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溢れ出るメロディ
1.
その日、草間興信所の扉を叩き入ってきた依頼人がいったい何に困って此処を訪れようと思ったのか、草間にはすぐにわかったし、草間でなくともわからないもののほうが少ないだろう。
「あー……、間違っていたら悪いんだが、あんたが困っているのはそのことだよな?」
万が一違う場合も考えに入れながら草間がそう言って指差したのは依頼人の口元だったが、その口は明らかに普通の状態ではなかった。
その口からはずっと音楽が流れ出している。歌っているのかといえばそうではなく、口から勝手に音が溢れ出ているというほうが正しいもののようだ。
口を開けばそれがスピーカーの代わりとなって音楽が流れ出す。どうやら依頼人はそんな状況らしい。
呼吸に支障はないのかと最初は草間も心配をしたが、それは問題がないらしい。
どうやら口を開けなければ音楽は流れないようだが、ずっと口を塞いでいるわけにもいかず、何か解決の手立てはないかとこの草間興信所に訪れたということのようだ。
しかもそれは鼻歌と呼べるようなレベルではなく周囲に響くような音量で朗々と流れているので、依頼人本人もだが周囲にも少々厄介な現象だ。
『どうにかしてこの歌を止めてください』
絶えず口から流れ出る音楽が興信所に響き渡る中、依頼人は困り果てた様子で差し出されたメモにそう書き記した。
困っていることは確かであり奇妙でもあるが危機感はさほどないからという理由もあるのだろうか、困り果てた依頼人とは裏腹に事務所には笑い声が響いている。
「わはは、それおもしろすぎ!」
不謹慎なほどいま目の前で起こっている現象を楽しんでいる様子の色を、草間はじろりと睨みつける。
「あのな、そんなに笑うな。一応相手は困ってんだ」
「だって、おもしれぇじゃん。この程度の音なら俺平気で聞けるし」
「お前が平気でも依頼人の窮状を解決することが重要なんだよ」
まるで無頓着に「もっと別の曲は流れねぇの?」などと依頼人に尋ねる色を苦い顔で見はしたものの、説教をするのは後でもできると判断したのか草間は話を進めることにした。
「何か原因に思い当たるようなことはないか。音楽にまつわるような何かに最近関わったとか」
「変なもんでも食ったんじゃねぇの?」
「お前は少し黙ってろ」
横から茶々を入れてくる色にそう言ってから、草間は更にあれこれと依頼人に尋ねても依頼人には原因になりそうなことが思い浮かばないらしく困惑した顔のままだ。
「……参ったな」
まるで手がかりのない状況ではどうしようもないと言いたげに、草間は大きく息を吐いた。
2.
「なぁなぁ、ほんとになんも心当たりないわけ? 悪いもの食ったとか、どっか行ったとか」
相変わらず依頼人の状況を楽しんでいるまま、それでも色は面白そうだからという理由が大きいものの依頼人にいくつか質問を投げかけてみていた。
「手がかりなんにもなしじゃ俺たちだってどうしようもないし、聞いてる曲も俺全然知らねぇから調べようもないしさ」
依頼人から流れているメロディに色はまったく覚えがない。少なくともいま流行っている曲でないことはわかる。
「うーん、とりあえずさ、それっていつから始まったわけ? ずっとその調子で我慢してたわけじゃないだろ?」
いつ頃からそれが発生したのかがわかればその前後に依頼人に起こったことを調べれば何かが掴めるかもしれない。
その色の問いに、依頼人はメモにすらすらと答えていく。
『1週間くらい前からです』
「えっ、1週間もこのまんま? すっげぇ!」
「だから、楽しむなお前は」
呆れた口調の草間の小言の合間にも依頼人はその状況を説明していく。
突然起こった現象に無論戸惑ったものの、このことを相談する相手もおらずいまいるような興信所に行くような勇気もわかなかったため、自然に現象がやんでくれることを願ってなんとか1週間は耐えてみたのだが、一向にやむ気配がないことからようやく此処へ訪れることにしたらしい。
「じゃあ1週間前にどっか行ったとか、なんかしたとか、その辺りを考えてみたら良いんじゃねぇの?」
ようやく手がかりを得られるかもしれない情報を引き出せはしたものの、しかしやはり依頼人にはその辺りに何か変わったことをしたという記憶がないらしい。
「普通に生活しててなんでこんなことになるんだ?」
『それを知りたいからここに来たんです』
他人事とはいえついそんな言葉を漏らしてしまった色に対して依頼人がやや焦れながらそうメモで反論する。
「お前の力でなんとかできないのか?」
「うーん、物とか人や場所絡みなら俺にもなんとかできるかもしれないけど、全然心当たりがないっていうんじゃお手上げじゃねぇ?」
「手がかりがなくても見れるだろ」
「そうだけどさ。まぁ、一応やってみるけど解決できなくても俺のせいじゃないってことで」
草間と色のそんなやり取りをしている光景を不安そうに見つめている依頼人のほうへとくるりと向くと、色は突然目にはめていたコンタクトレンズを外していった。
銀色の瞳でじっと依頼人を見つめながら、色はにっと笑ってから口を開く。
「ちょっとあんたの様子、見させてもらうから」
そう言ってから、色はかりっと指を噛み、そこから流れる血を飲み干した。
3.
いま色が見ているのは依頼人の過去、現象が起こり始めたという1週間前の光景だった。
色の持っている能力のひとつである、対象の過去・未来に意識を飛ばし行動できる『銀渡』によるものだ。
その色のすぐ近くには依頼人の姿があるが、色に気付いている様子はまったくない。
異変が起こる前らしい依頼人は友人などと普通に挨拶を交わしている。当然声も出せる状態であるので初めて色はその声を聞くことができたが、ありふれた女性らしい声だ。
「何もなかったらマジでお手上げだよなぁ」
あまり期待しているようでもない色の言葉に応えるように、依頼人の日常はきわめて平凡なもので奇妙な現象に関わりそうなものは特にない。
このままいきなり怪異が起こったというのならば色の手に負えるものではないし解決できるものでもない。
どうしたものかと思いながら依頼人の行動を連れ添うように眺めていると、ふとある光景が見えてきた。
『何これ』
何かを見つけたらしい依頼人が立ち止まり、目に付いたものを見つめている。
同じところを色が見れば、そこにあるのは古びたラジオのようだ。
随分と使い古されたものなのか、壊れているらしいそれはとうにラジオとしての機能は失っているように見える。
依頼人はさほどそれに興味があったわけでもないようだが、そのラジオを掴むとぽいと指定のゴミ捨て場へと捨てて通り過ぎていった。
途端カチリ、とラジオの電源が入ったような音が聞こえたが、壊れてしまったそれから何かが流れるわけでもない。
「これ……かぁ?」
確信がもてないまま、色は首を捻りながらそう呟いた。
4.
「ラジオ?」
「そ、ラジオをこの人が拾って捨てたんだけど、なんかそのときに変なスイッチでも入ったのかも?」
「かもってことは、確信はなしってことだな」
「だって俺には別におかしなことなんて見つからなかったし、ラジオだって気のせいってことはあるからさ」
見てきたものを草間に報告しながらも色も特にそれが原因だと確信があるわけではないらしい。
「受信する類のものに関わって怪異が起こるっていうのはあるが……決め付けるには不十分だな」
「でも俺にはこれ以上無理。もうお手上げ」
降参というポーズをとって見せた色に草間も仕方がないとため息をつく。
「とりあえず、万が一そいつが関わってるのなら古物に詳しい知り合いがいるからそいつを訪ねてみてくれ。もしかするとそいつが解決してくれるかもしれない」
役に立てなくてすまなかったと詫びを入れながら草間は古物絡みならばもっとも信頼できる相手の連絡先を依頼人に教えることにした。これ以上のことはここではできそうにないというのが正直なところだ。
期待していた結果ではなかったが苦情を言おうにも言葉を発せない依頼人はそのまま興信所を後にしていった。
「結局あの音楽ってなんだったわけ?」
「さぁな、何を受信したのかもわからんし、そもそもそいつが原因である可能性は高いとはいえない。俺たちにできることはもうないな」
疑問を残したまま依頼人を帰すことになったのは草間としても不本意な結果であったらしくそう言った草間に色は「まぁまぁ」と慰めるように口を開いた。
「そういうこともあるって。あんま気にしないで」
「……そうだな」
そう答えはしたものの納得がいかない表情のまま草間は大きく息を吐き、色は出て行った依頼人の姿を見送るように軽く頭を掻いた。
了
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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2675 / 草摩・色 / 男性 / 15歳 / 中学生
NPC / 草間・武彦
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■ ライター通信 ■
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草摩・色様
初めまして、ライターの蒼井敬と申します。
この度は、当依頼にご参加いただき誠にありがとうございます。
能力を使って調査は行うということではありましたが原因や結末に関わることが特になかったためこちらで作らせていただきました。
謎が残ったままですが多少でもお気に召していただければ幸いです。
またご縁がありましたときはよろしくお願いいたします。
蒼井敬 拝
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