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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


災い転じて眼福となる

 六月のある日。
 シリューナ・リュクテイアは、同じ竜族で弟子ともいえるファルス・ティレイラを連れて、あやかし山の一画へと足を踏み入れた。
 あやかし山は、東京から電車で小一時間程度の場所にあり、一般的にはハイキングや初心者の登山などに向いた山として知られている。しかしその一画には、めったに人が足を踏み入れない険しい場所もあって、しかもそこは珍しい植物の宝庫なのだという。
 独自の情報網でそれを知ったシリューナの目的は、魔法薬の材料となる植物の採取だった。
 できるだけたくさん採取したいと考え、ティレイラを誘ったのだ。
 その日は六月には珍しい晴天だったが、あたりにはまったく人気はなかった。そればかりか、高く伸びた木々の梢がうっそうと生い茂り、太陽の光さえも遮ってしまっている。
「わあー! すごいですねー」
 あたりを見回し、ティレイラははしゃいだ声を上げた。
「ああ。たしかに、思った以上に山深い場所のようだな。……だが、求めるものもたくさんありそうだ」
 シリューナもうなずいて、あたりに目をやった。
 ちなみに、今日は二人とも長袖のTシャツとパンツにスニーカーという服装である。その他、植物採取に必要な軍手やスコップ、採取したものを入れるための背中に背負う籠なども持参して来ている。
 竜族で魔法も使える二人なので、これが他のことなら――たとえばただ山中を散策するだけとか、登山するだけなら、ここまでの装備は必要ないのだ。しかしながら今回は、せっかく採取した植物に影響を与えてはいけないと、なるべく魔法を使わないことに決めていた。それで、こんな装備になったのだ。
「さて。じゃあ、手分けして必要なものを探すとしよう。ティレ、ここに欲しい植物のメモがあるから、これを参考にして集めてくれないか」
 言ってシリューナは、ティレイラに用意して来たメモを手渡す。
「はい」
 うなずいて、ティレイラはそれを受け取ると、中身を見やった。
 書かれた植物は、それほど多くない。名前と特徴が書かれ、見分けるためのポイントとなる葉や花の形がイラストで描かれていた。
「どう? 大丈夫そう?」
「はい。とってもわかりやすいメモですから、これなら植物のことをあまり知らない私でも、なんとかなりそうです」
 シリューナが問うと、ティレイラは大きくうなずいて返す。
「じゃ、二時間したらもう一度ここに集まって、収穫を見せ合うことにしよう。それで充分に集まったようなら、弁当を食べて店へ戻る」
「はーい」
 シリューナの言葉に、ティレイラは元気よくまたうなずいた。
 そうして二人は、そこにそれぞれの弁当の入ったリュックを置いて魔法で他人には見つからないように隠すと、籠を背に二手に分かれたのだった。

+ + +

 それから一時間後。
 ティレイラは、一人で黙々と植物採取に励んでいた。
 といっても、背中の籠の中はまだほんの少し底が見えなくなった程度だ。シリューナにはああ言ったものの、メモと見比べながら必要な植物を探すのは、なかなか骨の折れる仕事だった。
 彼女は小さく溜息をついて、中腰の姿勢から身を起こし、背中と腰を伸ばした。
「うう……。腰が痛いです〜。なんだか、一気におばあさんになった気分です〜」
 一人情けない声を上げながら、額の汗を拭う。喉も乾いて来たし、このあたりで少し休憩しようと、彼女は背中の籠を下ろして、そこに腰を下ろす。
 そこは草地になっており、あたりには木の根や枝もなくて、座って休むにはちょうどいい場所だった。小さく吐息をついて、彼女は体に斜めにかけた水筒から、少しだけお茶を飲んだ。
 そうしてようやく人心地がついた気分で、改めてあたりを見回す。
 ずっとメモにある植物を探すことに夢中で気づかなかったが、山中にはいくつも彼女の見たことのない花が咲いていた。花の色は、白に紫、薄紅、黄色とさまざまだ。どれも、一つの枝にぶどうのように小さな花がいくつも咲いているものが多い。
 それらに見惚れていたティレイラは、その先に立つ大木の根方が大きく口を開けていることにふと気づいた。なんとなく興味を惹かれて、彼女は立ち上がるとそちらに歩み寄る。
 傍に寄るとそれは思っていたより大きく、彼女の背丈の倍ほどもあった。どうやら地中から突き出した岩盤に樹木が根を張り、そんな形になったらしい。外から見ると大木の根方に開いた洞穴だが、中を覗き見れば岩の壁に囲まれた洞窟である。
「何か、不思議な場所ですね。……お姉さまへのお土産話に、中をちょっと見てみましょうか」
 ティレイラは小さく目をまたたかせて呟くと、そっと中へと足を踏み入れた。
 中はひんやりと冷たく、まだ残っていた汗が一気に冷めて、彼女は思わず小さく身を震わせた。
 そこは、外から見たのよりもずいぶんと広く、頭上からは淡い光が降り注いでいる。もしかしたら、大木のてっぺんには穴が開いているのかもしれない。
「あ……!」
 少し歩いてティレイラは、低い声を上げて足を止めた。そこには、小さな祠が建っていたのだ。
 祠は、壁も屋根も扉も全て石で造られていた。そして、祠全体を縛るかのように、注連縄が掛けられている。
 それまでは洞窟の薄暗さも冷たさも、何一つ恐れることなく進んでいたティレイラだったが、それを目にした途端、まるで凍りついたかのようにただ立ち尽くしていた。なぜか、その祠に対していい感じがしないのだ。
(やっぱり、戻りましょう。こんな所で油を売っていたら、お姉さまに叱られてしまいます)
 胸の中で、自分に言い聞かせるかのように呟くと、彼女は一歩後ずさった。そのまま、小さく唾を飲み込んで、一気に踵を返そうとする。その時だった。体に斜めにかけていた水筒の紐が前触れもなく、切れたのだ。
「あ!」
 思わず声を上げる彼女の目の前で、水筒は地面に落ちると祠の方へところがって行く。
「待って!」
 ついつい後を追いかけた彼女だったが、途中で何かにつまずいて、思いきりつんのめった。
「きゃっ!」
 悲鳴を上げ、身を支えるものを求めて手を伸ばす。無意識につかんだのは、祠に巻かれた注連縄だった。
 小さな音と共に、それが千切れる。
 同時にティレイラは地面へと倒れ伏した。
「あ〜ん。痛い〜」
 半ば涙目になりながら身を起こそうとして、彼女は凍りついた。
 祠の扉が開いていたのだ。そしてそこから、凄まじい瘴気がこちらに向かって来ているのがわかる。
 何か考えるよりも早く、体が動いた。起き上がり、踵を返すと外に向かって走り出す。
 だが、瘴気はそんな彼女の足元にまといついた。
「あ……!」
 全身があわ立つような、おぞましい感覚に襲われ、彼女は再び身をすくませる。瘴気のまといついた部分から、魔力が失われていくのがわかった。それと共に、足の指先から徐々に体がこわばっていく。石に変えられているのだ。
「こんな所で石に変えられるなんて、冗談じゃないです〜」
 情けない声を上げながらも、ティレイラは魔法による炎の攻撃を繰り出してみた。だが、瘴気は一向にひるむ様子もない。一足動くごとに魔力が奪われ、体から力が抜けていく。そして小麦色の皮膚が、冷たい石へと変わっていくのだ。
 そして。あと数歩で外に出られるというあたりにまでたどり着いた時、彼女の気力は途切れた。
 そこに立つのは、必死に先に進もうとしている石で出来た少女の彫像だった。

+ + +

 一方。
 順調に植物採取を続けていたシリューナは、奇妙な気配を感じてふと顔を上げた。
「なんだ? これは」
 思わず低く呟き、顔をしかめる。
 嫌な気配だった。まるで、全ての生き物を呪い憎んでいるかのような、強い憎悪を感じる。
 彼女はしばし考えていたが、すぐに背中の籠をその場に下ろし、半分ほど詰まった植物がその気配の影響を受けないように魔法の障壁を籠の周囲に施すと、魔法の翼を背に広げ、空中へと舞い上がった。そのまま、木々の梢の間を上手にかいくぐりながら、彼女は気配が放たれている方へと向かう。
 やがて彼女がたどり着いたのは、ティレイラが足を踏み入れたあの洞窟の前だった。その少し手前で彼女は、ティレイラの背負っていた籠も見つけていた。なので、その身に何かあったのかもしれないという、かすかな予感は感じていた。
 だが。
 洞窟の入り口に足を踏み入れ、彼女は思わず目を見張る。
「ティレ……!」
 そこにあったのは、彼女の目にはおなじみの石化したティレイラの姿だった。もっとも、その面には必死の形相が刻まれ、手は何かを求めるかのように前へと伸ばされている。
 と、ティレイラを襲った瘴気は、新しい獲物を見つけたとばかりに、シリューナに向かってその見えない手を伸ばして来た。しかしシリューナは、それを魔法の障壁で容赦なくはたき落とす。そして、即座に次の行動に移った。自分の髪を数本抜き取り、それを素早く編み上げると、洞窟の中へと駆け込んだのだ。
 瘴気はたちまち彼女に襲いかかったが、体の周囲に魔法の障壁を築いているため、それはまたたく間に蹴散らされる。
 ほどなくシリューナは、件の石の祠へとたどり着いた。そこに編み上げた自分の髪を巻きつける。応急の、簡単な封印だった。竜族である彼女の、しかも魔法を込めた髪だ。応急処置といっても、この先何ヶ月かは持つに違いない。もちろん、その間にもっときっちりと封印を施し、二度と瘴気がここから出て来ないようにしなければならないが、とりあえず今はこれでいいだろうとシリューナは考える。
 祠の封印を終えると、彼女は再び入り口へと戻った。そこにはまだ、石化したままのティレイラが佇んでいる。
「……こうなってしまってはしかたがないな。植物採取はこれぐらいにして、店に戻るか」
 その姿を見やってシリューナは呟く。そして、小さく溜息をついた。
「空間転移は疲れるから、あまりやりたくないのだが……しかたがない」
 低くぼやいてから、彼女は小さく口の中で呪文を唱える。その後、指で石化したティレイラの額のあたりに円を描くような仕草をした。途端、その後ろに真っ黒な影のような空間が現れ、石化したティレイラはその中へと吸い込まれて行った。
 それを見送り、シリューナは今度は、三回拍手を叩く。
「さて。後は私が戻るだけだ」
 小さくうなずき、彼女は再び魔法の翼を広げ、空中へと舞い上がった。

+ + +

 シリューナが自分の店に戻ったのは、それから二十分後のことだった。
 魔法の翼は、人間の造り上げた文明の利器よりもなお早い速度を持つ。
 店の奥の一画にある彼女の実験室には、彼女とティレイラの荷物と魔法薬の材料となる植物の詰まった籠、そして石化したままのティレイラがちゃんと到着していた。
 シリューナが最後に打った三つの拍手は、荷物と籠を空間転移させるためのものだったのだ。
 それらを見やって満足げにうなずくと、シリューナはさっそくティレイラの石化を解く作業にかかった。
 といっても、さほど難しいことではない。聖水を含ませたタオルで、石化したティレイラの体を拭いてやればいいだけのことだ。聖水は、石化だけではなくさまざまな呪術を解くのに役立つため、彼女は常にかなりの分量を常備している。
 聖水で濡れたタオルでティレイラの細い腕や首、愛らしい顔などを拭いてやりながら、シリューナは小さく口元をゆるめた。どうしてこんなことになったのかは、だいたい想像がつく気がするが、それはそれとして、石になったティレイラは、いつもながらに愛らしい。
 普段から、ころころと表情を変えて彼女を楽しませてくれるが、それでもこんな必死の形相はついぞ見たことがなかった。そのことも、彼女にとっては新鮮だった。
(石化が解けるまでには、何日かかかるだろうが……それまで、この姿を楽しむのも悪くはないな)
 胸に呟き、シリューナはそっとタオルを持っていない方の手でティレイラの頬に触れる。指先が、頬から顎、唇、鼻とゆっくりとたどって行く。
(ティレ。毎日こうやって、聖水を含ませたタオルで、丹念に瘴気を拭ってあげる。だから、しばらくはこの姿を私に堪能させてくれないか。そして目覚めたら、今度はそのとびきりの笑顔と声と言葉と仕草で、私を幸せにしておくれ)
 胸の中でティレイラに語りかけ、彼女はその石と化した顔を見やって、ただ陶然と微笑むのだった――。