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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


動画が再生された。
 薄暗い事務所の、少し古びたテレビの画像は粗かった。それは、テープのせいかもしれない。
 インターネットの名も無いサイトから、テープにコピーされた映像だ。サイト上では、ただ、「nue」とだけ名付けられていた。
 暗い…森、だろうか?
 中央に、ふらりと一匹の猿が姿を見せた。ぼんやりと、青白い光を身にまとっている。
 威嚇するように、小さく吼えた瞬間、映像はノイズに変じていた。
 草間武彦は、頭をかきながらうな垂れた。そのまま、地面に向けて言葉をつむぐ。
「nue、鵺(ぬえ)か…」
 鵺とは、一種の合成獣だ。猿の顔や、蛇の尾などが特徴である。雷獣とする説もある。
 武彦は、天井を睨むように見上げながら、自身の身の哀れさを呪った。怪奇に巻き込まれる、我が身の哀れさを。

 工藤勇太の眼下には、倒れている男の後頭部がある。辺りに漂う、焦げ臭いにおいは冗談であると信じたい。
 男は気絶しているようだった。
 無理もない。かなりの電撃を浴びたようだった。勇太は男に触れ、超能力で「物体に残る記憶」を読み取る。夢のような感覚が生まれ、男の記憶にもぐりこむ。まさに夢のように、勇太はその男であると同時に、客観的に見つめる他人でもある。その感覚にも慣れたものだ。
 男――草間武彦はぼんやりしていた。自分が協力を依頼した工藤勇太を持っていたのだ。協力、と言っても、ほぼ全て丸投げするつもりだった。いかに安く、勇太に任せるか……。変に理由を説明するよりも、強引に――。
 そんなことを考えているときだった。武彦の、何かを感じた違和感が伝わってくる。視界の端にそれを確認したとき、全身を鋭く電撃が走った。
 鵺。
 その言葉が武彦の頭に浮かび、そのまま意識を失った。
 最後に無様な呻きがもれていたが、勇太はそれを忘れることにしておいた。
 生きていることを確認し、勇太は後方の森を見た。武彦の意識はそちらに集中して途切れた。おそらく、鵺が姿を消した方向なのだろう。
 工藤勇太はヘルメットを少しずらし、視界を確保する。工事用のヘルメットだ。腕には大量の輪ゴムが巻きついている。
「…草間さんが鵺が電撃使ってくるっていうから…でもこんなんじゃ無理だよな…」
 勇太はそう言いながら足元に転がる草間を見た。
 哀れである。
「…鵺、か…」自分で言った言葉を反芻し、彼は数時間前の自分を思い出していた。
「たしか妖怪の一種だったよな…見たことないけど。ええと、顔は猿で胴体は狸…虎の手足に蛇の尻尾…うぅ…」その鵺の姿は、考えるだけでも気持ち悪いものだった。しかし、彼はその依頼のために出発の準備を進めていた。決心したのは、正義感ゆえである。
「でもこんなのがもし町に出て人を襲うようになったら大変だからな…なんとかしないと」
 力強く自分に宣言するようにもらし、ここにやってきたのだ。
 今、もうひとつ理由ができた。
 武彦の仇を取る。
 空中に舞うような身軽さで、工藤勇太は森の闇に消えた。

 数十分も歩いた。しかし、勇太はろくに汗もかいていない。
 超能力を纏いつつの移動は、身体的疲労はそれほど無い。もちろん探索に力を使いすぎるわけにいかないので、必要最小限に留めている。それゆえ移動に疲れは無いが、移動した距離については平時と大差が無かった。
 その足が止まる。
 首筋を冷たい汗が伝った。
 感覚を鋭敏にするが、上手く捕捉できない。やむを得ず索敵の範囲をゆっくりと広げる。
 ぴりぴりと、伝わってくるものがある。それは捕捉のために能力の網を伝って、物理的感覚として勇太に伝わってくるものであった。
 ばりっと一際強く刺激を感じた時、木の上方、太い枝の上にそれを認めた。
「で、でた〜〜!!」
驚きと緊張で体がすくむ。鵺は思ったよりもずっと小柄だった。尻尾が普通の動物ではありえない動きを示している。ゆっくりと、枝に巻き付いている。尻尾は、やはり蛇だった。
青白く発光する鵺が、弾けるように姿を消した。
勇太の後ろの草や落ちていた葉が弾け飛ぶ。気付けば鵺は後ろだ。
 速い。捉えきれない。
 勇太は足を円状に回して振り返る。しかし鵺の姿を視認したときには、鵺の腕がすでに半ば叩きつけられていた。腕でかろうじてそれを受け、その衝撃に後悔する。
 瞬時に鵺の腕を支点に空中に身を投げ出すように軽く飛んだ。その体が易々と回転し、真横になる。結果としては空振りだが、勇太は地面に叩きつけられた。すぐに意識を上に集中し、テレポートする。
 勇太の残像を電撃が凪いだ。上空に回避したのは僥倖だ。鵺の電撃は、本体を中心に円状に放射されていた。
 上空でふらつく頭を抑えながら、勇太は自身の中の恐怖心が消えていくのを感じていた。おかしな話かもしれないが、ガードした腕を通した強烈な打撃が、恐怖心をうえつけるのではなく拭い去っていく。あるいは、それは戦闘への集中がなした技かもしれない。
 鵺はすぐに上空の勇太を発見し、跳ね上がる。
 向かってくる鵺に左手を指しだし、サイコキネシスを壁のように展開する。そこに鵺がぶつかるや否や、今度はそれを網のように曲げ、空中で鵺を固定する。
 そこに右腕から放たれた衝撃の波濤が襲いかかる。不可視の波が、鵺の左半身をかみ砕いた。
鵺の苦悶の声を聞きながら、勇太は目を見張った。狙ったのは、頭のはずである。
「右に力を集中しすぎた!?」
 そして、鵺と体がぶつかる。左肩を強く捕まれる。食い込む爪が痛みよりも不快感を伝えてくる。
「しまった!!」
 右腕で引きはがそうとして、動かぬその右腕に勇太は愕然とした。右腕には尾の蛇がからみついていた。噛みつこうとしたその顎を、集中したサイコキネシスで吹き飛ばしたとき、世界がすさまじい速度で回転した。
 わけもわからぬまま、勇太は激しく地面に叩きつけられる。遠心力と、鵺のすさまじい膂力で、勇太は血のまじった呼気を吐き出した。
 そして、それは落雷だった。
 一際強く輝いたことを認識する前に、鵺から電撃の柱が立ち上った。
 爆発する意識。体から血を抜き取られるような虚脱感。
 「死」を意識した刹那、勇太の「力」が膨れあがった。すぐに取り戻した秩序がそれを収束させ、練り上げていく。
 サイコキネシスの槍が鵺の下腹部を貫いた。地面に転がった鵺が、顔を上げた眼前に、火柱が三本立ち並んだ。生物としての本能が鵺を下がらせる。
「ごめんな」
 ぽつりとこぼした言葉は、鵺に届いただろうか。不可視のはずの衝撃が、赤く縁取られて、全てをなぎ払った。轟音を、どこか遠くで聞いた。

「ったく、えらい目にあったぜ」
 愚痴をこぼしながら、草間武彦は首の付け根を揉むようにしている。視線の先には、猿の死体があった。ところどころ焼けこげたような痕がある。
 その傍にうずくまる少年。泣いているのだろうか。
「――助けること、できなかった」少しぶっきらぼうに、勇太はうずくまりながら言った。
「仕方ないさ。すでに死んでた。怨念とも言える強烈な感情が、この世につなぎとめ、さらに蛇や虎も取り込んだんだ」武彦の手元にある新聞記事の切り抜きには、ある動物園から脱走した猿の記事がのっていた。
「さびしかったんじゃないかな?」
「……かもな」武彦は夕暮れを見上げる。「……力を持つことが問題じゃない。力の使い方も、問題じゃないんだ」
 勇太は武彦を見上げた。表情は見えない。
「問題なのは、気持ちさ。力で傷つけたなら、謝ればいい」どうやら武彦は笑っているようだ。それだけは、勇太にもわかった。
「もし、死んじゃったら?」
「天国に行った時に、謝れ」
 力強く、そう武彦は述べた。宣告のように厳かだ。
 力は、消せない。どう使うかも、咄嗟ならば考える暇はない。
 少しでも、自分が納得するように日々を過ごそう。
 そう考えると、勇太はいくらか楽になった気がした。
 ――その日、森を目の前にしたある道路の脇に、小さな墓が建てられた。花や草の陰に、しかし寂寥感は無く建っていた。その墓は、束縛を断ち切られた嬉しさで、動物たちを森へと導いていた。