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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


道化師の仮面



1.
「やぁ、いらっしゃい」
 みなもが店に入った途端、そう声をかけてきた蓮の手にあったのは一枚の仮面だった。
 派手なメイクに赤く大きな唇が描かれたそれはピエロの仮面に見える。
「まるでピエロだ。そう思ってるんだろう?」
 心を読んだように蓮はそう言い、にんまりと笑ってみせる。その仕草も今日は何処か道化がかって見えるのは手に持っている仮面のせいだろうか。
「見ての通り、これはピエロの仮面さ。ただし、ちょっとばかり訳ありだけどね」
 訳ありでないものなどほとんどないこの店の主はそう言ってまた笑って仮面を見せる。
「こいつは昔見世物で使われてた仮面でね、かぶればその仮面が見ていた光景が見えるって寸法さ。みなもちゃん自身がそのピエロとなってね」
 言いながら蓮は仮面をかぶってみせる仕草をしたものの本当にかぶることはせず、やはり目はこちらを見ている。
 どうやら、これを借りてみる気はないかと言いたいようだ。
「注意は一つだけ。かぶり過ぎには気をつけることだね。こいつの記憶に飲まれても知らないよ」
 そう言って、蓮はまるで道化のような笑顔を作ってその仮面をこちらに向けた。
「昔っていうと、どのくらい昔のものなんですか?」
「そうだねぇ、みなもちゃんが知らないような昔からこいつがあるっていうことは確かだね」
 詳しくいつからこれが存在しているかとなると蓮にもよくわからないもののようだが、見る限り仮面はさほど汚れもなく古びた感じもしない。
 昔のサーカスというものに、みなもは興味があった。
 サーカス、もっと遡れば見世物小屋と呼ばれたものがあったときのことにも。
 はるか昔には、人魚が見世物小屋に出ていたこともあるという。もっとも、その中に本物の人魚がいたかどうかは疑わしいが、もしかすると本物だって見世物として舞台に立ったことがあっても不思議ではない。
 その頃の資料を借りて見たことは何度かあるのだが、色褪せた映像や文献だけではやはり臨場感というものが伝わりにくく、みなもはもっと確かなものを感じる機会があればと思っていたところにこの仮面が差し出された。
 まるでみなもの意思と仮面の意思が呼び合ったかのような出会いに、みなもは目を好奇心で輝かせながら蓮に向かって口を開いた。
「蓮さん、是非この仮面あたしに貸してください」
 もとより誰かに貸すつもりだった蓮がそれを断るはずもなく、ぽんとみなもにその面を手渡した。
 白塗りの顔に派手な化粧、厚ぼったい唇は裂けるように吊りあがっているその顔は、間近で見れば何処か奇妙でけれど憎めない顔をしていた。
「くれぐれも、かぶり過ぎには気をお付けよ?」
 店を出て行くみなもに向かって、蓮は念を押すようにそう言った。


2.
 帰宅して自分の部屋に戻ってから、鞄の中に入れておいた仮面を取り出し、みなもは改めてじっくりと仮面を見た。
 ピエロと言われて誰もが思い浮かべるような顔が、真っ赤な唇でみなもに向かって笑いかけている。それは友好の現われにも見えたし、早く自分をかぶってみろとみなもに誘いをかけているようにも見えた。
「えぇと、このままかぶれば良いのかしら」
 おそるおそる、みなもは仮面を自分の顔へと近づけていく。
 どの瞬間にその光景が見えるのだろうとやや警戒しながら付けていくが、ぴたりと頬に僅かにひやりとする感覚が走ったと思ったとき、みなもの視界は一変していた。
 普通は仮面をかぶると視界が狭くなるものだが、いま目の前に見えている光景には視界を遮るものが何もない。
 何もかぶっていないように見渡せる世界は、みなもがまったく知らないものだった。
 天を覆っているのは巨大なテント。中央に設置されたリングをぐるりと取り囲むように座っている観客たちの顔にはどれも笑顔が浮かんでいる。
 耳に聞こえてくるのは生演奏の楽団の音色に獣たちの咆哮やバイク乗りの排気音、そして何よりも観客たちからの歓声と割れんばかりの拍手が鳴り響く。
 いままさに、みなもはピエロとしてサーカスのステージに立っていた。
 もっとも、みなもには自分がどんな姿をしているのかは見ることができない。だが、自分が立っているのがステージ中央に設置された舞台の上だということは理解ができた。
「レディースアンドジェントルマン!」
 その声は、みなものすぐ近く、まるでみなも自身があげたように近くから聞こえてきた。
 どうやらこれは、ピエロの声らしい。
 やや甲高い、ともすれば耳障りになりそうな特徴的な声だったが、その声には道化師特有のおどけた響きが含まれていた。
「当サーカス団へお越しの皆様、これからお見せします芸は小さな子が真似をしないようお父様お母様方はしっかり見張っておいてくださいな。あぁっと、けれどそんなものは見せられないわといま帰るのはご勘弁。そんな惨いことをされてはあっしが団長にぴしゃりとムチで叩かれてしまいます」
 おどけた口調で喋る声に観客たちはくすくすと笑う。
「さぁて、では我がサーカス団の誇る世にも珍しいショーをじっくりとご堪能! 勿論あっしも後から出てきます……えっ、もう良いって? そりゃないよ」
 またそこでくすくすとした笑い声が起こる。どうやら前座はここまでのようで、視界はたったとステージの中央を他のものに譲っていく。
 そこから始まった舞台を、みなもはピエロとして、同時にひとりの観客として眺めていた。
 猛獣使いの見事なムチさばきに操られる巨大な獣、華麗な空中ブランコ乗り、美女と野獣という言葉が相応しいような巨大な男と美女の共演。
 その合間合間にピエロは舞台に立ち、おどけて見せては小さな子供や両親にも拍手をもらう。
 テントまで届きそうな炎を上げる火吹き男の芸には観客から悲鳴のような声も上がり、転じて現れたガンマンが見事ピエロの頭に乗ったリンゴを撃ち抜いたときは誰もが賞賛と安堵から拍手を惜しまない。
 映像でしか見たことのないサーカス団がいま、目の前にある。
 いままさに、目の前で行われているかのような色鮮やかで魅惑的なサーカス団の曲芸に、みなもはすっかり夢中になっていた。勿論、その間にはピエロの出番もある。
「きゃあ、助けて助けて。食べられる」
 わざとらしい悲鳴をあげながらいまピエロが逃げているのは猛獣使いの操る熊だ。
 割れんばかりの拍手の中、みなもはすっかりピエロとしてサーカスに立っている気分になり、鳴り止まない拍手に何度も何度も手を振った。
 と、ぽろりと何かが剥がれ落ちたと感じたとき、またみなもの視界が一変する。
 そこにあったのは、見慣れたみなもの部屋だった。
 見れば、仮面は床に落ちてこちらに向かって笑いかけている。
 その笑みが、まるで今日のショーはここまでと言っているように見え、その後これが借り物であったことを思い出したみなもは慌てて拾うとベッドの傍らに仮面を置いた。
 仮面が傍らにある以外はいつもと変わらない自分の部屋が、いまのみなもには何処か物足りなさを感じさせた。
 かぶり過ぎには気をつけるように。そう蓮に忠告はされていたが、みなもは毎日仮面をかぶり、サーカスの世界にのめり込む。
 徐々にかぶっている時間が増えていっていることにも気付いてはいた。それに気付いてはいたがしかしあの世界が忘れられずまたすぐに仮面をかぶる。
 ピエロの仮面がみなもに見せてくれるのはサーカスの興行の記憶だけで、団員たちが普段どうしているのかなどはわからない。けれど、みなもにとってはそのほうが良かった。
 みなもが見たいのは彼らの見事な芸なのだ。芸を披露していないときの彼らがどうしているのかを見てしまえば、きっとみなもは失望してしまったことだろう。
 それを察しているかのように仮面は次々とサーカスを見せていく。
 見るだけではなく、みなもは自分がピエロとなってサーカスに参加しているという感覚にも次第に夢中になっていく。
 おどけ、ふざけ、時には器用な芸を披露して、けれど最後にはやはり失敗しては観客に笑われる。まさに道化師と呼ぶに相応しい。
 ナイフ投げの名人の的になったときは、頬のギリギリをナイフが掠め、観客からもごくりを息を呑む音が聞こえてくるような緊張感も味わった。
 魔術師の胴体切りの獲物となったときは悲鳴さえも上がったが、見事繋がった身体を見せればまた拍手が沸きあがる。
 サーカスの花形は誰でもないピエロ自身、そしていまはそれはみなも自身だと言っても良い。
 そんな感覚に酔うように、日を追うごとに仮面をかぶる時間は増していき、気が付けばかぶっている時間のほうが長くなり始めていた。
「みなもちゃん、一度店に寄っちゃくれないかい? あいつを貸してしばらく経つが、ちょいとばかり長く持ちすぎじゃあないかい」
 そう蓮から連絡が来たとき、みなもは陽気に笑いながら首を振った。その仕草はいつものみなもらしくないおどけたピエロのように何処か歪な笑みだった。
「やぁだ、蓮さん。全然大丈夫ですよ。それに知ってます? ピエロがいないとサーカスは始まらないんですよ?」
 まるでみなも自身がサーカスの一員になったように、おどけて答えたその口調も普段のみなもとは違っていた。
 蓮の言葉を無視して、その日もみなもは仮面をつけた。途端、いまは『現実』よりも近しくなった気さえするテントがみなもを歓迎する。
 ぴたり、と何かが張り付くような感覚が頬に走る。それが何か気付く前に、みなもは目の前に座る観客たちに向かって一礼する。
「レディースアンドジェントルマン!」
 今日そう叫んだ声は耳になじんだ甲高い声ではない。
 その声は、紛れもなくみなも自身の発した声だった。


3.
「今日も我がサーカス団の芸でお楽しみを!」
 みなも自身の声が目の前に座る観客たちに放たれる。しかし、みなもはそのことに気付いていないようにいつものように口上を述べていた。
 素晴らしい夢のようなサーカスが今日も始まる。今日はいったいどんな芸を皆が披露してくれるのだろうとピエロになりきっているみなもの前に現れたのは仮面をかぶった怪しげな男だった。
 その男をみなもはいままで見たことがない。また知らない団員が現れたのかと思っているみなもの前で、男は低く朗々とした声で観客に向かって語りかけた。
「本日は我がサーカス団にとっても素晴らしい日となりました。このサーカス団に、また新しい仲間が増えたのです」
 その声に観客たちは惜しみない拍手を送る。送っている相手は誰でもないみなもだ。
「長らく観客でいた彼女ですが、今日このときより我がサーカス団の正式な一員、新たなピエロとして皆様に素晴らしい時間をお送りします」
 言われているみなも自身は何のことだか理解しておらず、だが顔だけは作られたかのような笑顔を浮かべていることがわかっていた。
 きっといま鏡を見れば、みなもの顔はあのピエロの仮面のように何処か歪な、けれど愛嬌のある笑顔を浮かべているのだろう。
「さぁ、皆様にご挨拶を」
「え、でも仮面をつけたままなんて失礼じゃ」
 みなも自身の言葉でそう言ってから、みなもは何かに気付いたように慌てて顔を触った。あの仮面が張り付いている感覚はまだある。だが、その仮面はまるで新しい皮膚のようにみなもの顔にぴたりと張り付いてしまっている。
(仮面が、取れない)
 そのことに気付いたみなもは、けれど恐怖を感じることはなかった。みなもが感じたのはまるで悪い酒にでも酔っているかのような奇妙な高揚感。
(あたしがサーカスのピエロになれる、このサーカスの花形に)
 その考えはみなもを更に高揚させ、脳が痺れるような感覚さえも覚える。そして思考をますます奪っていくように降り注ぐ観客たちからの拍手。
「我がサーカス団が誇る芸で今日もお楽しみを!」
 そう叫んだみなもの声には何処か誇らしげな響きさえもあった。
 ようやくそのときになって、みなもはどうやら先程挨拶をした男がこのサーカスの団長であることに気付いたが、団長らしき男の姿はすでになく、あるのは猛獣使いやブランコ乗り、魔術師にナイフ投げといったサーカスの団員たちばかりだ。
「さぁ、今日はデビューなんだから」
「さぁ、早く舞台に」
 団員たちは次々とそう言いみなもを舞台へと上げていき、ショーに加えていく。
 そのショーは、みなもがいままで見ていたものとは些か違っていた。
 華麗なブランコ乗りの相方を何故かみなもが演じ、その手を掴むことができなかったみなもは下に張られた網に向かって真っ逆さまに落ちていく。ナイフ投げの投げたナイフはリンゴではなくみなもの胸に。それをおどけた顔でさっさと抜くと、次に待っていたのは猛獣使いのムチだった。
 そのやり取りに、観客たちはいつものように楽しげに笑い、拍手を送る。
「なんで、どうして今日はこんなショーなの!?」
 ぴしりと聞こえるムチの音にまぎれるようにみなもがそう叫ぶと、団員たちは笑いながらみなもを見る。
「だって今日は晴れの舞台だ。主役は勿論ピエロのあんた。そしてピエロはお客様に笑っていただかなけりゃ」
 確かに観客たちは楽しんでいる。だが、みなもはたまったものではない。
「いままでのピエロさんはこんな目にあってなかったじゃない!」
「そりゃそうだよ、だってあいつには芸があったからね。芸が身に着く前にデビューしちまったあんたが悪い」
 言いながら団員たちがみなもを入れた箱には覚えがあった。
「さぁて、それでは本日のメインショー。新人ピエロの胴体切断魔術でござい。紳士淑女の皆様、どうかこのピエロが無事戻ってこれますようご静粛に」
 芝居がかった口調でそう言って、魔術師は巨大なのこぎりを取り出したところでみなもの意識に幕が下りた。


4.
 翌日、みなもの姿はアンティークショップにあった。やや憔悴している感はあったが、その身体には切断はおろか傷ひとつないように見える。
「だから言ったろう? かぶり過ぎには気をお付けってね」
 昨夜体験したことを聞いた蓮はというとにんまりと笑ったままそう言った。
「だって、あんな目に会うなんて思ってもみなかったんです」
「まぁまぁ、確かに怖い思いはしたけれど怪我はしていないだろう? 悪ふざけが過ぎたと思って勘弁してやっておくれよ」
「あれが悪ふざけですか?」
 むっとした顔でみなもがそう言っても蓮はにやにやと笑ったままだ。
「こいつはただみなもちゃんにサーカスを見せたかっただけなんだよ。そして、見るだけじゃ可哀想だと思ってああしてサーカスに加えてくれた。こいつなりのサービスのつもりだったのさ」
 悪意はないのだと何度も蓮は言っていた。実際、みなもとしてもあんな体験をすることは普通ならばないだろう。
 だが、それにしても最後のあの光景は些かタチが悪いようにみなもには思えた。人体切断の時にはこのまま死んでしまうのではと恐怖を覚えたほどだ。
「ブランコでもナイフの的でもみなもちゃんに怪我はなかっただろう? ぎりぎりのスリルをお客様にご提供っていうわけさ」
 なんだか蓮にうまく丸め込まれているような気がしなくもなかったが、確かに少々悪趣味ではあったがあのとき確かにみなもはサーカス団の花形を味わうことができたのだ。
「でも、ピエロさんが見せてくれてましたけど、ピエロは自分で何かをしてお客さんを楽しませられないと駄目です。あたしはされるままだったんですから、あんなのじゃピエロなんて言えません」
「おや、随分殊勝なことを言うじゃないか」
 じゃあ、と言いながら蓮が取り出したのはジャグリングに用いられる鮮やかな色をした三つのボールだった。
「今度またあのサーカスに誘われたときのために、少し芸の練習でもするかい?」
 おどけたような言葉と共に渡されたボールをみなもはしばらくの間じっと見、「えい」と宙に向かって放り投げた。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)       ■
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1252 / 海原・みなも / 女性 / 13歳 / 中学生
NPC / 碧摩・蓮

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■         ライター通信                    ■
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海原・みなも様

いつもありがとうございます。
この度は、当依頼にご参加いただき誠にありがとうございます。
仮面の記憶に夢中になり、悪意からではない仮面の悪戯に巻き込まれということでしたので、大掛かりな悪戯ということでみなも様ご自身にピエロとして舞台に立っていただくことにさせていただきました。
悪戯というには少々性質が悪すぎるものとなったかもしれませんが、少しでもお気に召していただければ幸いです。
またご縁がありましたときはよろしくお願いいたします。

蒼井敬 拝