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<東京怪談ノベル(シングル)>


林にまつわるエトセトラ


 仕事着として用意されていたのは、シンプルな形のレオタードと、タイツのセットだった。
 どちらも色は茶系で、木目調の模様が織り込まれている。
「……なんだか、不思議な感触です」
 手に取って、海原・みなもは小さな呟きを漏らした。
 ゴールデンウィーク終盤。登録している派遣会社から、みなもに仕事が一つ回ってきた。
 イベントコンパニオンとしての派遣で、イベント名は『林業フェスティバル〜林を生やし、森を盛り上げよう!〜』。……サブタイトルこそ駄洒落れているが、中身は現代日本で衰退しようとしている林業を復活させようという、極めて真面目なものだ。
 衣装の模様もイベント内容に沿ったものである。しかしみなもが驚いたのは、その布地の表面、木目の模様に微かな凹凸を感じたことだ。まるで、本物の木材に触った時のように。
「本当の木の皮を加工して作ってるんだって」
 隣で着替えていた今日一日の同僚となる少女が、みなもに声をかけてきた。
「ちょっと硬いけど、着心地は悪くないみたいよ」
 と言う彼女は、もう既に衣装を身につけ始めている。気が付けば、更衣室の中でまだ私服を着ているのは、みなも一人だった。
「あっ。あたしったらつい、気を取られてしまって」
 慌てて服を脱ぐと、みなもはまずタイツに脚を通した。本物の木を使っているという布地が伸びて網目状に肌を覆い、まるで脚が蔦の巻いた木の幹にでもなったような、見た目に不思議な雰囲気になる。
 その上に木目模様のレオタードを合わせると、まるで樹木をイメージしたマネキンのようだ。
 仕上げに、頭には中央案内所との交信用の無線インカムをつける。ヘッドホン型のインカムで、ヘッドセットマイクつき。カチューシャ部分の右側には木の枝を模したアンテナ、左側には葉っぱのようにツンと先の尖った緑色のリボンが結ばれていて、なんだか――。
「テーマはズバリ『樹の化身』だってさー」
 なんだろう、と鏡の前で首を傾げたみなもに、先ほどの少女が後ろから教えてくれた。
 周囲を見回すと、たくさんの少女達が同じ『樹の化身』の衣装を身に着けていて、確かに、なんだか果てしのない木立の中に居るような錯覚さえ感じる。
「ちょっと、森で迷子になったみたいな気分になっちゃいますね」
「うちらが迷子になってちゃダメじゃん」
 感じたことを呟いたみなもに、少女がおかしそうに吹き出した。
「そうでした」
 みなもは小さく肩を竦める。
 コンパニオンとは言っても、みなもを含む歳若い彼女たちの主な業務は商品などの説明ではなく、ブースの案内や迷子の保護だと聞かされている。それだけでもこの人数。大規模なイベントなのだ。
 衣装を着け終えると、みなもはスタッフ証を首から下げた。それから最後に、おかしなところがないか鏡の前でくるりと回ってみる。
 体の線が出る、木目模様のレオタード。改めて全体を見ると、木を材料にして出来たお人形さんになったような気分でもある。
 この格好で一般のお客様の前に出る――それは晒し者になる、と同義かもしれない。
 けれど、これくらい目立つ格好なら、スタッフ証を見るまでもなく、一目で関係者だとわかるだろう。それこそ、迷子になった小さな子にも。
 少し恥ずかしいけれど仕方がないです。覚悟して、みなもは更衣室を出た。


           +++++++++++


 普段はドーム球場として使われている会場に、全国から集まった林業関連の企業や団体がブースを並べている。
 その規模にみなもは圧倒されていた。
 どのブースも設営を終え、あとは開場を待つばかりとなっている。活気と緊張感が漲っていて、みなもまで動悸がしてくるようだ。
「ええと、あたしたちの担当は東-DからFブロック、ですね」
 雰囲気に飲まれながらも、みなもは同じブロックに振り分けられた数人と一緒に、懸命に受け持ち区域の配置を頭に入れてゆく。
 開場すれば、通路が人で埋まるのだ。配置図を暗記するだけでなく、実際に見ておかなければ間に合わない。
 トイレはどこが近くて、迷子センターを兼ねる中央案内所へはどの通路を行けば良いか……憶えなければならないことはたくさんある。特に、どこにどんなブースがあるのかは、実際に覗き見しておくのが一番だ。
 みなもは片端からブースの中を見てゆくことにした。
 全国から集まってきているだけあって、ブースの内容は様々だ。
 美しい木目の板が並んでいるところ、木造住宅のパネルが並んでいるところ、変わったところでは『杉エキス入りアイスクリーム』などというのぼりが出ているところもある。
「杉の味、がするアイスクリームでしょうか……」
 呟きながら通り過ぎたみなもの目に、次に入ってきたのは、変わった雰囲気の木工細工のブースだ。そこには、球形や筒状のランプシェードがたくさん並べられている。明りが灯された瞬間を目撃して、みなもは目を丸くした。
「わあ……」
 シェードに美しい木目が浮かび上がる。漏れ出る光はなんとも暖かい色をしていて、これが自分の部屋にあったらどんなに素敵だろうと思ってしまうほど。
「薄く削いだ木の板を、特殊な技法でたわめたり重ねたりして作っているんですよ。だから、光で木目が透けて見えるんです」
 ブースの中から、作務衣(さむえ)姿の男性が声をかけてきた。製作実演と販売をするブースのようだ。
「とっても、綺麗ですね」
 みなもは、ちらりと値札を見た。もうすぐ母の日。母の寝室のランプシェードが、少し傷んできていたのを思い出したのだ。一つ、今日のバイト代で買えるといいな――しかし、想像よりも桁が一つ大きな額がそこには記されていた。掌に乗るような小さなランプでさえ、手が届きそうにない。
「あ。……、」
 高い、と呟きを漏らしかけて、みなもは慌てて口をつぐんだ。失礼に当たるのではないかと気付いたのだ。
「高いですか」
 それでも、みなもの表情から職人の男性は察してしまったらしい。
「すみません、あの、とても素敵なのに、あたしには買えそうになくって、とても残念だと思ったんです」
「国産の木材を使って、国内の職人が手作りすると、外国製のものよりもどうしてもコストがかかってしまうんですよ」
 恐縮するみなもに、男性は優しく笑みを向けた。
「これは、うちの地方に伝わる伝統技法なんです。お嬢さんのような若い方に欲しいと思っていただけて嬉しい。今日は一日、よろしくお願いしますね」
「こっ、こちらこそっ」
 深々と礼をして、みなもはブースを去った。
 その時、ピピ、と耳元のインカムから、受信を知らせる電子音。
『まもなく一般のお客様の入場が開始されます』
 忙しい一日の始まりだった。


           +++++++++++


 予想以上の人出に、現場はおおわらわ。交代でとることになっているスタッフたちの休憩時間もずれにずれた。
 中央案内所は広くスペースが取られていて、休憩所としても使用されている。今朝更衣室で一緒だった少女と机を挟んで向かい合い、みなもは昼食と言うにはやや遅い食事を摂っていた。
「疲れたぁ〜」
「そう、ですね。お客さん、たくさんで」
 おにぎりを齧りながら言った少女に、みなもも卵焼きをつつきながら頷く。スタッフの昼食は、林業フェスティバルらしく木の皮で包まれたおにぎりセットだ。素朴な味で中々美味しいお弁当を食べ終え、備え付けのポットで二人分のお茶を汲み足してきたみなもの前に、こつん、と紙製のカップが置かれた。
 エコプラスチックのスプーンが添えられたそれは、カップ入りのアイスクリームで、蓋には『杉エキス入りアイスクリーム』の文字。
「あの、これ?」
「お仕事仲間と一緒に食べなさいって、もらったの。置いといたら溶けちゃうだけだし、遠慮しないでね」
 きょとんとしたみなもに、少女が言った。ありがたく頂くことにしたみなもは、一口食べてその味に目を輝かせた。
「とても、美味しいです。でも、杉の味……?は、しないんですね」
「まあ、杉エキスったってあんまり味はしないみたいだね」
 普通の、バニラ味のアイスクリームであることに首をかしげると、少女が笑った。
「杉エキス、美味しいから入れているわけじゃないんですね」
 では何でわざわざ入れるのだろう、とみなもはまた首を傾げる。
「毒をもって毒を制すって言うの? 杉のエキスの摂取で、花粉症の症状が緩和されカモっていう説があるんだってさ。近頃アレでしょ、木材が不振だってんで、山から木を切って売っても伐採と運送の費用で赤字になっちゃうとこも多いのよ。それで、ほっとくでしょ、そしたら杉花粉が増えちゃって、花粉症の人が増えたって言われんのよね。で、せめて林業関係者から何か役立つ商品を売り出せないかってことで食品の開発にも着手してる林業家が――――」
 立て板に水、とばかりにするすると説明されて、みなもは目を丸くし、素直に賞賛した。
「すごいです。詳しいんですね」
「うーん、いや、まあね」
 褒められて、少女は何故か、怒ったような、気まずいような顔をしている。
「……実は、うちの兄さんの受け売り。このアイス出品してんの、私の実家なの。偶然だけどね。林業フェスティバルって言うからまさかとは思ったんだけど、来てるとは思わなかった。さっきこのへんでバッタリ会っちゃってさあ。気まずかったー」
 アイスクリームを一口食べて、少女は溜息をついた。
「うちの両親、私が物心ついた時から、もう山やってんのキツそうでさ。林業なんて私は絶対に継がないって思って、高校卒業するなり東京に出てきちゃったんだけど。兄さんは大学卒業した後家に戻って、がんばってるんだよね……」
 色々と思うところがあるらしく、少女は口を噤み、もくもくとアイスクリームを食べ始めた。
「お二人とも、申し訳ないですがもう出てくれますか? 休憩時間が短くなる分、時給出るそうなんで!」
 二人ともが食べ終わる頃、コンパニオンを管理するスタッフから声がかかる。午後になっても、人出はまだまだ引かないらしい。
「アイス、ご馳走様でした。それに、お話、ありがとうございました。勉強になりました!」
 別エリア担当である少女と別れ際、みなもはぺこりと礼をした。大したことない、というように、少女は苦笑しながら手を振った。
 その後姿を見送りながら、みなもは朝集まった時に、主催者の代表からされた話を思い出す。
 後継者不足などから、苦しい状況にある日本の林業。しかし最近は国産のものへの価値が見直されていて、木材もまたしかり。杉や檜などの国産材の品質が注目されているという。間伐材を利用した国産の木造一戸建てや、輸入品とは違った価値観の木材を流通させることで、日本の林業は少しずつ盛り返している、という。
 この林業フェスティバルを通して、一人でも多くの人たちにもそれ知って欲しい。
 主催者代表の話はそう締めくくられた。
 イベントの主旨は、きっと訪れた皆に伝わっているだろう。みなも自身も、今日それを知った一人だ。
 伝統的な木工細工をする職人さん、新しい道を模索する林業従事者。
 このイベントの成功に、微力ながらも尽くしたい。心から、みなもはそう思った。
 担当ブロックに戻る途中、ピ、とインカムの受信音が鳴る。
『迷子が多発中です。各自、特に注意して、小さな子が一人で居たらできるだけ声をかけてください』
「了解です」
 マイクに向かって答え、木目模様の胸の前、みなもは掌を握った。


                            END









<ライターより>
お久しぶりです。ご依頼ありがとうございました。いつもお世話になっております!
林業林業……と知恵を絞ってはみたのですが、やはり難しいテーマですね; 色々と考えさせられました。杉エキスについてはライターの創作で、実際には存在しません。
せめて、状況に弄ばれつつも全力!のみなもさんを全力で描かせて頂いたのですが、如何でしたでしょうか。
暑くなったと思ったら不意に肌寒かったり、気温の変化が激しい季節ですので、どうぞご自愛ください。
では、またご縁がありましたらよろしくお願いします。