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宵待ちの宿 攻防戦
朽月・サリアがそこを通りがかったのは偶然だった。
サリアは要人の警護を請け負うボディガードだ。特にどこに所属するわけでもなく、フリーランスを貫き通している。その日も一人の要人の警護を終えて、帰宅する途中だった。
「……騒がしい、ですね」
サリアの向かう先の路地から何か騒々しい物音がする。それも、サリアが日常的に耳にするような物音ではない。仕事中に耳にするような、物々しい音だ。
何かと思い足音を消して近づくように歩いていくと、背後からけたたましい足音が響いてきた。とっさにサリアは物陰に身を隠す。通り過ぎていったのは異形の者たち――あやかしだった。
サリアがあやかしたちに気づかれないように後をつければ、あやかしたちの行き着いた先は一軒の小さな宿屋だった。
「行くぞ!」
おお、と雄たけびを上げながらあやかしたちは手に手に武器を掲げ、宿へと押し入っていく。とたんに宿から聞こえたのは女の悲鳴とあやかしの怒鳴り散らす声だった。
「おやめくださいまし! 当宿ではいさかいはご法度でございます!」
「うるせえ、黙ってろ! あやかしの風上にもおけない女め!」
「きゃあっ」
悲鳴を上げて宿の玄関口に倒れこんだのは、金髪と緑色の瞳がよく似合うきれいな女だった。宿から出てきたあやかしたちが女を取り囲む。あやかしたちは女を見下ろして忌々しいと言わんばかりの顔をした。
「けっ、人間風情と仲良くしやがるからこうなるんだ」
すると、は気丈にもあやかしたちをきっと睨み返して言った。
「お客様への侮辱は許しません!」
この宿の従業員、はたまた女将なのか。そう言ってゆっくりと立ち上がる女に、あやかしは大きく舌打ちをした。
宿からの悲鳴は徐々に大きくなり、聞こえる騒音も数を増していく。宵待ちの宿、と書かれた看板が無残にも道端に転がっていた。
多勢に無勢、女に手を上げる。どう見ても一方的としか思えない状況に、サリアの瞳が薄っすらと光った。サリアの持ち前の正義感と好奇心がその瞳に色をにじませる。
「仕方がないですね」
ぽつりと呟くや否や、サリアは宿への襲撃者に向かって走り出していた。女とサリアを隔てる襲撃者を背後から蹴り倒す。
「こちらは任せて! 早く逃げてください!」
「は、はい!」
サリアが女に向かって叫ぶと、女は慌てて走り出した。
「逃がすか!」
「させません!」
女を追おうとする襲撃者の足に素早く足払いをかけて、地面に転がす。土煙をあげて地面に倒れる仲間を見て、襲撃者たちの目がサリアに向いた。
「やりやがったな、人間風情が!」
大男のこぶしがうなる。サリアはそれを紙一重でかわして不敵に笑んだ。
「当たりませんよ」
「なんだと、このアマ!」
「当てられるものなら当てて見せてください」
「調子に乗りやがって!」
逆上する襲撃者たちを煽って引きつけながら、サリアは攻撃をかわして宿に入り込む。
「逃げる方は早く! 後は私が!」
サリアが叫ぶと宿に留まっていた者たちが一斉にサリアを見た。
「助けがきた!」
誰か一人がそう叫ぶと共に、一斉に戦えない人々が逃げようと走り出す。それを追ってくる襲撃者たちの首めがけてサリアの回し蹴りが飛んだ。群がっていた襲撃者たちがドミノ倒しのように倒れていく。起き上がってきた襲撃者には――どこがそれかわからない者には適当にあてをつけて――鳩尾にこぶしを叩き込んだ。
軽やかに舞う銀糸の髪はまるで戦女神のそれのようであったが、それも狙われる襲撃者たちにとっては修羅でしかない。束になってかかってくる襲撃者たちに、サリアの格闘術が次々ときまっていった。
サリアは逃げ惑う人々を逃がしながら宿の奥へ奥へと入り込んでいく。と、その時、視界の先に輝く金色の髪を見つけた。
「さっきの……?」
そう呟きかけて、相手が男だと気がついた。先ほどの女と同じ緑色の瞳が柔らかに細められる。
「貴女ですね、先ほどイチを助けてくださった方というのは」
「イチというのですか? あの女性は」
「ええ、イチは私――この宿の主であるミツルギの妻です」
戦場の中にあっても決して揺るがない存在感を持つ男は手に奇妙な模様が描かれた札を構えながら、微笑んだ。
「あなたがこの宿の……?」
サリアがそこまで言った時、ふいに背後から無数の気配がした。サリアは素早く背後に向き直って身構える。
「イチさんは既に逃げ終えました。あなたも逃げてください」
けれど、ミツルギと名乗る男はサリアの背後で背中合わせに立って言った。
「お気持ちはありがたいのですが――それは無理のようですね」
気がつくと、サリアとミツルギは襲撃者たちに囲まれていた。
「何より、お客様をおいて逃げることなど宿の主として失格です」
「客? まだ宿に泊まっている方が残っているんですか?」
「いえ、貴女ですよ。ここ、宵待ちの宿には用のある方以外は訪れられないのです」
「はあ……」
よく意味がわからない、といった様子でサリアが曖昧に返すと、ミツルギはくすくすと笑った。
「この戦いが終わったらお持て成しいたしますよ」
「そんな悠長なことを言っている場合ですか?」
「何、貴女の力をかってのことです」
呆れたサリアの声もどこ吹く風といったミツルギの様子に、サリアは何を言っても無駄だと悟った。
いい加減、無視されて機嫌を損ね始めている敵に注意を向ける。と、ミツルギが小さな声でささやいた。
「援護します。貴女は存分に腕を振るってください」
――緊張感のないようで、ちゃんと物事を考えているらしい。
サリアは内心で少し安堵しながら、頷いた。
「わかりました。気をつけてくださいね」
「お気遣いありがとうございます」
二人はそう言葉を交わし、そして動き出した。
「宵待ちの宿での決まりを守らないとどうなるか、その身をもって知っていただきましょう」
ミツルギが高らかに宣言すると、その手から無数の白い札が放たれた。札は意思を持つかのようにぐるりを囲う襲撃者たちに張りつき、青白い閃光が迸る。
「ぐあああ!」
苦悶の表情を浮かべて悶える襲撃者に、サリアが飛びかかった。札に動きを封じられていた襲撃者たちはサリアの一撃であっけなく地面に沈む。と、その時、
「これしきのこと!」
サリアの背後で額に角の生えた大男が体に張りついた札を無理矢理に引っぺがした。札の束縛から逃れた男は、雄たけびを上げて背後からサリアに飛びかかる。
けれど、サリアは援護すると言ったミツルギの言葉を信じて、あえて目前の敵に殴りかかった。
ミツルギの札が飛び、大男の腕を拘束するように張りついた。両手をふさがれてバランスを崩した男が床にくずおれる。サリアは襲撃者の内二人をなぎ倒してミツルギを振り返った。
「只者じゃないですね」
「ええ、狐ですから」
サリアの言葉に、ミツルギはとぼけたように言ってまた別の敵へと向かい直った。
それから数分後、気がつくと二人の周りには倒れた襲撃者たちの山ができていた。ミツルギは気絶した襲撃者の一人一人に札を貼りなおした後、襲撃者たちを遠い異界に送ったらしい。
――らしい、というのも、襲撃者を倒した後すぐにサリアは物陰に隠れていたというイチに比較的被害の少なかった隠し部屋に連れて行かれ、彼女の手料理を食べきれないほどもてなされていたからだ。
おまけに、
「こんなに食べ切れませんよ」
とイチに言ったら、
「ではお土産用に包んでおきますね」
などと言って大きな筍の皮でいなり寿司を包み出す始末。
――イチなりの感謝の表し方だとミツルギは言っていたものの、この量はどうなのだろう。
手にずっしりとくる重みを感じながら帰路につくサリアの手には、米袋ほどもある大きな包みがあった。
――しばらくはいなり寿司の毎日が続くだろう。
けれども、イチの作るいなり寿司は思いのほか美味しかったことを思うと、不思議と包みが軽くなったようにサリアには感じられた。
「情けは人のためならず、ですね」
くすりと笑みを零し、「今日もいいことをしました」と満足げにサリアは異界を後にした。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【7552 / 朽月・サリア / 女 / 29歳 / ボディガード】
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■ ライター通信 ■
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初めまして、諸月みやです。この度は『宵待ちの宿』を発注してくださり、まことにありがとうございます。
戦闘シーンは不得手ですが、精一杯書かせていただきました。朽月・サリア様に楽しんでいただけると幸いです。
未だ未熟者の身ですが、またの機会がありましたらぜひよろしくお願いいたします。
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