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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


BRILLIANT TIME 〜second move〜

────総ては、私という時間を取り戻す為に。

【 03 : Twin 】

 墓参りを終え、店に戻った碧摩蓮はカウンターに凭れ掛かり資料を読んでいた。
 留守番を任せた嵯峨野ユキは帰宅してみれば不在。先刻見つけた置手紙によると、これは最近起きている婦女連続殺害事件の資料で、解決するための糸口を月刊アトラス編集長・碇麗香が求めに来たということだった。事件に興味をもったユキは店を訪れた何人かの人物に調査を依頼し、自身もまたそれについて出かけたらしい。
 妙な好奇心を働かせるもんだ、と嘆息するが、言って聞くような素直な人形ではない。蓮は資料をカウンターの上に戻す。人を老化させる刃物の存在、記憶を辿ってみるが生憎そんな品物を扱った覚えは無かった。調べてみれば何かわかるかもしれないが……。
 そう、蓮が思案を巡らそうとした時。
 キイ、と密やかに扉の押し開かれる音が、薄暗い店内に侵入り込んだ。
 古い板張りの床は足音を嫌が応にも静けさに刻む。ヒールの立てるコツコツという音は迷い無く進み、やがて、カウンターの前で待つ蓮の前へとその姿を現した。
「あんたは」
 灰明かりに浮かび上がった黒い影に、蓮は言葉を失った。見覚えのある女学生服に肩の上で切り揃えられた艶やかな黒髪、円みを帯びた頬だけが淡雪色の黒一色の少女。
 蓮は瞠目する、唇が無意識の内にその名を呼んだ。
「鳥辺……深夜子?」
 深夜子は能面のような虚無の表情を貼り付けたまま、一歩蓮との間合いを詰める。背後をカウンターに遮られた蓮は動けず、凝っと彼女を見つめざるを得ない状況に──だったから、はっと気がついた。
「その目、まさか」
 その瞬間。
 深夜子が目にも止まらぬ早業で、背後に隠していた手を突き出した。正確にはその手に握っていた黒く細長い何かを、蓮の下腹部へと叩き込んだ。
 う、と呻き声を上げる暇も無く蓮の視界は白く発光して掻き消える。ぐらり、と重心が傾き膝の力が抜け──気を失い倒れ込む蓮の身体を、深夜子は無表情のまま抱きとめた。

 ────その様子を、“本物の”深夜子は満足そうに眺めていた。

「お見事、ですよ?」
 棚の影から歩み出て、失神した蓮を抱える深夜子──ミヨコに労いの言葉をかける。ミヨコは常の無表情を柔和な微笑へと、つまり深夜子を真似たものへと変化させ、
「“主様”のお望みのままに、ですよ」
 にこり、と小首を傾げた表情や仕種や声、そして顔や身体の造形何もかも、ミヨコの全てが深夜子の複写だ。唯一の違いは瞳の色だけ。漆黒の双眸をもつオリジナルたる自身とは異なり、ミヨコはその存在の証たる美しい金色の瞳を有する。硝子玉の様に澄んだ、人とは異なる黄玉の瞳。
 蓮は、倒れる直前にそれに気づいたようだった。嵯峨野征史朗の遺作を手許に置いているのだから、その特徴、心得ていても不思議は無いだろう。
「運びなさい」
 命令に、ミヨコは再び表情を消し、外に待たせた車へと蓮の身体を担いでいく。
 深夜子はそれを見送り、床に散乱した紙を拾い上げた。一読して、それが連続殺人事件の資料であると察する。
 自然、笑みが満面に咲いた。酷薄で怒りに満ちた、醜い笑みだった。
「15年前の再戦、ですよ? 征史朗、さん?」
 ────死人に口無し。二度とおまえなどに蔑まれてなんかやらない。


【 04 : Tactics 】

 霞がかったような視界に暫し茫洋としていた。
 自分が瞼を開いたと気づいたのは少し経ってからで、背中や腰に感じる硬さに寝かされていたことを知る。
 ああそうか、私は息が苦しくなって、倒れて……。混濁していた直前の記憶が甦り、ユキはゆっくりと上体を起こした。
 そして頭の片隅に引っかかりを覚える。そういえば去年の今頃も──花が咲き始めるこの時期に、こんな不意の不調に襲われたような気がして。

「お目覚めはいかが?」
 そんな挨拶を投げ掛けられ、起き抜けのユキは目を瞠った。
 首を廻らせば、脚と腕を組み椅子に腰掛けている女性──嘉神しえるが、こちらを真っ直ぐに見つめている。その詰問するかの鋭い眼差しの中に一抹の翳りが見えてしまって、自分は漸く一切を思い出した。
「貴女が、運んできてくださったのですか?」
「私ともう一人、梶浦クンだったかしら? タクシーに乗せてね、一仕事だったわ。……状況は、覚えているみたいね」
 ベッド代わりだったテーブルから爪先で降り立ち、カウンター横のアンティークではない時計に目を遣る。外光が届かない店の奥なので判りにくいが、今は翌日の早朝、つまり一晩自分は眠り続けていたらしい。
 そして彼女が、ここにこうしているということは。
「睡眠不足は女性の天敵では?」
「そう思うなら、もっと早く目を覚ましなさいな。世話の焼けること」
 コツン、と拳の先で額を小突かれたのを甘んじて受ける。すいません、素直に呟いたら、彼女が少し笑った。
「反省してるユキなんて珍しいわね。イヤだわ、倒れた時に頭でも打ったのかしら」
「それは大変です。私の身体に傷がつくだなんて主様に申し訳が立ちませんよ。予測出来ていたかもしれないのに、ああ、受身の練習をしておくべきで」
「ちょっと待って」
 いつもの口上を遮られて、きょとんと小首を傾げる。何か?
「“予測出来ていたかもしれない”?」
 そう言ってしえるが不審そうに柳眉を寄せた時、玄関の扉が開く音がした。
「お邪魔するよ。蓮さんはいる?」



 昨夜電話をかけた理由は自分でも上手く説明できない。強いて言うなれば虫の報せか。
 ともかくも、自分が漠然と抱いていた予感は的中したらしく、一夜明けてもそれは解決に至っていない──ということを、『レン』を訪れた蓮巳零樹は知らされた。
「厭な感じがするね」
 薊の髪を撫でながら、零樹は切れ長の瞳を細める。
「ここ、曲りなりにも骨董品店だよね? いくらなんでも、蓮さんが鍵を忘れて外出ってことは無いんじゃないかな」
「昨夜もそういう話になったの。それに、貴方の言うように店に戻ってきたのが確かなら、後で帰ってくるはずのユキに一言も残さず出かけたってことでしょ?」
「それくらい急ぎの用だったってこと? それにしたって、ねえ」
 違和感を共有した零樹としえるとが頷き合う。明言こそしなかったが、“失踪”──そんな言葉が、二人のみならず傍聴していたユキの脳裏にも自然浮かんできたのだろう。
「あの、蓮巳さん。主様の墓参りにご一緒されたのですよね」
「主様? ああそうか、君が。……薊、彼が嵯峨野氏の遺作のユキくん、みたいだよ」
 懐中の薊にそう話しかければ、当のユキはいささか驚いた表情。そういえば、蓮の行方を優先して彼からの自己紹介を受けていなかったと思い出し、昨日の墓地での遣り取りを説明した。
 偶然蓮と出会ったこと、ヒトガタの説明を受けたこと、そして鳥辺深夜子のこと。──そう、あの少女。黒い女学生服を纏い、同じ色の日傘を傾けて微笑んで、嵯峨野征史朗の遠い親戚だと名乗った彼女。
「ユキくんは心当たりある?」
 ユキは一頻り思案の表情を見せたが、記憶の投網に何も引っかからなかったのか、首をふるると横に振る。まあ蓮も初対面であったようだし、その返答も致し方なかろう。
 と自分はは納得したのだが、神妙な顔つきで項垂れたユキのほうはそうはいかなかったらしい。
「主様のことで未知があるだなんて、口惜しいですね。……思えば、私はさほど嵯峨野のことを知らない。主様が私を創られたことだけわかっていれば充分と、禄に調べたことがありませんでしたから」
 落ち込んだのか拗ねたのか、顔を上げないユキをしえるが気遣わしげに覗き込む。
「まだ、具合が悪いの?」
 聞けば、彼は昨晩倒れたのだという。
「ふうん、せっかく会えたっていうのに体調が思わしくないなんて残念だね。キミがいっそ普通の人形なら、僕にも治せたのかもしれないけど」
 試しに見てあげようか? と悪戯っぽい微笑を浮かべると、漸く彼が苦笑で返してきた。
「貴方のお手を煩わせるまでもありません。……いけませんね、今は私の不手際よりも、蓮さんのことです」
「そうかもね。蓮さんと嵯峨野氏とあの娘のこと、もしかしたら蓮さんの不在と関係が無いかもしれないけど、可能性としては同じだけ」
「関係があるかもしれない?」
「そういうこと。解らないよりは解るほうが断然面白いし、誰か、情報収集に長けた人に頼めればいいんだけど」
 その時、カウンターの電話が答える様に鳴った。



「そうですか、目を覚まされましたか。それは良かった」
 車中にて携帯電話を耳にあて、知らされた情報にセレスティ・カーニンガムは相好を崩した。
 昨晩、零樹からの電話で蓮の不在が浮き彫りにされた後、自分は連れて来た青年二人を車で送った。時刻が遅くなっていたこともあるが、自身屋敷に戻って調べてみたいことがあったので、そのついでだった。
 意識を失ったままのユキは、しえるが帰らずに看ていると言ったので任せておいたが、今電話口に出ている彼はすっかり元気そうで、ひとまず胸を撫で下ろす。
『貴方に不安を与えてしまうだなんて、いけませんね。自身の罪深さに慄いてしまいます』
「ふふ、それだけ言えれば充分ですね。しかし一応、医者にでも診察してもらえば原因もわかって良いのですけれど……ああ、君は人形ですから、診せるならばさてどういった方が適任でしょうか」
『難しいところですね。ヒトガタは人形ですが人に近く、しかし人ではありません。治療も修繕も適当ではないのです。強いて言えばヒトガタ師が診るのが最善でしょうが、生憎現在は絶えています』
「それは不便ですね、いえ、君に大事無いのでしたら構いませんが」
『ご心配痛み入ります。そのお優しいお気持ち、一生忘れませんよ。ああ勿論貴方にも、主様の最高傑作たる私のことを一生心に留めていただきたく存じますが』
 無造作に降り積もる媚の数々を笑顔で流し、ところで、とさっくり話題を変える。蓮さんの行方について、何かわかりましたか?
 すると、その件に関して、と選手を交代された。
『もしもし、僕は蓮巳零樹。早速だけど、頼まれてくれるかな』
 電話に出た青年の簡潔な自己紹介に覚えがあった。昨晩『レン』に連絡してきた人物だ。
「引き受ける如何は用件にもよりますが、何でしょうか」
『鳥辺深夜子っていう娘について調べてもらいたいんだ。僕よりもキミの方が、適役だと思うんだけど』
 昨日の墓参り同道したというその少女について、零樹は要点をかいつまんで説明した。
『そういえば、彼女は嵯峨野氏がヒトガタ師であったことに対して、“報い”って言ってた気がする。意味は解らない、けど、墓参りに来るにしてはあまり良い心象を表さない言葉だと思わない?』
「ご尤も。征史朗さんが何か悪行を働いていた、という前提が彼女の中にあるように思えますね。そしてその日の内に蓮さんが消えた。偶然でしょうか?」
『疑うよね?』
「同感です」
 承りましょう、と協力を約して電話を切った。すぐに部下へと指示を出し、ふうと一息ついたところで、“彼”の横顔が脳裏を過ぎる。
 嵯峨野征史朗。この世で最も美しいヒトガタを作り上げることを願っていた夢の男。彼に“縁”があるという娘は、彼が報いを受けたのだと言ったのか。
 報い、ヒトガタ師の? ヒトガタを作ることの、“報い”?
「さて……貴方の願っていたことは悪行、だったのでしょうか?」
 夢の世界へと問いかけた声は、中空に霧散した。



 ふあ、と思わず漏れて、咄嗟に噛み殺した欠伸をユキに見られたらしい。
 セレスティからの電話を零樹に渡したユキは、耳朶に唇を寄せる様にして囁く。少し眠りますか?
「奥にソファがあります。そちらで宜しければ」
「そうねえ……うーん、さすがに徹夜は堪えたかしら。そうさせてもらおうかしらね」
 一度屋敷に戻ると席を立ったセレスティと、それに連れられた青年二人がいなくなった後、しえるは眠れるユキの傍らで夜を明かした。途中何度か仮眠を取ったものの、浅い眠りでは休息にほど遠く、眠気と疲労は隠しようがない。
 零樹がセレスティと話している間に、しえるはユキに奥の小部屋へと案内された。倉庫兼仮眠室なのだというそこは店内と同じくアンティーク類が溢れており、それらに埋もれる様にして、革張りのソファが飴色の明かりに照らされていた。
 しえるは促されるまま腰掛けて、先ほどから気になっていたことを切り出した。
「ねえ貴方、さっき、予測出来たって言ってたわよね?」
「はい? ああ、ええと私が倒れたことですね」
「そう。ああなることを解っていたの?」
 問い質すと、実は去年の今頃も、そういえばその前も同じ時期に、こんな風に前後不覚に陥ったことがあったのだと彼は言う。
「あの時は店の中ででしたから、蓮さんに驚かれましたね。けれどもすぐに意識を取り戻して……そう、一晩中眠っていたのは今回が初めてのことです」
 ユキは事も無げに語るが、しえるは妙に引っかかりを覚える。昨年と一昨年の同じ時期、この季節、共通するのは────まさか。
「もしかして……例えが悪いけれど、電池切れ?」
「電池、ですか?」
 昨日蓮は征史朗の墓参りに行った。それは彼の命日だったからで、即ち、ユキの生まれた日だと言い変えることも出来る。ならばユキは毎年、自分の誕生日、もしくはそれに近い日に倒れていることになる。
 そして、そんな規則的に倒れる彼が気にかかった今回の事件。規則的に同じ数の女性の命が奪われる、事件。
 しえるの背筋が、ぞくりと波打った。
「ねえユキ、ヒトガタは何故動いているの?」
「それは、生きているからですよ」
「じゃあその、命の源は何?」
 人形に比すれば人に近いというヒトガタ、だがその本質は人形。元々命のないものが、半永久的に生きるために、何の代償も払わなくてよいというのだろうか。ヒトガタの命には実は限りがあり、その動力源がもし途切れかけているのだとしたら? ユキが、自身を永らえさせる手段を知らないままでいるのだとしたら?
 聡き思考は、深き淵へと螺旋を描いて下降していく様。急きたてられるように言葉を重ねると、
「大丈夫ですよ」
 不意に、彼の顔が近づいた。乏しい明かりの中、それでも透き通る様に美しい紫水晶の瞳がしえるの双眸を覗き込んでいる。
「大丈夫、私はそう簡単に壊れたりはしません。譲れぬ願いがあるのですから、それを果たすまでは決して、消えたりなんてしませんよ」
 尊大で不遜な、雄雄しい微笑が穏やかに言葉を紡ぐ。常の彼よりずっと、いっそ別の誰かの────……え?
「それに、しえるさんの仰る通りなのだとしたら、既に蓮さんが教えてくれているはずです。ヒトガタについては商う蓮さんのほうが詳しいですからね、私も蓮さんからご教授願ったことが多々あります。その蓮さんが今まで何も言わなかったのですから、大したことではないでしょう」
 す、と呆気なく身を引いて、饒舌に語るユキの姿はいつものもので、取り残された形のしえるは暫し呆然としていた。
 何だったのだろう、今のは。ぱちぱちと瞬きをし、彼がこちらを不思議そうに見ていることに気づいてはっとする。
「え、ええ。そうね、わかったわ。それじゃあもう、心配なんてかけるんじゃなくてよ? 私、見ての通りか弱いもの」
「そんなそんな、巴御前の様な方がご謙遜を」
「あらぁ〜、それってどういう意味?」
「麗しい方、という意味ですが?」
 いつもの様な遣り取りに何となく安堵する。それでは、と出て行こうとしたユキを、ふと思いついて引き止めた。
「これ、貸してあげる。持っていて頂戴」
 バッグから取り出したのは、黄玉の鈴。受け取ったユキは一瞬怪訝な表情をし、こちらと鈴をと見比べる。何か言おうと口を開きかけたところに、
「お守りよ」
 にっこり笑顔で断言して、それ以上の言葉を呑み込ませた。



 電話を終えると、ユキが奥の部屋から戻って来たところだった。ほぼ徹夜だったというしえるを休ませてきたとのことで、ふうん、と相槌を打ちながらカウンター横の棚に視線を遣る。
「さすがに、骨董品店の看板を出してるだけはあるんじゃないかな。和洋問わずに、永く生きて来た子たちがたくさんいるね」
 陳列棚に居並んでいるのは、青や黒の目をした人形たちだ。果たしてこれは商品か蒐集なのかが判然としないほどの雑多さだが、零樹にとっては好都合だ。
 目撃者が、たくさんいてくれたのだから。
「ねぇ、この中に何か知っている子がいるなら、意地悪しないで教えてくれない?」
 薊を抱えたまま人形たちへと呼びかける。傍らに歩み寄ってきたユキの不思議そうな視線と目が合い、ふふ、と切れ長の瞳を艶に細める。
「君みたいにお喋りな人形なら、僕じゃなくてもお話しできるんだけどね。恥ずかしがりやで、僕にしか囁いてくれない子たちもいるのさ」
「つまり、物言わぬ私の同胞に語りかけていらっしゃると」
「蓮さんは確かにここへ帰ってきた。僕も中に入れてもらったし、それは確実。だから何かあったとしたら、ここ」
 草履の爪先で、床板をトンと鳴らす。
「この店の中だと考えるのが自然だと思うな」

 ────……見た。
 ────……見たよ。

 囀りのようなかそけき声に耳を留める。しぃ、と人指し指を唇に立てると、ユキが両手で自分の口を塞いだ。
 おやおや存外素直な人形じゃないか。

 ────……黒い服の。
 ────……女の子が、二人。
 ────……同じ顔、同じ服、けれども。
 ────……瞳が違う、片方は人の目。
 ────……もう一人は、ツクリモノの目。

 ツクリモノの目? 引っかかり、視線を横に流せばユキの紫水晶の瞳に行き当たる。
 人にとても似ている人形が持つ、明らかに人ならざる透明な瞳。美しさのみを光と集めたかの純粋さに──不意に深夜子の言葉を、微かな苛立ちと共に思い出す。
 どんなにヒトに近くても、ヒトには敵わないただのモノ、それがヒトガタ。人の身代わりでしかない、モノ。

 ────……その坊やと同じ目。
 ────……色違いの、硝子の目だ。
 ────……黒い、市松人形の様な髪。
 ────……人形と人間の、女の子。

 ふう、と零樹は大きく息を吐いた。そして、ぷはっと手の戒めを解いたユキに肩を竦めて見せて。
「調べてもらって正解だったかも」
「鳥辺深夜子さん、のことですか?」
「薊もあの女の子のことが気になってたみたいだし──うん。僕ももう少し、深入りさせてもらうとしようか」



「ウーン、俺あんま難しいことはわかんねェっつか何したらいいのかわかんねェんで、とりあえずグラビア雑誌でも見ててイイッスか?」
「却下」
 あまりにもあっさり的確に返されて、江口藍蔵はがっくり肩を落とした。いや、素直に胸の内を述べようものなら彼──花鳶梅丸に叱責されることは目に見えていたのだが、そう発言する以外に何をどうすればいいのか実際さっぱり判らなかったのだから、その辺り是非察してほしい。
 なんてことを考えながら歩く二人連れの目的地は、昨晩辞したばかりの『レン』である。一晩明けて翌日の今日、改めての出陣だ。
「とは言っても、何で僕が江口なんかと一緒に……」
 そんな文句にじろりと横目で、しかも虫でも見る様な苦々しい視線を食らっては黙っていられない。ぶーぶー、と藍蔵は下唇を突き出す。
「なんかってひどいッスよぉ! 大事な後輩っしょぉ? それにほら、梅ちゃん先輩だって干柿の調査引き受けたじゃないッスかぁ!」
「僕はそもそも行くつもりだった。倒れたままのユキくんのことも心配だしな」
 ユキ。その名前を聞いて藍蔵の頬がひくりと引き攣る。
 自分に長々とよく解らない説教を垂れたあの生っちろい男、人間じゃなくて人形だとか言ってた激ナルシー。確かに顔が綺麗なことは認めるが、ていうか男相手に綺麗とかマジ勘弁なんスけどー、という注釈付だが百歩譲ってそこは理解できる、が、しかし!
「や、俺、正直あいつ苦手ッスけど……ほら、顎触られたし、トラウマっつーか、ねえ、アレッスよ」
「アレも何も、要は嫌だったんだろう」
「ま、その、えー、だからそうなんスけどぉ、でも倒れたんだし、い、一応、心配ぐらいはしてやらんこともないかなー……なんつて」
 ツンツン、と人差し指同士を突き合う、我ながら歯切れが悪い。
 だからこういう時こそ空気を読んでくれというのに、かわいこちゃんいモテないぞっ。

 『レン』の扉を開けると、既に起きていたユキと、人形を抱えた見知らぬ青年に迎えられた。ユキを介して紹介されて、その青年が昨晩電話をかけてきた人物だと梅丸は知った。
 それならば、と情報交換を持ちかけたところで、ユキが自分と藍蔵の背後──つまり店の玄関のほうへと声を放り投げる。
「先ほどからずっと、いらっしゃるのでしょう? 貴方も加わってくださると話が進むと思いますが?」
 誰に、と振り向いた薄暗がりの中から、滲み出る様にその男は姿を表した。呆気に取られる自分と藍蔵の目の前で、すっかり人の姿を表した彼は、居心地の悪そうな顔でわしわしと頭を掻き混ぜる。
「てゆーかさぁ、蓮さん? いなくなったまんまじゃん? このまま俺関わってたら、ちょーっと痛い目とか、怖い目とか? 見たりする? するんじゃね?」
「もう、今更怖気づかないでくださいよ梶浦さん。協力してくれると一度仰った以上、途中下車不許可ですからね」
「え、ちょっとそれどんな俺様ルール?」
 のらりくらりとユキと会話のキャッチボール(互いに悪送球)をするこの男に、見覚えがあった。昨晩店にいた内の一人、確か名は梶浦濱路。
 見た目、梅丸の働く店に客として来てもおかしくないような、未だ少年の幼さを残す風貌だ。しかし彼が何故虚空から現れたのか、え、それは訊くべきところなのか? 質しておいたほうがいいのか? それとも既出の事実として受け止め、何事もなかったかのように紳士の振る舞いをするのが良識ある一般成人男性として正しい行いなのだろうか。
「先輩っ、梅ちゃん先輩っ」
 そこで急に、藍蔵に脇腹を突かれた。ちらと横目で窺えば、彼は何時になく険しい顔つきをしていた。
「ド、ドッキリ?」
 ────そうきたかー。

 ともかくも、と円卓を囲んで一堂腰を下ろし、昨日得た情報、遭遇した出来事などを互いに話し合い、共有した。
「とりあえず、蓮さんは何らかの事件に巻き込まれたと思って良いだろうな」
 梅丸の発言に、零樹は髪の先を弄びながら付け足す。
「事件、というか誘拐かもね。あの子たちはそう言ってる」
「あの子たち?」
 問いに、零樹は微笑しか返さない。──や、やりにくい。藍蔵とは違った意味で。
「あとそれから、蓮巳くんが出会ったという鳥辺深夜子、だったかな。その女の子が少し気になるな。事件と関係あるかはわからないが、蓮さんの知り合いと言うなら彼女に話を聞いてみてもいいんじゃないか? このタイミングで5年ぶりの帰国、なんて話が出来すぎている気もするんでね」
「うん、同じところに来たね。ちょうどさっき、調べてもらうように頼んでおいたよ、セレスティさんに」
「セレスティ……ああ、カーニンガムさんのことか」
 昨夜、自分と藍蔵とを仰々しい車(リムジンというのかあれは)でこの店にまで連れて来た張本人。正体こそ知れないが、彼の指先ひとつでスーツ姿の男たちが物も言わずに従っていた。きっと、自分の想像を超えた立場にある人物なのだろう。
 それに、ネットカフェで検索していた自分たちの居所を即座に突き止めたその情報力。彼ならば自分がキーボードを打ち鳴らすよりも速く的確に、核心を突き止めることが出来るに違いない。
 冷静に自分と相手の力量とを見極め、梅丸は納得にひとつ頷く。その上で、対角線上に座るユキへと向き直り、
「ここの店長がいなくなるのは、僕も困るんだ。ユキくん、協力できることがあれば何でも言ってくれ。僕のツテでも役立ちそうなら、なんなりと」
「頼もしく有り難いお言葉を賜り、恐悦至極ですよ。では差し当たり、お隣でテーブルに突っ伏してまたもや鼻提灯していらっしゃる江口さんに、拳骨のひとつでも落としていただけると嬉しい限りですね」
「江口ぃっ……!」
 梅丸の鉄拳が藍蔵の後頭部に思い切り良くめり込んだ。涙目の藍蔵は即座に覚醒したらしく、差し向けたユキに食ってかかる。
「あんた、も、寝てたほうがイイすよぉ! 何でそんないちいち俺に構うんスかあ! え、これなに、ツンデレ?」
「むしろツンクールでお願いしますよ」
「デレ無しスか! ちぇ、せっかく心配してやったのにぃ。って、ぶうぶう言うと梅ちゃん先輩怒るしなあ!」
 腕を組んだ身体を梅丸に向けつつ、チラチラとユキをチラ見で威嚇する。すると反撃は熱視線ウインクで、射抜かれた藍蔵は見事にげんなりした。
「あははー、ダッセー」
「くすくす、まあ、ユキくんもキミも、遊ぶのはその辺にしなよ。連れの真面目そうな彼が、血圧上昇で倒れそうだ」
「ありがとう、蓮巳くん。ちなみに倒れそうというか、江口を倒したい」
「ね、それよりキミさ、さっき面白いこと言ってたね。現場近くに女学生の姿、だっけ」
 ああ、と梅丸は頷く。先ほど提示した、昨晩ネットで得た情報のことだろう。
 ふうん、と零樹は一度上目遣い、そして何故か懐中の人形に視線を落とす──いや、見交わす?
「そういえば、件の鳥辺深夜子も随分と古風な制服を着ていたよ。ちょっと時代がかったセーラー服、っていうのかな」
「セぇーラぁー! だから俺はブレザーよりセーラー服の、しかも下がプリーツふんわりで靴下が白の三つ折りのッスねえ!」
「その言い方マニアックっしょぉ、あんたそういうタイプ?」
「彼女、あっちでもこっちでも影がちらつくね。どうしよう薊、あの子、やっぱり家まで送っておくべきだったかな?」
「「ってスルーかよ!」」



「そうですか、賑やかだったのですね」
「ええ、そのおかげで目が覚めてしまったわ」
 セレスティの微笑に頷いたのは、ソファから起き上がってきたしえるである。
 梅丸と藍蔵、それから濱路が街中に繰り出していったのが四半時ほど前のこと。ほどなくして店の前に車が横付けされ、開かれた扉から杖を突いて出てきたのは勿論セレスティだった。
 遅くなりました、と詫びながらユキの引いた椅子に腰を下ろした彼は、零樹に頼まれていた調査資料を卓上に供した。ユキに零樹、そして仮眠を取って多少すっきりしたらしいしえるが、それらに目を通している。
「まず、足がかりとして確実なところ──嵯峨野家について調べてみました。征史朗さんがお亡くなりになっているのは説明するまでもありませんが、彼のご両親は存命のようです。尤も、征史朗さんのお祖父様とは事実上縁を切っていたようですが」
「ああそれ、似たようなことを聞いたことがある」
 職業柄のツテで、と前置きして零樹が言う。ヒトガタ師としての征史朗の先代はその祖父で、つまり彼は一代飛ばして技を受け継いだらしい。
「じゃあ、征史朗のご両親はヒトガタ師じゃなかったってこと?」
「そのようですね。一応現住所もつきとめましたが、ご要りようですか?」
 ユキに水を向けると、興味なしとばかりに首を横に振られた。私が求めているのは主様その人のみです、との断言に全く澱みは無い。
 その反応にいっそ満足して、続きの口を開いた。
「それで、失礼かと思いましたが、蓮さんと征史朗さんの関係についても少々。一言で言えば、幼馴染のようですね。十代の始めだった頃、お二人は近くに住んでいらしたようです」
 そして。一呼吸置いてから、本題を切り出す。
「鳥辺深夜子嬢についてですが、正直、難航しましてね。少し異なった角度から攻めてみました」
「ねえ、もったいぶらないで頂戴な」
「ふふ、これは失礼を。征史朗さんとお祖父様が高名なヒトガタ師であったことが幸いしました。特にお祖父様は寡作な方だったらしく、作品が希少価値ゆえ注目され易かったようです」
「ふうん。ということは」
「ああ、そうね。だから、その征史朗の先代の作ったヒトガタがヒントになったと」
「お二人とも呑み込みが速くて、助かりますね」
 その通り、と首肯してから、セレスティは明かした。
「作品の中に、気になる個体名を見つけました。征史朗さんのお祖父様が“ミヨコ”という名のヒトガタを15年前に制作した、という記録が残っていましたよ」
 ミヨコ。一堂が同時に鸚鵡返しの声を上げる。思い当たったことなど、改めて唇に載せるまでもない。
「しかもその個体の売却先が興味深いですね。現在は某企業の管理地になっていますが、15年前までそこは、鳥辺という名の家族が住んでいたそうです」
 一瞬、場に沈黙の帳が下りる。おもむろに口を開いたのは、ユキだった。
「主様の祖父殿が深夜子嬢と同じ名をもつヒトガタを作ったのも、そのヒトガタの主だったらしい鳥辺家が住んでいたのも、そして今回の事件が起こり始めたのもみな……同じ15年前ですね」
「これも、“縁”ってやつかしらね」
 ちら、としえるがユキに目を遣る。
 セレスティはそれを見止めたものの言及はせず、代わりに、話が事件に及んだのを機会とした。
「それではもうひとつの話を。時計について、今朝もう一度確認をしてきました」
 時計? と零樹が首を傾げたので、昨晩一堂にした話を繰り返す。
 即ち、人の命を吸い取る時計があるらしいということ。そして今日、その情報をもたらしてくれた人物に対面して聞いてきたこと。
「成果はあまり捗々しくありませんでしたが、ひとつ新たな情報があります。私は時計と聞いた時に、手に持てるサイズのもの、例えば懐中時計ですとか、大きくても柱時計など家具程度のものを想起しました。ですから、それを手にしたことで何か怪異が起きたという話はないかと、質問してみたのですが」
 それは無理だ、と先方は答えた。
「その時計は、動かせるようなものではないのだと。また時計ではあるものの、時計の形として存在してはいないらしいのだと、そう仰っていましたね」
「時計だけど時計じゃない……って何それ、謎かけ?」
 零樹がテーブルに肘を突き、掌に頬を載せる。
 その時、しえるが「あ」と声を上げた。一堂の注視を受け、彼女はこう言った。
「ねえそれって、もしかして────」



 態度からはなかなか判りにくいが、昨夜目の前でユキが倒れた時、濱路はそりゃあぎょっとしたものだ。
 人が死んだとか斬られたとかそういう話を聞くよりも、傍らの人物がイキナリぜえぜえしだしてばったーん! といくほうがよほど心臓に悪い。(自分に心臓があるかどうかは別として)
 しかもそいつを担いで(正確には担がされて)帰ってみたらば、店主が行方不明ときたもんだ。ぎょ、どころではない。げっ、むしろ、ぎくっ。事件に関わろうとする面々の、良く言えば熱情に感化されて降り立ってみたものの、自分が危ない目に遭うのは正直、勘・弁☆ってやつだ。
 そう思ったことを、TPOや遠慮というフィルターのないもやもやの存在であるところの濱路は、緩めっぱなしの蛇口のようにざあざあとユキに垂れ流した。
「一緒にいた彼女ってば人使い荒いしィ、だから上ら辺でふわふわしてたんだけど。起きないねー、寝てるー? もしかして死んでるー? そんであの、蓮さんってどこ消えたの? とか思ってるうちに、もう朝とかうっわーはっやー、って感じ」
「つまり、梶浦さんは一晩中何もしないで漂っていらしたと」
「何にもって、え、それ責めてんの? 逆ギレ?」
 何故か頭を抱え込んだユキに、根が小心ものの濱路は少々逃げ腰で問う。
 胎内ではなく夢という儚い蜃気楼から生まれ出でたからかどうなのか、濱路の感覚は断層の様に生身の人間とずれている。濱路にしてみれば、ユキを心配していたのだから一晩中『レン』に留まっていたのだし、励まそうとしていたのだから声をかけていたのだ。感謝されこそすれ怒られる覚えは無い。ていうか怒るとか止めてほしい。
 だが、濱路のそういった諸々を翻訳する機能はユキには備わっておらず、また言い換える語彙も濱路の中には無いもので、結果、ユキがふうっと盛大な嘆息を漏らすこととなった。
「まあ、私も大したことありませんでしたし、こうして梶浦さんも姿を現してくれましたしね」
「オケオッケー、って?」
 サムズアップに、ユキはダブルピースで返した。
「はい、手心加えて、オッケーでナイスでバッチグーにして差し上げましょう」
「うっわ、古ぅ。カビ生えてるってその言い方。マジでナイ、アリエナイ」
「断っておきますが蓮さん譲りのセンスなのでそこのところ宜しくお願い致しますよ!」

 という遣り取りを経て、濱路は梅丸及び藍蔵と共に、宵闇迫り始めた街へと繰り出してきていた。
「名付けて、モンタージュ」
「「モンタージュ?」」
 良い子の教育番組の様にハモった梅丸と藍蔵に、濱路は心持ち胸を張って頷く。痛い目に遭うのは願い下げだが、このまま文字通り煙と消えてはさすがに後ろめたい。なので濱路は濱路なりに、事件のヒントを拾えそうな方法を昨夜漂いながら考えたのだ。
「んじゃ、まずアノ子いってみんね」
 そう言って指したのは、擦れ違い遠ざかっていくOLらしい女性だった。ショートに近いボブの茶髪、そしてすみれ色のパンツスーツ。濱路はそれを両目に映し、頭の中に形成する。あやふやな存在故の濱路の能力、言うなれば、実物モンタージュとでも命名しよう。
「うっひょお〜! うっわ、マジッスか!」
 藍蔵が喜色を浮かべて騒いだのは、濱路が先ほどの女性の姿を象ったからだ。
 見事変化を遂げた濱路は、背後のショーウインドウに己の姿を映してううンと唸る。昨日、残留思念から写し取った“影”と記憶の中で照合してみるが、影はもっと、それこそ日本人形のように円い頭をしていた。この髪型じゃない。
「ちっがうわ。やり直し、はいつぎー」
「って、すっげえッスね濱路サン! 面白いッスよそれぇ!」
 首を振りながら、また想像する相手を物色しだした濱路の肩を、突然藍蔵ががしっと掴んだ。余りの勢いにびくうっ! と肩を竦ませる濱路に構わず、藍蔵は至近距離に詰め寄って唾を飛ばす。
「むむむむむむ、胸まで再現ってちょっと! しかも彼女Dカップ、いやFきてるんじゃねえかなこれ! あのそのえっとだからつまり、さ、触ってもぉ……!」
「良い訳あるかっ!」
 梅丸の蹴りが再び藍蔵の臀部に直撃した。ノンッ! と痛みに跳び上がる藍蔵を梅丸は一顧だにせず、ぽかんとしている濱路に至極言いにくそうに切り出した。
「その、梶浦くん。君の能力については一を見て十を知ったよ。だが出来れば、場所を考慮することと前もって説明してくれることを追加してくれれば、僕としても有り難い」
「んあ?」
「つまり……他人が見ている」
 ツンツン、と人差し指で示されたほうを眺め遣れば、ちらちらと不審の視線を投げ掛けながら足早に去っていく通行人。少し離れたところでは、なにやら携帯のカメラがカシャリと鳴った。
 濱路は正面を梅丸にも戻して首を傾げる。だから?
「……わかった。ではお願いだ、人気の無いところに行こう」
「そんで是非ボインボインの姉ちゃんをぉぉぉおおおお!」
「自重しろ!」
 復活するなり再び撃沈。ひしゃげたカエルの様な藍蔵が面白くて、濱路はぶひゃひゃと笑ってその後頭部を突つく。
 それを見て、梅丸は深い溜息を漏らした。
「……江口と梶浦くんは仲が良さそうで何よりだ」

 売り物件となっている廃ビルを見つけ、そこを暫し間借りすることにした。
 来しなに見て憶えてきた女性や少女らの姿を、濱路が実際に形を変えてみて検証する。女性には強い(?)藍蔵が様々助言をし、濱路が受け取ったイメージに近い姿を模索していく、という方法を取った。
「それが一番近い……とすると、本当に10代前半くらいじゃないか」
 一歩離れて検分する梅丸の感想通り、濱路が思考錯誤の末にとった輪郭は成熟した女性にしては円みに乏しいものだった。さながら、第二次性徴が始まったばかりの少女が、ふわりと広がるスカートをはいている、そんな感じだ。
「えー、もちょっと胸は増量するべきッスよぅ」
「江口の話は聞かなくていいよ梶浦くん。……そうだな、じゃあ、さっきセーラー服の女子高生と擦れ違っただろう。あれになってくれないか」
「あー、そいや学生服が何とかって店でも言ってたっけ」
 女学生服姿の少女。梅丸がネットで得た情報通りの姿になった濱路は、両手を広げ、右手の先に長い棒の様なものを想像する。昨晩しえるに返り討ちにされそうになった時、自分の象った影が持っていた恐らくは、武器の再現だ。
「何だと思う?」
 心得た梅丸が、顎をさすりながら唸る。
「死体には斬られた傷があった。サバイバルナイフ、は短いな。日本刀、それより長いな、薙刀? 青龍刀、そんなものが何処で手に入るんだ? しかし斬る、といったら剣状のものだと考えられるが……」
「ダメダメ、実物とか見ないと言われても想像できないし」
「長いのぉ、長いのスかあ。伸びろにょいぼう〜、俺のにょいぼ」
「放送コード!」
「ぐあっ!」
「え、じゃあぐんぐん伸びる感じで」
「君も乗らなくていいっ」
 藍蔵と濱路につきあっていたら遊びにもつれ込まれる。梅丸は保護者の気分でがっくりと肩を落とした。
 ふと外を見てみれば、何時の間にやら東の空が濃い群青色に染まり始めている。西日は既に低く眩しく、あと幾ばくもしないうちに夜の帳がすっかり下りてしまう、もうそんな時刻か。
「あの、さあ」
 濱路が挙手をして発言を求めたので、促した。
「しわしわのあったトコ? わかるんならもう一回行ってみない?」
「死体発見現場に? ああ、君の言う残留思念をもう一度確認しに行くのかな。建設的な意見だ」
「え、俺は萎びた干し柿は勘弁ッスけど……」
「江口、このままいくともう二人、若い女性が犠牲になるはずだぞ」
「おっしゃああ! 俺で手伝えることがありゃ何でもするッスよぉ! あちなみに、報酬は秘蔵のアレとかでイイす、うへへへへ」
 ────前半だけ聞こえたことにした。

 『レン』に電話をして死体発見現場を聞いた梅丸らは、現在地から一番近い場所へと徒歩で移動を始めた。濱路は(藍蔵の希望もあって)姿を変えたままだ。
 店にはユキと、しえるに零樹、それから自分たちの後で来たらしいセレスティがいて、今からセレスティの車で移動するところだと言う。目的地は聞きそびれたが、何かあったらお互いに連絡を取ろうと携帯の番号を交換した。ちなみに着信はまだ無い。
 道すがら、梅丸は今までに得た情報を整理しがてら考える。生気を吸収する時計、漆黒の剣、女学生──そして、ヒトガタという特殊な人形。
 平凡な都会的日常を望む梅丸にとっては、「普通」の境界を逸脱するような単語ばかりがこの事件には絡んでいる。いや、そもそも事件という非日常自体が、境界の向こう側に屹立しているのかもしれない。
 自分はそこに、好んで足を突っ込んでいる。嫌がっているわけではないが、何となく他から向けられる視線を気にしてしまう居心地の悪さ。自分の嗜好、立ち位置。
「この事件、案外関わっているのは生きた人間だけじゃないかもな」
 不意に零れた呟きに、藍蔵が「そうッスねえ」と生返事を返す。高架を潜り抜け見上げた四角い夜空には星も見えない、有象無象の蠢く地上の昏いイルミネーションに、塗り込められているからなのか。
「もう少しで現場だ」
 半歩後を突いてくる二人に号令のようにそう言って、梅丸が視線を前に戻した、その時。
「あ」
 同じものを見たらしい濱路が、斜め後ろで声を上げた。自分は逆に息を呑む。
 数メートル前方に少女がいた。夜目にもわかる長袖の黒いセーラー服、肩の上で切り揃えられた真っ直ぐで艶やかな、今時珍しいほどの緑なす黒髪。そして何より目を引くのは、彼女の右手から伸びている黒くて長い────剣?
 角から現れたばかりの彼女はこちらに気づいていないのか、視線も呉れずに先へと駆けて行く。
「あ、ちょ、待っ」
 咄嗟に藍蔵が声を掛け、そうになったのを梅丸は制する。そして判断力を総動員して考えた。まさかこんなタイミング、いやしかしこれは、チャンスだ。
「追うぞ」
 返事を待たずに小走りで、小さくなりかけている彼女の背中を追い駆ける。
 今回の事件が15年前から続く連続殺人の延長ならば、今年も死者は5人になるはずだ。つまりあと二人、凶刃にかかって萎れていく若い花がいるということ。彼女の後をつければ、その枯れる瞬間を見ることが出来るのかもしれない。
 ────じゃなくて。
 過ぎりそうになった思考を、首を振ることで振り払う。そうだ、もしあれが犯人ならば事件を未然に防がなくては。荒事は心底遠慮したいが、いざという時は腕に覚えがある。武器を持っているとはいえ少女には負けない、そんな自負を胸に梅丸は足を速める。
 と、少女の姿が消えた。また曲がったのだ。そう認識した途端、
「!」
 絹を裂くような甲高い悲鳴が耳を劈いた。急いで最後の角を曲がり、そして目の飛び込んできた光景。白髪の老婆が──恐らくは先ほどまで若い女性であったものの成れの果てが、無残にも崩れ落ちていく様が、スローモーションかの緩慢さでまざまざと目に焼き付いた。
 ────見た。
「ぎゃあっ!」
 堪らずが叫んだ藍蔵の声が、少女の耳に届いたのか。はっと上げた彼女の顔を梅丸ははっきりと見た。ふくらとした白い頬に細い一重の瞳。その瞳は発光している、否、金色をしている。まるで暗闇に光る獣の目の様に、それはそれは鮮やかで透明な瞳と視線が出会う。
 そして紅をさしたかに熟れた色の唇、そのすぐ横に、なお一層深紅の点がぽつりとついているのが目を引いて、それが何だか梅丸は瞬時に悟った。そして彼女が右手に提げた剣の先端から、同じ色の雫が滴っていることにも気がついた。
「あ、しわしわー……って、うっわマジマジ!?」
 危機的な状況をやっと察したらしい濱路が慌て、その姿に気づいたらしい少女が目を瞠った。そう、濱路は今彼女とよく似た格好をしている。逆を返せばつまり──ネットの情報は正しかったということだ。
「逃げるッスよ梅ちゃんせんぱ」
 藍蔵が言い終わるより先に少女が地を蹴る。咄嗟に身構えた梅丸は、しかしその跳躍力に目を剥いた。ひと跳びで距離を詰めてきた少女に自分の言葉を思い出す、そうだ普通の人間だけが関わっている事件じゃない。
「うわっ!」
 突き出された黒い剣を、寸でで身を捩りかわす。しかし不安定な体勢が藍蔵にぶつかり、勢いで二人もろとも倒れ込んだ。濱路はその瞬間霧散し、文字通り雲隠れ。
 そして少女は尻餅をつく二人を一息に跳び越えて、

 ────キィィィィィ!

 突然何かが軋む音が鳴り響く。すぐさま姿勢をを立て直した梅丸は、それがタイヤが急ブレーキをかけた音だと知った。少女の行く手を阻むかの様に、昨晩自分たちの乗り込んだ車が急停止したところだった。
「通さなくてよ」
 車の扉を開け放って飛び出してきたしえるが言い、向こう側から現れた零樹が目を細め呟く。
「キミだったんだ」
 そしてその隣りにゆっくりと立ち上がったセレスティが、車に進路を遮断され一瞬動きを止めていた少女へと手を伸べ、翳す。が、すぐに苦笑を浮かべて、車内へと声をかけた。
「彼女、人間ではありませんね。体内の血液を操ろうとしましたが、中が空ですよ」
 人間ではない。梅丸の耳に、その言葉が大きく響く。
 それを掻き消すかの大音量で、今度は道の反対側でけたたましいエンジン音が噴火した。
「もう一台来たんだけどっ」
 元の青年の姿で具現化した濱路が指すより速く、少女がそちらに向かって走り出す。しえるが捕まえようと手を伸ばしたものの、ブオンッ! 剣のひと薙ぎに一瞬怯んだ隙に擦り抜けられ、救援に現れたらしい車の開いた窓へと少女は跳躍し、身をねじ込ませる。それが中に入りきらない内に車は全速力で走り出し ────気づいたときにはもう、巻き上げられた粉塵だけがその場に取り残され、漂うのみとなっていた。
 全ては一瞬の出来事。決着がついてしまった静寂の中、セレスティの車からユキが降り立ち、残滓たる煙をねめつけた。
「……仰る通りですよ、セレスティさん。あの目は“輝石の目”、あのお嬢さんは私と同じ──ヒトガタです」



 白髪の死体が事切れているのを確認すると、セレスティの連れてきていた部下が警察に通報した。後の処理をその彼に託し、一堂は場所を『レン』へと移した。
 追わなくてもいい、とセレスティが言ったのには理由があった。零樹が、あの少女は鳥辺深夜子に瓜二つだったこと、また走り去った車が深夜子を迎えに来たものと酷似していたことを証言したからだ。
「つまり、その元鳥辺邸に行けばいいと? 解った、納得できたよ。それからもうひとつ教えてほしい。鳥辺深夜子というのは、ユキくんと同じヒトガタだったのか?」
 梅丸の問いに零樹は首を横に振る。
「いや、墓地で会った彼女の目は黒い普通の目だった。さっきユキくんが説明してくれた通り、“輝石の目”だっけ? それがヒトガタの外的特徴だというのなら、彼女は人間だね」
 輝石の目。人に近いヒトガタが、決定的に人と異なる点のひとつが、その目、なのだという。
 ユキが紫水晶と見紛う瞳を有しているように、ヒトガタは皆宝石の様に透き通った石の瞳を眼窩に埋め込まれている。一見してヒトガタかどうかを判別するのに適した差異なのだと、ユキは蓮の受け売りと注釈をつけて説明した。
「んー、じゃあ、どゆことッスかあ?」
「考えられるのは、私たちが見たのは征史朗のお祖父様が作ったヒトガタ──“ミヨコ”のほうだった、ってことかしら。同じ名前だから同じ顔をしてる、かどうかは判らないけれど」
「そういえば、深夜子嬢が言ってったっけ。ヒトガタは、身代わりって。……そういうことか」
 そんな話し合いの輪に参加せず、ユキは先ほどからテーブルの上に組んだ指先を見つめたまま、固い表情を崩さない。セレスティさん、との呼びかけも、珍しく当人の顔を見ない無作法で放った。
「昨日セレスティさんの仰ったこと、当たっていましたね。犯人は二人いる──正確には、一人と一体、でしょうか」
 生気を集めている者と、それを欲している者が異なるのでは。自分の意見をセレスティは思い出し、頷く。
「では彼女らは何を求めて、凶行を繰り返しているのでしょう。それも、15年も前から」
「15年って、気ィなっがいのー。んあ? でもその深夜子ちゃんって、いくつだ? 赤ちゃんの頃からやってんの?」
 張り詰めた場にそぐわぬ、あっけらかんとした口調で濱路が言い、その向かいのしえるがぽつりと呟く。
「────針、かしらね」
「あン? 針? 縫うの?」
「違うわよ、針は針でも、時計の針。私たちみんな、凶器を刃物だと思ってたじゃない?」
「ああ、さっきも僕と梶浦くんで、長い棒の正体をは何だろうと、剣の様なものじゃないだろうかと話していたよ」
(俺もいたッスよ! という藍蔵の横槍は無視された)
「だから、それよ。剣みたいなもの、であって、剣じゃないのよ」
 熱を帯びてきたしえるの推測に、一堂は耳を傾ける。
「それから、セレスティサンの言った時計。動かせない、そして時計の形として存在してはいない時計。ねえ、それって、針なんじゃないの? ええとつまり、針を置くかつけるかしたら、それが時計になるもの。針を動かしたらもうそれは時計じゃなくて、だから動かせない」
「ああ、見えてきました。例えとして適切かは解りませんが、花時計を思い浮かべてみます。時計の針を置けばそれは時計になり、針を取るとただの花壇になる。そういったものでしょうか」
「多分考えてることは同じね、そういうこと。だから時計の本体は、針なのじゃないかしら。そして凶器に使われていたのも、針。大きな針で、先端を刃の様に磨いだものよ」
 濱路が壁際の置時計に目を遣る。中心で留められている部分を柄に、周囲の数字に向かって細くなっていくその形を刃と見立てれば、なるほど、剣に見えなくもない。長い剣は、長針か。
 梅丸も考えた。生気を奪う、というセレスティの説明を一旦リセットし、自分の目を惹いた死体を客観的に見てみる。彼女たちが奪われたものは何だ? そうだ、時間だ。老いていくまでの時間を奪われて、あっという間に老化を遂げた。
(ちなみに、わかるように説明してくださいっスぅ! という藍蔵の切実な叫びは再び無視された)
「針を逆回転させれば時間は戻る。逆回転させるための動力が、女性たちの命。じゃあ犯人は……自分の時間を巻き戻そうとしているのかしら?」
「斬ることで命、というか生気、時間かな? それを奪ってるの? とんだ強盗だ。ねぇ、薊?」
 と、セレスティが杖を突いておもむろに椅子から立ち上がる。向かったのはカウンターで、そこにそっと手を置くと、暫し何かに耳を済ませる様子を見せ。
「……一晩を経てもまだ、蓮さんの驚きが残っていますね。彼女は、鳥辺深夜子の許でしょうか」
 誰とはなしに問いかけた表情が、いつになく険しい。零樹がそれを見ないままに言う。
「人間と人形の女の子、の許らしいよ」
 その語尾を待たずにユキが立ち上がり、鋭く言い放った。
「5人まであと一人。────蓮さんが、危ない」


(続く) 


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1883 / セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ) / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2577 / 蓮巳・零樹(はすみ・れいじゅ) / 男性 / 19歳 / 人形店店主】
【2617 / 嘉神・しえる(かがみ・しえる) / 女性 / 22歳 / 外国語教室講師】
【7483 / 梶浦・濱路(かじうら・はまぢ) / 男性 / 19歳 / 夢人】
【7484 / 江口・藍蔵(えぐち・あくら) / 男性 / 17歳 / 高校生エロハンター】
【7492 / 花鳶・梅丸(はなとび・うめまる) / 男性 / 22歳 / フリーター】

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■         ライター通信          ■
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いつもお世話になっております、皆々様こんにちは、辻内弥里です。
この度は当「異界」にご参加くださいましてまことに有難うございます。お待たせいたしまして、申し訳ありません。
今回は連続3回の内第2回目ということで、事件の展開を中心に描写させていただきました。第3回目の募集開始はは7/1を予定しております。OP公開など告知していきますので、懲りずに(すいません…)最終回も是非お付き合いくださいませ。宜しくお願いします…。
また今回ですが、全て全員共通文章となっております。ブロックごとに多少時間が前後しておりますので、ご注意くださいませ。
それから色々な伏線を散らかしておりますので、それに敢えて触れないためにも、各個人様へのコメントは控えさせていただきます…。
それでは今回はどうもありがとうございました。
またご縁いただけることを祈りつつ、失礼致します。

辻内弥里 拝