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<東京怪談ノベル(シングル)>


         変化譚 〜永劫と刹那の狭間〜


 ――それは、永劫にも刹那にも感じられる瞬間だった。


 骨が、奇妙に曲がっていくのがわかる。
 親指を除いた4本の指がググッと伸び広がっていき、皮膚を破り、骨が爪のように突出する。
 それぞれの指は下方に向ってとてつもない長さまで伸びていき、親指と人差し指には鋭いカギヅメできた。
 メキメキと骨の軋む音が聞こえる気がする。
 自分の指先が、鋭い痛みと共に元の形状を失っていく。
あるいは、あるべき姿に戻ろうとしているようにも思えた。
 耐え切れぬほどの痛みが一瞬、身体を通り過ぎると、それは嘘のようにかき消えていった。
 いや、実際には麻酔などのように感覚が遮断されたわけではない。
 痛みは依然あったのだが、それと同じくらい……もしくはそれ以上の心地よさが、みなもを助けたのだ。
 恐怖はなかった。
 意識が混濁し、あらゆる精神的苦痛から逃れることができたようだった。
 自分自身に何が起こっているのか、どうしてこんなことになっているのか、そんなことはもう、どうでもよかった。
 みなもは目を伏せ、ぼんやりとしたまま、激痛と快楽との波に身を任せた。
 指先の骨が伸びきると、今度は腕の骨が萎縮し、向きを変える。
 すべすべした皮膚は今や、骨と骨の間をおおう、黒褐色の皮膜へと変化していた。
 太陽に透かせば血液の流れさえ見通せるような、薄い翼。
 細く伸びた人の手も、腕も形をなくし。
 肩から先には大きく開いたコウモリの翼が生えているのだ。
 骨の変化してゆく痛みが緩み、息をつくが、まだ終わっていないことをみなもは知っていた。
 プツプツと、鳥肌が立つような感覚があった。
 針を刺されているようでもあり、毛穴の1つ1つが、内側からくすぐられるようでもあった。
 胸元をおおうように、下腹部をおおうように。
 暗褐色のふかふかした毛が伸びていく。
 首周りは、黄色っぽい毛が輪を描いている。
 この特徴はクビワオオコウモリに見られるもの……つまり、みなもはすでに、自分が何になろうとしているのかを理解していた。
 しかし逆に自分が何であったのか、その意識がどこか薄れかけていることにはまだ、気づかずにいた。
 次に変化を始めたのは、足だった。
 ゴキン、と音を立て、膝の関節が外れる。
 その鋭利な痛みとそれに対抗し打ち消そうとする快楽に酔っている暇はなかった。
 自分を支えきれずよろめく身体を、変化したばかりの翼によって立て直さなくてはならなかったから。
 バサバサと音を立てて両の腕を振ると、翼は空気を捕らえる。
 飛び立つと、それを待ち構えていたかのように、両足が膝からぐるりと回転した。
 前と後ろが逆になった足はただでさえ異様なものだったが、それが見る見るうちに、しおれるように小さくなっていく。
 ギュウッと足先の縮んでいく感覚は、形容しがたい奇怪なものだった。
 カギヅメのついた足の指は丸まったような形状をしていて、他の鳥の持つ足とは様相が違う。
 コウモリの足は、歩くようにはできていないのだ。
 身体を支えることさえできない。
 その代わり、しっかりと木の枝をつかみ、ぶらさがれるようになっている。
 足裏が正面を向いているのも、逆さになった状態のまま飛び立ちやすくするためだ。
 小さなコウモリに多い尾や足の間に張られる尾膜を、この種はもたない。
 しかし両腕から伸びた皮膜は縮んだ足先まで広がり、折りたためば身体全体をおおえる、マントのようだった。
 頭部においては、さして変化は見られなかった。
 愛らしい少女の顔も、青く長い髪もそのままだ。
 ただ超音波を使うコウモリに比べるとずっと小さな耳が、人の耳の代わりについている。
 そして口を閉じていてはわからないが、歯もまた鋭くなっていた。
 それは敵を襲うためのものではなく、主食となる果実に噛みつくためのものだ。
 変化を遂げる頃には、身を裂くような痛みはなくなり、甘みをもった心地よさもまた、息を潜めていた。
 モヤがかかったように鈍くなっていた意識が、徐々に鮮明になるのを感じる。
 みなもの頭を、数多の映像が怒涛のように流れ、かすめていった。
 それは、記憶の断片だった。
 大きな翼を広げて天上を飛び回っていたこと。
 鋭いカギヅメで果実を抱え、その甘い汁に舌鼓をうったこと。
 こんなこともあった、あんなこともあった、と。
 記憶を呼び起こしては、その心を震わせるのだった。
 自分がコウモリの姿になったことに、疑問などあるはずはない。

 ――そうだ。あたしは元々、コウモリだった。
 ――ずっと前から……この空を知っていた。

 今や飛び立つことに、躊躇などいらなかった。
 みなもは大きな翼を広げ、更なる高みと飛び上がっていく。
 

 その頃には、この永劫とも刹那とも思える瞬間など、彼女の頭には残ってはいないのだった。