の違いはなんだろう。
 まるで、映画を見ているような錯覚。
 こちらが現か、あちらが夢か。こちらが夢か、あちらが現か。
 ただ言えるのは、あちらの人たちは、きっとちゃんと『生きている』。
 将来の夢を持って、辛いな現実を精一杯生きている。今日は、そんな毎日を過ごしている中での息抜きなんだろう。
 だけど、自分はどうだろう。
 いつもいつも、皆に助けられている。家族に。クラスメイトに。レティシアや、久々津館の皆に。
 なのに。
 生きる目的が、見つからない。どこへ向かっていけばいいんだろう。助けてくれる皆のためにも、もっとしっかり、前を向いていたいのに。
 何を目指しているんだろう。何を望んでいるんだろう。こんなに、皆から生かされているのに。
 ただ生きているだけの自分の中に溶けている、あの雛人形の魂。
 彼女とあたし。
 あたしよりも、彼女の方が、充実した毎日を送れるんじゃないか。
 なんて、思ってしまったり。
 ここ三週間は、なんだか空回りばかりだった。やることなすこと、うまくいかない。目的も、目標も、はっきりしない。
 彼女の分まで精一杯頑張ろうと思っているのに、うまくいかない。
 なんだか、身体に力が入らない。気疲れが、身体にまで影響しているのかもしれない。
 ベンチの背に身体を預ける。
 ゆらゆらと、桜の花びらが舞ってくるのが見えた。ただ一枚の花びら。そんなに風も強くはないのに、こんなところまで届くなんて。少し驚く。
 腕を伸ばす。なんとなくだった。花びらを掴んでみたくなった。
 ――!
 息を呑む。叫びは、声にならなかった。
 掌に、淡い色をした桜の花びらが乗る。でもそれは、どう見ても。
 どう見ても、十三年間見慣れた自分の手じゃなかった。
 異様なほどに白い肌は、光沢があって。関節には、皺ではなくて継ぎ目が見える。
 人形の手。悪夢にまで見た、それがまた。
 目を瞑る。首を大きく二、三度と振る。
 再び目を開けると。
 映ったのは、慣れ親しんだ手だった。ちゃんと、人間の掌。
 思わず、握り拳を作る。ちゃんと動くことを確認する。手を開く。
 そこには、花びら一片。
 やっぱり、疲れているのだろうか。
 家に、帰ろう。そう思って立ち上がる。
 いや、立ち上がろうとした。そのつもりだった。
 だけれど実際は、思い描いた動きと違った。足が、左足がついてこない。突っ張ったままのその足に引っ張られるように、前のめりになる。手を突く。危うく地面にキスしそうになる。
 左足が動かない。感覚がなかった。自分のものじゃないような、そこにあるのに、ないような。それは、覚えがある。嫌な予感がした。
 首をひねる。足元を覗きこむ。スカートの下から伸びるそれは、明らかに、自分の足ではなかった。
 どうして。どうして。
 頭の中にその単語が渦巻く。人形の魂は、自分の中に溶け込んだのではなかったのか。
 なんとか立ち上がる。足を引きずりながら、公園の出口へ向かう。
 三週間前と同じように、下り坂がとてもとても長く見えた。
 家々の壁に手をつきながら、少しずつ、進んだ。
 その手の先が、痺れてくる。やがて感覚がなくなる。もう、確認するまでもない。
 きっと、手も。
 さっきは、自分よりも雛人形が生きたほうがいいと思っていたのに。
 いざこうなると、怖い。あたしは、なんて弱いんだろう。
 自分ではどうしようもないから、また、頼るしかないし。
 なんて、ちっぽけなんだろう。
 涙が滲む。視界が歪んで見える。
 やがて、久々津館の門が見えてきた。
 誰かいる。
 こちらの様子に気づいて、駆け寄ってくる。申し訳ないと思いながらも、差し延べられた手を掴む。寄りかかる。
 涙が、頬を伝って、零れ落ちた。

「これで、しばらくは何とかなると思うわ。にしても、あなたみたいな人、ほんと珍しいわ」
 飽きれた風に、久々津館の住人、レティシアが語る。
 手と脚は、元の、人間のそれに戻っていた。
「あなたと、捨てられていた雛人形の魂。溶け込んで、一つになったと思ってたんだけれど。それが完全に混ざり合ってなかっただけじゃなくて、人形のほうの意思が強くなって、表にでてきちゃってたみたいね。で、身体も人形化し始めてたのよ」
 言い聞かせるような口調だった。確かに、その通りだった。
 ――あたしより、あの人形のほうが生きるのに相応しいかもしれない。
 そう思ったから。
「聴こえてるわよ……やっぱり、そうだったのね」
 指摘される。思うだけではなく、思わず言葉にしてしまっていたらしい。手で口を押さえてはみたけど、そんなのもう手遅れだ。顔が上気するのが、自分でも分かる。
「そう思うなら、そうしていればいいわ。今日みたいなことがだんだん増えていって、やがて、完全に人形になるわね。それが、あなたの望みなら」
 突き放すようなその言葉に、うな垂れる。背を丸める。情けない自分の姿。
 と。
 その背中が、派手な音を立てる。思いっきり、叩かれた。
 痛い。
 顔を上げると、すぐ目の前にレティシアの顔があった。
 意地悪そうな笑みを浮かべていた。
「って、言うと思った? 残念ながら、そんなことにはさせないわよ。あなたが人形になっちゃったら、あの子が悲しむ。私も悲しい。だから、嫌だって言っても助けるわよ」
 ――ただの、我がままよ。
 そう話すレティシアの表情は先ほどまでと変わらないのに、何故だか、今はそれが清々しい笑顔に見えた。
「だから、なんとか見つけなさい、生きる意味ってやつを。苦しんで、楽しんで、迷って、たくさんのことを見て聞いて、ね。急がなくていいから」
 見つかるまでは、それまでは、ここに来ればいい。
 人形化しかけても、それは抑えてあげられる。
 ただお茶を飲みにきたっていい。話し相手になってくれれば、このお客なんて滅多にこない博物館も、私のお店も少しは賑やかしになる。
 言いながら、みなもの髪に彼女の手が触れた。少し乱暴に撫でられる。
 なんだか、涙が止まらなかった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【1252/海原・みなも/女性/13歳/中学生】

【NPC/レティシア・リュプリケ/女性/24歳/アンティークドールショップ経営】
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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、伊吹護です。
 またまた依頼ありがとうございます。
 引き続きのお話、ということでこんな形はいかがでしたでしょうか。
 あえて、明確な意志や展開を見せた終わりにはしていません。これからどうするか、どう思うかは、みなも次第ということで。