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ずっと一緒に
テーブルの上にすっかり出来上がった朝食を、見る。
天気も良いし、こんな日は思わず鼻歌も漏れてしまう。
なんたって朝食は一日の活力。
あたしのご飯で、今日もご主人様は仕事に精を出せるはず。
「さってと。愛しのご主人様は、まだおやすみかしら?」
一段落ついた頃、あたしはご主人様――大守安晃の元へと、向かった。
あたし、リヴァは元々は黒猫。
でも、今は人の姿だし、人の言葉だって喋れる。
必要な時は、ご主人様の営む鍼治療院でお手伝いだってしちゃう。
そう、要は「猫又」という化け物なのだ。
ご主人様を好きで、好きで、どうしても傍にいたくて、この道を選んだ。
後悔なんてするわけもない。
だって――
「やん、ご主人様、今日も素敵な寝顔」
だって、こうして、ご主人様を毎朝起こすことが出来るのだから。
目の前で静かに寝息を立てる彼を見つめながら、あたしはフフっと小さく笑みを浮かべる。
きっとお仕事で疲れているのだろう、ご主人様。
本当は起こしたくないけれど、起こさなければそれはそれで困ったことになるはずだから、あたしは、そっと手を伸ばして彼の額を撫でた。
小さく揺れた彼の睫に、やっぱり素敵、と頬を染めてしまう。
(この静かな寝顔の下に、彼の情熱があることを、あたしは知ってるの)
そう思うと、胸だってドキドキしてくるし、もっともっとご主人様に触れたくもなってしまう。
髪や額を撫でる掌に、ご主人様の熱を感じてしまう。
彼は普段は鍼灸師として毎日を過ごしている。
けれど、それだけではない。
ゆっくりと、淡々とした日常に、急に「それ」は紛れ込んでくる。
――裏では、冷酷な仕掛人。
お金を貰って、暗殺する人。
それを、周りは悪いことだって言うかもしれないけれど――それでも、あたしは、ご主人様の優しさを知っている。
この寝顔の下にある情熱も、優しさも、彼の深いところを知っている。
彼の寝顔に、ふと、昔を思い出した。
小さい頃の記憶は、あまりない。
そもそも、覚えていろというほうが無理なのかもしれない。
(だけどあたしは、ご主人様と出会ったことは、鮮明に覚えている)
◇
「みゃあ……みゃあぁ……」
(おなかすいた……)
あたしは、寒さと空腹に、おぼつかない足取りで川原を歩きながら鳴いた。
捨てられた黒猫が一匹、寒空の下で鳴いていても、だれも助けてなんてくれない。
きっと小さすぎて見えないんだって思う。
みんな自分のことに精一杯で、あたしのことなんか気にしてないんだって思う。
(――あたしって、なんてちっぽけなんだろう)
そんな風に思っても惨めになるだけで、お腹なんか膨らまない。
(こんなんじゃダメ、もっと、もっと大きな声を出さないと。誰か……!)
どんどん空腹に耐え切れなくなって、足を突っ張るようにして、地面に一生懸命踏ん張って、お腹の、もっとずっと奥の方から鳴き声を搾り出す。
足先が寒い。身体も震える。
お腹もすいたし、もう、声も枯れそう。
だけど。
「みゃあ」
だけど、叫ばないと。
「みゃ……みゃあ……!」
叫ばないと、あたし、ここで死んでしまうの!
「みゃぁあぁああああー!」
(誰か、助けて!)
両目をぎゅっとつぶって、懇願するみたいに叫んだ時――ああ、神様は、いるのね。
目の前に、大きな影が、見えた。
(靴……の影?)
不思議に思って、少し下がって、視線を上に。
一瞬見えた表情が冷たそうに見えたから、どきっとして、また数歩下がってしまう……けれど。
「捨てられたのか?」
次の瞬間、聞こえた声に、またどきっとした。
違う、意味で。
そこに立つ少年の表情が、あまりにも柔らかく、あまりにも優しい笑顔だったから。
「みゃ、みゃ!」
(もしかしたら、彼なら助けてくれるかもしれない!)
思わず、せっかちに声を出し始めると、彼が可笑しげに目元を和ませて。ひょい、と手を伸ばしてくる。
人間の体温が、あたしの身体を温めて、そうして、彼の手が柔らかくあたしの頭を撫でてくれる。
「みゃ……?」
(ごはん、くれるんじゃないの?)
暖かさとくすぐったさに小さく鳴いて見上げると、彼はもう、歩き出していた。
与えられたのは、ご飯だけじゃなく。
充分な住まい――彼の家と、優しさと。そして。
名前。
リヴァ。
『自由』と『川』をかけたという名前を、あたしは凄く気に入って、それから何よりも――彼を。
ご主人様のことを、大好きになった。
ご主人様は、いつも優しくいてくれる。
(あたし、絶対ご主人様と離れない)
大好きなご主人様の元で、いつまでだって幸せに暮らすの。
ご主人様が寝たら、あたしも隣で寝る。
ご主人様が疲れているときは、膝に乗って慰めてあげる。
ご主人様と一緒に遊んで、ご主人様と共に在るの。
彼が、大人になっても、ずっと――。
「無理だよ」
「無理無理」
あたしの想いが絶たれたのは、猫の集会の途中だった。
いつも仲の良い猫友達に、そのことを言ったら、開口一番そういわれたからだった。「無理だよ」って。
思わず「にゃっ!」なんて叫んでしまった。
「ど、どうして? あたし、ご主人様とずっと一緒にいたいのに!」
あたしの動揺した声に、猫友達がちっちゃく首を振って静かに口を開き始める。
「リヴァは子供だから、まだ分からないんだね」
「あのね、リヴァ。私達猫はね、人間よりも、ずっと寿命が短いのよ」
「人間が大人になるまでなんて、とても生きていられないの」
「ずっと一緒には、無理だよ」
(――そんな!)
折角見つけた、居場所。とても素敵なご主人様。
自分が猫であるせいで、一緒にいられないなんて――!
「な、何か方法はないの!? あたし、絶対、絶対ご主人様といたいの!」
「方法……ねぇ……。
……そうだ、ねぇ。猫長老なら知ってるんじゃない?」
「そうね、猫長老に聞いてごらんよ」
猫友達の声に、あたしは、駆け出した。
聞くんだ! ご主人様とずっと一緒に暮らせる方法――!!
◇
「猫をやめ、猫又という化物になればできる……だったかしら?」
猫長老の言葉を思い出しながら、あたしは、眼前のご主人様の寝顔を眺めていた。
今の姿を捨てて、化け物になる。
それに、あたしは少しの迷いもなかった。
そうすることで、ご主人様の傍にいられるのなら、猫の寿命よりもずっとずっと一緒にいられるのなら、迷うことなんかないって思った。
(……良かった。猫又になって、こうしてご主人様と一緒にいられるんですもの)
ゆるゆると彼の髪を撫で続けながら、あたしは心中で呟く。
「ん……リヴァ……?」
つい撫ですぎてしまったのか、ご主人様が起きぬけ特有の低い声を出してうっすらと目を開けた。
その声だとか、仕草に、耳がピンッと立ってしまう。
「ご主人様」
「……もう朝か……おはよう、リヴァ」
少し目元を擦るようにして身を起こす彼に、顔の筋肉は緩んでしまって。「おはようございます」なんて告げた言葉も、弾んでしまう。
「どうした? ……随分と、嬉しそうな顔をしている」
(ああ、ばれちゃったわ)
自分の声だとか顔だとかが、緩んでいたのは分かっていたから、あたしは頷き一つ。
「ご飯を食べながら、ゆっくり、教えてあげます。
だから……ご主人様、まずは顔を洗ってきてください、ね?」
笑みを零して口にした。
――今日も素敵な一日が、始まろうとしている。
- 了 -
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