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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


【夜の海のチーコ】


〜OP〜

今日はチーコは四回殴られた。

一回目は、唄ってる時に笑ったから。
二回目は、お昼ご飯のパンくずを床に落としてしまったから。
三回目は、殴られた時に吐いた血で殴った人の手を汚してしまったから、
四回目は、何となく。

チーコは、南の海にある活火山を抱く小さな島で生まれた。
チーコは、その島では仲間達から「可愛いチーコ」と呼ばれていた。
友達思いのチーコ。
笑顔が素敵なチーコ。
可愛い、チーコ。

チーコは、ここでは、名前を呼ばれない。
ただ、「化け物」って人間はチーコの事を呼んだ。

それは突然の嵐だった。

チーコが住んでいた南の島に、ジェット船に乗った人間たちがやってきた。
誰かと喧嘩なんてした事のないチーコの仲間達は、みんな一編に殺されたり、捕まったりした。
チーコは捕まった側で、そのまま、「新宿」ってトコにある、あんまり性質の良くない店で見世物としてショーに出されていた。

チーコの種族は、皆歌が上手だった。
燃える様な、命を燃やすような、赤い、赤い、力強い、炎のような歌を歌った。
人間はチーコの歌を珍しがって、たくさんの人間の前で散々に歌わせた。

チーコは、10歳。
活火山がある、南の島で、毎日歌を歌って暮していた。
その日々は太陽みたいに暖かくって、海のように無限に続くと思ってた。

カフッ。

薄暗い小さな小部屋で、チーコは小さな口からたくさんの血を吐き出す。
此処に連れてこられて、もう一年になる。
チーコは、南の島の美しい空気の中でしか本来は生きられない生き物だった。

もう、永くない。
チーコは分っていた。
もう、私は、永くない。

目を閉じる。
おかあさんの顔
おとうさんの顔
友達の顔

チーコももうじきそちらに逝きます。
チーコは笑う。
怖くない。
怖くない。

ただ、恋をしてみたかった。

何度も、何度も、喉を震わせ、情熱的に歌った恋。

チーコは知らない。
恋を知らない。
チーコは知らない。
それが、どんなに幸せかを知らない。

突然、大きな音がチーコの鼓膜を震わせた。

「アァ!!」

声を上げて跳ね起きる。
すると、自分の顔を覗き込む黒い影にチーコは気付いた。
「ああ、間違いない」
男の人の声。
キンキンとした、鼓膜をやけに引っ掻く声。
パチパチと瞬いて、チーコは見上げた。
黒く長い髪が揺れていた。
何だか険しい顔。
南の島にたくさんいた、蜥蜴や、蛇にちょっと似ている。
けれど、彼らはこちらが乱暴をしなければ決して、牙をむく事のない大人しい生き物立ちチーコは知っていたので、チーコはちっとも怖くなかった。
恐る恐るといった手つきで、骨ばった硬い手が、チーコの体を抱き上げる。
煙草の匂いが、チーコの鼻腔を擽った。
「ひぅあぁ?」
喉を震わせ、だあれ?と問う。
「助けにきた」
思いの外優しい声だった。

チーコは、疑う事を知らない子だったので。
何度でもそれで騙されて呼ばれて笑って傍によって、何度も、何度も蹴り飛ばされるような子だったので、「ひぅふぁぅぅ!」と高い声を上げて笑って、しっかりとその胸にしがみ付いた。

夜の空の下、男はチーコを抱えて駆け出した。
長い髪が、漆黒のカーテンのように風に煽られ広がる。

きれいだな。

チーコは手を伸ばし、さらさらとした手触りに微笑んだ。

きれいだな。

夜のカーテン。
なんて、美しい帳。

「化け物が逃げたぞ!!」」
後ろの方から声が聞こえる。
チーコをたくさん殴った男たちの声だ。
「ひぁふぅ!」
叫んで後ろを指差し、気をつけてと叫ぶチーコの背中を分ってるよという風に優しく叩いて、髪の長い男は誰かを呼んだ。
「竜子!!」
るーこ?
首を傾げるチーコの耳に、闇を切り裂くエンジン音が聞こえてくる。
あれ、知ってる。
あれ、バイクってゆうんだ。
チーコの見張り役の男が読んでる雑誌に載ってたよ?

「誠!!」
女の人の声。
凛とした、強い声。
バイクに乗ったその女の人は金色の髪を靡かせて、チーコと男の前に急停止すると、慌てた様子でヘルメットを投げつけて「追手は?!」と問い掛けた。
「しこたまだ。 とっととずらかるぞ!」
そう誠と呼ばれた男は答え、宝物を抱くような手でチーコを抱き直し、るーこのバイクの後ろにまたがる。
「大丈夫。 怖くないから」
るーこが優しい声で言った。
「大丈夫。 行こう、チーコ」
誠が、チーコの名前を呼んでくれた。
「ひあぅぅふぅるるぅぅ!」
嬉しくって大声で笑う。
るーこのバイクが、夜闇の中を猛スピードで駆け出した。
神様だってきっと追いつけない。
大型バイクは、そうやってチーコを暗い部屋から攫っていった。

*******************************

「で?」
「匿って欲しい」
黒須の言葉に武彦は、はぁと溜息を吐き出した。
「この前は不良娘の捜索で、今度は…」とそこまで言ったところで、零が常に無い強い声で「お受けします」と勝手に返事をしてのける。
「おい…零!」
そう非難の声をあげる兄をキッと見据え、「受けるんです!! 絶対に」と殆ど悲鳴のような声で兄に詰め寄った。
「…まぁ、こっちとしては報酬さえ受け取れるんなら、別段構わないが」
そう言いながら、ひしっと小さな掌で黒須の服を掴んだまま膝の上で眠るチーコの顔を見つめる。
ステージに上げるからだろう。
顔にこそ傷はなかったが、体中痣だらけで、煙草を押し当てられた火傷の痕も点々とあった。
「…まだ…子供だぞ」
黒須の隣に座る竜子が軋む声で呻いた。
「…こいつ…まだ…子供なんだぞ」
自分だって世間じゃまだ、充分子ども扱いされる年齢の癖に、ぎゅっと握り拳を固めた、相変わらず派手な特攻服に身を包んだ女は「糞野郎共だ」と吐き捨て、「頼む」と律儀な声音で呟き、頭を下げてきた。
「…で? 何なんだ、この子を追って来てる奴らの正体は」
武彦が問えば、「アジア諸外国を縄張りに、麻薬の密売やら人身販売やら、まぁ後ろ暗い商売の業界で一気に伸し上がってきた新興のマフィアだよ」と黒須は答えた。
「で、そこのトップっつうのが、若干キてる趣味の持ち主でね。 人間と動物を掛け合わせて作るキメラの研究やら、人間外の珍種なんかを世界中から攫ってきてオークションに掛けたり、ショーに出したりするような、そういうえげつのねぇ商売もやってやがんのさ」
黒須の説明に、武彦はチーコの容貌をもう一度しげしげと眺めた。
チョコレート色の肌。
オレンジ色の髪。
鳥のような声。
小さな体は、人間の子供と変わりない形をしているが、唯一つだけ、大きな違い。
大きな、大きな一つの目。
チーコには目が一つしかなかった。
顔の真ん中に一つ、燃えるような太陽色の綺麗な目玉。
「ベイブが…俺達の上司がね、この子の事を見つけてさ、何とかしてやれってお達しが出たんだ。 たまに、そういう慈善事業めいた事をしたがる奴なんだが、今回はバックがやべぇ。 とにかく、三日間。 何とか、三日間あいつらからチーコを守ってやってくれ」
「何故三日間なんだ?」
そう問い掛ける武彦に、黒須はチーコを見下ろして、その唇に手を当て、彼女が確実に眠って居る事を確かめると、囁くような声で言う。
「保たない」
「……何がだ」
「チーコがだよ。 一年間、この汚れた街で引き絞るみたいにして生きてきた。 保たないんだ。 あと三日なんだ」
「それは…」
確かなのか?と問い掛けかけて、事務員が教えてくれた、彼らの上司と言う男が、全てを見通す力をある鏡により得ている事を思い出す。
「多分、俺達の住んでる城に連れてけば、多分危険に晒されないで済むんだろうが…そりゃあ、あんまりだろ? 最期位、外の世界で、楽しいもんばっかり見せてやりてぇんだ」
黒須の言葉に、武彦は溜息を吐き出して、零を横前で見れば、大きな目に既に涙を溜めていて、「兄さん…」と震える声で呼んでくる。
「あーーー、もう、分ったよ。 請け負うから、お前は泣くな、お前も!」
そうズビシと指差された竜子は、既に鼻水もだくだくに流していて「ううう、…だのむからなぁ?」と涙に濡れた声で告げてきた。

チーコを守るだけならともかく、その背後にあるマフィアまで相手にしなきゃならないとなると、かなり面倒な案件になるとひしひしと感じながら、武彦は二人の女の涙に負けて、この厄介な依頼を引き受ける事にした。




〜本編〜




初日。


青く、青く、宝石の如く澄んだ左眼にも透明の水が滲んでいた。
喉の奥をぐっと締め、嗚咽を堪える。

「あと三日だから」

冷酷にすら聞こえる声。
陰険な容貌と相まって、それは死神の宣告にも聞こえた。
男は、まるでクーポンの期限が切れる事を告げるような調子でもう一度言った。
「あと三日だから、それまでの間頼む」と。
自分くらいの年齢の子供がいてもおかしくないような年嵩に見える男は、年齢の分だけ落ち着いているのか、表情も平静そのものに見える。
長く、異常に美しい長い黒髪を無造作に流したまま、今回の依頼者は簡単に依頼の概要を説明してくれた。

三日間、女の子を守る仕事。
女の子が理不尽な理由でこの国に連れてこられた事。
どんな酷い扱いを受けていたかと言う事。
知れば知るほど、憤りが勝っていく。
引き受けない訳がない。
水鏡千剣破は、涙の滲む目を何度も瞬かせながら「絶対に協力します」と決意を込めて宣言した。

金髪の少女が目を真っ赤にして、呆然と座っていた。
鼻をかみ過ぎたのだろう。
鼻の頭も真っ赤になっていて、何だか幼く見える。
男の陰惨な空気を中和するかの如く、感情を駄々漏れにしながら、今は泣き疲れのせいか、何だか呆けているようだった。
ただ、男が説明を終えた後、きっちりと「頼みます」と頭を下げてくる姿は真摯で、彼女や彼が、『チーコ』という少女を何故助けようとしているのかはさっぱり分らなかったけれど、何だか少女のその姿は信頼に値するような気がした。
そんな不思議な二人組みの男女は、男は黒須誠、女は城ヶ崎竜子といった。


「で、結局、お前らの上司っていうのは何者なんだ?」

涼やかな女性の声に黒須は、はぐらかすように首を傾げた。
問い掛けたのは、黒・冥月。
細身の黒いシャツに、後ろに深いスリットの入った黒のロングスカートを合わせ、窓際に立ちながら、
腰まである黒髪を、背中で揺らすその女性は、真っ白な紙にスッと美しく筆で引かれたような形をした睫の長い切れ長の目を閉じたまま、冷たい声で問う。

「おかしいだろう? 何の利益も見込めない。 誰が得するとも分からん。 ただのボランティアとは思えど、物騒な匂いもプンプンする。 善意のみで、このような件に首を突っ込む輩がいるとは考え難い。 目的は? お前達はどんな組織に所属してるんだ? そもそも、お前達自体は、何者なんだ?」

冥月のもっともな疑問に、黒須の視線が落ち着かなさげにあっちこっちする。
冥月の細い体は、華奢なのに鋼の強靭さを感じさせ、それでいてしなやかで柔軟な美しさを兼ね備えている。
身のこなしや、その眼差しから、尋常な者でない事だけは、千剣破にも感じ取ることが出来た。

「あー…」だの、「うー…」だの呻く黒須に肩を竦め、冥月の攻撃の矛先は、この興信所の主人にも向けられた。

「大体、武彦も、武彦だ。 気安く受けるな。組織から逃げる事がどれ程困難か」
そう言いながら、自分のすぐ目の前にあるソファーに腰掛けている武彦を小突く。

「これほど得体が知れぬ連中の依頼等、本来ならば、蹴って然るべき案件だろう」

そう、彼の不用意さを責める冥月に「まぁまぁまぁ…」と笑いながら、この興信所の事務員、シュライン・エマが割って入り、「いいじゃないの。 とりあえず、とーぉぉぉっても胡散臭いけど、この二人の身元は私が証明するわ?」と胸を叩いた。
中性的で整った容姿は、同時に知的で、何度か彼女とここの事件等で一緒になった事がある、千剣破としては、心からの信頼がおけるエマがそう言うのならという気になる。
千剣破の気持ちを見透かしたのか「ほら、黒須さんって、こう見えても、穏やかな午後に近所の美味しいケーキ屋さんのシナモンロールを突きつつ、熱い薔薇の紅茶を啜ってるお茶の一時なんかだったら、夢見心地に、気紛れに、気の迷いで『まぁ、僅かにはいい人かも…』と思えなくもない人だから…ね?」と千剣破に語りかけてきて、咄嗟に黒須の様子を横目で伺いつつ「えーと、黒須さんが既に涙目なんですけど、いいのか…な…?」と彼を指差してしまった。
エマは、気安い口調から鑑みれる通り、前々からの知り合いなのか「ほら、黒須さんも、疑われてんのは、あなたのその、不気味さのみで構成されてるツラのせいなんだから、無理矢理、多分不可能だけど、その胡散臭い、87%成分がヤクザな顔にスマイルを浮かべて、みんなの信頼を勝ち取って?! はい、レッツ爽やかスマイル!」と言いつつ黒須を揺すった。
黒須の隣に座っていた美少年も同様の立場らしく、「駄目です。 エマさん、その人笑ったらもっと不気味だから!!」と、追い討ちの追加点を入れていて、咄嗟に黒須が目頭を手で押さえつつ「もう、いっそ、死ね!って俺は言われたほうが気が楽だよ」と呻いている。
「まぁ、僕も彼らの身元は保証しますから…」と魅力的な笑みを浮かべ、視線で皆を見回す美少年は蒼王翼というらしい。
仕草も典雅で、見惚れるばかりのその姿に、認めたくなさの余り「美少年」呼ばわりをしているが、彼女はれっきとした「女性」らしく、それでも「お願いします。 協力してあげてください」等と彼女に言われれば、例え最初から協力するつもりだった千剣破にしてみても、更に固く「命を掛けて頑張ります!!」宣言も辞さない覚悟を決めてしまう。
他女性陣も同じく、白金の髪も美しく、マシュマロのような色合いの柔らかそうな白肌も愛らしいエリィ・ルーという少女が、大きな翠の目を瞬かせ、頬をピンク色に染めながら「はい…翼さんの為にも…協力させて下さい…」と両手を組み合わせて答えていた。
「わ、私も、何でもするわ…! 大したお手伝いは出来ないかもだけど、精一杯翼さんのお力のなれるよう努力するから…」
そう宣言するのは、大人しげな容貌の女性で、小動物めいた小作りな頬を高潮させて、目を星屑を入れたかのように輝かせている。
確か名前は歌川・百合子といった筈だ。
そんな二人の女性陣の様子に、負けてはおられぬと思わず、千剣破も勢い込んで、「あたしも、翼さんの為に…!!」と言いかければ「いや、依頼人俺と竜子だから!!」ともっともなツッコミを黒須が入れてきて、ハッ!と三人揃って我に返らされた。

「あー…いや、エマさんが信用してるんなら、俺はもう、腹決めてたし、構わないぜ?」

そう言うのは、向坂・嵐という青年で、赤茶色の髪と、同じ色したキツ目の印象的な瞳の持ち主だった。
端正な顔立ちをしているのに、そんな事は、どうでも良いと言わんばかりの、気取りのない立ち居振る舞いが逆に好感度を上げていて、この人モテるんだろうなぁ…と、千剣破は別事を考えてしまう。
モテるといえば…と、この面子の中でも圧倒的なまでの大人の色気を発散している兎月原・正嗣という男性に目を向ければ、「俺も、チーコを守るっていう依頼を受ける事に異論はないよ」と微笑みながら答えた。
聞くものが皆、骨抜きになりそうなほどの甘い声に思わず、千剣破の腰が砕けそうになる。
とろりと甘く、喉を焼くようなチョコレートボンボンのような声。
百合子の勤め先のオーナーだという兎月原は、声に負けず劣らずの甘い端正なマスクに、少し崩れた隙がありながらも、何処か野性味も感じさせる色っぽい笑みを浮かべたまま、「今回、初めて事務所の仕事を手伝わせて貰うのだが、ここの評判は聞き及んでいる。 中々優秀なスタッフが揃ってるようだし、お姫様を守るだなんて、中々風情がある仕事だ。 この興信所を通しての依頼なら、明かせぬ事情が諸々あるにせよ、そうそうおかしな事はないでしょ?」と余裕ありげな様子で言った。


皆の意思表明に、ついと黒須に目を向け、「良かったな。 皆お人好し揃いで」と冥月が口の端を持ち上げて言えば、黒須は小さく笑って「あんたも、そのお人よしの仲間じゃねぇか。 手伝ってくれるつもりなんだろ?」と確信を持った声で言う。
その黒須の言い様が気に入らなかったのか、冥月が眉間に皺を寄せ、「大体お前等の主は本当に独善だな。余命3日なら助けない方が幸せかも知れんだろう」と黒須を指差した。
「楽しく過して少しでも未練を残せば、死ぬのが余計辛いぞ。何も知らず死ぬ方が幸せな事もある」
黒須は、冥月の言葉に笑みを深め、「善か、悪かは分からねぇよ。 正しいか否かっつうのも、まぁ、難しいわな。 でも、やれっつうから、やるんだ」と自嘲気味の声で答える。
「お前の…主が言うからか?」
「ああ。 まぁ、しょうがねぇ」
そして首に嵌っている細い黒い輪にも見える首輪に指を引っ掛けた。
「チーコ…守ってやってくれよ。 あんた…相当の人と見た。 そんで、多分…」
小さな遮光眼鏡の奥に見える、細く険しい目がじいっと冥月の事を見据え「優しい人間だ」と、唐突な声で告げた。
冥月にしてみれば予想外の言葉だったのか、少しだけ後ずさり、コツンと窓枠に肩をぶつける。
「適任だろ? 俺が選んでんだ。 間違いない」
武彦がそう自信ありげに言うのを受けて、改めて千剣破はメンツを見回す。

バラバラに見えた。
てんでばらばらで、咄嗟の団結力なんて見込めない面々。

少し不安に思いつつ、そうなのかしら?と千剣破が首を傾げる。
聞いただけでも、中々厄介なこの依頼を、この面々で乗り越えられるのか、疑問を感じつつも、自分は自分にやれるだけの事をやろうと握りこぶしを固めた。

「…笑止。 私は、然程優しい人間ではない…が、先程まで申していた事も冗談だ。 守る。 依頼は依頼だ。 どのような者が頼みの筋であろうとも、守る。 チーコを」
冥月が淡々と述べるその声は自負に満ちており、彼女がそう宣言すると言う事は、その言葉どおりの結果を導くのであろうと人を納得させる力に満ちていた。
「それで、チーコを追っている組織の名は?」
そう冥月が問えば、黒須は「『K麒麟』…てぇんだそうだ。 生憎、こちとら、そんな裏社会にゃあ詳しくねぇから、怖い名前なのか何なのかはさっぱりなんだが、ベイブ…俺らの上司は『面倒だ』とは言ってたな」と答えた。
麒麟。
中国の伝説の獣。
「聞き覚えがある。 K麒麟ならば、ちょくちょく余りよくない場所で、その名を耳にするよ。 確かに、随分と最近は幅をきかせているみたいだ。 だとすると、竜子とやらが科してきた制限が、尚面倒に拍車をかけるな」と呟き、冥月は唇に指を這わせて思案気な表情を見せる。
「殺さないで…か」

そう、竜子が、皆に言ったのだ。
この依頼にあたって、チーコを守る為に、武力を行使する事は止む無いとしても、相手を絶対に殺さないで欲しいと。

それは、随分と甘い考え方だとは思ったのだが、千剣破にしてみても、人を積極的に殺したいとは思えない。
むしろ、竜子の告げたその制限は、何処か物騒な匂いのするメンバーも入り混じるこの依頼において、「相手を殺さなくても良い」という安心感を千剣破に与えた。

「勢いのあるマフィアは厄介だぞ。保身考えず無茶するからな」
そう言いながらチラリと窓の外に走らせる冥月の視線が険しさを増したような気がしたが、ついと室内に視線を戻す時には、もう、平静極まりない眼差しへと変化していた。

「で、これからどうする?」
そう冥月が言えば、まず、エリィが手を上げて「旅、行こう、旅!!」と言った。
「安全を確保する意味でも、3日間移動を続けるってのは、アリだと思うの。 ルートの確保は任しておいて? これでも、あたし情報屋なの。 おいそれと、追跡なんてさせないわ! 旅行なら、色々見せてあげられて、チーコちゃんにも楽しい時間を過ごして貰えるしね?」
エリィの言葉に、翼も頷き、「それは良いかもしれない。 故郷の南の島まで連れて行ってあげれるのが一番だけど…」とそこで言葉を切り、「この人数での移動や、危険面、期間を考えると中々難しいかな。 だけど、そうだな、海…うん、海には連れてってあげたいね」と提案した。
「海、賛成。 そんで、水族館とか、どうかな?館内、意外と薄暗いし、周りの人は水槽に気を取られてチーコの事もあんま気付かれないんじゃないかな。 まぁ、勿論パーカーとか着てフード被ってもらったりとかの多少の変装だか位は必要だろうけど。 南の海の生態を紹介するコーナーとか、水族館にはあるし、チーコにとっては嬉しいかも知れない。 あと、俺も海は絶対連れてってやりたいな。 そりゃ、チーコの故郷に比べたら全然劣るだろうけど…見せてやりたいと思う。 チーコに何か特別な事をしてやれる訳じゃないけどさ…一緒に色んなもの見て聞いて…感じて…、そう言う事してやれたら良いと思う」
考え、考えしながら、そう語る嵐の口調に、皆がそれぞれ頷いた。
三日間、然程特別な事は、千剣破とて出来るとは思えない。
それでも、その「特別じゃない」事がきっと、チーコには特別になるのだ。
気負わず、それでも、チーコの事を幸せな気持ちで一杯にしてあげたい。
エマも「旅…いいわねぇ…。 じゃあ、宿泊所に一つアテがあるから、連絡入れておくわ。 古い神社でね、藤やツツジの名所なの。 きっと喜んでもらえるわ。 あと、移動手段も、一つ良いアテがあるから任せておいて」と流石の頼りになりっぷりを、既に発揮していた。
百合子も「旅行なんて…嬉しい…。 しかも、女の子を守るための旅なんて、なんて、ロマンチックなんだろう!」と感激したような声を上げる。
兎月原は、ある程度方向性が固まったと見たのか「冥月さんは、何か?」と問えば、彼女は首を振り「任せる。 何処へでもついていく」とだけ答え、また窓の外へと視線を向けた。
「じゃあ、今度は、可愛いお嬢さん方にも聞かないとね」と兎月原が言いながら立ち上がれば「あ、あたしが行くー! ちょうど、みんなの参考に良いかと思って、旅行雑誌を持ってきていたのです!」と言いつつ、じゃーんと雑誌を一冊掲げてみせる。
「こっから、チーコちゃんに指差しで、何処行きたいのか選んでもらおうよ」と言うエリィ。
実は、チーコ、竜子、それに、もう一人今回の依頼のの参加者として呼ばれている飛鷹・いずみは、別室に控えて貰っていた。
というのも、あまり性質の良くない話(チーコの寿命について等)をどうしても話題にせざる得ない関係上、当人のチーコや、まだ子供のいずみには、話の内容を聞かせたくないという配慮から、竜子をお守り役としてつけて、書斎の方へと追いやったのだ。
とはいえ、竜子の子供っぽい言動と、明らかに年齢不相応な大人びた言語能力を見せていたいずみとでは、いずみが二人のお守りにも見えて、不満げに何度も振り返りながら書斎に引っ込んでいったいずみの可愛い顔を思い出し、誤魔化すのが大変そうだなぁと千剣破は他人事のように思う。
彼女の追及は激しそうだと考えつつも、千剣破は立ち上がり、「あたしも一緒に行く」とエリィに声を掛けていた。
チーコが何処へ行きたがってるのか知りたかったのもあるし、何より三人の書斎での様子が気になったのも大きい。
「旅行か…やばい、凄い楽しみなんだけど!」
「確かに、確かに!」
お互いに言い合いながら、何だかワクワク感も最高潮に達して、書斎のドアを二人は勢いよく開けた。
「ねぇ!!」
そう、まず第一声を発し、ポカンとこちらを見てくる三人に口々に声を掛ける。

「旅行だって! 旅行、旅行!」
「三人はどこに行きたい?」

千剣破は美しい黒髪を揺らしながら、白磁の如き肌を少し紅潮させて、「旅行、超っ! 久しぶりっ! どうしよう! 気合入り過ぎてきた! 何処行く? 何食べる? 何する?」と騒ぎ、はしゃぐ。
エリィもツインテールの髪をピョコン、ピョコンと跳ねさせ、光の粒を振り巻きながら、いずみ達の前に抱えていた旅行雑誌を広げた。
二人でキャッキャッと笑いあいながら、「温泉も入りたいね」やら、「美味しい物も食べたいね」等と言い合う。
視線を向ければ、楽しげな二人を見ている事こそが楽しそうに、笑いながら此方を見るチーコの顔が目に入った。

小さな体。
チョコレート色の肌。
オレンジ色の髪。
太陽色の綺麗な大きな一つだけの目玉。

確かに人間とは違う。
種族の違う生き物だろう。
だけど一つも分からない。
僅かだって理解できない。
千剣破は、どうして、このチーコを虐めて喜ぶような人間が居るのか、少しも分からずに、にこにこと笑っている顔を見て、酷く切なくなった。

あと、三日なんて…。


「終わったのですか?」

いずみの問い掛けに、「うん、ま、大体ね?」と笑いながらエリィが答えた。
賢しそうな大きな目。
茶色のサラサラの髪を揺らして、ついと此方を見る目に思わず怯む。
愛らしいのに、内に眠る知能の高さを伺わせるその厳しい眼差しに、千剣破は訳もなく心を動揺の波に晒された。
だが、当然竜子はそんな千剣破の胸の内には構わずに、「旅行?! まじで?! うおお、やったぁ! あたいも最近旅行とかとんとご無沙汰だったしな! ていうか、お前らは大丈夫なのかよ。 親とかは?」と、エリィと千剣破を交互に指差してくる。
千剣破は厳しい両親の顔を思い浮かべて、一瞬引き攣るが、「あ! 大丈夫、あたしの親はあたしの事信用してくれてるから」とエリィが笑って答えるのを聞いて、千剣破も絶対、この旅に同行するんだと怯んだ心に活を入れ、「何が、何でも、許可貰うの! 絶対!」と気合の入った握り拳を見せる。
「うひぁぁぅ!」
千剣破を真似て、きゅっと拳を握ってみせるチーコの仕草が可愛くて、「応援してくれてるの? ありがとー!」と言いながら手を伸ばし、千剣破はその小さな体をぎゅうっと抱きしめる。
「きゃぅ、きゃぅ!」とチーコの喜ぶ声を一頻り聞いた後、ひょいと、千剣破に抱きしめられたままのチーコに雑誌を見せ、「なぁ、なぁなあ、チーコは何処が良い?」と竜子を尋ねた。
千剣破が、両手を開けて解放すれば、チーコがトテトテと雑誌に近づき、顔がくっ付きそうな程近づけ眺めた後、今度はいずみを眺める。
ぺらぺらとページを捲った竜子が、ある箇所に目を止めて、「いずみとか、こういうトコ好きそうじゃねぇ?」と言った。
そこには、都内にある有名な科学館が掲載されていて、確かにいずみのような女の子は好きそうだと目を向ければ、「もう、何度も行って飽きました」とすげない返答を返していて、流石と思わず唸りそうになった。
「チーコには、汚れた環境は毒だとお伺いしています。 街から離れた自然の豊かな……南洋は無理でも海の綺麗なところが良いかと思います」と答える声に、やはりと頷きつつ、手を叩きながら、「まだ少し早いけど暖かくなってきたし海は確かに良いかも!」と賛同の意を表してにっこりと笑いかける。
いずみが「ね? チーコ。 海、好きでしょ?」とチーコに問い掛ければ、チーコは笑って頷いて、「いゆぅみぃ、ふぃぁ?」と首を傾げている。
何となく、「いずみは?」と問い返されている気がすれば、いずみも同じ印象を受けたのか、「好きよ。 とっても」と微笑み返していた。
するとエリィが、「うん、うん、チーコちゃんも行きたいって言ってるし…」と頷いて、それから書斎の外に向かって「海は決定だよー! チーコちゃんも希望してるし、絶対に行くよー!」と応接間に集まっている面々に宣言する。

「うわぁい、海だよ! 海ー!」
そう嬉しげに言いながら振り返るエリィに対し、いずみはチーコへ向けていたものとは表情を一変させて冷たい目でじろっと睨み上げていた。

こ、こわひ。

小学生の眼差しとは思えぬ鋭さに、思わず千剣破は震え上がる。
いずみが言外に非難しているのを感じ取ったのか、「だってぇ…」とエリィは甘やかで、幼い顔立ちに困ったような顔を浮かべ、「えーと、凄く難しい話をしてたからね? つまんないと思うよ?」と誤魔化すように言った。
千剣破も援護射撃とばかりに、「そうそう、聞いてても全然つまんないし、ね? ここでチーコちゃんや、竜子ちゃんとお喋りしてるほうが楽しいよ」と明らかに子供を誤魔化そうとする口調で告げる。
だがいずみは益々表情を険しくすると、「私も、一興信所スタッフとして今回の案件に参加させて頂く所存ですから、全ての事情や、これからの対応をお伺いさせて頂きたいのです」と、丁寧な口調で斬り込んできた。
大きな目をパチパチさせて、それから、今度は手をパチパチと打ち合わせるとエリィが、「すごおい! いずみちゃん、難しい言葉知ってるのねぇ」と呑気な声で褒める。
「な?! すげぇだろ! いずみは、天才なんだぜ?」とまるで我が事のように嬉しがる竜子に、いずみは呆れたような視線を向け、その後随分と大人びた溜息を吐いた。
「エリィさん、それに、千剣破さんも、私との間に然程の年齢差はないように見えるのですが?」
いずみの問いに、「えー? そんな事ないよ? あたし、17だもん」と答えて、「いずみよりは大人よ?」とエリィが胸を張った。
千剣破はエリィの答えに驚いて、「うわ! 偶然」と目を見開くと、「同い年、同い年!」とエリィの肩を叩く。
「マジで? 何か嬉しいんだけど!」
「あたしも!」
ちょっとした偶然に、透き通るような透明感のある白い肌をした千剣破と、純白のミルクめいた白い肌のエリィの頬が同時に軽い興奮にピンク色に染まる。
「えぃぃ? んひぅ!」
そんなはしゃぐエリィの袖を引いて、雑誌を覗いていたチーコが、あるページ字の写真を指差した。
「チーコちゃんはそこに行きたいの? どれどれどれ…」
そう言いながらエリィが旅行雑誌を覗きこみ、優しく目を細める。
「ここは…、潮岬…本州最南端の海ね…」
小さく呟くエリィを横目に、いずみが耐えかねたようにスタスタと勝手に書斎を出て行った。

慌てて、「あ、いずみちゃん? いずみちゃん!」と呼びかけるも、そんな千剣破の声も無視して、いずみは応接間の、ソファーにちょこんと腰掛ける。
「さ、話の続きをどうぞ?」
そう促すいずみに、黒須が困った顔になって、「いずみ? なんだ、退屈しちゃったのか?」と問うていた。




「ありゃりゃ」
千剣破が思わず頬を指で掻けば、エリィも似たような表情を浮かべている。
「中々、手強いね。 でも、あれだけ賢いんだったら、チーコちゃんのお友達として呼ばれただけじゃなく、きっと、チーコちゃんの心の支えになるよ」
エリィの言葉に頷いて、振り返れば、竜子の膝の上によじよじと上ったチーコがエマに貰ったらしい、ハート型の棒付きキャンディを咥えて、機嫌よさげに雑誌を覗き込んでいた。
竜子が、「ほら、ここも綺麗でいいな」等と雑誌を指差しつつチーコに語りかけているのを聞いて、千剣破は竜子の隣に座る。
チーコは、一つのページを食い入るように眺めていて「ここに行きたいの?」とエリィが問えば、何度も、何度も首を強く打ち振った。
「何処だ?」
竜子の問い掛けに「潮岬。 山口県にある、本州最南の海よ」とエリィが答えた。
「中々距離があるし、日帰りじゃ済みそうにないけど、大丈夫なんだよな?」
竜子の質問に、エリィと揃って首を縦に振る。
「オッケ。 んじゃ、ここ行こう」と竜子が、栞代わりにポケットから、その外見に反した可愛い柄の櫛を取り出して挟み込んだ。
「いゆぅみぃ? いゆぅみぃ?」
チーコが不安げに問い掛けている。
「いずみちゃんも、きっと一緒に来てくれる…と思うんだけど…」
エリィが眉を下げれば、千剣破も「どんだけ大人びてても、まだ10歳だもんねぇ。 お父さん、お母さん許可してくれれば良いんだけど」と不安になる。
もう、完全にお友達になってるらしいチーコは、「いゆぅみぃ…ひぁうふぅぁっ!」と、彼女の同行を望んでいるようで、千剣破も、一緒に旅に来て欲しいなぁと心から望んだ。
「しかし、あんたら、年若い癖して、中々物騒なとこ出入りしてんだね」と言われ、思わず辺りを見回して、ああ、物騒な場所とはここの事かと思い至った。
「あ、えーと、まぁ、社会勉強を兼ねて?」と千剣破が言えば、エリィも「そうそう、変わったバイトの方が刺激的だし」と頷きながら軽く答える。
「その、あたし、本職情報屋だから、こういう場所のバイトで顔を広げたいのも大きいの」というエリィに「へぇ」と竜子は感心して見せると「わたしも、家がちょっと、古い家で、稼業を継ぐ関係もあって、修行がてら?って感じ」と千剣破は言う。
「稼業?」
「うん。 実家神社なの。 で、あたしはそこの巫女ってわけ」
千剣破の説明に、「「ほえー」」と口を開く竜子と、エリィ。
チーコも遅れて「ほえ」と言い、それから「みお、みお?」と言いつつ、ペタペタと千剣破の腕を触ってくる。
「あ、あたいも、なんかご利益あるかなー?」
「あたしも、触る!」
二人でそう言いながら、手を伸ばしてくるのにぎょっとしつつ「いやいや、ご本尊じゃあるまいし、っていうか、触ってご利益とか、ご本尊でも滅多にないし…」と言いつつも、触られるに任せ、くすぐったさに身を竦めながら「竜子さんは、何処でこの興信所の事知ったの?」と問い掛けた。
「翼さんや、エマさんと顔見知りだったみたいだし…」
「あ、あと、いずみちゃんとも、仲良しだよね?」
エリィと千剣破が問い掛ければ、竜子は「ううん…」と一度唸り「や、隠す事じゃねぇんだけど、色々長くなっちまって面倒なんだよなぁ…」と頭を掻く。
「えっと、簡単に言えば、前に一回この事務所の…あたいは、特に零に世話になって、そいで、その後、千年王宮…あー、あたいの勤め先…? うん、まぁ、勤め先兼現住所にも、興信所に出入りしている連中に遊びに来て貰って、んで、色々助けて貰ったりとか、まぁ、そういう付き合いだ」
そう要領の得ない説明に益々好奇心を書きたてられ「千年王宮って?」と千剣破が更に突っ込めば、「あー、うー…」と益々困った顔をして、それから「わぁった、また、遊びに来い! 説明難しいんだ。 一編見てもらえば分る!」と竜子は手を振って言った。
「わぁ! じゃあ、ぜひぜひ〜」
 エリィの気楽な声に、千剣破も頷いて「約束ね!」と告げ、咄嗟に「チーコちゃんも、いつか一緒に行こうね!」と言いかける。
だが、その寸前で、千剣破の喉は言葉を殺した。

ああ、そうか、チーコちゃんには、いつか…はない。

チーコは、竜子の胸の辺りに顔を埋めて、名残惜しげにキャンディを舐め終えていた。
「あう…」
残念そうに呟くチーコに、何かなかったかとポケットを探って、小さなサイダー味の水色のキャンディを見つける。
「はい、チーコちゃん」
そう言いながら手渡せば「ひやぅ!」と歓声をあげながら、口の中に放り込み、もごもごと口の中で美味しそうに転がし始めた。

「さて、そろそろ、みんなと合流する?」

そう言いながらエリィが立ち上がる。
竜子も、チーコの手を引いてソファーを立ち、千剣破が応接間に向かう扉を開けた。

応接間では、酷く切なげな、困ったような顔をしたいずみが立ち尽くしていた。

「いゆみぃ?」

心配げにチーコがいずみの名前を呼ぶ。
「いゆみぃ、あぉうぃ?」
そして、チーコがパタパタと手招いた。
「なぁに? チーコ」
チーコの声を聞いた瞬間、いずみの表情が一変した。
険しさの一片もない、優しい微笑み。

ああ、凄いな、いずみちゃんと、千剣破は素直に感嘆する。
何一つの不安も、チーコに与えたくないのだ。
自分の役割を明確に把握し、自分に徹底させている。

穏やかな声でチーコに問い掛けつつ、パタパタとチーコに走り寄ってくる。
エリィが開いた雑誌を見せ、写真に写るは、鮮やかな青い海と、崖の上に立つ白い灯台。
「あのな、チーコ、この、潮岬行きたいそうなんだよ。 あたいも、千剣破も、エリィも賛成なんだけど、山口県にあって、ちょっとばかり遠いんだ。 日帰り旅行じゃ済まないし、多分ニ泊三日位の日程になる。 今って、いずみ、GW中だっけ? チーコが、お前と行きたいって聞かないんだけどさぁ…、良かったら、いずみも付き合ってくれるか?」
竜子に問われて、間髪入れずに「もちろん」といずみが頷けば、チーコが嬉しげに「ひゃぁ!」と声をあげ、背後に並ぶ千剣破達を交互に見上げてきた。
あんまり嬉しそうなものだから、思わず微笑み返す。
「良かったね、チーコちゃん」
エリィの台詞にチーコが頷いた。
「んじゃ、いずみも、お父さんと、お母さんに許可取らないとな?」
嵐の言葉にいずみが「はい」と素直に頷く。
「他のメンツも、三日間は大丈夫なんだよな?」
そう彼が問い掛ければ、それぞれみんな頷いた。
「うん、あたしは大丈夫! んで、チーコちゃんの希望により、山口県の潮岬は、絶対、絶対行くの決定ね?」
エリィの書斎の扉の前に立ったままの呼びかけに、翼は頷きながら「じゃ、一旦解散かな? みんなそれぞれ用意があるだろうし…」と全員を見回す。

皆、異論はないのだろう。
ただ、何だか、みんな、少しだけ雰囲気がおかしい。
その違和感の正体は何?と聞かれると、はっきりとは言えない。
凄く皆、何かを隠すのが上手で、竜子も、チーコも何も疑問に思わない様子で「おやつ買う暇あるかな? チョコ買ってやる、あと、あと、ポテトチップスと…酢昆布も欲しいよな…」とか、「ひっぅあふぅうう!」と嬉しげに言い合っている。
「えーと」と翼が人数を数え、「11人か…結構な人数だな…」と呟いた。
「あれ? 零は?」
そう竜子が問い掛ければ、「今回は、兄さんの手伝いに専念して、情報収集の面から皆さんのお役に立とうと思うので、お留守番です」とサラリと答える。
それから、零はチーコの傍へとしゃがみこみ、「楽しい旅をね?」と微笑みかけた。
気丈な笑みは、悲しみの雫を一粒たりとも滲ませはせず、まるで、本当にただ、朗らかに旅立ちを見送る者の笑みそのものだった。

強い。

千剣破は心中で唸る。
自分ならばどうだろう?
死出の旅。
見送れるか? あのように笑って。
分っていながら、それを微塵も感じさせない、零の笑顔。
いや、むしろ、そもそも、この旅に同行すると即答していたが、果たしてその判断は正しかったのだろうか?
情に脆く、動揺を露にする危険性のある自分は、チーコの傍にいるよりも、東京に残って零や、武彦の情報収集の手伝いをした方がいいのじゃないだろうか?
グルグル考え出すと纏まらなくなってくる。

だが、チーコは自分が守ると決めていた。
この依頼を、どうしても受けたいと思う自分がいた。
行こう。
チーコを守る為に、行こう。

千剣破は、決意した。
全ての覚悟を決めて、共に行く事を。

「じゃあ、今から一時間後。 駅前のロータリーで集合な?」
腕を組み、今まで黙って事務所内でのやりとりを聞いていた武彦が総括するようにそう声を上げる。
「三日間分の旅行の用意だからな? でも、あんま荷物は多くすんなよ」
武彦の言葉に頷いて「移動手段は電車ですか?」といずみが問えば「いや、まぁ、それは見てのお楽しみだよ」と武彦は含みを持った台詞を言った。
そういえば、エマが用意してくれるんだっけ?と視線を送れば、彼女も何だか意味ありげな笑みを浮かべていて「喰えない夫婦!」と、スタッフ公認の恋人同士である二人を、呆れたような気持ちで眺める。
「いずみは、ご両親にちゃんと説明すんだぞ? 連絡先は…」
「あ、私の携帯番号教えておくわ」とエマは挙手し、「もし、必要だったら、お家に説明のためにお伺いしてもいいけど?」と心配そうに顔を覗きこんだ。
流石の気の回りようであると、思わず感心。
「あ…大丈夫です。 そんなお手数かけられません」と丁寧に断りを入れるいずみに、百合子が目をパチリと開いていずみの顔を凝視した。
確かに、いずみは、ちょっとデキすぎだ。
言葉遣いとか、見習おうかしら?と考えて、二秒で「無理!」と答えが出た。
「じゃあ…エマ…よろしくな」
そう言われ、「任せて」とエマが頷けば、武彦は眩しいものを見るような目でチーコを見て「気をつけてな?」と優しく言った。
「あぅぃ!」
チーコが手を挙げ、大きな声で返事をする。
千剣破は、そうか、武彦も、これがチーコと最期の別れなのかと気付き、何だか切なくなった。

ここで、武彦と零はチーコの為に出来るだけの事をしてくれる。
彼らにしか出来ない事を。


「では、チーコ、いずみ、エマ、それに、竜子と…百合子も、途中まで兎月原に送ってもらえ」

冥月がそう告げた。
兎月原が微笑みながら立ち上がる。

ん? あたしは送ってもらえないの??なんて、名前を呼んでくれなかったのを不満に思う。
それでも、出口に向かいかえれば、エリィがついと袖を引いて留めてきた。
「何?」
問えば小声で「ちょっと…残って…」と言われる。
首を傾げて留まれば、ぞろぞろとチーコ達と見送る為に零が出て行くのと入れ替わるかのように、一人の青年が現れた。

「ご…め…なさ…ぃ…! お…そくなった…っ!」

途切れ途切れの声。
赤く、長い髪が揺れている。

まるで、炎のような。

チーコの肩が少し揺れた。

見上げていると首が痛くなるような高い背をした赤い髪の男はひょいとチーコの前にしゃがみこみ「チー…コ…?」と首を傾げた。
チーコがこくんと頷く。
すると、全身の力が抜けるような、人懐っこい笑みを浮かべて、チーコの空いている手を握り締め、ぶんぶんと振る。
「は…じめま…して、ボク…は…、五降臨…時雨。 時雨って…呼んで…ね?」
首を傾げてそう言いそれから、今から出て行く所と言わんばかりの様子のチーコ達を見て眉を下げると、まるで置いて行かれる子犬のような目をしながら「何処…か、行く…の…?」と問うてきた。
「はい、ちょっと山口県まで」
冷静な声でそう告げる百合子に、益々困ったような顔をして、「山口…県…?」と時雨が呟けば、「百合子…唐突にそれじゃあ、時雨さん困るだろ? えっと、チーコの事で来て下さった、興信所のスタッフの方ですよね?」と兎月原が問い、時雨が慌てて頷く。
そんな入り口での遣り取りを見かね、「時雨! こっち来い。 全部説明してやるから」と武彦が声を掛けた。
コクンと頷いて、それから忘れてた!と言う風に、時雨がポケットをごそごそと探り出す。
「こ…れ…」
そう言いながら差し出した掌には、色違いの、髪留めのが二つ。
セットになっているのだろう。
キラキラと光る、ピンクのプラスチックのハートと、赤いハートがついた髪留めに「可愛い」といずみがが呟けば、にこっと時雨は笑ってまずは、チーコの髪に一つ着けた。
「は…ふぃぅぅ…!」
びっくりしたような顔をして、時雨を見上げたチーコの頬が見る見る真っ赤になっていく。
「着ける…と、もっと……かわいい…」
時雨がそう褒めれば、チーコは真っ赤な顔のまま、「あぅ…ぅ…あぅ…」と何も返事が出来ず、まるで、時雨の目から逃げるかのように、エマの後ろに身を隠した。
「あぅぅひぅ…」
「あら、照れてるの?」
エマの言葉に、千剣破も「可愛い」と胸中で呟いて、中々気の利くプレゼントを用意してきたものだと、時雨に対して感心した。
その後、いずみの髪にも手を伸ばし、時雨がもう一つ、ピンク色の髪飾りをつける。
「…うん…可愛い…」
そう言う時雨に、きっと髪留めはチーコのものだと勝手に思っていたらしいいずみは目を見開きながら彼を見上げれば「おそろい…友達…だから」と言って、にこにこと嬉しそうに笑った。
いずみは、手を伸ばして髪留めを触り、それから「ありがとう…ございます…」とお礼を言う。
そういう姿はやはり年相応の女の子で、なんだか千剣破は安心した。
チーコがエマの後ろからひょこんと顔を出して「ぅぁぅぁあ!」と嬉しそうに自分の髪飾りを触った後、いずみのを指差した。
「そうね、色違いのお揃いね」
いずみは頷いてそう答え、「ああ、凄く似合ってる」と兎月原も蕩けるような声で褒めていた。

「では、参りますか」

そう言いながら扉の外を指し示す兎月原に頷き返し、チーコ達が事務所を後にする。


「さて…」

何処か物騒な声で冥月は声をあげ、「では、片付けの時間だ」と宣言した。

「片付け??」
「何をだ??」
キョトンとした声を、嵐と千剣破は同時に上げる。

「お前達、どんな能力を持っている?」

冥月に指差され、咄嗟に「み、水だったら、自由に扱えます」とどもりつつも答えた。
嵐は肩をすくめ「何も? ひけらかすような能力はねぇよ。 まぁ、バイクの運転には自信があるが、あとは少々、運動神経が人より良い位だ」と答える。
「分った。 では、自分の身は、おのおの自分で守るように」
乱暴な言葉。
「「はい?」」
声を揃えて問い掛ける嵐と、千剣破を無視して、今度は時雨に顔を向ける。
「何匹片付けた?」
全く意味のわからない問いかけ。
されど時雨には通じたのか、「五人…あ、ちょ…、ちょっと待って?」と、言いながら指折り数え始め、「えーと…えーと…多分、7人…」と時雨が心細い声で言えば、「上出来だ」と冥月は満足げに頷いた。
「では、残り、13名。 こちらは、7名。 楽勝だろう? 早い者勝ちだ」
そうわけの分からない宣言し、何を?と首を傾げるより早く、冥月はしゃがみこみ、自分の影に手を「突っ込んだ」。

「んあ?!」

思わず声を上げる間に、冥月の影から一人の男がその白い手に引っ掴まれて、現れる。
そのまま胸倉を掴み上げ、「組織を潰されたくなければ引けとボスに伝えろ。 弱小でも“黒冥月”の名は知っているだろう」脅し、冥月は窓から放り出した。
「な?! ななな?! なっ?!」
冥月と窓の外を交互に指差す嵐に顔を向け、独り言のように、「まぁ、こうやって脅したとて、このまますごすごと帰るわけにも、行かないだろうしなぁ…」と何処か呑気な声で、冥月が言う。
直後、興信所の扉が蹴り飛ばされ、窓ガラスも派手に割られて、複数の男が飛び込んできた。


「ひっ、にゃっ!!」

自分でもわけの分からない悲鳴をあげ、咄嗟に台所に飛び込んだ。

「み、みみ、水! 水!!」

焦りつつも蛇口を捻った所で、一人の男がナイフを構えて突っ込んでくる。
真っ黒な、如何にも暗殺者っぽい格好をして、目出し帽を被っている男に、向かい、蛇口から溢れ出た水を、細い針に替えてぶつける。

「ツッ!!」

腕に刺さった水の針に怯んだところで、今度は水を固い扱いやすい長さの棒へと変化させると、思いっきり振りかざして、その頭へと振り下ろした。
後頭部への痛恨の一撃に、為す術なく昏倒する男を見下ろして「どんなものよ!」と胸を張る。
この男は、チーコを追っている「K麒麟」だとかの連中の一人であろう事を確信し、とりあえず、水で今度はロープを作ると、「えい」と指先をふるって、男を縛り上げた。


応接間に戻れば、既にカタはついていた、皆、ぶっ倒れたり、目を回しているのを、武彦と黒須が手分けして縛り上げていっている。

「お ま え は 、分ってたなら説明するか、俺も一足先に、こっから出しておいてくれ!」
そう怒鳴る嵐の声など何処吹く風で「中々筋が良い」等と褒めていた冥月が「全て片付いたな」と頷けば「事務所内は滅茶苦茶だがな」と恨めしげな目で冥月を武彦がじとっと眺めた。
「私のせいじゃあるまいし、そのような目で見るな」と獣を追っ払うかの如く、しっしっと手を振った冥月が、「さて、追手はまだまだ掛かると見て良い。 私の名前の神通力で、準備にそこそこ時間はかけてくるだろうが、追いつかれれば戦闘は避けられないだろう。 まぁ、健闘を祈る」と他人事のように言う。

もしかしなくても、分った。

この人、あたし達の実力を測ったんだと、千剣破は確信する。
多分自分ひとりでも片付けられたものを、ここに集まっている面子の能力や、実力を把握する為に、明らかに非戦闘員の面々のみを事務所の外に避難させ(それも、周到に兎月原を護衛につけて)この狭い事務所内で、13名の刺客を叩かせたのだろう。

冥月は、軍師の如くの眼差しを皆に走らせ、にいっと嬉しげに笑う。
恐ろしい事に、ここにいる面々は皆、彼女が設けているハードルをクリアしてしまったらしい。

「武彦、後始末は大丈夫だな? 警察にでも任せれば良い。 この先の襲撃が心配なようなら、また別の人員でも呼んでおけ。 お前の知り合いならば、充分対応出来るだろうが…まぁ、もう、ここには来るまい」

そう予言めいた事を言う冥月に続いて、翼が肩を竦めて、「じゃ、僕達も一旦解散する事にしよう」と言った後、ついと冥月を振り返り、「我々はご信用いただけましたか?」と何処か皮肉げな調子で問うた。
冥月は、涼しげな顔で「想像以上だ。 翼も、凄まじいな、期待している」と笑って告げた。



家の人間には、「修行」を全面に押し出して、無理矢理納得して貰った。
荷物をボストンバックに詰め込んで、待ち合わせ場所に慌てて向かう。

パタパタと駆ける途中でエマと合流したていうか、エマが凄いことになっていた。

「お…重い…」

エマの身体よりも大きくみえる、とてつもない荷物を背負って歩く姿に思わず目を剥き「だ、大丈夫ですか?!」と声を掛ける。
「…あ、千剣破ちゃん…。 いや、ちょっと…色々、バーベキューの為の道具とか、家にある…役に立ちそうなものを纏めたら、こ、こんな事に…」と言うエマに手を出し「手伝います!」というより早く、ひょいひょいと、彼女の背負っている荷物が取り上げられた。
「潰れちゃうよ…?」
心配そうな声でそう言いながら、エマの荷物の大部分を軽々と背負うのは、時雨で、「ふー」と息を吐き出して「ありがと。 時雨君」とエマが礼を言う。
「エマ…は、飼い主だから…ペットが助けるのは…当然…」
そうニコニコと言う時雨に、ぎょっとして、思わず、一歩、二歩、三歩と後ずさる千剣破。

「エマさん…前から只者ではないとは思っていたけど…やっぱり、若いツバメが…」

そう言う千剣破に「違う!! ていうか、やっぱりって何?! ねぇ、千剣破ちゃんの私へのイメージって何?!」とエマが渾身の声で訴え、そのまま返す刀で「あんたも、誤解を招く事を言わない!」と飛び上がり、時雨の額を見事に打ち据えた。

集合場所には、一台のバスが停まっていた。

「じゃん! 可愛いでしょう?」
そうバスを指し示すエマに、ポカンとした顔をしてしまう千剣破と、時雨。

白い車体には羊の顔がペイントされ、横原の部分に「××幼稚園」としっかり幼稚園名が入っている。

「可愛い!」と思わず千剣破が声を上げれば、時雨も「…うわぁ」と茫洋としていながらも、嬉しげな声を上げた。
「ね? 可愛いでしょ? 武彦さんが昔請け負った依頼でね、解決したのはいいけど、依頼者が報酬払えなくって、それで、代わりにってこれを置いて逃げちゃったのよ。 幼稚園の園長さんだったんだけど、経営が立ち行かなくて、潰れちゃったのね。 まぁ、正直、どうしたもんかなぁ?って思ってたんだけど、こんな場面で役に立つとは思わなかったわ」
エマが、得意げにそう言ってる最中、「おお、来たか」と、声を上げつつ、嵐がバイクを引きながら現れる。
「なんか、チーコが喜びそうなバスだよな」と言えば、時雨と千剣破は同時に頷いた。
嵐は、バイクの性能の良さで知られている会社の看板を背負っている大型バイクを傍らに置いていた。
威圧感を感じる程の「デカイ」ボディは、デザイン性の高さにも定評があり、男が思う「カッコいいバイク」そのものの姿をしていたが、まぁ、そういうバイクの格好良さが千剣破に通用するはずがない。
(こんな大きなもの、よく乗り回せるわね)
その程度の感想しか抱かない千剣破であったが、「咄嗟に小回りも利くし。色々と便利だろうしな」という嵐の台詞に、頷いて、それから「後ろ乗りたかったら乗せてやるぜ?」と声を掛けられ、ちょっとぐらついた。

いや、バイクは怖い。
あの後ろに乗って、喜べる程の興味もない。

だが、嵐は、端正な顔立ちをしているし、仕草や言動が男っぽい所も魅力的だ。
バイクに跨る姿も、そりゃあ、そりゃあ様になるのだろうと想像できる。
そんな男の背中にしがみついて、ハイウェイを走り抜けていく…というのは、まぁ、それは、それで乙女の夢だ。
リリカル☆ドリームだ。

(これが…白馬…だったら、きっと迷わず乗りたいって言えたんだけど…)
そう肩を落とす千剣破だが、冷静になってみれば、ハイウェイを白馬に乗って駆け抜けていく嵐は奇異だ。
咄嗟に脳内に思い浮かべて、白馬と言うイメージ故か、何故か白い歯を見せながら笑い、片手を挙げて走り去る嵐の図を想像し、目の前の無愛想な表情とのギャップにげんなりする。
大体、そんな嵐に、どんだけ男前だろうが近寄りたくないったら、近寄りたくない。

時雨も、「ボク…体…大きいから…」とシュンと肩を落としつつも、ペタペタとバイクをさわり、ほわわんとした声で「かぁっこう…いいねぇ…」と呟いた。

「あぅ! ぃはぅゃぅ! えぁ! あゃぃ!」

チーコの声が聞こえる。

振り返れば手を振るチーコが見え、千剣破はチーコに手を振り返した。


バスに乗り込みながら、「で、誰が運転…」と言いかけたところで、運転席には黒須が座っているのを見て、「ひっ」と音が出るほど息を呑んだ。

もう、物凄く不安だ。
ぶらり 地獄への道行き紀行とか咄嗟に勝手なタイトルが思い浮かぶくらい不安だ。
無闇矢鱈に不吉な容姿をしているせいで、真っ当な運転をしてくれるとは思えない男が、何故か運転席にいる。

「なんだ、その反応は」と睨まれて咄嗟に「いや、間違えて妖怪バスに乗り込んだのかと思って」等とは流石に言えなかった。

言葉を飲み込んだ千剣破の目が忙しなく瞬きを繰り返す。
「え?」
嵐が黒須を指差せば「一応、元都バスの運転手」とさらりと黒須が答えた。
「…え…、ええ…ええ…え?!」
時雨が切れ切れに叫べば「ほら、思ったとおりの反応」とエマが言う。
先に乗り込んでいた翼が「多分、皆一緒の反応ですよ」と座席に座ったまま嬉しげな声をあげた。
「何でだよ」
そう呻くように言う黒須をまじまじまじと眺め、一歩下がって眺めた後、再び今度は近寄って凝視して、千剣破は深々と溜息を吐き出す。
「ヤクザじゃなかったんですね…」
千剣破の呟きに、嵐と、時雨も同時に頷いて、「もう、逆に物凄い意外すぎるな」と嵐が言えば「無意味に…不吉な外見…過ぎる」と、時雨も余計な一言を付け加えた。
「う る せ ぇ! とっとと、乗れ!」
そう怒鳴られ「はーい」と返事をして千剣破は席に着き、時雨はエマの荷物の積み込みの手伝いに、嵐は自分のバイクのメンテナンスの為にバスを降りた。



全員が無事揃い、バスは思ったよりも平和に出発を果たせた。


流れるように後ろに過ぎ去っていく景色にチーコが歓声を上げていた。
チーコを膝に乗せたエマがその頭を撫でながら鼻歌を歌っている。 ハスキーな声が優しく、穏やかな旋律を奏でるのが心地よくて、千剣破が視線を向ければ、エマは少女のように微笑んで「楽しいね」と千剣破の真向かいに座るいずみに言っていた。
青い空がどこまでも続いていて、初夏の日の光が優しく窓から差し込んでくる。
「ぁううぃぅぅ?」
「ああ…あれは、つつじ。 綺麗でしょ? もっとたくさん咲いてるとこにも連れてってあげるからね?」
「ひぅうあぃぃぃー!」
「ああ、はいはい、じゃあ、なんの歌が良いかしら?」
明らかにスムースに会話を交わしているエマに驚き、千剣破は「チーコちゃんの言葉、もしかして分るんですか?」と、問い掛ける。
「んふふ、自慢じゃないけど、このエマさんは言葉に関しちゃエキスパートよ?」
そう言いながら胸を張り、それから傍らにある鞄から大学ノートを一冊引っ張り出した。
ペラペラと開いて見せてくれると、そこにはびっしりとメモ書きがしてあって、急いで書いたのであろう走り書きの状態であるというのに、それがとても読みやすい字である事にまず驚いた。

「チーコちゃんが住んでた島の位置をね、黒須さんに聞いてきてもらったの。 チーコちゃんが喋ってる言語が何処から伝わってきたものなのか知りたくてね? というのも、彼女の舌っていうのは、私達とちょっと作りが違って、長さがとても短いの。 喉の構造も違うようで、そもそも人間とは発声方法が違うと考えた方が良いみたい」
エマの言葉に聞き入れば、エマはノートをチーコの頭の上でペラペラ捲りながら喋り続ける。
「だから、彼女の言葉の音は、母音と、ハ行の音、それに時折カ行が入り混じる位で、とても限られてるわ。 これが歌となると、また発声手段が変わってくるみたいなんだけど、そこまでの仕組みはちょっと分からない。 何にしろ、チーコちゃんの種族は会話における音が限られるから、当然語彙も限られてくるのよ」
「つまり、コミニケーション手段が『言語』である事が向かない種族という訳ですね」
通路を挟んで隣に座る翼の言葉に、「その通り」とエマが頷けば「確かに、それなら別のコミニケーション手段が発達して然るべきなのかも知れない」といずみも呟く。
「チーコの様子を鑑みるに、チーコはとても知的レベルが高いと思うんです。 幼い所が目立ちますが、私のクラスメイトにもチーコのような無邪気な振る舞いが目立つ子も大勢おりますし、現に彼女は人間社会に連れてこられて一年程の時間の間に、こちらの仕草を真似できるほど理解し、言葉も殆ど耳で聞く限りはその意味を分かっているように見受けられます」
いずみの明晰な推測に千剣破は舌を巻き、チーコは自分の話だからか、眼を大きく見開きながら、エマといずみに交互に視線を走らせた。
「まぁ、…いずみちゃんから見れば、大概の子は幼く見えるだろうけど…でも、確かにチーコは賢いよ。 その、エマさんの言うように、発声に関しては種族や、器官の構造の違いから、僕達と同じような発声が出来ないから、チーコはチーコの種族の言葉で喋っているんだろうけど、もし発声器官が同じなら、きっと僕らの言葉をマスターしていたような気がする」
翼が唸るような声でそう言った。


「耳が、いいのだろうな…」

目を閉じ、眠っているかのように静かに座席に身を預けていた冥月がぼそりと呟く。
「歌を得意とするものは、大抵聴力に優れ、耳で聴くものへの理解力が高い。 チーコは、一年間人間社会で過ごし、耳にする言葉の、音程や、高低、台詞の強弱等から、瞬時にこちらの言っている事の大まかな意図を察し、反応をしているのだろう」
冥月の言葉に、通路を挟んで隣の席に座っていた翼が感嘆したような声で「賢いな、チーコちゃん」と言えば、チーコが誇らしげな声で「ひぅぁう!」と声をあげる。
そんなチーコの頭を愛しげな手つきで撫で、「よいしょ」と掛け声かけつつ抱え直すと、「そうね、だからね、これだけ知的レベルが高く、喉の構造から見て『言語による会話コミニケーション』に向かない種族が、それでも何故『会話』によって、コミニケーションを交わしていたか…そこに私は着目したの」とエマはよく通る、ハスキーで耳障りの良い声で言った。
「ああ…確かに、それほど知的レベルが高ければ、自分達独自のコミニケーション方法を発達させていたとしてもおかしくないな」
エマの声にスキッと晴れ渡った意識が、途端にぐずぐずに溶かされてしまうような甘い声。
兎月原が大人の色気に満ちた端正な顔をこちらに向けて、鼓膜を直接舐るような、官能的な声で「それで、エマさんは、何故、チーコの種族が、それでも『会話』によるコミニケーションを発達させたんだと考えてるんです?」と問い掛ける。
茶色の髪に日の光が透けていて、これぞ「女にモテる男の見本」のような、美形ぶりに千剣破は、「大人の男の人って…いいなぁ…」と一瞬惑わされかけた。
エマも、同じように蕩けた顔で兎月原に見惚れていたようだったが「ハッ」と気を取り直し、「あ…いやいや、あのね、つまり、言葉が『伝来』したんじゃないかな?と思ったのよ。 人間からね」と答える。
「…ああ! そうか。 それなら、納得です」
大きく頷くいずみ。
「チーコの住んでいる島に、難破した船の乗組員等が流れ着いた可能性はゼロとはいえない。 どういう海流が、島の周囲を囲んでいるのかは見当がつきませんが、人間という会話によるコミニケーションを主にしている種族が、チーコ達の祖先が住む島に流れ着き、『言葉』を伝え、それが、チーコの代にまで伝わったと考えるのが自然ですね」
「そう、その通り。 言葉が伝わったのがどの位の時期なのかは見当がつかないけど、推測だと、かなり昔の事だと思うの。 ほら、今の時代だったら、言葉を教えたりとか、そういう事の前に、世紀の大発見としてチーコちゃんの種族を世間に公表したりとか…」とそこまで言って、エマの表情が徐々に曇り、それから口を一度噤む。
一瞬重たい沈黙が落ちた。

つまり、今の時代に人間に発見されてしまったから、チーコ達の種族の、悲惨な現状があるのだ。
昔ならば、難破し、無人島に辿り着けば、そのまま通信手段もなく、救助も求められず、その島で生を終えるしかなかったのだろう。
きっと、昔、チーコの島に辿り着いた人間は、彼女たちの種族と仲良く暮したに違いない。
人を疑わず、すぐに誰にでも懐き、笑顔を向けるチーコを見ていて千剣破は確信する。

「…そうすると、チーコちゃんの言葉にはルーツがあるという事ですよね? 地球上にある、何処かの国の言語が、彼女たちの言葉の成り立ちとなっているって事ですか?」

百合子が、空気を変えようとしてというよりも、全く場の空気読まないままに、素直に口を開いたといったような声音でそう自分の意見を述べる。
だが、彼女のほのほのとした声に、明らかにエマはほっとしたような表情を見せ、「そう! その通り! 私、こう見えても言語オタクでね? 黒須さんに、彼女の島の場所をベイブさんに聞いてきて貰ったのよ」と話の続きを始めた。
「で、先程まで述べていたような考察からチーコちゃんの祖先が人間とファーストコンタクトした時期を割り出してみると、航海技術が長期航海に耐えられるほど発達し、それでいて情報技術や、通信手段が今ほど栄えてない時代…。 そう考えてみると…大体15世紀中ごろから、17世紀中頃じゃないかな? と私は考えたわけ」と滔々と説明を続けるエマに、「大航海時代!」といずみが手を打った。
「だ…い…こうか…い?」
時雨がきょとんと首を傾げる。
「なんか…凄く…辛い…時代だった…とか?」
そう無邪気に問われ、百合子が「ああ、それは、『大後悔でしょ』と突っ込んであげたいのだけども、突っ込んだら大火傷!って感じだから、何も言いたくないっていう、私の気持ち分って貰えます?!」と兎月原に訴えている。
「え…百合…子…火傷? あ…、大丈夫…? 大丈夫…?」
眉を下げ、心配そうに自分に手を伸ばしてくる時雨に、「いや、もう、あの、え、ええ、ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」と、最終的に謝っている百合子を見て、何だか気の毒な気持ちに陥りつつも、助けようもなく、千剣破は同情の気持ちを込めて百合子を眺めた。

「大航海時代って言うのは、スペイン、ポルトガル等のヨーロッパ人が領土拡大や、当時は金と同じ重さの金と等価で取引されていた香辛料を求め、インドとの直接貿易の為に、アジア大陸、インド大陸、アメリカ大陸へと航海による海外進出を盛んに行っていた時代です」
いずみの説明に「…あ…うん」ととりあえず頷いた時雨は、眼をパチパチさせながらマジマジといずみの顔を凝視している。
翼が「本当に、君が小学生だっていうのが、信じられないよ。 見た目はそんなに可愛いのにね」という翼の台詞に千剣破は大きく賛同の意を表したかった。
「ああ、では、チーコの言語の元は…」
そう顎先に指を当てて、兎月原が「ヨーロッパ圏の言語」と言えば「そう、彼女の言葉のルーツは、ポルトガル語よ」とエマはにっこり笑ってノートを閉じた。
「言葉の元さえ分れば、言葉の響きや、選択されている音の強弱からも、チーコの言葉の意味が推察できる。 幸い、ポルトガル語なら習得済だし、彼女の言葉をこうやって書き留めて、翻訳しつつ、ちょと理解してこうとしてるの。 簡単な通訳くらいだったら出来ると思うわ」
そうエマが言うのを、出会ってから数時間でも、よくぞまぁ…と感嘆すれば、皆のその無言の驚きを理解したのか、「いや、まぁ、だから、えーと、言葉が好きなの。 趣味なの。 だからよ」とヒラヒラと手を振りながら、凄まじい事を何でもない事のように言って纏めた。

「エマさんって…ほんっと…尋常じゃないよね」
千剣破が心底の気持ちを込めて言えば、エマも心底の声で「いや、でも、私、ほら、みんなみたいに、『破壊光線!』とか『テレポーテーション!』とか出来ないから…」と否定する。
咄嗟に、千剣破は「いや、幾らこのメンバーでも多分、誰も『破壊光線!』とか撃てないから。 『テレポーテーション』とかしないから」と、速攻否定し返してしまった。
とはいえ千剣破としては、先ほどの事務所内での攻防にて、『破壊光線』に近いことをやってのけられるメンバーが入り混じっているのを知っている為に、まぁ、何だかんだで「尋常」な人間の方が少ないよね、この車内と思い、改めて見回して「あ、いや、いないや」と重ねて納得する。
ただ、自分自身の事は、当然省いて考えている訳で、他の面子からも「尋常じゃない」と自分が認識されている事など当然知らぬ気に、「まぁ、自分の事は自分では分からないものだしね」なんて、まさしく己に当てはまるような事を、腕を組んで他人事のように千剣破は考えていた。

「う、うう、なんか、凄い…だって、興信所の事務員さん…なんですよね?」

百合子が両手を組み合わせながら問う。
「ん? そうよ? もう、雑用ばっか! ていうか、ボランティアだし! 給料殆ど払ってくれないし!」
そう訴えるエマを、またパチパチと瞬きして眺め百合子は、「そんな…エマさんがボランティアだったら、私お金払って勤めさせて貰わないといけない」と呟いて、「あ、それはいいな」と兎月原が笑った。
「ま、エマさんは、ほら、ね?」
にやっと、笑う千剣破を、「何よう」とエマが睨んでくる。
「ボランティアっていうかぁ…武彦さんをお手伝いしたいだけだもんね?」と首を傾げて言えば、ピッと片眉を上げて「からかわないのっ」と怒られてしまった。
「う、うう、どうしよう、どうしよう」
おどおどと見回す百合子の様子に「どしたの?」と、黒須のすぐ近くに座って道をナビ係をしていたエリィが振り返り、百合子は「えーと…」と言いつつ、自分の網棚の上にあげらている鞄をごそごそ探り出す。
「…事務員らしく…こんなものを作ってきたのですが……」
そう言いながら取り出したるは、十数ページ程の小冊子の束。
「あの…しおりです」
そう言いながら渡された冊子には、可愛い兎のイラストやら、今回参加するメンバーのミニイラストが描かれた表紙が付けられていて、「かわいい…」といずみが呟くのを聞きつつ、千剣破も思わず、「きゃぁ!」と嬉しげな声をあげて、ページを捲りだした。
「ね、ね? この子があたしだよね?」
黒髪の女の子がニコと笑っているのを指差せば、百合子が恥ずかしげに頷いた。
「うあ、上手! ほら、時雨さんなんかもそっくり!」
指差す千剣破の指先を眺め「うわ…ボクだ!」と時雨も楽しげな声を上げる。

「旅行と言えば…しおりです!」
妙な力強さを持って断言する百合子から冊子を受け取った面々は、思い思いの表情で冊子を捲り始める。
「頂戴、頂戴!」
そう手を伸ばすエリィに、廊下側に座っている冥月が手渡せば、「ほんと、凄い可愛いー!」と言いつつ、運転席に座り黒須に冊子を手渡していた。
にこぉと笑って、自分の似顔絵の部分を指先で撫で「ゆぃこぉ! はぅぃぅ!」と百合子に満面の笑みを見せる。
「注意事項とか…あと、スケジュールなんか書いてみました! 緊急の連絡先として、エマさんの携帯No書かせて貰ったんだけど…」
「オッケー! はぐれたり、迷子になったら、連絡頂戴ね?」
そう声を掛けるエマに、苦笑を浮かべる者もいれば、大真面目に頷くものもあり、「しおり」の登場に俄然盛り上がる旅行ムードに、千剣破もワクワクと胸を躍らせる。
ぺらぺらと読み込んでいけば、旅行の予定表なんかもあって、これからどんな場所に行けるのか、一つ一つ確認しては胸を高鳴らせた。
「わ、でも、これ、ほんとに便利。 メモ用紙にも出来るようになってるし…、凄い…あはは、嬉しい! これから行く場所の、見所とかも書いてある。 よく一時間で作れたわねぇ…」
感心したように言うエマは「凄いわよ、百合子さん」と心からの声で言い、千剣破も、あれだけ、自分に何が出来るのか弱気な様子を見せておいて、これだけの事を懸命にやってきていた彼女に感心する。
百合子は嬉しげに「よかった、喜んでもらえて」と胸を撫で下ろし、にこっと幸せそうに笑った。



夕時。

高速のパーキングエリアで、夕食がてら休憩を挟む。
チーコの外見の特徴を考慮し、バスの中で夕食をとる事にして、いずみと千剣破、それに時雨が買出し班を請け負った。
他にも、慌てて出発したせいで、色々揃ってない物なども一緒に買う為にバスを降りる。
バイクで後ろから追ってきていた嵐は、バスのすぐ傍にバイクを停車させていた。
彼の後ろに酔狂にも乗せてもらっていた竜子が、ヘルメットを脱いでいる。
「うひー、気持ち良かったぞー!」
竜子がばさばさと犬のように金色の髪を振りながら、嵐と並んで歩いてきた。
「やっぱ、いいな、バイクって!」
そう言う竜子に「当然」と嵐が済ました顔で告げて、それから「うし、じゃあ、次、いずみ行ってみるか?」と聞いている。
「結構です」そう一刀両断し、「バスで皆さんお待ちですよ?」といずみが後ろを指し示す。
「今から、買い出し?」
嵐が首を傾げ、休憩エリアにならぶ店舗を指差す。
「そう。 ペットボトルとか、タオルとか…役に立ちそうなものをね、買い出しに行こうと思って…」と千剣破が言えば、「荷物になりそうだし、男手もうちょっとあった方がいいだろ」と言いつつ、「俺も行くわ」と嵐は言った。
「竜子は体冷えたろ? 先バス戻ってな」
そう言う嵐に「あんがと。 大丈夫だけど、ちっと誠達とも相談したい事があっから、戻るわ」と言いつつ手を振る。

四人でサービスエリアの店舗にて、手分けして色々買い込んだ。
「明日まで夜通し走るんだよな。 だったら、夜食っぽいのも、買っとくか?」
「あ、水! これ、大きなの多目に買おう!」
「えーと…、こういう、歯ブラシセット…チーコに良いんじゃないですか?」
「…ね…ね…、良い匂い…!五平餅…五平餅…!」
実は、エリィが夕食にと弁当を詰めてきてくれており、一緒に食べられるようなものと、日持ちがしそうなものをチョイスする。
たちまち、嵐と時雨が持ってくれていた籠は一杯になり、「手伝いましょうか?」といずみが言えば、「おお、ありがとう。 でも、大丈夫だから」と嵐は答えた。
時雨も両手一杯に荷物を抱えて平気な顔で先を行く。
彼がご機嫌なのは、店先でじいいいっと眺めていた五平餅をきちんと人数分購入したからで、「餅…餅…お味噌の…餅♪」と唄いながら「早く…バスで…ご飯にしよう♪」と、身軽にクルンとこちらを振り返り、それからパタパタと走り出した。
身長がえらく高い、大変見た目に恵まれた体型をしているのに、仕草がいちいち可愛くて、「ああいう犬…見たことあります」といずみが呟けば、「うん、私も近所の犬に似てるな〜って思ってた」と千剣破も和んだ声で言う。
「あー、確かに昔アパートの大家さんが飼ってたペスに似てるわ。 すっげぇ、人懐っこいの」と嵐も同調し、ほわほわと背後から見守られている事に気付かぬまま、時雨は何もない場所で、何故か「あ」と声を上げて、ステンと転ぶ。
漫画になるような転び方を見せた後、「あう…、あう…あ、めろんぱん…あ、あんぱん…あ、お水も…」と散乱した荷物を焦って拾い集める時雨に慌てて走り寄り「大丈夫ですか?」と問うた後、いずみが「めっ」と睨みつけ「前を見て歩いてください」と厳しい声で注意した。
まさに「犬の躾」ボイスで言ういずみの台詞にしゅんと項垂れて「はい…気をつけます…」と良い子なお返事をする時雨。

年齢差15歳。
慎重差に至っては、頭何個分?という位、多大な差があるいずみが、時雨を叱る様はどうにも、千剣破の笑いのツボを刺激する。
嵐も同様らしく「ぶはっ」「くすっ」と噴き出しつつ、そんなやり取りを微笑ましげに見守って、荷物をきちんと袋に収めなおすと、「さ、みんなが待ってるから、行こ?」と千剣破はバスを指差した。



バス車内。

「じゃ、じゃーん!」
エリィがそう言いながら、大きな紙袋から幾つかのタッパーを取り出した。
「時間ないからさぁ、冷蔵庫の中のもの詰めて、あと、短時間で作れるものだけ作ってきたんだけど…」と言いつつ、バスの中央座席にエマが持ってきたという、小さな折り畳み机の上に広げる。
途中までとはいえ、女性一人の身でよく持って来れたものだと感心し、意外なエマの腕力に千剣破は瞠目した。
チェックの可愛いランチョンマットを敷いた上に並べられた料理の数々は、とても短時間で揃えたとは思えない彩の良さと、明らかに凝った料理の数々で、「えへへ、そこのポテトサラダとかは、結構自信作」と言いつつ、薦められるままに箸を伸ばせば、ほくほくとして、しっとりとした舌触りに、ふにゅと崩れた笑顔になる。
「山菜おこわのおにぎりもあるからねー」と、エリィが言って差し出すのを受け取って、「へぇ、旨いもんだな」と黒須が褒めれば、「えへへへ」と嬉しそうに笑って、それから、「こうやって大人数で食べるのって楽しいね」と、気持ちの篭った声で言った。
チーコが、片方の手におにぎり、片方の手にから揚げをさしたフォークを握り締めながら、「はぐはぐ」と懸命に口を動かす姿を見て、「はい、喉に詰まらせないようにね?」とエマが注意している。
魔法瓶に入れてきたという、お味噌汁を啜りつつ、ああ、確かに、ご飯は誰かと食べる方が美味しいと強く感じた。
一人で食べるご飯よりも、たくさんの人と一緒に食べたほうが美味しい。
空豆と明日葉の掻き揚げを食みつつ、「時間がたってもサクサクしてるのね。 また、コツ教えてよ」とエマがエリィに強請り、時雨がチーコに負けない位口いっぱいに食べ物を詰め込み、片手に握り締めた五平餅にもパクついている。
千剣破は、ひたすら「美味しい、美味しい!」と感想を述べるしか出来なくて、同じように「美味しい」と言い続ける百合子と顔を見合わせ、微笑み合いながら箸を進めて、それぞれ「このロールキャベツとか、もう、お店出せるよ」とか「この白和えもサイコー」と感想を述べ合った。
翼は、流石と言うべきかエリィを「あなたみたいな方の恋人になる男性は世界一の幸せ者だ」と絶品の微笑みで褒めており、そうなると当然のように兎月原が澄ました顔で、「ああ、願わくば、俺もその、世界一幸せになれる男候補に名乗り挙げたいものだ」なんて甘い声で告げている。
何故女性に生まれてしまったのだろう?と思う程の、ハンサムっぷりを発揮する翼と、甘いマスクに似合った甘い声で賞賛する兎月原の前に、頬を染め、へにょへにょと身をくねらせながら、「ううう、やばい、照れすぎちゃう!」とエリィは喚いていた。
竜子と嵐も、バイクでの走行と言うのは体力を使うのか旺盛な食欲を見せ、ブロッコリーの塩茹でに、レモンの手作りドレッシングをかけたものを皿に山盛りに取りながら、「うめぇ…! 野菜って正直そんな好きじゃなかったんだけど、こうやって喰うとうめぇんだな」と感嘆の声を上げている。

竹の子のオーブン焼きや、菜の花とあさりを卵でとじたもの等春野菜をふんだんに使った料理の数々に舌鼓を打ち、サービスエリア名物のチープながらも、暖かで癖になるようなテイクアウトの品々も綺麗に平らげ、これまた最後に暖かな緑茶を啜って、大層賑やかな夕食を終える。

「んじゃ、嵐君、交代」

そう言いながら立ち上がったのはエマで「バイク疲れたでしょ? 鍵、貸して」と言いながら有無を言わさず差し出す手に、嵐は目を見開いたまま鍵を渡し、それから「はえ?!」と声を上げた。
「私、大型二輪の免許持ってるから、交代要員に数えてくれて良いわよ? お昼からずっと走り詰めでしょう。 休憩なさいな。 あ、運転技術は、結構折り紙付きだから大丈夫」と言うエマに、嵐は「いや、そこら辺は疑っちゃいないが…外結構風冷たくなってくる時間帯だし、女が体冷やしたらまずいだろ」と眉を寄せて言う。
エマは首を傾げ、ひらりと軽やかな大人の笑みを見せると、「あら。 優しいのね。 ありがと。 でも、ちゃんと、防寒用にダウンジャケットと革パン持ってきてるし、季節的にもそんなに冷え込まないから、心配しないで」と言い、肩にボストンバッグを提げて颯爽とバスを降りていく。
そんな格好の良い背中を皆で見送って、「あの人…なんでも出来るんだな」と呻く嵐に、「意外な特技発見よね」とエリィも頷いて、「要するに、暇人って事だろ?」と黒須が口を歪めて憎憎しげに言えば、竜子がその後頭部を思いっきり叩いた。
「姐御の悪口言うな! 命が惜しくないのか!」
竜子の物の言いに、「いや、その筋の人じゃあるまいに…」と思えども、うっかり時雨が「やっぱり…、どこかの…組の人だったんだ」と大きく頷いていたりして、確かに肝の据わり方は尋常じゃないけど…と千剣破は頭痛すら感じ始める。
百合子と、兎月原も「只者ではないと思っていたが…」「やっぱり、その筋の関係者だったのね。 なんで、じゃあ、興信所の事務員を?」と話し合い始めており、心の中で「エマさん、ごめんなさい」と呟いて、千剣破は面倒臭さに負けて、この誤解を解く努力を放棄した。




二日目。

昨日は、夕食後、チーコとわきゃわきゃと喋ったり、夜通しバスで過ごすという体験に興奮して眠れないかと思ったが、疲れていたのかいつの間にか眠りこけていた千剣破。
バスタオルをタオルケットの代わりに掛けられていて、「ふあ」とあくびをしながら身を起こすと、キラキラと目を輝かせながら、万華鏡を覗いているいずみと、チーコの姿が目に映った。

「わぁ…」

そう、微かな、それでも、驚嘆しような声をあげるいずみの姿に、今万華鏡を覗いている彼女の目に、どのような世界が映っているのだろうと興味深く思う。

「綺麗だろう」

低い声。
顔を向ければ、腕を組んだまま、眼を閉じていた冥月が、二人に顔を向けずに腕を組み「人から貰ったものなのだがな、暇を潰すのに丁度良い」と告げていた。
冥月があげたのか…と少し意外に思う。
彼女は、皆からも、チーコからも距離を置いているように見えたから。
だが、万華鏡を無邪気に覗いているチーコを見る表情は存外に穏やかで、「今兵庫を通過中だ。 神戸市にある水族館へと向かっている。 あと少しで、次の休憩所に着く。 そこで、洗面と朝食を済ませよう」と告げた言葉の柔らかさに、彼女を優しいと言った黒須の言葉は、的外れではなかったと千剣破は確信した。



嵐が行こうと提案した水族館。
凄く、凄く、すごおおおく楽しそうで、みんなと一緒にめぐりたかったのだけれども…。

「追手がある。 千剣破は、残れ」

という冥月の指示により、あえなく居残りを余儀なくされた。
広い駐車場。
連休中とあって、どこもかしこも一杯だが、バスを停めた第二駐車場という名の広場には、まだまだ、駐車場スペースの空きがある。


つまり、それだけ、自由に動けるスペースがあるという事だ。


何処の水族館でもそうだが、こういった施設は海の傍に建てられる。
千剣破は、堤防の傍に立ち、海をバックに敵の来襲を待つことにした。
冥月が言うには、まだ、偵察隊といった程の人数の追っ手らしいが、放置しておくと後々面倒そうだから、ここで叩いておこうと言う事らしく、少人数が相手なら人目につかないうちに片をつけたいものだと千剣破は考える。

水族館に向かったチーコ達メンバーを守るべく、水族館入り口には、兎月原と黒須、エマが向かっていた。
こちらには、冥月、時雨が待機しており、冥月曰く「少々目立つ力を行使するので、人目につかないとこで敵と対峙したほうが良い」面子が集められているらしい。
戦闘に関しては、彼女の踏んだ場数は、きっと相当なものなのだろうと千剣破は察し、彼女の指示に今後も大人しく従おうと考える。

暫く後、黒塗りの車が数台駐車場に滑り込んできた。
威圧感のある車のフォルムに、「如何にもってかんじ」とそのセンスのなさを内心で嘲笑う。
冥月は偵察だと言っていたが、このバスを追って、ここに現れたこの車に乗った男達は、むしろ「冥月」が目当てで現れた男たちのようにも思えた。
実際、このバスの前で、チーコ達を待ち伏せるにしても、こんな連中がたむろしていたら目立って仕方がない。
初めから身を隠すつもり等なく、むしろ、本当に「冥月」がここにいるのかを確かめにきているようにも見え、どんだけ、裏の社会で彼女が有名人なのかを、千剣破は思い知らされた。

黒塗りの車から降りたのは、粗野な風貌の酷く体格の良い男だった。

バラバラと後に続く男たちも似たり寄ったりの風貌だが、この男が放つ、凶暴な雰囲気が一際際立って感じられる。

「お前が、黒冥月か」

大きな口をにいっと開き、男は何処か好色そうな口調でそう言った。

「そうだ。 お前は…『犀牛』か?」

冥月の問い掛けに、肩を震わせて笑うと「かの有名な冥月殿に名前を知って貰ってるとは、光栄の至りだな」と、荒い声で言う。

「それに、そっちは、五降臨時雨か。 おいおい、もう、廃業したんじゃなかったのか? 伝説めいた伝聞ばかりが一人歩きしているせいで、この目で実際に拝むまでは、実在すら信じられなかったぜ。 で、そんな二人が雁首揃えて、軍隊でも相手にするつもりかよ」

『犀牛』と呼ばれる男の揶揄に、時雨も、その筋では有名な使い手なのかと千剣破は目を見開いた。
あんなに、ほわほわしてるのに…と思えど、実際今の時雨が身に纏う空気は酷く殺伐としていて、人は見かけに寄らないと、千剣破は唸らされる。

「ま、いいやな。 俺にとっちゃあ、そんだけのメンツがここにいるって事のが大事だ。 どんだけの金で雇われてるかしんねぇが、お前さん二人が揃って、化け物のクソガキのお守りもないだろう。 気味の悪いあんな生き物の護衛なんつうつまらん事をなんでやってんだ? ヤキがまわったにしちゃあ、あんまりにもお粗末な仕事じゃねぇか。 俺ぁ、うちのトコのボスに頼まれて、お前らスカウトに来てんだよ。 言い値通り支払ってやるし、女だろうが、クスリだろうが、なんだって好きなようにヤらせてやるさ。 悪い事は言わねぇ、こっちへつきな」

『犀牛』の言葉に時雨が、静かな、だが怒りの篭った声で言った。

「チーコを…馬鹿にするな…」

長大な剣を軽い動作で構え、「竜子と…約束したから…殺しはしないけど……あんまり酷い事を言うと…我慢できなくなっちゃうよ?」と幼い口調だからこそ、怖気を奮うような事を言う。

冥月も、気負いのない様子で構えると「金では、この冥月の魂は買えない。 況や、貴様らのような薄汚い連中に売れるものなど、もとより、持ち合わせておらぬわ」と涼しげに告げ、次の瞬間、瞬く間に、男達は「自分の影」に拘束されていた。

(すごい!)

影を自由に操る冥月の能力に目を見開けば「千剣破!」と名前を呼ばれて慌てて海水を頭一つ分の大きさに固めて浮かせると、身動き取れない男たちの頭にゴン! ゴン! ゴン!と次々にぶつける。
(ううう、冥月さんに比べて、あんま格好よくないよう…)と思えども、動けない敵へ攻撃を命中させるのは容易であっという間に、皆、昏倒させることが出来た。
それは時雨も同じらしく、次々に剣の峰部分や、柄の部分で急所を殴りつけ、相手を地に伏せながら、「つまんない…」と余りの呆気なさに肩を落とす。
『犀牛』はと言えば、劣勢になるや否や、とっととその場から逃げ出していたらしく、取り押さえ損ねた冥月が「ちっ」と悔しげに舌打ちしていた。

「あの野郎、私に俺の女になれ等と言ってきやがった」

そう不快気に唸る冥月の言葉に思わず時雨と顔を見合わせる。
そりゃあ、見た目こそは凛とした、神秘的なところも魅力的なスマート美女だが、戦闘に際した時の振る舞い等を見ているととても、並大抵の男が御せる女性とは思えない。
勿論、あんな、脳みそまで筋肉で出来ていそうな『犀牛』などに釣り合いなど、どうあっても取れるとは思えずに「勇気あるね」と千剣破が呟いて、時雨がコクコクと頷くのを、ギロリと冥月が睨み据えてきた。



「で、どういう事なのよ」
エマがバス車内で唸るように言う。
「どうして、私たちの後をこんなに正確に追ってこれるわけ?」
男たちの中の一人を締め上げてみるも、下っ端だったせいで、要領を得た回答を得る事は出来ず、バス内を総ざらえした所で、盗聴器や、発信機等こちらの行方を追うに有効なものは何も見つからなかった。
実は、エマが事前にチーコの身に纏っていた衣服や、髪、歯の間等に仕込まれていた発信機等は事前に取り去っており、車のナンバー等を把握されたのかと思えど、K麒麟の仕事の下請け等を行うような小さな組に所属しているという男は、ただ、この水族館に向かい千剣破達を襲うように指示されただけで、他は何も知らないという。
そもそも、こちらが「バスで移動している事」すら知らなかったというのだから訳が分からない。
事務所でK麒麟について調べ、情報を流してくれている武彦や零も、彼らがどのような情報網によって、こちらの動向を把握しているか想像すらつかないようで、とりあえず、東京で分る限りの事は随時連絡を入れてくれるそうだ。
今でも、黒須には組織そのものの情報を、エリィには道路情報等を伝えてくれているそうで、気付いてはいなかったが、武彦達は、武彦達で協力をしてくれているのだと知ると、やはり心強く思う。
とりあえず車を変えようかと悩んだが、「このバスの存在自体知らなかった訳だし、そういう問題で此方の所在を把握されているわけではなさそうだ」という冥月の言葉によってとりあえずは、今の移動方法を続ける事にした。

(何にしろ、どうやって追ってきているのか、分からないと不安でしょうがないなぁ)

そう思いつつも、水族館から満面の笑みで出てくる面々を見止めると、おいそれとそんな気持ちを顔に出すわけにはいかず、千剣破は明るい笑顔を咄嗟に装い、大きく手を振って皆を出迎えた。



「うひぁうぅ、はああぅふぃぃぅ!」
サクサクサクと軽い音を立てる白い砂。
裸足になったチーコが波打ち際ではしゃいでいる。
「よーーし! チーコちゃん! チーコちゃん、いっくよー! 嵐君ちゃんと、抱っこしててよー!」
そう言いながら千剣破は両手を海に翳す。
素直な波動を掌に感じた。
ああ、なんて心地の良い水のリズム。
仲良くなろうって、向こうから千剣破に手を伸ばしているみたいだった。


「うんんんっ、うし! ここの子達は、とっても良い子!」

嬉しげに褒めるように言い、友達になろう!と波に千剣破は自分の力を流し込む。
すると、チーコを抱き上げた嵐が吸い込まれるように海の上を滑り出した。


初夏なのに、屋外でスケート出来るってお得じゃない?

「うっととと!」

一瞬バランスを崩しかけるも、千剣破が願えば、波がまるで彼の体を支えるように大きく立ち上ってそっと寄り添うと、まるで、スケートリンクの上の如く波間を嵐は滑り始める。
身体能力が高いのだろう。
すぐさまその遊びに慣れた嵐が「へぇ」と笑い、それから確り、チーコを抱き直すと、「すげぇな、あんた!」と、千剣破に声を掛けてきた。
その呼び方に不満を抱き、「あんたじゃなくて千剣破!」と言い返すと羨ましげに二人を見ているいずみを手招きする。
「一緒に滑ろう!」
千剣破の言葉に頷いて、いずみは彼女の傍に走り寄ってきた。
生意気そうに見えた少女も、こうしていると、ほんとに可愛い。
手を繋ぎあい、波が手招きする海に足を乗せる。
すると、まるで導かれるようにするするするっと体が滑り始め、いずみはそのうち、千剣破の手を離して自分一人で滑り出した。
裸足の足に感じる波のくすぐったい感触に微笑みながら、踊るように千剣破は滑り、いずみに賞賛の声を掛ける。

「巧い、巧い!」

嵐に降ろしてもらったチーコも、楽しげに滑っている。
傍まで行けばチーコが「ぃあぁやぁ!」と手を振って、傍に寄ってきた。
水の飛沫が上がる。
千剣破が指先が振るえば、思い通りに水が踊る。
「えい」と嵐とチーコに向かって指を振るえば、キラキラとした水の雫が二人に纏わりつき、「きゃふぅっぃう!」とチーコが歓声をあげた。
嵐が「冷てぇよ」と笑いながら言い、「んー…」と一瞬悩む素振りを見せて、それから、立ち上がる水の飛沫に手を突っ込み、千剣破に向かって振るう。
すると、今度はお返しとばかりに、盛大に海水が千剣破に降りかかり、甘えるように周囲で舞った。
黒髪に輝きの雫が纏いつき、千剣破は美しく両手を広げてくるりとまわる。
「やったわね!」
楽しい気持ちを隠しきれずにそう言って、形ばかり怒っているのポーズを見せるために腰に手を当てて嵐を睨む。 すると、嵐は明るい笑い声をあげ、今度はいずみに水を振るった。
透明な雫はいずみの周囲でも踊って、その冷たい感触に彼女が身を竦めると、チーコも真似していずみに水をかけて「ちょっ! もっ! 折角濡れないようにって、浮かんで遊んでるのにっ!」」と叫ぶと、いずみも水の飛沫を両手に掬って飛ばす。
そのまま、きゃいの、きゃいのと遊んでいれば、「ごはんだよー!」という声が聞こえてきた。
「バーベキュー!! いい具合だよ!」
翼が金色の髪を風に遊ばせながら呼んでくる。

お昼も少し回った時間帯。
お腹をぺこぺこに空かせた面々は、めいめい返事とも歓声ともつかぬ声を上げて、既に美味しそうな匂いが漂っている浜辺へと走っていった。

エリィが見つけてくれた浜辺は、彼女が言っていた通り、観光客の姿も地元の人間の姿も見えず、チーコは姿を隠さずに、のびのびと振舞う事が出来ていた。
串に差した肉に齧りつきながら、熱かったのかチーコが「ひふひふ!」と息を大きく吐き出している。
「はい、どうぞ」と冷たい水を兎月原が差し出し、丁寧な手つきでチーコの口元をナプキンで拭ってあげていた。
「おいし?」
首を傾げて問う姿や、チーコが別のものに手を伸ばそうとすると、さっと皿を差し出す紳士ぶりに感心していると、千剣破の心を読み取ったが如く、百合子が、とうもろこしに兎のように齧りつきながら、「まぁ、プロだしね」と言いつつ、うんうん頷く。
「プロ?」と首を傾げれば、「おもてなしのプロ」と分ったような分からないようなことを言い、「千剣破ちゃんにはまだ早いから、嵌るにはもう少ししてからね?」と更に意味の分からない事を言われた。


料理上手のメンツが揃っているからか、どれもこれも、本当に美味しい。
バーベキューの他にも、タラのホイル包み焼きに、海鮮塩焼きそば、ブイヤベースのスープまで、「エリィちゃんが作ってきてくれたお弁当に触発されちゃった」とエマが笑い「僕も張り切らせて貰いました」と翼が、優雅な手つきでスープをプラスチック皿に流し込む。
翼も、エマも、乏しい調理器具から、手早く見事なバーベキュー料理を作り上げており、エリィもお弁当作りで見せてくれた腕前を思う存分披露してくれていて、皆、お腹が一杯になると、本当に野外料理の食後なのかと疑いたくなるほどの、満足感に満たされた。

その後、日暮れ前にここを発つという事で、浜辺で眠るもの、波打ち際で遊ぶもの、ビーチパラソルの影で本を読むもの等、それぞれ別れる。

千剣破も、片づけを手伝った後は、クーラーボックス(これもエマ持参だそうだ。 咄嗟に『怪力』と慄いた事は、勿論内緒)から、よく冷えコーラを貰っていた。

エリィと二人、千剣破の能力によって海の上に立つ。

「えい」
そう言いながら指を振るえば、波間から海水で出来た魚が、ポチャン、ポチャンと飛び上がった。

「綺麗…! 凄い、凄い!」

手を打って喜ぶエリィの様子が嬉しくて、「じゃ、今度は…」ともう少し力を込めて、今度は、小さなイルカを海水から作り出した。
チョコンと二人で並んで腰掛ければ、「キュウ」と水のイルカは鳴いて、くるくるくると走り出す。
浜辺を、時雨や、兎月原、嵐が並んで歩いている。
視線を奥へと向ければ、ビーチパラソルの下で、翼が文庫本を読み、黒須や冥月、エマ、百合子がなにやら談笑していた。

爽やかな風が千剣破の髪を舞わせた。

平和な。
酷く平和な一時。

エリィが、「すっごい 楽しい!」と叫ぶ。
千剣破も、肩をエリィの肩にくっつけて、「あたしも!」と大声で叫んだ。

その後、浜辺に戻った二人は、今度はチーコと、いずみ、それから翼が何事かに夢中になっているのに目を止めて、傍へと走り寄った、
「何々? 何してるの?」
そう問えば、翼は「今から貝殻のネックレスを作ろうと思って」と優しい声音で答えてくれる。

ほんとに、翼さんってかっこいいよね…。
横顔の端正さに見惚れていれば、ふいに視線に気付いたかのようにこちらを見上げ、「千剣破さんみたいな綺麗な子にじっと見つめられると、ドキドキして手元が狂っちゃいそうだ」と微笑みながら言ってきた。

ああ、くそう、なんで、女なんだよー!!」

思わず男だったら間違いなくフォーリンで、ラブな台詞に、くうっと膝を着きたい気持ちになる。

「これがね、チーコの故郷の貝殻に似てるようなんです」と言いながら白い巻貝を翼が示して見せれば、「へぇ、いいなぁ、チーコちゃん」とエリィが羨ましそうに良い、その隣に腰掛けた。
千剣破も、ポスンと堤防下の砂浜に腰を下ろし、それから「ううん」と伸びを一つした。
「ああ、気持ち良い日ねぇ。 チーコちゃんのお陰だよ。 こんな楽しい旅が出来たのは」
にこっと笑て心からそう言う千剣破に、チーコは天真爛漫に微笑み返す。
「あ、見て、あそこ…」
白金の髪を風に舞わせてつつ、エリィが砂浜を指差す。
白い彼女の指先には、竜子が座っていた。
海を見つめ微笑む彼女の横顔が、今まで見たどの顔とも違う、優しく、美しいものである事に千剣破は目を見開く。
最初見た時驚かされた濃い目の化粧も、旅の途中であるせいか然程激しいものでなく、彼女の地顔が大変整っているものである事に、千剣破は気付いた。

まるで、聖母めいた。

酷く近寄り難い程の微笑みを浮かべる彼女の膝に頭を乗せて、黒須が眠っていた。
昨日は夜通しバスを運転し続けたらしい彼は、流石に疲れているのか、膝を曲げ、まるで胎児のように体を丸めて、呼吸すらしていないかのように静かに、静かに眠っていた。
風が。


黒須の長い髪を揺らし、竜子の一つに結んだポニーテイルを舞い上げた。

あの二人って、恋人同士なのかしら?
お似合いとは言い難いけど、何だか不思議な二人組みよね…。
そう思えども、どうしてだろう。


あんなにくっついているのに。

何一つ触れ合ってない二人に見えた。


千剣破は、何故だか、胸が痛くなって目を逸らせば、チーコが目を細めて二人の姿を眺めていて、「ああ」と、夢見るような溜息を吐いた。





翼が器用に空けてくれた穴に、チーコが四苦八苦しながらビーズを通している。
手先は然程器用でないのか、何度も貝殻を取り落としたり、ビーズを見失ったりしている姿に歯痒さを覚えど、千剣破は決して手を出さない。

それは、いずみもエリィも、それに翼も同じ気持ちで、チーコが懸命に取り組む様を、微笑みながら見守っている。
途中何度か、彼女は自分の髪に止められている髪留めを触っていた。

時雨に貰った髪留め。


赤い髪が日の光を受けて鮮やかに輝いていた。
長身の青年は、嵐や兎月原と談笑しつつ海辺を歩いている。
ふいと時雨が此方を見て、それから大きく手を振ってくる。
子供のような笑み。

チーコが、その笑顔を見返して、何だか困ったようにキョロキョロした後、翼の腕に顔をくっ付けた。
慌てて、千剣破は大きく手を振り返し、見れば、エリィも、いずみも振っている。
みんな同じような微笑を浮かべて時雨を眺め、それからチーコに視線を戻した。

そういう事かと思って、千剣破はチーコの髪留めに視線を向ける。

ああ、そういう事か。

一生懸命作っているネックレスの長さは、小さなチーコには余りにも長すぎて、自分で使うものじゃないなんてことはすぐに分ってしまうのだ。
そして、素直なチーコを見ていると、誰に貝殻のネックレスをあげようとしているかという事も、勿論千剣破にはお見通しなのである。


夕焼け空になり始めた頃、不器用な手つきで仕上げたネックレスを大事に、大事に、いずみが貸してあげたらしいポシェットに仕舞いこむ。
「さて、そろそろ…」と、エマがそこまで言いかけた所で顔を上げた。
「…望まざるお客さんが来ちゃったみたいね」と、軽い口調でエマが言うと、まるで、それまで消していた気配を全て解放するかのように冥月が立ち上がる。
ゆらりと彼女の周りが揺らいで見えるほどの、酷く剣呑な気配に千剣破は身震いした。


これで、今日一日のうちで二度目の襲撃だ。
やはり、何か正確に追跡される原因があるとしか考えられない。


堤防沿いに、黒塗りの車が数台バタバタと停まる。
降りてきた黒スーツ姿の男達に「お約束どおりね」といずみが冷めた声で呟いて、水族館に現れた黒塗りの車を見た自分と同じ感想を抱いていると、何だかおかしくなった。
しかし、これほど、追っ手に性格に居所を捕まれるなんて、どうやって此処を?

首を傾げれば、キビキビとした声で冥月が言った。

「非戦闘員は、一旦バスへ避難だな。 いずみ、百合子、エマ、竜子バスへ。 嵐っ!」
まるで教師めいた口調で冥月が呼べば、嵐は肩を竦め「んだよ。 俺は、非戦闘員扱いで良いんだぜ?」と言う嵐に、にっと物騒な笑みを見せると、トンとその胸を掌で突き「ああ、非戦闘員扱いさ。 今回はな」と意味ありげに告げた。

「あいつらの狙いはチーコだ。 嵐、バイクで、チーコを連れて逃げろ。 向こうは、ざっと見ても30人強。 興信所での脅しが効いたか、私や時雨の名前が効いたのか、中々、手厚いおもてなし部隊を送り込んできてくれたようだ。 まぁ、それでも、私にしてみれば、馬鹿にしているとしか思えない、お粗末なもんだが…こちらとしても、彼女を守り、非戦闘員の安全を確保しつつ、あの人数を相手にするのは、そこそこ骨だ。 銃の使用も予想されるし、守りに徹するだけでなく、今回は、あいつら全員叩きのめし、どういう人間を相手にしているのか向こう側に知らしめたい。 何より、どうして此処が分ったのか、誰か一人捕縛して吐かせてもやりたいしな。 それだけの事をチーコに目を配りながらやってのけるより…」
「向こうの目当てである、チーコを安全な場所へと移動させる…って事か…」
翼が賢しげに呟けば、冥月が満足げに頷く。
「ああ。 出来るな?」
冥月の言葉に「俺は、ただの、一般市民なのに」と一度肩を落とすと、諦めたように「まぁ、チーコの為ならしょうがないな」と嵐は決心を付け、「活路は開いてくれよ?」と、皆に視線を走らせた。
「とうぜん…まかしといて…」と時雨が自信に満ちた声で言う。
「ぜったい…チーコに傷…付けさせないから…ね?」と首を傾げた時雨から、チーコは耳を真っ赤にさせつつ、ぷいと顔を背ける。
途端シュンとした顔になる時雨に(ああ、教えてあげたい!!! チーコの気持ちを教えてあげたいけど、それを言うわけにはいかない!)と千剣破はもどかしさを感じつつ、海の気配を周到に探った。
大丈夫。
素直な子達だもの。
言う事を聞いてくれそう!

コントロールに些か不安のある千剣破としては、海の絶好の状態に、密かにほくそ笑む。
足手まといにだけは、絶対になりたくなかった。
チーコを守ると決めた以上、豪語するに足る成果を挙げなくては自分に対して納得出来なかったし、申し訳だって立たない気がした。

チーコをバイクの後ろに乗せた嵐が冥月を見て頷いた。



冥月は嵐に対し、不敵に微笑み返すと、翼に向かって「準備できたそうだ。 お前はどうだ?」と問う。
「いつでも、いいよ」
そう短く返事を返す翼に、冥月は「頼りにしているぞ」と声を掛け、ついと堤防前に雁首そろえる男達に向かって指を指した。

「やってしまえ」

笑いながら言う冥月に、同じく笑い返し、翼が、腕を軽やかに踊るかのように振るった。
その瞬間、強い風が巻き起こり、男達が面白いほどに、呆気なく将棋倒しのように倒れた。
それが合図であるかのように、嵐が一気にアクセルを全開にして走り出す。

翼が引き起こした風を追い風に換えて、嵐が猛スピードで駆け抜けていった。
タイヤを取られ易い砂浜を難なく突っ切ると、堤防に備え付けられた階段、その脇の手すりとして設けられているのであろう幅の酷く狭いコンクリートの急な坂を一気に駆け上がった。
思わず千剣破ぎゅっと両手を握り合わせた。
竜子と百合子が声を揃えて叫ぶ声が聞こえる。

「いっけぇぇぇぇ!!」

するとその声援が届いたのか、見事に嵐の操るバイクは見事、坂をジャンプ台代わりに男達の頭を飛び越え道路の向こう側に着地すると「ひぅあぁはああぁぁぁ!」と何とも明るいチーコの笑い声を残して走り去って行った。

アクロバティックな技の成功に、思わず快哉を上げて飛び跳ねる。
倒れた男達が起き上がり、バイクに向かって銃を構えれば撃ち放すより先に、いつの間にか彼らに詰め寄っていた、翼やエリィ、時雨、兎月原、黒須達が彼らを地に沈めて行った。
流石と感嘆していれば、チーコを車で追おうと運転席に乗り込む者の姿が目に入り、千剣破は気合を込めて「さっせないよー」と宣言すると、海水で作り上げた水の鋭い針を、車に向かって降り注がせる。
すると、たちまち車は穴だらけになり、ただの鉄の塊に成り果てた。
冥月が、全ての仕上がりに満足しているという風に微笑みながら頷いて、それから敵に向かって一歩踏み出す。


その後は幾つか銃声やら怒号やら、まぁ物騒な騒ぎが暫らく続いたが、千剣破から見れば、呆気ないほどに決着はついた。



「さて、一応問うが…この中で拷問が得意な者」


冥月のとんでもない台詞に、エマといずみを除く皆が一斉に黒須を見た。
こう、本能的にだが、「拷問得意そう!」という陰惨なイメージ=黒須という、ナツラルな流れでの視線の流れは本人いたくお気に召さなかったらしい。

「ていうか、お前ら見た目のイメージだけで、俺を判断するな!! なんだ、拷問得意そうなイメージの外見って! 嫌だ! そんなイメージ! 得意技、拷問です☆って自慢になんねぇ!」
そう怒鳴る黒須に「いや…見るからに…こう…陰湿系というか…」と翼が言えば、「うん、金融業とかで取立て屋になったら、相手の精神を破壊尽くすまで追い詰めそうな感じよね。 マムシの誠とか呼ばれてるイメージ」とエリィがVシネチックな事を言う。
「趣味とかも、自分を振った女性の写真にひたすら『怨』と書き続けるとかっぽいし…」と百合子がマジマジと黒須を見ながら言えば、何だか楽しくなってきて「あと、嫌いな相手への攻撃方法が、靴に待ち針を仕込むとかそういう精神的にクるけど、セコイ感じなのね!」と千剣破は嬉しそうに断言した。
余りの言われようによろめく黒須に兎月原が笑顔で「総じて、身動き取れない相手に対しての攻撃が凡人の想像を絶するような陰険な手段を思いつきそうなイメージって事だな。 やったね! 黒須さん」とウィンクすらして告げるものだから、もう、ここまで固まってるんだし、事実で良いんじゃないか?
黒須は拷問が得意技で良いんじゃないか?という気にすらなってくる。
そんな馬鹿なやり取りの間、エマが、何か言いたげに、うずうずと体を揺らしていたが、頃合や良しと見計らったのか、とうとう黒須の前に庇うように立ちはだかり「みんなっ! 違うよ?! 黒須さんっ、そんな人じゃ…ないよ?!」と、首を大げさに振りつつ、児童劇団の道徳芝居で役者が見せそうな、妙に芝居がかった仕草で言う。
そして、くるりと振り返り、黒須をキラキラと見ると、「黒須さんは、ドMだもんね? そんな、拷問なんて、する側より、される側の時の方が幸福MAXだもんね☆」と超全開の笑顔で告げた。

あ、そっちのが、きもい。

心からの嫌悪に、思わず、千剣破、一歩二歩と後ずさる。
何てったって、17歳の女子高生。
しかも、今時珍しいほどに、健全で清らか極まりない性質なのだ。
エマの明るい宣言を真に受けて、「変質者には近寄っちゃ駄目です」という小学生並の危機感でもって、黒須から咄嗟に距離を置いた。

竜子が「正解!」と力強く親指を立て、「わぁ、更に気持ち悪い。 不気味。 傍に寄りたくない!」という表情を隠そうともせず周囲の輪が一歩分広がるのを黒須はがくりと項垂れ眺めると、エマを恨みがましげに見て、「お前 ほんと 俺を馬鹿にする時全力投球な!」と半眼になりつつ、唸るように言う。
そんな黒須に「てへ」と笑って見せると、「あー、すっきりした。 ほら、中々今回、黒須さんを虚仮にするゾ♪タイムがなかったもんだから、ストレス溜まってて」とエマは、肩をキリキリと回しつつ、爽快感に溢れる顔で言い放つ。
「そんなレギュラータイムを勝手に設けるなよ!」と怒鳴る黒須に、「次回をお楽しみに☆」とエマは笑顔で返し、更にもう一歩ほど後ずさった場所で「えーと、然程興味がないを越えて、むしろ地雷踏んだ感を噛み締めつつ、黒須さんの性癖についてはこれ以上何もお伺いしたくないので、話を先に進めてもらって宜しいでしょうか?」と丁寧な口調で兎月原がお願いすれば、道端に落ちている丸めたティッシュを眺めるような目で黒須を一瞥した後冥月は頷いて、「では、私も余り加減が分らんので、向いている方ではないのだが、ちょっと訊いてみるか」と、軽い口調で物騒な事を言って、足元に転がる縛り上げた男性を見下ろした。

先ほど水族館襲撃の際に問い質した男よりも、身なりから鑑みても、まだ、何かを知っていそうに見える。

猿轡を噛まされ、縛り上げられた男は畏怖の眼差しで冥月を見上げるが「ただ口を割らせるだけなら、多分僕だと手間なくやれるよ」と翼が手を挙げた。
「おお、意外と拷問得意系?」と竜子の頓珍漢な問い掛けに、「得意・不得意の区別の仕方が分からない」と肩を落として見せた後、男の目の前に座りこみ翼はじいっとその瞳を覗き込む。

「さぁ、よく、見て。 僕の目を、ようく見て」

唆すような声。
男は翼の魅惑的な瞳に魅入られる。
ぱち、ぱち、ぱちと、三度瞬いた瞬間、男の全身が弛緩した。
猿轡を外し、翼は優しい声で問う。

「ねぇ、どうしてここの居場所が分ったの? チーコに取り付けられていた発信機は全て取り外したはずなのに」

魅入られたように熱っぽい瞳で翼を凝視する男が、翼が促すままに口を開いた。

「は、発信機は、まだ、ある」
軽く翼は目を見開き、「それは何処に?」と問い掛けた。

「それは…」

虚ろな口が、咳き込むようにして吐き出した。


「あの化け物の体に埋め込んである」


「ひゅっ」と鋭い音がして、その出所が分からないまま千剣破は自分の喉を抑えた。

ああ、あたしの声。

息を吸うと、ひゅうひゅう鳴った。

この男、なんて言ったの?

「肩甲骨の下を、麻酔なしで開いて、『Dr』が、発信機を埋め込んだ」

翼を熱心に見つめながら、他には何も世界はないという風に男はだらだらと言葉を零す。

「泣いていた。 大声で。 何を言っているか分らなかった。 気持ちの悪い 生き物。 一丁前に涙なんかを 零して。 触ってみたら、分る。 あの化け物の肉の下に、ゴツッとした膨らみがある。 触ると酷く痛がるから、面白がって…」

そこまで言った瞬間、竜子がその即頭部を思いっきり蹴飛ばした。
千剣破は、口を両手で覆って、全身を震わせる。



麻酔 なしで 体の 中に あの 小さな体の中に


なんで? 痛い。 凄く 痛い。 なんで? 

そんな事が出来る生き物と、自分自身が同じ「人間」という種族である事に吐き気がする。

ふっと、一瞬気持ちが凪いだように静かになった。
波のない海のような心に浮かぶ言葉は。


「殺してやる」


だって、酷いじゃない。

酷いじゃない。

チーコの体に、そんなものを埋め込むなんて事、許されるはずがないじゃない。


チーコ!!


蹲りかけて思いとどまる。
ここは膝を着く場所じゃない。
目が泳いだ。
自分だったらと思うと耐えられなかった。

竜子が息を荒げながら「くそっ、やっちまった! 子供の前で、やっちまった!」と髪の毛をくしゃっと掻き毟る。
「いずみ!」
名前を呼ばれ、いずみが「はい」と静かに返事する。

「今のあたいが言っても説得力ねぇけどな、自分が気に入らないからって、話し合いもせずに、すぐ暴力ふるって、相手を黙らせるのは、いけない事だかんな!」

そう荒い息の下に、困った気持ちを混じらせながら、竜子が言えば、いずみは静かに頷いて「肝に銘じます。 ただ、そのルールは、『話が通じる』相手のみに適用させていただきます」と冷静に返事し、竜子を益々困り顔にさせていた。


そうだ。
落ち着け。
まずは、話を……ああ、話を…なんて、一つも知りたくない。
厳然とした事実だけが、真実。



こいつらは、クズだ。



「…殺すか?」

冥月が平坦な声で言った。

「ここにいる連中、皆同じ外道だ。 依頼主が望むなら、皆、証拠を残さず消してやる。 生きていても、チーコと同じ犠牲者が生まれるばかりだ。 子供が、弱いものが、抵抗する術を持たないものが、理不尽に殺され、虐げられ、泣かされる。 生かす事によって、失われる命が増える『生』もある。 殺すか? 私は躊躇わんぞ」

冥月の言葉に、日頃の人懐こい表情を一変させた時雨がカチャリと腰に提げている刀に物騒な音を鳴かせる。
エリィも、冷たい表情で銀色の幅広のナイフを鞘から抜いた。

千剣破は青ざめながら、内から沸き起こる殺意を必死に抑えよう、抑えようとして抑えかねて、立ちくらむ。
倒れている無数の男達を眺め回せば、あいつが、あいつらが…と、沸々とした黒い気持ちは治まらず、竜子が良しというのなら、きっと自分も躊躇うまいと確信した。
黒須は無表情で竜子を見る。
竜子は、黒須を横目で眺め、全てを委ねられている事を理解したかのように目を閉じて、それから自分が蹴り飛ばした男をもう一度見下ろした。


「殺さないで」


細い声。
見れば両手をぎゅっと握り締めて百合子が震える声で言った。

「殺さないで」

竜子は「はっふっ」と大きく息を吐き出すと、「うん、殺さない」と答えた。
冥月は少し首を傾げ「甘いな、お前らは」とそれでも、何だか優しい声で言った。

「いいんだ。 甘くて。 その、あんたらからすれば、きっとこの仕事自体、凄く甘い仕事じゃないのかい? いや、知らないけど。 女の子守って、最期の三日間を楽しく過ごさせてやって欲しいだなんて…ああ、そう、ロマンチックだ。 ロマンチックじゃないか、なぁ、百合子」
そう言われて目を見開き、それから「ろ、ロマンよ。 そうよ、ロマンなの」と必死の声で言う。
「ゆ、夢見がちかもしれないけど、ねぇ、チーコには、ロマンが似合うわ。 あの子は、きっと、凄く辛い目に合って、ねぇ、それを、その最期までの間を幸せに過ごさせてやって欲しいなんて依頼は、本当に…本当に……甘い、甘い、砂糖菓子みたいにベタついた仕事で……でも、だから、いいのよ。 あの子に関わる時間全てがロマンチックであった方がいいのよ。 だって、女の子なんだもの。 チーコ、女の子なんだもの。 だから、似合わないわ、人殺しは。 倫理とかは分からないの。 道徳も、知らないわ。 安易なヒューマニズムなんて反吐が出る。 でも、綺麗ごとよ。 このお仕事は全部綺麗ごとなの…だ、だから…だから…」
言葉を捜しあぐねたように、自分の髪の毛に手をやり、ぎゅうっと引っ張って困り果てた顔をする百合子にエリィは駆け寄ると、柔らかな、春の日差しのような微笑を浮かべて「分かった。 殺さない」と言った。
時雨も、ふしゅんと険しい空気を霧散させて、「チーコ達…無事…待ち合わせ場所…着けたかな?」と心配そうに呟く。
エマが素早い手つきで携帯を操作し、まず、警察に通報の連絡を入れると、次に嵐に連絡を入れた。
「んー、どうも、まだ走行中みたいだけど、ちゃんと、安全が確認出来たら連絡入れるように言ってあるし、まぁ、嵐君の事だから大丈夫でしょ」
そうエマが言い、冥月がバスに目を向ける。
「チーコの体に発信機が埋め込まれている以上、バスを捨てていく事も考えたが無意味か…」と呟いて、「まぁ、全滅の一報がいけば、次の追っ手の準備も慎重にならざる得ない。 こちらの実力は充分に分って貰えただろう。 そうそう、敵う相手ではない事もな。 油断をするわけにはいかないが、チーコの体から発信機を取り出すわけにもいくまい」と冥月は言い、皆一様に大きく頷く。

千剣破も、百合子の言葉に一旦は冷静になる事にした。
そうだ。 チーコとて、自分の為に千剣破が人殺しを行う事を望むとは思えない。
落ち着け、落ち着け、落ち着け。
そう自分に言い聞かせながら、それでも火種のように燻る自分の中の危険な感情は、パチパチと小さな音を立てて、千剣破の中で確かに燃えていた。


冥月は、乾いたような笑みを口の端に乗せ、それから竜子に視線を向けた。

「殺すという事は覚悟のいる事だ。 だが、生かす覚悟の方が厳しい事もある。 分っているな?」
冥月の言葉に竜子は静かに頷いた。
長い睫に縁取られた強い眼差しを見て、冥月は「ふん」と呆れたように溜息を吐くと、「あと…一日と少し…か。 守りきれるだろう?」と、他メンバーを見回す。
翼が肩を竦め「認めたくないですけど、武彦はベストメンバーを選んでます。 チーコを守り、幸福な気持ちで過ごさせるという事に関してはこれ以上ないほどのベストメンバーをね。 最初事務所に揃えられているメンツを見た時は…」とそこで言葉を切り、千剣破はその続きを引き取った。
「もう、バラッバラ!」
その、エリィも頷いて「どうなる事かって思ったけどね」と笑う。
千剣破も第一印象は、余りにもちぐはぐな印象の面々に驚いたのだが、ここまで来てようく分った。



これが最良で、最強。


興信所の主の名は伊達じゃないって事だ。


「行きましょう。 チーコの所に」

いずみが言う。
兎月原が、空を見上げ、「ああ…あんなに良い天気だったのに、曇ってきた。 急いだ方が良さそうだ」と典雅な声でそう告げた。


程なく、雨が降り始めた。

ひっそりとした畦道を抜け、バスが辿り着いたのは、エマが興信所ぐるみで懇意にしていると言う古い神社だった。
人里離れた場所にあるのだが、家屋も広くて情緒があり、一晩置いて貰うには最適な場所だと判断し、エマは先に連絡を取って、一晩の宿の許可を得ているらしい。

「んふふ、ここの神主さんは、凄いのよ? お歳も、お歳、ってまぁ、百年以上生きてる人とか、興信所じゃ、珍しくないんだけど、神社の建立からずっと、神社を守り続けている初代神主=現神主な人で、もう、本尊が神主?みたいな人なのよ。 確か、500歳だか、なんだったか…。 まぁ、もうじき、大祭があるとかで、此方にはいらっしゃらないんだけれども、チーコちゃん達と、私達が到着した際には、一時的に結界を開いて迎え入れてくれるよう頼んでおいてあるの。 普段は、神社自体、森が隠していておいそれとは見つからないし、例え、霊感のある人が見つけてしまったとしても、結界のせいで足は踏み入れられない。 発信機も、磁場の歪みのせいで、本来の機能は発揮できないし、寝込みを襲われる心配と、出掛けを急襲される心配もないわ。 まぁ、こよなく安全な場所であるっていうのは、私がこの場所を選んだ大きなポイントではあるんだけど…まさか…この場所を選択した事が、こういう意味でも役に立つとは思わなかったけどね」
残念そうなエマの言葉に、翼が気を取り直すような明るい声で、「流石にエマさんの人脈だ」と感嘆すれば、「んふふ。 ありがと」とエマは胸を張る。
山際にバスを停車し、山を開いて作られた木々に四方を覆われた階段を登る。
嵐から既に無事に待ち合わせ場所に辿り着いたという連絡は受けていたが、バイクが山際の大きな木の下に停車されているのを見つけると、何だかほっとしてしまった。

シトシトとした雨に身を打たれながら、ひんやりとした空気を掻き分け階段を登っていると、今から神域に足を踏み入れるのだという緊張感が全身を満たした。
神社が実家のせいもあって、千剣破は、自分の感覚が酷く透き通っていくのを自覚する。
雨が降っているのも良いのかもしれない。
冷たい水の雫は、熱しっぱなしだった千剣破の頭を程よく冷やした。
神社は、酷く古い作りをしていて、ぬかるみに足を取られぬよう門をくぐれば、感嘆するしかない情景が広がっていた。

「わ…あ…」

「ね、綺麗でしょ? これを、チーコちゃんに見せたかったの」

そう言う得意げなエマの声に、千剣破は大きく頷く。
藤の花弁がほろり、ほろほろと散っていた。
大気に充満する香りは、芳しく、雅やかでありながら、清涼。
初夏の匂いに、皆大きく息を吸い込む。

澄んでいる。

つつじの花が咲き乱れていた。
手入れそれ程されていない様が、しかし、だからこそに素朴で、自然の力強さも漂わせていて、美しい。

「お、来たな」


そう言いながら、本殿の玄関先から嵐が顔を出し、続いてチーコが「ふあゎぅふぅ!」と声を上げる。
「あらぁ、そうなの、良かったわねぇ」とエマが表情を緩ませて両手を広げれば、テテテテと駆け寄ろうとして、チーコは階段の途中でくたりと倒れるように転げ落ちた。

「っ!!」

咄嗟に、飛び出そうとした千剣破より早く、兎月原が掬い上げるような手つきでチーコを抱きとめ、抱き上げる。
「大丈夫かな? お姫様」
兎月原が蕩けるような声で問えば「ふぁふぅ!」と元気な返事をして、その首根っこに齧りついた。
チーコは笑っていて、千剣破は、ほっと胸を撫で下ろす。
抱き上げられたまま「ひぃふぅあぅ、ふあぅ!」とチーコはエマに何事か告げた。

「バイクでここまで走ってくるの、凄い楽しかったって。 雨に降られなかった?」と聞くエマに「ああ、ギリギリ振り出す前に間に合った。 とりあえず勝手に上がらしてもらったけど、良かったんだよな」と嵐が問い返す。
「大丈夫、ちゃんと全部分って貰ってるから」
嵐の疑問に頷くエマ。
「あ、一応、風呂の用意だけしといたから」と嵐が言えば、エリィと千剣破は同時に歓声をあげた。
「海にいたから体がベタベタしてんのよねー! お風呂、嬉しい♪」
エリィがはしゃげば、「雨にも打たれたし、体あっためたいよねー!」と千剣破も嬉しげに言って、同時に「「嵐君、ありがとう」」と声を揃える。
眩しいばかりの美少女二人のお礼の声に、嵐は、ちょっと照れたようにそっぽをむいて「どーいたしまして!」とぶっきらぼうに答えた。

「さ、じゃあ、夕食の支度をするわね。 男性陣、先、お風呂入っちゃって」とエマは手を叩けば、「あ、いや、まだ沸かしてない…」と嵐が言いかけたところで、チッチッチとエマが指を振り、「藤ちゃん、つつじちゃん、お願いね。 あとで、一曲歌ってあげるから」と声を上げる。

すると、そよそよそよと庭に植えられたつつじと藤が優しい音を立てて一斉に揺れた。

「ここの神主さんの式神ちゃん。 私も姿は見た事ないんだけど、私の歌を気に入ってくれてて、ここに来た時は歌の代わりに、神社内の色んな御用事も請け負ってくれるの。 そこそこ力のある子達だから、お風呂も、もう沸いてる筈よ。 広くて、10人くらいだったら一気に入れるお風呂だから、えーと…むさい時間をどうぞ、ごゆるりと〜」と何だか明らかに風呂に行く気力を殺ぐような事を言いつつ手を振るエマに、「じゃ、お言葉に甘えて」と黒須が頷き、男性陣は揃って風呂場に向かいかけ、「あ、チーコはレディだから、女性陣と一緒にね?」と言いつつ、兎月原が、チーコを廊下に下ろした。

にこっと兎月原に笑い返し、此方に走り寄ろうとしたチーコが再びこける。

「ふぁっ、うふぅうっ」

恥かしげに身を竦め、再び立ち上がろうとした時に、チーコの足がガクガクと痙攣した。

あれ?
笑顔のまま、千剣破は固まる。

どうしたの? チーコちゃん。
問おうとして声が出ない。

だって、昼間はあんなに元気にはしゃいでいたじゃない。
一緒に海で遊んだじゃない。
ネックレス作ってたじゃない。

好きな人に贈るネックレス作ってたじゃない。



「っ」



ああ、もう、チーコは立てないのだ。

一瞬の混乱。
いずみが走り寄ってチーコの腕を引き、まるで、さっき兎月原がそうして見せたように、チーコを抱き上げようとして、当然、出来ずに一緒に転ぶ。
一瞬打ちひしがれたような顔をいずみは見せた。
自分の無力さを嘆く顔。

子供が見せるには余りにも哀しい顔。

助けたいのに。
チーコを、助けたいのに。

「あ、ごめ…け、怪我…ない?」
チーコの体を、世界中の全てから守ろうとしてるかのように覆いかぶさるように抱きしめ、震える声でいずみが問い掛けた。
チーコは強張った顔で頷いて、途方に暮れたような顔をして辺りを見回し、それからチーコが初めて、泣きそうな顔を見せる。

怖いだろう。
怖いだろう。

この子は 明日 死ぬのだ。



また、自分のうちに抑え切れようのない怒りが湧き起こるのを感じて、千剣破は自分で自分の体を抱きしめた。

殺すんじゃないか。
死ぬんじゃない。

殺すんじゃないか。
あいつらが。

もう、歩けないチーコ。
こんなに弱って、傷ついて、明日殺されるんだ。
チーコは、明日殺されるんだ。

許せない。
涙が目に滲んで、慌てて顔を伏せた。

許せない。


チーコの髪をふわふわと撫でて、いずみが「転んじゃったね。 私も一緒。 今日は疲れたからしょうがないね」と穏やかな声で言った。

「一緒。 チーコと私は一緒」

チーコが、不安に揺れる一つだけの大きな目でいずみを見上げる。
その額に自分の額をくっつけて、「一緒よ。 チーコ」といずみが言えば、チーコは小さな両手でいずみの頬を挟みこんだ。

「いぅお?」
「うん。 そう、一緒」

すると、チーコはまた、可愛く笑う。
翼が、チーコの体を抱き上げた。
「そうか。 チーコ、疲れちゃったのか。 じゃあ、少し休もう。 今日は一杯遊んだからね」
翼がそう言いながら歩き出す。
傍に走り寄れば、チーコは千剣破の顔を見て「えへへ」と照れたように笑っていて、たまらないような気持ちになって、その頬を優しく撫でた。
「ひぅあぅ…」
気持ちよさげに目を閉じる、子供の顔に胸が痛む。

守りたいのに。

絶対に守りたいのに。

もう、無理なのか。

神様は無力だ。
こんな小さな子を救えない。

あたしも無力だ。
殺す事しか思いつけない。


「いぁはぅあ?」

呼ばれ、明るい笑みを見せる。
「お夕食まで、トランプで一緒に遊ぼう?」
そう提案すれば、嬉しそうにチーコは何度も頷いて見せた。



これまた、どうやって?という程に絶品の夕食を終え、そろそろお風呂に入ろうかと言う時間帯。
だが、エリィも、千剣破も、竜子も、百合子も時計を眺めて、動かなかった。
カタカタと、人形がお茶を運んでくる。
これも、どうも、「つつじ」と「藤」の仕業らしかった。

いずみ達は、食後のデザートとばかりに、メリィのお菓子を摘んでいて、一緒に行けなかった千剣破も、大量にみんなで分けられるものを購入していた百合子の相伴に預かっていた。
男性陣も、畳張りの同じ部屋で、寝転がったり、座ったりと思い思いの格好をしつつも時計を見上げている。

「おそくね?」

嵐の言葉に、百合子が頷いた。

「遅いわね」

時雨が皆の分のアイスを買いに出かけると言った時、チーコに一緒に行くように薦めたのはいずみで、それに賛同したのは、千剣破、エリィ、翼達だった。
チーコの気持ちを分ってしまったという事もあり、明日タイムリミットを迎えるというのに、照れてばかりいてロクに時雨と話も出来ていないチーコに二人きりの思い出を作ってあげたかった。
時雨も勿論嫌がる素振りなく、恥かしがるチーコを抱き上げ、雨の中傘を差して出て行ったのだが、遅くとも30分程で往復できるはずの近所の小さな駄菓子屋に向かった筈なのに、一時間経過した今も帰ってこない。
状況が状況だけに、かなり心配ではあるが、身の危険と言う意味では、時雨の実力を水族館前や、海辺で目の当たりにしていたと千剣破しては、然程心配はしていなかった。
時雨はおいそれと敵に襲われて、チーコを危険な目にあわせるような腕前ではない。
エマと、黒須と共に、迎えに行っている冥月も、そこら辺は心配していないらしく、ただ、体調の変化によって、チーコが苦しみ、立ち往生しているのか、他に何か問題が合ったのかと考え出すと千剣破は不安で不安で、仕方がなかった。

気を紛らわせる為に、ハートの形をしたチョコレートを口に放り込む。


ガリガリと噛んでいる途中で、玄関先から待望のチーコの声が聞こえてきた。

「ひぅあぅっ!」

慌てて立ち上がれば、皆も一斉に飛び上がるように立っていて、慌てて玄関に向かう。

「おう?」

黒須の腕の中で、戸惑ったような声をあげるチーコの姿を見て、へたりこみたい程の安堵感を覚えた。

「…ごめんなさい」

しゅううんとしぼんだみたいな顔をして、時雨が小さな声で詫びてくる。

「アイス…溶けちゃった…」

そう言いながらビニール袋を差し出す時雨に「いや、それは良いから何があったんだよ」と嵐が問えば、黒須が「傘を野良猫にやっちまって、そんで、バス停で雨宿りしてたんだと」と肩をすくめて答える。
「そのうち…止むかなって…思ったんだけど…どんどん…強くなってきちゃって…しかも、ボク、寝ちゃって……」

とろとろとした喋り方に、千剣破はどんどん全身の力が抜けていくのを知覚した。

「ま…いいや。 無事なら」

竜子の言葉に皆頷く。
「チーコ、体冷えたでしょう? お風呂行こうか?」
そう言いながらエマが黒須からチーコの身柄を受け取った。
身を屈めて靴を脱いでいた時雨の胸元から、しゃらりと貝殻のネックレスが滑り落ちた。

ああ、渡せたのだと千剣破は安堵し、エマに抱かれて先を歩くチーコを見て、小さく拍手をしてみせる。
チーコはが何を言いたいのか分ったのか、「ふひひ」と恥かしそうに笑うと、両手で顔を覆ってしまった。



お風呂は、凄く広くて、石造りにも関わらず、見た目にも温かみが合って、全身を浸すとふわぁっと疲労が溶け出て行くような心地になった。

「気持ち良いねぇ」

エリィが白い肌を惜しげもなく晒しながら、そう呟くのに同意しつつ、千剣破も美しい肢体を湯に沈めくつろいだ表情を浮かべる。
湯をサッと体に浴びせた後に、湯船に足を差し込んでいる冥月も見惚れる程のプロポーションを有していて、見事なバランスを有したスレンダーな体をぐぐぐっと伸ばし、「ああ、いい湯だ」と満足げに呟いた。

驚くべきは竜子で、皆、素顔を見て呆気にとられていたのだが、化粧を落とした素顔といったら、眉こそないものの、息を呑むほどの美人っぷりで、「うひゃー! やぁぁっぱ、日本人は風呂だな! 風呂!!」等と情緒のない事を言っているのが信じられない程に、美麗な顔立ちを有していた。
肢体とて、「何で、黒須さんが好きぞ? 目を覚ませ!」と肩を掴んで揺すってやりたくなる程のプロポーションで、何が、凄いって、胸がでかい。
日頃、特攻服の下の晒しで抑えているせいで分らなかったが、かなり、こう、豊満と言って良い程の大きさを持っていて、ぷかりと湯に浮かばせながら、「千剣破! 千剣破! 指鉄砲!」等といいつつ、「にしし」と笑って、指の間からお湯を吹き出させている姿を見ていると、この世の中にこれほど「黙っていれば…」と思わせる女性も少ないだろうと千剣破は思った。

大体、なんであんなみょうちくりんな化粧をするのか一切想像つかないが、まぁ、この性格にはあの化粧は凄く似合っている。
まぁ、そういうものよね、なんて千剣破が納得した所で、ガラリと、戸が開く音が聞こえて、チーコを抱いたエマと、翼、百合子が入ってきた。

振り返る千剣破の目にまず飛び込んできたのは、醜い傷だらけのチーコの体。
見られまいとするかのように身を小さく小さく縮めるチーコの体は、火傷の痕や、痣、中には酷い切り傷のようなものも見えて、「ああ」と心の内で千剣破は詠嘆した。
先ほどまで見ていた、エリィの肌も、いずみの肌も、冥月の肌も、竜子の肌だって、傷一つない、珠のように美しい肌で、千剣破とて勿論まだ、何処もかしこも柔らかで滑らかな肌をしていて、チーコは、まるで、他の人と違って、傷がたくさん残る自分の肌を恥じるように、見られまいと体を硬くしている。

畜生。

口汚い言葉。
滅多に思い浮かびやしない、そんな言葉が千剣破の脳裏に思い浮かんだ。
奥歯をぎりっと噛み締める。

畜生。

竜子さんは殺さなかった。
その選択はきっと「正しい」。

殺さないほうが、きっと良い。

だけど、思う。
こんな事をチーコにする奴をあたしは決して許せないとも。

エマが掛け湯をしてあげると傷に染みるのか、身を竦めるチーコを「えいっ!て、一度お湯に浸かっちゃえば、すぐに慣れるからね?」と励ましつつ、エマがチーコを抱えてゆっくりとお湯に浸かる。

ぶるぶると身体を小刻みに震わせ、目をぎゅうっと閉じていたチーコが、息を小さく吐き出し、体の強張りを徐々に解いていくまで、誰もが息を詰めてチーコの事を見守っていた。

「はふぅ…」と小さく息を吐き出し、漸くゆっくりと体を弛緩させる。
「えらい、えらい。 凄いね、よく我慢したね」
エリィが気持ちを込めた声でそう言いチーコの頭を撫でた。
「ご褒美に、エリィおねーさんが、チーコちゃんの頭を洗って進ぜよう。 あたし、手先器用だから、超気持ちいいよ?」
明るい、心の染み入るようなエリィの笑みに、気持ちもほぐれたようにチーコが頷く。
千剣破は、チーコの気持ちを解そうと、おどけた声で「ええー? いいなー! じゃあ、あたしの髪も洗ってよ! ほら、ご褒美に!」と訴えて、半眼になったエリィに「何のご褒美?」と問い返される。
「えーと…可愛いご褒美?」とわざとらしい上目遣いで言う千剣破に「不可! 自分で洗いなさい」とエリィはきっぱり答え、そのほのぼのとしたやり取りに、チーコが「ふぁうふぅ」と、漸くいつもの笑い声をあげてくれた。
思わずエリィと顔を合わせて微笑みあう。

ああ、よかった。
チーコちゃんが笑った。

百合子が、ぽちゃんと肩まで浸かると、チーコの傷のこと等何にも目に入ってないような、呑気な口調で「はぁ…気持ちいい」としみじみ呟き、自分の太ももを撫でさすると、「ね? 正木さん」と語りかける。
「…正木さん?」
気になったように翼が問えば「ええ、人面疽の正木さん」と事も無げに答えて、ザバァと突然肉付きの薄い足を「えい」と高く掲げ太ももを指差した。
「この人」
そう言いながら示す先には、確かに人の顔に見えなくもない痣が一つ。
「これが正木さん。 今は大人しいけれど、私がピンチの時には的確なアドバイスをくれるの」
そう言って「よしよし」と痣を撫でる百合子を皆、マジマジと眺める。
そういう能力がある…としても、自身含め興信所のとんでもない面々を見てきた千剣破にすれば、別段驚愕の事実って訳でもないのだが、なんだか、どう見たってただの「人の顔に見える」痣にしか見えない。

「おじさんなんだけど、大丈夫、今は眠ってるし、お風呂中はね、紳士だから目を瞑っててくれるの。 だから、皆の裸も見られたりしないから安心してね?」

そう言う百合子に、皆、曖昧に頷いたり首を傾げたり、それぞれ反応を見せたのだが、百合子が最初の頃にまるで自分が何の変哲もない普通の人間みたいな物の言いを思い出し、どこかだ!と千剣破は少し憤慨した。
彼女が喋ると、それまでの流れなんか全然把握してないような、頓珍漢なのに憎めない言葉ばかり吐き出して、雰囲気も何もかもぶち壊しにされてしまうのだけど、逆にそれがありがたかった。
あまつさえ、チーコの太もも部分の痣を指して「あ、これ、私と御揃いじゃないかしら? ねぇ、喋ったりしない? きっと、この子も人面疽よ」等と言い出し、色々な意味での恐怖にチーコをピシリと固まらせる。
「よかったね! きっとピンチの時には助けてくれるわ☆」そう無邪気に言う百合子にブンブンと首を振り、助けを求めるようにいずみに視線を送るチーコに「大丈夫。 絶対、喋らないから」と請け負うと、「怖いことを、チーコに吹き込まないで下さい!」といずみは百合子に注意した。
「えー? ロマンなのにぃ」
そう口を尖らせ言う百合子に、エマも、翼も「ぷっ」と噴き出し、「百合子さんに掛かると、みんなロマンになるんだね」と翼が面白そうに言った。
チーコは、そんなみんなの様子に先ほどまで見せていた固い態度を取り払い、自分の体の傷跡も、恥ずかしそうに隠すそぶりもいつの間にか見せなくなった。



寝床に布団を敷いて、皆で並んで眠った。
やはり身体を伸ばせて眠れるのはありがたく、外のしとしととした雨音と、芳しい藤の香にぼんやりとした酩酊感を覚えながら、いつの間にか千剣破は、夢も見ない眠りについていた。





最終日

「うひゃあああ!!」

無闇矢鱈な大声をあげて竜子が走り出した。
時雨もつられたように「わぁぁぁ!!!」と大声を上げて、案の定パフンと途中で転ぶ。
強い風が吹き渡っていた。

「まぁ、本物の砂漠には及ばないけど、やっぱ、ここはここで、奇景って感じで風情があるわね」
エマが風にあおられる髪を抑えながら言う。

そう、ここはかの有名な、鳥取県にある「鳥取砂丘」。
連休中という事もあってか、観光地らしく、ラクダなんぞに乗って砂丘を横断している人もあり、歓声をあげてはしゃぐ子供の姿もそこらかしこにあり、深々と大きめのパーカーを着て、フードを被り、顔を隠しているチーコも同い年位の子供達の声に何処となく嬉しげに聞いているように見えた。


今朝方は、それまで見せていた旺盛な食欲も衰えて、折角エマ達が腕によりを掛けて作った朝食を殆ど残していた。
体調も酷く悪そうで、昼過ぎ頃まで眠らせて、少し顔色が良くなったのを見計り、神社を後にしてきた。

つつじと、藤の花に見送られ、心地良い神社を後にした一行が、ここを訪れたのは、エリィがパラパラと道を確認する為に捲っていたガイドブックを、布団の中から覗き込んでいたチーコが、砂丘のページに差し掛かった所、どうしても見たいとエマに訴えたからだ。
そのガイドブック一杯に広がっていたのは、夕日が沈み行く砂丘で、たくさんの子供達が駆け回る写真。
何かの砂丘にてイベントが行われた時の写真らしい。
母親に手を引かれ走る子供達の写真を見て、行きたいと願うチーコに、エマは二つ返事で了承し、他の者とて誰も反対しなかった。

チーコの為の旅なのに、自分の体調の事を含め、しきりに申し訳なさそうな顔をするチーコが、何だか健気で仕方がない。
エマはしゃがみこみ、自分の膝の間にチーコを抱え、その髪をゆっくりと撫でている。
百合子は、それでも平和な顔をして、小さな声で「月の砂漠」を唄っていた。
エマも小さな声で、囁くように百合子と合わせて唄う。
小鳥のように澄んだ可愛い声した百合子と、落ち着いた優しい声音で唄うエマは、強い風の中で、それでもかすかな歌声をチーコの耳にありったけの愛情を込めて注いでいた。
チーコは、余り持ち上がらなくなった腕で、それでもおぼつかない手つきで、冥月に貰った万華鏡を覗いていた。
いずみは、エマの膝に頬をくっつけて、二人の歌声に耳を澄ませていた。

昨日まで元気に見えていたのに、病の進行の仕方も人間とは異なるのか、肌の色艶も良くなくて、呼吸も微かに荒い。

苦しいのかな? チーコちゃん。

千剣破は、何とか表情に出さないようにしつつも、心中は嵐が吹き荒れているような状態だった。

もし、周りに誰もいなければ、声の限りに泣き喚きたい。
理不尽だと、あんまりだと、誰かに訴えたい。
何も悪い事してないのに、どうして苦しい思いをして、寂しい思いをして、その上、チーコは子供のままで死んでいくのだろう。

だが、現実は残酷で、時は間違いなく流れていて、少しずつ日は暮れていく。



時雨が子供達を連れて、チーコの元へとやってきた。
どうも、子供に酷く好かれる性質のようで、腕や足元に纏わりつく子供達を柔らかな笑みを浮かべて見下ろしている。
身長の高い時雨と、小さな子供達の影が、砂丘に長く伸びていた。
まるで、ハーメルンのようだと千剣破は思う。
茜色に染まりだした空の下で、優しいハーメルンは子供達を、チーコに引き合わせた。

ガイドブックの写真を見ていたチーコの目は、憧れの眼差しで、きっと、時雨はチーコのあの目に込められた希望を読み取って、彼らをここへ導いたのだろう。
一瞬、千剣破は「大丈夫かな?」と、どうしたって普通の人間の子供の姿とは違うチーコと子供達を会わせる事に不安を抱いた。
だが、時雨がいるなら大丈夫。
何だか、子供の扱いに関しては、時雨の右に出るものはいないような気がしたのだ。

自分の事を好奇心一杯で覗き込んでくる、実際の子供たちの姿に、チーコは一瞬身構えるも、時雨が言い含めてあるのか、子供達は驚いた目でチーコを眺めるも騒ぎ立てはしない。
チーコの姿をマジマジと眺めながらも、そのうちの一人の女の子が、素直な声で、「かわいい」とチーコを評した。
夕闇の赤い色が濃くなっていく。
チーコはおっかなびっくりの表情で、子供達に手を伸ばした。
一人の子供がチーコの掌を握った。
「かわいいね。 名前は、なんていうの?」

チーコは、震える声で答えた。

「チーコ」

はっきりとした発音で、何度も、何度も、皆が呼んでくれた自分の名を、大事に、大事に呟いた。

「チーコ…いう」
「チーコ。 可愛い名前」

子供達がさざめき、チーコに笑いかけた。

「かおりー! そろそろ行くよー!」
「聡、何処行ったの?」
「あら? 翠? 翠?」

砂丘のそこらかしこから、子供を呼ぶ母親の声が聞こえてきた。

「あ、呼んでる! じゃあね、チーコちゃん!」
女の子が一人手を振り、砂丘を越えて行ったのを切っ掛けに、子供達は皆それぞれ、母親の元へ帰っていく。

チーコは小さく手を振って、それから甘えるようにエマの胸に顔を埋めた。
ポンポンと頭を優しくエマは叩く。

「ひぃぅあぅ…」
エマが頬を、チーコの頭にくっつけて、「なぁに?」と聞いた。

「ふぅあぅぃぅう……」

千剣破は、喉の奥が痛んだ。
時雨が、夕日に目を向ける。
海の波が、ザブザブとした音を立てた。

「……もうじき、……日が沈む。 ボク達も…行こう」

頷いて、立ち上がった時だった。


突如背筋を襲う寒気。


振り返れば、砂丘の上にずらりと男達が並んでいた。
皆、手に物騒なものを持っている。
タッと、素早い動きで駆け寄ってきたのは冥月。
流石と言うべきか、チーコの元にすぐ駆け寄れる位置で待機していたらしい。

「思ったよりも早かったな。 追いついてくるのが」

舌打ちせんばかりの表情で、そう呟くと、ひょいとエマからチーコを取り上げた。

「私の傍にいろ。 大丈夫だ。 絶対に傷つけはさせない」

冥月の言葉に、チーコが頷く。
「いずみは、時雨の傍に…」
「大丈夫です」
冥月の言葉をいずみが遮る。

「一応、自分の身は自分で守れますし…」
視線を向ければ、前回を遥かに超える人数が待機していて、いずみがきゅうっと目を細めた。

「あの人達…人間じゃない」

いずみの言葉に「いい目だ」と冥月は褒めると、「キメラだ」と呟いた。

「キメラ?」
「人間と、動物を掛け合わせてある。 あの、悪い奴らのお得意技らしい。 とうとう、相手も本気を出してきた」
そう唸るように言って、それから、「大丈夫なんだな?」と念を押す。
「ええ、足手まといにだけはならぬよう自衛に努めます」
いずみの頑なな表情に、冥月はしょうがないという風に溜息を吐けば「私も、これは、守られ役ではいられないわ。 サポート程度だけど、協力も出来ると思う」と、エマが強い目で告げる。
百合子はもじもじと「わ、私も…」と何か言いかければ、「百合子は、私と共にチーコを守れ。 抱いていてやってくれ」と、チーコをその腕に預けた。
細い腕で、おっかなびっくり、不器用にチーコを抱く百合子に一瞬不安を覚えども、今はそういう事態ではない。
「夜になれば…」

え?と千剣破は首を傾げて、冥月を見る。

「夜になれば、私一人で全て片をつけられる。 闇は私の領域だ。 何が起こったのか分らぬ内に、皆地に沈めて見せよう。 だが、今は無理だ。 影を操って、あいつらを拘束するのは可能だと思うのだが、これがただの先発隊で、後からまた別部隊を送られてくる可能性がないわけではない。 今、この様子をまた、別場所から眺めているものがないとも言い切れぬしな。 こちらの能力を悟られれば、何某かの対抗策を練ってこないとは限らない。 向こうは、こちらを遥かに凌ぐ組織力と、資金を持っている。 この仕事が終わった後の事を考えると、はったりを効かせ続ける為にも、私の能力は、まだ、悟られない方が良いだろう。 まぁ、幸い…」

そこまで言って周囲を見回せば、異様な雰囲気を察したのか、観光客等は姿を消していて、「…周りを気にせず、思いっきりやれる。 夜まで保つか?」の問い掛けに、翼と、時雨が同時に片眉を上げた。

「冥月さん、こう見えても、僕は荒事も得意中の得意でね。 特に女性を守る時には、自分でも想像のつかないほどの力を振るえるんだ」

にぃと翼は美しくも凶暴な笑みを浮かべて見せると、「夜までなんて、長すぎる。 まぁ、見てて下さい」と冥月に宣言した。
時雨も、「大丈夫…夜になる前に…ここを出られるように…するからね?」とチーコに語りかけ、それからツイと同時に敵を睨んだ。
首をクキクキと鳴らしながら「ううん。 あんまり、暴力とか得意じゃないんだけどな」と言いつつ、兎月原が柔軟を始め、エリィが夕日の輝きを受け、赤く光るナイフを抜いて、「さて、チーコちゃん、あんまり待たせられないしね」と静かに呟く。
黒須と竜子は一度視線を合わせ、ぽんと竜子が黒須の背中を叩いて「んじゃ、いってらっしゃい」と気軽な調子で言い、それから、冥月に向かって「あたいも、あんたの傍にいさせてくれ」と告げた。
「了解した」と、冥月は頷き、嵐が何か言いかけるより早く、「バイクで、かき回してやれ」と指示を下す。
ガクリと肩を落とし、「ほんと、俺、ただの素人なんだけど?」と問う嵐に、冥月がシレっとした顔で「いや、素人にしておくには勿体無い度胸と身体能力を持っている。 励め」等と、嵐の師匠と見紛うばかりの励ましの言葉を口にする。

千剣破は海へと向かって歩き出し、先程の目の良さを思い出すと、「いずみちゃん、あなたの目であたしをサポートして」と声を掛けた。
千剣破は水の力で、遠距離から近接戦の面々をサポートするつもりだった。
だが、今は余りに感情が乱れているし、この風の強い浜辺の海では、コントロールが巧く効く自信がない。
その代わり、酷く荒れた海は、想像以上の力を与えてくれるだろうが、今回「殺してはならない」と竜子から言われている以上、荒れた力をどう押さえ込むかが千剣破の戦闘にとって大きな鍵と言えた。
いずみの目と、冷静な判断力で、攻撃の対象を絞って貰えるのなら心強い。
了解したという風に頷き、いずみが千剣破と共に歩き出す。
いずみが、一瞬気遣わしげに、千剣破を見上げた。

その視線に余裕をなくした、千剣破は気付かなかった。

「日があるうちは、私はチーコの守りに徹する。 任せたぞ」

冥月が、そう告げると、一際強い風が吹いた。

「チーコを苦しめた連中だ。 死なない程度にしか、手加減はしてやらない」

翼が剣呑な宣言をするのを合図に、それは始まった。

向こうの人数は、圧倒的に多数。
だが、個人個人の実力は、比べるまでもなく此方の方が上。
人数押しで来る向こうの攻撃を少ない人数で、どれだけ押し留められるのかが鍵になってきていた。

冥月の体の傍に、ぴったりと百合子が身を寄せて、チーコを抱きながら戦況を見守っている。
冥月は表情を変えず、腕を組んだまま微動だにしない。
千剣破は、海の水を硬球に変えて、一気に敵に降り注がせた。
痛みに怯むものや、当たり所が悪く、一撃で昏倒するものもいる。

「向こうの一群、一斉に銃を構えてます! お願いします!」
いずみがそう言い指差せば、「オッケー!」と千剣破は返事をし、指差すほうに向かって性格に、攻撃を仕掛けた。
「殺してはならない」の制約は、名うての実力者達にとっては、少々面倒なものらしく、それぞれ手加減の程に苦慮しているようだった。
接近戦を得意とする、エリィや、兎月原は、確実に一人一人に当身や、急所への攻撃を仕掛け、意識を奪っていっている。
嵐は、冥月の言葉どおり、バイクで敵が固まっている場所に突っ込み、散らしたり、タイヤを使って巻き上げた砂によって、視界をさえぎったりしていた。

やはり最初に危惧したとおり、中々水が言う事を聞いてくれない。

「ん、んんっ、もうちょっとスピード上げればいいのかもだけど、そしたら、体に穴開けちゃいそうだし…」
コントロールに苦慮しながら、何とか敵の数を減らしていっている。
振り返れば、夕日が徐々に沈み始めていた。
冥月の時間が近づいてきている。
負傷者や、深刻な重症を負う者もなく、冥月の言葉を信じれば、これにて決着が着くのだろうか?と思われた矢先の事だった。

冥月が、もう少し戦況が見渡せるような、高台へと移動を始めた。

強い風が吹いた。

チーコが万華鏡を落とした。


コロコロコロと、万華鏡が転がっていく。

その刹那、もがく様に百合子の腕を抜け出したチーコが、その後を追った。


「っ! チーコ!!!!」

初めて、冥月が声を荒げた。


コロコロコロ、冥月に貰った万華鏡が砂漠を転がっていく。

トテトテと、もう歩けぬ足で、それでもよたよたと、チーコが必死に追った。
慌てて、冥月がチーコに走り寄るより早く、四つん這いになって人間ではありえない速さでチーコに走り寄ってきた男が、まるで、サッカーのボールをけるみたいに思いっきり、チーコを蹴っ飛ばした。

「ヒュゥッ」と喉の奥が狭まる。
チーコが玩具みたいに吹っ飛ぶ。
砂の上を、二三度バウンドして、ごろごろと体を転がしたチーコ。


「逃げて!!! チーコ、逃げてぇぇぇぇ!!!」


いずみが叫んでいる。
こめかみがツキン、ツキン痛んだ。


もし、目の前で、チーコが無残に殺されたら…


竜子さんがなんと言おうと知らない。
誰が止めたって聞くものか。

だけど、この世界に、彼らが存在する事を許してはおけないと千剣破は心に決めた。

荒ぶる魂が、千剣破の体の中で唸り声をあげている。
神の息吹。
竜王の目覚め。

それは、紛れもない凶暴な殺意。


チーコは、動かぬ足を砂の上でもがかせ、そして、腕で這いずるようにして、それでも、万華鏡を追った。
ずるずると這い手を伸ばす先に、万華鏡が触れるか否かの間際、横たわるチーコの体を、先程チーコを蹴り飛ばした男が思いっきり踏みつけた。

「うぐぅはぅっぅっ!!!」

悲鳴とも喚き声ともつかない声。

千剣破の頭が真っ白になった。



もぞりと 今までに感じた事のないほどの 凶暴な感情が 胸のうちで蠢いた。


あいつら みんな 殺してやる。

ビリビリと体中が震えだす。
力の奔流が千剣破の体の周りを渦巻いていた。

助けようとする冥月の周りを、数人の男が取り囲んだ。
その間を抜けて、百合子が転がるようにチーコの上に覆い被さり、竜子が再びチーコの上に迫る男の前に立ちはだかる。

何も見えない。
チーコしか見えない。
あの子を守らなきゃいけない。
あの子を守る為だったらなんだって出来る。

あの子を 守らなきゃ

痛い思いも
哀しい思いも
苦しい思いも
全部、全部、あたしが防いであげなきゃいけないのに


チーコの唇から血が溢れるのを、千剣破は見た。


「ひっぅっああああああああああああああ!!!!」


絶叫に似た、それは、紛れもない咆哮だった。


千剣破の周りを黒い水が取り囲む。
海の色は、黒炭を流し込んだような漆黒。
海から巨大な水の竜巻が幾つも立ち上がっていた。
真っ黒な海。

酷く禍々しい、その姿。

「あ…ああっ、あっ…!! 許せない…許せない…許せないっ!!!!!!!!!」

目を見開いたまま、千剣破が強い声で繰り返し叫ぶ。
ビリビリと周囲の空気が震えていた。
空に暗雲が立ちこめ、稲光の音が聞こえてくる。


黒い水を身に纏い、真っ白な頬を更に白くさせ、爛々とした目で敵を見据える。

竜を呼び起こそうとしていた。
神の力。
千剣破の中に眠る、魔の性質がゆらり、ゆらりと彼女を支配する。


酷く恐ろしく、酷く神々しく、酷く美しく、そして酷く危うい。

髪の毛が風に舞い上がる。
普段より赤く色づく唇が、きゅうっと引き結ばれる。

皆が、海の様子、そして千剣破の様子を凝視していた。

敵の男達の中には、明らかに危険なこの状況に既に逃げ始めたものもいる。


こんな力、コントロール出来る筈かない!!


「いずみ…、千剣破を止めろ!」

冥月が叫ぶ声が遠くに聞こえた。


なんだか、別の世界の声に聞こえた。


いずみが、突然ぐいと手を伸ばし、千剣破の胸倉を掴むと、下に引き寄せ、その頬を思いっきり張り飛ばしてきた。

千剣破の意識を閃光が走りぬける。

痛みに目を見開いて、それから、パチクリと自分の目の前にある小さな整った顔を凝視した。


「しっかりなさい!!!!」

凛とした声で、いずみが千剣破を叱る。

「泣いているでしょう! チーコが泣いているでしょう! 今、あなたは、誰のために力を振るおうとしているの?! それは、誰を守る為の力なの?! 正気に戻りなさい! 泣かさないで、チーコを! 千剣破さん! 泣かさないで!!」



チーコの泣き声。


万華鏡を抱きながら、チーコが泣いている。



いけない。
チーコ、泣かないで。
泣かないで。



幸せな気持ちで。
幸せな気持ちで…。


嗚呼、そうだ。
あたしは、その為に、ここにいるんだ。



いずみの言葉に徐々に千剣破の焦点が結ばれる。
海が徐々に静まり始めた。
全身を酷い虚脱感が襲った。
例え、実際に呼び起こさずとも、神に近い力を持つ、竜王に目覚めを促した千剣破の体に重い疲労感がのしかかる。

何をしようとしていたのだろう。

我に帰れば、先程までの自分がとても恐ろしくって、千剣破は震えながら、いずみに礼を述べた。

「ありがとう」

いずみは、そんな千剣破に安心したように頷いてくれた。

それから、チーコに慌てて視線を送れば、黒須が竜子を鋭い爪で切り裂こうとしていた男を叩き伏せ、時雨がチーコを抱きかかえようと手を伸ばしていた。

千剣破が呼んだ暗雲も、霧散し、その下の茜色の空が、夜の闇を濃くし始めていた。

冥月が、明らかに身に纏う空気を冷たく、凍りつかせながら敵に向かって歩き出し始めていた。
手には黒い刀を持っている。

へたり込む千剣破をいずみが支えてくれる。
あとは決着の時を待つだけと心を落ち着かせる千剣破の耳に、一発の鋭い銃弾の音が届いた。


ドラマみたいな、偽者みたいな銃弾の音。


音のするほうに目を向ければ、まるで壁になるみたいに、チーコや竜子達を守る為両手を広げている黒須がゆっくりと倒れる姿が目に入った。


まるで、世界中の速度が、スローモーションになったように見えた。


黒須さんが、撃たれた!


「「ひっ…」」

千剣破といずみが同時に悲鳴の前兆を零す。



なんで?
どうして?
百合子さんが言うように、この依頼は、ロマンチックな依頼で、だから、何にも血を流さずに終えたいのに。


黒須さんが、撃たれた。



悲鳴を上げようと大きく口を上げた瞬間だった。


「ひっ、っっ、へ、蛇っ!!!!!!!!」


それは、なんだか、間抜けな叫び声。
見れば、冷静極まりない筈のいずみが、動揺も露に、黒須を指差し叫んでいる。
思わず口を開けたままぽかんといずみを眺めた。

蛇?
え?
いや、うん、確かに黒須さん蛇っぽいけど。
蛇っぽいけど。

今指摘する事じゃ…ないよね?

撃たれてる人に「蛇!」って斬新すぎない?


そう驚く千剣破の目に、もっと驚くべき光景が映った。
夜闇の下、「あ、っ、っつぅっ、ち、畜生っ!!」と黒須が叫び、蹲った次の刹那には、彼の姿が、下半身大蛇の姿へと変わっていた。


濡れた輝きを見せる黒い鱗に覆われた大蛇の尻尾がのたくっている。
6.7メートルはあるだろうか?
その長く、丸太のように太い下半身をくねらせながら、蹲る黒須の姿に、咄嗟に生理的な嫌悪感を感じて鳥肌を立たせる。
どういう事かも見当がつかず、ただただ、黒須の姿に魅入られた。

怖い。
気持ち悪い。
不気味でしょうがない。

だから、目が離せない。

何が、どうなって、こういう姿になってしまったのか。
それとも、元からこういう生き物だったのか。
醜い。
それは、酷く醜い姿だった。


着ていたスーツは無残に破かれ「今回は、この姿になんねぇで済むって、踏んでたのに!」と悔しげに喚く。

エマ、竜子を除く全ての面々が、硬直していた。
硬直…せざる得ないだろう、この姿には。


「う、うううっううぅぅぅ!!」

いずみが唸り声をあげ、ぎゅうっと握りこぶしをしたあと、耐え切れずに目を逸らす。
脂汗が滲む額に「大丈夫かな?」と不安になれば、
「き、気持ち悪いよう…」かなりの本気声で、いずみが呻いた。
だが、先程、黒須が撃たれた際の反応から察するに、彼女は「黒須の正体」について、何か知っているように見える。

「な、んな、なっ! なんなの! あれ!」

ずびし!と黒須を指差しそう問えば、いずみは一瞬の逡巡の後、随分老成した虚ろな眼差しを見せると「…呪われた蛇一族の末裔なんです、黒須さん」と限りなく棒読みな声でそう告げた。
普通ならば、光の速さで「嘘だよね?」と気付ける、好い加減具合最高潮ないずみの台詞に、素直な千剣破は、ゴクリと喉を鳴らし「蛇、一族…」と、恐ろしげに呟く。

(そ、そんな一族が!!)

思いっきりの本気で、ワナワナと震える千剣破は、ふと、嫌な気配を感じて、砂丘の上に視線を向けた。


そこには、今、この場にいるどの男たちとも雰囲気の違う二人の男が立っていた。

一人は仕立ての良いダブルのスーツを着こなした長身の男で、他の粗野な雰囲気を身に纏う男たちとは一線を画する威圧感を有している。
派手な色に染めた少し眺めの髪を、鬣のように後ろへ流して風に舞わせている。
顔立ちは端正で、精悍でありながら、後ろ暗い、ヒリヒリとした危険を感じさせる危険味も含んでおり、全身から「只者でない」空気を発散していた。
今回の一群を率いている幹部らしい、体格の逞しい男が、腰を低くしながら、追従するような様子で何か鬣の男に伝えている。
その隣に立つのは、男と対照的に身長も低く、青白い顔をした細い男で、白衣を風になびかせながら、脇に立つ男達のやり取りなど一切無関心といったように、戦況を凝視していた。

Dr。

チーコに発信機を埋め込んだ男。

浜辺で、翼によって得られた情報を思い出し、まさしくと言った風貌に間違いないと確信する。

ぎょろぎょろと目ばかり大きく、銀縁の眼鏡の中で彷徨っている視線が、黒須を捉えると、ギラギラとした輝きに満ち始めた。

こんな、人間と動物を掛け合わせたキメラを作ったり、チーコのような子を攫ってくる人達だもの。
黒須のような人間に興味を持つのも不思議はないと思いながらも、Drと呼ばれている男の視線の狂気的な有り様に怖気を奮う。

(黒須さん、変な目のつけられ方をしなければいいけど)と思えど、今は、先の事を考えている余裕はないと、千剣破は現状の把握に意識を集中させようとする。

だが、そんな必要は一切なかった。

夕日が完全に沈みきり、あたりは夜闇に包まれる。

「待たせたな」


低い声。


無慈悲な夜の女神。


黒冥月が動き出す。

「じゃあ、終わりを、始めようか」

黒いロングスカートが風に揺れる。
髪を高く結った冥月が両手を広げた。

チーコへの狼藉を目の当たりにした面々も、その怒りを力に換えて、敵方を睨み据えている。



夜が来るという事。
それは、「冥月によって、全て片がつく」という事と同意語でもあった。




思わぬ時間を取られたせいで、山口県に到達する頃には、夜明けが近付いて来ていた。

砂丘の上に見た男達は、冥月に尋ねど「取り逃した」らしく、悔しさの欠片もなく「つくづき逃げ足の早い連中だ」と呟いた。

チーコの蹴られた傷跡は、もう微塵も見当たらない。
千剣破の水の力によって、傷を癒したのだ。
疲れきっていた千剣破ではあったが、最後の力を振り絞り、チーコを怪我を癒す。
うつら、うつらと意識を朦朧とさせているチーコに、ありったけの力を注ぎ、彼女の回復を心から祈った。

泣いていた、チーコ。
せめて、痛みだけでも癒してあげたい。

チーコの蹴られた時の記憶は、翼の「事象の操作」という恐るべき能力によって消されていた。

「本当は、タイムパラドックスを引き起こしかねない、使ってはいけない力なんだけどね…これ位なら、大丈夫だろう…」と言って翼が新たに作り上げた事象は「蹴られた際に、チーコは意識を失い、砂丘で暴力に晒された記憶は、ショックで消えてしまった」というもの。
傷跡もなく、記憶もないチーコは、まさか自分が恐ろしい目に合っていただなんて事も、すっかり知らぬ気に、穏やかな様子でエマの腕の中でじっとしていて、千剣破は心底安心した。

良かった。
不幸せな思い出は、三日間の間一つだってチーコの中に残したくなかったから、本当に良かった。





潮岬…本州最南端の海。


その海を一望できる、灯台の上に立ち、チーコが夜の海を眺めていた。

もうじき、夜が明ける。

チーコは、自分を抱いていたエマの腕を優しく叩き降ろしてくれるようにと頼んだ。


ここが彼女にとっての、最期の地。


見上げれば満天の星空があって、皆息を殺してチーコを眺めた。


チーコは、自分の運命全て分っているかのように微笑んで、一礼する。

キラキラキラと、夜闇を引き裂くように、流れ星が落ちていった。



唐突に、何の予備動作もなく、その喉からチーコは、燃えるような、熱く、熱く、力強い声を出した。



「会わなければ よかったと

思う私を 許してください」


それは紛れもなく、人の、日本語の、千剣破達が使う言葉の 歌。






会わなければ よかったと

思う私を 許してください


闇の中で 息絶えていれば

生きたいと願わずにいられたのでしょう


優しくされて

優しくされて


私は死ぬのが怖くなった

優しくされて

優しくされて


私はとうとう恋をした


幸せです
不幸せです

嬉しいです
寂しいのです

抱きしめて
触らないで

全部嘘です
全てが真実


あなたが 好き





チーコが手を延べる。
視線の先には時雨がいる。





あなたが 好き


好きじゃない
嫌い

だから 泣かないで
笑っていて
私が いなくなっても 笑っていて


真実

あなたが 好き

だから 笑っていて

私が いなくなっても 幸せになって

私の事を忘れてください


いやだ

私の事を忘れないで

うそ

わすれていいの

だから

幸せになって 幸せになって

好き 好き 好き 好き さようなら



「あなたに あえて よかった と おもう わたしを ゆるしてください」


炎の歌。
命を燃やす歌。

夜が明け始める。

チーコの指先が、髪が、炎に変わり始めた。


その全てを燃やすかのように、チーコが唄う。

最期の歌。

時雨が、転げるように、チーコに走り寄り、その体を抱いた。


「チーコ!!!」


幸せになって


「チーーコ!!」


幸せになって

「いやだ…いやだよ…チーコ…一緒に…故郷…見に行こうって言った…約束した…嘘つき…チーコの…うそつき…あっ、ああっ、うああっ、わああっあああああっ!!!」


慟哭。

自分の全身が炎に包まれるのも構わずに時雨はチーコを強く抱きしめた。
一緒に燃えてしまうんじゃないだろうか?と心配になった。
赤い髪が、体が、何もかもが炎に包まれて、時雨は夜闇の中で、チーコを抱いて燃えていた。


キラキラと炎に包まれ、光の粒が二人の周りを舞う。

ああ、あれは万華鏡の光の欠片。

焼けた万華鏡の中から、光が舞い上がり二人の周りをひらひら飛んでいる。


チーコは最期の瞬間千剣破を見た。

千剣破は無意識のうちに、涙を一粒零していた。
チーコは「泣かないで」と唇を動かして、にっこりと笑った。

あんまりかわいく笑うものだから。

あんまり綺麗に笑うものだから。

千剣破も、笑い返した。






朝日差す海。
目を射るほどの輝きが海面一杯を満たす。




その瞬間、チーコの体は全て炎と化して、消え果てた。



時雨が喚く。
声にならない声で。

赤い髪が炎のように揺れていた。



そして、眩い光の中真っ黒な影の塊になって、時雨は長身を折り曲げ蹲ると、唇を押さえ、耳を押さえ、目すら閉じて、全て、全て記憶にあるチーコの全てを、何処にも逃さないかのように、じっとそうやって、じっと、蹲り続けた。

まるで、両手を組み合わせていないのに、その姿は祈りに見えた。

酷く敬虔な祈りに見えた。


神様は、呆れる程に無力で、チーコの命を救えはしなかったけど、それでも最期彼女は笑っていたから、笑っていたから……

千剣破は、祈りの代わりに、涙を両目一杯に溜めながらにっこり笑う。



ばいばい チーコ


夜明けの海が、千剣破の目を射た。

天を見上げ、胸中で別れの挨拶を朗らかに述べる。


恋をした。
駆け抜けた。
歌を歌って、炎になった。

ねぇ、チーコちゃん。

あなた、生まれてきてよかった?

幸せだった?


遠い空の向こうから、チーコの明るい笑い声が聞こえたような気がした。




ばいばい チーコ
夜の海のチーコ

あなたの事は忘れない
あなたの歌をあたしは忘れない



fin



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1271/ 飛鷹・いずみ   / 女性 / 10歳 / 小学生】
【3446/ 水鏡・千剣破  / 女性 / 17歳 / 女子高生(竜の姫巫女)】
【7521/ 兎月原・正嗣 / 男性 / 33歳 / 出張ホスト兼経営者 】
【7520/ 歌川・百合子/ 女性 / 29歳 / パートアルバイター(現在:某所で雑用係)】
【0086/ シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2778/ 黒・冥月 / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【2380/ 向坂・嵐/ 男性 / 19歳 / バイク便ライダー】
【5588/ エリィ・ルー / 女性 / 17歳 / 情報屋】
【1564/ 五降臨・時雨  / 男性 / 25歳 / 殺し屋(?)/もはやフリーター】
【2863/ 蒼王・翼  / 女性 / 16歳 / F1レーサー 闇の皇女】



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■         ライター通信          ■
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出来上がりが大変遅くなりまして誠に申し訳有りませんでした。

本当に、長い、長い物語にお付き合いくださいましてありがとう御座います。
三日間、参加してくださった皆様も楽しいときが過ごせていたら幸いです。
チーコは皆様のお陰で、幸福な気持ちでこの世に手を振ることが出来ました。
彼女の最期の歌を是非、忘れないでいてください。
夜の海のチーコ。

終幕で御座います。

尚、momiziのウェブゲームは、登場人物全ての方、それぞれの視点に即した物語となっております。
お暇なときにでも、他のウェブゲームにもお目通し頂けると新たな真実や、自分のPCが他PCにどう思われていたのかを、知る事が出来るかと思います。

それでは、momiziでした。