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<東京怪談ノベル(シングル)>


狐飼いのお約束


 草間興信所、その片隅に設えられた、お世辞にも豪華とは言い難い応接セット。
 スプリングの全く効いていないソファで安い煙草をふかしながら、草間は眉間に皺を寄せた。
「管狐の飼い方? 何故それを俺に聞く」
 テーブルを挟んで座っているのは、青い髪の少女。海原・みなも(うなばら・みなも)である。
「草間さんは先輩ですし」
 草間を見るみなもの目は純粋な尊敬を宿らせ、日差しを浴びた南の海のように透き通っている。
「……何の?」
「怪異事件の」
 無邪気な笑顔を向けられて、草間はむせた。草間は、怪異な事件がやたらと持ち込まれる興信所の長である。が、それは本人が望んでのことではない。
 草間はみなものほうを向かないよう気を使って煙草を吸っていたのだが、むせたものだからもろに煙を吹きかけてしまった。
 ケンケンッ、とみなもの胸元から小さな咳が聞こえてきた。セーラー服の胸ポケットからちょこんと、掌サイズの青い狐が顔を出している。それが煙草の煙でむせて咳き込んでいるのだ。
「みこ(巫狐)ちゃん」
 とみなもに呼ばれたのは、管狐と呼ばれる霊獣である。先日、興信所にやってきた捨て霊獣であったのを、みなもが拾った。
「おっと、悪い」
 詫びて、草間が煙草を灰皿でもみ消した。
「みこちゃん、煙草が苦手なの?」
 みなもの問いかけを肯定するように、みこちゃんがこん、と小さく鳴いた。
「昔から、狐狸の類はヤニに弱いって言うからな。管狐にも当てはまるのかもしれん」
「そうなんですか?」
「ああ。だから狐にばかされるって噂の道を歩かなきゃならない時は、煙草をふかしながら行くと良いって言い伝えがあったりするな」
 みなもの瞳が、ますます尊敬の色に輝く。
 草間は複雑な表情で唸った。草間の視線の先には、「怪奇の類禁止」の張り紙。望んでもいないのに怪奇事件にかかわりつづけた結果、知識だけはそれなりになってしまった自分が憎い。
「しかし、そいつは興信所にいきなり送りつけてこられただけだからな。俺も、詳しいことは知らんよ」
「そうなんですか……」
 残念そうに肩を落とすみなもをポケットから見上げ、みこちゃんがキュンと鼻を鳴らす。
「う…………」
 草間はうめいた。まるで自分が苛めてしまったかのような、強烈な罪悪感。
 何より、そもそも管狐を引き取ってくれと頼んだのは草間でもあるのだ。それを放っておけるほど、ハードボイルドに徹しきれる男ではなかった。
「まあ、アレだ、相談に乗るくらいは俺でもできると思うぞ。何を悩んでいるんだ?」
「ありがとうございます!」
 みなもの表情が、明るく輝いた。よほど悩んでいたようだ。
 みこちゃんの頭を撫でてやりながら、みなもは口を開く。
「あたし、学校のパソコン室でインターネット検索してみたり、図書館に行って関連の本を読んだりしてみたんですけど、やっぱり専門家ではないですから。調べられることにも限界があって……」
 ふむ、と草間が鼻を鳴らした。 
「専門家でなくても、狐を飼っている奴らを他にも知ってるぜ。俺の見る限りじゃ、一口にイヅナや管狐と言っても、飼い主の性質によって姿はさまざまだ。中には見た目まるっきりハムスターみたいな奴も居るな」
「ハムスター、ですか」
 みなもは呟き、みこちゃんを見る。みこちゃんは狐を小さくして、よりフワフワにしたような姿だ。毛色は、みなもの髪とおそろいの青。
 草間の言葉が続く。
「見た目だけじゃなく、能力の方向性も微妙に違うようだ。好む食べ物も違う。お前さんのそいつは、水が好きだったか?」
「はい。みこちゃんは、あたしの作る霊水が好きみたいです。紅茶や、お菓子もあげてみれば少しは。でも、霊水以外はあまり必要としている感じではないですね」
 人魚であるだけあって、みなもの能力は水に対して強く発揮される。みこちゃんの嗜好は恐らくそこに影響されているのだろう。
「ほほう。良く観察してるな」
「はい。食べ物のこと一つ取っても、あたしのあげているものでみこちゃんが満足なのか、それとももっと他にあげるべきものがあるのか。わかりませんから……」
沈黙が落ちることしばし。
「なるほど。要するに、お前さんに飼われて、そいつが幸せかどうか、迷ってるんだな?」
 草間が出した一つの結論に、みなもは目を瞬いた。
「みこちゃんの幸せ……。そうですね、それも気になっているのかもしれません」
 難しい問題だ。
 飼い犬と野良犬とどっちが幸せか、というのと同じように、結論の出ない悩みかもしれない。
「しかし、少なくともそいつはお前さんに飼われて、元気にしてるだろう? その時点で、幸せなんだろうと思うぞ」
「そうでしょうか」
 首を傾げるみなもに、草間は大きく頷いた。
「もともと、使役用の霊獣だ。飼い主が居ないことほどの不幸はないだろう。元飼い主の孫とやらも、それが忍びなくてうちに送りつけてきやがったんだろうしな」
 みこちゃんがポケットからみなもの肩に飛び上がり、首筋にすりすりと頭を擦り付けてくる。草間の言葉を肯定しているように。
「そういえば、初めてここでみこちゃんに出会った時……みこちゃんが驚いて私の中に入ってしまった時……私のことを、受け入れてくれている感じがしました」
「そうでなけりゃ、新しい名前と新しい住処を認めることもなかろうよ」
 こん、とみこちゃんが鳴く。みなもは少しほっとした表情をして、しかしまだ眉を曇らせている。
「あとひとつ。……この子の前の飼い主さんって、術者の方なのでしたよね?」
「ああ。ついてた手紙にはそう書いてあったな。祖母、とあったから女性だ」
「ただの愛玩動物(ペット)として飼うのも、前の飼い主の方に失礼な気がして」
 せめて憑依状態をきちんと使いこなせるようになりたい、と言うみなもに、そうだ、と草間が手を打った。
「一つここで練習してみたらどうだ? 躾の一環ってことで」
 なんだかんだと怪奇事件の持ち込まれることの多い興信所。草間の言うことには、万一何か起こっても大丈夫なように、結界が張ってあるのだそうだ。以前、二匹のイヅナたちを草間が逃がしてしまった時、事務所の外に逃げられることはなかったのもそのお陰であるそうだ。「怪奇の類禁止」の張り紙に矛盾している気はするが、草間としては実情を顧みての処置であろう……。
「では、お言葉に甘えて、やってみます」
 みなもはソファから立ち上がった。
「――みこちゃん」
 おいで、と心の中で呼びかけると、それに答えてみこちゃんが動いた。みなもは目を閉じる。
 首筋に触れていた尻尾がするりと動き、項のあたりに水の流れが触れたような心地がした。
 そこから、自分ではない何かが、自分の中に混じってくる感覚が押し寄せてくる。落ち着かないけれど、不快ではない。
「……ふぅ」
 まるで自分が小動物になってしまったかのような気分で、じっとしているのが少し苦痛だ。それ以外の変化といえば、運動能力が上がり、感覚が鋭敏になっていること――そこまでは知っている。
「もう少し、深く。みこちゃん、できますか?」
 みなもの命に従い、身体の中のみこちゃんの気配が、更に深い部分へと潜って行くのがわかった。
(ああ――)
 みなもは声にならない声を上げた。深い深い海の底へ、泳いで行くのに似た浮遊感に、体が包まれる。
 やがて少しずつ、今まで聞こえていなかった音が聞こえ始めた。ざわざわという音は、事務所の窓の外、風に揺れる街路樹の葉摺れ。ごうごうという音は、台所の流しの下、下水管の水の流れ。
 これは、憑依した狐との感覚の共有だ。
(みこちゃんは、いつもこんなにたくさんの音に囲まれているのですね――)
 静かに、みなもは目を開いた。部屋の中だというのに、少し眩しい。
「おい。見てみろ」
 草間が、誰かの忘れ物らしき可愛らしい手鏡を差し出してきた。
 自分の姿を映してみれば。
「あ」
 みなもは短く声を上げた。その声を漏らしたのは、ひょっこりと飛び出した狐の口。
 頭には、みこちゃんと同じ毛色の三角耳。スカートの違和感に気付いて見てみれば、腰のあたりからはフサフサの尻尾が伸びていた。
「深く同調すると、姿にも影響が出るみたいだな。狐っ子モードってとこか」
 まだ完全にはひとつになっていない感覚が残っている。となると、もっと一つになったら、どうなるのだろう。
「もう少し、続けてみますね」
 みなもは再び目を閉じた。もっともっと――みなもの心の声に、みこちゃんは答えてくれる。
 ふつふつと、みなもの胸に暖かいものが湧いてきた。それは、喜び。自分の感情ではない。それだけは、みなもにもわかった。主の命に応えることを、管狐は喜びとして感じているのだ。
 暖かい。暖かい――暑い。
「ぷはっ!?」
 頬を紅潮させ、みなもは目を開けた。とても暑い。その理由はすぐにわかった。
 手は、毛皮の手袋をはいたような狐の手。肉球まである。
 それだけではない。全身、特殊メイクで毛皮をつけたような、ふわふわの、もこもこ。
「そりゃあ暑かろう」
 草間まで暑そうにしている。季節は初夏。風通しの悪い興信所は蒸し暑く、草間としては見るだけでも暑い。こちらは、狐ッ子モード・ふわもこバージョンと言ったところか。
「…………秋冬以外は、あまりしないほうが……よさそうです」
 みなも自身も、僅かな時間でかなり茹だっている。
 ふう、と吐息したその時だ。
 鋭敏になった聴覚が、何かの音をとらえた。
 かさかさ……こそこそこそ。
「………………!?」
 嫌な予感を覚えながら、みなもはゆっくりとそちらを見た。
 音の発信源は、草間のデスクである。
 整理の行き届かない机の上には、飲みかけのままカピカピになったのであろうコーヒーカップ、食べてそのままのコンビニ弁当、食べかけのスナック菓子……などが散乱している。非常に不潔。つまり、アレが好む環境である。
 アレ。みなもが苦手とする、一般的名称すら口にすることのできないアレ。黒光りする邪悪なボディを持つ、脂ぎったモノ。
 かさかさかさ。こそこそ。
 嫌な音は止まらない。
「く、くくくくくく草間さんっ。あのっ、あそこっ、あそこにっ」
 震える指で、みなもはデスクを指した。
「ああ? 何か居るのか? ちょっと掃除してねえからなあ、まあ、例の黒い虫の一匹や二匹いるかも……」
 例の黒い虫、などと言葉を濁されても、みなもには何の救いにもならない。
 その時、あまりにも良いタイミングで、奴が現れた。
 コンビニ弁当の陰から、あの、触覚が見えた。見えてしまった。
「あっ! この野郎!」
 草間が間髪居れずスリッパを投げた。あえなく、黒いソレは退治される。それはみなもにとって幸いであった。あったが。
 みなもは聞いてしまったのだ。ゴ……もとい、太郎ちゃんの足音を。
「………………!!!!!!!」
 悲鳴さえ上げることができず、みなもは昏倒した。ショック、プラス、毛皮で茹だっていたお陰で、貧血が起こったようだ。
「おおお!? おいおいおい」
 慌てて、草間がみなもをソファに引っ張ったお陰で、打撲などは免れたが、危ういところだった。
 ケンッ!
 みなもの中から飛び出して来たみこちゃんが、心配そうにみなもの横をうろうろする。
「みこちゃん……」
 まだ主と管狐の関係は始まったばかりだけれど、みこちゃんはとても好いてくれているのだと。
 わかって、みなもは嬉しさに目を細める。
 とりあえず、憑依状態になる時は場所と気温に注意が必要だと、わかった一件であった――。


End.























■ライターより■
 いつもお世話になっております、階です。
 今回のシチュノベは、先日ご参加くださいました「式神一枚、探してください」の少し前のお話になるかと思います。
 練習の結果を本番で出せた感じで。
 興信所で、五感が向上したら……と想像してみますと、草間のデスクってきれいじゃなさそうだな、という予測から、このような形に(笑)。
 楽しんでいただけましたら幸いです。
 ご発注ありがとうございました!