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Birthday
この世に生まれ出でたモノは、何かしらの意味があって生まれたのだと誰かが言っていた。
それは本当なのだろうか。それが本当だとするのなら、今朽ちようとしているこの体は何故?
それは嘘なのだろうか。もしそうだとしたら、あの人はなんて残酷な嘘をついたのだろうか。
あんな言葉のせいで、ありもしない希望に縋りたくなる。そして縋れなくてまた絶望する。
それはなんて地獄なんだろうか。
どれくらいの時間が経っただろう。
ふと、何かの声が聞こえた。
とても小さくて、だけどはっきりと。耳元で囁かれているような、呼びかけられているような不思議な感覚。
その声が聞こえたから歩き始めた。足は汚れ棒のように重かったけれど、そうせずにはいられなかったから。
あの声は、きっと神様。そうでなければ嫌だ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ある片田舎の山中、夜になれば交通量もめっきりと減る…というよりは昼間ですらそう交通量のない峠道。そんな所であるからこそ、噂というものは立ちやすい。
曰く、夜な夜な少女の霊が彷徨い歩いている。そういう田舎道であればさもありなん、気付けば噂は実しやかに広まっていった。
勿論真実は全く違ったのだが、だからといってそれを知る者はいない。
某日、ある業者の男が困り果てていた。
どうにかしてゴミ…必要のなくなった人形を処分しなければいけなかったのだが、困ったことに廃棄場がない。
このご時世、不法投棄などというものがバレてしまえば考えずとも厄介なことになるのは分かりきっている。
さりとて何処かいい所を知っているわけでもなく、仕方なしにトラックを走らせ始めた。
走らせ始めて数十分、当てもなく走らせているうちに何処かの峠道を走っていた。昼間であるのに仄暗く、一度止めて周りを見渡してみても人の気配どころか車が通る様子もない。
これ幸いとばかりに男はトラックに載せてあった人形を運びだし、荒れたままの山中へと無造作に投げ捨てる。
厄介ごともなくなり、今日はいい酒が呑めそうだなどと考えてトラックを走らせ立ち去っていった。
その直後からあの噂が立ち始める。
尤も、少女というには少しおかしくもあったが。
人形は人を象るからこそ、完璧に近ければ何かが宿るという。
無造作に廃棄された人形は何時しか自分の意思を持ち、そして動き始めた。
本当ならば人に愛されるために生み出された存在。なればこそ、なのだろうか。
田舎であるから、街灯もほとんどなく星の輝きをそのまま感じることが出来る。
噂の主はそんな満天の星空を一つ見上げ、また歩き始めた。
神様の気まぐれだろうか、歩くことが出来るようになったのは。少し足が重かったが、元々歩くようには出来ていないのだからそれも仕方がないだろう。
そんなにしてまで歩く彼女の思うところはただ一つ。あの時聞こえた、彼女自身が神様と称した声の言う通りに。
ただ自分を愛してくれる人を探すために。
○Encount
「おい、少し仕事を頼む」
「ってゆーか面倒くさいんだけど」
「じゃあクビでいいか?」
「…卑怯者」
「勤労とはそういうもんだ、きりきり働けこの自堕落」
甚だやる気のない梶浦濱路と草間武彦のやり取りは極短いもので終了した。
元々バイトとして雇われている身の上、その一言にだけはどうしても逆らえない。
「りょーかい。で、どんな仕事?」
「ある山にある峠でちょっとした噂が立っていてな、それの調査と出来れば解決」
「ぇーマジで? もしかして幽霊と峠でダウンヒルバトルかませとか? 俺免許持ってないし暗いのちょっとやだ」
「お前何の漫画読んだ。大体暗いのが嫌とか何言ってる、ちゃんと費用は出すからさっさと行け」
「横暴だー」
しかし、雇い主の意向は絶対である。普段ちょっとどころではなく情けないところもある草間だが、こういうときばかりは上に立つ人間として威張り散らせる。
散々文句を言いまくる濱路を草間興信所から蹴り出して、自分は一服のために煙草を取り出した。いいご身分なものだ。
「めんどくせー…うぇ、電車とか結構時間かかるじゃん…マジでー?」
「給料なしにするぞー」
まだ外で愚痴っていた濱路に最後通告が出されて、彼は渋々歩き始めた。
「ってゆーか近くにバスくらいしか通ってないじゃん…帰りどうするんだよこれー」
そんなこんなで電車とバスを乗り継ぎ数時間。もう昼間も随分と長い季節であるはずなのに、気付けばすっかり暗くなっていた。
これだけ暗く、しかも田舎となればもう帰りのバスなど期待できるわけもない。ヒッチハイクかはたまた徒歩か、今回ばかりは濱路の愚痴も許されていいはずだ。
「えーと、この辺に出るんだっけ…ってか情報大雑把すぎーマジでー?」
何も聞こえない峠道、濱路の大きな愚痴だけが響き渡る。周りに何もなさすぎて、それくらいしかすることがないのだから仕方がないだろう。
鬱蒼と茂る樹林に、人の気配がないどこまでも続く道。東京から数時間動くだけでこんな場所があるなんて、日本もまだまだ謎が多い。途方にくれても誰が文句を言えるだろうか。
が、
「……マジで?」
そんなところであるはずなのに、噂の主は意外にあっさりと見つかった。
ふわりと短めのボブの黒髪が闇の中に舞う。それは暗闇の中にありながら、まるで星の光を浴びたかのように溶けずなお存在を誇示する。
身長はその辺にいる普通の女の子とそう変わらない。あどけなさを残した顔立ちは寧ろ美少女といってもいいだろう。が、何処かおかしい。
どう見ても人間的な『熱』が感じられなかった。というよりは、濱路にはあっさりと分かってしまった。人間ではないと。
「あら…?」
見つけたはいいものの、どうしたものやらと頭をぼりぼりと掻く濱路を見つけ、その『少女』が傍へやってくる。その歩く音は、人間大の体にしては酷く軽くたどたどしい。
「どなたカシラ?」
それが、少女と濱路の出会いだった。
「廃棄されたってマジでー? ってゆーかそれ不法投棄じゃん」
「捨てられたと言ってほしいワ」
「それどう違うわけー?」
少女はあっさりと事情を飲み込んだ。そして濱路も少女の事情をあっさりと飲み込んだ。
お互い言ってしまえば不思議畑の住人なわけで、その辺の理解度に関しては人に比べれば全然深いと言える。
「で、俺はキミをどうにかしなきゃいけないわけだけど」
「そうネ。それは仕方がないことだワ。あなたのお仕事ですモノ」
元々神様の気まぐれだったから、そう少女は瞳に虚空を移しながら空ろに笑う。
濱路に与えられた仕事は、この噂の調査と解決。そして、不思議畑の話となるなら、解決方法はそう多くもない。
少女はそのことを既に納得している。しかしあまりにあっさりと了承しすぎて、濱路は逆に困ってしまった。
さてどうしたものか。考えてみれば、自分もこの少女の対処の仕方を考えていなかった。こういうとき、小心者はどうしたらいいか分からない。
「こういう浄化とか供養って寺に持っていくもんだっけ…マジでーめんどくせーじゃん」
「そうだワ」
そんな彼を眺めながら、少女が不意に口を開く。
「成仏するのはかまわないけれど、その前に一つだけお願いがあるノ」
「お願い?」
聞き返せば、こくこくと少女人形が可愛く頷く。
「デートがしてみたいワ」
「…デートってマジっすか?」
「えぇ、とてもロマンチックじゃないカシラ?」
「と言われましても」
そんなことを言われても、濱路には今一よく分からない。そもそも恋愛感情というものがない。
「デートってどんなの?」
「よく分からないけれど、きっと女の子が幸せになるようなものヨ」
そして彼女自身よく分かっていないようだった。
がっくりと肩を落としつつ、しかしそれで勝手に成仏してくれるのなら安いものではないだろうか。そう濱路は考えて、
「それじゃデートするから、成仏してくれるってことでOK?」
「えぇ」
再び少女はこくこくと頷いた。そういうことならば話は早い。契約は成立した。
「そういやー…キミの名前って何?」
「名前…?」
そう、名前…と言いかけて、彼女の足首に何かついているのが見えた。
薄い街灯を頼りに目を凝らしてみれば、よく人形についているタグのようだった。そこにはなにやら数字や文字が描かれている。
「えぇっと何々…日付は製造年月日かな? それで…ア…メリ? あ、違う、愛璃か」
乱暴にマジックで書かれていた『愛×璃』。×は見方によっては確かにメとも読めた。が、漢字にカタカナの組み合わせというのは何処かアンバランスでおかしい。
「アメリがいいワ」
「へ?」
「愛璃よりもアメリのほうが可愛いモノ」
そういって愛璃と名づけられた少女は濱路を見つめる。
「…まっ、本人の意向も汲まないとねーんじゃアメリでー」
一度限りの関係であったし、特に拘る必要もないだろうと濱路はあっさりと了承していた。
愛璃から愛メ璃と名前が変わりそう呼ばれた瞬間、少女がとても嬉しそうに笑ったのを彼は見ていただろうか。
「…ぁ」
「どうしたノ?」
「ここから歩いたら一体どれだけ時間かかるんだーマジで勘弁してー」
そういえば、濱路はそんなこともすっかりと忘れていた。車の走る気配もない、頑張れ。
○Dating
「あ、草間さん? 俺俺、ちょっと聞きたいことがー」
『ただいまこの電話は使われておりません。俺俺詐欺なんて知りません』
「マジでー? ってゆーか口で言ってるじゃん、そんなことどうでもいいんだけど…」
あれから数時間歩き通し、日付が変わった頃なんとか民家の見えるところまで降りた二人は、そのままタクシーを拾いなんとか東京へと帰ってきた。
そしてそのまま吶喊でデートである。中々に辛いが、人形である愛メ璃からすれば特に問題はなかった。
問題があったとしたら、それは濱路であろう。
大体にして、デートなどと言うが濱路自身したことがない。知識としては持っているが、それだけ。
とりあえず渋谷方面にやってきてはみたものの、そこから先が続かない。
周りを見れば人だらけ、ありとあらゆる店がまるで星の如く軒を連ねる。
(こういうときどうすれば…どうするよ俺どうするよ!)
で、電話した。草間に。
草間という人間を知っていれば、こういうとき頼りにするには甚だ不安な存在であることくらい理解している。が、そんなことを彼が聞けるのは草間くらいのものだった。こういうとき交友関係が狭いと苦労する。今度からちょっとは友達作ったほうがいいかな、そんなことを濱路は考える。
ともあれ草間に色々と情報を聞きつつ、濱路と愛メ璃は歩き始めた。
で、実践してみた。
『お前くらいの歳ならゲーセンとか定番じゃないか?』
「ありがたい言葉を有難う草間さん」
「草間サン?」
「あぁなんでもないから気にしない気にしない」
一々何かにつけて反応を返してくる愛メ璃をエスコート(というよりは単に連れ歩いているだけとも言う)して、二人はゲームセンターに出向いていた。平日の昼間から様々な音が混じりあい、正直言ってかなり喧しい。
昼間ということもあってそれほど人はいない。本当にこんなところでいいのかと思う濱路をよそに、愛メ璃は文字通り瞳を輝かせて辺りを見回している。
「ねぇ濱路、あれは一体何カシラ?」
「んー?」
視線の先にはUFOキャッチャー。大小様々なぬいぐるみが所狭しと並べられ、その頭上にはいかにも力のなさそうなアームが垂れている。
透明なケースの中を眺めながら、あまり動くことのない愛メ璃の瞳が細くなる。
「可哀相だワ…」
「へっ?」
濱路が返事をする前に、愛メ璃は近くにあったイスを抱え振りかぶる。明らかに狙っているのはUFOキャッチャーのケース。
「助けてあげるワ」
「まったー!?」
濱路の制止もむなしく、イスはがつんとケースに直撃。ケースは無残にも…砕け散ることはなかった。どうやら力が足りなかったらしい。
「ってゆーか何やってんだよ!」
「離して濱路、あんなところに閉じ込められて可哀相だワ。きっとあの子たちも外に出て、愛メ璃と同じように歩きたいはずヨ」
そんなのはお前だけだなどとツッコむ前に今度こそ濱路の手がイスを掴み、動かせなくなって愛メ璃が地団駄を踏む。そういうところだけは人間らしかった。
「あの人形たちはそのために出来てるの、あぁやってあの中で自分を愛してくれる人がくるのを待ってんだ」
愛してくれる人…それを聞いた瞬間に手が下りる。
「そう、そうだったのネ…」
止まった、そう思った次の瞬間にはまたトラブルが待っていた。
「こらー!」
「マジでー!? 逃げるよ!」
怒鳴り声と一緒に、顔を赤くしたゲームセンターの店員がこちらに走ってくる。流石にあれに捕まったら大変なことになるだろう。
愛メ璃の返事も聞かず、濱路はその細い腕を掴んで走り出した。
『後は食事も基本だろう』
で、何故かカレー屋。しかも本格インドカリーのお店。店内はやたらとスパイスの匂いがきつい。これが本場の香りなのだろうか。
薄暗い店内には、あからさまに怪しいインド風の格好をした男が数人。日本語でない会話は最早宇宙の言葉のようにも思える。さながら呪文である。
「けど雰囲気あるよねー…どうかした?」
軽い言葉に、しかし返事はなかった。何故か愛メ璃が震えている。
ふるふると首を小さく振って、小さな指が指した方向にはナンを焼く窯があった。丁度焼きだしたところであったらしく、火が赤々と燃えている。
「イヤ…嫌い…」
濱路の袖を掴む手に力が入る。どうやら火を本能的に怖がっているようだった。
困った。この雰囲気はデートの雰囲気ではない。というか、傍から見たら一見自分が何かしたかのように見えなくもない。
濱路、ピーンチ。
「三十六計逃げるが勝ちです」
だからあっさりと店を抜け出した。
しかし、このまま愛メ璃に何も食べさせないままというのも気が引ける。何せデートなのだ。多少おかしいとはいえ、やはり食事はコースに必須なのだ。何が必須なのかは濱路自身よく分かっていないが。
そんなわけで、二人はオープンテラスカフェへと足を運ぶ。女の子といえばパフェだろう!などというステロタイプな考えが濱路にあったからだ。
「美味しいワ…」
で、結果から言えばそれは正解だった。
元は人形の癖に一丁前に味覚があるらしく、その甘いチョコレートパフェは愛メ璃の視覚と味覚を大いに満足させてくれた。
「人間って素晴らしいワ…こんなものを作れるだなんテ。その手で生み出される人形が美しいのも納得が出来るワ」
「そういうもの?」
「えぇ…人間の手はまるで魔法ヨ」
「俺にはよく分かんないなぁ」
「濱路にもきっと出来るわヨ」
濱路に愛メ璃の言うことはよく分からない。彼女の感性は一々独創的で、何処か不思議で少々ロマンチックが過ぎる。だからこそ面白くもあったのだが。
「ねぇ、このデート楽しい?」
「えぇ、楽しいワ。人間になれたミタイ」
ふとパフェを食べる彼女に聞いた言葉で、濱路はあぁっと一人頷いた。
多分、彼女は恋をするというよりも人間の女の子に憧れているのだろう。恋に恋をする、とでも言うべきだろうか。
それは不思議と嫌な感覚ではなく、濱路も少し笑ってパフェを頼むのだった。
『後はやっぱり映画だな。暗闇の中で手を握ってだな、そこで』
その後はよく覚えていない。というよりは覚える必要がなさそうだったのでそこで電話を切ってしまった。
まぁそのチョイス自体は草間にしてはいいものだった。その辺りを期待されていない時点で草間に対する濱路の中での扱いも知れている。可哀相に。
とはいえ、濱路はまた困っていた。映画館に行こう、そこまではよかった。しかし、である。彼にはそこでどんな映画を見るべきなのか、肝心なところの知識がない。なんとも朴念仁…もとい不器用な男。
「あら…」
「んー?」
ふと顔を上げた愛メ璃につられて顔を上げてみれば、そこには古びた看板が立てかけられていた。随分と錆びもきていて、よく言えば情緒的、悪く言えばボロい。そのまま視線をおろしてみれば、やはり古ぼけた映画館。
「…こんなところにこんなのあったっけ?」
しかし、考えてみれば映画館など巡ったこともないわけで、そんなことを知るはずもない。
とぼけた濱路をよそに、愛メ璃はまだその看板を見上げていた。そこに貼られていたのは眠り姫のポスター。一体何時の映画だろうか、既にポスター自体が古ぼけている。
「…これが見たいワ」
「ぇ、これ? マジでー?」
「マジだワ。入りまショウ」
珍しく積極的な愛メ璃に内心少し驚きつつ、濱路は彼女に手を引かれて映画館の中へと入っていった。
勿論彼女が映画のチケットの買い方を知らず、ちょっとした騒動があったことも付け加えて。
「……」
愛メ璃は映し出される映像に夢中になっていた。
画面には三人の妖精が映っている。どうやらこの眠り姫はミュージカルのものを元にしてあるらしい。
(でも眠り姫って、実際のお話だと相当酷かったような…ってゆーか犯罪じゃん)
何が楽しいのか今一分からないまま、濱路は一緒の画面を眺めながらそんなことを思う。手にしたポップコーンは既に食べきっていてない。情緒も何もあったものではない男である。
「人間の生み出す物語って本当に素晴らしいワ…あのお姫様になってみたい…」
うっとりとした表情から漏れたのはそんな言葉。
(それだけはやめといたほうがいいってマジでー)
しかし一応は野暮なことも分かっているのか、そんな言葉は濱路の口に出なかったが。
それから物語りは進み、隣の愛メ璃から漏れてくる言葉もなくなっていた。
「……」
というより、舟をこぎ始めていた。
まどろみの中に身を置いて、愛メ璃の体から力が抜けていく。
一方の濱路は、そんな彼女の様子に気付いていなかった。というよりは、
「……いいお話じゃん…」
最初は馬鹿にしていた眠り姫に感動していた。まどろむ彼女は放って置いて一人盛り上がる濱路。そこで漸く異変に気付く。
「…ん? あれ、愛メ璃ー? ってマジでー!?」
隣に座る力の抜けた彼女はまるで人形のような…というよりは人形そのものだった。
元が人形だとかそういうことではなく、文字通り人形に戻っていたのだ。起きている間は人間に見えていた彼女も、今はただ空ろに虚空を見つめる人形でしかない。
流石にこの事態には濱路も焦る、こんな事態は全く想定していなかった。
急いで彼女を担ぎ上げ、濱路は外に出ようとして躊躇した。人形に戻った愛メ璃はそれなりに重かったが、さりとて担げないほどのものでもない。問題は別のところにある。
若い男が人形を抱えている。それは別の意味で困った視線を浴びてしまうのだ。
冷たい。氷点下もかくやというくらい視線が冷たい。
ピンチだ、別の意味で。このままではただの変態扱いである。
「流石にそれは御免被りたい症候群梶浦濱路、失礼しましたー!」
若干混乱しつつ、まさに逃げるように濱路は彼女を抱え走り出した。
当然映画館を出た後も冷たい視線は続いた。最早冷凍光線状態である。ビビビビ☆なんて効果音が聞こえてきそうである。
否、どこからか発せられるその効果音を濱路は確かに聞いていた。どこからとは言えない。何故なら全方向からだから。
「あぁ神様いるんだったらマジで恨むよ!」
○Birthday
どうにかこうにか濱路は興信所へと戻ってきた。もう暫く外を出歩きたくないというくらいに寒いものを受けながら。軽く泣きたいくらいにボロボロだ。
「よぅお帰り、デートのほうはどうだった?」
そんな彼を知ってか知らずか、その主の声は明るい。
「マジでサイアクー。思い出したくない…と、そうじゃなくて」
「どうした?」
状況が見えない草間にもなるべく分かりやすいようにかいつまんで説明してみたが、そもそもいきなり人形に戻っていたわけで、特に説明することがないのに濱路は気付いた。
とはいえ、この状況で頼りに出来るのは草間くらいしかいない。流石に困った状況の濱路を見かねたのか、草間にしては珍しく色々と意見が出てくる。
「んー…もう満足して人形に戻ったとか?」
「それならいいんだけどー…なーんか引っかかるー」
確かに元々デートしたら成仏する、なんていう契約ではあったが、それにしても一言くらい何かあっていいはずではないだろうか。
いきなり成仏しましたーと言われてもそれはそれで困るし、このままどうにかしてしまって実は成仏していませんでしたーなどというのもそれはまた大変である。何が困るかは彼自身よく分かっていないので、この際置いておいて。
「ホント難儀な眠り姫だなー」
しかし、夢見がちな声が返事を返してくることはなかった。
「んー…このままでもしょうがないし、供養したらどうだ?」
「供養って人形供養? それってどんな感じー?」
「確か火にくべて…だったか?」
「マジでーそれはマズいよー」
と自分で言って、何が不味いのだろう?と一瞬彼は考える。そしてすぐにある言葉にたどり着いた。
(火は嫌いって言ってたからなー)
成仏してしまえば一緒だろうに、何故かそこに思考は行き着かなかった。
それから数時間。動かない愛メ璃を眺めては落ち着かずそわそわする濱路を、草間は何か面白いものを見つけたかのような顔で眺めている。
そんな彼のことなど知らぬとばかりに、濱路は一人考えていた。何でこんなにも落ち着かないのだろうかと。
今日はそれなりに楽しかった、けどここでお別れならもう二度とこんなことはないだろうか。
いや、そういうことではなく、ここでお別れになったら夢見が悪すぎる。ってゆーか俺夢の住人だけど。
大体自分からデートのことを持ちかけておいていきなり人形に戻るとか非常識極まりない。そうだよそこが悪い。
おかげで謂れのない非難を(多分)一杯受けちゃったじゃないか、ってゆーか責任取れ!
思い出して笑ったり、いきなりシリアスな顔になったり怒ったり。傍から見る分には実に愉快ではあったが、濱路にとってはそうもいかない。
さぁ困った。何で困ったのか分からないくらい困った。
だから、
「ってゆーか俺も困るから起きろー!」
実力行使に出ていた。
夢の中でまどろんでいた。
その時間はとても気持ちがよくて、だけど少し寂しくて。隣に誰かいないことがこんなに寂しいだなんて、少し前までは知りもしなかった。
あの時神様が言った。君は愛されるために生まれてきたんだと。
こんな自分を、本当に愛してくれる人がいるのだろうか?
そしてまた聞こえてくる誰かの声。
それはあの神様の声によく似ている。そして何か叫んでいる。
『起きろー!』
あぁ、起きなくちゃ。多分、起きたらそこにあの人がいるから。
…あの人って、だぁれ?
まぁいいか。起きれば分かることだから。
「……」
ふっと、肌に人の色が戻ったような気がした。
また光を映すようになった瞳が一つ二つ瞬いて、そして目の前にいる男を見つめている。
「……」
いきなりのことで、彼もどうしていいか全く分かっていない。そんな彼のことが余程面白かったのか、くすくすと彼女が笑う。
「えーっと…起きた?」
「えぇ、起きたワ」
どうにも間の抜けた会話が続く。まだ呆気にとられている彼を余所目に、彼女はまた小さく笑った。
それは何時もの人形的なものではなく、血の通った少女の浮かべるもの。とても穏やかで、心の底から安心したかのような微笑み。
「目が覚めた瞬間…濱路が王子様に見えたノ」
「お、王子様?」
「えぇ…アメリ、本物の女の子になれたんだワって思ったのヨ」
夢見がちな眠り姫が目を覚ましたとき、目の前にいるのは王子様。
なら、二人がその後すべきことは一つ。
しっかりと映画の内容を覚えていたのだろう、自然に愛メ璃が動いた。
細い体が濱路の懐に収まり、そして一つに――
「ふむ、いきなりキスにいくとは最近の若いやつは進んでるな…」
ギリギリのところでならなかった。草間の言葉に、濱路の手がギリギリで抑えていたのである。
「ってゆーか見てるとか草間さんマジ常識なーい!」
「勝手に始めたんじゃないか、ん?」
「ぐっ…」
反論の余地はない。いきなりであったとはいえ、寸前までいったのは事実だ。
にやにや笑いの草間には何を言っても通じない。というより、この状況は濱路たちにとって分が悪すぎた。
それから暫く、濱路がその件で草間にからかわれ続けたのは言うまでもないだろう。
結局、成仏だなんだということは有耶無耶のうちになかったことになってしまった。
「愛メ璃は火が怖いししょうがないかなぁ…」
「優しいのネ、濱路」
「そんなんじゃなーい」
少しその頬が赤くなっていたのは、多分気のせいではなかったのだろう。
「今日はアメリの誕生日、ネ」
「誕生日?」
「濱路に出会って新しい名前をもらって、これからも生きていていいと言われた日だモノ。
…あぁそうだワ、パフェが食べたいワ」
「マジでー俺お金ないよー」
結局濱路はもう一杯パフェを奢ることになる。それが誕生日ケーキの代わりであるということを、彼はまだ知る由もない。
<END>
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