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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


【女王様失踪】

〜OP〜

【Side:A】

おっす! 俺、黒須誠、38歳! 獅子座の、A型! 趣味は、競馬とパチンコ!
最近の悩みは、朝起きた時、自分が先程まで頭を埋めていた枕から若干の加齢臭が漂い始めてるって事かナ☆
と、まぁ、余りに久しぶりすぎて、咄嗟の自己紹介から始めてみる訳だが、今現在俺は、最っ高に困り果てていた。

「よりにもよって帽子屋にとっつかまってんのかよ…」

げんなりした声で呻けば、同じくげんなりしたような表情を見せて、千年王宮の王様リリパット・ベイブが「アレばっかりは、どうにも、私の言葉をはぐらかす。 命令を聞かぬわけではないのだが、妙な理屈と論理のすり替えで命じた内容とかけ離れた事をやってくれる。 今だって、全く私の言葉を取り違え、竜子を茶会から一向に帰そうとしないのだ。 この城に棲まうものは、あいつの狂った言葉に煙に巻かれるばかりか、下手をするとマッドな振る舞いの犠牲者になってしまい、全くもって役に立たん」と呟く。
「迎えに行こうつったって、城の何処で開いてやがんのか、一向に見当がつかねぇ。 よりにもよって、そんな場所に迷い込む、竜子も竜子だ」
俺の言葉に頷いて、「不用意に客人が紛れ込まぬよう、深層で茶会は開くようにと厳命したはずだが竜子の方向音痴に掛かれば無駄な措置であったか」とベイブは面倒くさげに鼻を鳴らす。
「もう、三日だろ? 幾らなんでも、命までは取られやしねぇだろうが、こんだけ長い間拘束されるのは、あんまりだ。 あの乱痴気騒ぎ、まだ続いてんのかよ」
俺が問えばベイブは王座に体を埋めたまま、戯れに手を伸ばし「白雪」と一言名を呼ぶ。
すると、ヒタヒタヒタと滑るような足音をさせて一人の何処もかしこも真っ白な、白いワンピースを身に纏った女が現れると、うっとりとベイブを眺め、微笑んで「何をお望みで?」と、高い声で問いかけた。
「竜子だ…というより、帽子屋の茶会の様子を見せろと言った方が良いかも知れぬ」
ベイブの言葉に、「また、あの女がご厄介をかけているのですか?」と気に入らぬ気に囁けど、「鏡風情が、いらぬ事を申すな」とベイブに叱責され、哀しげに口を噤む。
そして渋々といった風に「御意」と頷き、白雪はずぶりと自分の胸に両手の指を突きたて、ずずずとまるでこじ開けるように自分の胸を「開いた」。
そこには真っ黒な闇の中に浮かぶ銀色の鏡面が存在し、白雪が目を閉じれば、銀色の鏡にある情景が浮かび上がる。

鏡の中には、この「千年王宮」にて、俺と同じく王のベイブに使える「奴隷」として暮す竜子の姿が映っていた。



-------------------本編--------------------




息を吸うと、肺の中までピンク色に染まりそうだ。

舞い散る桜の花びらを髪に絡ませながら、戯れにそう心の中で呟いてみる。
エマが、ひらりと手を述べれば、真っ青な空に掛かるようにして延びた桜の枝。
触れるでもなく、掠めるようにヒタと指先を動かせば、そよとハート型した花びらは微かに身を震わせ、そして宙に舞った。
「もう、散っちゃうのよねぇ」
残念そうに呟いて、桜の儚さを思う。
「願わくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃…」と、遍く歌人達の中でも、最も桜を愛した詠い手、西行の有名な一説を諳んじて、一瞬感慨に耽り、その後、コロリと調子を変えて、「まぁ…、咲く桜 散り逝く桜に…食う桜ってね!」と適当な句を詠う。
サラサラと冷たくも甘美な桜の花びらの感触を刹那頬を掠め、風に流されて行き過ぎていった。
この季節になるとつい愛用してしまう、薄紫の小花が散った風呂敷包みに包んだ桜餅を抱えなおす。
もう、十八番と呼んで差し支えない程に、完璧な出来栄えを見せる桜餅を思うと、頬が緩み、やっぱ私は花より団子!と、そんな自分にちょっと呆れた。
事務所までの道行き途中にあるお茶の専門店で、最近愛飲している玉露の茶葉も購入してある。
「いつもはコーヒーばかりだけど、たまには緑茶も良いでしょ」なんて、大事な恋人と、その可愛い妹の喜ぶ顔を思い浮かべ「ん? この組み合わせって、随分前にも一度、事務所に差し入れしようとした事なかったっけ?」と首を傾げた瞬間、彼女はもう、桜の咲き乱れる川原沿いの道から遥かに次元を超えた千年王宮にいた。


「お前、おせぇよ!!!」

久しぶりの挨拶も何もかも吹っ飛ばして、突然目の前に現れた男は、それでも中々忘れがたい金属質の、いやに鼓膜を引っ掻くような声で絶叫した。

「は?」

ポカンと口を空け、辛うじてそれだけ言葉を吐き出してみる。
まさに言葉にならない想いというのは、こういうものを指すのか等と思いかけ、嫌だ! こんな益体もないシチュエーションで、そんなロマンチックな形容使いたくない!!と心から自分の感想を否定した。
「大体、ちんたら、ちんたら歩きやがって! 何が、『咲く桜 散り逝く桜に…食う桜ってね!』だ! あえて言おう! その歌は…どうかな?ってな!」
捲くし立てられ、あまりと言えばあまりのハイテンションに、咄嗟に拳を正拳突の要領で前に突き出し、その腹に埋めると「う る さ い」と、渾身の声で、そう厳かに告げた。

「おお…」と微かに感嘆の声やら、パチパチとした拍手の音が耳に入るが、とりあえず今は、湧き上がる自分の感情任せに口を開く。

「大体! 言い訳させて貰うと! 自分も人に聞かせるつもりで詠んでないから、『どうかな?』っていうのは分かってるわよ! 私の実力舐めんじゃないわよ! その気になれば、西行が墓場から蘇ってブラボー!!って叫ぶ位のスーパー俳句が詠めんのよ、コンチクショウ! おっけー! ちょっと時間下さーい! 今から俳句考えますんで、1時間ほど時間下さーい! て い う か ! な、なな、なんで、私の『川原ウォークin独り言祭り』の様子を勝手に見てくれちゃってんのよおおおお!!!」

拳を叩き込んだ仁王立ちの姿勢のまま、そう顔を真っ赤にして喚き散らすエマに、「あ、エマさん、恥かしかったんですね!」と、朗らかな声でツッコミが入る。
視線を向ければ、そこには美貌のガーデナー、モーリス・ラジアルが柔和な微笑を浮かべ「こんにちは」と手を挙げてきた。
他にも見知った顔が並んでおり、先程の感嘆の声やらの主は彼らかと、エマは漸く理解した。
「あら?」
小首を傾げ、とりあえず片手を挙げて、「こんにちは」とご挨拶。
微笑みかければ、皆、曖昧に微笑み返してきたり、一歩後ずさったりと様々な反応を見せてくれて、流石に初っ端正拳突きはアグレッシブが過ぎたかとエマなりに反省した。
黒須とは何と言っても、かなりの無沙汰を経ての邂逅である。

(ま、別段、思い出したり、会いたかったりする手合いの人間じゃないけど)
そんな心からの本音を胸中で呟きつつ見下ろす視線の先には、相変わらずゾッとする程に美しく、どこか魔性めいた引力を持つ長い黒髪と、それに相反するような、目を逸らしたくなる程の嫌悪感を掻き立てる、陰湿で、陰険めいた容貌を持つ黒須が蹲っている。

そして、玉座に座るはこの宮殿の主、リリパット・ベイブ。
真っ白な肌には一切の血の気というものを感じられず、生気のない虚ろな灰色の目を瞬かせながら、だらしなく玉座に身を埋め、エマに対し薄い唇を無気力げに開いた。

「…ようこそ」

あまりと言えば、あまりに素っ気無い一言に、即座にその胸倉を掴んで「あんた、私の事、覚えてないでしょ?!」と問い質したい気分にもなるが、じゃあ、覚えていて貰って嬉しいかといえば、若干「是非忘れていてください」と言いたいような性質の相手ゆえ「どうも〜」という、好い加減な返事を返しておく。
出来れば、こいつも私の事を忘れていてくれれば…と、何だか今回も面倒に巻き込まれた予感をひしひしと感じながら、エマは腰に手をあてた。

「本当に、久しぶりねぇ。 どう? 元気してた?」
何気ない調子で黒須に問いかければ、腹を押さえたまま「ついさっきまでは元気だったんだけどな、今は、もう、なんか、渡っちゃいけない感じの川とかが薄っすら見えてるんだが、これって生命の危機に瀕しているという事で良いんだろうか…?」と涙目で答えられ、「うん! がんばって!」と限りなく無意味な返答を返しておいた。
「で? えーっと、これは、どういう集会なのかしら?」
首を巡らせ、集っているメンバーを一人一人確認する。
いずれも、皆、興信所での仕事で顔を合わせた事のあるメンツばかりで、エマは「このメンバーが揃っているのなら、まぁ、おいそれと危険な目には合うまい」と少し安心した。
「僕も、潤と一緒にいたところをエマさんと同じく急に此処に連れてこられてしまって、詳細は分かっていないんです」
お手上げといったポーズをひらりと見せ、それから見惚れるしかないような完璧な顔立ちに、完璧な笑みを刷かせると、「でも、まぁ、エマさんに会えるなら、此処に連れて来られたのも、強ち悪い事ばかりじゃないって思えますね」と、蒼王・翼がサラリと嬉しい事を言う。
ああ、何故神は彼女を女として作りたもうたのかと嘆きたい気持ちになりつつ、それでも素直に「私も翼ちゃんに会えて嬉しいわ。 こんなトコでじゃなきゃ、もっと素直に喜べるけどね」と答えれば、「エマさんは、以前此処に?」と翼の隣に立つ夜神・潤に問いかけられた。
彼とも久しぶりに顔を合わせるのだが、アイドルという職業柄TVでその姿を頻繁に見かけているからか、その実感はない。
TVで見るより実際の方がやっぱり格好いいなぁ…等と、ミーハー極まりない事を一瞬考つつも頷けば、「それは羨ましい」と、心底といった調子でモーリスが場違いなまでに明るい声を上げる。
「このような場所、ご存知でしたのなら是非、私にも教えて欲しかったです」とモーリスに告げてられ、一歩下がり、客観的にメンツを眺めれば、よくもまぁ、これ程までにというべき程にハンサムな男性(翼は?!)が三人揃い踏んでいた。
幾ら日頃、美貌のバーゲンセールの如く男前や、美人ばかりを見慣れてる目にも、改めて「圧巻」と唸らざる得ない光景に、とりあえず、女子として、そう、基本女子として「よし!」と無意味な小さくガッツポーズを決めつつ「…いや、あの事務所いたら、この手の異空間慣れっこになっちゃって、取り立てて人に教えなきゃ!とも思えなかったし…」と軽く答える。
「貴方だって、別段、『こういう事態』に不慣れな訳じゃないでしょう?」
そう問いかければ、「まぁ、お陰さまで」とモーリスは曖昧な返事をして、ひらりと軽やかな笑みを見せた。

なんだか、その意味あり気な返答は気にならないでもないが、今はそこを追及している場合じゃないと、即効、黒須に向き直る。

「…なんだか…残念ね」

先程まで、見ていた華麗なる男性陣(だから翼は?!)から一転しての余りの落差具合に沈痛の面持ちで告げれば、よろよろと立ち上がった所だった黒須に「それで、俺にどう言えと?」と低い声で問われてしまった。
ああ、そういえば、この男とは久しぶりだったのだと、二度目の再確認を自分の中で行いつつ、それにしたって、何でこんなに月日というものが心の距離感を生まない相手なのだろうと感嘆する。
もう少し、私に遠慮ってもんを感じさせりゃあ良いのに…等と、かなり理不尽なことを考えながら、テヘっと笑って「大丈夫! 宇宙の果てとかにまで行けば、黒須さんも奇跡的に、夢の中ではモテない事もないかもしれないわよ!」とフォローなんだか、罵倒何だか、限りなく罵倒寄りだよね?な台詞をかましつつ、その背後にスタスタと回り、こめかみを両拳でがっちりロックオンした。

「で? 私が、またも改心の、これもう、ちょっと革命じゃね? 和菓子業界激震じゃね?っていう出来栄えの桜餅を事務所に差し入れ途中に拉致られた理由を教えて貰えるかしら?」と、唇をにんまりした形に裂きながら、ぐりぐりと回転させれば、「んぬああああ!!」と悲痛が響き渡る事数秒。
「説明! したくても! この、ままじゃ!無理っ!!」と最もな事を黒須が喚いた。


「で…コントは終わったのか?」
胡乱気な眼差しでベイブに言われ、何にしたって失礼な男だと、心の中で憤慨しつつも、とりあえずは頷いておく。 先程叫ぶようにしてなされた黒須から聞いた説明を頭の中で取りまとめた。
「つまり…竜子さんは三日間も一箇所に拘束されているという事なのか?」
翼の不安げな声に黒須が頷けば、唇を噛み「可哀想に…」と心からの声で呟いた。
「きっと、疲れ果ててしまっている事だろう。 こうしちゃあいられない。 出来るだけ早く助けてあげないと」
そう焦ったように言いながら、翼がツイと強い眼差しでベイブを見つめた。
「で? 彼女の居場所の手がかりは何もないのかい? その、白雪…だっけ? 鏡には、場所を特定できそうな何かは映ってないの?」
翼に問われ、ベイブは気怠けに答えた。
「映っている事は映っている。 森だ。 あと、まぁ、花やら、木の机やら、テーブルの上に広げられた甘ったるそうな菓子類やら…。 ガーデンパーティを洒落込んでいるらしい。 だが、では、その森が何処にある?と問われれば、白雪?」

呼ばれ、現れたのは真っ白な女。
真っ白なベイブの傍に突如として出現したように見える彼女は、優雅に一礼して、にっこりと笑った。
「女王は地下三階、嘆きの森にいるようです」
そう答え、微笑みながらベイブを見るも、ベイブの視線は正面に据えられたまま、彼女の方には向けられない。
(あらあらあら)
思わず掌を唇に当ててしまう。
出会ってからたった数秒。
だがその眼差しだけで、どれ程疎いものでも気付くだろう。
(この子はベイブさんの事が好きなの…ね?)
ね?の心の声と同じタイミングで、カクっと首を傾げる可愛らしい仕草を見せ、エマが(それにしたって、ベイブさん、冷たーい!)と女性視点からのブーイングをたれかけた所、白雪はベイブを見つめたまま「まぁ、このまま帰ってこないほうが、この城の平穏の為には良いかと白雪は思うのですが」とあっさり怖いことを言う。
ベイブの傍にいる女は皆憎しという所か。
思わず、スススと白雪の顔から目を逸らし、「女って…怖い…」等と己の性別を忘却の彼方に置き去りにするような感想を抱くと、彼を此処に閉じ込める要因となったアリスと良い、この白雪と良い、どうして怖い女にばかり好かれるのか、女難の相でもあるのかしらん?とエマは今現在、多分、それ、そんなに重要じゃないよね?という部分に思考を飛ばす。
エマの、「良い御祓い師紹介してあげよっかなぁ…」なんていう他所事思考を放置して、翼は「場所が特定できているなら話は早い。 黒須さん。 案内できるかい?」と黒須に話を振った。
「地下階ねぇ…。 俺も不案内だからな、あそこは。 表層には引き上げ効かねぇのか?」
不思議な言葉だと、その台詞の意味を判じかね、それから、前回此処を訪れた際に黒須から「ベイブの気分次第で扉の位置や、部屋の内装すら変わる」という信じがたい話を聞いていた事を思い出した。
つまり…「この王宮内にある全ての部屋が、ベイブさんの思うがままに姿も位置も変わるって事よね?」と、エマが口を開けば、黒須が薄く笑って「よく覚えてんな」と褒めてくれた。
「当然」
片眉を上げてそう答えれば、「それは随分と便利なお城だ」とモーリスが感嘆したような声で言う。
「じゃあ、それこそ、今いるこの王座の真向かいにでも、その部屋を呼ぶ事は出来ないのですか?」
夜神の提案にベイブは首を振り、「階層が違いすぎる」とだけ答えた。
「階層?」
重ねて問われ、「ふむ」とベイブは顎先に指を当てる。
「…つまり……、ああ、人の精神構造と同一であるという事だ」
ベイブの言葉に、皆が一様に首を傾げれば、ひらりと白く枯れ枝のようにも見える指先を動かし、まるで偏屈な教授めいた口調で語り始めた。
「人の心理の、他者からも目に見えて分かりやすい表面上の心理を表層心理、その奥にある真実の心理を深層心理と呼ぶ。 この表層の心理というものは、心理の持ち主自信が他者に対して『提示』したい、『こう見られたい』という思惑を含んだものである為、行動者本人によるコントロールが可能な心理となるが、深層の心理は、持ち主自身も把握しきれず、またコントロールが効かない場合が多々ある。 つまり『真実の想い』というのは、自分自身では操作不可能であるという事だ」
「元は考古学発祥のメタファーなんですよね? 表層・深層という隠喩は」
モーリスが流石の博識を披露すれば、ベイブは静かに頷いて、「そうだ。 そして、この城も考古学と同じく表層、つまり今我々がいる王座を含む城の上層域と、その地下部、深層階に分けられる」と答えた。
興味深く思い耳を澄ますエマの目の端に、黒須に対して何事か耳打ちしている白雪の姿が目に入る。
黒須の表情が一瞬固まり、そして唯でさえ険しい表情が更に険しくなった。
(何か、問題でもあったのかしら?)
不安に思うも、淡々と続けられるベイブの言葉の独特のリズムに引きずられ、とりあえず感じた不安は心の隅に置いて、今はベイブの話に集中する事にする。


「この城は、先程聞き及びの通り、私の意識の変化によって、その都度内部が変化を遂げる。 つまり、私の心そのものだ。 荒れれば…どうなるか、知っている者も此処にはいるだろうが、この城の内部自体が荒廃し、時に嵐が吹き荒れる」
つまり、荒れると前回に此処を訪れた時に目撃したような大騒ぎになる訳だと、あの時の事を思い出し、あわや元の世界に戻れなくなるかと戦慄した気持ちが蘇ってエマは、少しだけ身震いする。
今は、酷く落ち着いて見えるし、あの時、ベイブの狂乱の火種となったらしいデリク……真意を一切読み取らせることのない、底知れぬ魔術師…ああいった類の人間も、この面子の中にはいない。
今度は、竜子を探し出しさえすれば無事に帰れそうだと、とりあえずエマはほっと胸を撫で下ろす。

「客人を招き入れるような、『他者の目に触れる事を前提とした』この表層部分であれば、私の意識が今のように明確であればコントロールはかなり自由に出来るのだが、深層までは私自身でも、理解しきれておらぬ部分だ。 その様相が『私次第』で変わるものというのは間違いないのだが、深層域にあるものを表層まで持ち上げる事は不可能であるし…」そう説明し、黒須を見れば肩を竦め。
「ま、つまり、帽子屋ってえのは、そもそも、深層に棲む住人だったんだよ。 この城のな。 だが、こいつが不安定な時に、その隙をついて上層階でとんでもねぇ茶会を開き、混乱に拍車を掛けるもんだから、完全に深層から上に上って来れねぇように封じ込めた。 そうしたら、今度は、竜子が茶会に迷いこんじまって…」
「で、帰って来れない…と」
夜神の呆れたような声に、「…ま、生来のあいつの方向音痴プラス帽子屋の目論みも関係してんだろうけどな」と黒須は答えた。
「竜子ふん捕まえて、何を考えてんだか。 そのうち益体もねぇ、取引でも持ちかけてくんじゃねぇの?」
そう黒髪を流れ落ちるようにして揺らし首を傾げれば、「さぁて、然程に分際を弁えぬほど愚かでもあるまい」とベイブは静かに答える
「や、方向音痴と言っても、その深層…っていうのは、そんなに迷い込みやすい場所にあるのですか?」
夜神が重ねて問えば、黒須もベイブも一緒になって彼に顔を向け、声を揃えて「「いや?」」と答えた。
「まぁ、基本、人間が深層心理に他人が立ち入るのを嫌うが如く、城でも私が道を開かねば滅多に足を踏み入れる者もおらぬような階層だ」
「俺も、一度だって地下階には足を踏み入れた事ないしな」
そう答えられ、「じゃあ、なんでそんな場所に…」と呟く夜神に、「いや、それが竜子だから…」と黒須が当然のように言えば、思わずエマも、そしてその他のメンツも頷いた。
この場で竜子を知らぬのは夜神だけなので、しょうがないと言えばしょうがない反応なのだが、若干寂しげに「そんなに、凄いのか? その子の方向音痴って…。 なぁ、一体どんな子なんだ? その、竜子って子は…?」と夜神が翼に問う。
翼は、夜神を見上げると「えーっと…凄く素直で可愛い方だよ」と、微笑みながら当たり障りのない返答をした。
「ええ、それで、とても赤い特攻服がお似合いで…」
微笑みながらモーリスが言葉を続け、エマが「私の事を姐さんって呼ぶのだけは勘弁してほしいんだけどね…」と呟き、ベイブが遠くを見るような眼差しで「まぁ、総じて言えば、歩くトラブル発生装置のような姦しい小娘だ」と言葉を締めた。
「…大体分かったか?」
黒須が問えば、夜神は爽やかな笑顔を見せながら「さっぱり!」ときっぱり答える。
「まぁ、何にしろ、翼の友達なんだろ?」
夜神が問えば、翼は苦笑して「まだ、そこまでは親しくないけどね…」と言い、それから、何かを思い出すかのように、軽く瞼を閉じて、「うん、でも、彼女が困ってるなら助けてあげたいよ。 僕は、全力を尽くして」と力の篭った声で言えば、「じゃあ、竜子って子がどんな子にしろ、俺の目的も同じになる」と夜神は気負いなく答えた。

まぁ、随分仲の良いこと…と麗しい二人の様子を客観的に眺め、翼の恋人の金蝉の顔が即座に脳裏に浮かぶ。
確か、翼は男性に対して手厳しい言動が多く見受けられる所があった筈だが、この夜神に対してはかなり打ち解けているというか、かなり親密な関係に見える。
じっと眺めていれば、夜神は戯れのようにして、その金色の髪に指を遊ばせていたりして、どういう関係?と問うのも憚られるし、何にしろただでさえ面倒な事態に瀕しているのに、ここで、男女の諍いなどが起こってはもう手に負えないと、金蝉の只者でないオーラを全身から放っているような、迫力のある佇まいを思い浮かべ、彼がここにいない事に安堵する。
「その…命には別状ないのかい?」
翼が問えば「それはない」とベイブがきっぱり答え、「この城の中で、誠と竜子が『危害』を加えられる事は絶対にない」と、断言した。
「普通の人間なら、三日間の拘束はかなり消耗を強いられると思うのですが?」
モーリスが問えど、黒須はヒラヒラと手を振って、「体力に関しちゃ、若いのもあって、かなり常人じゃない域に竜子は達してるから、そこら辺はまぁ、心配いらねぇよ。 そりゃあ、疲れ果ててはいるだろうが…まぁ、それこそ、命までは取られやしねぇ」と答えた。
この二人が、なんだかんだで切羽詰ってないのはそういう理由からかと納得しながらも、逆に言い換えれば、こうやって他人に助力を求める程には厄介な事態が訪れているのだろうし、この如何にも面倒くさがりそうなベイブがこうやって自ら来客に相対し、態度はとてもそうとは見えないが、竜子の救出を頼んでくるのだから、彼にとっては、やはり竜子というのは、そうやって守るべき存在として認識されているのだろう。


「…そのような事は、絶対に許さない」

何処か思いつめたような風情すらある言葉を、ベイブはただただ、無表情に口にした。

ベイブの言葉をどう感じているのか、一瞬だけ複雑な表情を浮かべるも、エマの視線に気付いたのか、また、意味の無いニヤケた笑みを浮かべて「さ!」と黒い皮手袋を嵌めた手を打ち合わせる。
「他に、何か質問は?」
黒須の声に、皆で顔を見合わせ、翼が手を挙げた。
「最後に…そのお茶会から解放してもらえる方法
っていうものに、何か心当たりはないのかい?」
翼の問いかけに、エマも同調した。
「そう、その、どうも聞いていると随分儀式めいているというか、帽子屋さんは、帽子屋さんのルールに則ってお茶会を執り行っているようじゃない? だったら、王様として、お茶会そのものを終了させたり、もしくは新しい終了条件を作る事は出来ないのかしら?」
ベイブは目を細め、エマと翼の顔を交互に眺めて、小さく笑う。
「色々とよく考え付くものだ…」
それは、感心しているようにも聞こえる声で、素直に喜んで良いのかしらと、エマは考え込んでしまう。
一々言葉の真意を汲み取るのに思考が必要だなんて、なんて厄介な相手だろうと思っていると、ベイブが考え込んだ後に、重々しく口を開いた。
「出来ぬ事はない…が…、それを帽子屋が素直に受け取るかどうか…」とベイブは言った。
「どういう意味だ?」
翼が問う。
「つまり、帽子屋は、人の言葉を『わざと』相手が曲解するのだ。 それも、最も望まぬ方向に」
「じゃあ、もし、君が『お茶会を即刻終了しろ』と伝えたとしたら?」
「まぁ、アレの思考回路等、そうそう計り知れるものでもないのだが…この前の茶会の際、同じような事を命じた時は、アレはお茶会の終了時には参加者を『とっときの方法』で持て成すイベントを執り行うのが決まりだと言ってな、その時不幸にもお茶会に居合わせたものどもは皆、鉄板焼きにされたのであったっけな?」
ぞっとするような事をいうベイブに黒須は首を振り「いや、フィナーレの花火と一緒に打ち上げられたんじゃなかったっけ?」と、もっと恐ろしい事を言う。
「…良いです。 もう、何も帽子屋さんにはお伝えにならないで下さい」
心底の声でエマが言えば、翼もこくこくと頷く。

「どんな言葉であれ、向こうの都合の良いように捻じ曲げられるか分からない。 幾ら、命の補償はなされていても、『王の命令』の威光を笠に、竜子の命が奪われる事態が起こりえないとは断言できないのだ」
ベイブの言葉に納得したという風に頷き、「だから、どうしても、私たちで迎えに行き、竜子さんを返してもらわなきゃいけないんですね?」と、微笑みながら言うと「分かりました。 言う事聞かないとこっから出して貰えないみたいですし、何だか楽しそうな城だし、竜子さんの事も知ってる身ですからね。 ご協力いたします」とモーリスは、美しい緑の目を瞬かせながら明らかにワクワクと楽しげな声で告げ、結果それが、今そこに集っているメンバーの総意となった。

「では、出発前に、今の女王の状態を皆様にお見せします」

そう言いながら、白雪が自分の胸に両指を突き立てる。
「?!」
エマは目を見開き、その光景を凝視した。

ズ、ズズズと指先が胸部に潜り込み、顎を上げて恍惚とした表情で白雪が胸を開く。

そこには大きな楕円の鏡面が闇に浮かび上がり、こちら側に立つ者々の姿を映していた。
白雪が目を閉じる。
すると、鏡に竜子の姿が浮かび上がった。
竜子の頭上には、ぎらぎらと光る刃が吊り下げられていて、さながら処刑台の様相を見せている。
彼女の椅子の周りを、トランプの模様をプリントした服を来た小人達がぐるぐる走り回っている。
その奥には、演奏者もいないのに自立し、弦を当てられ弾かれるバイオリンの姿も見え、ぐったりとテーブルに突っ伏している竜子の姿を含め「乱痴気騒ぎ」と以外どう呼べばいいか分からない状況だった。

竜子の隣に座る、ちぐはぐで派手なタキシード姿に帽子を目深に被った男が紅茶を啜っていた。

この人が帽子屋。

その姿をエマは自分の目に焼き付ける。

不穏だった。
直感でしかない印象だが、それは確信にも似ていた。

不穏な男だった。

机の上には、砂糖細工の精緻な花々があしらわれた異常な大きさのケーキや、人型や髑髏型、ハートにわざわざ皹を入れた悪趣味な形のクッキーやら、毒々しい色合いの具材を覗かせる正体不明のミートパイ等が並んでいる。
と、同時に、机の真ん前に巨大なチェス盤が置いてあり、その上で血みどろになってチェスの駒とおぼしき人形達が闘争を繰り広げていた。

「何…これ…?」

思わず漏らしたエマの呟きは全員の同意を得るものだったのだろう。
ベイブは肩を竦め「これでも、いつもよりかは幾分かマシだ。 竜子を捕らえている分、私が常に監視している事を警戒してるのだろう」と答える。
そして、次の瞬間、翼が、翼のものとは思えないような、この世の終わりのような悲鳴じみた声で叫んだ。

「金蝉?!」

鏡を覗き込めば、若干先程より手前に引いた情景を写す鏡の中に、金色の美丈夫の姿が映りこんでいる…が…。

「…魔王?」

そう小さく呟いたモーリスの言葉に、エマは「魔王ね…魔王」と何度も頷き返す。
金蝉が腰掛けている椅子には竜子と同じく頭上に処刑用の刃。 
唯でさえ、難しい性質の男なのに、このトンチキな状況に怒りを覚えない筈はないというか、多分もう限界。
その位、全身から立ち上る怒りのオーラが凄まじく、表情と言えば、もう、多分この人、本来ならば世紀末とかに世界に降り立って人類を恐怖のずんどこに叩き落していた筈の人だよね!と断言したくなるほどに修羅めいている。

何でそんなところいるの?

「お…終わった…何もかも…。 お、終わり尽くした……」

普段は冷静な翼が床にしゃがみ込み、項垂れながらぶつぶつと呟く。
「さぁ、どうする? どうする、僕!」
そう自問自答する翼に「翼? え? 大丈夫? っていうか、何? 金蝉って、よく話してくれてる男か? なぁ、どうしたんだよ?」と心配げに問いかける夜神の声も耳に入らぬのか、暫くぶつぶつと呟き続けた数秒後、一度力強く頷いて立ち上がると、必死な声で「さぁ! 行きましょう! すぐ行きましょう! 即座に行きましょう!」と翼が訴える。
「う、うん、え? いや、行くけど…そんなに金蝉さんヤバイ状態なの?」
エマが恐る恐る問えば、虚ろな笑みを浮かべて「ていうか、もう、ヤバイ状態とか突き抜けて、既に爆発してる状態です」と答えられる。
「多分、竜子さんの事もあって我慢してくれてるんだろうけど、正直、僕の手に負える状況かどうかすら怪しいので、早く解放してあげないと…」
そこで一旦言葉を止めて「…滅びます」と告げられる言葉の、主語はないのがより恐ろしく、エマは何度も頷くと、とりあえず翼と並んで一目散に扉へと向かい始める。

「あ、おい! こら、勝手に行くな!」
「翼?!」
「あー、えっと、できればのんびり、お城の様子とか見学しながら向かいたいんですけどぉ…」

そんな男性陣の声を背にしつつ、エマと翼は必死に、お茶会会場を目指す。

「「金蝉(さん)が滅ぼす決意を決めうちに、とにかく茶会から解放させねば!!」」という、当初の目的とは全く違った必死な使命を抱いて…。




「うわぁ…! これは、大変に美しい庭だ。 ガーデナーの方は何処に?」

ここは宮殿中央にある薔薇園。
広大な面積を誇る城ならではの設備なのか、それとも、そもそも「面積」などという概念自体この城には無用で、この世界には限りなどないのか…。

エマは、気持ちを急かされつつも、その艶やかに咲き誇る薔薇に目を奪われる。

虹色の水を吹き上げる噴水に走り寄ったモーリスが何かに目を留めたかのように首を傾げた。

「デリクさん?」

そう問う声。
薔薇園に放たれているらしい、黒揚羽が一斉にヒラヒラと飛びかう中、その身にも何匹もの蝶を止まらせながらその男はいた。

真意の見えない謎めいた笑みを浮かべ、すっと優雅に一礼する。
その瞬間、彼に停まっていた蝶達がフワリと飛び立つ。
さながら、黒い羽を広げるが如く。
その姿は幻想的でありながら、何処か不吉だった。

「こんにちハ。 皆様。 ご機嫌は如何ですカ?」

微笑を浮かべるその顔を見て、黒須が何か言うより早くエマは咄嗟に叫んだ。


「帰ってえええぇぇ!」



突然の帰れコールに、さしものデリクも「はい?」と固まったまま問い返せば「そうだ! 帰って下さい!!!」と翼も叫ぶ。
この男のせいで、前回ベイブが発狂状態に陥った事を忘れていやしない。
ベイブの天敵ともいえる存在が今、ここに存在しているというのは、マズイ。 非常にマズイ! 白雪を使って、この男の姿を確認された日には、あの時の悪夢再び!という状況は免れ得ないだろう。
「かーえーれ! かーえーれ!」
咄嗟に何にノせられてかは分からないが拳を突き上げながら叫ぶ黒須を見て哀しげな表情を見せると「久しぶりニ、お会いしたのというのニ、何故か即イジメ…、しかも小学生ノリ…」とデリクは項垂れた。 が、当然、全くもってノーダメージらしいデリクは、即座に顔を上げ二コリと笑うと、「マァ、そんな事言わズ、えーと、竜子さんでしたッケ? 一緒に、助けに行きましょうヨ? ネ?」と首を傾げる。
「あー、心配だナァ! 竜子さン! きっと今頃、辛くて、辛くテ、泣いてしまっているかも知れませン! そんなの、可哀想過ぎまス」
そう両手を合わせながら言うデリクに、「な、なんて心無い」と言いつつ「大体、そもそも、なんで、そんなに今回の事情に詳しいんだ」と半眼になる黒須。
エヘッと言わんばかりの笑顔を見せると、「黒須さーン? 魔法の力は、マジカル☆ミラクル。 魔術師に不可能はないんですヨ?」と言いつつ、「えーイ」とその額を指先でツンと突いた。
(わぁ…)
エマが咄嗟に眩暈を感じて、ふらつけば、モーリスがその背中を支えてくれる。
「あ、ありがと…」
そう礼を述べれば「いえいえ」とモーリスは微笑み、「それにしても、デリクさんは、上手に黒須さんを虐めますねぇ…。 勉強になります」と意味の分からない事を言う。
ああ、そう言えば、この人も真意などちっとも読めない相手であったと、もう、既に疲れきりながら「へえ…それは…良かったわね」とおざなりな返事をすると、此処に来て漸く自分が何故、あれ程までに黒須に待ち望まれていたかを理解した。

つまり、この、大概手に負えない異能者達との間に立つ緩衝材として私を呼んだのね…。

そりゃあ、確かに事務所勤めしている関係もあって、エマは事務所に集う人間とは友好関係を築けている。 黒須とも、なんだかんだで会話が弾むのは、心から認めたくないながらも、そこそこ気の合う部分もあるのだろう。 そのせいで、こんなトラブルに巻き込まれるとは…と思いつつも、一旦この件に深く関わると決めたら、性質的には潔く、思い切りの言い所のあるエマは「まぁ、しゃあないわね」と即座に考えを切り替える。

「黒須さん! 黒須さん!」

モーリスに名を呼ばれ「んだよ」と不機嫌そうに振り返る黒須に、「良かったですね! こんなに虐めてくれる人がたくさん集まって」と、無邪気な声でモーリスが告げると、もう涙目になりながら「意味が分からない!」と黒須は叫んだ。

「ア! 止めて下さいヨー? 私の言葉で変態的欲求を満たそうとするのハ!」
腰に手を当てて、プンプンといった調子で告げるデリクに、「駄目ですよ! デリクさん。 黒須さんは今傷心なんです。 ご主人様に会えなくて、ストレス過多なんです。 毛髪ズル剥け直前なんです。 だから労わって虐めてあげないと」とモーリスが声を掛ける。
「アア! それは思い至らズ、失礼致しましタ、このオス蛇! オス蛇なら、オス蛇らしく、大人しく、私の言う事を聞いていたら良いんですヨ!」
「わぁ! お上手です! 筋が良いです! さぁ、どうですか? 下等なオス蛇さん!」
「うっかり、死にたいわ!!!!!」

絶叫に近い声で叫ぶ黒須。

あ、最強だ。 何気に最強だ。 この二人揃ったら最強だ。

エマは余りに阿呆なやり取りに頭痛を覚えしゃがみ込みたい気分に襲われた。
夜神は、「何というか…無残という言葉がぴったりな状態だな…」と呟き、何がなんだか分からないながらに、黒須を哀れに思ったのだろう。
とりあえず両手を合わせて、黒須を哀悼の意を表している。

渦中の黒須はといえば髪を掻き毟りながら、「うがあああ! は ら た つ !」と喚き散らしている。
「だからネ?」
突然言葉を切り、ツイと自分を指差すと、「適任だと思いますヨ? 帽子屋さんには私のような人間ガ相手をするのが一番でス」と自信たっぷりにデリクが告げる。
「欺く言葉、惑わす言葉、言葉、言葉、言葉! さて、帽子屋さン! どれ程私を、楽しませてくれるでしょうカ? 楽しみだナァ! お会いするのガ」とはしゃいだ声で言うデリクに「確かにお前が適任だ。 あいつの言葉の煙に巻かれぬようせいぜい気張ってくれ」と黒須は言えば、「了解でス! ついでと言ってはナンですガ、噂の『白雪』嬢にも会わせて頂けませんカ?」と更に言葉を重ねた。
「白雪に…? 何が望みだ」
「……ちょっと、私の未来の姿なんかをネ、見せて頂きたいなァと、考えましテ」
微笑みながら言うデリクに溜息を吐き「別にいいぜ。 全部済んだ後で良いなら、会わせてやる。 その代わり帽子屋は頼んだぞ?」と黒須は答えた。
手を打ち合わせ「ありがとうございまス! どうせだったラ、もっとサービスで虐めてあげましょうカ?」と問いかけるデリクに、「結構です!」と即座に黒須は答え、此処までのやり取りで苛々も限界に達していたのだろう「もう…良いね? 行くよ?」と低い声で唸るように言う翼に、慌ててエマも、皆も頷いた。


「でも…良いの? それこそ、デリクさんの姿、白雪さんを通してベイブさんに見られでもしたら…」
そう不安を口にするエマ。
翼も足早に廊下を急ぎつつ「そうだよ。 大丈夫なのか? 前のような騒ぎはもう、御免だよ?」と厳しい口調で言う。
「ああ、そりゃあ、心配ねぇ。 白雪は、全てを見通す鏡だ。 この城の全てだって勿論把握してる。 文字通り、その全てをな。 あの魔術師の侵入にだって当然気付いていた。 白雪は、ベイブにあいつの姿を映して見せはしないさ」
黒須の確信を持った言葉に、王座で白雪から受けていた耳打ちの内容はコレか…とエマは得心がいき「だったら、良いんだけど…」と、渋々と頷いた。
しかし、デリクだけ映さない等とそんな器用な事が出来るのか、デリクと共にこれから行動するのに、デリクだけ姿を映さないでいて、ベイブに不自然さを察知されないのか、気になる点が多々ある。
「うーむ、奥が深いわ。 千年王宮」
そう呟けば、「これ以上深く関わるもの怖い気がしますね…」と翼が呟いた。
それは時に大胆で、不敵な所のある彼女にしては気弱な言葉で、その顔を覗き込めば、複雑な表情をしている。
足早に急ぐ彼女の焦りは、金蝉の事のみならず、この城そのものにも関係しているような気がした。
「ま、俺も、霧華の事がなかったら、関わろうたぁ思わねぇ城だな」
黒須が呟けば、翼は、何か言いたげに彼を見上げ、そして首を振り、俯いた。
黒須が笑う。
「優しいヤツだな、あんた」
エマは黒須の言葉の意味を受け取り損ね、意味も分からず、それでも、何処か急かされるような気持ちで言った。
「そうよ、翼ちゃんは、凄く、凄く優しい子よ。 当然じゃない」
エマの言葉に翼は、益々深く俯く。
「…急がないと」
小さく呟く翼の言葉の響きが、儚い。
一度だけ、翼がこちらを見た。
いつもの、美少年めいた凛とした表情ではなく、ひどく脆い、硝子めいた少女の顔をしていて、エマは始めて見る、そんな翼の表情に目を見開き、そして思わず彼女に手を伸ばしかけて、どうすれば良いか分からずに彷徨わせた手で、黒須の髪を強く引っ張った。

「んぎゃ!」

濁った悲鳴を上げる黒須を、じっと見る。
「んだよ」
凄まれて、エマは眉根を下げた。
自分でも分からない。
けれど、何だか翼が今苦しんでいて、その苦しみは自分ではどうすることも出来ないのだと言う事が分っていたから、エマは困るしかなかった。
黒須は肩を竦めて、小さく笑って言った。
「あんたも、優しいヤツだ」
この男は、何だか何もかもを分っているような口を利くので、時々心底腹立たしいと、心から思い、エマはもう一度、その髪を強く引いた。



中央大広間。

そびえ立つ。二階へと続く薔薇の意匠が施された白亜の螺旋階段を、圧倒されるような気持ちでエマは見上げる。

「この城の地上階。 つまり表層階域は、大体五階まである」
「大体?」
夜神の疑問の声に、「一度、地上200階建てになっていた事があってな…」
ひっひひひ…と不気味な笑い声を肩を震わせながら漏らす黒須。
「200階…高層ビル並ね…」
エマが呟けば、「わァ! 土地価格高騰の時代に何とも羨ましい話でス」とデリクが手を打った。
「何処が、羨ましいものか! もー、大変だぞ! 俺と竜子の部屋、1階にあって、あの腐れ殿様がおわす玉座200階な! 登るの! 俺達が! この階段を! しかも、あいつ、すげー、アホな事に、エレベーターとか、ゴンドラとか! そういうなんか、俺達を自動的に上に運ぶ装置一切思いついてなくて! そんで、やっと登りきったら『外が見えないなら、高い場所にいてもつまらんもんだな』って、ほんと、バカじゃねぇの?! バカじゃねぇの?!(二度目) 俺、基本的に、一時間に一回はぼんやりと、『あー、あいつ、ほんとに死なねーかなー』ってベイブの事を考えんだけど、あの時は、二分に一回考えた! 二分に一回『死ね!』って、竜子と一緒に叫んでた!」
ヒステリックに叫ぶ黒須に、先程聞いた話ではないが、こんな城に住むのは、常人の身では辛かろうとエマも少々同情する。

「で、時たま、此処の階数を気まぐれに高くしたりしちゃうあいつに、二人がかりで頼み込んで備え付けて貰った装置がこいつ」

そう言いながら、黒須が螺旋階段の吹き抜け部分真下。
これまた大きな薔薇の紋章が描かれている絨毯部分に立ち、「あー、ちょっと俺の周り集合」と声を掛けてくる。
パラパラと黒須の周囲に立つ面々を見回し、「ん」と小さく頷くと、突然一度「ドン!」と強く足を踏み鳴らした。

その瞬間金色の正方形の柵がせり上がり、四方を取り囲む。
天井から、同じく金色の鎖が垂れ下がってくるのを黒須は確認すると「潜る」と一言宣言して、ぐいと鎖を強く引いた。
その瞬間、三半規管の弱いものなら眩暈を覚えるほどのスピードで柵に囲まれている部分の床が、沈む。

「っ!」

金色の柵の向こう側の景色が猛スピードで駆け上がっていくようだった。

「ここら辺だろ」

そう言いながら黒須がぐいと再び金色の鎖を引けば、チンと涼やかな鐘の音。
せり上がってきた時と同じく、金色の柵が静かに沈んでいく。

「う…わ…」

誰かが息を呑む声が聞こえた。

エマも咄嗟に何も言えずに感嘆の声を漏らす。

青色のステンドグラス。
天井も、床も、壁も全てステンドグラスで出来ている。
その全てに精緻な花や、聖人の絵が描かれており、エマはその青く統一された色彩から、ランス大聖堂のシャガールのステンドグラスを思い出した。


深い澄んだ深海の底に沈んでいるような気持ちになる。
天井には教会などで天井近くに嵌められている明り取りの為の円形の薔薇窓が連なっていた。
何処までも青く透き通った、ほの暗い世界。

ここが、この城の、ベイブの心の深層。

なんて暗い…
なんて澄んだ…
なんて…なんて…

息を吸い込む。
空気が重い。

肺が、ずんと空気の重みに少し沈んだような心地さえ覚える。
それほどに、この空間は見るものを圧倒させる荘厳さを有していた。

四方全てがガラスで出来たホールを見回し「まぁ、あいつは落ち着いてやがんだよ。 今のトコは」と言いながら胡乱気な眼差しでデリクを見れば、「にこ」と音がしそうな笑みを浮かべて「大丈夫でス。 ベイブさんに見つかラないよう、大人しくしてますヨ」と大絶賛信用ならない声で請け負った。

天井からぶら下がっている巨大なシャンデリアが煌々とした光を放っている。
黒須が歩き出せば、壁に配置されているガラスの燭台にもその後を追うようにして灯りが灯り始めた。

「さぁて、こっからが面倒だ」

黒須が少し気合の入った声で告げる。
「分ってるのは、この階層の「何処か」に、乱痴気騒ぎの会場があるってぇ事だけ。 白雪の見立てでは中央部分にあるとは言ってたが、何にしろ、道筋なんか毎日変わるこの城だ。 果たして、この階層の中央部にどう道を行けば辿り着けるかはとんと分からねぇ。 さぁて、どうしよう?」

黒須の言葉に、翼が美しい形の手を挙げて「一応、風に聞いて部屋の場所を探ってみよう。 ただ、地下階にある上『外界』のない世界だから、非常に微弱な風しか感じられない。 僕は僕で探り探り行く事になると思うから…」と言えば、続けて「じゃア、大変迷いやすい城ノ構造を考えるニ、6人でゾロゾロと動き回るより、少人数に分かれて探索した方ガ効率が良いかモしれまセン」とデリクが提案する。
「黒須さんは、この城の内部について、俺達より詳しいですよね?」
夜神の問いかけに頷いて、「ま、一応住んでるし、な」と黒須は答えた。
「どの道を行っても、このホールまで確実に戻って来れますか?」
「ああ。 こいつが…」
そう言いながら、飾台を指差し「俺の行った道には灯るようになってる。 つまり…」と黒須が最後まで言い終わる前に「ああ、では、灯りを逆に辿れば…」とモーリスが頷き、黒須は肩を竦めて「ま、そういうこった」と言葉を締めた。
「では、二手に分かれましょう。 俺は、一度行った道は忘れない。 翼と一緒に行って、中央部らしき場所に辿り着いたら、また逆を辿りこのロビーに戻ります」
「了解。 じゃあ…」
「あ、私、翼ちゃん達と一緒に行く」
ひらひらとエマは手を挙げながらそう宣言すれば、「何でだよ」と黒須が半眼になって問うてきた。
「だって…何かあった時、この二人と一緒の方が心強いし…」とそこで言葉を切り、残った、モーリス&デリクの二人を交互に眺め、先程の薔薇園で見た手に負えない状況を思い出して、「…この組み合わせのが、絶対面白いもの」とぐっと握り拳。
何にしろ、緩衝材として、こんな面倒事に巻き込まれたその事態に対しては、復讐の権利はあるんではないだろうか?と思ってのあえての発言である。
思う存分翻弄されるがよいわ!と高笑いの一つでもかましたいような気持ちになりながら満面の笑みを浮かべれば、黒須は一度、静かな顔になって背後を振り返り、黒須の視線を受けて、何故か意味無く揃ってピースサインとかを出したりするモーリスとデリクの顔を眺めて「嫌だあああああ!」と絶叫した。

「無理!! 色々、無理!!!」
そう叫び、がしっとエマの腕を掴もうとする黒須を、絶対零度的冷たさで跳ね除ける。

「ガンバッテ☆」
舌をちょろっと出し、あまつさえウィンクまでかます、エマ的にも滅多にないはしゃぎポーズを見せた後、「分りましタ! では、黒須さン、案内をお願いしまス」、「ほらほら、ぼさっとしてると置いてきますよ?」と、二人に言われながらガシッと両側から腕を捕まれ、ずるずるずると引きずられだす黒須。

「もう、自分の足で歩かないと、文字通り首に縄着けて引っ張りますよ? 窒息するまで! わぁ! なんて、サービスが良いんだろう、私って!」
「ああ、丁度首輪も着けられテますし、それは、良いアイデアですネ!」と、あからさまに「黒須可哀想…」な会話を交わしつつ廊下の先へと消えていく三人を小さく手を振って見送るエマ。
その微笑みは、陽だまりのような暖かさに満ちていたが、見送るものがものなので、一言で言うならば場違いだ。
「さて、私たちも行きますか!」と笑顔で二人に声を掛ければ、「エマさんって…」と、そこまで言って夜神が口を噤む。
翼は、最早そういうエマの性質を知り尽くしているのだろう。
「先を急ごう」と何でもないように声を掛けて先に立って歩き出し、夜神は今度は「女って…」と呟いていた。


エマが、この二人との同行を望んだ理由は黒須への意趣返し以外にも勿論ある。
この二人の関係が気になるのもあるし、翼がなんだか元気がないのだって気になるのだ。
主がいい加減な事務所の事務員なんてのを長年やっていると、どうしたって世話好きな性格になってしまう。
そりゃあ、隠しておきたい領域にまでズカズカ踏み込む気はサラサラないが、どうして落ち込んでるかなんて分からなくても、元気のない相手を笑顔にする事が出来る事を、エマはようく知っていた。
黒須が言った言葉を思い出す。

「あんたも、優しいヤツだ」

どうだか?
エマは心の中で苦笑した。
ただの性分よ。
そう嘯いて、翼のあとをついて歩く。
「しかし…綺麗なもんだなぁ…」
辺りを見回しながら夜神が呟く。
「ほんとね。 ほら、あのステンドグラスなんか、ほんとに細かい絵が…」
エマがそこまで呟いた所で、ステンドグラスに描かれていた蝶の絵がキラキラのガラスの羽をはためかせ、その近くに描かれている花に停まる姿を目撃する。
「…あー」
「動きましたね」
夜神の存外に冷静な声に、エマも冷静に頷いて、「そういえば、この城に飾ってある絵とかも動くのよ」と夜神に言った。
前回の訪問で驚くだけ、驚き尽くしたのだ。
もう、この不思議城で驚くことはあるまいと、タカを括る。
「そうなんですか? ああ、じゃあ、是非見せて貰わないと」
夜神は、期待を含んだ声で言い、「前に此処に来た時に翼も、見たのか? 動く絵を」と問えば、足早に歩きながらも、風とコンタクトを取っていたらしい翼が慌てたように振り返り「え?」と首を傾げた。
「…ああ、邪魔をしたか?」
気遣わしげに夜神が問えば、その表情に翼も思うところがあったのか、「いや」と首を振り、「ちょっと…余裕をなくしてた」と小さく笑う。
すると、そんな翼の心理状況を表すが如く、その両脇にあるステンドグラスに、硝子の雨の絵がシトシトと降り始める。
「…好きじゃないんだ。 ここ」
翼が言えば、夜神は「ふうん」と気のないような返事をし、あたりを見回して、「そうなのか」とだけ答えた。
「なんだか、この城とは合わない。 きっと、金蝉もだ。 早く…助けてあげないと…」
翼の言葉に、夜神は無表情のままポケットに手を突っ込み、少し背を曲げて翼の顔を覗き込む。
「大事なんだな。 金蝉が」
翼は表情を変えずに夜神を見返す。
だが、その足元から、一輪の硝子の花が突如芽を出し、すくすくと茎を伸ばし始めた。
「…大事だよ」
翼はそう答え、その咲き始めた花を見下ろす。
見る見る硝子の茎を伸ばした花は、そっと翼に寄り添うように立ち、凛と首を上げて白い色をしたガラスの蕾をつけた。
エマは、二人の会話に口を挟むことも出来ず、そっと硝子の壁に寄りかかる。
花に停まっていた蝶が、今度は、エマの傍へとふらふらと飛びながら寄ってきて、その肩口で羽を休めた。

「何が、そんなに気に入らない? 理由があるんだろう」
翼が目を見開く。
夜神が手を伸ばし、その頭を優しく撫でた。
「俺が、翼の事を分らない筈ないじゃないか。 言ってくれよ。 なんだか、細い糸を強く張ってるみたいだ。 今にも、千切れてしまいそう見えて心配でたまらないんだ。 俺は勿論だし、エマさんだってきっと話を聞いてくれる」 
夜神の言葉に「とーぜん」と言いながら手を振って、エマは、「でも、無理に喋らなくてもいいの。 言いたい事だけ言ってよ。 自分が楽になれる方法を一生懸命考えて、私たちが手伝える事があるなら言って頂戴?」と言葉を続ける。
夜神も頷いて、「つまり、翼。 俺も、そしてエマさんも、翼の力になりたいんだ」と言えば、翼は美しい顔にまるで子供のような、頼りない子供のような、寄る辺のない子供のような表情を浮かべて、「なぁ…潤。 優しいってどういう事だろう」と唐突に聞いた。
夜神は、その突拍子もない問いかけに「強いって事だよ」と即座に答えた。
翼が手を伸ばし、夜神の服の裾を掴む。


「じゃあ、僕は優しくないんだ」

「どうして?」
「強くないから」


夜神は、指が真っ白になる程に強く自分の服の裾を握り締めている掌にそっと自分の掌を重ねた。
「この城は時が止まってるんだ。 千年後、ベイブが呪いから解放され息絶え、滅ぶその日まで、この城の中では時間が流れない。 つまりね、この城に囚われている竜子さんも、黒須さんも同じ運命を辿るって事だよ」

翼が、掠れた声で言った。

エマは、その言葉に、自分でも思いがけないほどの衝撃を受けた。

「え…ねぇ…それって…つまり…、あの人達…千年もの間…」
「死ねないんですよ」
翼がきっぱりとした声でエマに言う。

「この城から出ている間は、時間の経過の影響を肉体も受けるらしいのだけど、この城の中にいる限り彼らは一切『老いない』」

夜神は、翼の手を握り締めたまま何も言わずにじっとその顔を見下ろしている。

「知らなければ…ねぇ…」

翼は小さな笑い声をあげた。

「知らなければ…きっと、そのままで…いられるのだけど、知ってしまうと…どうしてもやりきれなくなるね。 こういう事は。 竜子さんも、黒須さんも『普通』なんだ。 呆れる位に。 『人間』なんだ。 どうなんだろう? 千年。 分んないや。 彼らにとって、その時間が苦痛なのかどうかが。 僕、『普通』じゃないから。 分んないや」

エマの肩に停まっている蝶が、ふいに壁から抜け出し、そして翼の足元に咲く花へひらひらと飛んでいく。
硝子の羽。
キラキラと反射し、光の奇跡が三人の間を飛び回る。

「僕には、どうしようもない。 そんな事分ってる。 だから、ここは嫌いだ」

千年。 自分ならどうだろう? エマは考える。
不老不死や、考えられないほどの悠久の時を生きてきた異能者と合間見えた事は何度もあるし、実際事務所を訪れる者の中には、人間の範疇に納まらぬものもたくさんいる。

そういった者達の大半は、己が「そういう生き物」として生れ落ちた事を享受し、然程疑問を抱かずに長い時を生きているように見えた。
だから、エマも、「そういうものなのだ」と深く観賞せず、疑問を投げかける事もなく、同じ時代を生きている者として相対出来てきたのだ。

だが、黒須は…竜子はどうなのだろう?

エマは考える。

自分ならどうなのだろう?

分らなかった。 想像したこともなかった。
千年の命。

「…大丈夫」

夜神は言った。

「大丈夫。 それが、彼らの選んだ道だろう?」

厳しい位の、だが力強い声。
「後悔はきっとしない。 覚悟はあった筈だ。 『普通』でいられない覚悟が。 だから、翼が悲しむことはない。 大丈夫。 彼らは、彼らの強さがあるんだ。 それでも、もし、彼らが真実を知り、本気で救われたいと願い、翼に助けを求めてきて、翼が彼らを呪いから解き放ってやりたいと願うのなら…その時は全力を尽くせば良い。 勿論その時は、俺だって出来る限りの事はする。 だから、もう、そう決めてしまえば良いじゃないか」
アイドルという職業の浮わっついた印象からはかけ離れた、説得力のある、力強い言葉だった。
エマも、先程ざわりと不穏な音を立てた自分の心の波がゆっくりと凪いでいくのを感じる。
夜神のいる業界とて、外側から見るだけでは分らぬほどに、きっと根性や度胸、覚悟のいる場所なのだろう。
そういう場所で、トップと名前に冠が着くような地位を守っているのだ。
きっと、彼自身、外見の華やかさからは想像のつかないような芯の強さを有しているに違いない。


エマは壁にもたれていた体を起こし「それに、多分黒須さんはもう知ってるわ。 自分に科せられた呪いを」と言った。
翼との会話。
あれは、何もかも分っている者だからこそ言えた台詞だった。
翼も頷く。
「なんだか、僕が慰められたみたいな形になって…」
そこまで言って、ふっと肩の力を抜くと、悪戯っぽい笑みを見せて「ちょっと、気に入らないです」と明るい声で言った。
エマも「んふふ」と笑い声をあげ「そうね、気に入らないわよねぇ? 心配してあげてるのに、余裕っぽく振舞っちゃって、ねぇ? いいの、いいの。 あの人好きでこの城にいるんだもの。 それに、全くのバカって訳じゃない人よ。 大事にしてる竜子ちゃんの事だって考えてるわよ。 大丈夫。 そう、大丈夫」と明るい声で言い、パタパタと歩み寄る。

ふと目を向ければ、蝶が止まる花がいつの間にか開花していた。
真っ白な硝子の花。
美しいその造詣に目を細め「翼のようだ」とエマは思う。
凛とした、気高い花。


夜神も、同じように感じたのだろう。
綺麗な指先を伸ばし、そっと、その花を愛しげに撫でる。


その瞬間。


花が、血のように紅く染まり。


そして、カシャンと硬質な音を立てて砕け散った。



目を見開く。
三人とも、赤い破片が散らばる床をじっと見ていた。
花に停まっていた蝶がまた羽ばたいていく。


「…行こう」

翼が何事も起こらなかったと言わんばかりの声で言った。

エマは、この二人の間柄にも、何か不吉なものを感じ、これ以上何も知りたくないと思って、急かされるようにして頷いた。


「多分此処です」

随分苦労したようだが、執念めいた集中力で持って翼が導いてくれたその場所は、硝子で出来た青い薔薇が咲き乱れた広間だった。

円形の広間は十字の硝子の通路が引かれ、その脇を飾るようにして薔薇が咲いている。
薔薇の咲いている床部は澄んだ水が張られていて、ひやりと広間に満ちる温度は低い。
覗き込めば、サファイヤの如き色合いをした、美しい水の中、薔薇の茎部の間をすり抜けるように、真っ青な硝子で出来た小さな魚達が泳いでいる。

中央部には、大きな扉が一つそびえ立っていた。
裏側にまわってみても何もない硝子の扉。
だが、翼はその扉を開けた向こうで竜子が囚われているお茶会が開かれている事に対し確信を持っているらしく、夜神を振り返り「道、覚えられた?」と問うていた。
夜神は、自信たっぷりに頷き「じゃあ、戻りましょう」とエマにも声を掛ける。
余りに「壊れやすい物」に満ちた、青い硝子の情景が恐ろしいような気がして、美しすぎて不安感を覚えていたエマは慌てて頷くと、翼と交代し先頭を立って歩き始めた夜神の後を慌てて追った。


「…つ…かれた」

最初にゴンドラで降り立った広間にて、膝を抱えて蹲り呻く黒須と、その黒須の髪を無意味に三つ編みにしていたモーリスの姿を見て、何故か安堵するエマ。
「よぉ。 見つかったか?」
黒須に問われるも「いや、うん、その前に、なんなの、それは?」とごく冷静に呟きながら指差す先には、何故か黒須の頭から生えた硝子の花。
ピョコンピョコンと人を馬鹿にするかのように揺れる花を眺めていて半眼になりつつ全くのバカじゃない等と翼たちの前では評したが、この姿は馬鹿者以外の何者でもないと呆れつつ、頭から花を生やしている黒須をなんだか腹立たしいような気持ちで見下ろす。

「……色々あったんだよ」

何事か言おうとして諦めたのだろう。
そう纏めた黒須の頭にひょいと手を伸ばし「えい」と平静な声で呟きつつ、その花を「ぶち」と抜いてやる。
「っ…ぎゃあああ!!!」
叫ぶ黒須を放置し抜いた花を眺めれば、仔細を観察するより早くカシャンと砕け散ってしまった。
「何をするんだぁ!!」と、痛かったのか、頭を押さえながら叫ぶ黒須に「いや、目障りだったから」と真顔で答える。
「アアアア…クリスティーヌ…」
何故か、そう嘆くような声を上げるモーリスを見れば、哀しげに黒須の頭に手を伸ばしていて、あの花の名前はそうかクリステーヌなのか、うん、どうでもいい!と投げ遣りな気分になりつつ、向こうチームは向こうチームで、想像を絶するような事があったのだろうなぁ、ああ向こうに着いてかなくて良かった☆と心の底から思う。
夜神は、もう、このトンチキ騒ぎに口を出すことは一切控えようと賢明な判断を下していたのだろう。
騒ぎが一段落した所で「じゃあ、案内します」と声を掛ける。
「んあ。 頼むわ」と間の抜けた声で返事しつつ「どっこいせっと」と如何にもおっさん臭い掛け声をかけつつ立ち上がった黒須は、「さぁて、漸く女王様にご対面できるって訳か」と言いつつ、肩に手を当て、首をコキリと鳴らした。


夜神の正確な道案内のもと、中央広間に辿り着く。

「こりゃあ、是がねぇと開かねぇな…」と呟いて、黒須は胸ポケットから「薬指」を取り出した。
黒須の殺されてしまった妻。 霧華の指。

ぎっと鍵穴に差込捻れば、そのまま独りでに扉が開け放たれる。

その瞬間、青い硝子の薔薇の花弁が風もないのに舞い上がり、まるで、足を踏み入れるのを防ごうとするかのようにその鋭い花弁をエマ達に降り注がれた。
「っ! 走れ!」
黒須の声を合図に、皆一斉に扉の中へと飛び込む。
無数の硝子の煌きを背後に、足を踏み入れたその情景は、白雪が見せていてくれたものと全く同じ、新緑の色深い森の姿だった。


「ようこそ!」


人を嘲るような、朗らかなのに油断ならぬ声。
声がする方に顔を向ければ、そこには帽子屋が立っていた。

「ひい、ふう、みぃ…嬉や、嬉し! 是ほどのお客人は珍しい! しかも、ジャバウォッキーやっと来てくれた! アンタはホントに罪な男さ! 何度も招待状は送っていただろう?」

そう言いながら何処か猟奇的ですらある声音で黒須を詰る帽子屋に対し「へっ」と鼻を鳴らすと、「毎回毎回、贈り物と称して趣味の悪いもんまで一緒に送りつけやがって。 あんな招待状で誘い込まれる奴なんざいるかよ」と告げる。
黒須の声に反応して顔を上げた竜子が、顔をくしゃくしゃに歪め「誠!」とその名を呼んだ。
「待たせたな」
ひらひらと手を振る黒須に「馬鹿野郎! おせーんだよ!!」と竜子が喚く。
「お陰でアタイの体の節々はもう限界だ! 老人だ! 老人と海だ! うん! 疲れすぎてて、意味が分からない! あと、もう、精神的にも限界越え! だって、怖いし!! 隣に座ってる人怖いしぃぃぃ!!」
指差しつつ怒鳴る竜子に「う る せ ぇ」と地獄の底ボイスで答えた金蝉は、ふいとこちらに視線を向け翼の姿を見止めると益々眉根を寄せた。
「…随分とご機嫌で」
翼がそういえば、「おかげさまでな」と、険しい表情のまま獣が唸るような声で答える。

そして、そのまま翼のすぐ隣に立つ夜神の姿を見ると、「あれ? ここ、アラスカ?」と問いかけたい程に、金蝉の周りの温度が冷えこんだような気がした。
金蝉が口を開くより早く、帽子屋が嬉しげに声を張り上げる。

「相変わらずジャバウォッキーはつれないなぁ! つれない、つれない! まぁ、いいや。 今は麗しきお客人を招いているからね」
そう帽子屋が言い指し示すテーブルには、竜子と金蝉の他にもう一人。


「デリク! あら、残念。 とうとう見つかってしまったみたい! 帽子屋! ねえ、このスコーンと、マカロンを包んで頂戴? あと、ストロベリーとクランベリーのジャムはそれぞれ瓶詰めにしてね? 瓶には薔薇色のリボンと、桜色のリボンを結んでそれぞれ区別がつくようにしなさい」
そう傲慢なのに愛らしい声で帽子屋に命じている人形めいた美しい少女が、こちらを向いてにこりと微笑む。
「ごきげんよう! お前達!」
ウラ・フレンツヒェンは高らかに告げ「クヒッ」と引き攣った声で笑った。
「ああ、ウラ! また、こんな所に一人で遊びに来テ!」と言いながらスタスタと帽子屋の脇を抜け、デリクがウラの元へと歩み寄る。
「危ない目に合ってモ、知りませんヨ?」
そう言いながら手を伸ばせば、その手をピシャリと叩き落とし「デリーィク! 減点だわ、その口の聞き方! また子ども扱いね? いつになったらデリクにとって私は一人前にレィディになれるのかしら?」とウラは不機嫌そうに頬を膨らませる。
「その点帽子屋は紳士よ? ヒヒッ、ねぇ、お前達、音楽を変えて頂戴。 辛気臭いのはイヤ! 華々しい音楽に変えて? そうね…ドヴォルザーク! それも、謝肉祭がよくってよ?」

昂然とした言葉。
だが、ウラの佇まいはその我が儘をどうしたって叶えてやりたくなるような、そんな魅力に満ち溢れている。
帽子屋が「仰せのままに、お嬢様」と笑みを含んだ声で了承し、ふいと指をひらめかせば無人の楽団がまさにお祭り騒ぎと言って良い、派手な音を奏で始めた。
目を細め満足げに頷きながら薔薇の花弁が浮かぶ紅茶を口にし、ウラは「さぁ、お前達も席に着けば良いじゃない? スコーンは焼き立て、サンドイッチには、新鮮なスモークサーモン、お茶は摘み立ての薔薇の香りよ? 味合わない手はないわ?」と告げる。
「お褒めに預かり恐悦至極。 シェフにも、お嬢様のお言葉を伝えさせてもらいまさぁ」と帽子屋はにいっと牙のような歯を剥き出して答えた。
デリクは、目を細めて「随分とウラに良くしていただいたみたいデ、ありがとうございマス」と礼を述べる。
「いえいえ。 おいら達も、美味しそ…っと、いやいや、可愛らしいお嬢様とお喋りができて、こんなに楽しい時間は滅多とない!と喜んでいる次第。 さぁて、旦那様も席にお掛けなさいな。 あぁたは、どんな椅子がお好みで?」
帽子屋がパチンと指を鳴らせば、「トットット」と音を立てて、幾つもの椅子がその四つの足を交互に動かし走り寄ってきた。

「オディール、ガゼット、エカテリーナ、メヌエ、ジョセフィーヌ! さぁ、並んだ、並んだ、別嬪さん達!」
そう呼ばれた椅子たちは、それぞれ全く違うタイプで、樫の木で出来た重厚な椅子もあれば、革張りで如何にも座り心地の良さそうな椅子、近代デザイナーが手がけているようなインテリアとしても通用しそうなお洒落な椅子等々がピッと行儀良くお茶菓子の並ぶ長テーブルの周りに並ぶ。

「さぁて、お客人方好きな子を選んで下さいな」

首を傾げて問う帽子屋に竜子が「お前、今度は何考えてんだよ?」と唸り声を上げる。
「また、妙な仕掛けがあんだろ? どうせ、この椅子みてぇにな!」
竜子の怒鳴り声に帽子屋は肩を竦め「まさか、まさか、女王様? どうして、おいらの事をそんなに疑うようになっちまったんだろう?」とわざとらしい嘆きの声をあげる。
だが、金蝉や竜子の状況を鑑みても、この椅子達にも何らかの仕掛けがあると考えるのが普通だろう。
同じ考えに至っているのか、エマ以外の面々も決して椅子に座ろうとはしない。
「何にしろ、このお茶会から女王様を帰して欲しいのならば、お客人としておいらにもてなしさせて貰うか…そうさなぁ…ジャバウォッキー?」
掛けられた声に、黒須が顔を向ければ、「あんたが、女王様の代わりに此処に客として残るかい? それでもおいらは一向に構わないぜ? 素敵な時間を約束してやるよ」と、言いながら黒須へと歩み寄る。

帽子屋の声は、あながち冗談ではない偏執めいた響きがあり、どんな「素敵な時間」が繰り広げられるのか想像するだけで寒気がする。 猟奇的嗜好の強い帽子屋の事だ。 竜子に対してはそれでも、未だ危害めいたものは加えてないが、黒須に対してもその態度が守られるとは言動からも到底思えなかった。 
前回訪れた時に出くわした「道化師」といい、黒須はこの城の一部の住人から「熱狂的」に憎まれている事をエマは朧気に察する。
(人間関係構築するの確かにあんまり上手じゃなさそうだけど、それにしたって、黒須さん、どんな友好関係築いているのかしら?)
そう思えども、では自分が目の前にいる帽子屋と良好な関係が築けるかと問われれば「絶対無理」と即答できるわけで、やはり色々な意味で住み難い城だと他人事として考える。

黒須は自分のすぐ目の前に立つ帽子屋の、己よりも頭一つ分低い場所にある顔を見下ろして「さぁて…、竜子どうするよ? お前の身代わりに俺に残れだとよ」と声を出した。
竜子が間髪入れずに叫んだ。


「誠はやらない!」


怒りに満ちたその声は明瞭な響きを持って、エマの鼓膜を震わせる。
黒須は唇を捻じ曲げキュウッと目を細めた。
その表情は、幸福そうにも見えたし、哀しそうにも見えた。

「だとよ。 女王様の仰せだ。 ただの『門番』には逆らえねぇよ」
帽子屋は黒須をじいっと見上げて首を振る。

「そりゃあ、どうかな? ジャバウォッキー! あんたは、おいらの椅子に座る。 座らなきゃ、女王は返してやんない。 あんたが、おいらの招待を受けるってぇんなら、此処で捕まえてある客人も、他の奴らも無事返してやるさ。 なぁ、お座りよジャバウォッキー。 オディールならば、夢見心地の座り心地、エカテリーナは刺激的、ガゼットならば熱い抱擁! さぁ、どの子が良い? ジャバウォッキー?」

黒須は「どれも御免だ」と吐き捨てて、そして振り返りもせず叫んだ。

「さぁ、詐欺師の魔術師! お前の出番だ」

デリクが「Okey-dokey!」とワクワクしたような声で返事をし、スタスタスタと歩いてくる。
そして、不意にエマの隣で立ち止まると「…声出せますカ?」と問うてきた。
「へ?」
エマは目を見開いて、デリクを見上げる。
「ここのキングの声でス」
青い青い、まるで、先程までいた、この深層階域のステンドグラスのように澄みながらも油断ならない目がエマの目をじいっと覗き込んでいる。

「出せるわ」

エマが咄嗟に答えれば「ブラヴォー」と小さな賞賛の声をあげ、「では、私が『ほら、聞こえてきましたヨ』と言ったなら、エマさん、アナタ、キングの声で『愛している』と仰ってください」とデリクが告げた。
意味も分からないまま、エマが頷けば、満足げに頷き返し、油断ならぬ魔術師が行く。


そしてデリクは両手を広げ、「ハロー、ハロー、ハロー? 帽子屋さん、ジャバウォッキーと遊ぶ前に、私の相手をしてくれませんカ?」と首を傾げた。

ああ、やっぱり、羽を広げた悪魔みたい。
黒い服装だからか、非現実的な世界でデリクは、益々非現実的な存在感を増している。


「ジャバウォッキーと取引したのですかい? お客人」
帽子屋が笑いながら問うた。
「エエ。 この先行き不透明な昨今、一寸先は闇と言えどモ、未来の自分を知りたいと願うハ、どなたも同ジ。 当るも八卦、当らぬも八卦な占い稼業モ、一向に廃れる気配はありまセン。 私とテ、一介の小市民。 雑誌の占いページを、毎回、毎回、アテにならぬと知りつつも、気になり覗いてしまウ程には、自分の未来に興味がありマス」
滑らかな口調、貼り付いた微笑み。
翻弄するような言葉の波を楽しげに聞き、帽子屋も負けじと口を躍らせる。
「白雪! 彼女を強請りなすったか! そりゃあ、お客人中々手強いものを所望なさる! 彼女は王様の言う事しか聞かぬ強情女! 惚れた、腫れたは世の常なれど、一途を極めりゃ物狂い! あの女から欲しい情報を欲しいように引き出すなんてぇなぁ、至難の技ですぜ?」
芝居がかった口調の応酬にエマは眩暈を覚え、地面に腰を下ろしかけて、不意に背後に気配を感じた。
振り返れば、いつの間にか赤い革張りのソファーが、エマが丁度腰を降ろしそうな場所に待機している。
「えーと…メヌエ?」
そう呼ばれてたっけ?という風に呟けば、メヌエはその通りというように一度跳ねた。

「座らないわよ?」

その姿を睨みつけつつ唸れば、残念そうに身を震わせる。
油断も隙もあったもんじゃないと、腰を降ろすのは断念し、エマは二人の舌戦を腕を組んで見学する事にした。

「強情な女を、舌先で溶かすなんテ事、男として生まれたからにハ、是非、チャレンジしてみたいゲームじゃありませんカ?」
「確かに、お客人の舌先ならば、白雪の雪の如き冷たき心ですら溶かせそうだ! さぁて、しかしお相手をと所望されても、おいらは御覧の通りのつまらん男でして、お茶以外に貴方を持て成す術が御座いません」
「いえイエ、お気遣いなく、帽子屋サン! こうやって、お話しているだけで、私としては大変有意義な時間を過ごしておりまス。 折角、直接あなたにお招き頂いた身ですかラ、取るも取り合えず、御礼を申し上げたかったですしネ?」
デリクの笑みが深くなる。
「直接? どういう事かしらデリク?」
ウラが宙に浮いている足を揺らめかせ、興味なさ気に問いかける。
「ウラ? 君は、どうやって此処に来タんだイ?」
「間抜けなデリク。 私は、貴方が球体の硝子詰めにして保存してあった『異空間』を通ってよ来てよ?」
「イケナイ子ダ。 前回此処に来た際にまた直ぐに来られるよう、道筋を残しておいたのが失策だっタ! さぁて、では、更に質問ダ、お姫様? どうやって、硝子に詰めた異空間を見つケ、どうやっテ、この深層まで辿り着いたんだイ?」
ウラは、「クヒッ」と笑い、焦らすように口を噤んだまま周囲を見回すと、「呼ばれたの」と囁くように答えた。
「呼ばれタ? 誰ニ?」
「兎よ? デリク。 硝子詰めの異空間の隠し場所はサイテーだったわ。 あんな高い場所に置くなんて、私が手が届かないと思ってたんでしょ? でもね、お生憎様。 兎の手! 硝子の中で大暴れ! コロンと揺れて落ちてきた。 硝子が高い場所から落ちたらどうなる? デリク」
「割れますネェ、硝子ですもノ」
「そう、割れて出て来た異空間の向こうから、真っ白な手が私を手招いたの。 後は分かるわね?」
「エエ。 勿論。 私のアリス! 兎の穴に飛び込んでお城に辿り着いた貴女ヲ、此処まで案内したのはどなたですカ?」
ウラは笑って答える。

「当然、『兎』よ! 『真っ白』なね?」

謎かけめいたウラの答え。

デリクはクルリと帽子屋を振り返り、「さても素敵な招待状。 ウラがこちらに来た以上、私もこちらの世界へ彼女を追ってこなければなりませン。 貴方の差し金ですよネ? ウラを『兎』に、ここまで案内させたのハ。 貴方が招きいれたのでなけレば、この森に通じるあの硝子の扉は開かなイ」と冷静な言葉を並べ立てる。
帽子屋はニヤニヤ笑ったまま一度頷く。
「その通りですぜ、お客人。 だって、こんな場所で、どんなお祭りをしでかそうとも、客は誰も寄り付いちゃあくれないんです。 おいら、人一倍寂しがりなもんだから、ついつい貴方の大事なお嬢さんを此処に招待しちまった。 とはいえ、随分と楽しんで貰えたようだし、傷一つつけぬよう、大事に、大事に持て成させて頂きましたぜ?」
「ええ、本当にありがとう御座いまス」
デリクは一度にこりと笑い、その笑顔のままで「さァ、貴方の目的はなぁニ?」と問うた。
「目的? さぁて、何のことやら」
帽子屋がはぐらかす。

エマは、二人のまさに化かしあうようなやり取りを見ながら、それでも一つの結論を得ていた。

つまり、これは、「デリク・オーロフ」という「魔術師」を此処に呼ぶために仕掛けられた罠であったという結論を。

「ウラを此処に連れ去り、私ヲこの城へ呼んだ理由。 それは、私が此処に来ル事で、何が起こるかを考えれば自ずと答えが出まス」

「発狂現象」

翼が呟く。

「ご明察! 私が来れバ、王様狂ウ。 前回の騒ぎは、ここの住人にとっても一大事だった筈。 貴方だって当然ご存知だっタ。 王様の一大事となった、魔術師の事もネ?」

デリクが笑いながら帽子屋に問いかける。

「だから『兎』を使っテ、私を此処まで連れて来タ。 後は待つだケ! 王様が私の存在に気付キ、発狂するその時ヲ。 私はジャバウォッキーとの取引で、貴方のお相手をしておりまス。 貴方も同じく、『兎』と取引をしタ。 兎、兎、何見て跳ねル?」

ウラが甲高い笑い声をあげた。

「アハハハハハハ! 流石よデリク! 全部、お見通し! 兎が跳ねる! 月見て跳ねる! 兎は、だ あ れ ?」

「白雪!」

黒須が叫んだ。

「あんにゃろ! お前とグルか!」
帽子屋を指差せば、「お前のせいだよ、ジャバウォッキー!」と帽子屋がやり返した。

「女王とジャバウォッキーが来てから、なぁんも面白い事なんかありゃしない! 王様は、イかれてた頃はさいっこーだった!! 毎日、毎日、人間共を酒の肴に血みどろになって楽しくお茶会をしていたというのに! ジャバウォッキー! お前を傍らに置くようになってからは、俺の事を城の奥底に閉じ込めて、見向きもしてくれなくなった!」

喚き、飛び跳ね、歯をむき出しにする帽子屋の狂気めいて凶暴な姿にエマは怖気を奮う。

「お前が憎いよ、ジャバウォッキー! あんまり憎いもんだから、指の先から生きたまんま、少しずつ齧ってやりたい位だ! ああ、そうしてやったらどんなに愉快だろう! 全部、全部、長い時間を掛けておいらの胃袋の中に納めてやりたい。 泣き叫んだって許してやらない! 一番痛いとっときの方法で、一番苦しめてやる」

言い募る声には暗い熱。
黒須は受け流すような涼しい顔をして、それでも、不穏な空気を感じたのだろう、エマの腕を掴んで自分の傍へ引き寄せた。

「離れんな?」

小声で言われ、嫌が応もなく頷く。

「白雪は、そこまで知ってんのか? お前が、そこの魔術師使ってお前を狂わせようとしている事までな?」
「まさか! あの女はベイブ様命! あのお方の今の正気を喜ぶ立場にある事ぁ、ジャバウォッキーも知ってんだろ? ただ、恋に狂った女ほど、愚かで扱いやすい生き物もない。 おいらの舌先三寸で誤魔化し、騙して、ここにそこのお嬢さんを案内してくれたに過ぎない」
「見返りハ、竜子さンですよネ? 白雪さンは、随分と王様にご執心の様子。 傍にいる女王様を憎んデ、一時的にでも彼女を王様から引き離したくテ、貴方の口車に乗ってしまっタ」
咄嗟に思い出す。
竜子がもう帰ってこなくても良いと言った白雪の冷たい顔を。

竜子の命まで奪う意図はなかったとしても、ここまでの所業を平然とやってのけるのだから、やはり女は怖いと確信せざる得ない。

帽子屋は、デリクの問いかけに、再び拍手喝采、喜んだ。

「その通り! 流石、流石、流石の魔術師様々だ!」
そう言いながら帽子屋が手を打てば、金蝉が鼻白んだような声で「おい、つまり、俺はアレか? 白雪だかなんだか知らねぇが、馬鹿な女が、あの馬鹿な王様だかなんだかのせいで、この馬鹿な小娘嫉んで、そこのキ印野郎の口車に乗ったせいでこうなってるって訳か?」と、余りに馬鹿馬鹿言いすぎて主語がどれなんだかも分からなくなりそうな台詞で口を挟んでくる。


その瞬間、ふっと皆の間に沈黙が落ちる。

そういや…何で金蝉さん、このお茶会に参加させられてるのかしら?

ウラには思惑が絡んでの招待だと理解したが、金蝉は前回、ベイブの発狂を抑えるのに一役買った功労者だ。
わざわざ意図的に呼び込むとは考え難い。

無人楽団が奏でる謝肉祭が最高の盛り上がりを迎える中、帽子屋が、今までになく物凄く殊勝気な声で「いや、そちらのお客人は運悪くというか、多分、異空間の穴やら、でジャバウォッキーが援軍を呼び込む為に開けた入り口等の影響で、唯々偶然このお茶会に迷い込んじまっただけかと…」と言えば、「ああ…」と皆それぞれに納得やら、溜息やらの入り混じった声を気の毒そうに吐き出す。

んが、本人にすれば堪ったもんじゃないだろう。

金蝉は虚ろな目をしながら、それは、それは、恐ろしい静かな声で、ただ一言「……もげろ」と呟き、「え? 何が? 何を? 何を、もぎたいの?」と、その意味の分らなさと、意味分からない割にかなり具体的に怖い台詞選びに戦慄が走り、黒須が青ざめながら口を開いた。
「うし、分った。 何やかやこれで、辻褄は合った。 まぁ、それは、今はもう、この直面している危機に比べれば瑣末な事だ! とりあえず、あいつは解放しろ。 なんか、もう、闇雲に世界の平和の為に、解放しろ」といえども、帽子屋は帽子屋で一心不乱に首を振りながら「解放したら、終わりじゃない? これ、逆に解放したら、その時点でおいらジ・エンドじゃない? ていうか、もがれるよね? 最初に、もがれるよね?って、そもそも、何をもぐの?!」とかなり的確な判断を下す。
金蝉といえば、これはもう、カタストロフの序曲としか思えないような不吉っぽい術の詠唱に既に突入しており、翼が必死の声で「我慢だ! 金蝉我慢しろ!! もぐのは早まるな! そうだ、帰ったら、ほら、美味しいもの作るから! あ、ウィスキーあるよ? 焼酎も! あと、もうじき、知り合いが、春鰹を送ってくれるっていうから、それをタタキにしてあげるから!!」と、お菓子で子供の癇癪を宥めようとする母親の如くの声音で、思い留めさせようとしている。
モーリスは「とりあえず、もげても、私、元に戻せるんで…ガンバッテもげて下さい!」と黒須にガッツポーズを見せていて、「あ、俺もお前の中ではもげ要員なんだな」と黒須が冷静な声で突っ込んでいる。
「と、とにかく、もがれるのはご勘弁! 全ての目論見そこの魔術師様に見抜かれちまわぁ、後は口封じしかござんせんや! 折角の楽しい楽しいお客人達。 一思いにもてなしちまうのは、至極残念極まりないが、これも一期一会の世の常だ! さぁ、別嬪さん達! ダンスの時間だ!」
帽子屋がそう宣言し指を鳴らせば、今度は楽団が陽気なジャズのダンスナンバーを奏で始める。
音楽に合わせるかのように、先程エマを座らせようとしていたメヌエが、ひらりと回り、その瞬間全身にから、鋭い切っ先の針を生やした。
「…ハリネズミの椅子みたい」
エマが思わず冷静に呟く。
あんなものに座らされていたら、一体どんな目に姿になっていたやら。
想像するだけで背筋が寒くなろうってなもので、思わず黒須の背中に回りこみ、きゅっと身を小さくしてそのシャツを掴むと「ようし! いけ! 黒須さん!」と盾にしつつ勇ましい声をあげる。
黒須は身を捩ってそんなエマを呆れたように見下ろしてくるので、エマは上目遣いに黒須を眺め「えへ」ととりあえず笑って見せた。
黒須は眉を下げ、困ったような顔をして、ポリポリと指先で頬を掻く。
相変わらず綺麗に伸びた爪先。
よくまぁ、折れないものだなんて感心して眺めれば、黒須が口を開いた。

「…なぁ…姐ちゃん。 一応、お前の、ロクデナシの彼氏の為に忠告しとくぞ?」

エマは、黒須が何を言おうとしているのか皆目見当がつかず、「何よ」と眉根を寄せて身構える。

「お前なぁ……そういう事するとな…可愛いんだよ」

困った顔の言葉に、エマは口をポカンと開き、それから、「え? それ褒めてんの?」と首を傾げた。
黒須は参ったという風に肩を竦めて笑い「当然」と答える。
エマは、「ふうむ」と一度唸ると頷いて、それから、ニカッと自分でも余りしないと自覚している類の、少しやんちゃな笑い方をした。

「ありがと」
「どう致しまして」

短い、だが、ひどく呑気なやり取り。
こんな事態に!と思えども、どうもこの城の空気に毒されているらしい。

メヌエが身を震わせて、自分の体に纏った細い針をこちらに向けマシンガンのように連続して撃ち放つ。
エマは、咄嗟に人間の可聴音域を越えた高音の塊を喉を震わせてメヌエに向けて放った。

音の波が見えない壁と化し、放たれた針を周囲に散らした。

黒須は「へぇ、やるなぁ!」と声をあげ、そのまま、体を低くしてメヌエへと一気に走り寄る。
懐から、黒い短刀の鞘を引っ張り出し、「悪い子には、お仕置きだ」と囁くと、一気に鞘から刀身を抜き出す。
鞘の長さを越えずるずると現れるのは黒い鞭。
鋭い刃先となったうろこを纏わせたその身を一閃させ容赦なくメヌエに叩きつけられば、哀れ赤い革は引き裂かれ、黒須が掌を軽く翻し、もう一度横から打ち据えれば、横倒しに倒れるようにして、メヌエは半壊した。
もがく様に身を揺らすのを容赦なく黒須は踏みつけ、留めとばかりに、力いっぱい邪蛇丸で叩き据える。

ガシャンと破壊的な音を立て、壊れ、完全に動きを止めたメヌエを冷たい目で見下ろすと、「はい、終了」と平坦な声で宣言した。
エマが見回せば、それぞれ他の者々も、自分の能力で攻撃を仕掛けてきた椅子を壊しており、「助かった」と黒須に言われて「どういたしまして」とエマは肩を竦める。

帽子屋に目を向ければ、彼はデリクと相対したまま唆すような声で囁いていた。


「…つまり、お客人。 貴方ならこの城の主になる事だって可能なんですぜ?」

帽子屋の言葉にもデリクは表情を変えず、微笑んだまま「ウラ? この城欲しいですカ?」とウラに声を掛けた。
ウラは、「クヒッ」と笑い声をあげ「いらないわ! こんな辛気臭い城! 時々遊びに来るから良いんじゃない。 バカンスの為の場所は、バカンスの為に存在するべきよ」と言い、それから、ひょいと椅子の上に立ち上がる。
「良いわね。 ジャズってもっとつまらない音ばかりかと思ってたけど、これは気に入ったわ。 デリク、ねぇ、踊っても良い?」
そう言いながら、足を伸ばしテーブルの上にウラが立つ。
デリクは盛大に眉を顰め、「お行儀が悪いですヨ。 ウラ」と咎めながらも、自分もひょいと長い足を駆使し、軽い調子でテーブルの上に上がると「家では禁止」と言い、そしてウラに向かって両手を広げる。
嬉しげに笑いながら、極彩色の料理の数々や、ケーキ、お菓子を蹴散らし、ウラがデリクの両腕に飛び込む。

「お茶会は終了よ。 帽子屋! 私、デリクと一緒にお家に帰るわ。 謎々の答えは、『愛している』! そうじゃなくって?」
帽子屋の全身が硬直するのが傍目にもよく分かった。
デリクが「正解! 賢いウラ!」と言い、そして指をパチンと鳴らして、「ほら、聞こえてきましたヨ」と宣言する。

合図だ。

エマは、喉を震わせベイブの声を正確に模写し、唇から放つ。

「愛している」

この言葉の意味は分らない。
自分がこの言葉を発する事で、事態がどう変わるのかも。
だが、悪魔に唆されるような心地になって、魔術師が望むままの声を出していた。

その瞬間、帽子屋が、いや、その場にいる城の奇妙な住人達が全て恐慌状態に陥った。

無人の楽団が、ギイギイとひっちゃかめっちゃかな音を出し、足元を走り回っていたトランプの小人達がめいめいに悲鳴を上げて逃げ惑う。
無表情に鋏を握りしめていた三月兎も、まさしく脱兎の如く逃げ出していた。

帽子屋が「ひいいい!」と悲鳴を上げて逃げようとするその周りに光の檻が現れた。
振り返れば、薄い花弁のような瞼を閉じ、白い両手に淡い光を宿らせているモーリスがいる。
エマも何度か見た事があるモーリスの光の檻。
デリクに視線を送れば愉しそうに笑っていて、全て彼の仕組んだとおりに事態が進んでいる事は理解した。

ウラが、滅茶苦茶な音に、壊れたような笑い声をあげ、出鱈目なステップを踏む。

「クヒヒッ、ヒヒッ、ヒヒヒッヒヒヒヒッ!」

お腹を押さえ、黒髪を乱し、机の上で、Dance! Dance! Dance!

ウラが踊るその爪先に、ビリビリと稲光のようなものが走り、振り上げる指先にもその光が宿るとデリクは楽しそうに叫んだ。

「ウラ! ウラ! ウラ! よおおおク、狙っテ? よーーーーォい、ドン!」

その瞬間、デリクの合図に合わせて、鋭い雷が帽子屋の上に落ちた。

轟音と、眼を開けていられない稲光の後、エマが恐る恐る目を開けば、感電し、気を失っている帽子屋が倒れているのが目に入る。

金蝉が一歩一歩、それはそれは、人を圧迫するような空気を撒き散らしながら倒れている帽子屋の元へと訪れると「もぐぞ?」と一応の許可を求めるが如く、黒須に目を向けた。
「あ、どうぞ」
多分咄嗟にだろう、そう返事をしてしまった後で、「え? いいの? もぐの、良いの?」と誰にでもなく意見を求める。
竜子がうううんと、両腕を伸ばし、固まってるらしい体をバキバキとほぐしつつ「いいんじゃね?」と軽い口調で言った。
「もう、大絶賛もいでもらおう」
余りの言い様に、エマは目の前でそんな残虐ショーが繰り広げられるのは御免蒙ると「ちょ、ちょっと待って!」と声を上げる。
「え、えーと、それよりもね? ここは、ハンムラビ法典にならって、目には目を…って事で…」といいつつ、帽子屋を何とか抱え起こそうとすれば、「手伝います」と言いつつ夜神がひょいとその体を抱え上げてくれた。
「ありがとう」
お礼を述べて帽子屋を先程まで竜子の座っていた場所に座らせれば、流石というべきかエマが何を望んでいるのか察したらしいモーリスが、三月兎の手を引いて、椅子の脇まで連れてくる。
「ハイ、首チョッキンゲーム、再開です」
落ちていた鋏を握らせて、そうモーリスが耳元で囁けば、コクンと兎少年は頷いた。
帽子屋の足首に、竜子が巻きつけられていたらしい拘束具を装着し、「…これで如何かしら?」とエマは、額の汗を拭いつつ言えば、流石に金蝉の「帽子屋のどっかもぐ姿」を見たくなかったらしい面々が「おお」と感心の声をあげてくれる。

金蝉が、「何でもいい。 とりあえず、ここから今すぐ出せ」と唸り声をあげ、足音荒く出口へ向かう背中を見てほっと安堵の溜息をつき、「ああ、今回もくたびれた」とエマは、前回といい此処に来るとくたびれ果ててしまうのは何とかならないだろうか、心から願った。



さて、そんなこんなで漸く城から帰れる事となったエマ。
出口とされている城玄関、螺旋階段のある一階大ホールまで案内してくれた竜子を振り返る。
竜子は、翼にマッサージをされ、少々休養を取ったからか、お茶会で見かけるよりも随分顔色もよくなっていて、「折角姐さんに来て貰えたのに、何のもてなしも出来ませんですいません」と申し訳なさそうに告げる姿に「若いって、体力あるって事なのね」と羨ましくなった。
脳内で、雫と武彦に手を合わせ「はい、これ」と持ってきていた桜餅の包みを渡す。
「ベイブさん達と一緒に食べて。 桜餅」と言えば「わぁ!」と手を叩き「この前食わせて貰った時、すげー巧くて感動したから、超嬉しい」と満面の笑みを浮かべる。
まぁ、この笑顔の為に頑張ったと思えば、この疲労感も悪くないとエマは思い「じゃ、またね」とヒラヒラと手を振る。
竜子は笑顔のまま頷いて、それから「白雪にも食わせてやろ」と良い事を思いついたという風に口にした。
エマは首を傾げ「いいの? 貴方をひどい目に合わせたのに」と問えば竜子はにこっと相変わらず化粧の濃い顔をそれでも幼い笑顔の形に崩して「良いんだ。 だって、あいつ、なんか一生懸命で可愛いから許してやることにした」と朗らかに言う。

女は怖いとも思ったけど…。

エマは竜子の頭に手を伸ばし、「えらい、えらい」と言いながら撫でると「女って、でも、可愛いのよね」と一人ごとのように口にする。

黒須も今の自分と同じような気持ちで、「可愛い」と言ってくれたのだろうか?

エマは「ま、いいか」と口にしてなでなでと金色の頭を掌で数度撫でた後、「今回は、ご面倒をお掛けして申し訳ありやせんでした。 こうして無事にここにいられるのも姐さんのお陰です。 また、是非、いずれお礼をさせてください」と律儀に言いつつ頭を下げる竜子に「いいわよ。 大げさね」と手を振って、「今日はゆっくり休みなさいね」と笑いかける。
それから、「お邪魔しました」と口にして、くるりと踵を返し、一歩踏み出せば、そこは夕闇迫る川原になっていて、エマはそのままスタスタと歩き出した。

自分を一番可愛くしてくれる男が待つ、事務所に向かって。



fin


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2863/ 蒼王・翼  / 女性 / 16歳 / F1レーサー 闇の皇女】
【2916/ 桜塚・金蝉  / 男性 / 21歳 / 陰陽師】
【7038/ 夜神・潤  / 男性/ 200歳 / 禁忌の存在】
【2318/ モーリス・ラジアル   / 男性 / 527歳 / ガードナー・医師・調和者】
【3427/ ウラ・フレンツヒェン  / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【3432/ デリク・オーロフ  / 男性 / 31歳 / 魔術師】


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■         ライター通信          ■
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お久っぶりです!!
よくぞ、「女王様失踪」に御参加いただきまして有難う御座います。
ライターのmomiziで御座います!

3年ぶりのOMCのお仕事に戸惑いつつも何とか書き上げさせて頂きました。
ご参加くださってる方も、皆さん、現役の頃にご参加くださった方々ばかりで、
私は何たる幸せなライターと、忘れられずにいた、幸せを噛み締めております。

本当に本当にありがとうございました!

僅かばかりでも腕前が上がっていればいいのですが、何にしろ発注して良かったとおもっていただける作品を仕上げる事が私の最大の使命だと思っております。
また、ちょくちょく窓の方は開けさせていただきたいなーと考えているので、その際は再び遊んでくだされば幸いです。

それでは、momiziでした。