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カレーを作る日
貴方に子供が生まれたなら、カレーを掬うさじを与えてください。
一杯のコーヒーが、優しさや厳しさを噛み締めさせるように、一皿のカレーが、幸せと生き方を教えるだろうから。
真っ青な空の上にぷかぷかと、真っ白なお雲様が浮かんだこの日、五月晴れの日、
「義兄さん、今日はカレーにしますね」
義妹の言葉に、椅子へだらしなく寝そべっていた興信所の主は、灰皿にぎゅっと煙草を押し付けた。「ああ」と、一言だけ答える。机の上に這っていた新聞紙を拾い上げ、それをばさりと自分の顔にアイマスクとしてかけ眠り始めた。起きて、煙草、食べて、煙草、仕事して、煙草、眠って、煙草、日常の行列に必ず等間隔で入る嗜好品。
本当、止めてくれれば嬉しいのだけととは思う、何度も禁煙を促した事も数限りなく、だが彼は健康な肺を不健康にして、今日も煙草を吸い続ける。
もし義兄が、それが元で死んだとしたら、私は見殺した事になるのだろうか?
そんな事をふと考えたが、
「……」
そんな事ない、とか、まぁいいか、とか、言葉さえなくその思考は消去された。生きていれば侭ある、提起した問題の完全なる無効化、深く潜る事をせずほっぽりだす機能。
少なくとも今の零にとって、それは歓迎すべき作用である。
「さてと」
カレーを作るには、足りない材料を買いに行かなければいけないのだから、義兄の煙草の問題についていちいち留まるのは無駄なのだから、よって、
初期型霊鬼兵というあざな、怪奇の塊たる彼女は、カレーを作る為に動き出した。
それこそ怪奇と呼ぶ人も居るし、それこそ滑稽だと笑う人も居るし、
それこそ幸せだと、微笑む人も居る。
◇◆◇
「カレー、……カレーかぁ」
自然と笑みふわりと浮かんだ。印度から英国まで遠回りしてから来た異人さんだのに、何やら郷愁を纏ってて、心の奥底、刺激してくる。だからふわりと笑ってしまう。
よってシュライン・エマが、草間零の提案を断る理由塵一つ無かった。
「それじゃもう少ししたら買出しに出かけましょうか」
みっしりと詰められた煙草のせいでイソギンチャクみたくなった灰皿を、危険物の粉が散らないよう紙袋の中にいれ引っくり返す、灰皿を取り出し、くしゃりと丸め、捨てる。さてと、カレーを作るための行動を、
「……」
灰皿の掃除をする為には、当然、灰皿の置かれている興信所の主の机に寄った訳で、すると新聞紙をアイマスクにした草間武彦に近寄る訳で、
尋常でないくらい些細な障害として、その状況はシュラインに作用した。
「……指でこう、ぎゅーっと押してやりたいわね」
何を? アイマスクという名の新聞紙の上から顔の瞼とか鼻とかを。なんで? いや、なんとなく。それは善意でもなく悪意でもない、命と同じで何処からやってきたか解らない欲求、なんとなく。運命を左右する状況ではまず顔を見せないのだが、こういう日常においては度々やって来る。
さて、シュラインがその誘惑に負けそうになって、右の指が曲げられた時である。
「負けたーっ」
そんな一声をインタホーン代わりにして、するりと興信所に入ってきたのは。それなりの音量は、一応の目覚ましとして作用し、
「……なんだ、お前か」
新聞紙をばさりと顔から拭った主が、そう呼ぶ。ああ、誰だ、
「あら嵐君」
向坂嵐、むかいざかじゃなく、さきさかと読む。らんではなく、あらしである。
赤茶の髪と瞳が、端正な容姿に乗っかっていて、興信所の主と同じく何時も大抵その顔立ちを、紫煙の煙でくゆらせている。今日もそうだ、歩き煙草で来ていたらちょっとお仕置きだ、確証は無いけども。
普段の職業はバイク便だが、結構自由な時間も利くのか、ぶらりと興信所に彷徨ってくる場合が多い。目付きの鋭さという見た目と、ぶっきらぼうな態度と口調からとっつきにくそうに思われるが、存外、お人よしである。
で、すっかり買い物支度を整えてた零が、用件じゃなく何に負けたのかと聞く、「負けたって、どうしたんですか?」と。答えたのは本人じゃなく、義妹の義兄である。
「いい加減パチンコはやめたらどうだ」
質問に対して質問で答えてもOKだという、割かしレアな状況だが、嵐は関せず、「余計なお世話、だいたい、勝った時は俺が酒奢ってんだぜ?」
勝ったらその場で有頂天、で、その味忘れず勝負しかけてトータルで負ける。この趣味に加え酒好きであるから、飲む、打つ、まで揃っていても、買うと続かず、《負ける》男なのが、向坂嵐という男である。なので常に金欠、貧乏人。
まぁまだ彼は19歳、そういう経験もまだいいかもしれない。
……。
つっこみたい事があるかもしれないけど、つっこんじゃいけない。実際、興信所の面子ももうつっこんでない。実際は年齢サバよんでいる事を知ってるとか、何らかの歴史はあったのだろう。多分。
「とりあえず、今うちには嵐君に紹介できるような仕事はないわね」
「あーいいのシュライン、ダベりに来ただけだから。で、零ちゃんと何処出かけんの?」
「今日は晩御飯カレーですのでその買い物に」
「え、カレーなの、食いたい食いたい」
「お前なぁ……」
小学生並の速攻反応に、武彦が目を細めたが、シュラインは、
「いいじゃない武彦さん、カレーだったら何人か増えても融通が利くんだし」
「君が言うならそれでいいが……」
「カレーなんて暫く食ってないなぁ、パチンコのフードコートで食ったのが一ヶ月か二ヶ月前だっけ? でもああいうのって業務用だし、あれで500円とんのは微妙にふざけてんよなぁ」
で、何カレーにすんの零? と義妹と、すっかり話している。というかいつの間にか靴脱いで興信所の敷地にあがってやがる。
「まだ決めてないので、あ、向坂さんも一緒に買い物に行きますか?」
「いや、俺料理なんて出来ないじゃん、待っとく」
いけいけしゃあしゃあ。誰でも出来る、荷物持ちとしての役目すら辞退して、適当な椅子を馬に見立てるような座り方で座り座って武彦と雑談を決め込もうとした。
「それでさぁ、風間」
「草間だ草間」
……まぁ、彼の生業であるバイク便で運んでもらう程の量にも距離にもならないだろうし、別にいっか、と。ただ、ヘビースモーカーがこうやって対面しあったとあっては、帰って来た頃には灰皿はまた煙草に埋め尽くされるのだろうなと、シュラインは心の中で溜息一つ。けど気を取り直して、
「さて、行きましょうか零ちゃん」「はい」
勇んで興信所を後にして、向かう最中、ふと思う。経験上、嵐みたいにおさどん参加面子が増える可能性。
カレーとなったら、たぶん、きっと、おそらく、……来るかもしれない人をなんとはなし思い浮かべて、辛い物増えそうだから、甘いデザートでもこしらえるかと、零と話しながらレシピを頭でこしらえていた。
◇◆◇
商店街。ちらほらと人が増え始める時間帯であるが、若い青年がスーパーに居るのは珍しい。ただそれは初見の話、こういう人物の場合、知らず知らず顔なじみになったりする。それに、彼は美形だ。
「すいません、食パン一斤」
「全部十枚切りでいいかしら」
「はい」
パートで働くおばちゃん連中に、顔を覚えられるは当然だし、少ないが、双子で来た事もあれば尚更強まるから。
あの胃袋が宇宙の弟の為に、レタス、ツナ、卵、変り種でしめ鯖と、サンドイッチをこしらえる必要がある
「はい、あとこれね、パン耳。二十円」
「ありがとうございます」
そうして守崎啓斗はビニール袋の入ったパンを受け取った。エコバッグは持ち合わせているが、これから別の買い物をするので、居合わせると、柔らかいこれはぐにゃりと変形してしまう。まぁもう一つの理由に、袋無しとレジで申したら、二十個押したら百円のチケットになるキャンペーンは、ここでは行ってないからでもあるのだが。
さて、食パン一斤は勿論、二十円のパン耳もそれと同じくらいの量がある。耳なのでこちらも密度が高いし、割かしの重量。
買うものは少ないが、荷台を使うかと、スーパー入り口で籠一つを乗せ、取っ手にパンの入った袋をひっかけて店内を滑り出した。
が、すぐに止まった。
「……あれって」
人がちらほら増える時間ではあるが、啓斗みたいな若い者はどうしても目立つ。彼女も、そうであった。
「私なら、私なら出来るはず」
座り込んでるのはお菓子売り場、両手にそれぞれ持ってるのは、玩具入りのラムネ菓子。普通にトイズとして売ってはコンビニ等の流通に置けない為、ラムネやチョコを一ついれて、お菓子としてスーパーに並べている、あれ。
彼女は、なにやら瞳を閉じてぶつぶつと、……忍びである啓斗には耳に入るが、一応の、小さい声で、
「どちらが重いかによって、中身を判別する事がッ」
何してんのこの娘。
……あ、選び終わった。レジに向かった。シールだけ貼ってもらった。店内にあるベンチに座っていそいそ開けた。当たったらしい。やったー。
「よし、この調子でコンプリート」
「何をしているんだアゲハ」
「はう!?」
顔なじみ、久良木アゲハの行動が奇行に近かったので声をかけていた。いでたちが、まあ二割だけど、スーパーに行くのはどうよってファッションなのに、それにまた一割と重ねては警察呼ばれるまではいかないが変な目で見られるだろう。ていうかアルビノ体質で彼女の髪は白く瞳は赤いし計三割か。ともかく、他人じゃないんだから、他人の振りはしたくなるまで行って貰っては困る。
そういう気遣いで声をかけられた事よりも、単純な恥ずかしさでアゲハは慌てた。い、何時から見てたのか、と、中身を判別するとか言ってたあたりから、と、聞こえてた、と、いや多分自分以外聞こえてない、と。
なんだか微妙な空気が流れる、居た堪れなくなったのは原因であるアゲハだった、
「あ、そ、その、今日は弟さんは」
「何時も一緒に居る訳じゃない、今は遠くに依頼へ出てる」
「……まさかまた、サイコロを振って?」
「何の話だ?」
「え、いやいや」
話してないのか、確かにとんでもない体験だったからなぁ自分にも、と頬をカリカリアゲハは掻いた。えーと他の話題はと検索、結果、お天気の話しくらいおざなりなの、
「えっと、今日のご飯は何ですか?」
「弟が居ないからな、決めかねているんだ」
「ああありますよね、一人欠けると、……外食とかは?」
「選択肢に無いな」
経済的に、
「じゃあだったら、友達の家にお呼ばれしに行くとか」
何気ない一言であったが、
啓斗に、少し思わせた。
啓斗には無い発想、アゲハにはある発想、……他者。
生きるか死ぬか、光か闇か、選択は大抵二つなのだけど、……目の前の彼女はあっさりと三つ目を持ってくる。
生き方の違いか、いや、
心根の違いか。
「啓斗さん?」
「……いや、それもいいかもしれないな」
ゆっくり笑う彼にきょとんとするアゲハ、ともかくこうしていわるひとつの、フラグ、が成立する。
アゲハが原因で簡単な買い物はすぐ始められず、よって、シュラインと零の二人組みが追いつく事になり、自然な流れでカレーを一緒にって事になる。全くなあ、巡り合わせなんてものはつくづくだ。
◇◆◇
「冷静に今まで負けた額を計算してみろ」
「馬鹿、ギャンブルに必要なのは情熱だぜ?」
「勝負事で熱くなってどうするんだお前は」
「あー、……にしても、世の中ひでぇよな」
「ん……?」
「ガソリンだよガソリン、……下がって喜んだらまた上がって、ぬか喜び過ぎるぜ、俺達にとっちゃあ」
「まぁな、だったらいっそ下げるなって話だしな」
「そりゃ支持率が20パーセントになるっつうかなんだーっつうか」
「……新聞でも読んだのか?」
「……負けてすっからかんなって、休憩コーナーでだべってて、雑誌全部他の客にとられてたから」
「だろうな、じゃなけりゃ支持率なんて言葉お前の口から漏れる訳がない」
「あ、ひでぇぜ、風間」「草間だ」「俺は俺なりにこの世に怒りを、ガソリンもそだし、煙草も六月から自販機で買えなくなるし、パチンコで負けるし」
「そもそもお前は煙草買っちゃいけないし、最後はお前自身のせいだろ」
「馬鹿、ちげーよ、パチンコの客が減ってるし、パチンコの台事態が高くて小さい店どんどんつぶれってし、その皺寄せ全部客から取る分になってんだし、世の中のせいだろ」
「じゃあなんで打つんだ」
「俺、ギャンブラー」
「……寝る」
「あ、おい、なんだよー、……じゃあ俺も寝るよ!」
「……」
「寝るからなっ」
「いちいち言うな、うるさい」
◇◆◇
「あ、クミンシード! 良かったあったぁ」
「クミン……カレーのスパイスですか?」
アゲハが調味料コーナーから手に取ったのは、唐辛子の横にあったパック、表面には向日葵の種みたいなのが写真でプリントされている。
「正確にはスパイスになる前のもの、これ、摩り下ろしてパウダーにしてもいいんだけど、そのままいれてもプチプチして美味しいの」
「へぇ」
女の子二人がわいわい言いながら食材選び、後姿なのにその裏にある笑顔まで見て取れるようで、吊られて、シュラインも笑う。そんな風佇んでいた彼女に、啓斗が声をかけた。
「シュラ姐、肉は何にするんだ?」
「お肉って、ええと」
シュライン、「確か啓斗君、お肉関係は食べられないはずよね」
「俺だけそうだからって入れない訳にはいかないし」
「まぁそれもそうだけど、……いえ、せっかくだし野菜だけにしましょう。……トンカツでも買って食べたい人だけそれ乗せて」
「……悪いな、なんか」
「んー、一枚200円のが五十円引きになってるから、気にしないで」
閉店間際にいけば半額で手に入れられかもしれないけど、流石にそこまで待っては興信所の主はすっかり腹が空き、……それを埋める為に煙草の煙を充満させるだろう。胃じゃなく肺に行くのに。
――こうして買い物もすっかり終わり
行く時より倍に増えた中所帯で帰還した訳だが――
「……ええと、草間、と?」
「新聞紙被ってるから、解りませんね。……シュラインさん?」
アイマスクの代用品としてはかなり広いそれを顔面に乗せて、背筋を反らせた格好を揃えて椅子寝を繰り出す二人を見て、シュラインの自制は利かなくなったらしく、
ぎゅーっ。
「うおっ」「おお!?」
指で押した衝撃でビクッとと奮えガバッと起き上がりバサッと新聞紙を落とす二人組み、
二人の驚いた顔は見物で、心の中で少し笑ったが、再び煙草で満杯になった灰皿を見て、心の中で再度溜息をついた、が、
「そうね、天気もいいし屋上で食べましょう」
カレーの事になれば再び笑い、寝起きでぼんやりしてる男二人尻目、調理が開始された。
◇◆◇
「スライサーはどこだったかしらね」
「ん」
「えっと、先にクミンシード炒めておきたいんですけど、油は」
「ん」
「あ、それじゃ別にカセットコンロ用意します、ええと確か」
「ん」
「「「……」」」
一行目の台詞、シュライン・エマ。三行目の台詞、久良木アゲハ。五行目の台詞、草間零。
そして偶数の行は全て守崎啓斗の発言であり、七行目は鍵括弧の数から、三者一様同じ感想を抱いた事をお解かり頂けるであろう。つまり、
「勝手知ったる人のキッチン、って事かしら」である。
「草間の家には何度も来てるからな、いい加減覚えるよ」
そういいながら彼は蓮根を取り出し、「え、蓮根?」
「マジー? ゲテモノになるんじゃねぇのそれ?」
煙たがられて(存在じゃなく実質的に)隅に追いやられた、ヘビースモーカーズの赤茶色が椅子にだらりと伸びながらそんな事を呟くと、
「一度蓮根の薄切りが入ったカレーを出された事がある」と。
「へぇ、それで、美味しかったんですか?」
「違和感はなかったな。……薬膳カレーみたいな感じだった」
「スパイスの力かしら、やっぱり」
曰く、戦場の兵士達が救援物資で求める物の上位には、アパム経由の弾丸よりも、カレー粉の方がリクエストするらしく。ワニだろうが草だろうが、どんなものでも一応食べれるものにしてくれる魔法の粉だとか。
「それで、その蓮根も具に」
「いや」
切る調理行程は終えて、既に炒めも終わりかけていて、輪切りじゃなく、縦に切った蓮根は、
「草間と向坂のつまみ」
繊維にそって切った事で、シャキシャキの触感が楽しいキンピラに化けていた。
……料理が出来るまでこれで繋いでおいてくれと、ビールと一緒にお盆に乗せて持っていく啓斗の背中を見て、いい奥さんになれそうな人だなぁと静かに思うアゲハ。
◇◆◇
食後のデザートなんてものは、外食の、それもコース料理とかセット料理の限定品な趣があるけれど、
(そんな凝った物じゃなくていいから、家庭にも取り入れるべきよね)
と、世界に向けて、だが声に出さぬから、結果誰一人にも伝えてはないが、それでも意見を表示して、理由も、
(美味しいから)
簡潔にして、完結する。
零の前にある寸胴の底ではゴロゴロとぶつ切りにされた野菜を炒め終えた。そこにアゲハが、水と、野菜ジュース一缶と、ホイールトマトを適量注いだ。別のコンロでは啓斗が、厚めのイチョウ切りにしたジャガイモをコショウで炒めている。
「ああアゲハ、カレーの水分は多目に」
「え、どうしてですか?」
「本当にルーを使うだけの場合はパッケージにある分量でいいけど、ヨーグルトとか醤油とか隠し味にいれると濃くなってしまうから、ちょうどいい按配にする為、水をあらかじめ多目にしておいた方がいい」
と、調理人の四分の三はカレーの為に働いてるのだから、その内25%が別の行程を担当していても問題はなかろうと、手軽なデザートを用意する。
ココナッツミルクに、ヨーグルトを混ぜて、みかんとかのフルーツをいれて、冷凍庫で凍らせる。
本当、簡単。
「よし、と」
さて、手もちぶさたになる。ルーはまだ入れてないし、焦げ付かないよう絶えず掻き混ぜる段階でもない。んーと自分の顎に人差し指をたてながら考えていたが、……サラダを作るのも早い気がした。
座って待たせて頂こうかしら、と、そう思った時にやるべき事が見つかった。
「シュライン、もう一本」
「……カレー食べるんだから、余り飲みすぎちゃ駄目よ二人とも」
「あー、じゃあ、煙草吸う風間?」
酒と煙草、どっちが身体に悪いかは解らないが、煙をプカプカ吐かれるよりはマシかと冷蔵庫からお望みの物を取り出す。
しかし三分後に振り返ったら、煙草を吸いながら酒を飲んでいた。ああそうだ、酒と煙草はハードボイルドとか言う人だった。ギャンブラーの人が同伴してるのは、理由がわからないけど。
◇◆◇
カレーにジャガイモを入れるとか入れないとか、言い出したのは誰なのかしら?
とりあえず、アゲハは別にどっちの派閥にも所属してなかった、別にそこまで目くじらたてて議論するような事ではないと感じたからだ。だが、
「別にじゃがいもを炒める、そんな考え方はなかったなぁ……」
と。
確かにこれなら好きな人はいれればいいし、嫌いな人はやめておけばいい。煮崩れする事もないしこれは良いアイディアのように思える。
ただ、やはり煮てこそのジャガイモのカレーという人も居るだろう。
「カレーの味が染みたほこほこのジャガイモ……」
……想像したら、食べたくなってきた。
「あの、啓斗兄さん」
「……まだルーは入れなくていいと思うが」
「そうじゃなくて、折角だからじゃがいもも今からいれても……駄目ですか?」
居てもたてもいられなくなって彼女はそう提案した、が、
「けど、もうじゃがいもは無いのよ」
「あ、そうなんですか?」
シュラインの答えに少ししょんぼりと。まぁ、無いものをねだっても仕方ないし、と緩く諦めようとした時、
彼女を救う一つの声が――
「俺がバイクでひとっ走り買ってこようか」
……、
……、
……、ええ、と、
「の、飲んだら、飲むな、ですよね?」
……そりゃそうだったと、向坂は再び草間と差し向かいで飲み始めた。というかそれ以前に飲んじゃいけない理由があった気がする。
◇◆◇
草間零がカレールーを入れて十分、部屋は煙草の臭さよりも、スパイシーで魅惑的な香りで満たされていく。……まぁそれでもこの興信所の主は、紫煙の方を選ぶのだが。本当、腹空かした帰り道でも、うまそうな湯気より嗜好品の煙についていきそうな人種だ。
向坂嵐はまだ彼より(あくまで彼に比べてだが)マシなのか、煙草を小休止して、一度零が掻き混ぜる寸胴鍋を覗き込んだ。
「うわー、うまそう、ねぇ、味見していい?」
「はい、それじゃちょっと待ってくださいね」
「え、いやいや、おたま貸してくれればいいから」
「いえ、一応小皿にとってから」
「えーおたまから直にゴクゴクいきたいよ俺」
「……嵐兄さん、それ、試食じゃなくて実食ですよ」
遠くからアゲハが弱弱しくつっこんだら、彼はえーという顔をした。《目付きの鋭さという見た目と、ぶっきらぼうな態度と口調からとっつきにくそう》なせいで、えーという顔だけでちょっとびびりそうになるアゲハである。《存外にお人好し》なのは解ってるのだが。
まぁそんなやりとりをしている内に、零はきちんと小皿に、舐める程度のカレールーを敷いた訳で。本当にちょっぴりだが、もっとくれというのもはしたないというか正確にはそこまで執着してなかったので、すすらせて頂く。
うん、これは、ふむ、
「……ご飯と一緒に食いたいぜ」
「それはそうだろ」
今度は啓斗がつっこんだ。彼も基本無表情なので、似た様な顔つきが空間を隔てて二つ並んだ。別にさっきからそうなので今改めて強調する事ではないのだが。そもそも隔てているのに並んでいるというのもどうなのであろうか。いや、ともかく、
「あ、そうだ、隠し味いれよ隠し味、チョコあるから」
そう言って取り出した、入手経路がわかりやすいにも程がある板チョコのアルミを取り出しってちょっと待った「全部いれちゃ駄目よ!?」
アイドル衣装でかくれんぼ並のお手つきを、ギリギリで制するシュライン・エマ。
◇◆◇
所詮、カレーを作る事である。
「それじゃお皿とスプーンをもって、ええとカレーは……」
店に食べに行ったり、買って来たりした方が当然早い。
「俺運ぶわ運び屋だし、……結構重いじゃんこれ」
しかして人は料理という結果の為の行程を、
「二十五六人前は入ってるからな、手伝おうか?」
楽しむ傾向もあり、分かち合う事もあり、
「……あ、そういえば皆さん」
たかだかカレーを作り、そして、食べる事を、
人という物は、
走馬灯には浮かばない程度かもしれないけど
「サラダ、作り忘れていませんか?」
「……あ」
「……しまった」
それなりに大切な、思い出にしたりする。
「……別にいいんじゃね?」
「駄目ですよ嵐兄さん! カレーにサラダは必要不可欠!」
「そうねぇ、付け合せとしても栄養的にも欲しいわね」
「簡単なもの作ってくるから、シュラ姐達は先に行っておいてくれ」
……草間零は兵器である。
けれど、思い出は作る。
◇◆◇
五月晴れはもう夕暮れを飛び越えて、薄闇へと変貌している。
真っ白に強いライトをもってきた屋上のシートには、人々が円を作り、その中央にはでんと置かれた寸胴鍋、大根の千切りをサニーレタスでまいてつぶした梅干とめんつゆで作った和風ドレッシングをかけたサラダ、だ。
シュライン、ご飯を器に盛り、カツを乗せ、カレーをたっぷりかける。
それを人の手に渡せば、人の手から別の人に渡り、各々の手元にもたされる。
最後の一皿だけカツは乗せずに――啓斗に渡した。
「さて、それじゃ」
「いっただきまーす」
向坂嵐が我先にだった。「……協調性を見せろお前は」草間も呆れたが、彼も手を合わせる行程を省き、早速スプーンにすくって口に運ぶ。……うん、美味しい。
別に、涙が出る程とか、脳ががつんと殴られるとか、そこまで極限の美味という訳ではない。だけれど、やっぱり美味しい。
野菜の旨みと甘みがたっぷりとけこんだスープをベースに、辛口のルーがしっかり蕩けている。最初にスープと野菜の甘さが口に来て、後からかぁっと熱くなるような辛さが広がり、単純だが、美味しくて楽しい、二段の奥行きを見せる味だ。
具も、美味しい。玉葱は素性が確かめられる程度に柔らかく煮込まれていてるし、子供の嫌われ物である人参もスパイスの中で甘さを発揮、変り種のブロッコリーの茎の部分は煮ても素晴らしい、集めにスライスしたジャガイモもルーに浸すとよく馴染む。
それに、カツだ。カレーのルーがカツの衣がじゅわりと半分染みとおる、それを飯と一緒に被り付いて、喉に落とす幸福感。これだけ、応えのある満足感は、そうそう無い。
「うん、美味しいわね」
「クミンが利いているな、触感も面白い」
「そうでしょ、うちのお母さんのお気に入りで」
「こんなまともなカレー食うの久しぶりだな」
カツカツと、小気味の良い音をたてながら、一心不乱という訳じゃないけど、取り付かれたといった風でも全然ないけど、楽しそうに食べていく。皿は次々と空になり、二杯目に取り掛かっていく。
「……だけど」
啓斗、
「流石に作りすぎじゃないか、シュラ姐」
寸胴鍋には、二十と数人前。……自分の弟みたいな大喰らいはこの面子の中には居ない。まぁ、カレーは二日目こそ本番論を考えれば、いくら残っていても問題は無いのだけど。
だけど、このカレーを明日へ向かわせる気は、シュラインには無かった。正確には、
「大丈夫です啓斗兄さん」
アゲハの提案であるが。
「さっきメールで、知り合いの人達呼びましたから」
◇◆◇
ルーはあるけど、ご飯はそんなに余ってないから、自分で食べるその分だけは持ってきさせて。
結果、そこまで特別という訳じゃないアゲハの人脈でも、それなりに賑やかな集まりになった。
皆よく食べ、よく飲んで、よく喋って、よく楽しんで。
カレーをすっかりたいらげた後に、皆に出したデザートが好評で微笑むシュラインが、……そういえば作った切欠になった人来なかったなと呟いた事、食べ終えた後、調理は出来なかったから後片付けくらい、と、テキパキと働く向坂嵐の姿が印象的だった事、食事中に例の弟から電話がかかってきたらしく、泣くなとか喚くなとか言った後帰ってきたら作ってやるからといって電話を切った啓斗の事、カレーのじゃがいもって……と不用意に発言した事で、酒を飲んだ酔っ払い達の論争が始まり、アゲハはどっち!? と選択を迫られた彼女があわあわした事、
たかがカレーを食べる事が、
こんなにも、色々溢れるというのは、
素敵な事だと、
少女は、思う。
◇◆◇
貴方に子供が生まれたなら、
カレーを掬うさじを与えてください。
「お疲れ様、じゃあなー」
「それじゃ、また電話する」
「ご馳走様でした! また呼んでください!」
「お疲れね皆、……さてと」
一杯のコーヒーが、優しさや厳しさを噛み締めさせるように、
一皿のカレーが、幸せと生き方を教えるだろうから。
――それは誰かが傍に居る事
◇◆ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ◆◇
0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
0554/守崎・啓斗/男/19/高校生(忍)
2380/向坂・嵐/男/19/バイク便ライダー
3806/久良木・アゲハ/女/16/高校生
◇◆ ライター通信 ◆◇
一人暮らししてる頃は、二日かけてカレーを作ってたエイひとです。(下手の横好き)
まぁあんまり金がないので、肉は鳥皮、にんにくすら具の一部として使ってたりするカレーでした。作中にある通り、甘みたっぷりのスープをベースに、喉がかぁっとなって耳の裏まで熱くなる辛さのカレーが理想でして。どうでもええ話ですが。
依頼内容が単調な事もあって、今までの拙作からするとボリュームが少ないですがご容赦いただけると幸いです。その分、皆様のプレイングは彩り良く反映出来たと思います。……多分。
>シュラインのPL様
多分きっと来る人が誰だか解らず、本編中の扱いになりました。多分この人かな、というのもあったんですが、間違っていた場合失礼になりますので、匂わす描写も失くしました。
アイマスクの上からぎゅー、というのはらしいなぁ、ステケ行為だなぁ、と。依頼提出の段階では、何がアイマスクになってるか書いてなくてごめんなさい。ぎゅー。
>守崎啓斗のPL様
双子のお兄様の方は書かせて頂くのは初でした、なんか自分でも意外な気分でしたが。あと蓮根のくだりとどんな野菜でもスパイスの前のカレーも、そのまま話に反映させていただきました。いやほんまそうですよね、自分、白菜いれたりしますし。(煮すぎるととけて消えるので注意
>向坂嵐のPL様
初参加の方おおきにです、設定よりかはプレイングでの喋り口調を重視させていただきました。……ちょっとノリが軽すぎになってしまった感がありますでしょうか。
にしてもあれですね、本当、パチンコは注意、本当。
……駄目とおもってもいってしまうのは、一度勝って味しめてるせいなんでしょうねぇ……、某漫画の、「パチンコで毎月一万円二万円失うんだったら、その分美味しいご飯食べた方がいい」という意見は胸に痛く。
でも今のパソコンもパチで……、え、トータルではどうなってんだ? えっとそのごもごも。
>久良木アゲハ様
前回に引き続きご参加いただきおおきにです。暗殺がどうとかの設定はスルーして、プレイングにあるとおりほのぼの書かせていただきました。
過去を捏造してもいいとあったので、どうしたか考えたあげく……カレーにとっての永遠の論議、じゃがいもの是非ネタを適応させていただきました。
つうかあれですね、今回募集する時、じゃがいものあるなしについても書いてもらったら面白かっただろうか。
皆様ご参加おおきにでございました。ではまた機会があれば。
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