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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


白物語「鈴」

「頭の中で鈴が鳴る、と」
草間興信所の一画……というには、空間の大半を占める応接セットの鎮座する場所が、その日はやたら暗い雰囲気に飲まれていた。
「はい……鈴が、ですね。こうチリリリリ、リリリリ」
俯き加減と言うレベルの問題ではない。がっくりと項垂れた首に頭の頂点しか見えず、ずるずると長い黒髪が簾の如く下がっている。
 二十五歳といえば、居るだけで華やぐような年だが、丸めた背に肩が落ち、見るからに暗い。とても暗い。
 本日の依頼人、中山大寿の醸し出す雰囲気に相乗し、また怪奇事件かと絶望に暮れる草間武彦も暗さを増す。
 ぼそ、ぼそと呟くような大寿の説明によると、頭の中で鳴る鈴が、不幸を呼ぶのだと言う。
 その音がする度、頭上から植木鉢が降り、暴走車が鼻先を掠め、電車は止まり、カラスは奇数鳴き声を上げる。
 気のせいだろうと一蹴してしまえばそれまでのレベルから、実害を被ればただで済まない事件まで、鈴の音という符号と必ず重なるのであれば不安にもなるだろう。
「実家を出てから、こうなんです」
 出されたコーヒーにすら手をつけず、石仏のように固まったままの大寿の懇願に草間は天を仰いだ。
 怪奇事件は真っ平御免。しかし、燃え上がる財政状況に、依頼の選り好みは許されないのだ。
「……それは、あんたにだけ聞こえるもんか?」
諦めと共に、草間は煙草を取り出した。
 詳細を詰める為の質問に、大寿が僅かに身を乗り出す。
「聞こえる人は……すごく偶に居るみたいなんです。でもそういう時って騒ぎの時だから、聞けなくて、あ、また!」
両耳を手で押さえて大寿が声を張った途端、煙草に火を移そうとしていたライターが火柱を上げ、草間の前髪を焦がした。
「成る程」
百聞は一見に如かず。多少青ざめながらも事態を納得した草間は、蛋白質の焦げる匂いを振りまきながら事務所内を見回した。
「と、いうことらしいが誰か手は空いてるか」
丸投げかよ。所内で事態を見守っていた複数人は、思わず心中にそうツッコミを入れた。


 要求は誰にともなくだが、必然として事務所内の誰もが耳にし、その全てが対象となる。
 最も古びた応接セットを来客に陣取られれば、室内の人間は隣接する炊事場、ファイル棚の前に避難するしかない狭い事務所内、会話を聞くまいと心掛けるのは、至難の技だが。
 敢えてそれを敢行するとなれば、両手で己が耳を塞ぎ、「あ〜〜〜」と自らの声を頭蓋に反響させて、外部の声をかき消すしかない。
「……まぁ、確かに今は手が空いてるから、良いんだけど……」
前向きと言えなくもない反応で、先ず、向坂嵐が口火を切るも、目線は手元、コピー裏を使ってせっせと作り続けているメモ用紙の束に向けられたままだ。
 炊事場から救急箱を携えたシュライン・エマがその横を通り過ぎ、ソファの背凭れに浅く腰かけて、草間の顎先に指の先を添えた。
「はい、武彦さんはこっち向いて」
「い゛っ!」
ぐきりと首を鳴らし、人体の構造上些か無理のある姿勢を強いながらも、シュラインの手は草間の嫌な匂いを放って焦げた前髪を揉むように解す。
「火傷はないみたいね」
シュラインは、幸いにして主たる目的で出番のなかった救急箱からハサミだけを取り出すと、バランスの悪くなった草間の前髪を刃先で軽く切り揃える。
 面々に、突然の出火に動揺や衝撃は、微塵たりとて認められない。
 その外観からは、おおよそを察することしか出来ないが、中山は多分、驚いているのだろう様子でかきりと凍り付き、生命活動が危ぶまれるほどに微動だにしなくなっていた。
 その隣に、久喜坂咲が自然に腰を下ろす。
「鈴の音って、いつもあんなに小さいの? 大寿ちゃん」
「……ちゃん?」
自然に距離を詰め、穏やかに呼びかける……咲の警戒心を削ぐ行動に、中山が己が彫像、否、お化け屋敷のマネキンでないことを思いだしたのか、きりりとぎこちなく動きを見せた。
 しかし、咲の言葉を中山より先に受けたのは、黒冥月だ。
「小さい、という程の音でもなかったが。聞こえる者によっても差が出るのか」
草間の手から、ライターを取り上げると、子細を検分する。
「えー、結構大きかったけどなぁ?」
ひょいと炊事場から顔を出したのは、ケヴィン・トリックロンドだ。
 右手に食べかけのケーキの乗った皿、左手に苺を刺したフォークを持ち、甘い香りを振りまきながら、草間の隣を陣取る。
「お前達にも聞こえたのか」
目を丸くした草間の問いに、咲、冥月、ケヴィンの三名が『はーい』とばかりに大きく挙手した。
「どういう基準」
「……ちょっと口惜しいわね」
音が聞こえなかった草間、嵐、シュラインは些か複雑な心境を陥るが、判断材料が多いのは喜ばしいことなのだろう。
 そして、思わぬ場所で同士を得た感激からか、中山の手が髪の簾の間からにゅうと伸び、咲の両手をひしっとばかりに掴む。
……共に冥府に下る者を求める悪霊と少女の図、に見えなくもないが、依頼人の安心がぞぞぞと伝わる心温まる光景だ。
「それにしても」
冥月が大仰に溜息を吐き、ソファの背に肘を置いて草間に冷笑を向けた。
「……草間。ガスを補充したときにでも、火力調整を弄ったろう」
抓んだライターをゆらゆらと揺らす、冥月の指摘に草間はぐぅと詰まる。
 草間が貧乏で悪ことは世に憚ることない事実だが、ライターはきちんとしたガス補充式の物を使っている。そちらの方が使い捨てライターより、コストが掛からずに済むからだ。
「怪奇と信じる前に己を疑ってみるべきだな。それとも、依頼人の証言=怪奇現象の図式が即座に成立する程に耄碌したか? 偶には自分で調べたらどうだ、怪奇探偵」
辛辣な冥月の揶揄に、草間はあからさまな渋面を浮かべる……ことはなく、軽く眉を上げた。
「そう攻撃的になるな、客が怯えるだろう」
中山は相変わらず咲の手を握り締めたままだが、頭の角度から見ると、顔はおそらくこちらを向いている。
 つい、いつもの調子で余人への配慮に欠けていたかと、冥月の僅かな沈黙による内省を隙と取ったか、草間が調子に乗って続けた。
「まぁそんな憂慮も、お前の男前な容姿でおもてなしすれば瞬く間に解けるんじゃないか」
「誰が男だ!」
冥月の拳が草間の顎から脳天へと突き上げる、見事なアッパーカットが決り、幻のゴングがカンカンカァンと高らかに鳴り響く。
「今のは……違うな」
「そうね」
「よく飛んだねぇ」
嵐とシュラインが顔を見合わせ、ケヴィンが放物線を描いた草間にぱちぱちと拍手を送る。
「大寿ちゃん、安心して。ここはいつもこんな感じだから!」
所長が所員に殴り飛ばされる日常を、安心の材料としてしまうのもどうかと思われる咲の言だが、中山はこくこくと頷いた。
 見事な一撃を決めた冥月は、ふしゅうぅぅ、と白く煙の上がる拳を固めたまま、口の端で笑む。
「……当人に被害の及ばない危険、には反応しないことがこれで立証されたな」
こうして、まるで予定調和のようにして。
 草間の犠牲は、貴いものとなった。


 取り敢えずは街に出よう、という全員の見解の一致により、面々は、中山の実家へと向かうことにした。
 昏倒した草間は、患部に塗れタオルをあててソファに放置して来たが、その程度でどうにかなる所長ではない。
 そのうちにお使いから、彼の義妹が戻れば面倒を見てくれるだろうと、実に確固とした信頼に結ばれた関係であると言えた。
 一行は冥月・ケヴィン、中山・咲、シュライン・嵐の二人ずつで自然、依頼人を守る形に隊列を組み、駅に向かっていた。
 一見、如何なる関係かを判別できない個性を有した一団に、夕刻、仕事から帰路を辿る勤め人達は何処か近寄りがたい様子で道を開けてくれる。
 しかし、そんな些細な反応に拘りなく、面々は意外に楽しく道を進んでいた。
「じゃぁ、こんな感じかしら……」
 シュラインが少し考え込む様子で首を傾げ、唇を僅かに開く。
 と、そこからは、ジリリリリ、ジリリリリ、と今は懐かしい、しかし草間興信所では現役で活躍する黒電話のベル音が明瞭、且つ独特の重みさえ伴って溢れ出した。
 果たしてそれは、人体から発せる代物なのかと言う音を再現して見せる、見事としかいいようのない声帯模写である。
「Ms.エマ、Great! 花丸をどうぞ!」
教師職の性を覗かせたケヴィンから贈られる惜しみない賞賛の拍手、及び副賞としてソーダ味の棒付キャンディの贈呈に苦笑し、シュラインはこほんと軽く咳を吐き出して、自前の声を発した。
「お誉めに預かり光栄だわ」
キャンディを辞退しながらシュラインが苦く笑うのも道理、場を和ませるために特技を披露しているのではない。
 中山が耳にすると言う、不幸を呼ぶ鈴の音が何を端に発しているのか、日常生活で耳にするそれを再現し、手がかりを得ようとしているのだ。
 やんわりと受け取りを拒否されたキャンディの包装を取り去り、ケヴィンはがもっと己の口に突っ込んでいる間も、他の面々は鈴の音の正体について頭を悩ませている。
 最初は、根付に使われるような小さな鈴から始まり、ウィンドチャイム、カウベルと音を替え、品を変え、音の大きな警告的なものへと移行していく。
 幸いにして、大小の差はあれ、鈴の音を耳にすることが出来る人間が四人も揃っている為、複数意見を付き合わせることが出来る……筈だが、これが難航していた。
「そこまで定期的じゃなく、長短にとりとめがない印象が」
眉間に皺を寄せた冥月の意見に、シュラインは先とはまた違う金属的な音を発する。
「えーと、なんだろ……解った、発車ベル!」
「残念、目覚まし時計!」
シュラインと同じく、鈴の音を聞くことの出来ない嵐は、純粋にあてものとして会話に参加するしかない。
 直後、発車ベルの音をシュラインは再現してみせるが、残念ながらその差違はごく僅かで、余人の耳に違いが解らない。
「そんなに長い音でもなかったのよね」
中山を腕にしがみつかせたまま、咲が頬に指を当てて考え込む。
「印象としては……嫌、という程でもないけど、こうもやもやするというか」
「そうか? 全然気にならないが」
「そうだね、割と耳にするようでいてそうでない、聞いたらすぐに忘れたい感じだね」
咲・冥月・ケヴィンの見解もそれぞれに独特、かつバラバラで参考になり辛い。
 一番、鈴の音を耳にした経験のある中山に聞こうにも、暗い声でぼそぼそと「チリリリリ、リリリリ」と繰り返すばかりで参考にならない。
 中山の実家に行けば、何某かの手がかりはある。その自信は怪奇現象に携わってきた各々、自信を確としているが、それが何かは解らない……その何か、を探すにしても、もっと具体的な情報があるに越したことはない。
 そして草間の前髪を焦がした一度だけを耳にした三人も、幾つも似たような鈴の音ばかりを聞いていれば、記憶が上書きされて確たる自信がなくなって来る。
「もう少し手がかりが欲しいわねぇ」
ビルの谷間、低い空を見上げて溜息を吐くシュラインに、全員が同じ思いで頷く。
「もっと大きな物かしらねぇ……?」
言ってシュラインの喉がガラガラと鳴る。勿論、うがいではなく、神社の参拝時に鈴緒を引いて振る本坪鈴の音だ。
「ぅおわっ?!」
余程に思わぬ音だったのか、ケヴィンが条件反射的につんのめり、冥月に襟首を掴まれて転倒を免れる。
「それも違うな」
ケヴィンのスーツを掴んだまま、きっぱりと切り捨てる冥月の言に、面々は大きく息を吐き出した。
「ホントに、心当たりねぇの?」
嵐の問いに、すかさずぶんぶんと首を横に振る中山に、冥月が肩越しに振り返った。
「少しは考えたらどうだ」
誰もが思っても、遠慮して口に出さずに居た言葉をとうとう吐いてしまう。
「実家から持ち出した何か、新居での異常の有無、考えられる可能性の全てを解らないで投げられては、こちらも最善を期せるとは言い難いな」
正論であるが、萎縮しきった中山には脅しに近いのか、相変わらず俯いていた角度が更に深く、深礼の角度まで達した上に、小刻みに震えてもいる。
 空気が重い、とても重い。しかし誰かが言わねばならぬことならば身を呈す……という精神は冥月には多分ない。
「身一つで……家を出たから」
それだけをどうにか呟いて、後は貝の沈黙を守る。
「……道端でするような話でもなさそうだし、移動しましょうか」
ずずん、と重力を増す暗さに、シュラインの提案が救いとなってまた歩を進めるが、中山の歩みは、こと、十字路や路地が近付くと、警戒が過ぎるほどに慎重になる。
「大寿ちゃん、そんな心配しなくても今は皆が付いてるし、ね?」
 目の前の交差点、同じ青信号の点滅を見るのは実に二度目という、亀より遅い歩みで、中山は靴底を地面から離さず、じりじりとした体重の移動でミリ単位で進む。
 咲はそれを宥めようとするが、中山は首を横に振る。
「いつ……いつ、また鈴の音がするか解らないから……」
一体今まで如何なる不運に見舞われて来たのか。
 それ以前にどうやって興信所まで辿り着くことが出来たのか、疑問は多々あれどもこのままでは世が開けても中山の実家に行き着けない。
「深刻な顔すんなって」
じりじりとしか進まない中山の肩を、嵐が後ろからぽんと叩く。
 その刺激に、必要以上のリアクションで驚く中山につられ、咲も一緒に飛び上がった。
「楽しそー♪ よーし、僕もっ♪」
ケヴィンがピョンピョンとその場で跳ね、一行を遠巻きにする人々との距離が更に開く。
 しかし、ケヴィンはそれを気にかけた風もなく、子供のようにきゃいきゃいと笑って飛び跳ねる。 
「ほらほら、みんなも飛んで飛んでっ」
信号待ちに足を止めた人々も、ケヴィンのあまりに無邪気な誘いに通行人の一人がうっかり応じてしまい、連鎖的に垂直飛びを繰り返す、謎の集団と化してしまう。
 ことさらゆっくりと、道路を過ぎる車から投げかけられる視線の痛さが、集団心理の怖ろしさを湿していた。
 けれども、それも信号が青に切り替わる間まで、通行人達はそれと同時、何事もなかったかのように歩き出す。
「みんなお調子者だねぇ♪」
「お前が言うな」
一人、他人の振りで周囲に視線を遣っていた冥月が、去り行く人々に明るく手を振るケヴィンに冷静なツッコミを入れる。
 その間も、じりじりと周囲を伺っていた中山だが、どうやら漸く腹が決ったらしく、摺り足に体重の移行を感じさせない……それはどこか、監視カメラに映るこの世ならざる存在独特の動きで、咲の腕を引いて横断歩道を駆け出した。
「あれ?」
続こうとした冥月が足を止め、横断歩道の半ばで中山と咲が耳を押さえる。
「あー、これこれ! ほらほらMs.エマ、これだってば!」
片耳を押さえたケヴィンが大きく手を振り、満面の笑みで報告するが、シュラインと嵐の耳には雑踏のざわめきしか聞こえない。
「……う、るさいなこれは。さっきとは段違いだぞ」
眉を顰める冥月に、嵐は横断歩道で立ち往生する中山と咲とに駆け寄り、抱えるように引き戻す。
「あれ、渡らないの? みんなー?」
その中、一人楽しく横断歩道を進んでいたケヴィンが振り返った、その時。
 強引に右折して来たトラックが、笑顔のままのケヴィンを巻き込んで、街路樹に突っ込んだ。
「ひっ?!」
中山が洩らした短い悲鳴に思いを同じくしながら、目の当たりにした光景に全員が凍り付く。
 タイヤの濃いスリップ後の真ん中に、赤黒い筋が並んで続き、それを目で追えば斜めに傾いだ街路樹と、荷台の荷物を散乱させ、煙を上げながら助手席付近を大破させたトラック……。
 ダメだろう、これは。
 何が、という主語を、思考の内ですら言葉にすることが出来ないのは、果たして遠慮か、はたまた絶望か。
 誰かが甲高い悲鳴を上げ、止まっていた時が漸く動き出す。
「ケヴィン……っ!」
中山を冥月に、咲をシュラインに任せ、駆け出そうとした嵐の背後、
「はぁい」
と、呑気な答えが返った。
「なっ?!」
思わず振り返った面々に、呑気な笑顔でケヴィンが顔の横で手を振る。
「あーあー、酷い事故! 運転手は無事みたいだけど、もー大変だよねー。大惨事ってイヤだよねー……あ! スーツぼろぼろ! もー、どーしよーっ!」
自分の背中を見ようと、尾を追う犬のようにして、ケヴィンはその場でくるくると回る。
 交通事故現場に凄惨さを加える血の跡……その主が元気にぴんしゃんとしていい筈がない。
 貧血を起こして目を回した中山を抱えた一行は、野次馬に気づかれないうちにと、さっさかその場を逃げ出した。


「ちょっと、これ僕の生徒に見られたらどうするの。恥ずかしくて死んじゃうよ!」
「大丈夫、死なない死なない」
蛍光ピンクのジャージの上下に身を包み、スーツ姿の老若男女の中で悪目立ちをしているケヴィンが嵐に食ってかかっていた。
 しかし、轢かれても五体満足なケヴィンの主張は、そうおいそれと受け容れられるものではなく、相手をする嵐の応対もおざなりだ。
 道の途中のスポーツ店でジャージの上下を買い込み、職務質問を避けられないケヴィンの姿を急ぎ取り繕った一行は、帰宅ラッシュの人込み中、ホームで電車待ちの最中だった。
「でもケヴィンさん、トータルコーディネートは完璧だし、健康そうに見える色でとってもいいと思うな」
咲の指摘の通り、ジャージのピンクはケヴィンが常に愛用するリボンと同系色で、色合いとしては問題ない。
 それよりも、足下の革靴の方が違和感の塊と化しているが、ひしめく人混みの中で他人の足下に気を払うことがあるとすれば、その足に踏まれている時くらいだ。
「そうよ、最近は健康志向もお洒落の一環だし。ちゃんと考えて選んだだけあって、よく似合ってるわ」
シュラインもそうフォローをするが、その実、飛び込んだスポーツ用品店で最も大きなサイズがその蛍光ピンクしか残っていなかった、というのが真実である。
「違うよ! こんな10万以下の服を身につけるなんて、生徒に知られたら恥ずかしい!」
色や種類の問題ではないらしい。
 しかし、街のスポーツ店に其処までブランド色の濃い……常の購買層と違う商品を常備しておけというのも酷な話だ。
「殴るぞ」
洗うほどではないが、趣味に金を食われてわりと赤めの貧乏を共にする嵐が、本気の目で危機感を溢れさせたケヴィンの叫びを一蹴した。
「大丈夫か、中山」
冥月の気遣いにも静かな依頼人は、轢死した筈のケヴィンの復活が余程の衝撃だったのか、藁にもすがる様子で咲にしがみついていたのが自立することが出来ていた。
 心なしか、前のめりな首の角度も上向きになっているような気がする。
「鈴が鳴っても、中山は無事ってパターンが多そうだな。見てると」
その指摘に、中山がはっと冥月を見た。
 簾の前髪から僅かに覗く目が、冥月の観察眼の正しさを証明していた。
 轢かれた本人が無事である事態はそうないだろうが、周囲で巻き起こる不幸、それを知りながら止める手立てがないというのは、悲嘆にくれるのも道理である。
 人の痛みを、自らのそれとして感じる心を持つ者であれば。
「……大寿ちゃん、辛かったわね」
咲がそっと手を伸ばし、簾に覆われた大寿の手に触れる。
 何やら心温まる展開に到ろうとしていた彼等だが、現時点で大変紛らわしい発車ベルに中段された。
 次いで、『二番線、列車が到着致します』と独特の鼻にかかったアナウンスに、到着車両に雪崩れ込む人波に押されて台無しになる。
 むわりとした人の熱気と、酸素の薄そうな車内に詰め込まれ、一団で固まることも出来ずに散り散りになる中、人より頭の位置の高いケヴィンが声を張った。
「皆、何処ー?」
「ケヴィンさんの背中にくっついてます!」
「咲ちゃんの右手に居るわ」
何せ、首の角度を変えることも難しい車内である。マナー違反は承知で、依頼人の安全を守る手合いが傍に居るかは、確認しておかなければならない。
 ケヴィンと咲、シュラインの意思表示に、まるで反対側の壁際で、こちらも長身を活かした嵐が手を振る。
「中山さんと冥月はこっちに居るから」
互いの居場所を確認し、二つ先の駅で間違えずに降りるべし、という遣り取りを終えると同時に車両が動き出した。
「さて、こんな所で何だが先の話の続きだ」
冥月の呟きに、窓際に追い詰められた形になった中山がびくりと身を竦める。
 身動き一つ取れない車内に於いて、冥月は壁際に突いた両手の間に中山を収め、四方からの圧力に耐えて微動だにしない。
 その様子を上から見下ろし……嵐は嵐で、位置的にそれ以上の助力は出来ないまでも、踏ん張ることで殺人的な混み合いを軽減させようとしていた。
「いじめようってんじゃないよ……多分」
自信なさげなのは、冥月が既に中山を怯えさせているからに他ならない。
 怯える中山に、その場を取り繕おうとした嵐の言に、冥月がチッと明瞭に舌を打った。
 よもや苛めるつもりだったのかと嵐が肝を冷やすが、両耳を押さえて目を固く閉じ……ていると思わしき中山の反応に、また鈴の音が響いているのだと察する。
 視線の先のケヴィンを見れば、表情を引き締めて全て解っている風に頷いた。
 この、過密状態の電車が如何なる事故に見舞われたと想定しても、最悪の事態ばかりが頭を過ぎる。
 これは確かにキツい。嵐は心中に冷や汗をかきつつも、力の及ぶ限りは被害を最小限に止めようと腹を決めた。
 如何なる事態にも対処が出来るよう神経を尖らせながら、コツコツと中山が背を預ける硝子を叩いて自分に注意を向けさせる。
「……ちょっと思ったんだけど」
黒髪の簾の間から、きろりと見上げる目が嵐を捉えた、ような気がした。
「鈴が警告してくれてる……つーか? そのお陰で今んトコ、ギリギリで危険を回避出来ている……って感じがしないでもないようなそうでもないような?」
いつ不幸、というよりも災難に見舞われるか解らない不安を抱えている彼女の気持ちが、少しでも上向くように懸命に言葉を紡ぐ。
「自分で不幸だなんて思ってると、かえって呼び込んじまうもんだぜ」
今日は自分達がついているから大丈夫だと、精一杯の励ましが中山の気持ちを動かせたかどうかを判じる暇はなく、嵐の耳にぼそりと低い声が届いた。
「なんだ、男か」
「誰が男か!」
迅雷の速さで、冥月の手首が翻り、満員電車に付き物であってはほしくない都迷惑防止条例違反者、即ち痴漢の腕を捻り上げた。
「え? あれ? 鈴聞こえてたんじゃない……の?」
耳を押さえていた、とばかりに思っていた中山が、ふるふると首を横に振る動きに、どうやら両手で頬を押さえていた模様が髪の間から判明した。
 車内に上がる野太い悲鳴に問いがさざめき、冥月を中心に痴漢の存在が口伝てに車内に伝播していく。
「ケヴィン、何があったの?」
ざわめきに、エマが蛍光ピンクの肩に問い掛けたが、ケヴィンは「さーぁ?」と大きく肩を竦めるに止めた。
 下車後、嵐があの自信に満ちた応意は何だったのかとケヴィンを問い詰められるが、「なんとなく?」の一言で済まされてしまうらしい。


 中山の実家まで乗り換えを経て、一行は目的地の駅に降り立った。
 繁華街の賑わいも何処か素朴な風情を持った街並みは、大路から一本外れただけで住居が混み合い、下町の風情が情緒豊かに展開されている。
 車の入れないような路地には、住人が配した植木鉢の緑が涼やかで、専ら木造である家々の古びた佇まいの間をのんびり自転車が通り過ぎていく、穏やかな時間を目の当たりに出来た。
 生まれ育った場所である為か、或いは何某かの心境の変化を経てか、中山は曲がったままだった背筋をぴんと伸ばして入り組んだ小路を先導していた。
「さっき、身一つでって言いましたけど」
気持ち、声の張りまで違うが、それでもずらりと長い髪は同じで、進行方向から顔の位置を察する他ない。
「私、駆け落ちしたんです」
「えぇっ?!」
誰が。誰と。どうやって。その不幸さ加減を体現したような陰気な外観からは最も遠くにある気がする、衝撃的な虚を突かれ、全員が思わず驚愕の声を上げた。
「そんな情熱的な……」
タイプには見えない、と思わず嵐が事実を口にしそうになったが途中でどうにか呑み込む。
「私の、奥ゆかしくて控えめなところがとても可愛いって言ってくれて……彼からプロポーズしてくれたんです」
よくよく見れば、大寿の薬指には指輪が光っているが、常に隠されたような状態で気づく余裕はありはしない。
「彼処が、うちでやってる豆腐屋です」
中山が指差す先には、住宅街に埋没するような自然な佇まいを見せる豆腐店の看板があった。
『中川豆腐店』と、静かで人気のない店内は暗いが、豆腐を作る機材の鈍い銀色が店の外からでも見て取ることが出来た。
 あぁ、だから大寿なのかぁ、と彼女の名前の由来を思わぬ形で得、納得する面々を余所に中山は続ける。
「私と一緒に家を継いでくれる人を見つけて……父もきっと喜んでくれると思って、彼を紹介したんです、なのにあの頑固親父と来たら……!」
折からの風に中山の髪が踊り、それは彼女の感情に反応したかのようにメデューサの如くうねりを伴った。
「豆腐屋の娘が豆腐屋の倅を捕まえて来なくてどうする! サラリーマンなんぞ俺は認めーん! とこう来ましたよ、ふ、ふふふふふ……」
実家を前にして、往時の怒りが蘇ったのか、低く笑う中山の不気味さが増す。
「でも豆腐屋の人と所帯を持つことになっても、継ぐことになるのは先方のお店よね?」
最もなシュラインの指摘に、中山はくるりと振り返ると、的を射た意見にシュラインの手をぎゅっと握り締めた。
「そうですよね、でも聞かないんです、通じないんです!」
「で、その場で家を飛び出した、と」
後を引き継ぐ冥月に、街並みから浮きまくっているケヴィンがドロップを口の中に転がしながら呑気に述べた。
「そうなると、家捜しさせて欲しいって言いにくさNo.1な物件ってことでもあるよねー。諦めるのと、家の人縛り上げて鈴探すのとどっちがいいかな」
そんなケヴィンの両極端な提案は、却下の意味で黙殺される。
「勢いで家を離れてから聞こえだした鈴の音が……悪い物だ、悪いことだと思うことで、逃げてただけだと……今日、皆さんと一緒に居て、解った気がして」
「そうそう、どーんとぶつかれば人生何か開けることもあるよー」
ケヴィンが明るく肯定する。が、だからと言って、トラックに正面衝突するのは勧められない。
「大寿ちゃん、今日は私達もついてるからお父さんときちんと話し合いましょう!」
「ありがとう咲ちゃん……がんばる!」
咲の励ましに大きく頷く中山だが、これだけ個性の違った面子を並べての話し合いは半ば脅迫と呼べなくはないだろうか、という一般的な見識を持った人間の不在が惜しまれる。
 手を取り合い、励まし合う二人だが、狭い道の真ん中で盛り上がっていては、当然の如く通行の邪魔になる。
「ちょっとどいてどいてー」
案の定、通りすがりの自転車がベルを鳴らしながら、通り過ぎていく。
 ヂリリリン、リリン!
 指の動作だけで発された警告に、咲と中山、冥月はケヴィンがはっとばかりに顔を見合わせる。
「これだ!」
我先にと駆け出す先には、豆腐店の店頭に雨ざらしに置かれたままの自転車があった。
「大豆三号……」
中山が学生時代に通学に使い、帰宅してからは豆腐の配達にも活用されていたという自転車は、長らく手入れをされていないのか、すっかり錆ついてしまっている。
 堅牢な作りが個性的な古びた自転車の、右手のハンドルについたベルを鳴らそうとするが、中まですっかり錆び付いているのか、ヂギギギギと鈍く籠もった音しかしない。
 咲がシュラインを見、シュラインはこくりと頷くと喉元に手を添えた。
 ヂリリリン、リリン! ヂリリリリ!
 大きくな金属音は、確かに鈴の音だが、抓みを指で操作すれば中で歯車が周り、容赦なくベルを打ち鳴らして警告とする、今は珍しいタイプのその音を、シュラインは再現してみせる。
「誰だ、人ん家の自転車にイタズラすんのは!」
その音に、店の奥からそんな怒声と共に、ステテコ姿の男性が飛び出して来た。
「……お父さん」
自転車の前に立ち尽くす中山の呼び掛けに、男性もまた歩を止めた。
「大寿か」
気まずいような沈黙に動けない、中山の手が自転車の満足に鳴らないベルを弄ぶ。
「大寿ちゃん」
囁くように名を呼んで、咲が中山の背を軽く押した。
「た、ただいま」
父に向かって一歩を踏み出す……中山の指が自転車から離れるその瞬間、ベルは一度だけ、確かにリンと小さく澄んだ音を響かせた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【0904/久喜坂・咲/女性/18歳/女子高生陰陽師】
【2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【2380/向坂・嵐/男性/19歳/バイク便ライダー 】
【5826/ケヴィン・トリックロンド/男性/137歳/神聖都学園英語教諭/蟲使い 】

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■         ライター通信          ■
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初めまして、闇に蠢く駄文書き、北斗玻璃に御座います。
お久しぶりな依頼に参加いただきましたこと、先ずはお礼申し上げ、最近は書くほどに文字数が多くなるなと反省はすれど、改善の難しさを実感しながらのお届けです。
一番派手な被害を被りつつ、ある意味何のダメージも受けていない、そんな役回りにしてしまっておりますが如何でしたでしょうか……トリックスター的な感じが大好物な上、流血好きの北斗にそんな、ねぇ? という謎の同意を求めながらも遠慮なく執筆させて頂きました。
何某か、お気に召す箇所がありますことを切に願いながら、それではまた、時が遇う事を祈りつつ。