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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


VD攻防戦2008
●恒例の前口上
 3月14日――ホワイトデー。
 直訳すると『白い日』になる訳だが、バレンタインデーのお返しをする側にしてみれば、懐が真っ赤になりかねない日であることは公然の秘密である。
 いやまあ、全くもらっていない者にとっては3倍だろうが5倍であろうが、0に何倍しても0なのでどうでもいい話だけれども。あー……続けると悲しくなってくる不毛な話題なので、ひとまずここで切り上げることにしよう。
 で、だ。それもこれも、3月14日がホワイトデーであると認識しているからこそ成立する話である。ならば、認識していなかったらどうなるのだろう。例えば……何かの弾みで、すっかり頭から抜け落ちていたり、とか。
 ではその実例を、これからちょっと見てみよう――。

●聞こえていますか?
 草間興信所ではその時、草間零が棚に仕舞ってあるファイルを端から順に出して確認してはまた戻し、といったことを行っていた。どうやら何か探しているようである。
「ええと、一昨日終わった依頼の調査書はどこに仕舞ったんでしたっけ?」
 やがて聞いた方が早いと考えたのだろう。零は書類とにらめっこしていたシュライン・エマに向かって声をかけた。仕舞った場所をシュラインが覚えてくれてさえいれば、探し物はすぐにでも見付かる訳で。
 しかし……シュラインからは返事がない。
「シュラインさん、一昨日の調査書なんですけど……」
 あれっと思って、もう1度声をかけてみる零。けれどもまた、シュラインからの返事はなかった。
「あのー……シュラインさん?」
 零はじっとシュラインの様子に目をやった。相変わらず書類とにらめっこを続けているようだが……。
「あ」
 と、零がシュラインの異変に気付いた。シュラインの手……持っているペンがまるで動いちゃいないのだ。ひょっとして眠っているのだろうか?
「シュ・ラ・イ・ン・さ・ん!」
 零は大きな声でシュラインを呼んでみた。そこでようやくシュラインの反応があった。はっとして書類から顔を上げたのである。
「えっ。どうしたの、零ちゃん?」
 そう尋ね返してきたシュラインの表情は、零の見る限り何だかぼーっとしているようであった。
「さっきから呼んでいたんですよ?」
「そうだったの? ごめんなさいね。で……どうかした?」
「一昨日の調査書なんですけど……」
「ああ、それだったら棚の一番下、右から3番目辺り……だと思うわよ」
「あ、はい、分かりました。ありがとうございます」
 さっそくシュラインに聞いた辺りを調べてみる零。棚からファイルを取り出して中身を確認し……目的の調査書は確かにそこにあった。
「大丈夫ですか、シュラインさん?」
 調査書を手にしたまま、零が心配そうにシュラインに尋ねた。
「えっ、何が?」
「何だかぼーっとしているように見えて……。体調でも悪いのかなって」
「そ、そう? どう報告を書こうか悩んでたからそう見えちゃったのかしら?」
「え、そうなんですか?」
「ごめんなさいね、心配させちゃって」
「あ、いえ、こちらこそすみません。私が勘違いしちゃって」
 零がぺこんと頭を下げた。確かに、文章をどう書くべきか悩んでいる時には手は止まる。別段シュラインの説明におかしな所はないのだが……。
(ごめんね、零ちゃん)
 シュラインは心の中で零に謝っていた。というのも、実は零の指摘がドンピシャであったからである。先程シュラインは、ぼーっとしていたのだ。
 シュラインをぼんやりとさせている原因は1つではなかった。まずは季節柄な花粉症、次いでやはり季節の変わり目に付き物の風邪、そして翻訳の仕事の締切明け……。これだけ揃ってぼんやりで済んでる所がちと怖いが、ともあれ何かしら体調に異変が起こらない訳がない。
(さ、仕事しなくちゃ)
 けれども仕事を前にすると、周りに気付かせないように振る舞うのはシュラインの性格ゆえであろうか。自分が体調悪いことで、あまり気を使わせたくないのだ。
(ええと……今日は3月14日よね)
 書類に日付を記し、シュラインの手がはたと止まった。
(……今日って何かあったような)
 ほんの数秒ほど考えてみるが――。
(ううん、普通の日よね……)
 何にも思い浮かばず、再びシュラインの手は動き出した。
 繰り返しになるが、3月14日はホワイトデーである。シュラインがそれを思い出せないということは……花粉症&風邪&締切明けのトリプルコンボの影響がここに出てきたということだろうか。
 まあ、忘れているのなら忘れているでもいいだろう。その方が、都合のいい者だって居るのだから……。

●健康は大切ですよ?
「ただいまー」
 それから少しして、外出していた草間武彦が事務所へ戻ってきた。手には何やら紙袋を抱えている。シュラインが書類から顔を上げた。
「あ、武彦さんお帰りなさい」
「お帰りなさいです。何ですか、それ?」
 零の視線が草間の持つ紙袋に注がれた。
「ん? ああ……飴だな」
 と素っ気なく答え、草間は飴の入った2つの袋を紙袋から取り出した。全部黄色い飴だ。
「こっちは零に、そしてこっちはシュラインだな」
 そう言って2人に各々手渡す草間。
「旨いぞ、食べてみろよ」
 草間がシュラインの方に向き直って言った。
「美味しいの? じゃ、1個食べてみようかしら……」
(飴でも食べたら、ちょっとはぼーっとしなくなるかも)
 シュラインは袋の中から飴を1個取り出すと、さっそく口の中へ放り込んだ。……何の警戒もせずに。
「……んっ!?」
 突然何やら呻いたかと思うと、シュラインは両手で頬を押さえ始めた。
「んーんーんー!」
 そして、いやいやをするように首を左右に振るシュライン。
「ど、どうしたんですか、シュラインさん?」
 そんなシュラインの姿を見て戸惑う零。一方の草間はしてやったりの表情だ。
「正攻法でこんなに上手くゆくとはなあ……」
「草間さん! シュラインさんの飴……何を舐めさせたんですかっ!」
 零が草間を責めるように尋ねた。
「いや、レモン味の飴だぞ。ただ……通常の100倍の酸っぱさだけどな。と、零の方のは普通の奴だからな」
 しれっと答える草間。通常の100倍の酸っぱさは……そりゃきつい。でも健康にはよさそうな気がするから、今のシュラインにはちょうどいいのだろうか?
「先月のバレンタインのお返しだ」
 ニヤリと笑って草間はシュラインを見た。
「バレンタイン……って、あーっ!!」
 この時ようやく、シュラインは今日がホワイトデーであることを思い出したのである。
「うー……何日か前までは覚えてたのに……警戒してたのにぃ……」
 そのまま机に突っ伏すシュライン。数日前まで覚えていようが、当日に忘れていてはどうにもならない訳でして、ええ。
「ま、酸っぱい物は身体にいいからな。しっかり食べてくれ」
「……限度があるでしょう?」
 草間の言葉に対し、シュラインは突っ伏したまま草間へ恨めしい視線を向けた。
 かくして今年もまた、一連の攻防戦は過ぎてゆくのだった……。

【了】