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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


【女王様失踪】

〜OP〜

【Side:A】

おっす! 俺、黒須誠、38歳! 獅子座の、A型! 趣味は、競馬とパチンコ!
最近の悩みは、朝起きた時、自分が先程まで頭を埋めていた枕から若干の加齢臭が漂い始めてるって事かナ☆
と、まぁ、余りに久しぶりすぎて、咄嗟の自己紹介から始めてみる訳だが、今現在俺は、最っ高に困り果てていた。

「よりにもよって帽子屋にとっつかまってんのかよ…」

げんなりした声で呻けば、同じくげんなりしたような表情を見せて、千年王宮の王様リリパット・ベイブが「アレばっかりは、どうにも、私の言葉をはぐらかす。 命令を聞かぬわけではないのだが、妙な理屈と論理のすり替えで命じた内容とかけ離れた事をやってくれる。 今だって、全く私の言葉を取り違え、竜子を茶会から一向に帰そうとしないのだ。 この城に棲まうものは、あいつの狂った言葉に煙に巻かれるばかりか、下手をするとマッドな振る舞いの犠牲者になってしまい、全くもって役に立たん」と呟く。
「迎えに行こうつったって、城の何処で開いてやがんのか、一向に見当がつかねぇ。 よりにもよって、そんな場所に迷い込む、竜子も竜子だ」
俺の言葉に頷いて、「不用意に客人が紛れ込まぬよう、深層で茶会は開くようにと厳命したはずだが竜子の方向音痴に掛かれば無駄な措置であったか」とベイブは面倒くさげに鼻を鳴らす。
「もう、三日だろ? 幾らなんでも、命までは取られやしねぇだろうが、こんだけ長い間拘束されるのは、あんまりだ。 あの乱痴気騒ぎ、まだ続いてんのかよ」
俺が問えばベイブは王座に体を埋めたまま、戯れに手を伸ばし「白雪」と一言名を呼ぶ。
すると、ヒタヒタヒタと滑るような足音をさせて一人の何処もかしこも真っ白な、白いワンピースを身に纏った女が現れると、うっとりとベイブを眺め、微笑んで「何をお望みで?」と、高い声で問いかけた。
「竜子だ…というより、帽子屋の茶会の様子を見せろと言った方が良いかも知れぬ」
ベイブの言葉に、「また、あの女がご厄介をかけているのですか?」と気に入らぬ気に囁けど、「鏡風情が、いらぬ事を申すな」とベイブに叱責され、哀しげに口を噤む。
そして渋々といった風に「御意」と頷き、白雪はずぶりと自分の胸に両手の指を突きたて、ずずずとまるでこじ開けるように自分の胸を「開いた」。
そこには真っ黒な闇の中に浮かぶ銀色の鏡面が存在し、白雪が目を閉じれば、銀色の鏡にある情景が浮かび上がる。

鏡の中には、この「千年王宮」にて、俺と同じく王のベイブに使える「奴隷」として暮す竜子の姿が映っていた。



-------------------本編--------------------




「夜神さんは、オフの日はどう過ごされているんですか?」

記者の問い掛けに、少し首を傾げ、夜神は生真面目に思考を巡らせた。

「最近は…そうですね…、ありきたりですけど本を読んで過ごす事が多いですね。 最近、若手の作家さんの書くものが面白くって…特に推理小説とか、夢中になって読んでます」

そう微笑みながら語る夜神を、カシャリと軽快なシャッター音を立てて、カメラマンが撮影した。
某女性雑誌の取材を受ける夜神の向かいには、彼の異母妹である蒼王翼が座っている。
彼女との関係を世間に公表してはいないのだが、スケジュールの確認をマネージャーに行っていた際に、翼との対談の仕事が入ったと聞いて、夜神は酷く驚いた。
某女性雑誌にて、毎月恒例企画としてコーナーがある異色対談のページにて、アイドルと言う肩書きでありながら、知的な雰囲気も漂う夜神と、F1の世界で「最速の貴公子」と名高い翼の対談企画が組まれたのだ。
一瞬、並んで写真に写って、その類似性に気付かれやしないかと穿った事を考えたが、まさか、自分と翼が兄妹である等と看破できる者もおるまいと夜神なりに判断して仕事を請けた。
最近スケジュールが立て込んでいるせいもあって、中々顔を合わせられなかったし、仕事とはいえ翼と対談するだなんて、なんだか想像するだけでワクワクする。
兄妹という関係は伏せてだが、親しい間柄である事はマネージャーや、周囲にもそれとなく伝えてあったので、それを見込んでの対談企画なのだろうと考え、普段余りそういった企画の仕事を請けない翼の素の表情を引き出せれば良いな等と、プロ意識の強い事まで目論んだ。

久しぶりに顔を合わせた翼は相変わらずその少年めいた美貌で女性を軒並みタラシ込んでいた。
先程までも、雑誌記者の女性相手にその手腕を発揮していて今や頬を染め、翼を眺める記者に苦笑を浮かべる。
対談自体は、至極順調に進み、二人ともやはりお互いが相手だからか、素になって笑い、話も弾んで、気持ちよく仕事を終えることができた。

インタビューが終わり、二人で表参道を歩く。
この後はオフだという翼に「付き合って欲しい場所があるんだけど…」と強請られ、「何処に?」と問えば、夜神が最近スタイリストから「良い店がある」と教えてもらったブランドショップの名前が返ってきた。
欲しいものがあるらしい翼に付き合って店に向かいながら、自分も何か見繕おうかと思案する。
何しろ、忙しさにかまけ、買い物すら最近ろくに行けていないのだ。
「メンズも置いてあるし、僕が欲しいシャツも男女兼用のものだからね。 何か見立ててあげようか?」と翼に言われ、センスの良い彼女に任せれば、きっと間違いもないだろうと考え、目的のショップが目に入り、「頼む」と口に仕掛けた時だった。

突如、世界の全てが変わり、夜神達は千年王宮に立っていた。

夜神は目を見開き、硬直する。
「こ…こは…?」
小さく呟けども返事は無く、翼が凍りついたような表情で固まっている。

「よぉ」

そう声が聞こえ首を巡らせればそこには、一人の男が立っていた。

ゾッとする程に美しく、どこか魔性めいた引力を持つ長い黒髪と、それに相反するような、目を逸らしたくなる程の嫌悪感を掻き立てる、陰湿で、陰険めいた容貌をした男。

翼は男と顔見知りなのか、「…帰らせてください」と、微笑みながら、いっそ朗らかなまでの声音でそうきっぱり言い放つ。
だが、そんな翼の申し出に対し、男は掛けている遮光眼鏡を指先で一度押し上げて、無表情なまでに「無理です」と処刑宣告にも似た無慈悲さで告げた。

夜神は好奇心を抑えきれなくなって、「翼? 翼? ここ、何? 前にも来た事があるのか?」と翼に問い掛ける。
すると、低い、低い声で「地獄」と翼が端的に答えてきた。
どうも、何か嫌な思い出がある地らしいと察せども、突然、こんな異世界に招かれてしまった身としては、興味を失わせる材料にはならず、「へえ。 それにしては、何だか、随分ときれいなところだな」と、真面目な調子で答えながら、スタスタと勝手に部屋内を歩き回る。
辺りをきょろきょろと見回す夜神の様子に、何故か翼が肩を落としていた。
自分でも、適応能力が高すぎやしないか?と思うが。まぁ、こういう事態に際して怯えたり、惑ったりするような性分でもないのが実情だ。
そんな兄を放置して、翼が黒須に何事か話しかけだした。

「前に言ったよな?」
「ん?」
「ここの事を忘れれれば、もう君と、僕達が会う事もないって」
「あー…うん、言ったな」
「な ん で、会ってるの? ねぇ? なんで、君は僕の前にいるの? ねぇ? ねぇ? ねぇ??」

彼女は余程この城が然程お気に召していないらしい。
半眼になって問い詰める翼に、「お前…俺の事忘れられなかったんだな」と真顔で黒須が告げ、咄嗟の握りこぶしでその頭を殴りつけられている。

「僕のシナプスは、優秀だが、こんな益体のない場所と相手を覚える為に活動したりはしない!」
そう力強く宣言する翼に、「おお、なんか知らんが格好良いぞ翼」と夜神は訳も分ってないのに拍手を送り「で、この人は?」と問いかけた。
「黒須誠さん。 この城の住人」
そう翼からのやる気の無い紹介を受け、夜神は黒須に自分の名前を名乗る。
黒須は、自分を睨む翼に苦笑して、「ちっとばかり手伝って欲しい事があんだよ。 それが済めばすぐに出してやる」と言った。
「なんで、僕が!」と翼は声を荒げたが、そんな翼に黒須は「逆にこの城の中の事は、そこそこ力のある奴じゃなきゃ、対処出来ない。 竜子がらみの事なんだ。 手貸してくれよ」と言った。

竜子?
初めて聞く名に夜神が首を傾げれば、その名の持ち主とも翼は知り合いらしく、女性名である事も関係してだろう。 その名は絶大の発揮し翼は途端に口を噤んだ。

「竜子さん…? 彼女の身に何か?」
そう深刻な声で呟き、「何があったのか、説明してくれないか?」と丁寧に翼が問う。
すると、黒須の背後から「こんにちわ。 お久しぶりです、翼さん」と翼の名を呼びつつ顔を出すものがいて、視線を向ければ、そこには、柔和で美しい顔立ちの男が一人立っていた。
「モーリスさん! どうして此処に?」
そう翼が問いかければ「ご主人様が帰ってこない可哀想なマゾ奴隷の黒須さんに、呼び立てられてしまいまして。 とりあえず、竜子さんの代わりに、出来るだけの事はしようかなと、張り切ってるところなんです」と笑顔でとんでもない事を告げ、翼と揃って夜神は二歩ほど後ずさりする。
翼が笑顔のままに「えーと…ガンバって下さい」と、思いっきり他人事の声で告げ、夜神は、コソコソと「え? そういう人? 黒須さんってそういう人?」と翼に問いかけていた。
翼は「いや知らないっていうか、どうでもいい」と心からの声で答えてきて、ああ、確かにどうでも良いと、夜神も頷く。

他人の趣味とか、どういうこういうべき事じゃないしな。
そう納得しつつも、若干ヒいた眼差しで黒須を眺めれば「そこ!! 間に受けるな!っていうか、お前は、なんで、そんなに好い加減な事ばかり!!」と怒鳴る黒須が目に入り、そんな黒須に不思議そうに首を傾げつつ、「ああ、そんなに苛々してたら、容赦なく剥げますよ? 大丈夫です、ちゃんと虐めて、そのストレスを発散させてあげますからね?」とモーリスと翼に呼ばれた男が親切な声音で言っていた。
「うがああ!! なんで、同じ日本語同士なのに、俺の意思が伝わらねぇんだぁぁぁ!!」と黒須が地団太を踏みながら喚き声を上げている。
なんだか、どうも、彼は気の毒な様子を見せる黒須に、夜神が若干同情した時だった。

「うるさい。 はしゃぐな」

虚ろな声。

視線を向ければ、玉座に座る無気力気な男の姿が目に入った。
真っ白な肌をして、乾ききった目玉で此方を眺める虚無的な佇まい。

翼が眉を顰め「貴方とも随分久しぶりだ」と告げれば、ふと顔を上げ翼の顔を数秒眺め、視線をスススと逸らすと「あー…うん…えー、久しぶりだな…」と男は曖昧に頷く。

どうも、翼とは「再会」している間柄らしいが、向こうに覚えはないらしい。
翼のような目立つ人間を「忘れられる」事が驚異的だと思いつつ、マジマジとその男を夜神は眺める。

リリパット・ベイブ。
後ほど、翼に教えて貰ったその男の名は、この城の主の名前でもあった。

翼が背後でモーリス相手に騒ぎ続ける黒須に「あー、そこ、もう、そういうプレイとか、どうでも良いから、ちゃんと説明してくれ」と翼が告げて、「誰がプレイぞぉぉぉ?!!!!」と即座に黒須に怒鳴られた。

「大体、なんでこんな俺にとって面倒臭いメンツなんだよ!」
そう翼と、モーリスを交互に指し示しベイブに詰め寄る黒須に、、ベイブはベイブで「いや…、現状、この王宮で……、役に立つ程の力を持ち…、通り道となる穴の…傍にいたのがこの面々だったからな…」と余りにも好い加減な説明をする。
「俺、こいつら纏められる自信がねぇよ!」
そう訴える黒須から鬱陶しげに顔を背け、その髪をぎゅっと遠慮の無い力で引っ張り黙らせると「だから、お前のリクエスト通り、一人緩衝材を呼んでやるだろう…?」とベイブが意味の分からない事を告げた。

緩衝材?

そう首を傾げれば、突然、女性の声が玉座の間に響き渡った。

「願わくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃…」

西行法師の有名な句だ。
夜神は即座に思い至り、じっと澄んだその声に耳を澄ませる。

「まぁ…、咲く桜 散り逝く桜に…食う桜ってね!」

そんなおどけた声で、可愛らしい句を続けて読む声まで聞こえてきて、夜神はそこでこの声の持ち主に思い至った。

「ああ、この声、エマさんの声だ」と思わず呟く。
「知ってるの?」
翼に問いかけられて、夜神は頷いた。

草間興信所の事務員である彼女の声が、どうして広間に響いているのか、訳が分らず黒須を見れば「今は、この城と現世を繋ぐ『穴』を全て、この玉座に通じるようにしてあるからな。 お前らもそうだったが、穴の傍を通る人間の声は全部この広間に筒抜けになってるんだ」と説明される。

確かに、顔が広く、人当たりの良い彼女程、個性的なメンツの緩衝材として、最適な人材はいるまい。
「凄く頼りになる人だし、来て貰えるなら心強い」
そう呟いた翼にタイミングを合わせたかのように、薄紫の小花が散った風呂敷包みを抱えたエマの姿が忽然と玉座の間に現れた。
キョトンと訳が分からないといった様子で立ち尽くすエマに、黒須が心底といった声で喚く。

「お前、おせぇよ!!!」

金属質の、いやに鼓膜を引っ掻くような声で怒鳴られ、エマが「は?」とポカンと口を空け、辛うじてそれだけ言葉を吐き出した。
その気持ちは、凄く分る。
実際、いきなりこんな場所に立っていたら、他の言葉なんか出てきやしないのだ。
それにしたって、黒須はエマに対して随分と遠慮の無い様子を見せている。
二人も知り合いなんだろうか?と推察し、二人のやり取りを見守ることにした。
「大体、ちんたら、ちんたら歩きやがって! 何が、『咲く桜 散り逝く桜に…食う桜ってね!』だ! あえて言おう! その歌は…どうかな?ってな!」
捲くし立てられ、あまりと言えばあまりのハイテンションに、エマが咄嗟といった様子で拳を正拳突の要領で前に突き出し、その腹に埋めると「う る さ い」と、渾身の声で、そう厳かに告げた。

夜神は黒須の様子に視線を走らせ、ぶるりと体を震わせる。
ずるずるずるとしゃがみ込んだ黒須の表情は激痛に歪んでいた。

「おお…」と微かに感嘆の声を上げる翼の隣で、思わずパチパチと夜神はエマに畏敬の念を込めて拍手をする。

「大体! 言い訳させて貰うと! 自分も人に聞かせるつもりで詠んでないから、『どうかな?』っていうのは分かってるわよ! 私の実力舐めんじゃないわよ! その気になれば、西行が墓場から蘇ってブラボー!!って叫ぶ位のスーパー俳句が詠めんのよ、コンチクショウ! おっけー! ちょっと時間下さーい! 今から俳句考えますんで、1時間ほど時間下さーい! て い う か ! な、なな、なんで、私の『川原ウォークin独り言祭り』の様子を勝手に見てくれちゃってんのよおおおお!!!」

拳を叩き込んだ仁王立ちの姿勢のまま、そう顔を真っ赤にして喚き散らすエマに、「あ、エマさん、恥かしかったんですね!」と、朗らかな声でモーリスがツッコミを入れた。
そのままモーリスは柔和な微笑を浮かべ「こんにちは」と、エマに向かって手を上げ、エマは漸くここに集められている面々に気付いたのか、こちらに視線を向けて「あら?」と小首を傾げる。
先程までの勇ましい様子から一転して、友好的な微笑を浮かべつつ片手を挙げて、「こんにちは」と挨拶をしてくる彼女の背後に「猛者」という字が浮かんで見えるのをはっきり読み取り、夜神は若干の後ずさりを余儀なくさせられた。

ベイブはと言えば、真っ白な肌には一切の血の気というものを浮かべず、生気のない虚ろな灰色の目を瞬かせながら、だらしなく玉座に身を埋め、薄い唇を無気力げに開く。

「…ようこそ」

あまりと言えば、あまりに素っ気無い一言に、即座に、(あ、この人エマさんも忘れてる)と確信する。
随分と忘れっぽい人間なのか、そもそも、人の顔を覚える気がないのか。
どうも、覚えられてない事を、『都合が良い』と認識したらしいエマが、「どうも〜」という、好い加減な返事をベイブに返しつつ黒須を腰に手をあて見下ろした。

「本当に、久しぶりねぇ。 どう? 元気してた?」
何気ない調子でエマが黒須に問いかければ、腹を押さえたまま「ついさっきまでは元気だったんだけどな、今は、もう、なんか、渡っちゃいけない感じの川とかが薄っすら見えてるんだが、これって生命の危機に瀕しているという事で良いんだろうか…?」と涙目で答えている。
「うん! がんばって!」と限りなく無意味な返答をエマは返しつつ、「で? えーっと、これは、どういう集会なのかしら?」と、首を巡らせ、集っているメンバーを一人一人確認してきた。
エマが最初に顔を視線を向けた先にいた翼が、「僕も、潤と一緒にいたところをエマさんと同じく急に此処に連れてこられてしまって、詳細は分かっていないんです」と、簡単に自分の状況を説明する。
そして、お手上げといったポーズをひらりと見せ、それから見惚れるしかないような完璧な顔立ちに、完璧な笑みを刷かせると、「でも、まぁ、エマさんに会えるなら、此処に連れて来られたのも、強ち悪い事ばかりじゃないって思えますね」と、心からの声でエマに告げた。
途端に、蕩けそうな笑みを中性的で知的な容貌に浮かべると、「私も翼ちゃんに会えて嬉しいわ。 こんなトコでじゃなきゃ、もっと素直に喜べるけどね」とエマが答える。
抱いていた疑問をぶつけるべく、「エマさんは、以前此処に?」と夜神が問い掛ければ、案の定、コクンと頷くエマに、「それは羨ましい」と、心底といった調子でモーリスが場違いなまでに明るい声を上げた。
「このような場所、ご存知でしたのなら是非、私にも教えて欲しかったです」というモーリスの言葉に、夜神も同意したいような気持ちになる。

こんな面白そうな場所を知っているなら、翼も教えてくれればいいのに。
だが、先程の翼の様子を見ていれば、彼女にとっては楽しげな世間話の話題にしたくない類の城らしい。

何故か一歩下がり、三人のメンツを眺め、「よし!」と無意味な小さくガッツポーズを決めるエマを不思議そうに眺めれば、この場所を教えてくれなかった理由を問うたモーリスに「…いや、あの事務所いたら、この手の異空間慣れっこになっちゃって、取り立てて人に教えなきゃ!とも思えなかったし…」と軽く答えている。
(さっきのガッツポーズの意味は?)と首を傾げども、まぁ、取り立てて問い質したい事でもなし、夜神は、あえて疑問を口にしない事にした。
「貴方だって、別段、『こういう事態』に不慣れな訳じゃないでしょう?」
エマがそう問いかければ、「まぁ、お陰さまで」とモーリスは曖昧な返事をして、ひらりと軽やかな笑みを見せる。

なんだか、その意味あり気な返答は気にならないでもないが、今はそこを追及している場合じゃないと、即効、皆は黒須へと顔を向けた。

「…なんだか…残念ね」

またも意味の分らぬ事を沈痛の面持ちで言うエマに、黒須はエマが言いたい事が分ったのか、よろよろと立ち上がりつつ「それで、俺にどう言えと?」と低い声で問い返す。
久しぶりに会う筈だろうに、どうしてこれ程までに遠慮の無いやり取りを繰り広げているのだろう?と首を傾げながらもエマは、テヘっと笑って「大丈夫! 宇宙の果てとかにまで行けば、黒須さんも奇跡的に、夢の中ではモテない事もないかもしれないわよ!」と、訳が分からないなりに、フォローなんだか、罵倒何だか、限りなく罵倒寄りだよね?な台詞をかましつつ、その背後にスタスタと回り、こめかみを両拳でがっちりロックオンした。

「で? 私が、またも改心の、これもう、ちょっと革命じゃね? 和菓子業界激震じゃね?っていう出来栄えの桜餅を事務所に差し入れ途中に拉致られた理由を教えて貰えるかしら?」と、唇をにんまりした形に裂きながら、ぐりぐりと回転させれば、「んぬああああ!!」と悲痛が響き渡る事数秒。

あの風呂敷包みの中身は、桜餅か。
エマさんの料理の腕前は一級品だと聞き及んでいる。 きっと、桜餅も絶品なんだろうな…等と夜神はほのぼのとした気持ちに陥りかけ、ハタと断末魔めいた悲鳴を上げる黒須を眺め、咄嗟に「つ、翼? いいの?」と問いかけてしまった。
何が?」と心底不思議そうに問い返され、「あ、いいんだ…」と夜神は、納得する。
まぁ、つまり、そういう人なのだろう黒須は…と夜神なりに理解して黒須に対して痛ましげな視線を送る。
そんな最中、「説明! したくても! この、ままじゃ!無理っ!!」と最もな事を黒須が喚いた。


「で…コントは終わったのか?」
胡乱気な眼差しでベイブに言うのを、中々失礼な男だと認識しつつ、夜神は先程叫ぶようにしてなされた黒須から聞いた説明を頭の中で取りまとめた。
「つまり…竜子さんは三日間も一箇所に拘束されているという事なのか?」
翼の不安げな声に黒須が頷けば、唇を噛み「可哀想に…」と翼は心底の声で彼女の身の上を案じる。
「きっと、疲れ果ててしまっている事だろう。 こうしちゃあいられない。 出来るだけ早く助けてあげないと」
そう焦ったように言いながら、翼がツイと強い眼差しでベイブを見つめた。
「で? 彼女の居場所の手がかりは何もないのかい? その、白雪…だっけ? 鏡には、場所を特定できそうな何かは映ってないの?」
翼に問われ、ベイブは気怠けに答えた。
「映っている事は映っている。 森だ。 あと、まぁ、花やら、木の机やら、テーブルの上に広げられた甘ったるそうな菓子類やら…。 ガーデンパーティを洒落込んでいるらしい。 だが、では、その森が何処にある?と問われれば、白雪?」

呼ばれ、現れたのは真っ白な女。
真っ白なベイブの傍に突如として出現したように見える彼女は、優雅に一礼して、にっこりと笑った。
「女王は地下三階、嘆きの森にいるようです」
そう答え、微笑みながらベイブを見るも、ベイブの視線は正面に据えられたまま、彼女の方には向けられない。
(おや?)
思わず首を傾げる。
出会ってからたった数秒。
だがその眼差しだけで、どれ程疎いものでも気付くだろう。
(彼女はベイブに恋慕しているのか…)
そう確信し、夜神は一人頷く。
(と、なると、ベイブさんの態度は女性に対する者として、余りにも冷淡が過ぎるな)と女性の立場に立ってベイブの態度を評しかけた所、白雪はベイブを見つめたまま「まぁ、このまま帰ってこないほうが、この城の平穏の為には良いかと白雪は思うのですが」とあっさり怖いことを言った。
ベイブの傍にいる女は皆憎しという所か。
思わず、スススと白雪の顔から目を逸らし、「女って怖い…」等と世の男性が、生きている間に一度は心底実感する感想を夜神も抱く。
されど、今は女性の怖さに思いを馳せているときではない。
翼が「黒須さん。 案内できるかい?」と黒須に話を振る声に、夜神も気を取り直して話に意識を向けた。
「地下階ねぇ…。 俺も不案内だからな、あそこは。 表層には引き上げ効かねぇか?」
不思議な言葉だと、その台詞の意味を判じかね、首を傾げる。
すると、そんな夜神の疑問に答えるかのようにエマが口を開いた。

「この王宮内にある全ての部屋が、ベイブさんの思うがままに姿も位置も変わるって事よね?」

まさか、そんな城が…と思いかけ、誰も否定の声を上げない所を見てもありえない事ではないのかと、信じ難いながらも思い直す。
黒須が薄く笑って「よく覚えてんな」と褒めれば、「当然」とエマが片眉を上げて答え、彼女は前回の訪問によって、この城についてかなり詳しく説明を受けているらしい事を夜神は知った。

「それは随分と便利なお城だ」とモーリスが感嘆したような声で言う。
「じゃあ、それこそ、今いるこの王座の真向かいにでも、その部屋を呼ぶ事は出来ないのですか?」
夜神が提案すればベイブは首を振り、「階層が違いすぎる」とだけ答えた。
「階層?」
重ねて問われ、「ふむ」とベイブは顎先に指を当てる。
「…つまり……、ああ、人の精神構造と同一であるという事だ」
ベイブの言葉に、皆が一様に首を傾げれば、ひらりと白く枯れ枝のようにも見える指先を動かし、まるで偏屈な教授めいた口調で語り始めた。
「人の心理の、他者からも目に見えて分かりやすい表面上の心理を表層心理、その奥にある真実の心理を深層心理と呼ぶ。 この表層の心理というものは、心理の持ち主自信が他者に対して『提示』したい、『こう見られたい』という思惑を含んだものである為、行動者本人によるコントロールが可能な心理となるが、深層の心理は、持ち主自身も把握しきれず、またコントロールが効かない場合が多々ある。 つまり『真実の想い』というのは、自分自身では操作不可能であるという事だ」
「元は考古学発祥のメタファーなんですよね? 表層・深層という隠喩は」
モーリスが博識な所を披露すれば、ベイブは静かに頷いて、「そうだ。 そして、この城も考古学と同じく表層、つまり今我々がいる王座を含む城の上層域と、その地下部、深層階に分けられる」と答えた。
興味深く思い耳を澄ます夜神の目の端に、黒須に対して何事か耳打ちしている白雪の姿が目に入る。
黒須の表情が一瞬固まり、そして唯でさえ険しい表情が更に険しくなった。
(何か、問題でもあったのか?)
不安に思うも、淡々と続けられるベイブの言葉の独特のリズムに引きずられ、とりあえず感じた不安は心の隅に置いて、今はベイブの話に集中する事にする。


「この城は、先程聞き及びの通り、私の意識の変化によって、その都度内部が変化を遂げる。 つまり、私の心そのものだ。 荒れれば…どうなるか、知っている者も此処にはいるだろうが、この城の内部自体が荒廃し、時に嵐が吹き荒れる」
それは一体どのような状態になるのだろう?と想像し、まぁ、何にしろ、そういった事態に遭遇する事にならなければいいが…と思う。
面倒は避けるに越した事はない。
今は、酷く落ち着いて見えるし、ベイブ程に虚ろな人間が取り乱す姿が思い浮かばず、夜神は早々起こる事ではないのだろうと、勝手に判断した。

「客人を招き入れるような、『他者の目に触れる事を前提とした』この表層部分であれば、私の意識が今のように明確であればコントロールはかなり自由に出来るのだが、深層までは私自身でも、理解しきれておらぬ部分だ。 その様相が『私次第』で変わるものというのは間違いないのだが、深層域にあるものを表層まで持ち上げる事は不可能であるし…」そう説明し、黒須を見れば肩を竦め。
「ま、つまり、帽子屋ってえのは、そもそも、深層に棲む住人だったんだよ。 この城のな。 だが、こいつが不安定な時に、その隙をついて上層階でとんでもねぇ茶会を開き、混乱に拍車を掛けるもんだから、完全に深層から上に上って来れねぇように封じ込めた。 そうしたら、今度は、竜子が茶会に迷いこんじまって…」
「で、帰って来れない…と」
夜神は、どうして自分の居住区で迷うのか理解できず、思わず呆れた声で言ってしまう。
そんな夜神の呟きに「…ま、生来のあいつの方向音痴プラス帽子屋の目論みも関係してんだろうけどな」と黒須は答えた。
「竜子ふん捕まえて、何を考えてんだか。 そのうち益体もねぇ、取引でも持ちかけてくんじゃねぇの?」
そう黒髪を流れ落ちるようにして揺らし首を傾げれば、「さぁて、然程に分際を弁えぬほど愚かでもあるまい」とベイブは静かに答える
「や、方向音痴と言っても、その深層…っていうのは、そんなに迷い込みやすい場所にあるのですか?」
夜神が重ねて問えば、黒須もベイブも一緒になって彼に顔を向け、声を揃えて「「いや?」」と答えた。
「まぁ、基本、人間が深層心理に他人が立ち入るのを嫌うが如く、城でも私が道を開かねば滅多に足を踏み入れる者もおらぬような階層だ」
「俺も、一度だって地下階には足を踏み入れた事ないしな」
そう答えられ、「じゃあ、なんでそんな場所に…」と呟く夜神に、「いや、それが竜子だから…」と黒須が当然のように言えば、思わず翼も、そしてその他のメンツも頷いた。

どれだけ方向音痴なんだ。

想像がつかず周囲を見回せど、皆一様に納得の表情を見せている。

この場で竜子を知らぬのは夜神だけなので、しょうがないと言えばしょうがない反応なのだが、若干の寂しさを感じ「そんなに、凄いのか? その子の方向音痴って…。 なぁ、一体どんな子なんだ? その、竜子って子は…?」と翼に問うてみた。
翼は、夜神を見上げると「えーっと…凄く素直で可愛い方だよ」と、微笑みながら当たり障りのない返答をしてくる。
「ええ、それで、とても赤い特攻服がお似合いで…」
微笑みながらモーリスが言葉を続け、エマが「私の事を姐さんって呼ぶのだけは勘弁してほしいんだけどね…」と呟き、ベイブが遠くを見るような眼差しで「まぁ、総じて言えば、歩くトラブル発生装置のような姦しい小娘だ」と言葉を締めた。
「…大体分かったか?」
黒須が問われ、夜神は爽やかに笑いつつ「さっぱり!」ときっぱり答える。
「まぁ、何にしろ、翼の友達なんだろ?」
夜神がそう問えば、翼は苦笑して「まだ、そこまでは親しくないけどね…」と答え、それから、何かを思い出すかのように、軽く瞼を閉じて、「うん、でも、彼女が困ってるなら助けてあげたいよ。 僕は、全力を尽くして」と力の篭った声で言った。
大体、困ってる女性を見逃せる性質じゃない翼をようく分っている夜神は、彼女の言葉にあっさりと自分の決意も固め、「じゃあ、竜子って子がどんな子にしろ、俺の目的も同じになる」と気負いなく答える。
夜神の言葉を心強く思い、翼は柔らかく微笑んでくれて、こうやって翼に笑ってもらうためなら自分は何だって出来るのだろうと夜神は確信した。

その位、大事な、大事な妹だった。

翼の形の良い頭に夜神は掌を置き、戯れのようにして、絹の糸に似た手触りの金色の髪に指を遊ばせる。
「中々一緒にいれないからね。 こういう所で冒険してみるのも悪くない」
そう呟けば、翼は少し目を見張り、それから、また、優しげに笑った。

「その…命には別状ないのかい?」
そう翼が問えば「それはない」とベイブがきっぱり答え、「この城の中で、誠と竜子が『危害』を加えられる事は絶対にない」と、断言した。
「普通の人間なら、三日間の拘束はかなり消耗を強いられると思うのですが?」
モーリスが問えど、黒須はヒラヒラと手を振って、「体力に関しちゃ、若いのもあって、かなり常人じゃない域に竜子は達してるから、そこら辺はまぁ、心配いらねぇよ。 そりゃあ、疲れ果ててはいるだろうが…まぁ、それこそ、命までは取られやしねぇ」と答えた。
この二人が、なんだかんだで切羽詰ってないのはそういう理由からかと納得しながらも、逆に言い換えれば、こうやって他人に助力を求める程には厄介な事態が訪れているのだろうし、この如何にも面倒くさがりそうなベイブがこうやって自ら来客に相対し、態度はとてもそうとは見えないが、竜子の救出を頼んでくるのだから、彼にとっては、やはり竜子というのは、そうやって守るべき存在として認識されているのだろう。


「…そのような事は、絶対に許さない」


何処か思いつめたような風情すらある言葉を、ベイブはただただ、無表情に口にした。

ベイブの言葉をどう感じているのか、一瞬だけ複雑な表情を浮かべるも、夜神の視線に気付いたのか、また、意味の無いニヤケた笑みを浮かべて「さ!」と黒い皮手袋を嵌めた手を打ち合わせる。
「他に、何か質問は?」
黒須の声に、皆で顔を見合わせ、翼が手を挙げた。
「最後に…そのお茶会から解放してもらえる方法
っていうものに、何か心当たりはないのかい?」
翼の問いかけに、エマも同調した。
「そう、その、どうも聞いていると随分儀式めいているというか、帽子屋さんは、帽子屋さんのルールに則ってお茶会を執り行っているようじゃない? だったら、王様として、お茶会そのものを終了させたり、もしくは新しい終了条件を作る事は出来ないのかしら?」
ベイブは目を細め、エマと翼の顔を交互に眺めて、小さく笑う。
「色々とよく考え付くものだ…」
それは、感心しているようにも聞こえる声。
そして、暫しベイブは考え込んだ後に、重々しく口を開いた。
「出来ぬ事はない…が…、それを帽子屋が素直に受け取るかどうか…」とベイブは言った。
「どういう意味だ?」
翼が問う。
「つまり、帽子屋は、人の言葉を『わざと』相手が曲解するのだ。 それも、最も望まぬ方向に」
「じゃあ、もし、君が『お茶会を即刻終了しろ』と伝えたとしたら?」
「まぁ、アレの思考回路等、そうそう計り知れるものでもないのだが…この前の茶会の際、同じような事を命じた時は、アレはお茶会の終了時には参加者を『とっときの方法』で持て成すイベントを執り行うのが決まりだと言ってな、その時不幸にもお茶会に居合わせたものどもは皆、鉄板焼きにされたのであったっけな?」
ぞっとするような事をいうベイブに黒須は首を振り「いや、フィナーレの花火と一緒に打ち上げられたんじゃなかったっけ?」と、もっと恐ろしい事を言う。
「…良いです。 もう、何も帽子屋さんにはお伝えにならないで下さい」
心底の声でエマが言い、翼もこくこくと頷いて、同意を示した。

「どんな言葉であれ、向こうの都合の良いように捻じ曲げられるか分からない。 幾ら、命の補償はなされていても、『王の命令』の威光を笠に、竜子の命が奪われる事態が起こりえないとは断言できないのだ」
ベイブの言葉に納得したという風に頷き、「だから、どうしても、私たちで迎えに行き、竜子さんを返してもらわなきゃいけないんですね?」と、微笑みながら言うと「分かりました。 言う事聞かないとこっから出して貰えないみたいですし、何だか楽しそうな城だし、竜子さんの事も知ってる身ですからね。 ご協力いたします」とモーリスは、美しい緑の目を瞬かせながら明らかにワクワクと楽しげな声で告げ、結果それが、今そこに集っているメンバーの総意となった。

「では、出発前に、今の女王の状態を皆様にお見せします」

そう言いながら、白雪が自分の胸に両指を突き立てる。
「?!」
夜神は目を見開き、その光景を凝視した。

ズ、ズズズと指先が胸部に潜り込み、顎を上げて恍惚とした表情で白雪が胸を開く。

そこには大きな楕円の鏡面が闇に浮かび上がり、こちら側に立つ者々の姿を映していた。
白雪が目を閉じる。
すると、鏡に竜子の姿が浮かび上がった。
竜子の頭上には、ぎらぎらと光る刃が吊り下げられていて、さながら処刑台の様相を見せている。
彼女の椅子の周りを、トランプの模様をプリントした服を来た小人達がぐるぐる走り回っている。
その奥には、演奏者もいないのに自立し、弦を当てられ弾かれるバイオリンの姿も見え、ぐったりとテーブルに突っ伏している金髪の女が竜子で間違いないだろう。
随分と草臥れているが、随分と派手な化粧をした女だと、夜神はマジマジと眺める。
その場の有り様は「乱痴気騒ぎ」と以外どう呼べばいいか分からない状況だった。

竜子の隣に座る、ちぐはぐで派手なタキシード姿に帽子を目深に被った男が紅茶を啜っていた。

この人が帽子屋。

その姿を夜神は自分の目に焼き付ける。

不穏だった。
直感でしかない印象だが、それは確信にも似ていた。

不穏な男だった。

机の上には、砂糖細工の精緻な花々があしらわれた異常な大きさのケーキや、人型や髑髏型、ハートにわざわざ皹を入れた悪趣味な形のクッキーやら、毒々しい色合いの具材を覗かせる正体不明のミートパイ等が並んでいる。
と、同時に、机の真ん前に巨大なチェス盤が置いてあり、その上で血みどろになってチェスの駒とおぼしき人形達が闘争を繰り広げていた。

「何…これ…?」

そう漏らしたエマの呟きに、夜神も同意せざる得なかった。
明らかに、尋常でない光景。

ベイブは肩を竦め「これでも、いつもよりかは幾分かマシだ。 竜子を捕らえている分、私が常に監視している事を警戒してるのだろう」と答える。
そして、次の瞬間、翼が、翼のものとは思えないような、この世の終わりのような悲鳴じみた声で叫んだ。

「金蝉?!」

翼から何度か聞いた事のある名前に、慌てて鏡を覗き込めば、若干先程より手前に引いた情景を写す鏡の中に、金色の美丈夫の姿が映りこんでいる…が…。

「…魔王?」

そう小さく呟いたモーリスの言葉に、エマが「魔王ね…魔王」と何度も頷き返している。
金蝉が腰掛けている椅子には竜子と同じく頭上に処刑用の刃。 
見るからに性質の難しそうな男なのに、このトンチキな状況に怒りを覚えない筈はないというか、多分もう限界。
その位、全身から立ち上る怒りのオーラが凄まじく、表情と言えば、もう、多分この人、本来ならば世紀末とかに世界に降り立って人類を恐怖のずんどこに叩き落していた筈の人だよね!と断言したくなるほどに修羅めいている。

何でそんなところいるんだ?

「お…終わった…何もかも…。 お、終わり尽くした……」

普段は冷静な翼が床にしゃがみ込み、項垂れながらぶつぶつと呟く。
「さぁ、どうする? どうする、僕!」
そう自問自答する翼の尋常でない様子を心配し、「翼? え? 大丈夫? っていうか、何? 金蝉って、よく話してくれてる男か? なぁ、どうしたんだよ?」と問いかける夜神の声も耳に入らぬのか、暫くぶつぶつと呟き続けた数秒後、一度力強く頷いて立ち上がると、必死な声で「さぁ! 行きましょう! すぐ行きましょう! 即座に行きましょう!」と翼が訴える。
「う、うん、え? いや、行くけど…そんなに金蝉さんヤバイ状態なの?」
そう問い掛けるエマに虚ろな笑みを浮かべて「ていうか、もう、ヤバイ状態とか突き抜けて、既に爆発してる状態です」と翼が答える。

いやいや、どんな爆弾男だよと、夜神は思えど、それは切実な危機状況であるらしい。

「多分、竜子さんの事もあって我慢してくれてるんだろうけど、正直、僕の手に負える状況かどうかすら怪しいので、早く解放してあげないと…」
そこで一旦言葉を止めて「…滅びます」と告げる言葉の、主語はないのがより恐ろしく、エマが何度も頷くと、とりあえず翼と並んで一目散に扉へと向かい始める。

余りに、性急な様子に「翼?!」と名前を呼べども、彼女は振り返りもしない。

「あ、おい! こら、勝手に行くな!」
「あー、えっと、できればのんびり、お城の様子とか見学しながら向かいたいんですけどぉ…」

そんな男性陣の声を一切無視し急ぐ女性二人の後を、それぞれ顔を見合わせて、それから必死で後を追った。





「うわぁ…! これは、大変に美しい庭だ。 ガーデナーの方は何処に?」

ここは宮殿中央にある薔薇園。
広大な面積を誇る城ならではの設備なのか、それとも、そもそも「面積」などという概念自体この城には無用で、この世界には限りなどないのか…。

夜神は、その艶やかに咲き誇る薔薇に目を奪われる。

虹色の水を吹き上げる噴水に走り寄ったモーリスが何かに目を留めたかのように首を傾げた。

「デリクさん?」

そう問う声。
薔薇園に放たれているらしい、黒揚羽が一斉にヒラヒラと飛びかう中、その身にも何匹もの蝶を止まらせながらその男はいた。

真意の見えない謎めいた笑みを浮かべ、すっと優雅に一礼する。
その瞬間、彼に停まっていた蝶達がフワリと飛び立つ。
さながら、黒い羽を広げるが如く。
その姿は幻想的でありながら、何処か不吉だった。

「こんにちハ。 皆様。 ご機嫌は如何ですカ?」

微笑を浮かべるその顔を見て、黒須が何か言うより早くエマが叫んだ。


「帰ってえええぇぇ!」



突然の帰れコールに、デリクと呼ばれた男が「はい?」と固まったまま問い返すのを見て、「そうだ! 帰って下さい!!!」と翼も叫ぶ。
そんなに、どうしてこの男は嫌われているのか計り知れぬまま、状況を見守れば「かーえーれ! かーえーれ!」と、咄嗟に何にノせられてかは分からないが拳を突き上げながら黒須も叫ぶ。
そんな状況に哀しげな表情を見せると「久しぶりニ、お会いしたのというのニ、何故か即イジメ…、しかも小学生ノリ…」とデリクは項垂れた。 
が、そんな様子はポーズだけで、全くのノーダメージらしいデリクは、即座に顔を上げ二コリと笑うと、「マァ、そんな事言わズ、えーと、竜子さんでしたッケ? 一緒に、助けに行きましょうヨ? ネ?」と首を傾げる。
「あー、心配だナァ! 竜子さン! きっと今頃、辛くて、辛くテ、泣いてしまっているかも知れませン! そんなの、可哀想過ぎまス」
そう両手を合わせながら言うデリクに、「な、なんて心無い」と言いつつ「大体、そもそも、なんで、そんなに今回の事情に詳しいんだ」と半眼になる黒須。
エヘッと言わんばかりの笑顔を見せると、「黒須さーン? 魔法の力は、マジカル☆ミラクル。 魔術師に不可能はないんですヨ?」と言いつつ、「えーイ」とその額を指先でツンと突いた。
(わぁ…)
夜神が咄嗟に眩暈を感じれば、翼も同じ心境らしく、ふらつく彼女背中を支える。
「あ、ありがと…」
そう礼を述べられ「なんか…もう、理解の範疇外のやりとりだな」と夜神は苦笑を浮かべつつ呟く。
分からないなりに、デリクという男がこの城にとって害のある存在であるらしい事は察する事が出来た。
まぁ、後で翼に詳しく聞こうと思い、視線を送れば
翼はもう、既に疲れきった声音で、「理解出来ない方が正常だよ」と返事をすると、苛立たしげに、ガジと親指の爪を噛む。
常に無い、翼の余裕のない様子に、夜神は不安感に似た気持ちを抱くと、翼を支える掌に力を込めた。

「黒須さん! 黒須さん!」

モーリスに名を呼ばれ「んだよ」と不機嫌そうに振り返る黒須に、「良かったですね! こんなに虐めてくれる人がたくさん集まって」と、無邪気な声でモーリスが告げると、もう涙目になりながら「意味が分からない!」と黒須は叫んだ。

「ア! 止めて下さいヨー? 私の言葉で変態的欲求を満たそうとするのハ!」
腰に手を当てて、プンプンといった調子で告げるデリクに、「駄目ですよ! デリクさん。 黒須さんは今傷心なんです。 ご主人様に会えなくて、ストレス過多なんです。 毛髪ズル剥け直前なんです。 だから労わって虐めてあげないと」とモーリスが声を掛ける。
「アア! それは思い至らズ、失礼致しましタ、このオス蛇! オス蛇なら、オス蛇らしく、大人しく、私の言う事を聞いていたら良いんですヨ!」
「わぁ! お上手です! 筋が良いです! さぁ、どうですか? 下等なオス蛇さん!」
「うっかり、死にたいわ!!!!!」

絶叫に近い声で叫ぶ黒須。

あ、最強だ。 何気に最強だ。 この二人揃ったら最強だ。

夜神は余りに阿呆なやり取りに頭痛を覚えしゃがみ込みたい気分に襲われた。
「何というか…無残という言葉がぴったりな状態だな…」と呟いて、夜神は何がなんだか分からないながらに、黒須を哀れに思い、とりあえず両手を合わせて、黒須を哀悼の意を表す。

渦中の黒須はといえば髪を掻き毟りながら、「うがあああ! は ら た つ !」と喚き散らしていた。
「だからネ?」
突然言葉を切り、ツイと自分を指差すと、「適任だと思いますヨ? 帽子屋さんには私のような人間ガ相手をするのが一番でス」とデリクが自信たっぷりに告げる。
「欺く言葉、惑わす言葉、言葉、言葉、言葉! さて、帽子屋さン! どれ程私を、楽しませてくれるでしょうカ? 楽しみだナァ! お会いするのガ」とはしゃいだ声で言うデリクに「確かにお前が適任だ。 あいつの言葉の煙に巻かれぬようせいぜい気張ってくれ」と黒須は言えば、「了解でス! ついでと言ってはナンですガ、噂の『白雪』嬢にも会わせて頂けませんカ?」と更に言葉を重ねた。
「白雪に…? 何が望みだ」
「……ちょっと、私の未来の姿なんかをネ、見せて頂きたいなァと、考えましテ」
微笑みながら言うデリクに溜息を吐き「別にいいぜ。 全部済んだ後で良いなら、会わせてやる。 その代わり帽子屋は頼んだぞ?」と黒須は答えた。
手を打ち合わせ「ありがとうございまス! どうせだったラ、もっとサービスで虐めてあげましょうカ?」と問いかけるデリクに、「結構です!」と即座に黒須は答え、此処までのやり取りで苛々も限界に達したらしい翼が「もう…良いね? 行くよ?」と低い声で唸るように言った。

「しかシ、深層にまで足を踏み入れられるとは、きっと、この表層より面白い光景が見られるに違いありまセン。 そう思うと、ワクワクしますネ」
そうデリクが嬉しげに言うのを聞きながら、横目で夜神がその仔細を眺めれば、クリンと首を向け「初めましテ。 ですよネ?」と問い掛けてくる。
夜神は頷いて「夜神潤です」と名乗れば、デリクは微笑みながら「私は、デリク・オーロフと申します」と言いつつ手を差し出してくる。
夜神は屈託ない様子でその掌を握り返し、「えっと…デリクさんは…此処、何度も来た事があるのですか?」と問い掛ければ「いエ、私も二度目でス」と愉しげな声で答えられた。
「二度目か。 なんだか随分と慣れたご様子なので、何度もお越しになられているのかと思いました」
柔和な笑みを浮かべつつそう言うモーリスにデリクは首を振り、「然程、気軽に来れるような場所じゃないようデ」等と、眉根を下げて彼は言う。
「中々面白い資料等がたくさん詰まっているのデ、それこそ図書館感覚でもっと通いたイのですが、ネェ」
そう嘆くデリクに、夜神は冷静な声で「中々剛毅な人ですね。 薔薇園にも一人でいらっしゃったし、怖いものなしの性質ですか?」と問えば、デリクはパチパチと瞬きをし、それから薄く微笑んで「とんでもなイ。 私は石橋を叩いても渡らない程の、臆病な人間でしテ、ただ、どうにも昔から向こう見ずな所もあり、夢中になると周囲の状況が見えなくなってしまうんデス。 普段は、しがない英語教室の講師をしておりましテ、剛毅なんて言葉とは、縁遠い生活を送っておりマス」と、立石に水の如くの口調で夜神の言葉を否定した。
「ただの…英語講師……ですか?」
白い指先を頬にあて、わざとらしい様子で首を傾げるモーリスに「ええ、ただの…ネ?」とデリクが微笑み返す。
なんだか、胡乱気なやり取りに、そういった遠大さを鬱陶しく感じる夜神は辟易して、「どうして、貴方、あれほど翼達にこの城に居る事を厭われていたんです?」と単刀直入に切り込んだ。
デリクが夜神を見返し、「はっきり物をお尋ねになる方ダ」と、朗らかな笑みを見せ、それから暫し悩んだ素振りを見せた後、「いいヤ。 隠していても、翼さんからお伺いするでしょうしネ」と呟いて、「実は、前回此処を訪れた時に、ちょっとした問題を引き起こしてしまいましテ」とデリクは告げる。
「ちょっとした問題?」
夜神が首を傾げれば「ちょっとばかり、ここの王様を狂わせてしまいましタ」と軽い調子でデリクは告げた。
目を見開いて、その底知れない思惑が沈んでいそうな顔を見返せばヒラヒラと手を振って「いやだなァ。 偶然でス。 偶然。 何だか私の事が、王様はお気に召さなかったらしくテ、お聞きになってるでしょウ? ここの王様が狂えば、どんな弊害が引き起こされるカ。 まぁ、だから、そのせいもあって、あれほど警戒されているんですヨ」とデリクは言い、にこりと音がしそうな笑みを浮かべる。
「え…じゃ、その…ここにいては…」
夜神がそこまで言って言葉を見失えばモーリスが、柔らかな声で「貴方がベイブさんに見つかれば、彼は、その?」と問いかけ、デリクは頷いて「まぁ、狂うでしょうネ」と答える。
「マズイんじゃないか? 白雪さんとかで、貴方の姿を確認されたら…」
そう夜神が言えば、デリクは首を振り「彼女は私の姿を映しませんヨ。 彼女はベイブさンの安定を何よりも尊んでますからネ。 白雪の知りえぬ事等、この世にはありえなイ。 よしんば、この城には、彼女の目が行き届き、どんな小さな鼠の侵入とテ、彼女は見逃しはしませン。 私の存在にだって、とっくに気付いている事でしょウ。 それでも、ベイブさんが、未だ安定を保っているのは、故意に彼女が隠しているからに他ならなイ。 大丈夫でス。 白雪は私の存在を隠し続けてくれますヨ」と断言した。

そこまでデリクが言い切るならば、安心していいことなのだろうと夜神は判断する。
しかし、あのベイブを「狂わせる」という男の存在は、なんともいえない不吉の影を夜神の心の内に落とした。





中央大広間。

そびえ立つ。二階へと続く薔薇の意匠が施された白亜の螺旋階段を、圧倒されるような気持ちで夜神は見上げる。

「この城の地上階。 つまり表層階域は、大体五階まである」
「大体?」
夜神の疑問の声に、「一度、地上200階建てになっていた事があってな…」
ひっひひひ…と不気味な笑い声を肩を震わせながら漏らす黒須。
「200階…高層ビル並ね…」
エマが呟けば、「わァ! 土地価格高騰の時代に何とも羨ましい話でス」とデリクが手を打った。
「何処が、羨ましいものか! もー、大変だぞ! 俺と竜子の部屋、1階にあって、あの腐れ殿様がおわす玉座200階な! 登るの! 俺達が! この階段を! しかも、あいつ、すげー、アホな事に、エレベーターとか、ゴンドラとか! そういうなんか、俺達を自動的に上に運ぶ装置一切思いついてなくて! そんで、やっと登りきったら『外が見えないなら、高い場所にいてもつまらんもんだな』って、ほんと、バカじゃねぇの?! バカじゃねぇの?!(二度目) 俺、基本的に、一時間に一回はぼんやりと、『あー、あいつ、ほんとに死なねーかなー』ってベイブの事を考えんだけど、あの時は、二分に一回考えた! 二分に一回『死ね!』って、竜子と一緒に叫んでた!」
ヒステリックに叫ぶ黒須に、こんな城に住むのは、常人の身では辛かろうと夜神も少々同情する。

「で、時たま、此処の階数を気まぐれに高くしたりしちゃうあいつに、二人がかりで頼み込んで備え付けて貰った装置がこいつ」

そう言いながら、黒須が螺旋階段の吹き抜け部分真下。
これまた大きな薔薇の紋章が描かれている絨毯部分に立ち、「あー、ちょっと俺の周り集合」と声を掛けてくる。
パラパラと黒須の周囲に立つ面々を見回し、「ん」と小さく頷くと、突然一度「ドン!」と強く足を踏み鳴らした。

その瞬間金色の正方形の柵がせり上がり、四方を取り囲む。
天井から、同じく金色の鎖が垂れ下がってくるのを黒須は確認すると「潜る」と一言宣言して、ぐいと鎖を強く引いた。
その瞬間、三半規管の弱いものなら眩暈を覚えるほどのスピードで柵に囲まれている部分の床が、沈む。

「っ!」

金色の柵の向こう側の景色が猛スピードで駆け上がっていくようだった。

「ここら辺だろ」

そう言いながら黒須がぐいと再び金色の鎖を引けば、チンと涼やかな鐘の音。
せり上がってきた時と同じく、金色の柵が静かに沈んでいく。

「う…わ…」

誰かが息を呑む声が聞こえた。

夜神も咄嗟に何も言えずに感嘆の声を漏らす。

青色のステンドグラス。
天井も、床も、壁も全てステンドグラスで出来ている。
その全てに精緻な花や、聖人の絵が描かれており、夜神はその青く統一された色彩から、ランス大聖堂のシャガールのステンドグラスを思い出した。


深い澄んだ深海の底に沈んでいるような気持ちになる。
天井には教会などで天井近くに嵌められている明り取りの為の円形の薔薇窓が連なっていた。
何処までも青く透き通った、ほの暗い世界。

ここが、この城の、ベイブの心の深層。

なんて暗い…
なんて澄んだ…
なんて…なんて…

息を吸い込む。
空気が重い。

肺が、ずんと空気の重みに少し沈んだような心地さえ覚える。
それほどに、この空間は見るものを圧倒させる荘厳さを有していた。

四方全てがガラスで出来たホールを見回し「まぁ、あいつは落ち着いてやがんだよ。 今のトコは」と言いながら胡乱気な眼差しでデリクを見れば、「にこ」と音がしそうな笑みを浮かべて「大丈夫でス。 ベイブさんに見つかラないよう、大人しくしてますヨ」と大絶賛信用ならない声で請け負った。

天井からぶら下がっている巨大なシャンデリアが煌々とした光を放っている。
黒須が歩き出せば、壁に配置されているガラスの燭台にもその後を追うようにして灯りが灯り始めた。

「さぁて、こっからが面倒だ」

黒須が少し気合の入った声で告げる。
「分ってるのは、この階層の「何処か」に、乱痴気騒ぎの会場があるってぇ事だけ。 白雪の見立てでは中央部分にあるとは言ってたが、何にしろ、道筋なんか毎日変わるこの城だ。 果たして、この階層の中央部にどう道を行けば辿り着けるかはとんと分からねぇ。 さぁて、どうしよう?」

黒須の言葉に、翼が手を挙げて「一応、風に聞いて部屋の場所を探ってみよう。 ただ、地下階にある上『外界』のない世界だから、非常に微弱な風しか感じられない。 僕は僕で探り探り行く事になると思うから…」と言えば、続けて「じゃア、大変迷いやすい城ノ構造を考えるニ、6人でゾロゾロと動き回るより、少人数に分かれて探索した方ガ効率が良いかモしれまセン」とデリクが提案する。
「黒須さんは、この城の内部について、俺達より詳しいですよね?」
夜神の問いかけに頷いて、「ま、一応住んでるし、な」と黒須は答えた。
「どの道を行っても、このホールまで確実に戻って来れますか?」
「ああ。 こいつが…」
そう言いながら、飾台を指差し「俺の行った道には灯るようになってる。 つまり…」と黒須が最後まで言い終わる前に「ああ、では、灯りを逆に辿れば…」とモーリスが頷き、黒須は肩を竦めて「ま、そういうこった」と言葉を締めた。
その言葉に安心し、夜神は「では、二手に分かれましょう。 俺は、一度行った道は忘れない。 翼と一緒に行って、中央部らしき場所に辿り着いたら、また逆を辿りこのロビーに戻ります」と提案する。
「了解。 じゃあ…」
「あ、私、翼ちゃん達と一緒に行く」
ひらひらとエマが手を挙げながらそう宣言すれば、「何でだよ」と黒須が半眼になって問うてきた。
「だって…何かあった時、この二人と一緒の方が心強いし…」とそこで言葉を切り、残った、モーリス&デリクの二人を交互に眺めているのを見て、夜神が先程の薔薇園で見た手に負えない状況を思い出せばエマも同じ事を考えたのだろう。
「…この組み合わせのが、絶対面白いもの」とぐっと握り拳を固めて見せる。

わぁ、エマさん、大胆だなぁ…、と思えど、まぁ、散々に振り回されているのだから、その程度の復讐は良いだろうと夜神も思う。

黒須は一度、静かな顔になって背後を振り返り、黒須の視線を受けて、何故か意味無く揃ってピースサインとかを出したりするモーリスとデリクの顔を眺めて「嫌だあああああ!」と絶叫した。

「無理!! 色々、無理!!!」
そう叫び、がしっと腕を掴もうとする黒須を、エマが絶対零度的冷たさで跳ね除ける。

「ガンバッテ☆」
舌をちょろっと出し、あまつさえウィンクまでかます、かなりのはしゃぎポーズを見せた後、「分りましタ! では、黒須さン、案内をお願いしまス」、「ほらほら、ぼさっとしてると置いてきますよ?」と、二人に言われながらガシッと両側から腕を捕まれ、ずるずるずると引きずられだす黒須。

「もう、自分の足で歩かないと、文字通り首に縄着けて引っ張りますよ? 窒息するまで! わぁ! なんて、サービスが良いんだろう、私って!」
「ああ、丁度首輪も着けられテますし、それは、良いアイデアですネ!」と、あからさまに「黒須可哀想…」な会話を交わしつつ廊下の先へと消えていく三人を小さく手を振って見送るエマ。
その微笑みは、陽だまりのような暖かさに満ちていたが、見送るものがものなので、一言で言うならば場違いだ。
「さて、私たちも行きますか!」と笑顔で二人に声を掛けてくるエマに、「エマさんって…」と、そこまで言って夜神は口を噤む。
翼は、黒須とのやり取りにおけるエマの性質を既に理解したのか、「先を急ごう」と何でもないように夜神に声を掛けて先に立って歩き出した。
その力強い後姿に、今度は「女って…」と夜神は呟いてしまう。
まぁ、呆然としている場合ではないと気を取り直し、夜神は二人の後を慌てて追った。

「しかし…綺麗なもんだなぁ…」
辺りを見回しながら夜神は呟く。
美しくも澄んだ、蒼い世界。
「ほんとね。 ほら、あのステンドグラスなんか、ほんとに細かい絵が…」
エマがそこまで呟いた所で、ステンドグラスに描かれていた蝶の絵がキラキラのガラスの羽をはためかせ、その近くに描かれている花に停まる姿を夜神は目撃した。
「…あー」
「動きましたね」
夜神が冷静な声を出せば、エマも冷静に頷いて、「そういえば、この城に飾ってある絵とかも動くのよ」と夜神に教えてくれる。

動く絵!!

酷く興味をそそられて、「そうなんですか? ああ、じゃあ、是非見せて貰わないと」と期待を含んだ声で言い、「前に此処に来た時に翼も、見たのか? 動く絵を」と翼に問うた。

足早に歩きながらも、風とコンタクトを取っていたらしい翼が慌てたように振り返り「え?」と首を傾げた。
「…ああ、邪魔をしたか?」
気遣わしげに夜神が問えば、その表情に翼も思うところがあったのか、「いや」と首を振り、「ちょっと…余裕をなくしてた」と小さく笑う。
をなくしてた」と小さく笑った。

すると、そんな翼の心理状況を表すが如く、その両脇にあるステンドグラスに、硝子の雨の絵がシトシトと降り始める。
「…好きじゃないんだ。 ここ」
雨の音に促されるように、翼が自分の心境を吐露すれば、夜神は「ふうん」とわざと素っ気無い返事を返し、あたりを見回して、「そうなのか」とだけ答える。
多大な興味を示すより、適度な距離感を示すほうが、翼は喋りやすい。
翼の性質を熟知した夜神の対応に、自然翼の口も滑らかになる。
「なんだか、この城とは合わない。 きっと、金蝉もだ。 早く…助けてあげないと…」
翼の言葉に、夜神は無表情のままポケットに手を突っ込み、少し背を曲げて翼の顔を覗き込んだ。
「大事なんだな。 金蝉が」
翼は表情を変えずに夜神を見返す。
だが、その足元から、一輪の硝子の花が突如芽を出し、すくすくと茎を伸ばし始めた。
「…大事だよ」
翼はそう答え、その咲き始めた花を見下ろす。
見る見る硝子の茎を伸ばした花は、そっと翼に寄り添うように立ち、凛と首を上げて白い色をしたガラスの蕾をつけた。

何だか、少し気に入らない。

大事な妹の心が今、今日初めてその姿を確認できた男に占められている事を知り、何だか悔しいような気持ちに陥る。

エマが、口を噤んだまま、静かな表情で、そっと硝子の壁に寄りかかって此方の様子を眺めていた。
花に停まっていた蝶が、今度は、エマの傍へとふらふらと飛びながら寄ってきて、その肩口で羽を休めた。

酷く余裕のなさげな様子。
常に無い翼の表情。
夜神がそんな翼の事が気にならない筈もなく、焦る彼女を引き止めてまで問い質しているのは、それが翼の気持ちを楽にすると確信しているからだった。

「何が、そんなに気に入らない? 理由があるんだろう」
翼が夜神の言葉に目を見開く。
夜神は手を伸ばし、翼の頭を優しく撫でる。
こんな風に、気軽に翼の頭を撫でられる男は俺くらいだと思ってたのにな。

金蝉か…。

「俺が、翼の事を分らない筈ないじゃないか。 言ってくれよ。 なんだか、細い糸を強く張ってるみたいだ。 今にも、千切れてしまいそう見えて心配でたまらないんだ。 俺は勿論だし、エマさんだってきっと話を聞いてくれる」 
夜神の言葉に「とーぜん」と言いながら手を振って、エマは、「でも、無理に喋らなくてもいいの。 言いたい事だけ言ってよ。 自分が楽になれる方法を一生懸命考えて、私たちが手伝える事があるなら言って頂戴?」と言葉を続ける。

ああ、やっぱり頼りになる人だと、夜神は微かに微笑んで、エマに心の中で感謝の念を捧げた。

夜神も頷いて、「つまり、翼。 俺も、そしてエマさんも、翼の力になりたいんだ」と言えば、翼は美しい顔にまるで子供のような、頼りない子供のような、寄る辺のない子供のような表情を浮かべて、「なぁ…潤。 優しいってどういう事だろう」と唐突に問うてくる。
夜神は、その突拍子もない問いかけに「強いって事だよ」と即座に答えた。
翼が手を伸ばし、夜神の服の裾を掴む。


「じゃあ、僕は優しくないんだ」

「どうして?」
「強くないから」


夜神は、指が真っ白になる程に強く自分の服の裾を握り締めている掌にそっと自分の掌を重ねた。
小さな掌。

翼の事が、愛おしくてたまらないような気持ちが込み上げる。

翼がゆっくりと口を開いた。

「この城は時が止まってるんだ。 千年後、ベイブが呪いから解放され息絶え、滅ぶその日まで、この城の中では時間が流れない。 つまりね、この城に囚われている竜子さんも、黒須さんも同じ運命を辿るって事だよ」

翼が、掠れた声で言った。

エマがショックを受けたように震える声で、「え…ねぇ…それって…つまり…、あの人達…千年もの間…」と呟くのを途中で遮り、「死ねないんですよ」と、翼はきっぱりとした声でエマに言う。

「この城から出ている間は、時間の経過の影響を肉体も受けるらしいのだけど、この城の中にいる限り彼らは一切『老いない』」

夜神は、翼の手を握り締めたまま何も言わずにじっと見下ろす。


なんだ、そんな事か。

咄嗟に、冷たい位の気持ちになった。

そんな事で、この大事な大事な優しい妹は悩んでいるのか。


「知らなければ…ねぇ…」

翼は小さな笑い声をあげた。

「知らなければ…きっと、そのままで…いられるのだけど、知ってしまうと…どうしてもやりきれなくなるね。 こういう事は。 竜子さんも、黒須さんも『普通』なんだ。 呆れる位に。 『人間』なんだ。 どうなんだろう? 千年。 分んないや。 彼らにとって、その時間が苦痛なのかどうかが。 僕、『普通』じゃないから。 分んないや」

エマの肩に停まっている蝶が、ふいに壁から抜け出し、そして翼の足元に咲く花へひらひらと飛んできた。
硝子の羽。
キラキラと反射し、光の奇跡が三人の間を飛び回る。

「僕には、どうしようもない。 そんな事分ってる。 だから、ここは嫌いだ」

千年。 確かに長い時だ。 不老不死の自分から見ても「嗚呼、長い」と思わずにはいられぬ程の時。
だが、選んだのは彼らだ。
この城に住まう事を了承しているのは彼らだ。
普通でないと言うことを選ぶ時、そこには「普通でない」代償がつきもので、きっと、あの二人はそれを分っている。

否。

分かっていなかったとしても、そんな事で、俺の大事な翼が悩むだなんて間違ってる。

絶対に。


「…大丈夫」

夜神は翼の煩悶を断ち切る為にきっぱりと言った。

「大丈夫。 それが、彼らの選んだ道だろう?」

厳しい位の、だが力強い声。
「後悔はきっとしない。 覚悟はあった筈だ。 『普通』でいられない覚悟が。 だから、翼が悲しむことはない。 大丈夫。 彼らは、彼らの強さがあるんだ。 それでも、もし、彼らが真実を知り、本気で救われたいと願い、翼に助けを求めてきて、翼が彼らを呪いから解き放ってやりたいと願うのなら…その時は全力を尽くせば良い。 勿論その時は、俺だって出来る限りの事はする。 だから、もう、そう決めてしまえば良いじゃないか」
言葉に力を込めて言う。
だから、もう悩むなよと抱きしめてやりたかった。
悠久の時を生きる生き物。
それは、夜神も同じだ。

生れ落ちた時から、そういう生き物だった。
その永き命を「不幸」に思っているのなら、確かにベイブは気の毒で、黒須も、竜子も気の毒なのだろう。

だが、もう、「そうなってしまったものは仕方ない」とも夜神は思うのだ。
与えられた生を如何に精一杯生きるか。
その時の自分の状況の中で、どれだけやりきるか。

どうしようもない状況はある。
嘆いても、理不尽だと喚いても、その状況は変えられなくて、絶望する時はある。

だけど、立ち止まって、自分が可哀想だなんて蹲って何もしないより、その時自分が足掻けるだけの事を足掻きまくって見せたほうが、絶対に良い。
絶対に何もしなかった後悔より、何かした後悔の方が、自分にとって役に立つ。

足掻けば良い。
ベイブも、黒須も、竜子も。
彼らなりに足掻けば良い。
大丈夫。

人は強い。

夜神は知っていた。

人は、自分達が思うよりもずっと強い。

だから、翼が心配することは何も無いんだ。

翼も頷く。
「なんだか、僕が慰められたみたいな形になって…」
そこまで言って、ふっと肩の力を抜くと、悪戯っぽい笑みを見せて「ちょっと、気に入らないです」と明るい声で言った。
その声音に、夜神は安心し、安堵の笑みを浮かべる。
エマも「んふふ」と笑い声をあげ「そうね、気に入らないわよねぇ? 心配してあげてるのに、余裕っぽく振舞っちゃって、ねぇ? いいの、いいの。 あの人好きでこの城にいるんだもの。 それに、全くのバカって訳じゃない人よ。 大事にしてる竜子ちゃんの事だって考えてるわよ。 大丈夫。 そう、大丈夫」と明るい声で言い、パタパタと歩み寄る。

ふと目を向ければ、蝶が止まる花がいつの間にか開花していた。
真っ白な硝子の花。
美しいその造詣に目を細め「翼のようだ」と夜神は思う。
凛とした、気高い花。

そして、綺麗な指先を伸ばし、そっと、その花を愛しげに撫でた。


その瞬間。


花が、血のように紅く染まり。


そして、カシャンと硬質な音を立てて砕け散った。



目を見開く。
三人とも、赤い破片が散らばる床をじっと見ていた。
花に停まっていた蝶がまた羽ばたいていく。


ゾクゾクゾクと、寒気のようなものが、夜神の背筋を駆け上がった。


忘れるな。
自分自身が『突然変異』だという事を。
怯えにも似た予感に襲われ、縋るように翼を見つめる。

「…行こう」

翼が何事も起こらなかったと言わんばかりの声で言った。

夜神は、何も起こらなかったのだと思い込みたくて、急かされるようにして頷いた。




「多分此処です」

随分苦労したようだが、執念めいた集中力で持って翼が導いてくれたその場所は、硝子で出来た青い薔薇が咲き乱れた広間だった。

円形の広間は十字の硝子の通路が引かれ、その脇を飾るようにして薔薇が咲いている。
薔薇の咲いている床部は澄んだ水が張られていて、ひやりと広間に満ちる温度は低い。
覗き込めば、サファイヤの如き色合いをした、美しい水の中、薔薇の茎部の間をすり抜けるように、真っ青な硝子で出来た小さな魚達が泳いでいる。

中央部には、大きな扉が一つそびえ立っていた。
裏側にまわってみても何もない硝子の扉。
だが、翼はその扉を開けた向こうで竜子が囚われているお茶会が開かれている事に対し確信を持っているらしく、夜神を振り返り「道、覚えられた?」と問うてきた。
夜神は、自分の頭の中に、これまでの道筋がきっちり刻み込まれている事を確認し、自信たっぷりに頷くと「じゃあ、戻りましょう」とエマにも声を掛ける。
余りに「壊れやすい物」に満ちた、青い硝子の情景が恐ろしいような気がして、美しすぎて不安感を覚えていた夜神は、先頭を立って足早に先を急いだ。


「…つ…かれた」

最初にゴンドラで降り立った広間にて、膝を抱えて蹲り呻く黒須と、その黒須の髪を無意味に三つ編みにしていたモーリスの姿を見て、何故か安堵する夜神。
「よぉ。 見つかったか?」
黒須に問われるも、「いや、うん、その前に、なんなの、それは?」と、エマがごく冷静に呟きながら指差す先には、何故か黒須の頭から生えた硝子の花。
ピョコンピョコンと人を馬鹿にするかのように揺れる花を眺めていて半眼にならざる得ない夜神は、先程エマさんは、全くの馬鹿じゃない等とこの男を評していたが、この姿は馬鹿者以外の何者でもないな、と呆れつつ、頭から花を生やしている黒須をなんだか腹立たしいような気持ちで眺める。

「……色々あったんだよ」

何事か言おうとして諦めたのだろう。
そう纏めた黒須の頭にエマがひょいと手を伸ばし「えい」と平静な声で呟きつつ、その花を「ぶち」と抜きさった。
「っ…ぎゃあああ!!!」
叫ぶ黒須を放置し抜いた花に眼を向けるも、カシャンと砕け散ってしまっている。
「何をするんだぁ!!」と、痛かったのか、頭を押さえながら叫ぶ黒須に「いや、目障りだったから」とエマが真顔で答えていた。
「アアアア…クリスティーヌ…」
何故か、そう嘆くような声を上げるモーリスを見れば、哀しげに黒須の頭に手を伸ばしていて、あの花の名前はそうかクリステーヌなのか、うん、どうでもいい!と投げ遣りな気分になりつつ、向こうチームは向こうチームで、想像を絶するような事があったのだろうなぁ、ああ向こうチームじゃなくて良かった、良かったと心の底から思う。
夜神は、もう、このトンチキ騒ぎに口を出すことは一切控えようと賢明な判断を下し騒ぎが一段落した所で「じゃあ、案内します」と声を掛ける。
「んあ。 頼むわ」と間の抜けた声で返事しつつ「どっこいせっと」と如何にもおっさん臭い掛け声をかけつつ立ち上がった黒須は、「さぁて、漸く女王様にご対面できるって訳か」と言いつつ、肩に手を当て、首をコキリと鳴らした。


夜神の正確な道案内のもと、中央広間に辿り着く。

「こりゃあ、是がねぇと開かねぇな…」と呟いて、黒須は胸ポケットから「薬指」を取り出した。
目を見開けど、その「指」が扉の鍵らしく、ぎっと鍵穴に差込捻れば、そのまま独りでに扉が開け放たれる。

人の指を鍵にするなんて、なんて悪趣味なんだろうと思う間もなく、その瞬間、青い硝子の薔薇の花弁が風もないのに舞い上がり、まるで、足を踏み入れるのを防ごうとするかのようにその鋭い花弁を夜神達に降り注いだ。
「っ! 走れ!」
黒須の声を合図に、皆一斉に扉の中へと飛び込む。
無数の硝子の煌きを背後に、足を踏み入れたその情景は、白雪が見せていてくれたものと全く同じ、新緑の色深い森の姿だった。


「ようこそ!」


人を嘲るような、朗らかなのに油断ならぬ声。
声がする方に顔を向ければ、そこには帽子屋が立っていた。

「ひい、ふう、みぃ…嬉や、嬉し! 是ほどのお客人は珍しい! しかも、ジャバウォッキーやっと来てくれた! アンタはホントに罪な男さ! 何度も招待状は送っていただろう?」

そう言いながら何処か猟奇的ですらある声音で黒須を詰る帽子屋に対し「へっ」と鼻を鳴らすと、「毎回毎回、贈り物と称して趣味の悪いもんまで一緒に送りつけやがって。 あんな招待状で誘い込まれる奴なんざいるかよ」と告げる。
黒須の声に反応して顔を上げた竜子が、顔をくしゃくしゃに歪め「誠!」とその名を呼んだ。
「待たせたな」
ひらひらと手を振る黒須に「馬鹿野郎! おせーんだよ!!」と竜子が喚く。
「お陰でアタイの体の節々はもう限界だ! 老人だ! 老人と海だ! うん! 疲れすぎてて、意味が分からない! あと、もう、精神的にも限界越え! だって、怖いし!! 隣に座ってる人怖いしぃぃぃ!!」
指差しつつ怒鳴る竜子に「う る せ ぇ」と地獄の底ボイスで答えた金蝉は、ふいとこちらに視線を向け翼の姿を見止めると益々眉根を寄せた。
「…随分とご機嫌で」
翼がそういえば、「おかげさまでな」と、険しい表情のまま獣が唸るような声で答える。

そして、そのまま翼のすぐ隣に立つ夜神に金蝉が視線を向けてきた瞬間、「あれ? ここ、アラスカ?」と問いかけたい程に、金蝉の周りの温度が冷えこんだのを夜神は察した。

俺だって、お前の事は気に入らないよ?

そう思いながらも、微笑みながらその端整な顔を見返す。
どんどん機嫌を急降下させる金蝉の様子に、翼が大層慌てているのを気配で察するが、意地悪めいた気持ちになって、わざと親しげに翼との距離を詰める。
翼は金蝉の誤解を何とか解きたい様子だったが、今は金蝉にそんな言い訳をしている状況ではないのだ。
帽子屋が嬉しげに声を張り上げる。

「相変わらずジャバウォッキーはつれないなぁ! つれない、つれない! まぁ、いいや。 今は麗しきお客人を招いているからね」
そう帽子屋が言い指し示すテーブルには、竜子と金蝉の他にもう一人。




「デリク! あら、残念。 とうとう見つかってしまったみたい! 帽子屋! ねえ、このスコーンと、マカロンを包んで頂戴? あと、ストロベリーとクランベリーのジャムはそれぞれ瓶詰めにしてね? 瓶には薔薇色のリボンと、桜色のリボンを結んでそれぞれ区別がつくようにしなさい」
そう傲慢なのに愛らしい声で帽子屋に命じている人形めいた美しい少女が、こちらを向いてにこりと微笑む。
「ごきげんよう! お前達!」
少女は高らかにそう告げ「クヒッ」と引き攣った声で笑った。
「ああ、ウラ! また、こんな所に一人で遊びに来テ!」と言いながらスタスタと帽子屋の脇を抜け、デリクがウラと呼ばれる少女の元へと歩み寄る。
「危ない目に合ってモ、知りませんヨ?」
そう言いながら手を伸ばせば、その手をピシャリと叩き落とし「デリーィク! 減点だわ、その口の聞き方! また子ども扱いね? いつになったらデリクにとって私は一人前にレィディになれるのかしら?」とウラは不機嫌そうに頬を膨らませる。
「その点帽子屋は紳士よ? ヒヒッ、ねぇ、お前達、音楽を変えて頂戴。 辛気臭いのはイヤ! 華々しい音楽に変えて? そうね…ドヴォルザーク! それも、謝肉祭がよくってよ?」

昂然とした言葉。
だが、ウラの佇まいはその我が儘をどうしたって叶えてやりたくなるような、そんな魅力に満ち溢れている。
帽子屋が「仰せのままに、お嬢様」と笑みを含んだ声で了承し、ふいと指をひらめかせば無人の楽団がまさにお祭り騒ぎと言って良い、派手な音を奏で始めた。
目を細め満足げに頷きながら薔薇の花弁が浮かぶ紅茶を口にし、ウラは「さぁ、お前達も席に着けば良いじゃない? スコーンは焼き立て、サンドイッチには、新鮮なスモークサーモン、お茶は摘み立ての薔薇の香りよ? 味合わない手はないわ?」と告げる。
「お褒めに預かり恐悦至極。 シェフにも、お嬢様のお言葉を伝えさせてもらいまさぁ」と帽子屋はにいっと牙のような歯を剥き出して答えた。
デリクは、目を細めて「随分とウラに良くしていただいたみたいデ、ありがとうございマス」と礼を述べる。
「いえいえ。 おいら達も、美味しそ…っと、いやいや、可愛らしいお嬢様とお喋りができて、こんなに楽しい時間は滅多とない!と喜んでいる次第。 さぁて、旦那様も席にお掛けなさいな。 あぁたは、どんな椅子がお好みで?」
帽子屋がパチンと指を鳴らせば、「トットット」と音を立てて、幾つもの椅子がその四つの足を交互に動かし走り寄ってきた。

「オディール、ガゼット、エカテリーナ、メヌエ、ジョセフィーヌ! さぁ、並んだ、並んだ、別嬪さん達!」
そう呼ばれた椅子たちは、それぞれ全く違うタイプで、樫の木で出来た重厚な椅子もあれば、革張りで如何にも座り心地の良さそうな椅子、近代デザイナーが手がけているようなインテリアとしても通用しそうなお洒落な椅子等々がピッと行儀良くお茶菓子の並ぶ長テーブルの周りに並ぶ。

「さぁて、お客人方好きな子を選んで下さいな」

首を傾げて問う帽子屋に竜子が「お前、今度は何考えてんだよ?」と唸り声を上げる。
「また、妙な仕掛けがあんだろ? どうせ、この椅子みてぇにな!」
竜子の怒鳴り声に帽子屋は肩を竦め「まさか、まさか、女王様? どうして、おいらの事をそんなに疑うようになっちまったんだろう?」とわざとらしい嘆きの声をあげる。
だが、金蝉や竜子の状況を鑑みても、この椅子達にも何らかの仕掛けがあると考えるのが普通だろう。
同じ考えに至っているのか、夜神以外の面々も決して椅子に座ろうとはしない。
「何にしろ、このお茶会から女王様を帰して欲しいのならば、お客人としておいらにもてなしさせて貰うか…そうさなぁ…ジャバウォッキー?」
掛けられた声に、黒須が顔を向ければ、「あんたが、女王様の代わりに此処に客として残るかい? それでもおいらは一向に構わないぜ? 素敵な時間を約束してやるよ」と、言いながら黒須へと歩み寄る。

帽子屋の声は、あながち冗談ではない偏執めいた響きがあり、どんな「素敵な時間」が繰り広げられるのか想像するだけで吐き気がする。 猟奇的嗜好の強い帽子屋の事だ。 竜子に対してはそれでも、未だ危害めいたものは加えてないが、黒須に対してもその態度が守られるとは言動からも到底思えなかった。 
どうも黒須はこの帽子屋から「熱狂的」に憎まれているらしい。
(人間関係構築するの確かにあんまり上手じゃなさそうだけど、それにしたって、黒須さん、どんな友好関係築いているんだ?)
そう思えども、では自分が目の前にいる帽子屋と良好な関係が築けるかと問われれば「絶対無理」と即答できるわけで、やはり色々な意味で住み難い城だと他人事として考える。

黒須は自分のすぐ目の前に立つ帽子屋の、己よりも頭一つ分低い場所にある顔を見下ろして「さぁて…、竜子どうするよ? お前の身代わりに俺に残れだとよ」と声を出した。
竜子が間髪入れずに叫んだ。


「誠はやらない!」


怒りに満ちたその声は明瞭な響きを持って、夜神の鼓膜を震わせる。
黒須は唇を捻じ曲げキュウッと目を細めた。
その表情は、幸福そうにも見えたし、哀しそうにも見えた。

「だとよ。 女王様の仰せだ。 ただの『門番』には逆らえねぇよ」
帽子屋は黒須をじいっと見上げて首を振る。

「そりゃあ、どうかな? ジャバウォッキー! あんたは、おいらの椅子に座る。 座らなきゃ、女王は返してやんない。 あんたが、おいらの招待を受けるってぇんなら、此処で捕まえてある客人も、他の奴らも無事返してやるさ。 なぁ、お座りよジャバウォッキー。 オディールならば、夢見心地の座り心地、エカテリーナは刺激的、ガゼットならば熱い抱擁! さぁ、どの子が良い? ジャバウォッキー?」

黒須は「どれも御免だ」と吐き捨てて、そして振り返りもせず叫んだ。

「さぁ、詐欺師の魔術師! お前の出番だ」

デリクが「Okey-dokey!」とワクワクしたような声で返事をし、スタスタスタと歩き出す。
途中、エマと、モーリスの隣で立ち止まり、如何にも意味ありげな表情で、何かを囁いていたのがやけに気になった。
(何企んでいる?)
一応味方側の人間だろうに、どうしてこうも、安心してその挙動を眺められないのか、身に纏う空気の胡散臭さに辟易しつつも、その挙動を注視する。
エマとモーリスから得た回答に満足げに頷き返し、油断ならぬ魔術師が道化師の前に立った。


そしてデリクは両手を広げ、「ハロー、ハロー、ハロー? 帽子屋さん、ジャバウォッキーと遊ぶ前に、私の相手をしてくれませんカ?」と首を傾げた。

ああ、やっぱり、羽を広げた悪魔みたいだ。
黒い服装だからか、非現実的な世界でデリクは、益々非現実的な存在感を増している。


「ジャバウォッキーと取引したのですかい? お客人」
帽子屋が笑いながら問うた。
「エエ。 この先行き不透明な昨今、一寸先は闇と言えどモ、未来の自分を知りたいと願うハ、どなたも同ジ。 当るも八卦、当らぬも八卦な占い稼業モ、一向に廃れる気配はありまセン。 私とテ、一介の小市民。 雑誌の占いページを、毎回、毎回、アテにならぬと知りつつも、気になり覗いてしまウ程には、自分の未来に興味がありマス」
滑らかな口調、貼り付いた微笑み。
翻弄するような言葉の波を楽しげに聞き、帽子屋も負けじと口を躍らせる。
「白雪! 彼女を強請りなすったか! そりゃあ、お客人中々手強いものを所望なさる! 彼女は王様の言う事しか聞かぬ強情女! 惚れた、腫れたは世の常なれど、一途を極めりゃ物狂い! あの女から欲しい情報を欲しいように引き出すなんてぇなぁ、至難の技ですぜ?」
芝居がかった口調の応酬に翼は眩暈を覚え、地面に腰を下ろしかけて、不意に背後に気配を感じた。
振り返れば、いつの間にか銀色のセラミック製の酷く近代的なデザインの椅子が、夜神が丁度腰を降ろしそうな場所に待機している。
「えーと…ガゼット?」
そう呼ばれてたっけ?という風に呟けば、ガゼットはその通りというように一度跳ねた。

「座らないよ?」

その姿を睨みつけつつ唸れば、残念そうに身を震わせる。
油断も隙もあったもんじゃないと、腰を降ろすのは断念し、夜神は二人の舌戦を腕を組んで見学する事にした。

「強情な女を、舌先で溶かすなんテ事、男として生まれたからにハ、是非、チャレンジしてみたいゲームじゃありませんカ?」
「確かに、お客人の舌先ならば、白雪の雪の如き冷たき心ですら溶かせそうだ! さぁて、しかしお相手をと所望されても、おいらは御覧の通りのつまらん男でして、お茶以外に貴方を持て成す術が御座いません」
「いえイエ、お気遣いなく、帽子屋サン! こうやって、お話しているだけで、私としては大変有意義な時間を過ごしておりまス。 折角、直接あなたにお招き頂いた身ですかラ、取るも取り合えず、御礼を申し上げたかったですしネ?」
デリクの笑みが深くなる。
「直接? どういう事かしらデリク?」
ウラが宙に浮いている足を揺らめかせ、興味なさ気に問いかける。
「ウラ? 君は、どうやって此処に来タんだイ?」
「間抜けなデリク。 私は、貴方が球体の硝子詰めにして保存してあった『異空間』を通ってよ来てよ?」
「イケナイ子ダ。 前回此処に来た際にまた直ぐに来られるよう、道筋を残しておいたのが失策だっタ! さぁて、では、更に質問ダ、お姫様? どうやって、硝子に詰めた異空間を見つケ、どうやっテ、この深層まで辿り着いたんだイ?」
ウラは、「クヒッ」と笑い、焦らすように口を噤んだまま周囲を見回すと、「呼ばれたの」と囁くように答えた。
「呼ばれタ? 誰ニ?」
「兎よ? デリク。 硝子詰めの異空間の隠し場所はサイテーだったわ。 あんな高い場所に置くなんて、私が手が届かないと思ってたんでしょ? でもね、お生憎様。 兎の手! 硝子の中で大暴れ! コロンと揺れて落ちてきた。 硝子が高い場所から落ちたらどうなる? デリク」
「割れますネェ、硝子ですもノ」
「そう、割れて出て来た異空間の向こうから、真っ白な手が私を手招いたの。 後は分かるわね?」
「エエ。 勿論。 私のアリス! 兎の穴に飛び込んでお城に辿り着いた貴女ヲ、此処まで案内したのはどなたですカ?」
ウラは笑って答える。

「当然、『兎』よ! 『真っ白』なね?」

謎かけめいたウラの答え。

デリクはクルリと帽子屋を振り返り、「さても素敵な招待状。 ウラがこちらに来た以上、私もこちらの世界へ彼女を追ってこなければなりませン。 貴方の差し金ですよネ? ウラを『兎』に、ここまで案内させたのハ。 貴方が招きいれたのでなけレば、この森に通じるあの硝子の扉は開かなイ」と冷静な言葉を並べ立てる。
帽子屋はニヤニヤ笑ったまま一度頷く。
「その通りですぜ、お客人。 だって、こんな場所で、どんなお祭りをしでかそうとも、客は誰も寄り付いちゃあくれないんです。 おいら、人一倍寂しがりなもんだから、ついつい貴方の大事なお嬢さんを此処に招待しちまった。 とはいえ、随分と楽しんで貰えたようだし、傷一つつけぬよう、大事に、大事に持て成させて頂きましたぜ?」
「ええ、本当にありがとう御座いまス」
デリクは一度にこりと笑い、その笑顔のままで「さァ、貴方の目的はなぁニ?」と問うた。
「目的? さぁて、何のことやら」
帽子屋がはぐらかす。

夜神は、二人のまさに化かしあうようなやり取りを見ながら、それでも一つの結論を得ていた。

つまり、これは、「デリク・オーロフ」という「魔術師」を此処に呼ぶために仕掛けられた罠であったという結論を。

「ウラを此処に連れ去り、私ヲこの城へ呼んだ理由。 それは、私が此処に来ル事で、何が起こるかを考えれば自ずと答えが出まス」

「発狂現象」

翼が呟く。

「ご明察! 私が来れバ、王様狂ウ。 前回の騒ぎは、ここの住人にとっても一大事だった筈。 貴方だって当然ご存知だっタ。 王様の一大事となった、魔術師の事もネ?」

デリクが笑いながら帽子屋に問いかける。

「だから『兎』を使っテ、私を此処まで連れて来タ。 後は待つだケ! 王様が私の存在に気付キ、発狂するその時ヲ。 私はジャバウォッキーとの取引で、貴方のお相手をしておりまス。 貴方も同じく、『兎』と取引をしタ。 兎、兎、何見て跳ねル?」

ウラが甲高い笑い声をあげた。

「アハハハハハハ! 流石よデリク! 全部、お見通し! 兎が跳ねる! 月見て跳ねる! 兎は、だ あ れ ?」

「白雪!」

黒須が叫んだ。

「あんにゃろ! お前とグルか!」
帽子屋を指差せば、「お前のせいだよ、ジャバウォッキー!」と帽子屋がやり返した。

「女王とジャバウォッキーが来てから、なぁんも面白い事なんかありゃしない! 王様は、イかれてた頃はさいっこーだった!! 毎日、毎日、人間共を酒の肴に血みどろになって楽しくお茶会をしていたというのに! ジャバウォッキー! お前を傍らに置くようになってからは、俺の事を城の奥底に閉じ込めて、見向きもしてくれなくなった!」

喚き、飛び跳ね、歯をむき出しにする帽子屋の狂気めいて凶暴な姿に夜神は嫌悪を催す。

「お前が憎いよ、ジャバウォッキー! あんまり憎いもんだから、指の先から生きたまんま、少しずつ齧ってやりたい位だ! ああ、そうしてやったらどんなに愉快だろう! 全部、全部、長い時間を掛けておいらの胃袋の中に納めてやりたい。 泣き叫んだって許してやらない! 一番痛いとっときの方法で、一番苦しめてやる」

言い募る声には暗い熱。
だが、黒須は受け流すような涼しい顔をしている。
「白雪は、そこまで知ってんのか? お前が、そこの魔術師使ってお前を狂わせようとしている事までな?」
「まさか! あの女はベイブ様命! あのお方の今の正気を喜ぶ立場にある事ぁ、ジャバウォッキーも知ってんだろ? ただ、恋に狂った女ほど、愚かで扱いやすい生き物もない。 おいらの舌先三寸で誤魔化し、騙して、ここにそこのお嬢さんを案内してくれたに過ぎない」
「見返りハ、竜子さンですよネ? 白雪さンは、随分と王様にご執心の様子。 傍にいる女王様を憎んデ、一時的にでも彼女を王様から引き離したくテ、貴方の口車に乗ってしまっタ」
咄嗟に思い出す。
竜子がもう帰ってこなくても良いと言った白雪の冷たい顔を。

竜子の命まで奪う意図はなかったとしても、ここまでの所業を平然とやってのけるのだから、やはり女は怖いと確信せざる得ない。

帽子屋は、デリクの問いかけに、再び拍手喝采、喜んだ。

「その通り! 流石、流石、流石の魔術師様々だ!」
そう言いながら帽子屋が手を打てば、金蝉が鼻白んだような声で「おい、つまり、俺はアレか? 白雪だかなんだか知らねぇが、馬鹿な女が、あの馬鹿な王様だかなんだかのせいで、この馬鹿な小娘嫉んで、そこのキ印野郎の口車に乗ったせいでこうなってるって訳か?」と、余りに馬鹿馬鹿言いすぎて主語がどれなんだかも分からなくなりそうな台詞で口を挟んでくる。


その瞬間、ふっと皆の間に沈黙が落ちる。

そういや…何で金蝉は、このお茶会に参加させられてるのだろう?

ウラには思惑が絡んでの招待だと理解したが、金蝉は何の意味があってこの場にいるのか?
これ程性質の難しそうな男を、わざわざ意図的に呼び込むとは考え難い。

無人楽団が奏でる謝肉祭が最高の盛り上がりを迎える中、帽子屋が、今までになく物凄く殊勝気な声で「いや、そちらのお客人は運悪くというか、多分、異空間の穴やら、でジャバウォッキーが援軍を呼び込む為に開けた入り口等の影響で、唯々偶然このお茶会に迷い込んじまっただけかと…」と言えば、「ああ…」と皆それぞれに納得やら、溜息やらの入り混じった声を気の毒そうに吐き出す。

んが、本人にすれば堪ったもんじゃないだろう。

金蝉は虚ろな目をしながら、それは、それは、恐ろしい静かな声で、ただ一言「……もげろ」と呟き、「え? 何が? 何を? 何を、もぎたいの?」と、その意味の分らなさと、意味分からない割にかなり具体的に怖い台詞選びに戦慄が走り、黒須が青ざめながら口を開いた。
「うし、分った。 何やかやこれで、辻褄は合った。 まぁ、それは、今はもう、この直面している危機に比べれば瑣末な事だ! とりあえず、あいつは解放しろ。 なんか、もう、闇雲に世界の平和の為に、解放しろ」といえども、帽子屋は帽子屋で一心不乱に首を振りながら「解放したら、終わりじゃない? これ、逆に解放したら、その時点でおいらジ・エンドじゃない? ていうか、もがれるよね? 最初に、もがれるよね?って、そもそも、何をもぐの?!」とかなり的確な判断を下す。
金蝉といえば、これはもう、カタストロフの序曲としか思えないような不吉っぽい術の詠唱に既に突入しており、翼が必死の声で「我慢だ! 金蝉我慢しろ!! もぐのは早まるな! そうだ、帰ったら、ほら、美味しいもの作るから! あ、ウィスキーあるよ? 焼酎も! あと、もうじき、知り合いが、春鰹を送ってくれるっていうから、それをタタキにしてあげるから!!」と、お菓子で子供の癇癪を宥めようとする母親の如くの声音で、思い留めさせようとしている。
彼女が、あんな風に必死になって宥めるのも、金蝉だけに違いないと、夜神は確信し、それほどの男なのかと、睨むようにして凝視する。
モーリスは「とりあえず、もげても、私、元に戻せるんで…ガンバッテもげて下さい!」と黒須にガッツポーズを見せていて、「あ、俺もお前の中ではもげ要員なんだな」と黒須が冷静な声で突っ込んだ。
「と、とにかく、もがれるのはご勘弁! 全ての目論見そこの魔術師様に見抜かれちまわぁ、後は口封じしかござんせんや! 折角の楽しい楽しいお客人達。 一思いにもてなしちまうのは、至極残念極まりないが、これも一期一会の世の常だ! さぁ、別嬪さん達! ダンスの時間だ!」
帽子屋がそう宣言し指を鳴らせば、今度は楽団が陽気なジャズのダンスナンバーを奏で始める。
音楽に合わせるかのように、先程夜神を座らせようとしていたガゼットが、ひらりと回り、その瞬間ジュウウッと耳障りな音を立てて、その全身を熱で真っ赤に染め上げた。

こりゃ確かに座っていたなら随分熱い抱擁を受ける事が出来ただろう、先程の帽子屋の、ガゼットの紹介台詞に頷きつつ、背もたれの部分をぐぐぐと逸らし、突如、熱い鉄の塊を此方に向けて矢継ぎ早に飛ばしてくる、ガゼットの攻撃を素早く避ける。
そのまま、眼にも留まらぬ程のスピードでガゼットに詰め寄ると、素手ではとても触れられぬ程の温度に達しているその身に、不可視の武器、【アイン・ソフ】を召還し、容赦ないスピードで叩き付けた。
その絶大な破壊力を一身に受け、身も世もなく粉砕され、跡形も無く消え失せたガゼットに対し、「じゃあね」と一言呟く。

しかし灼熱の椅子とは、空恐ろしい。
あんなものに座らされていたら、一体どんな目に合っていたのやら。

夜神が見回せば、それぞれ他の者々も、自分の能力で攻撃を仕掛けてきた椅子を倒していた。

帽子屋に目を向ければ、彼はデリクと相対したまま唆すような声で囁いている。


「…つまり、お客人。 貴方ならこの城の主になる事だって可能なんですぜ?」

帽子屋の言葉にもデリクは表情を変えず、微笑んだまま「ウラ? この城欲しいですカ?」とウラに声を掛けた。
ウラは、「クヒッ」と笑い声をあげ「いらないわ! こんな辛気臭い城! 時々遊びに来るから良いんじゃない。 バカンスの為の場所は、バカンスの為に存在するべきよ」と言い、それから、ひょいと椅子の上に立ち上がる。
「良いわね。 ジャズってもっとつまらない音ばかりかと思ってたけど、これは気に入ったわ。 デリク、ねぇ、踊っても良い?」
そう言いながら、足を伸ばしテーブルの上にウラが立つ。
デリクは盛大に眉を顰め、「お行儀が悪いですヨ。 ウラ」と咎めながらも、自分もひょいと長い足を駆使し、軽い調子でテーブルの上に上がると「家では禁止」と言い、そしてウラに向かって両手を広げる。
嬉しげに笑いながら、極彩色の料理の数々や、ケーキ、お菓子を蹴散らし、ウラがデリクの両腕に飛び込む。

「お茶会は終了よ。 帽子屋! 私、デリクと一緒にお家に帰るわ。 謎々の答えは、『愛している』! そうじゃなくって?」
帽子屋の全身が硬直するのが傍目にもよく分かった。
愛している?
謎々?
一体何の話だ。
彼らは、自分達が知り得ない『何か』を知っている。
一体、何を?
デリクが「正解! 賢いウラ!」と言い、そして指をパチンと鳴らして、「ほら、聞こえてきましたヨ」と宣言する。


「愛している」

その瞬間何処からもなく、ベイブの声が、その場に響き渡った。

ベイブのその声音に、帽子屋が、いや、その場にいる城の奇妙な住人達が全て恐慌状態に陥いる。

無人の楽団が、ギイギイとひっちゃかめっちゃかな音を出し、足元を走り回っていたトランプの小人達がめいめいに悲鳴を上げて逃げ惑う。
無表情に鋏を握りしめていた三月兎も、まさしく脱兎の如く逃げ出していた。

帽子屋が「ひいいい!」と悲鳴を上げて逃げようとするその周りに光の檻が現れた。
振り返れば、薄い花弁のような瞼を閉じ、白い両手に淡い光を宿らせているモーリスがいた。
デリクに視線を送れば愉しそうに笑っていて、全て彼の仕組んだ通りに事態が進んでいるらしいと夜神は察する。
帽子屋も大概喰えない男だと思ったが、どうもあの魔術師はその上を行くらしい。
この騒動全て、あの男が仕組んだ事かと思うと、どうにもこうにも気に食わなかった。

ウラが、滅茶苦茶な音に、壊れたような笑い声をあげ、出鱈目なステップを踏む。

「クヒヒッ、ヒヒッ、ヒヒヒッヒヒヒヒッ!」

お腹を押さえ、黒髪を乱し、机の上で、Dance! Dance! Dance!

ウラが踊るその爪先に、ビリビリと稲光のようなものが走り、振り上げる指先にもその光が宿るとデリクは楽しそうに叫んだ。

「ウラ! ウラ! ウラ! よおおおク、狙っテ? よーーーーォい、ドン!」

その瞬間、デリクの合図に合わせて、鋭い雷が帽子屋の上に落ちた。

轟音と、眼を開けていられない稲光の後、夜神がゆっくりと目を開けば、感電し、気を失っている帽子屋が倒れているのが目に入る。

金蝉が一歩一歩、それはそれは、人を圧迫するような空気を撒き散らしながら倒れている帽子屋の元へと訪れると「もぐぞ?」と一応の許可を求めるが如く、黒須に目を向けた。
「あ、どうぞ」
多分咄嗟にだろう、そう返事をしてしまった後で、「え? いいの? もぐの、良いの?」と誰にでもなく意見を求める。
竜子がうううんと、両腕を伸ばし、固まってるらしい体をバキバキとほぐしつつ「いいんじゃね?」と軽い口調で言った。
「もう、大絶賛もいでもらおう」
余りの言い様に、エマが慌てて、「ちょ、ちょっと待って!」と声を上げる。
「え、えーと、それよりもね? ここは、ハンムラビ法典にならって、目には目を…って事で…」といいつつ、金蝉と帽子屋の間に入り、帽子屋を何とか抱え起こそうとするのを、「手伝います」と言いつつ夜神がひょいとその体を抱え上げた。
「ありがとう」
エマが礼を述べて帽子屋を先程まで竜子の座っていた場所に座らせれば、流石というべきか彼女が何を望んでいるのか察したらしいモーリスが、三月兎の手を引いて、椅子の脇まで連れてくる。
「ハイ、首チョッキンゲーム、再開です」
そう落ちていた鋏を握らせ、モーリスが耳元で囁けば、コクンと兎少年は頷いた。
帽子屋の足首に、竜子が巻きつけられていたらしい拘束具を装着し、「…これで如何かしら?」とエマは、額の汗を拭いつつ言い、流石に金蝉の「帽子屋のどっかもぐ姿」を見たくなかったらしい面々が「おお」と感心の声をあげる。

金蝉が、「何でもいい。 とりあえず、ここから今すぐ出せ」と唸り声をあげ、足音荒く出口へ向かう背中を見てほっと安堵の溜息をつく翼の仕草も気に入らない夜神は、パタパタと金蝉の隣に駆けていった翼の後を追う。

そして、何事か会話を交わしている翼の肩に自然な仕草で腕を回し、それから金蝉の方を見て満面の笑みを浮かべると、夜神は明るい声で挨拶をした。

「はじめまして」

微笑みながらそう言う夜神の顔を金蝉がマジマジと眺める。
黙っていれば上品そうな、整った顔立ちをしているが、それをわざとかと問い質したくなる程に凶暴に歪め「誰だ…こいつは?」と、敵意を隠さない声で金蝉が翼に問う。
だが、夜神は、翼よりも早く「夜神潤です。 知らない? 一応、TVとかにも出てるんだけど…ああ、君は余りそういうのを見ない人っぽいね」と微笑みながら言葉を続けた。
「よろしく」
そう言いながら掌を差し出せば、手を思いっきり無視された挙句、「慣れ慣れしいんだよ」と言いながら乱暴に、翼を自分の傍へ引き寄せ、潤の腕の中から取り上げる。
その、何だか頑是無い様子を見て、夜神は苛立つよりも、なんだか愉快な気分になり、「あーあ、嫌われたか」と、肩を竦めながらも、何処かからかうような目で上目遣いに眺めてしまう。

そんな夜神を置き去りに、翼を強引に連れて歩く金蝉の背中を眺め、翼はああいった男を選んだのかと、兄らしい感慨深さに浸ると、さぁて、これから、どう邪魔をしてやろうか…なんて、意地悪な思惑に浸り、一人皮肉げな笑みを浮かべる。

何にしたって、実の兄に対してあれ程尊大な態度を取った事を、後で絶対後悔させてやる!と決意を固め、それから一瞬「もしかしたら、金蝉に『お義兄さん』なんて呼ばれるかもしれないんだなと」と想像し、金蝉のあのキャラクターとの余りのギャップに身震いした。

「お疲れ」

黒須にそう肩を叩かれ、金蝉が義理の弟になった場合に、どう相対していけばいいのか、結構具体的に悩んでいた夜神は、びくっと体を震わせ、慌てて振り返る。

「んだよ?」と、夜神の反応に驚いたような顔をする黒須に「いや、何でもないです」と答えれば、「悪かったな、面倒につき合わせて。 直ぐに外の世界に返してやるから」と告げてくる。
折角なので、王宮内をじっくり見学したかったのだが、生憎次の収録の時間が差し迫ってきている。
「お願いします」と頼む夜神に「いや、こっちが色々迷惑掛けたから…」と殊勝気な事を黒須は言ってきた。
どうせなら…と夜神は思い「あの…」と、遠慮深げな声で「また、良かったら、ここ呼んで下さい。 色々見たいものとかあるし…、あの動く絵とか…」と告げれば「お前…変わってるな…」と呆れたように言われつつ、それでも黒須は面白そうに頷く。
「了解。 ベイブに伝えておく。 また、暇な時にでも遊びに来れるようにしてやるよ」という黒須の言葉に、嬉しげに手を叩き、これから読書以外にも、オフの日に打ち込める事が出来そうな予感に、夜神は満面の笑みを浮かべたのであった。


fin


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2863/ 蒼王・翼  / 女性 / 16歳 / F1レーサー 闇の皇女】
【2916/ 桜塚・金蝉  / 男性 / 21歳 / 陰陽師】
【7038/ 夜神・潤  / 男性/ 200歳 / 禁忌の存在】
【2318/ モーリス・ラジアル   / 男性 / 527歳 / ガードナー・医師・調和者】
【3427/ ウラ・フレンツヒェン  / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【3432/ デリク・オーロフ  / 男性 / 31歳 / 魔術師】


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■         ライター通信          ■
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お久っぶりです!!
よくぞ、「女王様失踪」に御参加いただきまして有難う御座います。
ライターのmomiziで御座います!

3年ぶりのOMCのお仕事に戸惑いつつも何とか書き上げさせて頂きました。
ご参加くださってる方も、皆さん、現役の頃にご参加くださった方々ばかりで、
私は何たる幸せなライターと、忘れられずにいた、幸せを噛み締めております。

本当に本当にありがとうございました!

僅かばかりでも腕前が上がっていればいいのですが、何にしろ発注して良かったとおもっていただける作品を仕上げる事が私の最大の使命だと思っております。
また、ちょくちょく窓の方は開けさせていただきたいなーと考えているので、その際は再び遊んでくだされば幸いです。

それでは、momiziでした。