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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


機械の町のアリス


―――気持ちいい。
 音もなく、水の中を躍る。海中にも映える青い髪をなびかせ、海原・みなもはひとり泳いでいた。
 身体をくねらせる。ひらり、と翻る尾びれ。普段は人間の姿をしているが、南洋系人魚の末裔である彼女は人魚に変身出来るのである。ひとたび人魚に変わればこのように水中で呼吸し、自由自在に動き回ることが可能だ。
 水面に顔を出した。瞬間、きょとんとして辺りを見回す。彼女が困惑したのは、一面が霧で覆われていたからだった。
―――何も、見えない……。
 みなもは空中に手を伸ばした。霧に触れ、意識を集中させる。人魚である彼女は、水に含まれる情報を得ることが出来た。霧を通して、おぼろげに伝わってくる。
 不穏。奇妙。不可解。――異質。
 いずれも良いイメージの言葉ではない。霧は、彼女に警告している。みなもは、何故警告されるのか気になった。もし何か良くないことが起こっているのだとしたら、誰かが危険な目に遭っている可能性もある。
 とりあえず視界の良いところへ行こうと、水中に潜った。霧のせいか、水中もどことなくぼんやりしているようだ。しばらく泳いで、再度水から顔を覗かせる。
 重苦しい曇り空だが、霧は晴れている。目の前に陸地を見つけ、様子を伺うことにした。人の気配がする。どこか硬い声音でのやり取りが聞こえた。
 陸地に沿って、水中を泳いでみる。距離感から、割と小さめの島なのだろうと判断した。島の様子を窺おうと、人気のないところを狙って上陸してみる。
 人間の姿に戻り、こそこそと着替えた。隠れられるような木陰などが無くて焦ったが、そもそも人が少ないようだ。見渡す限り、誰もいない。むしろ、ほとんど何もない。少し離れたところにぽつんと建つ石碑と、その周りに咲く白い花、そして遠くに並ぶ硬質の建物が見えるだけだ。
―――だけど、さっきは確かに人の声がしたよね。
 そう気を奮い立たせ、セーラー服のタイをきちっと結んだ。姿勢を正し、前を向く。高鳴る鼓動を抑え、歩き出した。
「あのっ」
「ひゃあ!」
 口を押さえる。いきなり声を掛けられ、びっくりしてしまった。慌てて、振り返る。
「すみません、驚かせてしまいましたか」
 そこにいたのは、みなもと同い年くらいの少年だった。プラチナ・アクアのくしゃっとした髪を揺らし、微笑む。
「こんな場所に誰かいるなんて、珍しかったので。見かけない方ですね、旅の方ですか?」
「えっと……たぶん、そんなようなものです。あ、あたしは海原・みなもといいます。どうぞ、みなもと呼んでください」
 『泳いできた』とも言い難く、お茶を濁してしまう。イーヴァは、そうですかと頷いた。
「僕はイーヴァ・シュプールです。よろしくお願いします、みなもさん」
「こちらこそよろしくお願いします、イーヴァさん。あの、申し訳ないんですが、ここって何処なんでしょう?」
 みなもの問いに、彼がきょとんとした顔をする。しかし、すぐに優しく微笑んだ。
「ここはマゼイツです。この島ひとつで一応国なんですけど、その領土の小ささから『機械の【町】』と呼ばれることもあります」
「マゼイツ……機械の町……ですか」
 機械の町、と呼ばれるからには機械技術などに秀でた国なのだろう。だが、みなもが見た限りでは東京と大差はないように感じられる。あまり驚いていない彼女を見て、イーヴァがやや面食らったような顔をした。
「みなもさん、もしかしてマゼイツに来たことがありますか?」
「え? ううん、初めてです」
「そうなんですか」
 確認するように、イーヴァが何度か頷く。ややあって顔を上げた。
「もしよければ、僕がこの国を案内しましょうか?」
「いいんですか?」
「勿論です」
 にこり、とイーヴァが笑う。人懐っこい笑顔に緊張が僅かにほぐれ、彼女も微笑んだ。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「わかりました。頑張りますねっ」
 張り切るように、イーヴァが両の手で拳を作る。行きましょう、と歩き出す彼と並び、ふと思い付いて手を合わせる。
「そうだ。その前にお願いがあるんですけど、いいですか?」
「はい」
「あの、マゼイツの民族衣装……といいますか、この国の服が買えれば買いたいなって思うんです。出来れば、服装で浮きたくないなって思いまして……もしよければ、初めに服屋さんへ連れて行ってもらえないでしょうか」
 うーん、とイーヴァが空を仰いだ。困ったように眉をひそめている。
「服屋さん……というものはないと思います。マゼイツの服、というとこの制服ですよね」
 言って、イーヴァは着ている服の胸の辺りを摘まんでみせた。上下セットのその服は、コネクト・スーツと呼ばれているらしい。足の付け根の辺りまで長い上着は、裾の両端にスリットが入っている。その下にハイネックの上衣とズボンを着ているようだ。服の色は人によって異なり、イーヴァは灰色の上着に黒のインナーだった。彼は制服と言ったが、作業着のような印象も受ける。彼は苦笑して、申し訳なさそうな顔をみなもに向けた。
「残念ながら、これは支給品なんです。それにこれは管理者の証ですから」
「管理者?」
「管理者っていうのはマゼイツの国民のことです。職業みたいなものですよ」
 みなもは内心首を傾げたが、敢えて口には出さなかった。ただ『管理者』という単語を耳にした時、妙に胸がざわりと騒いだ。
―――不穏。奇妙。不可解。異質。
 嫌な予感をおぼえる、言葉。
「それに、むしろ目立ってしまうと思うんです」
 イーヴァがみなもの髪を目で示す。長く艶やかな青い髪は、東京でもしばしば注目を浴びた。
「管理者は皆、多少の色味は違っても銀髪ですから」
 その言葉に納得する。同じ服を着ていて髪だけが違えば、かえって目を引いてしまうだろう。
「でも、みなもさんの服って珍しいですね」
「そうでしょうか? 一応、これがあたしの制服なんですよ」
 みなものセーラー服は現代からすると古風とも言われがちだが、正統派なデザインだ。彼女にしてみればイーヴァたちの格好の方が珍しいが、彼らにとっては逆らしい。
「良いこと思い付きました! みなもさん、僕の制服でよければお貸ししますよ」
 イーヴァがぱっと顔を輝かせ、そう宣言した。みなもは慌てて首を横に振る。
「そんな、そこまでして頂いたら申し訳ないです。あたしの我儘みたいなものですから、この格好のままでも」
「いいんですよ。折角のお客様ですから」
 それじゃあ僕の部屋に、とどこか楽しそうにイーヴァが歩いていく。みなもは構わないと何度か言ったが、笑顔の彼に根負けしてしまった。彼女にとっては得なことだからいいかと自分に言い聞かせていると、いつの間にか周りにだんだん人が多くなってきていた。
「あれが工場街です。『機械』の町と言われるだけあって、色んな機械を作っているんですよ。工場街を抜けると、北の港があります。貿易商さんたちも来ていますし、外国の大使館があるのもその辺りです」
 指で示しながら、イーヴァが説明していく。彼の言ったように、みんな銀髪で彼のような制服を着ている。稀にそうでない者もいるが、それは貿易商など国外の者のようだ。ふと彼女が尋ねる。
「そういえば、さっきまであたしたちがいたところは?」
「墓地です」
 胸が騒いだ。一瞬言葉をなくし、はっと我に返る。
「え……でも、」
 墓石なんて並んではいなかった。ただ、少し大きい石碑があっただけ。
「死んだ人は眠っていません。だけど、慰霊碑にその名が刻まれています。そんな、墓地です」





 イーヴァの部屋はマゼイツの中心部にある高い建物、ミッテロガーンの中にあった。カプセル型の昇降機で随分上がった階の一室。物があまりない質素な部屋だった。
「なんだか、不思議なところですね」
 そこで制服を借り、みなもは着替えた。色は彼と同じ、灰色と黒の組み合わせである。イーヴァよりみなもの方が背は高いが、着用出来た。ただズボンの丈が短く踝が覗いてしまい、彼はやや複雑そうな顔をしていた。
「そうでしょうか?」
「何て言いますか……初めて見るものばかりで、新鮮で楽しいです。制服も着させて頂いちゃいましたし」
 それから再び昇降機を使い、イーヴァからミッテロガーンについて簡単に案内を受けた。彼の部屋もある居住区より下の方には店や娯楽施設があること。上の方には会議室など仕事として使う部屋があること。高い階に上がるにつれて、重要度の高い場所といえるらしい。
「そう言って頂けると、嬉しいです。制服似合ってますよ、みなもさん」
 最後にイーヴァの上官であるルラー=ヴィスガルの部屋へ向かい、そこで二人は彼の依頼を受けた。
『単刀直入に聞くが、君がマゼイツへ迷い込んでしまった原因を知りたくはないかな』
 ルラーは、彼女が偶然マゼイツへ辿り着いたことを知っているようだった。ひょっとしたら、泳いできたことさえも。釈然としないものを感じながらも、懇願するように彼女を見つめるイーヴァの視線に負け、その頼みを受けた。「ところで、調べるって言ってもどうしたらいいんでしょうか」
 そして今は、建物を出て海に向かって歩いている。二人が出会った辺り、へと。
「そうですね――えっと、みなもさんは海から来たんですよね?」
「……はい」
 もはや隠しても仕方が無いかと、正直に答える。
「でしたら海中に行って、みなもさんが通って来たところを調べてみましょう」
「ちょっと、待ってください。あたしはともかく、イーヴァさんがそんなに長く潜るなんて……」
「大丈夫ですよ。任せてください」
 イーヴァは笑ってみせるが、みなもの不安は拭えない。そうこうする内に、二人は墓地の端、堤防の元に着いた。みなもは彼に少し待っていてほしいと言い、管理者の制服を脱いで水着に着替えた。人魚の姿になった時、上半身を隠すのに水着が一番都合の良い服なのである。
「恥ずかしいから、あんまり見ないでくださいね……」
 頬を染め、両腕で抱くように身体を隠しながら、みなも。イーヴァは微笑ましそうに笑い、先に立って歩き出す。
 それから堤防をよじ登り、眼下を見下ろす。暗い色をした海が広がっていた。これから、そこに向かうのだ。
「みなもさん、飛び込みましょう」
 イーヴァが軽やかに地を蹴る。みなもが何か言う間もなく水面の向こうへと消えてしまった彼を追いかけ、意を決して彼女も人魚の姿になり、飛び込んだ。
 果たして彼は大丈夫なのかと、その姿を探す。ほどなくして見つけた彼は、微弱な光の膜を周りに纏い、さながら水泡に包まれているようだった。召喚術という能力で水を操り、彼も水中で呼吸や移動が出来るという。ここは、魔法が普通に存在する世界らしい。そのことを聞いて、ここは異世界なのだと実感した。
 しばらく泳ぎ、やがて壁のような空気の流れを前にして、二人は止まった。みなもがイーヴァを窺い見ると、その視線に応じて彼が答える。
「暖房施設ですね。ここを越えてしまうと、ちょっと水温が冷たすぎると思います」
 イーヴァによると本来マゼイツは極寒の地で、暖房施設がなければ凍えてしまうほど寒いらしい。そのため、海中から島をすっぽりと覆い、空調を整えているという。
「ここは、もしかしたら……霧の濃かった辺りかもしれません」
 マゼイツに来る前に、みなもはこんな光景を見ていた。霧が濃かったからかと思ったあれは、暖房施設による空気の流れだったのだろう。そのことを話すと、イーヴァは眉を寄せて考え込んだ。
「そうなんですか……つまりみなもさんがマゼイツへ来てしまうきっかけとなった境界は、この辺りなのかもしれませんね」
「何らかの原因からこの暖房施設に異常が起きて、私たちの世界と繋がる境界になってしまった、ということでしょうか」
 たとえばそれは、とあるおとぎ話。ウサギの縦穴や姿見から異世界へと迷い込んだアリスのように。
「そうですね。何の因果かはわかりませんが……そうか。異世界、なんですね」
 みなもがはっとする。口を滑らせてしまったかと、口元を押さえた。
 イーヴァはそんな彼女の傍らで、ぼんやりと何やら考えている。しばらくすると、彼が静かに口を開いた。
「みなもさん。試しに、そこを通り抜けてみてくれませんか?」
「え……、でも、」
 戸惑う。境界を抜けてしまったら、もうこちら側に戻っては来られないかもしれない。そんな想いで彼を見つめ、その唇が微かに動いたことに気付いた。
―――さようなら。
 みなもに読唇術は使えない。彼の言葉を彼女に伝えるのは、水。彼が繰る水泡が海の水と触れ合い、流れ流れてみなもにまで彼の気持ちが入ってくる。
―――異国の方が、マゼイツにいるべきではないんです。
「私は……っ、」
 『悲しみ』『諦め』『虚しさ』、そんな感情を感じて、何かに突き動かされるような思いだった。みなもはイーヴァと視線を交え、その瞳を真直ぐに見据える。
「行きません。私はまだ、私がこっちに来た原因を突き止められていません。私、途中で投げ出すの、大嫌いなんです!」
 彼女がここにいるべきではないと言うなら、彼はどうなのか。何をもって、彼はそんなことを言うのか。
 何かがある。彼に悲しい顔をさせる何かが。この国の深いところに、みなもは触れることすら出来ていない。そして出会って間もないとはいえ、知り合った相手にそんな顔をさせたくなかった。
「――では、こうするしかありませんね」
 すっとイーヴァがみなもに向けて手のひらをかざす。その手に集まった光が彼女の元へと向かい、彼女は彼と同じような水泡に包まれた。
「ごめんなさい。良くない噂を聞いたんです」
 水泡が動き、みなもも一緒にたゆたう。水泡を壊さなければと、彼女は膜に触れた。水を操れる彼女にとって、そのようなことは容易い。
「異国の人を実験の材料に使うと。そんなこと、信じたくありません。信じたくない、けど――万が一が起こってからでは遅いから」
 しかし、水に包まれているのではなかった。彼が操っているのは、空気だ。風を起こして彼女の周りから水を退けている。これでは、手も足も出ない。
「僕がみなもさんと会ったのは、偶然ではないんです。ルラー様から様子を見てくるように言われて、あそこに行きました。でも……今なら」
 元の世界へ戻してしまっても、今なら調査の上での過失と言い張ることが出来るから。
 水泡が流れていく。彼の姿が、だんだん遠くなっていく。
「貴女ともう一度会うことのないように、祈っています」
 イーヴァはもしかしたら、最初からみなもを帰すつもりで海へ潜ったのではないか――そんなことをおぼろげに思い、ぱちんと泡が弾ける。その衝撃で、彼女は意識を手放してしまった。





「あ……れ」
 目を開けて、身体を起こした。日の光がとても眩しい。
 みなもは人間の姿で、水着を着て砂浜に寝ていたようだ。身体を起こすと、肌に砂が張り付いてしまっていた。
―――夢……だったの?
 ぽたりと、砂に染みが出来る。何故か、みなもは涙を流していた。
 ひどく非現実的な、けれど生々しい夢。現実だといえる証拠は何処にもなく、『マゼイツ』での出来事は彼女の心に記憶されるのみ。ここで寝てしまって夢を見ていた、と考える方が自然である。
 それでも、理由もわからぬまま。胸に湧き上がるやるせない感情のままに、彼女はしばらく泣いていた。





《了》



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■   登場人物
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PC
【1252 / 海原・みなも / 女性 / 13歳 / 中学生】

クリエーターNPC
【 イーヴァ・シュプール / 男性 / 13歳 / 管理者】


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■         ライター通信
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海原・みなも様

はじめまして、緋川鈴と申します。
この度は『機械の町』へお越し頂きまして、ありがとうございました。
少々切ない展開にしてみましたが、如何でしたでしょうか……少しでも楽しんで頂けましたら幸いに思います。リテイクのご要望がございましたら対処いたしますので、その際はすみませんがお申し付けください。
ご依頼、本当にありがとうございました!