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<東京怪談・PCゲームノベル>


First Winter



 草間・武彦の吐き出す紫煙と、向坂・嵐の口元に咥えられた小さな炎から細く天井に向けて揺れる煙とが混じり合う。 白い渦の中に取り込まれ、揉みくちゃにされ、同化していく煙を眺めながら、嵐は目にかかる前髪を払うと目を細めた。
 胸いっぱいに煙草の煙を吸い込めば、なんとも言えない ――― ヘビースモーカーである嵐には美味しいと感じられる ――― 味が重たく気管を滑り落ちていく。肺に詰め込み、ゆっくりと吐き出す。 気だるげに吐き出された煙は天井付近に溜まっていた乳白色の塊と合流し、更に巨大な雲を築き上げて行く。
「‥‥‥換気をした方が良さそうだな」
 武彦が灰皿に煙草を押し付けて消すと立ち上がり、窓を開ける。
「流石に高校生の制服に煙草の臭いをつけたら‥‥‥な」
「そうだな」
 学校が終わってから直接来ると言う旨を伝えられていた嵐は武彦の意見に頷くと、自身の吸っていた煙草をもみ消した。
「一応、夜神の事を伝えておいた方が良いな」
 武彦はそこで少し言葉を溜めると、どこから話したら良いのか迷っているかのように視線を宙に彷徨わせた。
「名前は夜神・魔月。歳は17。職業は高校生兼魔狩人討伐人。夜神家23代目当主候補だ。 ちなみに、夜神以外に当主候補はいないから、夜神が次期当主なのはほぼ確定しているんだが、夜神自身が候補をつけて名乗っているから、なるべく向坂もあいつの意思を尊重してやってくれ」
「あぁ」
 次期当主だろうが次期当主候補だろうがあまり変わらない。 そんな嵐の内心での呟きを見透かしていたかのように、武彦が不思議な笑みを浮かべるとデスクの角に腰をかけた。
「“当主”と“当主候補”は雲泥の差がある。言葉の意味だけでなく、中身もな。 まぁ、その辺のところは省くとして、能力に関して言えば心配いらない。もっとも、性格に関して言えばやや‥‥‥いや、かなり難ありなんだが‥‥‥」
「だーれが難ありだって、武彦!?」
 凛と透き通った声が響き、嵐は首を後ろに捻った。 いつの間に入ってきたのか、嵐の直ぐ真後ろにいた黒髪の美少女が銀色の瞳を細めると嵐の顔をマジマジと見つめる。不躾だと思うほどにジロジロと見られ、嵐の顔に思わず不快感が浮かぶ。
 小作りの顔にパチリとした大きな瞳、華奢な身体にポニーテールに纏めた艶やかな黒髪、全体的にお人形のように綺麗に整った外見をした少女は、おもむろに嵐の肩をガシリと掴むと思い切り顔を近づけた。
 自身も端正な顔立ちをしており、道を歩けば声をかけられる経験くらい幾度となくある嵐は、それでも美少女の突然の行動に戸惑った。 少し首を伸ばせば唇が触れてしまうほどの距離で瞳を覗きこまれれば誰だって戸惑うだろうし、まして相手はテレビに出ていても見劣りしないほどの美少女で、挙句初対面だ。いくらクールな嵐と言えど、目ぐらい見開いてしまう。
「夜神、向坂が固まってるぞ。離してやれ」
「コレがあたしの今回のパートナー?」
 思い切り物扱いをされ多少ムっと来るが、そこは“大人”の心を持ってぐっと我慢する。
「顔は凄い良いと思うし、あたしと並んでても見劣りしないとは思うけど、ガキじゃん。使えんの、コレ?」
「夜神、相手は一応年上なんだぞ‥‥‥」
 武彦の“一応”と言う言い方にもムッとするが、魔月のガキ扱いのほうがよほど頭に来る。
 いくら同じ十代とは言え、魔月は2つも年下だ。学年で言えば、3年生と1年生と言うことだ。この差はかなり大きい。
「年上だろうがなんだろうが、まだ“大人”じゃないんだろ? 第一、あたしより使えなきゃ、年上だろうが年下だろうがガキって括りにしてんだ」
 人を小馬鹿にしたように鼻で笑う魔月の印象は、はっきり言って良くない。 相当捻くれた思考の持ち主を相手にしていない限り、魔月は第一印象で嫌われる事はないだろうが、何しろ性格が最悪だ。口を開いた瞬間に嫌われる事間違いなしだろう。
 ――― 学校で友達とかいるのか?
 別に嵐が心配する事ではないだろうが、思わずそんな事を思ってしまう。 まして魔月が通う高校は、誰もが知っているような有名校だ。それこそ、頭の良いお嬢様達のサンクチュアリだ。
 いくら夜神家次期当主候補と言えども人の頭の中を覗けるような能力は持っていないだろうが、魔月は突然不敵に微笑むと自身の胸をドンと叩いた。
「昼間は皆の希望通りのお嬢様やってっから安心しな」
「‥‥‥別に心配してたわけじゃねぇよ」
「ま、あたしだってあんたなんかに心配されたくなんて無いんだけどな」
 あんた“なんかに”とは、また人の神経を逆撫でするような事を言う‥‥‥。
 ムッとするが、どうせここで目くじらを立てて反論したところで、似非お嬢様は何かしらの反論を仕掛けてくるだろう。こんな所でいたちごっこの様に言い合いをするような趣味は嵐には無かった。
「そろそろ本題に入ろうぜ。 えーっと‥‥‥」
「夜神。それ以外の名で呼ぶことは許さない」
 急に表情が失われ、拒絶するような視線を向けられる。凛とよく響く声に冷たさが加わり、その言葉に込められた暗い感情が強調される。
「たかが依頼のパートナー如きに、下の名前で呼ばれるのは嫌いなんだ。 あんたと仲良しになるつもりは毛頭無いしな。あんただってそうだろ?」
 嵐は返事を飲み込んだ。 今の彼女にはどんな言葉をかけても、冷たくあしらわれるのが目に見えている。
 夜神・魔月は自身の内に入れるものとそうでないものとを明確に分けている。内と外を隔てる壁は高く、容易に越えられそうにはなかった。
「分かった。夜神で良いか?」
「あぁ。それで良い」
「お兄さん、向坂さん魔月さん、お茶を淹れたんですけど如何ですか?」
 緊張していた空気を敏感に読み取り、口を挟む機会をじっと待っていた零が控えめに声をかける。 能面のように強張った顔をしていた魔月がその声にパァっと顔を輝かせ、零の持ったトレーの上から紅茶のカップを1つ取ると武彦の前に置き、もう1つを持つと武彦の隣に座った。
 ふかふかとは言い難いソファーが魔月の体重を包み込み、ゆっくりと沈んでいく。 持っていた紅茶を一口コクリと飲んだ魔月が、満面の笑みを零に向ける。
「美味しいよ、零」
「魔月さんが普段飲まれているような紅茶よりも全然安いものですけれど‥‥‥」
 零がそっと嵐の前に紅茶のカップを置く。 どうやら魔月は、武彦や零とはかなり親しい仲のようだ。思えば“武彦”“零”と言う呼び名も魔月が二人に心を許していると言う事を物語っている。



「‥‥‥まあ、こんくらいの年頃の娘がさ、集団からはみ出すのが怖いって気持ちも分からなくはないんだけどね」
 武彦と魔月から改めてもう一度詳しく事件の概要を説明された後で、嵐はポツリと呟いた。
「すげージジくさい意見。“このくらいの年頃の娘”とか言ってる時点で、あんたの青春は終わったも同然だな」
「夜神、向坂にいちいち喧嘩を売るな」
「喧嘩なんて売ってないぜ? あたしはただ、思った事を素直に言ってるだけ」
「それにしたって、オブラートに包むとか、なんか出来るだろ?」
 武彦と魔月の終わりなき言い合いに脱力感を覚えながら、嵐は強引に二人の間に意見を差し込んだ。
「“魔”云々てのは門外漢だからよく分かんねぇけど、時間が掛かる程マズイんじゃないの?」
 それまで明らかに嫌悪と敵意がない交ぜになったような冷たい表情しか浮かんでいなかった魔月の表情が、微かに緩んだ気がした。
「正也を助けるには、急いで探した方が良いんだろ?」
「あんた、なかなか頭は回る方だな。ほんの少し、1ナノメートルくらいなら見直してやっても良い」
 見直すにしては随分横柄な態度な挙句、1ナノメートルしか見直されないのであればほとんど意味がない。せめて1ミリくらい、目に見える単位にしてほしい。
「“魔”に関してはあたしに任せてくれて良い。あたしと昼神・聖陽が追っている“魔”は、普通の“魔”じゃない。無数にある“魔”のうちの一つ、昼夜神にしか討てない“魔”だ」
「なら、尚更俺の出る幕はないな」
「あんたは“魔”の事をよく分かっている。“魔”は時間が経てば経つほど寄生した人間を蝕んでいく。魔が憑いた人を“魔憑き人”さらに時が経つと“狩人”そして最後に“魔”となる。助けられるのは“魔憑き人”の段階までだ。“狩人”となってしまえばもう助ける事は出来ない」
 それならばやはり、早く行動するに限る。 魔憑き人でいられる期間がどれほどなのかは分からないが、もうそれほど時間は残っていないだろう。
「正也を探す方法だけど‥‥‥。千里に聞くのが早い、かな?」
「どうしてそう思う?」
「何となくだけど‥‥‥正也は千里の近くに居るんじゃないかって思うんだ」
 魔月が不意に遠い目をし、先ほどと同じ質問を繰り返す。 “どうしてそう思う?”そう尋ねた声は、少し掠れていた。
「千里がダメだと思った人が被害に遭うって事は、千里の動向をいつも見てなきゃ分かんないだろ」
 嵐のその意見は、魔月の欲しかった答えではなかったようだった。 宙に彷徨わせていた視線を失望したように手元に落とし、二・三度首を振ると肩を落とす。
「あんたは現実的だな。 ‥‥‥勿論、答えはそうなのかも知れない。でも、もっと何か‥‥‥心の底からのものがあっても良い気がする。 もしあたしが正也の立場なら、そう考えるだろうと思うからな」
 魔月が何を言っているのか、何を言いたいのか、嵐には分からなかったが、“もし自分が正也の立場なら”と言った魔月の言葉が引っかかった。
「もし‥‥‥が‥‥‥になって‥‥しても、傍にいて‥‥‥それで‥‥‥」
 ポツリと呟いた声は小さすぎて途切れ途切れにしか聞こえなかった。 唇を噛み、何かに耐えるように身体を強張らせた魔月の顔は、今にも泣きそうだった。
「夜神?」
 はっと顔を上げた魔月が一瞬にして元の冷たい表情に戻るが、膝の上で握り締められた拳は微かに震えていた。
 何かかけるべき言葉は無いかと探すが、魔月の瞳は拒絶を露にしており、嵐は喉元まででかかった言葉を飲み込むと何事もなかったかのように言葉を続けた。
「千里の“ダメな人”とかで最近、周りで何か感じないか、とか。 もしくは最近“ダメだと思った人”はいないかとかね。‥‥‥くらいしか思いつかないんだけど‥‥‥他に良い案ある?」
「‥‥‥あんたに一つ、言っておく事がある」
 また何か嫌味でも言われるのではないかと身構えた嵐だったが、魔月の口から飛び出したのは全く違う事だった。
「あたしは夜神家次期当主“候補”だ。この“候補”に含まれた意味は、軽くない。 あたしは夜の間しか魔狩人討伐人としての能力は使えない。昼はただの夜神・魔月でしかない」
 武彦が言葉の意味だけではなく中身も“当主”と“当主候補”の間には雲泥の差があると言っていた事が思い出される。
「昼間は事情があって、今とは違う人格を演じている。 だから、昼はあんたと接触できない」
 この意味が分かるな? 言葉以上に強い感情を表す瞳で尋ねられ、嵐は戸惑いながらも頷いた。
「つまり、千里との接触は俺がやれってことか?」
「あんた、思ったほど使えないやつじゃなさそうだな」
 上から目線での発言に、そろそろ慣れ始めていた。 彼女の言動にいちいち目くじらを立てていたら、それこそ胃に穴が空きかねない。そもそも魔月は嵐に不快感を与えようとしてわざと言葉を選んでいるのではなく、素直に思った事を言っているだけに過ぎない。もっと言葉を選んでほしいとは思うが、それを言ったところで改善が見られるとは思えない。むしろ、更に嫌な性格になってしまう可能性のほうが高い。
「それから、案は別にない。それで千里も正也も救えると思うんなら、それで良い。あたしは夜にしか動けないからな、あんたの好きなようにやれば良い」
「今回は大人しいんだな」
 武彦の何気ない言葉に、魔月がふっと口元を緩める。
「興味がないだけだ」
 夜神家次期当主が依頼に対して興味がないとはどう言う事なのだろうか?
 サラリとポニーテールにした黒髪をなびかせながら魔月が立ち上がり、銀の瞳を妖しく光らせると残酷な笑みを浮かべ、嵐を見下ろした。
「依頼じゃなく、あんたに興味がないんだ」
 クスクスと小さな声を上げながら、魔月は颯爽と興信所から出て行った。
「安心しろ向坂。 夜神はお前に興味がないんじゃなく、他人に興味がないんだ。アレに最初から気に入られる人間なんか、なかなかいない」
 武彦の視線が零に向けられる。 きっと彼女は、魔月に最初から気に入られた数少ない人間のうちの一人なのだろう。


* * *


 咥えていた煙草を携帯灰皿に押し付けて消すと、嵐は天を仰いだ。
 後数分で授業が終わり、校舎からは同じ制服を着た生徒達が流れ出てくる。 武彦が電話で嵐の大体の容姿を伝えておいたと言うが、こちらから探した方が良いだろう。写真で千里の顔を直接確認しているし、千里はかなりの美人だ。同じ制服の集団の中にいても、嫌でも目立ってしまうだろう。
 ――― その考えで行くと、夜神も目立つな
 顔立ちが整っているのもそうだが、魔月の纏っているオーラは普通の高校生とは違う。やはり、夜神家次期当主候補の重荷が内から出ているのだろうか。
 ガードレールに腰掛け、目を瞑る。 昨晩の出来事が頭の中でグルグルと回り、魔月の銀の瞳がやけに印象的に心に残る。
 “もし‥‥‥が‥‥‥になって‥‥しても、傍にいて‥‥‥それで‥‥‥”
 途切れ途切れに聞こえて来たあの言葉を思い出す。 あれはなんと言いたかったのだろうか?
「向坂さん、ですよね?」
 緊張したような細い声に、嵐ははっと顔を上げると立ち上がった。 写真よりも可愛らしい顔立ちをした千里が、上目遣いで嵐を見上げながら小首を傾げている。
「あぁ」
「良かった。草間さんから大体の事は聞いていたんですけど、もし違ってたらどうしようって」
「‥‥‥草間はどんな風に伝えたんだ?」
「背が高くて、すらっとしてて、赤茶色の髪に同じ色の瞳、人ごみの中にいても目立つ美形、パッと見は無愛想で怖いかもしれないけれど、悪い人じゃないからって」
「そうか」
 このまま校門の前にいては目立つからと、嵐と千里は駅前まで出ると喫茶店に入った。
 暖房が生温い風を吐き出し、北風によって凍らされた身体の奥をジワリと溶かしてくれる。
「向坂さんって、夜神さんとお知り合いですか?」
 向かい合わせに座り、嵐はコーヒー、千里が紅茶とチーズケーキを頼んだ後で、唐突に千里がそう切り出した。
 肯定の言葉が喉元まで出掛かるが、魔月が昼間はお嬢様だと言う事を思い出し、言葉をそのまま飲み込む。
「何でそう思う?」
「草間さんが、この依頼は向坂・嵐と夜神・魔月って者が担当するからって言ってたから。 夜神・魔月って、そうそういる名前じゃないですし」
 千里が知らないと思って言ったのか、それともウッカリ言ってしまったのかは分からないが、どうフォローしたら良いのか分からない。 魔月がどんな日常を送っているのかは分からないが、昼間の彼女は魔狩人討伐人の夜神・魔月ではなく、ただの“夜神・魔月”でいるはずだ。
「珍しい名前でも、1人しかいないってことはないだろ」
「でも、こういうことを引き受けてくれる夜神・魔月さんは1人しかいないと思うんです」
 探るような千里の瞳に、嵐は思わず目を逸らした。 それが何よりの答えになってしまうと知っていながら、真正面から目を見続けている事は出来なかった。
「やっぱり、あの夜神さんなんですね‥‥‥。 安心してください。私、夜神さんのこと、絶対に他言なんてしませんから。‥‥‥絶対、言わない。夜神さんの邪魔になるようなことは、出来ない‥‥‥」
「夜神と、何かあったのか?」
 二人は知り合いなのだろうか? けれどそうだとしたら、魔月が千里の写真を見て何も言わなかったことが引っかかる。
「正確には、夜神さんのお兄さんと知り合いなんです。 知り合いって言うか、一方的に助けてもらっただけですけど」
「夜神にお兄さんがいるのか‥‥‥」
「竜魔(りゅうま)さんって言って、とても優しい方ですよ。 危ない人に連れ攫われそうになった時、助けてくれたんです。私の命の恩人なんですよ」
 華やかな笑顔で思い出話を語る千里をそのままに、嵐はあることに気づき、視線を膝の上に落とした。
 ――― 夜神に兄貴がいたとしたなら、どうして夜神が次期当主候補なんだ‥‥‥?
 当主候補は他にはいないと言っていた。つまり、魔月の兄・竜魔は当主候補に名を連ねてはいない。
 ――― 夜神の方が素質があったのか、それとも‥‥‥‥‥
「あっ!すみません、今回は正也君の事を話しに来たのに‥‥‥。何か私に聞きたい事があるんですよね?」
 深い思考に入ろうとしていた嵐は、千里の言葉に顔を上げると頭の中に広がった靄を一旦外に出し、素早く思考切り替えた。
「単刀直入に聞く。最近千里の周りで何か感じないか?」
「いえ、特には何も‥‥‥」
「次の質問は答え難いかも知れないが、大事な事だから答えて欲しい。 ‥‥‥最近、ダメだと思った人はいないか?」
「いませんよ」
 即答した千里が、直ぐに悲しそうに表情を崩し、唇を噛んだ。
「って、言いたいです。でもやっぱり、私には合わない世界の友達は‥‥‥ダメだって、思っちゃうんです」
「ダメだと思った人の名前は?」
「日下部・杏奈ちゃん。凄く良い子で、とっても優しい子で‥‥‥でも、彼女は正也君の事が嫌いなの」
「日下部・杏奈は今頃何処にいるか分かるか?」
「今日はバイトって言ってたから、そこにいると思いますけど‥‥‥電話して確かめてみます?」
「あぁ、頼む」
 千里が杏奈に電話をしている傍らで、嵐も武彦に連絡を入れていた。 このまま杏奈の様子を見るために向かった方が良いのか、それとも魔月と合流してから行けば良いのかの判断を仰ぎたかった。
『夜神には連絡を入れておくから、向坂はそのまま日下部・杏奈のもとへ向かってくれ』
「場所の連絡は?」
『必要ない。 夜神家直伝の秘儀があるからな』
 どんな秘儀なのだろうか。 ボンヤリとそんな事を考えていた嵐の耳に、千里の鋭い声が突き刺さった。
「向坂さん!杏奈ちゃん、バイト早退したって‥‥‥」
「早退?」
「何でも、急に具合が悪くなったからって言って、さっき帰ったそうです」
『どうした?』
「日下部・杏奈が早退したらしい」
『‥‥‥何か臭うな。 向坂は至急日下部を見つけ出してくれ。こっちは夜神と早急に連絡をつける』
「分かった」
 終話ボタンを押し、携帯をズボンのポケットに仕舞う。 千里が俯きながら唇を噛み締め、歯の隙間から絞り出すような微かな声を零す。
「どうしてこんなことになっちゃったんだろう。‥‥‥私の、せい、だよね‥‥‥」
「別に、千里がそんなに責任を感じる事はないんじゃないか? 色々な事が悪い時に重なった、それだけのことだ」
「‥‥‥そう言ってもらえると、少しだけ、心が軽くなる気がします。 ‥‥‥向坂さん、どうか‥‥‥正也君を、お願いします」
 深々と頭を下げた千里の顔は、今にも泣きそうだった。


* * *


 千里から杏奈が写ったプリクラを貸してもらい、嵐はそれを片手に町中を探し回った。
 バイト先の周囲では目撃情報が多々寄せられたが、離れるに連れて情報は少なくなり、とうとう杏奈がどこに行ったのか分からなくなった。 手がかりが何もない状態で街中をうろついていても仕方がない。嵐はそう判断すると、携帯を取り出した。
 アドレスから草間興信所を呼び出した瞬間、視界の端に亜麻色の長い髪が映った。 ギリギリまで短くしたスカートに、胸元で揺れる臙脂のネクタイ。ブレザーの胸元には金色の校章が刻まれており、確かにそれは千里の通っている学校の制服だった。
 少女の顔と、プリクラの中であどけなく笑う顔が一致する。 虚ろな瞳に、覚束ない足取り、明らかに様子のおかしい杏奈の隣には、草間興信所で見た写真の少年が寄り添うようにして歩いている。
「正也!」
 嵐の声に反応して正也が足を止め、こちらを振り返る。 表情のなかった顔が一瞬にして笑顔になり、嵐にこちらに来るようにと身振り手振りで誘う。 行かない方が良い、魔月を待っていた方が良いと頭では分かっていたのだが、まだ無事な杏奈の姿と、瞳に光はないものの動作にはほとんど違和感のない正也の態度に思わず足が動く。
「初めて見る顔だけど、君はボクの事、知ってるんだよね?」
 抑揚のない平坦な声は、どこか寒々しいものがあった。
「名前はなんて言うの?」
「向坂・嵐」
「そう。嵐君か。 会って早々だけど‥‥‥死んでくれるかな?」
 隣で大人しく控えている杏奈の強張った表情が刹那にして笑顔に変わり、嵐に手を伸ばす。
 咄嗟に身を引いた嵐の目の前に銀色の光りの筋が輝き、空を切り裂く。
「彼女じゃなく、ボクの手にかかって逝きたいの? 我が侭だね、嵐君」
 ケタケタと笑いながら、正也が背中からナイフを取り出す。目にも留まらぬスピードで間合いに飛び込んでこられ、慌てて身を捩って避けるが反対からは杏奈が襲い掛かってきている。間一髪のところで両方を避けたが、無理な体勢で体を捻ったため、次の攻撃を避けるだけの時間はなかった。 腕の一本くらい、軽くなら傷付けられても構わない。そんな気持ちで顔の前で腕をクロスした時、背後から凛と響く声が届いた。
「弱っちいくせに、なにやってんだ! あたしが来るまで待ってろよな」
 魔月が苦々しい表情で両手を前に差し出せば、地面から対の巨大な刀が現れ、彼女の手の中にスッポリと納まった。
 嵐の腕に浅いかすり傷がつき、鮮血がゆっくりと流れ出す。 痛みに顔を顰めた嵐の前に魔月が立ちはだかり、正也と杏奈を牽制するように刀を振り下ろす。 嵐が止める間もなく、切っ先は杏奈と正也の右肩に食い込んだ。
 両の刀が一気に二人の身体を切り裂くかに見えたのだが、二人の身体に傷は見られない。
「‥‥‥どうやら何とか間に合ったようだな。 正也も杏奈も、まだ魔憑き人だ」
「まだ声が届くって事か?」
「そう言うことだ。 ‥‥‥あんた、自分の身を守る術は?」
「簡単な護身術とか格闘技くらいなら」
「それじゃ、心許ない。 相手は生身の人間とは言え、魔が憑いている。しかも2人も‥‥‥。あんたの身体能力が幾ら高くても、いずれ息の根を止められるだろうな」
 魔月が正也と杏奈を睨みつけながら、片方の刀を嵐に投げた。
「今見たように、あたしの刀は魔しか倒せない。この2人を傷付ける事は出来ないけれど、魔憑き人である以上、魔の存在を濃く内に抱いている。 簡単に言うと、多少のお守りくらいにはなるってことだ」
「‥‥‥魔を倒しに行くのか?」
「そうだ。‥‥‥呑み込みが早いな、あんた。そう言うヤツは、嫌いじゃない」
 魔月が口元を綻ばせるが、まだその顔は硬い。
「あんた、力じゃない戦う術は持っているか?」
「どういうことだ?」
「心で戦う術は持っているかってことだ。 魔憑き人は、心を封じられている。でも、封じられていても心は残っている。その深奥に届くような強さを持った言葉を持っているかってことだ」
「‥‥‥分からない」
「そうか。でも、あたしは‥‥‥持ってると思う。 あんたなら‥‥‥」
 “‥‥‥に似た雰囲気を持っている、あんたなら‥‥‥”
 北風が魔月の言葉を掻き乱す。 魔月がふっと肩の力を抜き、目を閉じる。 攻撃するのに絶好の機会だと言うのに、正也も杏奈も警戒するように睨み付けるだけで近付いては来ない。
 全神経を研ぎ澄ませ、何かを探っていた魔月が顔を上げる。 その瞳には何か1つのものが映っているようで、揺ぎ無い自信が見え隠れしている。
「5分で良い、持ち堪えろ。 その間に、魔を滅す」
 短く命令すると、魔月は地を蹴った。 高く跳躍し、近くの家の屋根に飛び乗ると軽やかな足取りで町の中に溶け込んで行く。
 残った嵐は魔月から借りた刀を片手に、正也の瞳を正面から見据えた。
「正也。お前、違うだろ。 こんなの、お前も千里も傷つくだけで、どっちも痛いだけだろっ」
「何を言ってるの、嵐君? ボクは痛くなんてないよ。千里ちゃんは痛いかも知れない。でも、ボクは痛くないんだ」
 正也が口の端を上げ、残酷な笑みを浮かべると手の中でナイフを弄ぶ。 クルクルと回る切っ先が街頭の光りを反射し、嵐の瞳にチカチカと刺さる。
「千里ちゃんは、ずっとボクの事を考えてくれる。自分の事を責めて、責めて、責め抜いて、ずっとボクの事を考えてくれる。 ボクは千里ちゃんの事が好きだった。ずっとずっと、ボクは千里ちゃんだけを見てきた。 今度は千里ちゃんがボクだけを見る番だよ」
「‥‥‥それは、正也の言葉じゃない」
「何を言ってるの、嵐君? これは正真正銘ボクの言葉だよ。ボクの内から出る言葉。‥‥‥じゃなかったら、言葉に出来ない」
 正也の瞳がドロリと濁り、だらしなく開いた口の端から透明な液体が流れ落ちる。 雫は頬を滑り、レンガが敷き詰められた道の上にポタリと落ちると濃い染みをつくった。
「正也の言葉でなければ、出てこない。言葉は正也のもの、気持ちも正也のもの。力と思考だけがわしの物。それが憑くという意味。 いずれこの感情も言葉も、身体も、すべてはわしの物になる。それまでは、わしと正也は一心同体。一つの身体に一つの心、一つの思考」
 低く篭った声は、何層にも重なって聞こえた。 正也の隣に立っていた杏奈がクスクスと笑い出し、彼と全く同じ声でその先の言葉を紡ぐ。
「正也はもう戻れない。この世界に踏み込んでしまった。正也の心はもう、戻っては来ない。 千里との思い出を抱いたまま、闇に染まり、闇に堕ち、消滅する定め」
「そんなことない。 まだ、正人は誰も死なせたりとかしてない‥‥‥」
「それも時間の問題。 最後の抵抗を試みている正也の心はもうすぐで染まる。そうすれば、わしが全てを手に入れる。正也が憎んだ者どもを地獄へ落とし、千里の心を連れて行く。闇の世界へ、永久の世界へ」
「‥‥‥っ。 まだ‥‥‥まだ間に合うはずだ。 戻って来いよ‥‥‥っ」
「夜神・魔月もこの程度か。 夜神家次期当主のこの体たらく、魔の世界に広く知れ渡るであろう」
「昼神家の次期当主、聖陽も歴代の昼神家当主よりも心が弱い。 昼夜の当主の力が弱まる事、其れ即ち魔の世界の夜明けなり」
「魔の夜明けを祝うため、まずはぬしを生贄に‥‥‥!」
 目にも留まらぬ速さで杏奈と正也が地を蹴り、一気に嵐との間合いを詰める。 咄嗟に身体を捩った嵐だったが、左右からの攻撃を防ぎきれるものではない。魔月から渡された刀を出鱈目に振り回すが、当たる様子は全くない。
「心の奥底、吐き出すことの出来ぬ黒き想い。 わしはそれを吸い取り、外へ出す者。人の心の闇を好む者」
「ぬしの心の奥はどのような闇が支配しておる? ちょいとわしに見せてはくれぬか?」
「‥‥‥悪趣味な魔だな。 何でも知りたがるなんて‥‥‥下品だぜ?」
 突然聞こえた魔月の声に、正也と杏奈が嵐の前から飛び退くと警戒しながら周囲を見渡す。 嵐も素早く街灯に照らされる路地に目を凝らすが、魔月らしき姿はどこにもない。
「仲間の魔を囮に使うたぁ、なかなか頭の回る魔のようだが‥‥‥武彦風に言えば、性格に難有りってところか?」
「夜神・魔月‥‥‥‥まさか‥‥‥」
「あぁ、あの魔達なら滅させてもらった。 あんたよりも高位の魔だったようだが、あたしにとってみれば力試しにもならなかったな。 この言葉の意味が分かるか?」
 ふっと場の空気が変わり、正也の背後に銀色の光りが浮かび上がった。
「あんたなんて、一瞬で滅す事が出来るって事だ」
 艶やかに微笑んだ魔月が、刀を地面に突き立てる。 正也の足元に横たわっていた影に突き刺さった刀が青白く輝き、耳を塞ぎたくなるような断末魔が正也と杏奈の口から発せられる。全身を硬直させ、目を見開いて叫ぶ二人の顔から、嵐は思わず目を逸らした。
 二人の闇夜を切り裂く声は、ほんの数秒の事だったのだろうが、嵐には何時間も続いていたかのように感じられた。 正也と杏奈の身体から力が抜け、地面に倒れこみそうになるのを慌てて止めるまでの間、嵐は足元から顔を上げる事が出来なかった。
 腕の中に倒れこんだ杏奈の首筋に指先を当て、脈を計る。 呼吸も脈も乱れはなく、どうやら眠っているだけのようだった。
「安心しろ。魔を滅しただけだ。 二人の身体に異常はない」
 正也を優しく地面に横たえた魔月が、セーラー服のポケットから小さな鈴を取り出すと一度だけ振った。 リンと、か細い音は冷たい冬の夜空に吸い込まれ、何処からともなくスーツ姿の男達が現れた。
「大貫・正也と日下部・杏奈に憑いていた魔を滅しました。 後のことは頼みましたよ」
「はい、23代目当主様」
「‥‥‥まだ“候補”だと、何度言ったら分かるのです。 正也と杏奈が目覚めた後は検査も忘れずに。特に正也は憑かれていた期間が長いですから」
「承知しております、魔月様」
「草間興信所に連絡も入れておいてください。 武彦に連絡を入れれば、千里まで伝わるでしょう」
 威厳に満ちた様子でそう言い、魔月が嵐の手を取ると彼らに背を向けて歩き出す。
「夜神家の人達か?」
「あぁ、そうだ。 目覚めるまでの間、保護してもらう」
「検査ってなんなんだ?」
「魔憑き人は、憑かれていた間の記憶を持っている者と持っていない者がいる。 持っている者については、精神的なケアや口外しないように言い含める事も重要だ」
「記憶そのものを消したりしないのか?」
「記憶は様々なものと結びついている。 魔の記憶だけを消した際、他の記憶が消えない保証はない。例えば今回の正也の場合、千里への想いまで消してしまう危険がある。魔は、千里への想いに憑いたからだ」
 魔月が嵐の手から刀を取り、地面に突き立てる。 対の刀はズブズブと音を立てながら地面に飲み込まれ、ついに消えて無くなった。
「そう言えばあんた、怪我したところは何かなってないか?」
「あぁ、大丈夫だ」
「それなら良い。 魔の中には、傷口から侵入するものもいる。浅い傷でも、なめてたら酷い事になる」
「今回の魔も、その類の魔だったのかもな」
「どういうことだ? ‥‥‥まさか、正也の心の傷口から侵入したとかって、クサイこと言おうとしてるわけじゃねぇよな?」
「こういうのを“魔”が差すって言うのかね‥‥‥」
「ジジくさ‥‥‥」
 魔月が溜息をつきながら肩を竦め、ポニーテールにしていた髪を解く。 シャンプーの甘い香りが北風に乗り、嵐の鼻をくすぐると流れ去っていく。
「これから、正人と千里はどうなるんだろうな」
「‥‥‥さぁな。 これから先のことは二人で決めることだ。でも、上手く行く、あたしはそう思う」
「同感だな」
 ポケットから煙草を取り出し、火をつけた嵐が風の行方を気にする。 魔月は風上におり、煙が彼女の身体を包むことはない。
「しかし、今回の魔には腹が立ったな。 あたしが魔の気配で動いているのを良い事に、自分よりも高位の魔を囮に使いやがって。まんまと引っかかった自分自身にも腹が立つ」
「でも、途中で気づいたんだろ?」
「高位の魔を滅した後、あの周囲にいた魔がアレだけだった。 ‥‥‥やはり、まだまだあたしは夜神家当主を名乗ることは出来ないな」
 もっとしっかりしなければ、夜神家の次期当主として立つ事は出来ないと、自分にプレッシャーを与える魔月の横顔は心なしか寂しそうだった。
「‥‥‥夜神、1つ訊きたい事がある。 別に、言いたくなければ答えなくても良いけど‥‥‥」
「今回、あんたには色々と手を貸してもらった。 不快な質問でなければ答えてやっても良い」
「兄貴がいるのか?」
「‥‥‥どこで仕入れたんだ、そんな情報を」
 魔月の銀色の瞳は、怒っても警戒してもいなかった。風のない日の海のように、穏やかな静けさがあるだけだった。
「仕入れたわけじゃない」
「情報があんたのところに飛び込んできたってわけか。 ‥‥‥なら、仕方がないな。入ってくる情報を拒む事は、難しい」
「‥‥‥夜神が次期当主候補で、他の候補は今のところはいない。そうだったよな?」
「あぁ。 ‥‥‥あたしにはかつて、兄と弟と妹が1人ずついた。そしてあたしにはかつて、両親がいた。‥‥‥この言葉の意味が、分かるな?」
 それは過去の事を指し、現在の事を指してはいない。 つまり、彼女は両親も兄も弟も妹も、何らかの形で喪っていると言うことだ。
「眉間に皺が寄ってるぞ。 何もあんたがそこまで思い悩む事じゃないだろ?」
「言い辛い事を聞いて、悪かった」
「別に、言い辛い事じゃない。 もう昔の話しだ‥‥‥」
「でも‥‥‥」
「あんたは、優しい。 きっと、誰にでも優しいんだと思う」
 魔月がふわりと微笑み、嵐の前に立つといきなり肩を掴んで引き寄せた。 口から煙草が落ち、崩れそうになる体勢を支えるために足に力を入れる。
「あたしはあんたみたいなのを知ってる。お人よしで優しくて、人を信じたせいで死んでいった人を、知っている」
「夜神‥‥‥?」
 魔月の銀の瞳に、不気味な光りが宿る。 背筋が凍るような、残酷で冷たい瞳を向けられ、嵐は生唾を飲み込んだ。
「だからあたしは信じないんだ‥‥‥」
 魔月の手から解放され、嵐は1歩後退ると今にも泣き出しそうな、それでいて薄く微笑んでいる彼女の顔を覗き込んだ。
 暫し放心したように宙を見つめていた魔月が顔を上げ、今まで見せていた脆い表情を一瞬にして笑顔に変える。
「もう夜も遅い。 最近は物騒だ。あんたも、気をつけて帰れよ」
「‥‥‥あぁ、夜神も気をつけて」
 手を振って去っていく後姿から目を逸らし、嵐は新しい煙草を取り出すと火をつけた。 煙草を口に挟み、深く煙を吸い込むと吐き出す。
 “魔”は、昼神家の次期当主、聖陽が歴代の当主よりも心が弱いと言っていた。 そして多分、魔月も心が弱いのだろう。押し隠してはいるものの、脆い部分を突付いたら一気に崩れてしまいそうな、そんな危うさがある。
 “昼夜の当主の力が弱まる事、其れ即ち魔の世界の夜明けなり”
 北風が嵐の前髪を揺らす。煙草を口から離し、空を見上げる。 無数の星と淡い三日月が浮かぶ空は暗く、夜明けが来る気配はまだない。



END

 
◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 2380 / 向坂・嵐 / 男性 / 19歳 / バイク便ライダー


 NPC / 夜神・魔月