コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


花筐



 カップを左手で持ち上げ、そっと口をつける。 甘い香りを胸いっぱいに吸い込み、一口飲むと視線を上げた。
 白磁のような肌に、大きな瞳、着ている服は高そうな振袖 ――― 不思議とその振袖の色が何なのか、樋口・真帆には分からなかった。目にはきちんと色が見えているのだが、頭まで伝わってこないため認識できない。そんな不思議な感じだった。
「樋口・真帆さん。 今から貴方に幾つか質問をするけれど、良い?」
 氷菓の言葉に小さく頷き、真帆は椅子に背を預けた。
「貴方の好きな色は?」
「好きな色と言うと少し違うかも知れないけど、大事な色なら赤かな。 夕焼けの色」
「赤が大切な色。 そう、貴方、見かけによらず複雑なのね‥‥‥」
 氷菓が薄く微笑みながら視線を宙に彷徨わせる。
「夕焼けの色、太陽の色。明るく目も覚めるような鮮やかな色は、けれど残酷な色でもある。血の色は赤、信号の止まれも赤よね」
 氷菓の振袖の色が、はっとするほど美しい真紅に変わる。 先ほどからその色だったのか、それとも刹那の間に変わったのか、はたまた真帆の頭だけが真紅だと判断し、実際に目に見えている色は違う色なのか、分からなかった。
「貴方を漢字一文字で表すと、どんな漢字になるのかしら?」
「“和”とか、のんびりした感じかな」
「平和、穏和、調和。和は人との繋がりも表すと聞くわ。 和は輪になり、円は縁となる。今宵、貴方と氷菓が出会ったのも縁」
 大人びてきた氷菓の顔に驚く。見れば身長も伸びており、今や彼女の外見年齢は13歳ほどだった。
 髪の毛も背中の真ん中辺りまで伸びており、あどけなさの残る顔はやや艶っぽい。
「四季の中では、どの季節が一番好き?」
「うーん、難しいけど‥‥‥春と言うか、初夏かな」
「ボンヤリとかすんだ空がクリアになり、寝ぼけ眼の動物や虫が起き出す季節。 樹木は緑の葉をいっぱいに伸ばし、力強い太陽光はアスファルトを焦がす。人々がこれから来たる伸びやかで厳しい季節を前に、ほんの一息つく時間」
 ふわり、真帆の髪が揺れる。 初夏を彩る、生温いながらも夏の香りを纏った風が通り過ぎていく。思わず風が通り過ぎた方向を目で追うが、漆黒の闇が広がるばかりで初夏の面影はどこにもない。
「貴方は自分の事をどう思っているの?」
「自分の事‥‥‥急に訊かれても答えられないよ」
「どうして?」
 間髪いれずに質問を返され、真帆は口を噤んだ。
「自分の事だからこそ、答えられる。そうじゃなくって? 貴方は他人の事を答えることは出来ない。貴方は貴方でしかなく、他人は他人でしかない。貴方の考えや気持ちを他人に委ねる事は出来ないのと同じで、他人の考えや気持ちを貴方が持つことは出来ない」
 氷菓の顔から笑顔が消え去り、冷たい無表情でジっと真帆を見つめる。
 その瞳はあまりにも真っ直ぐで、透き通っていて、真帆は思わず目を逸らした。
「自分の事だから分からないと思っているのかも知れない。でも、それは違うの。自分の事だから分かるの。自分の事が分からないのは、自分を見ないようにしているから、自分から逃げているから。真正面から向き合えば、自分が自分をどう思っているのか分かるはずよ」
 真帆と同じくらいの外見年齢をした彼女はそう言うと、優しく微笑み、腰まで伸びた髪をサラリと背に払った。
「それじゃぁ、貴方は自分の事は好き?」
「うん、割と好きだと思う」
「それはどうして?」
 再び間髪いれずに質問を返される。 しかし、今回も真帆は言葉を返す事が出来なかった。
「自分の事が分からないのに、どうして自分を好きになれるの? 物事を良く吟味しないで、どうしてそれの良し悪しが分かるの?」
「それは‥‥‥」
「自分の事を好きだと言うのは、良い事だわ。自分の事が嫌いと言うよりも、よっぽど良い。 でもそれは、自分をシッカリと見据え、自分と言う存在を把握した人に限ってよ。ただ自分だからと言うだけで盲目的に愛する事は愚かな事だわ」
 自分の悪いところを見つめ、それでも好きだと言うことが出来るならば、そんなに素敵なことってないわ。
「貴方は山と海と川ならどこが一番好き?」
「山、かな‥‥‥。小川ならいいけど、大きな川は少し怖いんだよね。飲み込まれちゃいそうで」
「どうして?」
 三度目の“どうして?”は、質問の意味が良く分からなかった。
「大きな川が怖いのなら、海の方がよっぽど怖い。海は深く、広い。それこそ、向こう岸が見えないほど。 貴方は、川の流れが怖いの? 川の流れに、何を見ているの?」
「何を、って‥‥‥?」
「ただ水の流れを見ているだけ? その水の流れに、何かを重ねて見てはいない? 例えば‥‥‥そう、例えば、人生とか、人との関わりとか、貴方自身のこととか。流れ行くものを、何か重ねて見てはいない?」
 唐突にそんな事を言われても、真帆にはよく分からなかった。
 ただ大きな川は怖い。飲み込まれそうで、例え地に足がついていても、流れに飲み込まれそうで‥‥‥。
「貴方は、自分の能力をどう思っているの?」
「とても危険なもの。誰かを傷付け、命を奪いかねないもの」
「‥‥‥能力の危険性を知る事は良い事だわ。けれど、貴方の性格からして、その事が心の重荷にはなっていない? こんな能力さえなければなんて、思ってはいない?」
 能力は貴方の一部。能力は貴方自身。 例えどれほど手に負えないものでも、貴方が愛してあげなければならないもの。支え合って行かなくてはならないもの。
「自分の事が好きって、能力も含めて、よね?」
 クスリと笑いながら、氷菓がカップの縁を人差し指で撫ぜた。 艶かしい指先に目を奪われた次の瞬間、氷菓の瞳が真帆の瞳を捉えた。
「貴方の能力は、誰のためのもの?」
「誰の‥‥‥」
 言葉に詰まる。 必死に頭を働かせ、何とか言葉を選び出す。
「強いて言うなら、夢を見る人のものですね」
「夢を見る人のための能力は、貴方にどんなものをもたらしてくれるのかしら?」
 人に与えているばかりでは、貴方は萎んでいくばかり。 人に与え続けた結果、貴方の手に残るものは何?
「何もないと思ってはダメ。例え見えなくとも、何か残っているはず。それを見つけ出せるかどうかは貴方次第。見つけ出せれば、幸福。見つけ出せなければ、永遠の不幸」
 どこか遠くを見つめる氷菓の視線を追う。 何もない漆黒の闇の中、不意に1つの星が姿を現した。 白銀に光る星は闇夜を淡く照らし出し、また1つ、2つと光りが灯っていく。
 ――― あれは一体なんなんだろう‥‥‥
 綺麗な光りに思わず手を伸ばす。 光りは真帆の指先を掠めた途端、ふわりと消え去った。
「どうしたの? 急に手なんて伸ばして」
 怪訝な声に顔を上げれば、氷菓が眉を顰めて真帆の顔を覗き込んでいた。
「なんでも‥‥‥ないの」
「そう。それなら良いのだけれど‥‥‥。 貴方には、大切な人がいる?」
「うん、いるよ」
「そう、それは良いことだわ。大切な人がいれば、真っ直ぐに歩いて行くための道標となる」
 貴方の人生における主役は貴方でも、他人の人生における主役はその人。互いに譲り合い、支えあい、思い合わなくては先へは進めない。 誰の手も借りずに生きる事が出来る人などいないのだから。
「想い、想われる関係は宝石のよう。いつだって輝き、人々を魅了する。 けれどその輝きが永遠のものとは限らない。絆は宝石ほど確かなモノではないから」
 憂いを帯びた瞳をこちらに向ける彼女は、真帆よりも年上に見えた。 20歳前後の外見をした氷菓は、紅茶を一口優雅に飲むと、最後の質問をしても良いかしら?と言って首を傾げた。
「貴方に、帰る場所はある?」
「えぇ。 それに、どんな人にだって帰る場所はあると思います。それがたとえ、思い出の中だけだったとしても」
 氷菓の外見年齢が変わった事により、真帆の口調も変わった。 その変化が面白いのか、氷菓が薄く微笑み、真帆の前に人差し指を突き出した。
「それは分からないわ。人によっては、帰る場所はないと言う人もいる。思い出がない人もいる。 帰る場所があるのかないのか、それを決めるのは貴方ではないし私でもない。自分自身が決めること。その人がないと言うのなら、ないのよ。例え周りの人があると言っても、その人の世界にはないの。その人の世界の主役はその人、他の誰でもないわ」
 氷菓が目を伏せ、カップの縁を指でなぞる。
「それが“帰る場所”の意味。“帰る場所”は、自分で決めるもの。 貴方にはそれがある。貴方はそこに気づいた。それはとても幸せなことだわ」
 にっこり ――― 氷菓は微笑むと、両手を差し出した。
「今から貴方を、古に連れて行きます。そこで何を見て、何を感じ、何を考えるのか、それは全て貴方次第です」
 細く冷たい手に両手を乗せた瞬間、ふわりと体が宙に浮き上がり、急降下した ―――――



 柔らかな風が真帆のココア色の髪を撫ぜ、目を開ければ眼下にはヨーロッパの町並みが広がっていた。
「ここはどこですか?」
「1741年、ハンガリー」
 隣で気持ち良さそうに風を受けていた氷菓の指先が真下に向けられ、一瞬にして上空数百メートルのところから地上に降り立った真帆は、息を呑んだ。
 凛とした美しさと気高さを持った女性が、胸に小さな子供を抱え、涙ながらに何かを訴えている。
 あまりにも必死な彼女の様子に、真帆の心が揺り動かされる。言葉は分からなくとも、強い思いだけはダイレクトに真帆の心の奥深くに届いた。
 彼女の演説を聞いている貴族風の身なりをした男性の表情が次第に変わっていくのが分かる。
「彼女は賢い人だった。窮地を脱する術を心得ていた」
 凛とした氷菓の声が響く。 演説の声が遠くなり、人々のざわめきが掻き消えていく。
「人々は彼女の気持ちに動かされた。それはマイナスをもプラスにする強い力を持っていた」
「マイナスを、プラスに‥‥‥?」
「そう。それはとても大変な事。それでも、彼女はやってのけたの」
 真っ直ぐな氷菓の瞳は、長い間見ていられないほどに強い光りを放っていた。
「‥‥‥それで、氷菓さんはあの人の姿を見せて、私になにを言いたかったんですか?」
「何も言いたいことはない。 あの光景を見て、何を感じるのかは貴方の自由。 氷菓は最初に言ったはずよ。そこで何を見て、何を感じ、何を考えるのか、それは全て貴方次第だって」
 氷菓の冷たい両手が真帆の手を包み、ふわりと体が浮き上がると急降下した ―――――



 温かな紅茶の香りが全身を包み、真帆は目を開けると目の前に座る少女 ――― 最初に会った時と同じくらいの外見年齢になっている ―― に目を向けた。
 不思議な色をした瞳はどこまでも深く、感情は読み取れない。
「自分の能力を危険だと言い、赤を大切な色だと言った貴方。それでも初夏を好み、和と言う字を自分に当てた貴方は複雑な人。明るいようでいて暗く、穏やかなようでいて激しい」
 一言で言うなれば不安定。心は常に揺れ動き、右から左へと流れ去っていく物事の中、時に取り残され、時に流れに翻弄される。
「自分の能力の事を語る時だけ、1歩引いている。危険な能力、他人のための能力。貴方はそれを、快く思っているの?」
 思ってはいないのでしょう。 貴方は能力の事を語る時だけ、顔が強張るのだから。
「大切な人がいて、帰る場所がある貴方。けれどその帰る場所は不安定。指間から零れ落ちる砂粒のように、目を離せば消えてしまう幻のように、貴方は常に気を張って引きとめていなくてはならない」
 それが“思います”と言葉を濁した意味だと解釈した。“例え思い出の中だけでも”と寂しく言った意味だと解釈した。
「一度、自分と言うものと正面から向き合って見ると良い。自分が何なのか、どうしてここにいるのか、自分のいる意味、そう言うのを細かく見つめてみると良い」
 きっと貴方自身と言うものが見えてくるはず。きっと貴方の不安定な言動の理由が分かるはず。
「それはとても難しく苦しい事かも知れない」
 けれど、貴方になら出来るはずだわ。 氷菓はニッコリと優しく微笑むと、すいと宙を撫ぜた。
 宙から突然浮かび上がった柔らかな赤い花は、真帆も見たことのあるものだった。
「アサガオ?」
「えぇ、そう。アサガオよ」
 氷菓の手から真帆の手へと花筐が渡された瞬間、アサガオが輝きだした。
 輝く白い光りは周囲の景色を溶かし、世界が真っ白に染められる。
「アサガオの花言葉は、私はあなたに結びつく」
 あなたにぴったりの花でしょう? 氷菓のそんな声を最後に、真帆はこの不思議な世界から弾き飛ばされた。



 はっと顔を上げれば、見慣れた室内が目に飛び込んできて、真帆は小さく溜息をつくとココア色の髪を背に払った。
 ――― 夢、だったんだ ‥‥‥
 不思議な夢だったと思い出す真帆の視界の端に、アサガオが美しく咲き誇る花筐が映った ―――――



END


◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


 6458 / 樋口・真帆 / 女性 / 17歳 / 高校生 / 見習い魔女