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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


式神一枚、探してください


------<オープニング>--------------------------------------

 季節は初夏。場所は東京都内、時刻はほの暗い黄昏時。
「何とかしてよ!」
 メインストリートから少し離れたところにある、雑居ビルの陰から、悲痛な声がした。少女の声だ。
「このままじゃ、私……」
 暗い路地裏に、向かい合う人影が二つ。高校生とおぼしき白い半袖セーラー服の少女が詰め寄る相手もまた、制服姿の少女だった。
「何よ。そんな事言われても、知らないわよ」
 もう一人の少女がフンと鼻を鳴らした。こちらは、季節はずれの黒いブレザーを着ている。見たところ年頃はもう一人の少女と同じくらいだが、都内のどこの高校の制服でもない。いわゆる、なんちゃって制服だ。
「注意書きは絶対に守れって、言ったでしょ」
 黒い少女は冷たく言い放ち、白い少女は身を竦める。
「だって、だって、こんなことになるなんて……」
「私はね。人の言うことをちゃんと聞かないバカのアフターケアはしない主義なの」
 耳の下で真っ直ぐに切りそろえた黒髪をさらりと揺らし、黒い少女は踵を返した。それを追って、少女の足元で行儀良く座っていた白いキツネが立ち上がる。
「自分で後始末しなさいよね」
「そんな……! 待って、お願い!」
 追い縋ろうとするセーラー服の少女を振り払い、黒い少女は路地の奥の暗がりへと消えてしまった。振り向きもしない。
「待って! 待ってよ!」
 少女の懇願に答えて振り向いたのは、白狐だった。
「……どうしても困ってるなら、草間興信所ってとこに相談するといい」
 少年のような声。白狐が喋ったのだと気付くのに、白い少女は数瞬を要した。
「シロウ! 何やってんの」
 暗闇から、黒い少女の声が鞭のように飛んでくる。
「あ。孝子、待って」
 狐火のように白い尾を翻し、狐も暗がりの中へと消えた。
「くさま、こうしんじょ」
 残された少女の呟きが、路地裏にぽつりと響いた。



        +++++++++++



 それは、ちょっと見たところただのメモパッドだった。
 独特なのは、人型にカットされていること。折り紙の奴さんの形に少し似ている。
 草間興信所所長、草間・武彦は、その表紙に書かれた文字を読み上げた。
「簡易式・式神用紙、ねえ」
 少し語呂が悪い。言葉こそオカルト臭いが、丸っこい文字は一文字ずつ違った色のペンで書かれ、ハートやお花のイラストで装飾されている。女子高生の手作りアイテム、といった風情だ。
「これが、えーと」
「……ヘンな女の子から、二十枚綴り2万円で買いました」
 応接机を挟んで、草間の対面に座っている、夏服の少女が答えた。
「一度使っていただければ、私の言っていることが本当だと、信じていただけると……」
 真剣な表情の少女に向かって、草間はハイハイと頷いた。
「まあ、うちはこういうの、慣れてるからな」
 慣れたかなかったけどな!という内心は口にせず、草間はペンを取るとメモパッドの表紙を捲った。中の紙は真っ白だ。
 先ほど聞かされた通りに、人型の頭の部分に「草間武彦」と記入し、その一枚をパッドから切り離す。
 途端、ひらりと紙が舞い上がり、くるりと一閃。
 気が付けば、草間の目の前に、草間がもう一人、立っていた。ただしもう一人の草間の額には、草間の字で「草間武彦」と書いてある。
「う、なんか気持ち悪ィなあ。おいお前、冷蔵庫からシュークリーム出して来い。一個ずつ皿に乗せて、二個」
 草間が命令すれば、もう一人の草間は黙々とそれに従った。
「ご苦労。……紙に戻れ」
 ぱん、と手を打つ。すると、もう一人の草間はひょろりと薄く、ぺたんこになり、くるっと回って小さくなった。
 シュークリームの乗った皿の上に、ぴらりと人型の紙が舞い落ちる。
「なるほど。使いようによっちゃあ、一枚千円の値打ちはありそうだな」
 草間の呟きに、女子高生は複雑そうな顔をした。
「……塾にどうしても行きたくない時、代わりに行かせてたんです」
 つまり、サボりに利用したということだ。
 少女は良心が咎めているらしき表情で肩を縮める。今時ちょっと珍しい、膝下丈のスカート。二つに分けたひっつめの三つ編みに、黒縁眼鏡。そんな見た目のとおり、根本的には真面目な性格なのだろう。
「私の命令は絶対に聞くし、ノートもきちんと取ってくるし。ちゃんと使ってる分には問題なかったんです。でも……」
 女子高生はメモパッドを裏返した。裏表紙には、またまた色とりどりのペンで文字が書き込まれている。



☆つかいかた☆
 頭のところに、自分の名前を書いて切り取ったら、あなたそっくりの式神になるょ!
 何でも命令きいてくれるから、ちょ→べんり!
 ただし、知能とか身体能力とかはあなたと同レベル。
 過度な期待はしないように!
 上手に使ってNe。
 用が終ったら、手を叩いて「紙に戻れ」って命令すると元に戻るょ。

☆ちゅうい1☆
 簡易式・式神用紙は使い捨てだから、一枚につき使えるのは一回だけだょ。

☆ちゅうい2☆
 何も書かないで切り取っても、何も起きないから気をつけてNe。

☆ちゅうい・3☆
 式神は水気厳禁デス。
 紙だからNe★

☆ちゅうい4☆
 自分の名前以外の文字を書いて切り取ったりしたら、
 ぜったいに、だめだょ。



 無駄にカフラフルな上にハートや星などの装飾が乱れ飛んでいて大変に読みにくいが、どうにか一通り目を通し、草間は口を開いた。
「この、最後の注意書きを破った、と」
「はい。名前以外の字を書いたらどうなるんだろうって、ちょっとした興味で」
 今の状況を思い出したのだろう、女子高生は泣きそうな顔になった。
 一昨日の学校帰り、どうしても友達と遊びに行きたくなって、いつものように駅のトイレで式神用紙を取り出した。そこでふと、彼女の胸に好奇心が湧いてしまったのだ。
 戯れに人形の頭に「肉」と書いてみた。切り離した紙はそれまでと同じように彼女そっくりの姿になった。
 ところが、それは命令を全く聞かない。慌てて紙に戻そうとしたのだが「戻れ」という命令もまた通じない。
「その上、やることなすことロクでもないんです。通りすがりの人を叩いたり、万引きしようとしたり」
 仕方なく、手を引いて自宅に連れ帰ろうとしても、あっちへふらふら、こっちへふらふら。終いには、逃げ出してしまったのだという。
「私そっくりの顔で、同じ制服着て、今ごろどんなことしてるかと思ったら、もう、気が気じゃなくて」
 少女の目には涙がたまっている。
「とりあえず、そいつを捕まえるのが第一、か」
 草間は息をついた。怪奇の類は御免だが、草間は困っている人間を見捨てるのが苦手だ。
「依頼、受けていただけますか」
 少女の顔が微かに輝いた。
 やれやれ仕方がない、と草間は肩を竦める。
「式神ってやつは、服以外にもその時身につけてたモノが全部コピーされるんだな?」
「はい。そうみたいです。あの式神のポケットにも、私が持ってるのと同じ学生手帳が入ってるはずです」
 少女が手帳ケースを応接机の上に出した。開いてみると定期入れつきで、少女の通う学校の最寄駅までの定期が入っている。
 ふむ、と草間は唸った。
「所持品は定期と生徒手帳、と。……サイフをポケットに入れてなかったのは幸いか。もしコピーされてたら、偽札ができちまってたとこだ」
 草間は事務所内をぐるりと見回した。
 こういう、怪奇な事件を解決できる人間が、いつも何人かはこの事務所の中でダベっているのだ。不思議なことに。
「話は聞いたな? 調査の方法、及び解決の手段は問わない。がんばってくれたまえ!」
 つまり、全て任せた後はよろしく!ということである。 


------<その時そこに居た人々>------------------------------


「6人か。この狭い事務所に、結構な人数が居たもんだな。……俺はコーヒーでも飲みながら報告を待とうかねえ」
 草間は応接セットのソファに余裕綽々でふんぞり返っている。
 その隣には、憮然とした表情の黒髪美女が腕を組んでいた。
「私を頭数に入れるな」
 草間を横目に睨み、低く、黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)は言った。
「はいはい。探し物なら探偵の仕事ってことだろ。でも一応ただの探し物じゃないぜ?」
 草間が差し出してきたメモパッド状の式神用紙を取り、冥月はフンと鼻を鳴らす。
「わざとか? バカさ丸出しだが…素人に売る時点で術者失格だ。強敵でもなさそうだし、断る」
 そう断じ、冥月は式神用紙を机の上に放った。勝手に出て来て彼女に纏わりついていた小さな獣が、物珍しげにそれを見ている。きらきらと輝く目は縦に二つ並んでいる。狐に似た異形の霊獣だが、ファンシーキャラクターのようにデフォルメの効いた可愛らしい姿をしていた。
 ゴフ、と草間の口元から妙な音がした。吹き出すのを堪えようとして失敗したらしい。
「……お前、そいつと一緒だと格好つけても説得力がイマイチだぞ」
 草間の腹に冥月の拳が食い込んだ。
「殴るぞ」
「殴ってるじゃねーか!」
 涙目の草間の横合いから、にゅ、と手が伸びてきた。狙いは明らか、机の上に乗っているシュークリームだ。
「あっ、こら!」
 草間は止めようとしたが、無駄な抵抗に終わる。
 素早く器用な手の持ち主、清水・コータ(しみず・こーた)は、シュークリーム丸ごと一個を一口で消し去った。止める暇もない出来事だ。
「美味いねコレ!」
 もぐもぐごっくん、と口の中を空っぽにした後、コータがびしりと親指を立てる。
「でも、俺はプリンのほうが好きー」
「人が食おうとしていたものを食っておいて、言うべきことはそれだけか」
「はいこれ、プリン。美味しいよ、プリン」
 コータにケーキ屋の箱を押し付られて、草間は口をつぐんだ。箱の中身は、コータお気に入りの店の手作りカスタードプリン。差し入れに持って来たと言うよりは、いつものように持ち歩いていた、と言うほうが正しい。いつでも、何時でも、彼はプリンを所持しているのである。
「や。初めまして。なんか大変そうだね。とりあえず甘いもの食べて元気出してね」
 ソファで目を丸くしている依頼人の少女を覗き込み、コータは笑いかけた。少女の頬がわずかに染まる。
 こういうところが、この清水コータのモテる理由なのだな。草間が渋い顔をしていると、手にしていたケーキ箱が取り上げられ、代わりに書類の束を持たされた。
「調査に出ないつもりなら、こちら頑張ってね武彦さん」
 にこ、と笑ったのはこの興信所の事務員であるシュライン・エマ(しゅらいん・えま)である。
 よほどサボっていたのであろうことを覗わせる大量の書類を手に、草間は唸る。
「……ひとまずはコーヒーブレイクを」
「わかったわ、武彦さんはコーヒーね。あなたは……ええと、お名前を聞いてもいいかしら?」
「最上・尚佳(もがみ・なおか)です」
 草間に向けた飴と鞭を同時に含んだ声音から一転、柔らかな声でシュラインに問われて、少女はおずおずと答えた。
「尚佳さんは、コーヒーと紅茶、どっちが良いかしら?」
「えっと、じゃあ、……紅茶を、お願いします」
 シュラインの白い手に優しく背を撫でられて、尚佳は幾分かほっとした表情になった。
「こちら、コーヒーと紅茶だそうよ」
「はーい。紅茶、一杯追加しますね!」
 シュラインがキッチンのほうに声をかけると、明るい少女の声が返って来る。キッチンのコンロの前に立っているのは、セーラーカラーの夏制服を着た、青く艶やかな長い髪の後姿――海原・みなも(うなばら・みなも)だ。
 みなもは、カップとポットをお湯で温めたり、きちんと人数分の茶葉を計ったり、狭いキッチンで手際よく作業をこなしている。少し草間に聞きたいことがあって、学校帰りに興信所に寄っただけのはずなのだが、いつの間にやら働いてしまっているところが彼女らしい。
「じゃあ、コーヒーは……4杯でよかったのかな、悠宇くん」
 コーヒーメーカーの前では、初瀬・日和(はつせ・ひより)がカップを用意している。こちらの夏服はセーラーカラーではなくリボンタイを結んだ白いカッターシャツで、日和の黒髪に良く映えていた。
 その隣では、同じエンブレムの入った夏服の少年が砂糖とミルクの用意をしている。
「4杯であってる。こら、髪で遊ぶな。……草間さんはこっちのカップを使うんじゃないか?」
 少年、羽角・悠宇(はすみ・ゆう)は流し横の洗い籠に伏せられていたマグカップ――底の裏に、シュラインの手とおぼしき達筆で「草間」と書かれている――を出して日和に手渡す。途中の「遊ぶな」は、彼の肩にへばりついて、髪の毛を相手にじゃれはじめた小さな獣に対する言葉だ。
 キュン、と残念そうに鼻を鳴らした獣は、狐に似た姿をした霊獣で、銀の毛並みは悠宇の髪の色に似ている。
「ありがとう。……こら、末葉(うらは)」
 日和がカップを受け取るのを見て、何かの遊びだと思ったのか、小さな獣は悠宇の肩から日和の手元へと飛び移ってきた。
「しばらく下に居てね」
 床に降ろされ、末葉はそれでもうずうずと身じろぎしている。悠宇の足元からもう一匹、銀色の獣が現れて、末葉の首根っこを捕まえた。
「ありがとう、白露(しらつゆ)。コーヒー、熱くて危ないから、しばらく末葉を捕まえてて」
 日和の頼みに、ケン、と白露が答える。親猫が子猫を運ぶ時のように首根っこを持ち上げられて、末葉は不満そうに鼻を鳴らした。しかしすぐに、今度は吊り下げられてゆらゆらと揺れるのが楽しくなってきたようだ。
「お二人のイヅナさんたち、仲良しなんですね」
 みなもが、二匹の様子を見てくすりと笑った。
「騒がしくしてごめんなさい。この子たちが気兼ねなく遊べる場所って少ないから、興信所にくるとはしゃいでしまうみたいなの」
 申し訳なさそうにする日和に、みなもは慌てて頭を振った。
「いえ! あの、あたしもこの間から管狐を飼い始めたところなので、つい、気になって見てしまうんです」
 制服のポケットからみなもが出したのは、一本の万年筆だ。その蓋を開けると、中からするりと、小さな獣が現れた。狐に似た姿をしているのは末葉たちと同じだが、青い毛並みをしている。
 青い狐はみなもの肩の上に行儀良く座り、こん、と挨拶するように鳴いた。
「みこ(巫狐)ちゃん、っていいます」
「良く懐いてるんだな」
 悠宇の言葉は、どこかうらやましげだ。白露は彼を主人と認めてはいるが、懐いているのは日和、という節があるので。
 と、ここで紅茶の抽出時間の終了を知らせるキッチンタイマーが鳴った。


------<作戦会議>------------------------------


 トレイを持った学生三人が事務室に戻り、応接机の上に湯気を立てるカップが並んだ。今日はいわゆる梅雨冷えというやつで、暖かい飲み物が美味しい肌寒さだ。
 協力者が複数なので、自然、依頼人・尚佳を囲んで、作戦会議――というほどでもないが、簡単に捜査の方向性を打ち合わせる運びとなった。
「逃げた式神って、さっき武彦さんが作った時みたいに、額に字が書いてあるのかしら?」
 デジタルカメラで顔写真を撮りながらのシュラインの問いに、尚佳は頷いた。
「はい。私は『肉』って書いたから、額には『肉』って……」
 ブフ、と吹きだす音がした。コータだ。
「肉! ぎゃはは!! うん、書きたくなるよね肉。でも肉ってお前…肉…」
 腹を抱えて笑うほど、ウケている。
「若いのによく知っているわね」
 デジカメとパソコンを繋げながら、シュラインは妙なところで感心していた。
「額に肉って、教科書の落書きの定番だけど、何か元ネタがあるのか?」
 ソファが埋まっているため、カップとソーサーを手に持って書類棚に凭れていた悠宇が、首を傾げる。同じ世代の日和、みなもも同感らしい。ジェネレーションギャップ。しかし、今だもって落書きのネタとして若い世代に残っているとは、額に肉、恐るべしである……。
「とりあえず、探しに行くとしてさ。もちょっと人数欲しいかな?」
 さんざん笑った後、コータは式神用紙を手に取り、草間に視線を向けた。
「さっきみたいに、もう何体か式神作って、探偵さん本人は事務所でお仕事とかどう?」
「却下だ。自分と同じ顔がわらわら居るなんて、悪夢だぞ。というか、そう言うならお前がやってみろ!」
「いやー、それはちょっと」
 コータは草間から目をそらした。ごにょごにょと言い訳する言葉の中に、実は偽名なんでちょっと……とかいう穏やかではない一言が混じっていたようないないような。
 おずおずと、尚佳が口を開いた。
「多分、あんまり役に立たないと思います……命令はきちんと聞くんですけど、応用が効かないっていうか……」
「命令以外のことはできないってこと? うーん、確かにそれじゃあ、何かトラブルがあった時は困るね」
 コータは少し残念そうに、用紙を机の上に戻した。
「範囲はある程度絞れそうだし、この人数でも充分じゃないかしら」
 捜索用に使う写真のプリントアウトを終え、シュラインが応接セットに戻ってくる。
「定期券の磁気情報もコピーされているのなら、移動手段はきっと定期の範囲……ですよね?」
 みなもが、ミルクを落とした紅茶をスプーンでかきまぜながら首を傾げた。みこちゃんは大人しく、セーラー襟の三角部分に顔だけ出して納まっている。
 通学路の近辺。徒歩で移動するにしてもあまり遠くには行ってないだろう。それが、全員一致の推測だった。
「んーと、もっと絞ると……尚佳さ、日ごろ行きたいと思ってるとことか、ある?」
「行きたいところ……」
 コータに問われて、尚佳は少し眉を寄せた。すぐには思い当たらないらしい。
「行ってみたいけど、行っちゃ駄目って思っているところとか、ない?」
「……行っちゃ駄目な場所?」
 続けて日和に問われ、尚佳はますます眉間の皺を深くする。日和は付け足した。
「人を叩いたり、物を取ったり……『やっちゃいけない』って思う事ね? だとしたら、逃げ出した式神は、最上さんが『やってみたいけど我慢している事』を実行しようとするのかもしれないな、って」
「我慢、してること?」
「要するに、本人の鬱憤を式神……この場合式神もどきか? そいつが発散しようとしてるんじゃないのか、ってこと」
「尚佳さんが心の底に押し込めた、潜在的なやりたいことを、式神さんはやっているのではないかということですね」
 日和の言葉を言い換えた悠宇に、みなもが同意を示す。
 はっとしたように、尚佳が顔を上げた。
「……あの。お洒落とか、お化粧とか、したいなって。ママには駄目って言われてるんだけど、今日はバツキュウでイベントがあって……行きたいなあって、思ってました」
 恥ずかしそうに俯きながら尚佳が挙げたのは、女子高生に人気の洋服を扱う店が多数入ったファッションビルの名前だった。そこには化粧品店も入っている。
「お洒落とお化粧……ひょっとしたら、髪型や服装を変えているかも」
 日和に、シュラインが頷いて再びデジカメを取った。
「念のため、髪を解いて眼鏡を外した顔の写真も撮らせてね」

 新たに撮られた尚佳の写真がプリントされている間に、チーム分けが決められた。

 
------<鞭のターン>------------------------------


 5人が捜索に出た後、応接セットに残っていたのは依頼人を含めて三人。
「で? お前は行かないのか?」
 冥月の草間への回答はシンプルに、
「断る」
 の一言。優雅な仕草で紅茶のカップを口元に運んだ。紅茶は香り良く、渋味もなくすっきりと上手に入っていたが、冥月の唇は苦々しく結ばれている。
「でもよー、本当に関わるつもりがねぇならさっさと帰ってるだろ? なあ、素直になれよ」
 草間から、うりうりとつつき回すような視線を向けられて、冥月の眉尻が跳ね上がった。
「人探しは得意だろ?」
「皆の見当で合ってる。式は現在進行形であちこちウロウロしているようだが……その内見つかるさ」
 もともと、尚佳と式神は同じ影を持っているので冥月には探しやすい。既に位置は特定済みだった。
 協力してくれるつもりのなさそうな冥月に、草間はやれやれと肩を竦めた。
「大体、自業自得だろう」
 鋭い視線は、依頼人である尚佳に向けて。
「“式”はな、一定の規則に則り動くプログラムだ。数式で使い方を間違えると正解が出ないのと同じ。こんな物でサボる自身の小賢しさを反省しろ」
「はい……」
 尚佳は身を縮めた。やはり根は真面目な性格なのだろう。
「それにな。何故、自分でも調査に参加しようとしない? 自分がしでかしたことの結果を、依頼を受けてくれた者たちに任せるだけか? いいご身分だな」
 言われて、尚佳ははっと息を飲んだ。
「それは…………」
「ま、反省してるみたいだしさ。ここは一つお前も協力してくれよ。な!」
 間に入った草間に拝まれて、黙り込むことしばし。
 冥月はカップをソーサーに置いた。
「……請けても良い」
「さすが冥月、男前」
 ぱちぱちと手を叩く仕草をする草間に、冥月は拳を打ち込んだ。
「予備動作無しかよ……!」
 咳き込む草間をよそに、冥月は尚佳に向き直った。
「ただし条件がある。式を術者に返す事と、術者に私からの伝言を伝えることだ」
 尚佳は式神用紙を握り締め、こくりと頷いた。


------<捜索隊・街中チーム>------------------------------

 
 シュライン・コータチームは、尚佳が式神を逃がしたという駅の近辺から捜索を開始していた。
 尚佳の写真を見せて最初に反応があったのは、駅近くのコンビニだった。
「この子! 真面目そうだからこっちもあんまり注意して見てなかったんだよ。そしたら、しれーっとスナック菓子とかジュース持って店の外に出てっちゃってさ!」
 店長の言うことには、それは一昨日のことで、商品の在庫が合わないので今日になって防犯カメラの映像を確認し、それで初めて気が付いたのだそうだ。
「え、えっと、実は俺の妹で! 時々夢遊病みたいになっちゃう癖があってですね!」
「そういえば、ちょっとボーっとしてたっていうか、ヘンな感じだったな。額に何か落書きみたいなのがあったし……」
 警察に届けるところだったと言う店長に、コータがフォローを入れて事なきを得た。
 もちろん、商品の代金を支払って平謝りしたのであるが。
 店から出て、コータはレシートをシュラインに広げて見せる。
「……思いの外高くついたよ!?」
「経費で落とせるから安心して」
 逃がした最初の日の式神の行動は滅茶苦茶で、二人(特に、兄を名乗ってフォローに務めたコータ)はあちこちで謝罪して回ることになってしまった。
 様子が違ってくるのは、昨日になってからの目撃談だ。
「ああ。この子なら、昨日の夜うちの店に来たよ」
 そう言ったのは、美容院のチラシを配っていた青年である。彼はチラシの店で働く美容師だそうだ。
「うちさ、今カットモデル募集してて……まあ知ってるだろうけど、モデルったって新人美容師の練習台ってことね。それになってくれたんだよ、昨日」
 長い髪をセミロングにカットして、鏝で巻いて仕上げたのだと言う。
「俺が切ったんだけど、オデコに『肉』なんて書いてあって、面白いから触ったらむっちゃ怒るし。その上変わった注文されたからすごい印象に残ってるよ」
「変わった注文?」
「濡れるのヤダから、シャンプーも霧吹きもやめてくれって」
 シュラインは考える表情で口元に指を当てた。紙だから水気厳禁だとは、用紙の表紙にも書いてあった。尚佳は「命令は聞いても、応用が利かない」と言っていたが、逃げ出した式神に関しては少し違っているようだ。
「話をしましたか? どこか行きたいところがあるとか……」
「何? あの子家出か何かしてるの? そういえば『明日はバツキュウに行く』って言ってたなあ。なんか、好きな雑誌のモデルさんが出るイベントがあるんだって」
 昨日語られた明日は、即ち今日だ。
 シュラインが礼を言って青年と別れた時、コータが手を振りながら走ってきた。
「おーい。収穫あったよー」
 コータのほうは、路上でたむろしていた女子高生たちから話が聞けたそうだ。
「一昨日の夜、一緒に外で夜明かししたんだって。制服だったから目立ってたって」
 家に帰らず夜も街中で過ごすような少女達は大抵警戒心が強いものだが、見た目ちょっといい感じの気さくな兄さんであることとで、コータはかなりすんなりと情報収集できたようだ。
「なんかやらかしてたんなら、またフォローしなきゃと思ってたんだけどさ、一緒にお菓子食べたりしただけで、別に何にもなかったらしい」 
「そう。こっちは、行き先がバツキュウでビンゴってことがわかったわ。それと……美容院で髪を切ったそうよ。多分、あの子が憧れてた髪型でしょうね」
 この駅周辺での情報は粗方出たようであるし、二人はバツキュウビルへと向かうことにする。 
「ところでさ、なんか、式神、ちょっとずつ賢くなってるっぽくない?」
「……学習して知恵がついてるのかも知れないわね」
 シュラインとコータは顔を見合わせた。
「…………マズくない?」
「…………マズいわね」

 
------<捜索隊・電車&自転車チーム>------------------------------


 かたん、ことん。電車が揺れる。
 下校時間を少し過ぎた車両は、席は埋まっているもののあまり混んではいない。これが終業時間をすぎると、どっと混雑する。
「そう。とりあえず、この電車に霊的な存在は居ないのね」
 日和の肩の上、他の上客に見えないよう髪の陰に隠れながら、キュ、と末葉が小さく鳴く。肯定の返事だ。
 尚佳の言っていたファッションビルは、尚佳の通学路の途中にある。日和は電車で通学路を辿ることを申し出た。
 悠宇はというと――。
「どうしたの、末葉」
 末葉が落ち着きなく身じろいだ。鼻先が窓の方を向いているので、日和もそちらに視線を向ける。
「あ」
 今電車は地上を走っている。線路沿いの道路に、銀の髪を揺らして自転車をこぐ後姿。
「悠宇くんが居たのね」
 日和と別れ、悠宇は通学路近辺を自転車で流しているところだ。
 午後の日差しの中、制服のシャツが汗で悠宇の背に張り付いているのが見えた。
「今日はお天気が良くて暑いものね。……お水、飲む用のも一本渡しておいて正解だったかな?」
 車窓から見ている日和に悠宇が気付くことはなく、電車はゆっくりと自転車を追い越してゆく。

        +

 電車に追い越された時、ケン、と自転車の車輪の下を駆けていた白露が鳴いた。
「何だ? 居たのか?」
 自転車を漕ぎながら問うた悠宇に、白露はつまらなそうに鼻を鳴らす。居たのは式神ではなく日和だと、口が利けたなら言ったであろう。
「しかし暑いな。雨が降ってりゃ、式神も外に出にくかったんだろうけど」
 悠宇は空を仰いだ。陽光が眩しい。今日は梅雨の晴れ間というやつだった。
「白露、このあたりを飛んでくれ。何か騒ぎになってるところがあったら、方向を教えろよ」
 主人の命に従い、小さな獣はアスファルトを蹴り、晴れた空へと身を翻した。
  
        +

 悠宇が見えなくなってしばし後、銀色の光が窓の外を横切った。
「あ。白露」
 日和が呟き、末葉は嬉しそうに飛び跳ねる。運悪く、丁度車掌が車両に入ってきたところだった。
「お客様、動物は……? ん? んんん??」
 車掌が末葉を見咎めたが、見たこともない獣であることに気付き首を傾げる。
「あ、いえ、すみません、あの……そう、ぬいぐるみなんです! 最新式でちょっと動く!!」
 驚いて硬直した末葉を両手で包み込み、日和は指先で末葉のおなかをつついた。きゅ、と小さな鳴き声が漏れる。
「ああ。ぬいぐるみ……ですか」
 最近のはよくできてるなあ、などと呟きながら、車掌は次の車両に去っていった。
 日和はホッと息を吐いた。
 電車が地下に入った。もうすぐ次の駅だ。
 やがて減速し、フォームに立つ人々の顔が見える。停車する直前――日和は目を見開いた。
 知っている顔、探していた顔がそこにあった。
 尚佳と同じ顔の少女。同じ制服。
 ただし、眼鏡はしておらず髪は短い。髪は肩の中ほどまでの長さになり、シャギーを入れて軽くした毛先はくるくるときれいに巻かれている。
 あまりにも印象が違うので、興信所で尚佳が眼鏡を外したところを見ていなかったらわからなかったかもしれない。
 やがて電車が停車し、ドアが開いた。
 小さく、末葉が警戒する声を出し、背中の毛を逆立てる。
 式神が、乗車してきたのだ。それも、同じ車両に。
「末葉。悠宇君に知らせてきて」
 急いでメモを作ると、日和は末葉に咥えさせた。
 ファッションビルは次の駅にある。恐らく、式神はそこで降りるだろう。
 電車の中は混み合い始めていた。
 用紙にあった説明書きの通り水に弱いのであれば、水を呼んで――と日和は考えているが、電車の中では難しそうだ。
 改札を出て、人の密度が少し下がったところが勝負。
 自然に見えるように気をつけながら、日和は式神の隣に移動した。

        +

 末葉からメモを受け取り、悠宇は自転車を漕ぐ速度を速めた。線路に沿って走るのを止め、次の駅までの最短距離を走るよう切り替える。
 さっき悠宇くんを抜いた電車に、私と式神が乗っています。
 日和からのメモの内容はこうだった。追いつければ、上手く行けば式神を挟み撃ちにできるだろう。
「白露!」
 呼ばわれば、戻ってきた白露が悠宇の自転車に並ぶ。
 駅近くのコンビニの前に自転車を停め、悠宇は「後で買い物するから!」と両手を合わせて駅へと駆けた。
「式神の気配を感じるか? どこの出口が近い?」
 白露が示した出口は横断歩道の向こうだった。信号は青。点滅になる寸前で渡り終えた悠宇の目の前、地下からの階段を駆け上がってきたのは、尚佳と同じ顔の少女。式神だ。
 横を走り抜けて行こうとする少女の腕を、悠宇は咄嗟に掴む。ぐしょ、と濡れた感触。
 それは明らかに、肉を持つ腕の質感ではなく、濡れた紙そのものの握り心地だった。
「きゃぁあーああああ!」
 式神は、悲鳴を上げた。いくら本性は紙人形だと知っていても、見た目は女の子だ。悠宇が怯んだ一瞬の隙に、少女は手を振り解いて逃げた。
「あっ! 待て!!」
 制服の背中が、雑踏の中に消えてゆく。
 ややあって、日和が階段を駆け上がって来た。
「ごめんなさい、悠宇くん」
「いや。俺も油断した」
 悠宇にハンカチを差し出しながら、日和が申し訳なさそうに肩を竦める。
「水を呼んで、足元から狙ったところまでは良かったんだけど、他の人にかかりそうになっちゃって……水をかけられたのは、片腕だけなの」
 対象が動いていることと、人の多さに遠慮したこととで、目測を誤ったらしい。
 さっきの悲鳴のせいで、周囲の視線が痛かった。
「とりあえず、他の皆に連絡しとかないとな」
 足早にその場を去りながら、悠宇はポケットから携帯を出した。


-----<バツキュウ前にて>------------------------------


 雑踏の中を、みなもは歩いていた。
 放課後の時間、街は若者で溢れている。やがて、×○Q(バツマルキュウ)とロゴの刻まれたビルが行く手に見えてくる。
 みなもは単独で、式神の目的地と予測される場所の周辺を探ることになっていた。
「ではこのあたりで。……みこちゃん、行きましょう」
 襟元に、みなもはそっと手を当てた。こん、とみこちゃんが鳴いて、セーラー襟の中から抜け出し、肩を蹴り、みなもの頭の上に飛び乗る。
 珊瑚色の肉球のついた前足がみなもの髪に触れた瞬間、まるで水面に飛び込んだかのように、小さな獣の姿が消えた。
「んん……」
 何かが体の中を駆け回るような、不快ではないが落ち着かない感覚に、みなもは身を任せる。
 自動車のタイヤがアスファルトの上で軋む音、行き交う人々のざわめき、笑い声。一つ一つが鮮やかに耳に流れ込んできた。目を閉じれば、耳だけでなく鼻も研ぎ澄まされて行くのがわかる。
(もう少し……できるだけ、広範囲のことがわかるように。みこちゃん、お願い)
 目を閉じたみなもの頭から、ぴょこりと三角の耳が飛び出した。スカートの裾からはふさふさの尻尾。鼻がひょっこり。
 感覚強化モード、別名狐っ娘モードである。
 半径20mほどまで感知範囲を広げたところで限界だった。範囲を広げること自体は可能であったが、何しろ人の多い雑多な街角である。これ以上広げては、入って来る情報が多すぎて処理しきれなくなってしまう。何より、音や匂いの洪水に耐えられそうにない。
 興信所を出る前に、尚佳の持っていた式神用紙と、ペンのインクの匂いは覚えてきた。
 感知範囲内に式神が入ってくれば、わかるはず――。
「…………あ」
 みなもは小さく声を上げた。あの紙の匂いがする。背後だ。
 振り向いて、みなもは目を丸くした。
 紙の匂いの源は、雑踏の中に居る一人の少女だった。ただし、式神ではない。
 どこの学校の制服でもない、いわゆるなんちゃって制服を着た少女。足元には、白い狐がまとわりついている。
 尚佳が言っていた、用紙を売っていた少女の条件にぴったり一致する。
 紙の匂いがするのは、恐らく売りものとしてあのメモパッドを所持しているのだろう。
(どうしましょう。一応、捕まえてみた方が? でも……)
 みなもが二の足を踏んだその時、ポケットの携帯が鳴った。
「きゃっ!」
 聴覚が増しているため、いつもの呼び出し音がものすごい騒音に感じられる。慌てて、みなもは通話ボタンを押した。
 相手は悠宇だ。
「式神がいた! 多分、バツキュウのほうに向かってる!」
 みなもはハッと背筋を震わせた。
 紙の匂い。それと、今度は尚佳のペンのインクの匂いも一緒だ。
 弾かれたように、そちらを見る。
 果たしてそこには、尚佳と同じ顔、同じ制服を着た少女が足早に歩いていた。
「居ました! ビルの東入り口前です!」
 電話の向こうの悠宇に告げると、みなもは人の流れを縫い、獣のような速さですり抜けて駆けた。
 周囲の人々が、何事かと振り返る。
 みなもは持ち歩いていたペットボトルの蓋を開け、霊水に指先を浸した――。

        +


 シュラインは耳を澄ました。街の中に、少し異質なざわめきがある。
「あっち――何かあるわ。それに、海原さんの足音」
 バツキュウビル、東側入り口前。
 シュラインとコータが駆けつけると、既に日和と悠宇もそこに来ていた。
 遠巻きに囲む人山の中心に居たのは、セーラー服の狐っ子少女――みなもが、尚佳の姿をした式神と対峙している姿。
 みなもと式神とは、水でできた網で繋がっている。網の中で、式神はもがいていた。
 かなり非現実的な光景だ。
「あの、ちょっと、注目を浴びてしまって……」
 皆の姿に気付き、水の網を操りながら、みなもは頬を染めた。水をかけて式神にダメージを与えることも可能だったのだが、騒ぎになりそうなのでとりあえず捕えるにとどめたらしい。
 最初に行動したのはシュラインだった。
「はいっ、お疲れ様でしたー! 撮影終了です!」
 よく通る声に、それまで注目していた人々が「ドラマか何かの撮影か」と納得顔をする。良く見れば機材もなく撮影にしては不自然なのだが、誰も追及しないのが大都会東京の良いところ……かもしれない。
「はいはい! 撤収撤収ー!」
 コータがシュラインに合わせ、人通りの少ない路地へと式神の背を押す。式神は抵抗するが、みなもの網に絡め取られていては歩くしかない。
「ごっ、ご協力、ありがとうございました!」
 日和がぺこりと頭を下げる頃には、人々はもうすっかり散って、元通りの人の流れができていた。


-----<式神消滅>------------------------------


 ビルの影で、式の少女は文字通り濡れた紙のようにくずおれた。
 日和とみなもによって濡らされた部分が、既に水を吸って人の形を保てなくなっている。風船がしぼむように、少女の体からは立体感がどんどん失われて行った。
「……このまま放っておいても、消えそうね」
 シュラインの呟きに、他の皆も頷いた。
「水気厳禁って、こういうことかぁ……」
 うむむ、とコータが唸る。
 いずれは紙に戻るべき存在だったとはいえ、人のかたちをしていたものが崩れて行くというのは見ていてあまり気分の良い光景ではなく、5人は言葉少なに見守っていた。
 式の腕が紙に戻り、ぺらりと捲れた。
 その時。
 ビルの影が、一瞬水面のように揺らいだ。
 そこから現れたのは、事務所に残っていた冥月、草間、尚佳の三人。
 どうやら、冥月の能力で影を伝い、移動してきたようだ。
「これがお前の招いた結果だ。よく肝に銘じておけ」
 冥月に告げられ、尚佳は頷く。自分と同じ姿の者が崩れて行く様子を、尚佳は瞬きもせずに見詰めていた。
「よし」
 頷き、冥月は影の剣を構えた。暗い刃が、式神の身体を両断する。
 その瞬間を、尚佳が見ることはなかった。草間が目隠しをしたのだ。
 濡れて溶け、二つに斬られたただの紙が、ひらりと落ちた。尚佳が見たのはそれだけだった。
「残酷だから見せたくなかったんだろ? お前もけっこう甘……うぉっとお!」
 冥月に向かって親指を立てた草間が、冥月の拳を避けて飛び退く。が、冥月とシンクロして飛びついてきた冥月のイヅナ、こんの蹴りは食らった。
「帰る!」
 冥月の姿が、するりと影の中に消えた。残された草間の背後には、シュラインが立っている。
「武彦さん。書類は、放って来たの?」
 そんな騒ぎをよそに、尚佳は地面に落ちた紙を拾い上げた。
「すみませんでした。私がしでかしたことなのに、皆さんにお願いするだけで……どうなったか自分で確認しようともしないなんて、卑怯でした」
 皆に向かって、尚佳は深々と頭を下げる。
「お世話になりました。用紙の残りは、売ってくれた子に返そうと思います。またいつ会えるかはわからないんですけど……」
 あ、とみなもが声を上げた。
「そうでした! その用紙を売ってたっていう人! 多分、この近くに居ますよ!」


-----<ケーキとお説教>------------------------------


 バツキュウビル前に特設ステージ。
 今日は若い女の子に人気のファッション誌が、専属モデルを使ったイベントを行うということで、ステージ前にはたくさんの女の子達が集まっている。
 白い狐を連れた少女が一人、その中に居た。名前は伊吹・孝子(いぶき・たかこ)。呪い屋を名乗り、小金を儲けようとしては問題を起こしている、困った術者である。彼女も歳相応に、ファッション関係に興味がある……らしかった。
 その背後に、忍び寄る影がある。
「お久しぶりね、孝子ちゃん」
 びくりと肩を揺らして振り返り、孝子は心底嫌そうな顔をした。
「シュライン・エマ……」
「ちょっと来てくれる?」
 にっこり笑って告げられて、孝子は後ずさった。
「い、嫌よ」
 シュラインの背後に、孝子はさっと視線を走らせる。逃げる隙を覗っているのだ。が。
「あの、逃げてもすぐ、見つけられますから」
「人込みに紛れても無駄だぜ。お前の匂い、白露も覚えたからな」
 狐っ子姿のみなもと、白露を腕に乗せた悠宇とを、孝子は交互に睨みつけ、舌打ちした。
「何よ。私が何か悪いことでもしたっての?」
 逃げられないと悟るや、開き直ることにしたようだ。
「あっちのカフェで話をしましょう。ケーキくらい食べさせてあげるわよ」
 シュラインが食べ物をちらつかせると、孝子の表情が変わった。
「ケーキ……」
 ぐう、と腹の鳴る音がした。


        +


「ふぅん。後始末、できたのね」
 頬に生クリームをつけ、孝子はふんぞり返った。
 テーブルの上には空になったケーキ皿が三つほど。
「おなか、空いてたのね。これも食べる?」
 日和がまだ手をつけていないイチゴタルトを差し出してやると、孝子は迷わず手を出した。
「良かったね、孝子。お金ないから、甘いものなかなか食べられな…………痛い! 孝子ひどい!」
 孝子の隣に座っている少年が、涙目になった。手の甲を抓られたのだ。カフェの中に動物は入れないからと、人の姿に化けた白狐・シロウなのだが、どんな格好をしていようが孝子からの扱いに変化はないらしい。
「お金ないの? だって、あの紙2万で売ってたんだよね?」
 コータが目を丸くする。つついているのがパンナコッタなのは、カフェのメニューにプリンがなかったからである。
「あれ、注意書き多いし、サボりくらいにしか利用価値ないし、あんまり売れなかっ……いたたたた」
 孝子に耳を引っ張られて、シロウは口をつぐんだ。 
「売れなかったの?」
「…………出たのは、そこの子に売った一組だけよ」
 シュラインに問われ、孝子はしぶしぶ答える。
「そう。じゃあ、同じようなトラブルが他にもってことはないのね?」
 ぶすっと唇を尖らせながら、孝子は頷いた。
「この先も売るつもりで居るのなら、購入者に名前を先に全て書かせてから売るって形にできるかしら」
 シュラインの提案に、孝子はフォークを咥えたままそっぽを向く。
「嫌よ。面倒だもの」
「最低限、売り手が責任を持つべき部分でしょう?」
 シュラインは譲らない。
「あの」
 尚佳がおずおずと口を開いた。
「これ、私はもう使わないつもりなんだけど、どう処理していいかわからないから。返すわ」
 差し出された式紙用紙を見て、孝子はフンと鼻を鳴らした。
「……代金は返さないわよ」
「それでいいわ。次から塾に行きたくない時は、こんなものに頼らないで、ちゃんとママに言って叱られる」
 尚佳は胸を張った。もとより、もう塾をサボったりする気はないようだ。
「それからね、もう帰ってしまったんだけど、黒・冥月っていう人から、伝言を預かってるの」
「何よ?」
「『素人に売るな』って」
 痛いところを突かれたような顔で、孝子は黙り込む。
「仕方ないよ。孝子の術ってさ、ほら、割と良心的っていうか抜けてるっていうか率直に言ってへっぽこだから、素人相手じゃないと売り物にならないもんね! ね!」
「うるさい、シロウ」
 シロウは慰めるつもりで言ったつもりのようだが、孝子の機嫌はますます悪くなった。
「言われなくても、そろそろこの商売は止めるつもりだったわよ」
「うん、だって売れないもんね。……あいたたたたた」
 シロウの足を踏みながら、孝子はジャケットの裏ポケットから数冊のメモパッドを出した。売れ行きが芳しくなかったことを物語るように、人型の手足の先がよれよれになっている。
「もう売らない? ちょっと勿体無いなあ」
 物欲しげな視線を向けたコータに、孝子の目が光った。
「買うなら、一冊2万円」
「えー!? これ、よれよれじゃん。まけようよ。せめて半額くらいに!」
「こっちは生活がかかってんのよ。このままじゃ、この暑いのに夏物の服も買えやしないのよ!」
 孝子がいまだに冬服を着ているのは、お洒落でもなんでもなく単に経済的理由らしい。
 結局、残りの式神用紙の行方は曖昧なまま、カフェの一席を占領した一同のレシートの枚数ばかりが増えて行った。
 外は夕焼け。明日も晴れそうだ。
 梅雨明けも近いのかもしれなかった――。


-----<帰り道>------------------------------


 孝子と話をつけ、カフェを出た時には日が暮れていた。夕焼けの名残の空が少し明るい。
 悠宇の自転車を回収した後、悠宇と日和は共に家路に就いた。
「食べ歩きもたまにはいいね。ありがとう、悠宇くん」
 チューブタイプのアイスの封を切りながら、日和が微笑む。
「コンビニで買い物しなきゃ駄目だったからな。なんか、今日は忙しかったぜ」
 自転車を押しながら、悠宇は既に日和と同じアイスを咥えていた。
 しばし、自転車のタイヤが回る音だけが響く。仲の良い二人には、沈黙も苦痛ではない。
「あれは、嫌だったろうな。自分と同じ顔の奴がさ、普段から抑圧してた『やりたいこと』をやっちゃうなんてさ」
 歩きながら、ふと、悠宇が呟いた。
「そうだね。あれがもし、自分の式だったら何をしたんだろうって、考えちゃうね」
 自分だったら――日和は、悠宇を見た。
「ん? 何だ? 日和」
 気付いて、悠宇も日和を見る。
「ううん。なんでもない」
 日和は頭を振った。
 再び、自転車の音だけが薄暮の闇に響いた。


                          End.
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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/26歳/女性/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1252/海原・みなも(うなばら・みなも)/13歳/女性/中学生】
【2778/黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)/20歳/女性/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【4778/清水・コータ(しみず・こーた)/20歳/男性/便利屋】
【3524/初瀬・日和(はつせ・ひより)/16歳/女性/高校生】
【3525/羽角・悠宇(はすみ・ゆう)/16歳/男性/高校生】

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          ライター通信          
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 ご参加ありがとうございました。
 お久しぶりです。またお会いできて嬉しいです、本当にありがとうございます。
 新しくOPを作るのも久々のことで、いざ本編を書き始めてみたら、自分の至らなさにくらくらしてしまいました;
 思ったよりも製作に時間がかかってしまいまして、納期ギリギリになってしまい、そこも反省しております……。
 少しでも楽しんでいただけましたら幸いです!
 亀の歩みWRですが、またご縁がありましたら嬉しく思います。