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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


 悲鳴のレコード

 また厄介なものを仕入れたな、と黒崎吉良乃は思う。目の前で微笑を浮かべる骨董品屋の店長は、珍しいものを扱うばかりにおかしなものまで手に入れるのが常だった。
 もっとも、吉良乃にとってそれは不快ではない。暗殺者などという、救いも楽しみもない仕事をやっている吉良乃にとって、妖品怪具の類をなんとかするというのはむしろ楽しい仕事だからだ。
「で――呪いのレコードって言ってたかしら?」
「ああ。いや、まあとりあえず見とくれよ」
「まったく……別にかまわないけどね、蓮。なんでわざわざ呪い憑きのレコードなんて手に入れるのよ? ほどほどにしないと身を滅ぼすわよ?」
「はっは。暗殺者に命の大切さを説かれるとは思わなかったねえ」
 逆だ、と吉良乃は心中で呟く。暗殺者であるからこそ、命がいかにもろく壊れやすいか知っている。それは強い感情や、巨額の金の前には、あっさりかすんでしまうようなものなのだ。
 蓮が取り出したレコードは、一見なんの変哲もないものだった。これでは、一般人も間違って購入してしまうだろう。
 無論、吉良乃はレコードに触れただけで、これに嫌なものが宿っていると判断した。イメージとしては粘液。暗い暗い水底の中で、悪循環を繰り返すどろどろした感情。
 それは、暗殺者の吉良乃にとっては、とても馴染みあるものであった。
「いるわね――――良くないのが、宿っている。蓮、友人として忠告しておくけど、これは本当に売り物にする気かしら? さっさと壊しちゃったほうがいいわよ」
「は。それがそのレコードが妖具たる所以さ。捨ててもまた戻ってくるんだそうだ。これはもう、退魔士になんとかしてもらうしかないだろう?」
 退魔士でもなんでもない吉良乃であったが――友人の蓮から暗殺の依頼を受けるよりは、はるかにマシであった。
 で――具体的にどうするか。
「レコードごと壊していいかしら?」
「それしか方法がないんならそれでもいいが――できるなら、『人を殺すかもしれなかったレコード』として、数寄者に売ったりしたいんだがねえ」
「守銭奴。まあやってみるわ。あまり期待はしないでね」
 実際、あまり期待をしているわけではないのだろう。蓮の目は既にレコードを諦めている。吉良乃が呼ばれたのは、これはもうただの厄介払いでしかない。
 それに。
 吉良乃は興味があったのだ。触ったわけでそれとわかる、レコードがにじむ、暗い暗い情念に。


 使っていない地下室を借りた。
 荒事になる、と告げたところ――蓮は嫌な顔こそしたものの、地下室をすぐに手配してくれた。彼女には入ってくるなと厳命してある。
 ここには、吉良乃とレコードだけ。
「出てきなさい。さっきから私を殺したくてたまらないんでしょう。いいわよ、殺し合いなら私の領分。貴女の渦巻く情念は、はたして私を殺せるかしら?」
 吉良乃は、漆黒の上着を脱ぎ捨てた。
 隠していたのは、灰色の左腕。赤き紋様が刻まれた、殺戮の魔手である。この破壊の腕は、あらゆるものを灰燼と化す。
 その気になれば。
 吉良乃はすれ違う人間全てを虐殺できるのだ。
「ねえ、貴女。この腕が羨ましいかしら。誰でも問わず恨む貴女には、この腕はさぞ便利なものに見えるでしょうね」
 レコードから、じわじわと。
 黒い煙のようなものが、滲み出してきた。それはほどなく人の形をとる。長い髪を振り乱した、女の姿だ。
 シルエットだけのその形に、瞳はない。だが、曖昧な輪郭をつくるその瞳が、恨んだ視線をこちらに向けてくる気がした。
 吉良乃の頭の中には、女の言葉が流れ込んでくる。
 女は、不幸な人生だったと言った。世の中で全ての人間は自分より恵まれており、恵まれていないのは自分一人だと言った。ならば自分が世界を恨むのは当然で、殺そうとするのも当然だと告げた。
 事実、女の語った半生は、不幸と呼ぶに値するものだった。誰からも同情されるべき悲劇である。レコードにとりついて人を殺すのも当然だろうと思えた。
「可哀相ね――確かに、貴女は、とても可哀相な人生を歩んだと思うわ」
 吉良乃は、女の影を睨みつける。
「お金で人は死ぬ。強い感情でも人は死ぬ。理不尽に降りかかる不幸は、逃れられない。不幸から逃れる力がない、ということこそが不幸の極みね」
 煙の女は黙して語らない。
 だが、流れ込んでくる怨嗟だけはありありと伝わってくる。水底でどろどろと渦を巻き、とぐろを巻いて、蛇のごとく襲い掛かる粘性の怨嗟。触れた瞬間にからみつき、相手をどろどろに溶かすまでは決して止まらぬ酸性粘液。
 そんな――気味の悪い感情を。
「けれど」
 でも吉良乃は、そんな感情を受けても怯まない。
 それは、ありふれたものだとでも言う風に。
「その不幸は珍しくないわ。戦場において人は蟻と同じ。飢餓の国に至っては人の命なんて紙切れ同然だわ。貴女、そこで苦しんでいる人たちに向かって言える? 生まれたばかりで飲むミルクもなく、泣く力も無くてすぐに死んでいく赤ん坊に向かって、自分はお前より不幸なんだと、声をあげて断言できるかしら」
 それに、と吉良乃は思う。
 目の前の煙の女は、死んだ女ではない。死んだ女の怨念だけが一人歩きして、レコードにとりついて悲鳴で殺すだけなのである。
 ならば同情などしない。生きていれば吉良乃とてなにかしたかもしれない不幸な女は、もういない。いるのは、それの残滓のみ。彼女が持っていた、強すぎる感情を撃滅するだけだ。それはもう、同情すべき余地の一切ない、ただのモンスターなのだから。
「別に、私は貴女と不幸比べをしたいわけじゃないわ。そんな物で勝っても嬉しくない。家族殺されたとかその犯人扱いされたとか、それだってありふれたこと。私にとっては身を裂く悲劇でも、それを貴女に言っても仕方がないしね?」
 吉良乃は左腕を構える。
「だからもう眠りなさい。貴女は死んでいるのよ。死者は死者らしく、土の下で蟲に食われなさい」
 攻撃を察知したのか。
 煙の女が悲鳴をあげた。人を殺せる怨嗟の悲鳴。耳をつんざく高音は、自らの怨嗟に同調させることで人を殺す。
 つまり、身を切るような慟哭を相手にも与え――短時間で、肉体の機能を低下させ衰弱死させるのだ。あまりの絶望は、人に死をもたらす。
 けれど。
 それを、吉良乃はもろともしなかった。
「つまらない。そんな絶望、私には通用しない」
 例えば、死に瀕した断末魔の悲鳴。
 吉良乃は知っている。自ら手にかけた犠牲者たちは、ほとんどがこのような断末魔をあげたのだから。
 例えば、愛しい者が死んだときの慟哭。
 吉良乃は知っている。家族が皆死んだとき、確か自分はこのような悲鳴をあげた気がするのだから。
 いくつもの悲鳴。いくつもの絶望。普通の人間ならそれだけで死んでしまういくつもの不幸も――しかし吉良乃は、知っていた。
 知っていたから、通用しない。
「死んだ貴女と一緒にしないで。私はその不幸を知っていてなお、生きている。貴女が本当に羨ましかったのは、そういう強さでしょう」
 吉良乃は、破壊の左手でレコードを触る。
 黒色のレコードはほどなく、さらさらとした灰となった。それは死者を焼いた遺灰にもにて。


「終わったわよ――悪かったわね。レコードはどうにもならなかったわ」
「ああ、そうかい。気にすることはないよ」
 蓮はちょっとだけ溜息をついただけだった。レコードを壊したことについては文句一つ無い。
「ちょっと語っていきたいけれど――ごめんなさい。次の仕事が迫っているから。もういくわ」
「忙しいのに呼んで悪かったね。今度来たときは茶でもごちそうするよ」
 蓮は苦笑していた。素っ気無い吉良乃を、好ましく思っているのは確かだった。
「ああ、ちょいと」
「? なにかしら」
 呼び止められて、吉良乃が振り返った。その様子は、まったくいつもの通りで――。
「なにかあったかい。泣きそうだが」


 吉良乃は答えず。
 そのまま、馴染みの骨董品店を後にするのだった。