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<東京怪談・PCゲームノベル>


フェードアウトクロノス


 かあん かあん かあん かあん かあん かあん
「おはようございますか?」


 歌川・百合子(うたがわ・ゆりこ)にとって……この様な夢の幕開けは、ロマンの始まりにすぎなかった。ドアを開けた先には、また部屋が。薄暗い、じめじめした、埃っぽい部屋だった。隅の方で柱時計が妙に早く一秒一秒を刻んでいる。同じように、自分の心臓の鼓動も、いつもより心なしか急いでいるように感じた。手のひらにじわりと汗が滲む。後ろから聞こえるのは、店員の足音と踏み切りの音。心の中に渦巻く恐怖と……僅かな期待。扉から離れ、部屋の真ん中へと走る。左手に階段が現れ、柱時計は先ほどよりも二倍ほど大きくなっていた。

「店員さん、あたしを刺し殺す気ですか?」
 振り向いて、ほんの少しだけ震える声で尋ねる。返事は無かった。店員は静かに一歩ずつ近づいてくる。包丁がぎらりと光った。それはなんとなく、彼もしくは彼女の肯定の意思を伝えているような気がした。

「やだやだ、嫌だ! 刺し殺されちゃうなんて、全然ロマンチックじゃないわよう!」
 首を左右に振りながら、必死になって階段へと駆け寄り、上っていく。木製の床はぎしぎしと音を立て、埃を散らした。階段の横には手すり、その上にはアンティークドールが幾つも吊り下げられていた。無感情の瞳が百合子を見つめている。
 階段を上った先には、ベランダがあった。飛び出してみるも、ここから逃げ出せそうには無い。空は黒く濁り、白い鳩が何羽も飛んでいる。景色は暗すぎてよく見えない。振り返れば、上り階段が一つ。先ほど上ってきた階段はどこかへ消えてしまっている。それでも、店員が追ってきているのは間違いないと感じた。微かに聞こえる踏み切りの音。
 ベランダから見るに、ここはどこかの洋館らしい。大きな館だ。こげ茶色のレンガに、白塗りの壁。窓がいくつもあって、大きな人形が時々こちらを覗き込んでいる。
 百合子はベランダを出て、再び階段を駆け上がった。踊り場にも沢山の人形があり、首のないものやら瞳を入れ忘れているものやら、いろいろな物がごろごろ転がっていた。


「そう、そうだ、あたしを人形にしてもらおう。ここの人形師さんを探して、人形にしてもらうのがいいわ」
 階段を上りながら呟く。ちらりと振り向けば、暗闇の中に包丁が光っている。
「歌う仕掛けを付けてもらうの。歌う人形なら、ロマンチックよ」
階段を上りきった先には、長い廊下が続いていた。左右の壁にはまた人形がずらりと並び、ねずみがようやく入れるくらいの小さい扉や百合子の二倍の高さにまで伸びきった扉が付けられている。天井には人形の顔があり、それぞれの瞳で百合子を見下ろしている。ぎょろりと目を剥いて、口をぱくぱく動かす物もあった。
 店員が階段を上りきる前に、どこかの部屋へ入らなければ。手当たり次第、扉の取っ手に手をかける。一つ目は固くて開かなかった。二つ目の扉には取っ手が無かった。三つ目は触る前にどこかに消えた。四つ目の扉がようやく開いた。

「正木さん、人形師さんはどこにいると思う?」
 右太腿の人面疽へ話し掛ける。姿は見えずとも、正木さんと呼ばれた人物は確実に百合子の中に住んでいる。
『人形師の名前はクロノス』
そんな声が聞こえた。
 扉の先には、広いロビイのような部屋があった。部屋の隅に壊れた人形が積み重なっている。
「じゃあ、クロノスさんを探せばいいんだ」
部屋の四方には扉。引かれた絨毯はすっかり色落ちして所々解れており、床にはやはり埃が厚く溜まっていた。一歩歩けば埃が舞う。だが、不思議と咽たり咳をしたりすることは無かった。埃臭くも無い。人形に埋もれている柱時計が、遅めに一秒を刻んでいる。百合子はゆっくりと部屋の中央へと歩み寄った。この部屋に入る時に使った扉は、別の色に変わっていた。
『人形師の名前はクロノス』
正木さんが再び言った。

 四つの扉には、全て『クロノス』と書かれていた。インクの色が違うだけだ。片っ端から開けてみようとするものの、どれも鍵が掛かっている。踏み切りの音がする。時計が一度だけ鐘を打つ。
「ねえ正木さん、クロノスさんはどこにいると思う? どの扉も閉まってるけど」
『人形師の名前はクロノス』
正木さんは同じ言葉を繰り返すだけであった。しかし、憤りは感じない。それが当然であるかのように。それが全ての答えであるかのように。

 部屋の中に鳩とカラスが入ってきた。どこから入ってきたかは知らない。二羽は何をするでもなく、百合子の様子をじっと見詰めていた。時々、黒い鳩と白いカラスに変わったりしていた。部屋はいつのまにか綺麗に掃除されており、絨毯は赤色を取り戻していた。人形も全て直されていて、積まれるのではなく部屋の壁に立ったままの姿で立て掛けられていた。

『人形師の名前はクロノス』
 一つ目の扉は開かない。
『人形師の名前はクロノス』
二つ目の扉の取っ手が消えた。カラスがカアと鳴いた。
『人形師の名前はクロノス』
三つ目の扉は壁に吸い込まれて消えた。
「人形師の名前はクロノス」
四つ目の扉は触れる前に開いた。


 一人で過ごす夜は、どんな人物にとっても寂しいものだ。人は見えなくともそこに居るだけで安心させてくれる。本当の友情があれば、どんな孤独も時間の経過も怖くない。愛し愛され、人は静かに人生の道を歩んでいく。道がつながる事はない。そもそも道なんて無いのかもしれない。手に触れる物すべてが指の間を通り抜け、背中側から大きな津波が押し寄せる。誰かがおはようと言うまで朝は来ないのだ。それでいて彼は、人間と言うのは決して本当の友情など手に入れられない物だと嘆く。それがどんなに幸福な事か、私には解っていた。中途半端な信頼が招くのはあくまで中途半端な裏切りであり、本物の信頼を手に入れなければ本当に裏切られる事は無い。それでも私はいつも本当に裏切られてきたと思うし、これからもそうであって欲しいと願う。例えば黒い紙に白いインクで文字を書くだろう。私は赤いインクで書きたかったのに。全てを本物だと思えばそれは本物になる。歩いてきた道は正しかった事になってしまう。私の言葉を受け取れるのは私だけだ。私の世界はあなたの世界とは違うからだ。完璧ではない世界と完璧ではない言葉は、私にとって完璧になってしまっている。教科書がそう言ったのだ。


 扉は、勝手に開いたのと同じに勝手に閉じた。百合子がそっと一歩進むと、部屋の明かりがふと灯る。いくつものロウソクに照らされた部屋の中に、一人の青年が居た。百合子は、彼こそがクロノスであると直感した。クロノスは人形を作っている。丁度、一つの人形に瞳をはめ込んだ所であった。
「クロノスさん、あたしを人形にして下さい」
 百合子の言葉に、クロノスはゆっくりと顔を上げた。人面疽にそっくりな顔。にやりとも笑わない顔。
『私の名前はクロノス』
正木さんの声と同じ音で、彼は喋った。
『君の願いは知っている。すぐに君を作ってあげよう』
 手に握られたのこぎりは、包丁のような煌きを持っていなかった。クロノスは立ち上がり、着ているエプロンに付いた木片を払い落とすと、百合子の傍へやってきた。表情のない瞳。まるで人形のような。
 まずは左足である。左足の付け根にのこぎりがあてがわれ、ゆっくりと左右に引かれる。痛みは無いし、血も流れない。勿論、生々しさも全く無い。百合子は自分の足を見た。そして、のこぎりが動くたびに落ちる木片を見た。なるほど自分は木で出来ていたのか。それならば埃に咽る事も無いし、血も流れない。
 次は右足だ。正木さんとの別れが待っている。
『私の名前はクロノス。人形師の名前はクロノス』
正木さんの声だかクロノスの声だかわからなかった。散る木片。胸の奥でちらりと何かの影が揺れた気がして、百合子は「さよなら」と呟いた。右足が切り落とされ、正木さんと目が合う。もう、彼とは喋れないのだろうか。一つのロマンとの別れだ。
 クロノスが新しい両足を付けている最中も、百合子は倒れることなく立っていられた。それは少しも不思議な事ではない。ぎしりぎしりという音、新しい足の感覚。
「新しい足に正木さんは居るんですか?」
『人形師の名前はクロノス』
クロノスは淡々と作業を続けていた。百合子は黙って新しい足の感覚を覚えていた。大丈夫。全く痛くない。ただ動かせなくなるだけだ。
 左腕の付け根をのこぎりが削っていく。踏み切りの音がだんだんと近づいてくる。もう隣の部屋にまで店員は辿り着いたであろうか。カラスの鳴き声が聞こえる。
 かあん かあん カア カア ぎこ ぎこ ぎこ ぎこ。
 左腕に新しい腕を付け、右腕をまた切り落とす。両腕も両足も自由が利かなかった。ただぶら下がっているだけの四肢だ。しかし、刺し殺されるおしまいよりはロマンティックなおしまいが待っているのだろう。木片が足首あたりにまで積もってきている。クロノスは黙って作業を続けている。
 かあん かあん カア カア ぎこ ぎこ ぎこ ぎこ。
 なんとなく、店員がこの部屋の扉の向こうに立った気がした。おそらく間違っていないだろう。クロノスが指を伸ばし、百合子の両目を抜き取る。その様子を、百合子はしっかりと眺めることが出来た。自分の瞳の色をまじまじと見詰める。身体が木で出来ていたのなら、目はガラスだったのだろうか。そして、新しい瞳をはめ込まれる……白目も黒目も無い、黒いガラス球だ。

『私の名前はクロノス』
 百合子を持ち上げ、部屋の隅へと座らせて、クロノスは再び作業を始めた。直後。ゆっくりと扉が開かれて、店員が部屋へと入ってくる。木片を踏み、手足を跨ぎ、百合子の方へ。
 百合子は声を出そうとしたが、きい、と軋む音がしただけであった。クロノスはいなくなっている。部屋ももうなくなっている。居るのは自分と店員だけである。
 店員が膝を曲げ、じっと百合子を見詰めた。その両肩にはカラスと鳩。彼らも百合子の瞳を見つめている。

 百合子だった人形は、ゆっくりと歌い始めた。掠れたような声、小鳥のような歌声だ。自分の中でゼンマイが音を立てているのが解る。かたかたぎしぎし。歌声は空間を駆け抜け、どこまでも響くだろう。店員はじっとそれを聞いていた。包丁は持っていない。
「おはようございましたか?」
その言葉に、百合子は返事が出来ない。ただ歌うのみである。

 どれくらいの時がすぎただろう。一瞬だったはずなのに、永遠に近いように感じられた。黒いカラスと白い鳩が、相も変わらず瞳を覗き込んでいる。店員は百合子と一緒に歌っていた。メロディも歌詞も無い歌を歌っていた。ここは雲の中。足元には遠い緑が広がり、上空にあるのは青い空。すぐ隣を鳥の群れが横切っていく。風の吹かない場所。
 自分の身体がもうもたない事を、百合子は直感的に感じ取っていた。ゼンマイが止まる。ぎしぎしと音を立てて止まる。自分の中身が見える。木で出来たゼンマイ、歌声は一体どこから出ていたのか。店員はまだ一緒に歌っていた。掠れた声で歌っていた。ぎしぎしがだんだんと小さくなっていく。視界に一番大きく写っているゼンマイが、小さく音を立てて完全に停止した。他のゼンマイも、それにつられるように停止していく。――一番大きなゼンマイの表面に、正木さんの顔と同じシミがある。あるいはクロノスかもしれない。

「なんだ。まだ一緒にいられるんだわ」
 百合子は言った。
「そろそろ朝。おはようございましょう。さようならです。朝が来ます」
店員も言った。
 正木さんがじっとこちらを見ている。百合子は最後に小さく笑った。笑った気がした。人形は果たして笑えるのかどうか……自分の顔だけは見えなかった。変わりに、正木さんが呟く。
『そう。まだ一緒にいられるんだ』



 百合子はゆっくりと瞼を開けた。まだ雲の中にいるかのような感覚。目の前で、店員が自分の事をじっと覗き込んでいた。驚きも吃驚もせず、百合子は顔を上げる。何故なら先ほどまで店員は普通に自分の瞳を見つめていたからだ。まだここは夢の中なのではないだろうか、そんなぼんやりとした意識のまま、百合子は欠伸をした。
「おはようございます」
店員が笑った。
「おはようございます」
百合子が答えた。

「あたしの歌、どうでしたか? 綺麗でしたか」
「ええ、とても。私は好きですよ、あなたの歌が。鳥の歌はとても好き。あなたは鳥の歌を歌えるんですね」
 そう言って、店員はカウンターの上から一つのキーホルダーを取ってきた。銀色の鳥篭の中に、小さな黒い宝石の入ったキーホルダーだ。
「これを差し上げます。お礼です」
窓から差し込む朝日に照らされ、キーホルダーはきらりと輝いた。差し出されたそれを、そっと受け取る。
「良ければ、持っていてください。カラスの瞳と言う宝石です」
なるほどそれはカラスの瞳にそっくりな黒だ。透き通ってはいないのに透き通っているような黒。
「ありがとうございます」
「こちらこそ」
百合子はそれを鞄に仕舞い、窓の外を眺めた。踏み切りは音を鳴らしていない。まだ電車が通らない朝。空は青く、草は青々とした緑色をしている。遠くに鳥の群れ。もしかしたら、さっきまで居た場所は、もう一つの現実だったのではないかしら。そんな考えが脳裏を過ぎる。

 店員に会釈をし、扉を潜り抜ける。そこは洋館の一室ではなく、喫茶店に入った時と同じ道であった。どんな物語であろうと、どんな現実であろうと、ロマンチックな方がいい。百合子は小さく歌いながら帰路を辿った。遠くから電車の音。踏み切りがかあんかあんと鳴り出した。


おしまい

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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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PC/歌川・百合子/女性/29歳/パートアルバイター(現在:某所で雑用係)

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ライター通信
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はじめまして、北嶋です。この度は発注ありがとうございました!
洋館での夢、如何でしたでしょうか。上手くプレイングを反映できているでしょうか……。
尚。店員から歌のお礼として「カラスの瞳」をプレゼントさせて頂きました。

もしもまたお会いできる日がありましたら宜しくお願い致します。
少しでも楽しんで頂けたなら幸いでございます。