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+ やがてそれも夢の果て +
「いやぁ、それにしても吉良乃さんが本当に来てくれるなんて思ってませんでしたー」
「どういう意味? 貴方が私を誘ったんじゃない」
「い、いや、確かにそうなんですけどね」
車を運転しながら眼鏡を掛けた青年――三下 忠雄(みのした ただお)は隣に座る女性、黒崎 吉良乃 (くろさき きらの)に声を掛ける。
彼女はぼんやりと外を眺め見ながら先程この青年が自分の事務所にやってきた時の事を思い出していた。
『あ、お久しぶりです。僕、三下 忠雄ですけど、覚えていますか?』
『覚えているわ。一応幼馴染ですものね』
『あ、ああ、良かった! 実はですね、今日母校……ほら、僕達が通った小学校で同窓会があるんですよ。お知らせ来てたでしょう?』
『……そういえば郵便物にそんなものが入っていたような気がするわね』
『黒崎さんのことだから見ないで忘れてそうだなーって思って、あと此処僕の家から近いし誘いにきちゃいました』
『失礼ね、ちゃんと中身は見たわよ。……そのまま放置しただけで』
『今日暇なら一緒に行きませんか。あ、僕車で来てるんですぐに行けますよ』
『悪いけど今はそんな気分じゃないの。申し訳ないけど一人で行っ――』
『ねえ、黒崎さん。僕らの小学校、もうすぐ廃校になるって話、聞きました?』
『……え』
『僕もあまり詳しくは知らないんですけど、ほら、子供の過疎化とかで他の小学校と吸収合併っていうのかな。そんな形で……』
『……そう。私達が居た頃はそれなりに子供も多かったのにね』
『僕らももう大人ですし、そんなに小学校に行く機会なんて無くなると思うんです。ですから最後の思い出作りにって皆友達に声を掛け回っているみたいですよ』
『…………』
『ね、黒崎さん。ちょっとだけでも行きませんか? 帰りも僕此処まで送りますから』
『…………思い出作り、か』
『校舎を見るだけでも、ね、ね!』
あの時の三下の真剣な表情と廃校になってしまうという事実に押された吉良乃はそのまま頷いてしまったことを思い出す。
事務所を臨時休業にした後、相手の言葉に甘え三下が乗ってきたという車の助手席に腰を下ろし、小学校までの道程をこうして二人で進んでいるのだ。
どこか懐かしい景色――けれど開拓や改築などが進んで目新しい景色となった小学校付近の通学路を目を細めながら眺めれば、このまま自分が通っていたあの頃に戻れそうだと無意識に笑みが浮かぶ。
そんな何気ないことを考えていた折、不意に車が道を曲がる。
その瞬間、吉良乃は自分の目がある一点に釘付けになった。自分と同じ銀の髪、赤い瞳、そして何より自分の心を離さない愛しい家族の姿――黒崎 麻吉良(くろさき まきら)の姿がそこにあったからだ。
もちろん彼女が吉良乃を張っていたということはなく、それはただの偶然だ。その証拠に麻吉良もまた吉良乃の姿を見つけ目を丸めて見ていた。
時間にしてものの数秒だっただろう。
だが互いの姿を認識するにはそれは充分な時間で、吉良乃は外に向けていた身体をばっと内側に向けると隣で長閑に運転している三下に向かって叫んだ。
「もっとスピードを上げなさい! 早く!」
「へ、はい!?」
「もっと強くアクセルを踏んで、さっさと小学校に行きなさい!」
「え、あ、はい!」
言われるがままに三下はアクセルを踏み、車のスピードをあげる。
そのまま制限速度ギリギリまで加速すると車は目的地である小学校に向かって勢い良く走って行った。
その光景を麻吉良は呆然と見守っていたが、やがてぐっと拳を作る。
そして追いつけないと分かってはいても走り出さずにはいられなかった。
■■■■
自分が死者である麻吉良は現世に蘇った時以前の記憶を全て失っていた。
持っていた記憶と言えばある少女が自分に呼びかけてくれる――それ一つだけだ。
沢山の人に宛てもなく訪ね歩くしかなかった。紙に特徴を書き、道行く人に不審な目で見られながらもただ訊くしかなかった。
そんな最中、出逢ったのが吉良乃だ。だが吉良乃は麻吉良の事を知っているにも関わらず何も教えてくれない。むしろ逆に攻撃的な態度をとられたのが現実だ。
それでも麻吉良はやっと見つけた手がかりを逃すまいと懸命に走った。
車の速度に追いつけるはずもなく、やがて姿を見失うもののそれでも付近の光景に自身の内側から懐かしさを感じていた。
熱が無駄に上がった身体を引き摺るようにしつつ、何かに導かれるように彼女はやがて『そこ』へと行く。
「此処は……」
区切られた個室、沢山はめ込まれた窓、建物の中央には大きな時計が埋め込まれていた。
綺麗に整頓された土の敷地はグラウンドには鉄棒やジャングルジムなどの遊具が設置されている。脇にはアスファルトできちんと整備された駐車場があり、そこには先程見かけた車が止まっていた。当然ながら車内にはもう誰もいない。
だがこの車に間違いない、そう麻吉良は確信する。此処にあの女性がいるのだと。
麻吉良は自分が今手に掛けている壁をもう一度見直す。そこに刻まれているのはその地域名にちなんで付けられた「小学校」の文字だった。
「ッ……!」
その文字を見た瞬間、麻吉良の頭に激しい痛みが襲い掛かってきた。
ふらりと校門に寄りかかりながらその痛みに耐えていると目の前が白んできた。眩暈や貧血にも似た感覚に戸惑いを覚えるが倒れるわけにもいかない。
下唇を噛むように耐えている彼女の姿を校舎の中から見ている一人の女性がいた。
吉良乃だ。
校舎の六階、六年一組の教室の窓から彼女は校門を見る。
その手には同窓会で配られたジュースが入った紙コップが握られていた。他の面々のように酒を飲むことはしないが、懐かしい同級生の顔ぶれにまるで小学生に戻ったかのように楽しい時間を過ごしていたのだ。
だが、彼女は不意に見つけてしまった。
何気なく窓の外をみた瞬間に。
追いつけるわけないと、分かるはずがないと振り切ったはずのその姿を。
「黒崎さん、楽しんでますか?」
「……三下」
「あれ、それさっき配られたジュースでしょう? 全然減ってないじゃないですか。皆なんてお酒が欲しいとかおつまみが足りないとか文句言いたい放題なのに」
「流石に事務所を閉めてお酒を飲むわけにはいかないから……なんならこれ、貴方にあげるわ」
「え? え?」
「安心して、まだ一口も飲んでないから」
「え、ちょ、何処に行くんですか?」
三下にジュースを押し付け、そのまま何も言わずに出て行こうとする吉良乃に彼は慌てて声を掛ける。
吉良乃は鋭く目を細める。
やがて三下の問いに答えるように扉に手を掛けながら冷えた口調で言った。
「招かれざる客が来たわ」
■■■■
『――ちゃん。ねえ、まってってば』
『早く早く! もっと早く歩かないとちこくしちゃうよ!』
『まって、おねがい、まってってばー!』
『んもう! はい、手をつなげばだいじょうぶでしょ?』
『ん、ちゃんとてをつなげばだいじょうぶだね』
麻吉良は小さな少女と手を握りながら仲良く歩いている。
笑いながら。
はしゃぎながら。
けれど時間に追われるように早足で。
麻吉良達は通いなれた道を歩いている。
駆け抜けていく同級生。
挨拶してくれる近所の人。
温かい、小さな手の温度。
これは誰の記憶か。
これは何処の記憶か。
白む景色の中、麻吉良も少女も次第に消えていって。
「――――ッ、は!」
脂汗で掌がぬめっているのが分かった。
それが嫌でズボンに掌をこすりつけて拭いた。頭痛に襲われていた麻吉良は戻ってきた意識を奮い立たせる様に一度こめかみを叩く。
走ったせいか、それとも今の頭痛のせいか分からない足の震えがやけに気持ち悪くて膝も叩いた。
「あれは……『誰』?」
じっとりと自身に纏わり付く空気に顔を顰めながら麻吉良は顔に浮いた汗を袖で乱暴に拭った。校舎に向かって歩き出そうと一歩足を前に踏み出す。だがそれはすぐに止まった。
校門に向かって歩いている一人の女性の姿がそうさせたのだ。
最初は気のせいかと彼女は思った。麻吉良がいる場所は校門――しかも正門であり、小学校を出るためにそこを通るのは至って自然なことなのだ。だが現れた人物の姿がその考えを拒否する。
銀色の髪を僅かに後ろで括った女性――麻吉良が探していた吉良乃その人だったからだ。
「嫌な天気ね……風もないなんて」
吉良乃は手を持ち上げ、何気なく呟く。
ぽつ……ぽつぽつ。
空を覆う雲がやがて水滴を落としてきた。最初はまばらに、だけど吉良乃と麻吉良が対峙する頃には完全に降り出してきた。服に付いた水分が肌をも伝うようになるが、二人ともその場から逃げようとはしない。むしろ麻吉良の方は更に近付こうと足を前に進めた。
先程見た二人の少女の姿。
あれが自分の記憶であることは間違いない。そして手を繋いでいた少女が自分が探している「あの人」であることを胸の内で実感していた。
校内に入ればもっとより正確な記憶が掴めるかもしれない。そう考え麻吉良は吉良乃の隣を抜けようとするが――。
「駄目よ。行かせない」
言葉と同時に吉良乃の腕が麻吉良の手首を掴んだ。
それを払うように強く腕を振り上げる。だがそれよりも先に吉良乃は麻吉良の足を払おうと動いた。
咄嗟の判断で腕を無理やり自分の方に戻し、転げそうになるも何とか体勢を持ち直して麻吉良は手にしていた愛刀の鍔に手を引っ掛けた。
相手の判断を見て吉良乃も懐に手を入れ、中から愛用の拳銃を取り出した。
「どうして……」
「此処から先は行かせないわ。貴方はこの場所にいるべきじゃないの」
「ッ……どうして私の邪魔をするの!?」
「……邪魔しなければいけない理由があるの、よッ!」
吉良乃は銃口を麻吉良の足へと向ける。
最初から当てるつもりはないのない銃弾は土の中に潜り込んだ。だが射撃されたとなれば麻吉良も応戦するしかない。刀を鞘から抜き、す……っと構える。不安に揺らいでいた瞳は真っ直ぐに吉良乃を見る。
雨に濡れた身体では長くは動けない。
だが相手が戦うというのならば――――。
刀の切っ先が吉良乃に襲い掛かる。
吉良乃はそれを避けるためその場にしゃがみ込み、片足を軸にして麻吉良の踵に狙いを定めて蹴りを入れた。
だが上手くそれを飛んで避けた麻吉良は地面に足をつけた瞬間、一気に踏み込み相手の目の前に姿を現した。不意を突かれ吉良乃は銃で刃を受け止める。
金属が擦れ合う音が何度か響くがそれもまた雨の音が消していった。
「っく……やっぱり強いわね」
「はぁ……お願い。邪魔、しないで」
「でも行かせる訳にはいかない。貴方のためにも――私のためにも」
「ぇ……」
刀と銃身とで攻防を続けながらも時々足技で距離を取る。
麻吉良は自分の体力の低下を感じていた。ただでさえこの場所まで走ってきた分や頭痛に見舞われた分で無駄に体力を消費している。その上雨が降ってきて容赦なく体温を奪っていくのだ。
「ッ、ぁ!」
「ちっ、動きにくいわ」
「っく……!」
「……逃げ足も凄いようね」
銃口から飛び出した弾丸が服を通り抜け、中の腕を掠っていく。
その熱と痛みに麻吉良は呻き声をあげるが、止まってばかりではいられない。すぐに体勢を戻して次に襲ってきた銃弾を地面に転がるようにして寸でのところで避けた。
銃を向ける。
刀身が振るう。
カキンッ……! と音が撥ねる度に麻吉良は不安に襲われていた。
「あの人」は一体誰なのだろう。自分は一体誰なのだろう。吉良乃は一体誰なのだろう。
何も分からない思考の中、麻吉良はただ刀を振るい続けた。
だがそんな麻吉良の迷いに気付かない吉良乃ではない。
一瞬の隙を見つけ、そのまま銃から手を離し捨てると、相手の腕を捕まえそのまま勢い良く地面に叩き付けた。
「ぁ……ぁ」
「貴方の負けよ」
泥水が高く跳ね、二人の身体を汚す。
グラウンドに叩きつけられた衝撃で麻吉良はそのまま意識を失った。吉良乃もまたいつもより荒い息を吐き出しながら倒れた相手の身体を見下ろした。
水気を吸った吉良乃の髪の毛が重さに耐え切れず顔を覆いつくす。崩れたヘアスタイルに不満を感じた吉良乃は一旦髪ゴムを取り、束を解いた。
顔を振り水気を飛ばすも、それもすぐに雨によって元通り。
「く、黒崎さん! な、何があったんですか!?」
「三下……丁度いいわ。この人病院に連れて行ってくれない?」
「え? え? こ、この人誰ですか?」
傘を差しながら慌てて校舎から走ってきた三下が倒れた麻吉良と吉良乃を交互に見つめながら疑問を抱く。
吉良乃は三下が持っていたもう一つの傘を半ば奪い取るように受け取り、それを広げて差した。雨が遮られ、やっとの思いで胸を撫で下ろす。
三下は倒れたままの麻吉良の身体に自分が着ていたスーツを羽織らせ、そのまま何とか自分の背に負わせた。
その様子を見た後吉良乃は無言で校門へと身体を向ける。
それに対し三下が声を飛ばした。
「黒崎さん! この人本当に誰なんですかぁー!?」
吉良乃は解いた髪を後方に払い、一度だけ振り返る。
唇をくっと持ち上げ、麻吉良と瓜二つの笑顔で彼女は言った。
「――――さあ、誰かしら?」
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【7390 / 黒崎・麻吉良 (くろさき・まきら) / 女 / 26歳 / 死人】
【7293 / 黒崎・吉良乃 (くろさき・きらの) / 女 / 23歳 / 暗殺者】
【NPC / 三下・忠雄(みのした・ただお)/ 男 /23歳 / 白王社・月刊アトラス編集部編集員】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、お久しぶりです。
今回は思ったより前半が長くなってしまった気がします。何はともあれ、前回の続きということである程度分かりやすくすらすらと書けましたv
どうか黒埼様達が幸せになれますように、と此処から祈っておきます。
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