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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


だから君はとても愛しい


 愛すべき小鳥は、風切り羽を切って、駕籠の中へ。

 例えば、通学路から見える向かいの大通りで大型トラックにはねられて命を落とした少女。「その時」に立ち会わなくてもいい。毎日「そこ」を通る度に、場所に染みついてしまった少女の魂が限りない恐怖の様を無限再生しているのを見ることが出来る。
 見開かれた目、歪んだ顔、直後、襤褸雑巾のように地面に叩きつけられる。千切れた四肢から、じわり、と染み出るように路面に血が溢れる。
 そのすべて、が生々しく壮の目に飛び込んでくる。
(ああ、またか…)
 学校からの帰路、信号に捕まってその一部始終を見ることになった壮は眉一つ動かさずにそれを完璧に「無視」した。いつものことだ。
『ねぇ、見えてるんでしょ?』
 地に横たわった少女の亡骸がぐらりとこちらを睨み付け、そう咎めるかの様に口をぱくぱくと動かすのも、ぼろぼろの手が助けを求めるようにこちらに伸ばされてくるのも、全て「無かったこと」にして通り過ぎる。いつものこと。
 普通の人間ならば、凄惨さに思わず目を背けてしまうかも知れない。普通の人間なら、ありえないモノを見たことに恐怖するのかも知れない。普通の人間なら、必死で訴えかける少女に何かしてやりたいと思うのかも知れない。
 しかし、そのうちのどの感情も、壮は持ち合わせていなかった。
 生まれつき見鬼の才を持って生まれた欠梛・壮(かんなぎ・そう)。だが、壮に与えられたのはまさしく「見る」才だけ。彼女に何かをしてやることは出来ないし、しようという気持ちも持たなかった。
 この感情の欠落は…幼い頃から異様な光景を目にし続けたせいなのか…それとも見鬼の才と引き替えに母の胎内に落としてきてしまったのかも知れない。
(ああ俺って、なんて中途半端な欠陥品なんだろう)
 壮はククッと喉を鳴らして笑う。自嘲ではない。本当に可笑しさを感じた故に出た笑いだった。
「どうしたんですか、壮?」
「ん、」
 ふと声を掛けられて、壮は視線を隣に向けた。そこには、ふんわりと柔らかい雰囲気を持った愛らしい少女が立っている。彼女は小首を傾げて壮を見上げていた。壮が急に可笑しそうに笑ったのを聞きとがめたらしい。
「なんでもないよ、佳以ちゃん」
 壮は慌てる様子も見せずに、笑顔でそう言い切る。佳以は不思議そうな顔をしながらも、そうですか?、と前を向いて信号待ちを再開した。壮はそんな佳以の横顔を愛おしそうに見つめていた。
 幼なじみの八唄・佳以(やうた・かい)。他人に不関心に過ぎる壮にとって唯一の、何にも代え難い少女。佳以は何故か出会ったときから「特別」で、包むように優しく柔らかく壮に接してくれた。壮の鈍い感情の起伏は彼女に関わる時だけ正常に…いや、それ以上に鮮やかに浮かび上がるのだった。
 「欠陥品」であるはずの自分に、こんなに鮮やかな感情を抱かせてくれる佳以が大好きで、大切でたまらなかった。
 それが「恋」なのか…それは壮にもよく判らない。だが、それを「恋」と名付けることで佳以の隣に一生寄り添っていられるのならば、それが正解なのだと壮は思っている。
 だが…佳以はそう思ってはいないようだった。
『佳以ちゃん、大好き、だよ』
 何度そう伝えても、佳以は嬉しそうな、でも少し困ったような顔をしてしまう。多分、無性に慕ってくる弟を見ているような、そんな気持ちなのだろう。
 佳以が恋愛ごとに疎く、あまり関心がないのは判っていた。だが、もし、いつか、佳以が自分以外の人に「恋」してしまったら…。

(…閉じこめて…しまうかも…)

 鎖で繋がれた佳以と、それを笑って見下ろしている自分をはっきりと想像して、壮は深く溜息を吐いて緩く首を振った。だが、その想像は脳裏にこびり付いてなかなか消えてくれなかった。
「溜息、珍しいですね。どうしたんですか?壮」
 なかなか青にならない信号をちらと見上げながら、佳以が訊ねた。
 「珍しい」…そうだろう、普段は溜息なんて吐かない。溜息を吐きたくなるほど他人に興味はない。だが、他人に不関心で有るが故に、唯一、壮の佳以への関心は病的なまでに強い。
 佳以を悲しませたくないのに、そんな想像が現実となる前にどうか自分から逃げてくれ、と言うことが出来ない。佳以が離れていってしまうのはどうあっても我慢ができない。
 こんな男に見初められた佳以は不幸なのだろう、とぼんやり思う。
 そして、また溜息。
「ごめん、佳以ちゃん」
「どうして謝るんです?」
「いや、我ながら酷い男だなあって自己嫌悪したから」
 佳以を拘束する妄想に取り憑かれて消すことのできない壮。自分の幸せの為に佳以を犠牲にしようという壮。自分ながら唾棄したくなる。
 だけど、そんなドロドロと黒く煮詰まる壮の腹の底を知らず、佳以は澄んだ瞳で壮を見上げた。
「??壮は、酷くなんて無いと思いますよ」
 何の衒いもなく言う佳以。
 そんな純粋で優しい佳以が愛おしい。ずっと、ずっと、自分の隣にいて欲しい。…誰にも触れさせたくない!渡したくない…!
「佳以ちゃん…」
「なんですか、壮?」
「好きだよ、好きなんだよ。この先、俺がどれだけ佳以ちゃんに酷いことをしたとしても、俺が佳以ちゃんを好きだということは絶対に変わらないから。それだけは覚えていてね」
 壮ははにかむような眩しい笑みで、佳以の手をそっと握る。佳以は肯定するでもなく否定するでもない優しい表情を浮かべて、そんな壮の手を柔らかく握りかえしてきてくれた。
「壮は、そんなことしませんよ」
「そうだね…」
 そうであればいい、と壮は顎を上げて深く祈る。
「そうですよ」
 佳以はふわりと柔らかく微笑んで壮を見上げると、漸く青に変わった信号を見つけて繋いだ手を大きく振り歩き出した。まるで幼い子供のように。
 そう、いつまでも子供であればいいのに。これ以上近くに、とは願わない。今と同じ距離を保っていられればいいのに。
 でも時は残酷に過ぎ去る。壮は骨張った「男」に、佳以は柔らかな「女」に。そうすれば、いつかこの距離は変わってしまう。
 「いつか」なんて来なければいい。
「壮?」
 繋いだ手がくんと引かれて、佳以は振り返った。壮は信号を渡り終えたところで立ちつくしていた。壮はいつもの表情をしていたと思う。抑揚のない、いつもの笑顔。
 だけど、佳以は「仕方ないですね」というように苦笑して壮の隣に並ぶと、もう一度しっかりと手を握ってきた。
 その手の柔らかさと暖かさに、並んだ靴先に、何よりも暖かく包んでくれるような視線に、壮は腹の底に溜まっていた黒い渦がすぅと消え、代わりにふわりと暖かいものが満ちるのを感じた。
「一緒に行きましょう」
 ああ、これだ。これだから、佳以は愛しいのだ。
 壮はうれしさの剰り、くしゃりと破顔した。いつもの穏やかな微笑みではない。本当に、本当に嬉しくて、そんなものでは間に合わなくて。
 そうだ「いつか」のことなんて忘れよう。
 今、佳以は壮の隣にいる。その距離が変わらないうちは、佳以を傷つけるようなことはないのだから。
 壮は泣きそうな笑顔のまま、佳以の手をぎゅっと握りしめた。
「壮、ちょっとだけ痛いですよ」
「うん、うん、ごめん…」
 戯れのようにそう言葉を交わして、二人は一緒に一歩を踏み出した。

 今は、一瞬でも長くこの至福の時が続くことを…。

<了>