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メザニーンの闇ノ中 Part.3
何度目だろう、これを繰り返すのは。
梧北斗はドアに手をかける。
開けたくない。本能でそれがわかっている。けれども体が言うことをきかないのだ。
開けたくない。わかっているのにどうして……!
振り下ろす。
ただ、振り下ろす。
鉄槌だ。
これは天罰だ。
裏切りに対する罰なのだ。
思い知れ。
思い知れ。
俺の痛みを思い知れ。
振り下ろす。
鈍い音。骨が砕ける音。肉が潰れる音。血が飛び散る音。ひとが壊れる音。
――――思い知れ。
*
(……もっと感覚を鋭くさせてもいいんだけども)
そこまで万能にできてない、自分は。
まぁ何かあるとすれば保健室だろう。北斗が声を聞いたのはココだろうし、他には妙なところはない。
(こういう時に感応能力があればな〜、とは思うけど。でも引きずられるのは鬱陶しいからさ)
北斗には共感できて、自分には共感できないナニか。
(北斗との違いか……。改めると、ありすぎて……)
渋い表情をする欠月は、校舎をあとにする。どうせここに居ても何もできない。ならば、用意をして戻ってきたほうが早いだろう。
ちら、と肩越しに校舎を見遣る。
(……北斗がもてばいいんだけど、ね)
なるべく早く救い出してやるから、頑張ってくれ。
整備されていない道を颯爽と、欠月は目を細めて歩き出した。
*
血まみれになった北斗は荒い息を吐く。
そうだ。コレ、どうしよう?
手伝うよ、と声が聞こえた。
自分が好きになった……付き合っている彼女だ。
そうなんだ、手伝ってくれるんだ。ありがとう。
彼女は微笑んだ。
いつも優しい彼女。どこまでも許してくれる彼女。
ありがとうありがとうありがとう。
でも知っている。彼女のことは好きだけど……だけど、むなしい。
むなしい。
満たされない。
喉が渇く。体を重ねても。乾く。
そう、自分はいつも「水」を欲していた。満たしてくれるものを欲していた。手に入れたと思ったのに、だめだった。
だめだったんだ……。
*
できるだけのことは、した。
きっかり、あの学校に到着した24時間後に欠月は舞い戻ってきていた。
もって一日。それ以上はいくらなんでも北斗の精神が耐えられないだろう。別の空間に囚われているとするならば、時間感覚はあてにならない。
(どれだけの『誤差』がでるかわからないからね……。早めに助けないと北斗が壊れちゃうよ)
久々の仕事着に、欠月は窮屈さをおぼえる。喉元を緩くした。
濃紫色の、軍服のような学生服。黒いブーツで足元の土を軽く蹴った。
目の前には、昨日と同じく静かに学校が佇んでいる。
(この学校で自殺した者はいない。神隠しにあった者は数名。戻ってきたのはごく僅か。神隠しが起こり始めたのは……)
目を細める欠月だったが、どうにも納得できない。
最初の犠牲者はもちろん学生だった。当時の担任は責任をとらされて学校をクビになっている。珍しくもない話だ。
ごく当たり前すぎて……腑に落ちない。
(最初にいなくなったのは女だった。性別は関係ないみたいだな)
何かが居て、攫うならまだいい。その元凶を突き止めて殺せばいいのだから。
だがこれはおそらく、「思念」だ。誰かの強い気持ちが強烈に残っている。もともと感情に対して薄情な欠月は感知するのが苦手な分野だ。
強烈な思念は、それだけにしかならない。そこに憤怒、憎悪、憐憫など含まれていても「そうなんだ」くらいにしか思えないのだ。
「…………」
無言になる欠月は、ゆっくりと瞼を閉じ、開いた。色違いの美しい瞳。すみれ色の片目。
人差し指と中指を立て、剣指にする。ぶつぶつと呟く欠月はもう一度瞼を閉じた。
力が凝縮され、空気の密度があがる。
(面倒だから校舎を吹っ飛ばしてもいいんだけど)
ま、それは冗談だが。
瞼を開いた欠月は剣指を校舎に向けた。
――ギシィ!
木造のそれが大きく軋んだ。
さらに剣指を何度か左右に振る。その度に校舎が悲鳴をあげるようにミシミシと鳴った。
(怨霊たいさ〜ん、とかってできたら楽なんだけどな、ほんとは)
実際はそんなに簡単なものじゃない。パン、と掌を打った欠月は肩の凝りをほぐして校舎に入っていった。
*
憧れの先生がいる。
あの人を見るだけでどきどきする。優しくて、とても、とても素敵だ。
髪を耳にかける仕草。慈愛に満ちた眼差し。思えば自分も馬鹿な生徒の一人だったのだ。本気で色々と相談した自分が哀れになるくらいに。
だって「先生」っていうのはそういうものだ。頼れて、相談に乗ってくれて、親身になってくれるもの。親身に――。
「北斗クン」
甘く囁く声。さらりとした赤い髪。綺麗だ。
「今日はどうしたの?」
微笑む。はっきりと『女』を感じる。頼れる大人の女だ。
セミロングのその髪に触りたい。でも、自分は生徒で、彼女は先生。
がらり、と背後のドアが開いた。
「おいおい、こんな昼間から青春ものか? それとも夜のドラマ?」
振り向いて驚く。見覚えのある美少年が立っていた。この学校の生徒じゃない。――あれ?
怪訝そうな自分を冷たく見てくる彼は、言う。
「やっぱり忘れてるし……。つーか、なにそっちの女の顔。ムカつく女の顔じゃん」
不愉快そうに吐き捨てる少年はつかつかと近づいてくる。そして己のほうを指差した。
「欠月。か・づ・き。わかる?」
「……?」
誰だろう。見覚えはあるのに。いや、見覚えなんてないはずだ。誰?
瞬きをする自分にそいつは人差し指を突きつけてくる。
「すっかり取り込まれて……まったくもう。介入できるのも限界があるんだよ。『本当』のボクはまだ『ここ』まで来れないからね。どうにも嫌われてるみたいだ」
皮肉に顔を歪めても綺麗な男だった。
「ま。次に会う時は別の姿だろうけど。まぁ、待っててよ。助けてやるからサ」
ウィンクするのもサマになっている。なんだこいつ。かっこいいな。
「それから」
大事な「先生」のほうをそいつは指差した。
「コレはなんの冗談? いくら成長してても、このクソムカつく顔だけは勘弁してよね。どっかで会ったの、この女に? ……いや、会ったんだろうな。ココは北斗の記憶で構成されてるから……」
ぶつぶつ呟くそいつはハァ、と面倒そうに嘆息する。
「ボクにちょっかい出すだけじゃなくて、北斗までとか……最悪。やっぱ北斗からは目を離しちゃダメだな……」
やれやれ。
じっとこちらを見てくる少年の色違いの瞳の美しさに北斗は目を奪われる。まるで宝石みたいだ。こんな男がいるなんて。
「とにかく、もうちょっと待ってて。この場所はヒントになるから、できれば覚えて欲しいところだけど……無理だから、しなくていいよ。だけど、『できるだけ』覚えて欲しい。少しでいいからね。
無理はさ……してほしくないんだ」
小さく笑う様子に胸が少しときめいた。これは恋のどきどきではなく、単純な喜びというか、嬉しさというか……。
(……変なの、俺)
ハッとした時には少年の姿はなく、いつもの光景が広がっていた。先ほどまでのことを、北斗は忘れてしまっている。
保健室。そしてイスに座っている先生。それから自分。いつもの昼下がりだ。
「北斗クン」
甘い囁きに体が疼いた。
「今日はどうしたの?」
「きょ、今日は……その、」
胸が苦しい。先生……。
「ん?」
優しく微笑んでくるそのひとに、自分は熱い眼差しを向ける。自分は子供で、相手は大人。どうせ相手にはされない。けれども憧れるくらいいいじゃないか。
「ふふ。北斗クンて、かわいい」
くすっと笑うと、幼い。大人なのに、ずるい。
泣きそうな自分に、北斗は悲しくなる。どうして自分は子供なんだろう。
「先生……俺、先生のことが……」
嗚咽がこみあげる。すると彼女はきょとんとしてから、大人の微笑を浮かべた。
――彼女に抱かれるのは、この日が初めてだった。
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