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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


結界崩し 5

 長く続いた結界崩し。
 とうとう最後となった。
「最後は……北東、『火』」
 夏炉[かろ]は言った。
 例によって喫茶「エピオテレス」の店内。ウエイトレスのクルールと店長のエピオテレスを前に、彼女は説明している。
「これさえ壊せば、結界は完全に解かれるはずよ」
「どんな結界ポイントさ?」
 クルールに問われ、夏炉はいったん口をつぐんだ後、
「……小さな、灯火」
「………は?」
「聖火リレーってあるでしょう。あれくらいの大きさの火」
 角灯に入ってる――と夏炉は瞼を半分落として言葉を紡ぐ。
「角灯に入った状態で……地面にぽつんと置かれてる……」
「なんか、最後にしちゃ粗末じゃないのさ」
「そうでもないのよ。今まで4つも壊しちゃってもう結界はほぼ崩壊してるでしょう」
 と夏炉は同い年のウエイトレスを見やり、
「そうなると『火』ひとつで結界を保たなくてはならない。だから――」
「ひょっとして、悪霊の勢いはいつもよりも強くなっているのかしら?」
 エピオテレスの言葉に、夏炉は憎々しげにうなずいた。
「おそらく――今までの分を背負っているから、5倍」
 クルールがぞっとしたような顔になった。
 夏炉はふうと息をついて、
「それでも……これが、最後」
 どこか虚ろに、視線をさまよわせた。

「……姫を、私の親戚を……助けるために」

 ■■■ ■■■

 喫茶「エピオテレス」のドアの鈴がちりんちりんと鳴り、客人が入ってくる。
「ちょっと! わたくしを置いていくつもりじゃないでしょうね!?」
 どかどかと入ってきたのは、広いつばを持つ帽子で豪奢な金髪を押さえた少女だった。
 その後ろから入ってくるのは、雄々しいたてがみを持つライオンである。
 クルールが呆れ返った顔で、ライオン連れの少女を見た。
「あんたまたその格好で来たの?」
「悪くって? 人の勝手でしょう」
 一度サーカス団の方に帰っていたアレーヌ・ルシフェルは、胸を張る。彼女の格好は――『三銃士』の服装だった。
「まあ個人の趣味はいいが」
 と愉快そうに肩を震わせて笑ったのは、黒冥月[ヘイ・ミンユェ]だった。「徹底しているな。サーカス団員ならそれぐらいでちょうどいいんじゃないか」
「スターは常に格好に気をつけるもの。そう言ったはずですわ」
 アレーヌは鼻高々にそう言うと、腰に帯びていたレイピアをすっと抜いた。
「ちょっと、店内でなに武器なんか抜いて――」
「宣言します」
 レイピアを胸の前に立て、アレーヌはすっと背筋を伸ばす。
「一人は皆の為に、皆は一人の為に」
「ガルルル〜(訳:その通りだ! アレーヌ、いいこと言ってくれるぜ!)」
 豪快にアレーヌの相棒レオンが鳴いた。
「まあ……いい言葉」
 エピオテレスが感動したように、うっとりと胸の前で両手を合わせる。
「『三銃士』の有名なセリフですね」
 と穏やかな笑みを浮かべて言ったのは、神社の宮司である空木崎辰一[うつぎざき・しんいち]。
 彼はふうと息をついて、
「残る結界は『火』だけになりましたね。長かったですね……」
 そしてエピオテレスに向き直った。「前回は、僕の属性選択ミスで苦戦を強いることになってしまって申し訳ございませんでした」
「え? 気になさることじゃありませんわ、空木崎さん」
 エピオテレスはにっこりと微笑んだ。「皆で力を合わせるものですもの。空木崎さんだって、ちゃんとすぐに手札を変えて対応なさったじゃないですか」
「皆さんのフォローのおかげです……」
 辰一は店内を見渡す。
 冥月やアレーヌ、ライオンのレオンの他に、結界崩しに参加しているメンバーはまだ店にいた。
「元気出してくださいね、空木崎さん。あとひとつ、頑張りましょう」
 最年少のアリス・ルシファールが明るく微笑んだ。
 辰一はそれにうなずいて、
「今回の結界破りは、全力でいきます。土の結界破りの汚名を返上をするためにも」
 ――腕を組んでうなっているのは、アリスより一つ歳上の鈴城亮吾[すずしろ・りょうご]。
 そして、アリスの隣では黒髪の少女が短い髪にかけていた黒いリボンを、鼻歌まじりに整えていた。
「……お前も来るのか?」
 冥月が黒髪の少女に尋ねる。少女、神城柚月[かみしろ・ゆづき]はにかっと笑って、
「ここまで来たなら乗り掛かった舟、最後までお手伝いさせてもらうよ。それに結末を最後まで見届けたいからね」
「ふうん。まあいいが……それで、小僧はどうするんだ」
 と冥月が次に視線をやったのは、まだうなっている亮吾だった。
 亮吾はぶつぶつと独り言を言っていた。
「……困った、今回は完全に足手まといになりそうだ。戦場へ行ったところできっと手も足も出そうに無い……」
 属性として『金』にあたる彼は、今回の敵である『火』に極端に弱いのだ。以前そのことを嫌というほど思い知ったので、今回も悩んでいるのである。
「でもかかわるって決めたからには何もせずに見守るってのは嫌だ」
「全部聞こえているぞ。まあ、足手まといにならないようにするんだな」
 亮吾はむっつりと冥月を横目で見て、
「分かってるよ。……俺は戦場には行かない」
「ん?」
「俺のやり方で、役に立ってみせる」
 少年は決意を乗せた瞳で、窓の外を見た。
 夕陽が地面にくっつき始めている。この分では戦いの場は――夜になりそうだ。
「それぞれにやるべき仕事があって、それぞれに力がある。……さて」
 冥月は何気なくつぶやいて、「――この間の短剣、どうするかな」
「いい加減、もので人を釣ろうとすんのやめろ……」
 険悪な声が返ってきた。冥月がちろりと見るのは店の隅のテーブル。褐色の肌の青年が、威嚇している。
 フェレ・アードニアスは喫茶「エピオテレス」の居候だった。この結界崩しにもしばしば参加している。……冥月に引っ張っていかれて。
 冥月はフェレに向き直った。
「なら単刀直入に訊くぞ。来るか?」
 腰に手を当てて言葉を放つと、
 思いがけずフェレは、立ち上がった。
「……別に短剣に釣られたわけじゃねえ」
 つぶやいた声には、今までとは違う響きがあった。「ケニー、どうする」
「俺は行かない」
 フェレの向かいに座っていた背広の青年は、煙草を口から離した。ケニー。エピオテレスの兄。
「……最近の騒ぎでずっと店を閉めているものだから、常連から催促が来ていてな。俺にテレスの代わりは務まらんが、俺は俺の料理を作る」
 つまりここでも、それぞれの力――だ。
 ケニーは煙草を灰皿に押し付け、
「それに、帰ってくる場所も必要だろう」
 帰ってくる場所。
 それはつまり、帰ってこいということ。
 それを察した面々は、微笑した。
「帰ってくるわよ。やるべきことを、完璧にこなしてからね」
 夏炉が窓外を見る。堂々とした彼女の姿に、皆は囚われの姫の姿を重ねる。
 彼らの目的は、ただひとつ。
「皆さんで力を合わせ、最後の結界を破って囚われのお姫様を救い出しましょう!」
 辰一の言葉は、各々の胸の奥底に刻まれた。

 ■■■ ■■■

 月がない。星もきらめかない。
 夜闇が、彼らを圧迫していた。
 しかし、
「見通しが悪い……ということは、なさそうですね」
 辰一がつぶやいた。声に緊張がにじんでいた。
「最後の悪霊は今までの5倍の強さですか……。すごく強い熱気を感じます」
 汗が、流れ落ちる。彼に限ったことではない――その場にいた全員の体に、つぶのような汗。

 大地が、
 ほのかに光っていた。青白い炎が燃え上がるように。
 こんなときでなければ、幻想的に見えたかもしれない。広範囲に渡るその光は、夜の影を下から押し上げ、うずまくような熱気をまとっている。
 その場にいるだけで燃やし尽くされそうな。

「結界ポイントはどこでしょうか……?」
 アリスが手の甲で額の汗を拭いながら、目を細めて遠くを見ようとする。
「あれやね」
 柚月が指差した。
 彼女の指差した先。青白く発光した世界の中、唯一赤く燃え上がる何かがぽつんとある。
 角灯の中の灯火――
「あの炎を消せば」
 夏炉が低くつぶやいた。
「ガルルルル!(訳:すべては終わるってことだな!)」
 レオンは熱さに負けず雄々しい雄たけびを上げる。
 クルールが亜空間から二振りの剣を取り出し、くるんと回した。
「……でも、簡単にはいかないみたいだね」
 誰もがそれを認めていた。
 青白い炎の中に――

 何十もの、人型の赤い影が歩き回っていたから。

「あたしは戦えない」
 夏炉はむすっとした顔で腕を組んだ。「あたしの鬼火じゃちょっと力不足だわ」
「何だ。情けない」
「うるさいわね」
 クルールをにらみつけ、ただ青白く炎の湧き立つ戦場を見つめる。
 亮吾はせわしなく首をめぐらせていた。
「風は」
 ある。
 炎をかすかに揺らしている。
 この熱さの中、風を感じるのはたやすいことだったから、亮吾は走り出した。
「俺は風上に行くからな!」
「鈴城さん!?」
 アリスが慌てて声をかけたが、亮吾の姿はあっという間に遠ざかっていった。
「好きにさせておけ。どうせあの小僧はここにいるだけで自殺行為だ」
 冥月がアリスの肩に手を置いて言い、「お前さんはいつも通り、サーヴァントとやらを展開するんじゃないのか?」
「ええ。――はい」
 アリスは高らかに呼ぶ。天使型駆動体『サーヴァント』6体を3組。計18体。
「今から水気の増幅を行います。これで皆さん、態勢を立て直して下さい」
 歌姫は謳うような声で駆動体たちに命じる。サーヴァントはそれに応じて、その場にいる人々すべてに能力ブーストをしかける。
 水剋火。
 ――水は、火に剋つ。
 汗が一気に乾いて、
「うん、身軽になったね」
 柚月がとんとんと爪先で地面を叩いた。
 さらに唯一の堕天使型サーヴァント『アンジェラ』を呼び出し、己の護衛につけて、アリスはその場に肩幅ほどに足を開いて立つ。
 彼女の得意技能は謳による援護だ。そうである以上、むやみに戦いのさなかに入るよりは、こうして離れた場所にいる方が得策だった。
 青白い炎の中を意味もなくさまよっているように見えた霊たちは――
 やがて、闖入者たちの存在に気づいたようだった。
 のろのろとした動きでこちらを見、そして動き出す――

「悪霊が何人いようと」
 アレーヌが、灼炎のレイピアの切っ先を迫り来る赤い影に突きつけた。
「わたくしが、すべて焼き払って差し上げますわ!」
「ガルルルルル!(訳:その通りだなアレーヌ!)」
 レオンの背に乗って、アレーヌは疾駆の態勢に入る。
「焼き払う……か」
 フェレがつぶやいた。「こいつら『火』だろう。『火』で攻撃してそれほど意味があんのかね」
「同じ属性でしたら、おそらく強力な方が勝つでしょう。まして、悪霊ですからね」
 辰一が符を取り出しながら言った。
「ふうん……」
 フェレはにやりと笑った。
「――符術師の本領発揮、ってとこかい?」
「何を偉そうに」
 その背を冥月が肘でつついた。「お前は、私の護衛だぞ。分かっているのか」
 フェレはふと、何か言いたそうに冥月を見たが――やがて頭を振り、
「あんた自身は何かやんのか?」
「今回は少々な。まあ何度も言うが私は霊には対応できん」
 そう言いながらも冥月は自信満々だ。
「有象無象の悪霊の大群は引き受けるよ」
 柚月が言った。「相手は『火』のようやから、洒落っ気でこっちは『水』でお相手しよか」
 洒落っ気、と言うが、この場合正しい判断だ。
「視える……結界ポイントの周囲に、取り分け強いのがいる」
 すっと目を細めて囁くように言ったのはクルールだった。『水』ブーストで力をアップさせた彼女は、とんとんと軽く跳躍し、
 そして、
「あたしは直接そいつらを狙って行く!」
 ダン! 強く地面を靴底で叩いて駆け出した。
 エピオテレスがその手に力を集め始める。精霊の力を。
「甚五郎、今回は今まで以上におまえを頼りにしているよ。定吉もだよ」
 辰一は連れていた二匹の猫に声をかけた。
 甚五郎の体から閃光が走った。次の瞬間、そこには銀獅子の姿に戻った甚五郎がいた。
 辰一は素早く甚五郎と定吉の体に『玄武』の符を貼る。
 玄武。――『水』と『氷』の属性付加。
「甚五郎、結界を狙うんだよ!」
 言われるままに、甚五郎が駆け出した。定吉、と続けて辰一は言葉を放つ。
「悪霊が減ってきたらお前も結界の元へ行きなさい! 氷をぶつけて――それから体当たりで皆さんをかばって!」
 にゃあと猫が鳴く。
 そして最後に辰一は、己自身と、己の持つ御神刀『泰山』にも玄武の符の力を付加した。
「倒れるまでお相手致します!」
 アリスの援護の謳が始まっていた。水の気配を強める補助謳。
「行きますわよ……!」
「ガルルル!(訳:落ちるなよアレーヌ!)」
「そんなへまはしませんわ!」
 アレーヌを乗せたレオンが駆け出した。猛獣の疾駆。悪霊にまともに体当たりしていく。
 灼炎のレイピアから、燃え盛る炎が躍り出た。蛇のように悪霊にからみつく。同属性、すぐには消滅しない悪霊も、続いてレオンがその大きな口から吐き出した炎に包まれ炎上した。
 強引な彼女たちの戦い方に少しだけ苦笑した辰一は、戦場に躍り出ようと一歩踏み出す。
 しかしそのとき、
「なんだあ、こりゃあ!?」
 すっとんきょうな声が飛び込んできた。
 辰一を始め、夏炉、アリスや柚月がはっと振り向いた。
「あんたら、何やって……!」
 肩にリュックサックをかついだ、やたらがたいのいい青年が、いつの間にかそこにいた。思い切り、青白い炎の範囲内に。
 彼の傍には赤い悪霊が迫り、
「―――!」
 青年は間一髪、悪霊が口から噴き出した炎を避けた。
 アンジェラが駆けていき、手を横薙ぎに振るって悪霊を消滅させる。
「あ、空木崎さんじゃないですか。何やってるんすか?」
「ご、五代[ごだい]くん……」
 辰一は呆気に取られた。
「なんや。場違いなヒトやなあ」
 柚月が面白そうに青年を見る。
「場違いってなんだ場違いって!――うわ!」
 五代真[まこと]は、再度炎を噴き出してくる悪霊の攻撃を避けた。アンジェラが再び悪霊を消し去る。真は焦った様子で辰一のところまで走ってくると、
「これ、一体なんすか!?」
 早口に尋ねた。
「なんでこんな危ないところへ来たんだい五代くん……」
 辰一はため息をついて、「いや、今はそれはいいか。ええとね――ああ、原因は話すと長くなるから。要するにあれをね」
 と遠くに見える、甚五郎が近づきつつある角灯を指差し、
「――とある結界を崩すために、あの角灯の炎を消さなくてはならないんだ。そしてそれ以前に、それを護っているこの悪霊たちを退治すること――それが今、僕らに課せられた使命だよ」
「悪霊……こんな大量に?」
 クルールが斬り払い、アレーヌとレオンが焼き払う。甚五郎は体当たりで消滅させ、それでもまだまだ悪霊は数が減らない。
「結界に囚われている姫がいるんだ」
 と辰一は言った。「それを、助けなければならないんだ」
「囚われの姫……なるほど。面白そうだから俺も途中参加させてもらうぜ!」
 真はリュックサックを下ろした。彼は元バックパッカー、用意周到さでは誰にも負けない。
「火にはこいつが一番だ!」
 取り出したるは、明らかにコンビニかどこかで購入したとおぼしき氷ロック、2袋(大)。
 その入り口を開け、
「おらよ……っ!」
 がさあっ!
 すでに間近に近づいてきていた悪霊たちにぶちまけた。
 氷をまともに喰らい、悪霊たちがひるむ。輪郭がややぼやけたようだ。
 だが、消えることはない。
「ん? やっぱ氷くらいじゃだめか?」
「そ、そうかもしれないね……」
 首の後ろをかいて呑気に言う真に、辰一は引きつった笑みを向ける。あっはっはっはと柚月が心底愉快そうに笑っている。アリスは慌てて、サーヴァントに真への能力ブーストを命じた。
「おいお前、普通の人間だろう」
 冥月が呆れたように、腕を組んだまま真に声をかける。「足手まといだ、この場から離れろ」
 真はむっとしたようだった。辰一を振り返り、
「空木崎さん、あんた、属性を付加できるんだったよな? 俺の腕に水属性付加してくんない?」
 アリスのサーヴァントブーストがあるが、辰一の玄武の符が加わればさらに効果は大だ。
 腕に辰一の符を貼り付けて、真は拳を打ち合わせた。
「悪霊ども、どっからでもかかって来い! 相手になるぜ!」
 ゆらゆらと揺れる赤い影の大群の中に駆け込み、拳をうならせる。
 彼の拳は、まるで生身の人間を打つかのように悪霊の体をへし折り、消滅させた。
 冥月がさすがに、目を丸くした。
「なんなんだあいつは」
「――五代くんは、この御神刀『泰山』と関わり深い人なんです。普通の人間に見えますが、悪霊ぐらいは相手にできます」
 辰一はそう説明した後、ようやく泰山を構え直した。
「さあ――。今度こそ」
 駆け抜ける瞬間だ――


 風が、強くなった。
「好都合だぜ」
 風上にいた亮吾は、遠目に見える青白い炎の世界を見つめる。
 仲間たちは戦いに入った。自分も、そろそろ行動に移らなくてはならない。
 彼は前回の結界崩しの際に集めた、鉄パイプにからみつかせた砂鉄を見下ろした。
「五行で云うと金属は水を生む……はずだよな」
 ぶつぶつとつぶやき、砂鉄を散布、磁界操作と風を利用して上空へ舞い上がらせた。
 巻き上げる。上へ、上へ。空高く。
「雲」
 夜闇を見上げて、亮吾はつぶやいた。
 砂鉄は水気を呼び、雲を形成する核となる。
 ――雲の下には、大地を覆う炎。
「火事は、雨を呼ぶ……」
 雲は増大化していく。呼び込むは水気。雨を望みて。
 闇の中、見えない雲は地上の炎を覆った。
「雨よ」
 亮吾は両手を天高く掲げた。
「――炎をかき消せ!」


 突然、さっと地面が濡れた。
「雨――!?」
 暗闇の中、雲が生まれていたことに気づいていた者は誰もいなかった。
 きゃあ、とアレーヌが悲鳴を上げる。
「嫌ですわ、炎が!」
「ガルルルル!(訳:負けるな、アレーヌ!)」
 突然の大粒の雨が青白く燃え立つ地上を叩く。
 悪霊たちがおおと啼く。動きが鈍くなった。輪郭がぼやけ、縮んでいくものもいる。
「鈴城さんですね……」
 アリスがほっとしたように微笑んだ。
「なかなかやるやん」
 柚月がにっと笑った。ふいっと腕を振り、
「さて。そろそろ私も本気モードでいこか」
 両手をかざす。その手に急激に集まっていく魔力エネルギー……
『ブラォ・ストローム!』
 蒼き奔流。
 雨の中を、幾筋もの水の奔流が突き抜け、水の大蛇となって悪霊たちの体をぶち抜いていく。
 柚月はぱちんと指を鳴らした。
「エクスプロージョン」
 大蛇の先端が爆ぜた。周囲の悪霊を巻き込んで、一気に吹き飛ばした。
 さらに水飛沫が散るように、広範囲の悪霊の体を侵食していく。
 爆ぜた後には霧状の魔力が残り、悪霊たちの力を殺いだ。
 広範囲攻撃を得意とする彼女の面目躍如。悪霊の数が激減した。
 けれど――
「おやおや」
 柚月は腰に手を当てる。「肝心の親玉さんたちには、効かなかったようやね」
 赤い灯火。結界ポイントを護る結界師たちの霊。輪郭もはっきりと、燃え上がる炎の化身となりてその場に立っている。
 まあ、と柚月はにかっと笑った。
「私の役目は有象無象の消滅やよ。さて、次いこか」
 残っていた悪霊たちの噴き出す炎を魔力防御で跳ね返し、再び手に水のエネルギーを集め始める――


「火には水。当然の理屈だな」
 冥月はとんとんと指先で頬をつついていた。
「どうするんだ?」
 フェレが冥月を見る。冥月は唇の端を吊り上げた。
「――水の結界の場所にあった河。あれを利用するか」
 ぐおん!
 空間をねじまげ、影を利用して冥月はかつて水の結界のときに見た河を手元に引き寄せた。
 出口をせばめ、河の水を放出する。
 大地に水が降る。雨に加えて河の水が。
 地上の火気をどんどんと抑えこんでいく。
 結界ポイントの角灯を護る結界師たちにもぶつけてみたが、彼らは水を弾き返した。
「ふん……まあ、期待はしていなかったが」
 悪霊が冥月に向かって炎を噴き出す。冥月は半身をそらして避けて、「ほら」とフェレを押し出した。
「私は霊を相手にできんと言っているだろう」
「……あんたは」
 フェレはつぶやいた。「本当は護衛なんかいらないんだ」
「うん?」
「それでも付き合う気になったのは――なぜだろうな」
 ふと見ると、雨の中それでも懲りずに炎を使って悪霊退治を試みているライオンに乗った少女が見えた。
 フェレは声を上げた。
「おい、サーカス団!」
「どういう呼び方ですの!」
 すかさずアレーヌが怒鳴り返してくる。フェレはにっと笑った。
「俺たちは、意地でも炎で戦ってやろうぜ……!」
 取り出したる符は、雨を呼ぶ式のものではなく。
 フェレは指にはさんだ符をかざした。
「十二天将の二――騰蛇!」
 のたくりうつ炎の大蛇が――
 雨を弾き飛ばしながら、踊り狂って一悪霊たちに覆いかぶさる。
「!」
 アレーヌはレイピアから炎を生み出し、レオンは口から炎を吐き出し、騰蛇に力を与えた。
 ますます炎をまとった大蛇は、抑えられていた火気をその場に撒き散らしながら悪霊を飲み込んでいく。
 冥月が呆れたように嘆息した。
「馬鹿が」
 雨はやむことがない。とは言っても、局地的にまた火気が復活しようとしている。
 影から取り出した河の水を、騰蛇が荒らしていった地に噴きかけた。
 水気の復活――
「――まあ、これを予測しての行動なんだろうがな……なぜ私がフォローに回らねばならん。いちいち、困ったやつだ」
 冥月はつぶやいた。


 柚月の二度目のブラォ・ストロームに、エピオテレスの精霊術が重なって、強大な水陣を巻き起こす。
 炎を噴く赤い影たちはなすすべもなくかきけされていく。青白い炎がだんだんと範囲をせばめていった。
 しかしブラォ・ストロームも精霊術も、結界ポイントを護る結界師たちには効果がない。
 赤く赤く燃え立つ体を持った十五体の結界師たちは、近づいてきたクルール、辰一、真、甚五郎に火炎球を投げつけてきた。
「………っ」
 クルールがひらりと避ける。甚五郎が体当たりして、それを打ち崩す。辰一は火炎球を投げつけた直後の隙を狙って、結界師に斬りつけた。
 真が拳で結界師を殴りつける。
 結界師は炎の体でそれを受け止め、逆に真の腹に拳を叩き込んでくる。
「ぐお……っ!」
「五代くん!」
 アリスの癒しの謳が聞こえる。それが、真の受けたダメージをすぐさま癒した。
 辰一は右からきた火炎球を斬り払い、左からきたものをかがんで避ける。そして真正面へ泰山を突き入れた。
 『水』気を付加された泰山を胸にくらい、結界師がつんざくような悲鳴を上げる。
「大人しくあの世にいきなっ!」
 クルールが身軽に飛び込んできて、右手の『浄』で辰一の泰山に貫かれていた結界師の首を飛ばした。同時に甚五郎が、胴体にタックルする。
 体が崩れ落ち、灰となって消える。
 残り十四体――
 火炎球が次々と放たれてくる。よけるのに精一杯になりかけた彼らを補佐するように、水の奔流が背後から襲ってきた。
 ブラォ・ストロームとエピオテレスの精霊術。それらは結界師には効果がなくとも、火炎球を消し去るには充分だった。
 加えて、仔猫の定吉がその小さい体で火炎球にかかんに立ち向かう。
 クルールの剣が右と左の結界師を同時に貫く。その場に縫い付けられた結界師。右の者は辰一が泰山で袈裟懸けに斬り、左の者は真が拳で頬を殴りつける。
 泰山で斬られたものは消滅、そして、
「おらおらおらおらー!」
 真の連打。
 衝撃を何度も何度もくらって、結界師の輪郭は徐々にぼやけていき、やがて消え去った。
「どうやら結界師は物理攻撃に弱いようですね……」
 辰一があごまで伝ってきた汗をぬぐって泰山を構え直す。
「甚五郎、定吉! 結界ポイントを……!」
 主の命に従って、結界師たちの間を縫って銀獅子と仔猫が結界ポイントに向かう。
 甚五郎が中にこうこうと燃える灯火を持った角灯に体当たりした。
 ――びくともしない。
 定吉が口から氷を吐いて角灯にぶつける。灯火が揺らめいた。
 そして、突如炎は巨大化し、甚五郎と定吉を巻き込んだ。
「甚五郎、定吉……!」
 アリスが必死で謳う。だんだんと強くなっていく雨の中、びしょ濡れでもさらに水気を足す謳を。
 ブラォ・ストロームと精霊術が、結界師の火炎球を消し去っている内に、辰一は角灯から噴き出した炎の中に飛び込む。
「空木崎さん!」
 真が大声を上げる。しかしその彼に火炎球が投げつけられ、彼は辰一を気にしている余裕をなくしかけた。
 そこへ、ふいに背後からすっと飛び出たレイピア。
「仕方ありませんわ。ここからは普通のレイピアで参りますわよ」
 アレーヌがレオンの背から飛び降り、結界師にレイピアを突きたてる。
 レオンが雄たけびを上げた。
 結界師たちの動きがひるんだ。
「はいよっ!」
 クルールが『浄』と『滅』を振るう。首を飛ばされた結界師の胴体に、真が拳を叩き込み、またアレーヌがレイピアを突き刺し、とどめを刺す。
 風上では亮吾が、新たにその場にあった砂鉄を集めて、上空に飛ばしていた。
 雲は膨れ上がり、局地的に大雨を降らす。結界師たちの動きを鈍くする。
 そして角灯にも降りかかり、
 角灯から噴き出した炎は――
 ブラォ・ストロームと精霊術、雨、そして、
「普通の水でも効くんじゃないか?」
 と何気なく冥月が向けた河の水の奔流によって徐々に抑えられていく。
 残り十体の結界師。生み出す火炎球の大きさが増している。
 もはや豪雨となりつつあるこの雨の中、やつらの力は増している。
「く……っ視界が、見づらい……!」
 クルールがぶるっと頭を振った。と、目の前に火炎球が迫って、彼女はまともにそれをくらった。
「……ぁ……っ!」
 ブーストのおかげで火傷ひとつ負わずとも、衝撃は恐ろしく強かった。彼女の軽い体は跳ね飛ばされ、地面へと叩きつけられる。
 アリスが謳う。
 エピオテレスが風の精霊も操り、火炎球の動きを乱す。
 レオンはブーストによって水属性になった体を利用して、結界師に噛み付く。
「十二天将の六、青龍!」
 フェレの符術によって呼び出された青い龍が、慈雨を恵んでいく。
 クルールは立ち上がった。
「倍返しだよ!」
 金の瞳を怒りに輝かせた天使は、結界師へと踏み込んだ。
 縦と横に剣を振り抜く。十字に切り裂かれた結界師が一瞬で消滅した。
「空木崎さん……! 猫ども!」
 真が叩きつけられる雨に腕をかざして顔をかばいながら、炎の中に消えた友人を呼んだ。
「いや、見なよ」
 クルールが炎の中の一点を指差す。
 黒い人影が見える。宮司の格好は、分かりやすいものだった。
 そして辰一は定吉を抱え、甚五郎とともに炎から飛び出してきた。
 がくっと膝をつく彼を、青龍の雨とアリスの謳が包む。
 宮司の服が焼け焦げ、ところどころ破けていたものの、彼自身は無事なようだ。
「空木崎さん……! まったく、無茶しないでくださいよ!」
「僕の大切な猫たちだからね」
 辰一は軽く微笑した。その頭上を通り過ぎようとした火炎球をブラォ・ストロームが貫く。
 辰一は立ち上がり、泰山を構え直した。
「迷惑をかけた分をお返しします!」
 颯爽とと結界師に斬りかかる。真正面の者を袈裟懸けに斬り、返す手首で右の結界師をも貫く。とどめはクルールと真が行った。
 角灯の炎が小さくなっていく。
 甚五郎が角灯に体当たりをくらわせる。
 甚五郎に向かって火炎球を放とうとした結界師たちの動きは、レオンの雄たけびによって乱された。
 アレーヌのレイピアが、背後から結界師の体を貫き、縫いとめる。
 それをクルールが横薙ぎに剣を振るって斬り裂く。
 真が結界師の首に腕をかけ、顔面――らしき場所――に拳を叩き込む。よろけた結界師の腹に、泰山が食い込んだ。
 消滅。残り五体。
 甚五郎の体当たりによって、角灯がわずかにかしいだ。
 定吉が氷を吐き出して、角灯にぶつける。角灯にひびが入る。
 定吉を踏みつけようとした結界師の足は、レイピアが貫いて止めた。続いてクルールの剣が斬り飛ばし、片足になった結界師の首をレイピアが突き通す。
 そのままアレーヌは優雅に足を振りぬいて、結界師の体を蹴り飛ばした。
 首から下だけが、雨の中に叩きだされた。すかさずブラォ・ストロームがその胴体を襲う。
 弱まった体には魔力の類も効くらしい、結界師は消滅。
 残り四。
 急に、結界師の体が膨張した。
「―――?」
 辰一が危機感を覚えて泰山を構え直す。
「皆さん、急いで――!」
 甚五郎が角灯に体当たりを続ける。ぎしぎしと角灯がきしみ始める。ひびはだんだんと広がっていく。
 クルールは結界師の首と胴体を同時に斬り払った。いや――斬り払いきることができない。
 アレーヌのレイピアが、半分ちぎれた結界師の体に食い込み、ねじこんで無理やり斬り飛ばす。
 上と下に分かれた胴体に、冥月の放ち続けていた河の水がたまたま当たった。蒸発するように結界師が消滅。残り三体。
 真がつかみかかっていた結界師。拳の連打をよけることもなく受けて、最後の一撃で吹っ飛んだその体を辰一の泰山が斬り裂く。残り二体。
「なんだ……?」
 真がぞっとしたようにつぶやいた。「こいつら弱くなってるんだか、強くなってるんだか、分からねえ……!」
 残りの二体の体が再び膨れ上がった。
 甚五郎の捨て身の攻撃で、角灯が今にも壊れそうになっている。
 クルールが結界師の体に二振りの剣を突き刺す。そのままねじって斬り裂こうとして――その内部の硬さに、顔をしかめた。
「岩、みたいだ……っ」
 辰一の泰山も食い込む。そして彼もクルールと同じように苦悶の表情となった。
 真が拳を叩きつけ、
「うおっちゃ!」
 思いがけず硬いものを殴りつけた感触に、拳を振る。
 アレーヌのレイピアは中々刺さらず、レオンは噛み付いてその硬さに、
「ガルルルルッ!(訳:歯が折れるだろうがっ!)」
 がん、と前脚を叩きつけた。
 結界師の体が揺らぐ。そこへ残り一体が近づき――
 手を伸ばした。
 皆の攻勢を受けている結界師も、仲間に向かって手を伸ばした。
 反射的に、辰一が泰山を抜いてその手を斬り払う。
 しかし手首だけとなってもそれらは近づき、つながり――

 二体が、突如合体して巨大な一体へと変貌を遂げた。

 ゆうに3mはありそうな背丈の炎の怪人は、巨大な足を上げた。
 下にいる人々を踏み潰そうとしたらしい。足の下にいた面々は飛びのいた。ぐしゃあ、と足は土を踏み、地面に食い込んだ。
 ブラォ・ストロームと精霊術が襲う。
 豪雨を受けても、炎の怪人は力を失わない。
「全員で一箇所を狙いましょう――!」
 辰一の掛け声。
 狙うは?
「首!」
 真が怪人の足をがっしと抱きつくようにしてつかむ。
 レオンの背を踏み台にして、クルールが跳躍する。同じくアレーヌが。
 剣二本とレイピアが、怪人の首に突き刺さった。
 辰一が泰山を投げつける。のどに突き刺さった。
 ごおおお、とうなり声とも悲鳴ともつかない声が怪人の口から漏れ出る。
「苦労するなあ」
 柚月がつぶやいた。ブラォ・ストロームが怪人の首を急襲し、
「エクスプロージョン!」
 爆ぜた。
 刃たちが貫いていた傷口に衝撃が走り、
 ずるり
 首が、胴体から離れて滑り落ちていく――
 同時に落ちてきた各々の得物を素早く手に取り、彼らは地面に転がった怪人の頭にそれを突きたてる。レオンがかじりついた。
 怪人の頭が消滅した。
 しかし燃え盛る炎の胴体はいまだ健在で、
「う、おお? うおおおおっ!」
 真は急に暴れだした怪人の足にしがみついて慌てた声を上げる。
 頭を失ったことで制御機能がなくなったか。急激に手足の動きにバランスがなくなった。
 豪雨の中、びしょ濡れになった戦士たちは顔を拭いながら戦いに意識を集中させる。
 怪人の体からは、じゅうじゅうと煙が立ち昇っていた。蒸発した水分――
 近くにいる者たちには分かる。熱気の凄まじさ。
「近くにいるだけで火傷しそうだね」
「あの方は足にしがみついていても平気ではありませんか。火傷などしませんわ」
 クルールの言葉にアレーヌが反論している。
 それを聞いた辰一が、ふと気づいた。
「ひょっとして――」
 懐からありったけの玄武の符を取り出す。
「皆さん、これをやつの体に!」
 濡れても破れぬ符。辰一が差し出すそれを、アレーヌとクルールは素早く奪っていく。
 そして辰一、アレーヌ、クルールは、揃って玄武の符を炎の怪人の体に叩きつけるように貼り付けた――ありったけの気を込めて。
 玄武の力が――
 『水』気の力が――
 直接、怪人の体に流れ込み――
 怪人の体が溶けていく。内側から。
 その瞬間に、
 甚五郎が体当たりした角灯が、弾け飛んだ。
 夏炉が叫ぶ。

「――伏せなさい!」

 反射的に伏せた、結界近くにいた者たち――

 角灯は破壊され、

 中の灯火は、

 そのエネルギーを抑えるものをなくして、

 何もかもを解放した。


 爆音。


 空高くにあった雲さえも爆ぜて消えるほどの強烈な。

 伏せていた人々は吹き飛ばされ、ごろごろと転がった。

 遠くで遠距離攻撃と援護を行っていた者たちさえ、爆風から身を護るのに必死になった。

 熱が風に乗って吹き付けてくる。衝撃と地面に叩きつけられる痛撃と。

 舌打ちした冥月がその能力を発動させる。影。

 その中に、全員を沈めて。


 ――やがて爆風がおさまった頃――


 冥月の影から現実世界へと戻った人々が見たものは、

 真っ暗闇だったはずの夜空に広がる、それは色鮮やかなオーロラだった。

 結界がほろほろとほどけていく瞬間――……

 ■■■ ■■■

 もう大丈夫ですよ、と優しく辰一が言った。
『ありがとうございまする……』
 十二単を着た、まだ十代半ばにも満たない少女は、嬉しそうにその白い頬をピンク色に染めていた。
『ようやく……あの息苦しい世界から、解放されました……』
 さまざまな色に変わっていくオーロラの下、夏炉の遠い親戚たる少女は、地面に手をつき深々と結界崩しを行った人々に頭を下げた。
 夏炉によく似た顔立ちの少女だった。夏炉を幼くしたらこうなるだろうか。
 姫の輪郭は儚く今にも消え入りそうで、冥月は再び全員とともに、姫を影に沈めた。わずかなりとも時間を稼ぎたかった。
「あなたがあたしのご先祖様の血筋の姫なわけね」
 夏炉は姫の前にかがむ。「今さらあたしの夢の中に出てきて。いい迷惑だわ」
「夏炉ちゃん」
 エピオテレスが慌てたような声を出す。うつむく姫の頭を、夏炉はなでて、
「――だから、もう出てきちゃだめよ。幸せになんのよ」
 姫は潤んだ目で自分と血を同じくする少女を見上げる。
「ひとつ聞きたいんやけども」
 柚月がぽりぽりと首の後ろをかきながら近づいた。
「差し支えなければ真相を教えてもらえへん? これだけの厳重な結界や、尋常な事態じゃなくてもおかしくないからね。場合によっては――」
 私らの本業の管轄かもしれへんからね――
「私たちの基準では、はかれないだろうよ」
 と冥月が柚月に言った。「何しろ相手は平安時代、その時代の深刻さというのがあるからな」
 知っているだろう? と彼女は肩をすくめる。
「あの時代の女同士の戦いの陰湿さを」
「ああ、そうやねえ」
「とりわけこの姫は――入内した姫だ」
 柚月が難しい顔で眉根を寄せた。冥月は静かに続ける。
「そして……。時の殿の、寵愛を受けた姫だ」
「……あーと、それ以上は詳しく聞いちゃあかんのかな」
『構いません』
 姫は凛とした声で言った。『……助けてくださった方のおっしゃる事でしたら……』
「お前さんに二度も三度も言わせはしない。私が説明する」
 冥月は語った。この姫の姉も入内していたこと。しかし天皇の寵愛はこの姫にあったこと。
 そして、この姫は――身ごもっていたこと。
「あいにく、姉が張らせた結界の影響で……子供は悲しいことになったようだが」
 姫ともっとも面識のある冥月が歩みより、片膝をついた。
「あの世で姉とやらに文句の一つも言ってやれ。それと……」
 からかうように、「今までの分、存分に夫に甘えるんだな」
 ――冥月にも愛する人がいた。自分も死んだら、"彼"に甘えるのだろうか、などと苦笑気味に思いながら。
「あたしの家計図には、この姫の名がないのよ」
 と夏炉が柚月に言った。「その辺り、多分何かをねじまげられていると思うのよね」
「……本業の管轄やね。アリスちゃん」
「はい。あの――」
 アリスはとことこと姫の元へ近づき、ちょこんとかがむと、
「あなたと同じ時間を生きる者でなかったことをとても残念に思います。お友達になりたかったです」
 おそらく同世代のアリスは、初めて目の前にした姫に深く感情移入したようだった。
 姫は不思議そうにアリスの金髪と赤い瞳を眺めて、それから可憐に微笑んだ。
『美しい……方ですね。あなたは……』
「あなたもとてもきれいです。笑顔がとても素敵です。だから」
 笑っていてくださいね――
「笑えないはずがないじゃないの」
 アレーヌが、びしょ濡れで重たくなった帽子を脱ぎ捨て豪奢な金髪を背中へ跳ね飛ばす。
「これからは、最愛の夫の元へ行くのでしょう」
「そうなるよう、私らが調節するよ」
 柚月がにかっと笑った。彼女とアリスは――時空管理維持局に勤める者だ。
「……あー、よく分かんねーけど、よかったなー……」
 元々キャパシティが少ないのに無理して磁界操作をしていた亮吾が、ふらふらとし始める。それを、真が抱きとめた。
 眠いー誰か運んでーとかうつろにつぶやいている少年をかつぎあげて、
「俺も途中参加だし今の話を聞いただけだけどよ。あんたの幸せ願ってるぜ!」
 とぐっと姫に向かって親指を立てる。
 姫は微笑んだ。
 野原に咲く一輪の、可憐な、けれど誇らしく咲く花のように、微笑んだ。

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 喫茶「エピオテレス」に戻ると、豪勢な食事が待っていた。
「まあ疲れているときは人は食わないものだが……」
 と、腕をまくったケニーは、冥月の影の中で乾かされた面々を見て軽く微笑した。
「無理にでも食べろ。……せっかく、作ってやったんだ」
 すでに深夜は過ぎている。とっくに店はしまっている時間だった。
 彼はたった一人、妹たちの帰りを信じて、料理まで作って待っていたのだ――
「ガルルルル!(訳:こいつらが食わないなら俺が全部食うぜ!)」
 頼もしくレオンが豪快に鳴く。
 笑いが満ちた。
 やがて各々、席につく。冥月、辰一、真、亮吾、アリス、柚月、アレーヌ、その傍らにレオン――
 夏炉、クルール、フェレ。
「それにしても……似た境遇だからな……あの姫への土産話になるか……」
 冥月はひとりつぶやいていた。「あれもいつか、解放してやらなきゃならんな」
「誰の話だ?」
 フェレが訝しそうに口を出す。うるさいとばかりに冥月は手を振った。
 夏炉が視線をさまよわせた後――
「……ありがとう、みんな」
 仏頂面でつぶやいた。
 ぷっと、誰かが噴き出した。
「誰よ、笑ったのは!」
「誰も笑ってませんよ夏炉さん。……ええ、みんな分かっています」
 辰一が穏やかにとりなした。
 温かな料理の匂いが、人々の鼻をくすぐる。疲れ切っているはずなのに――食欲が引き出されてくるような。
 テレスは兄の横に寄り添う。
 ケニーは言った。
「お帰り」
 よく帰ってきたな――
 誰もが、その言葉にぬくもりを感じて。
 誰もが、その言葉にすべて終わったことへの安心感を感じて。――

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 その後、アリスと柚月は本業の方で夏炉の先祖筋をたどり時空のゆがみを調節した。
 夏炉が改めて家系図を見直すと、そこには新たな名が加えられていたという。

『華』

 そんな名前の、姫が一人――


 <結界崩し/終わり>


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1335/五代・真/男/20歳/便利屋】
【2029/空木崎・辰一/男/28歳/溜息坂神社宮司】
【2778/黒・冥月/女/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【6047/アリス・ルシファール/女/13歳/時空管理維持局特殊執務官/魔操の奏者】
【6813/アレーヌ・ルシフェル/女/17歳/サーカスの団員/退魔剣士【?】】
【6940/百獣・レオン/男/8歳/猛獣使いのパートナー】
【7305/神城・柚月/女/18歳/時空管理維持局本局課長/超常物理魔導師】
【7266/鈴城・亮吾/男/14歳/半分人間半分精霊の中学生】

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■         ライター通信          ■
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空木崎辰一様
こんにちは、笠城夢斗です。
このたびは結界崩し最終章にご参加くださり、ありがとうございました!
最後の最後にして再びお届けが遅くなり、申し訳ありません;
今回辰一さんは直接攻撃型として、戦闘でおおいに活躍してくださり、助かりました。
楽しんで頂けたら幸いです。
今までありがとうございました。