コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


Need Your Help! -It Tastes Bitter and Sweet-


 ようやく最後の客を見送った橘夏樹は、最後までぎりぎりキープしていた笑顔を一気に弛緩させ、ぐったりとバーカウンターの客席のソファに沈み込んだ。笑顔を保ってさえいれば十分『美人』な部類に入る夏樹だが、疲労のあまりダ・ヴィンチが途中で放り出したモナリザみたいな顔つきになっている。
「あーーーーー疲れた。死ぬ。疲れ死ぬ」
「それ、動詞?」
 答える娘は、赤色のウェーブがかった髪に、どんぐり眼が人形のように可愛らしい、杉森みさき。夏樹が半端なモナリザなら、みさきはルノワールの手によるイレーヌお嬢様といったところか。身長が百五十あるかないかという華奢な体型も手伝って、こんな時間(深夜零時過ぎ)にこんな場所(東京場末のバー・Escher)でアルコールのグラスを傾けている様子が、妙にアンバランスだ。しかし、彼女は正真正銘、成人なのであった。
「そう、動詞。疲れ死ぬ、ing」
 アイエヌジー、とぼやく夏樹の声には覇気がない。
「しかも現在進行形なんだぁ」
 死なないで夏樹ちゃん、と危機感のない声で、みさき。
「さっきの客、ぐだぐだくだ巻いててさぁ、嫌んなっちゃったわ。タクシーに詰め込んできたわよ」
「夏樹ちゃん、ここのアイドルだもん。おじさんも絡みたくなっちゃうんじゃない?」
「ってか、あの親父、みさちゃんにも絡んでたじゃないの! 許すまじ!」
 こんなちっちゃくて可愛い子に! と息巻く夏樹。
 確かにちっちゃいけど、別にみさ、子供じゃないんだけどなぁ。などと思うみさきだ。この外観では未成年と間違われても仕方ないのだが。
 杉森みさきが都内のジャズバー、Escherに訪れるようになったのはごく最近のことだ。みさきはピアニストの卵で、師についてクラシックを学んではいるが、元来はジャズピアニスト志向だ。そんな彼女が知る人ぞ知るジャズバーの存在に気づくのも時間の問題だった。店の隅にちょこんと鎮座ましたアメリカ産のアップライトがお気に入りで、いつの間にかEscherお抱えのジャズピアニストになっていたというわけだ。
 客がいなくなったので、みさきはピアノの前に腰を降ろした。指ならしにスケールを弾く。ハ長調のアップダウンを繰り返しつつ、
「そういえば、外に貼り紙出てたけど、アルバイト募集の。人手足りないのぉ?」
 みさきは夏樹を肩越しに振り返った。
「足りてたら動詞開発したりしないわよぅ」
「みさ時間に自由利くし、良かったら手伝ってあげよっか」
「え、みさちゃんが?」夏樹はむくりと起き上がった。「マジで?」
「マジで」とみさきは夏樹の台詞をそのまま繰り返す。「飲食店のバイトはあんまりやったことないけど、これでも家事と掃除は結構得意なんだよ」
 CメジャーからF、B♭、と長調のスケールを弾き倒すと、みさきはシンプルな12小節ブルースの即興を始めた。
「なんかいつも来てくれてるお客さんに手伝ってもらっちゃうのも悪いんだけど……」夏樹は再びソファに深々と沈み込んだ。「みさちゃんが手伝ってくれるなら、私も少しは楽が……」
 みさきの奏でる気だるいブルースに眠気を誘われたのか。夏樹は唐突に襲いかかってきた睡魔に、あっさりと白旗を掲げた。
「あれ、夏樹ちゃん?」ブルースをやめて顧みると、夏樹がソファで寝こけていた。「こんなところで寝たら風邪引くよ〜、夏樹ちゃん」
 夏樹はむにゃむにゃ、とベタな寝言をつぶやいた。
「うん、採用……。明日からよろしく……」
 ……夢の中で面接をやっている最中らしかった。

  *


「……ついに夏樹さんに拉致られたか!」
 エプロン姿で立ち回る杉森みさきを目にした常連客、寺沢辰彦の第一声がそれ。
「拉致られたって何よ!」
 後ろから夏樹のげんこつが飛ぶ。
「あ痛たたたた、暴力反対! 夏樹さん、忙しいって零してたからそのうち誰か犠牲になるとは思ってたけど、やっぱりみさきちゃんが……」
「いいんだよ、辰彦君。みさ、一度こういうのやってみたかったし」
 ピンクのエプロン姿がまるで「家のお手伝い」みたいになっているみさきだが、仕事はてきぱきとしている。
 ようやく日が落ちて、蒸し風呂のような東京の大気も幾分か爽やかになってきた時間帯。ここからが働き時だ。昼間は閑古鳥のEscherも(バーなのになぜか真昼間から営業している)、夜は仕事帰りの客や暇な学生で賑わう。予告なしに行われるセッションがEscherの目玉の一つにもなっており、みさきを見知っている幾人かの客は、彼女のピアノに期待していた。
「みさきちゃん、今日なんか弾くんでしょ?」と辰彦。
 ちなみに辰彦のほうが彼女より年下なのだが、みさき相手だとつい「ちゃん」付けになってしまうようだ。
「え、みさ、なんか弾くの? ライブの予定、あったっけ?」
「あ、言うの忘れてた」夏樹はキッチンで酒の肴を調理しながら、みさきに言った。「私が歌う予定だったんだけど、ピアニストが来れなくなっちゃってね。だから、表の看板にみさちゃんの名前入れといたの」
「そうなの?」
「そうなの。だから、よろしく! みさちゃんの知ってる曲やるから、大丈夫よ!」
「それはいいんだけど……」
 夏樹が歌ってみさきがピアノを弾くとなると、はて、誰が給仕をするのだろう。まあ、いいか。
 みさきはぱたぱたと店の中を移動しながら、あっちで注文を取っては、こっちに注文を手渡したりと、大忙しだ。とはいえ、あくまで持ち前のマイペースを崩さないので、客はそんな彼女のオーラにすっかり染まって、多少注文が遅れてもいいか、という気分になってしまう。
「はい、辰彦君。ご注文のカシスオレンジ、カシス抜きでーす」
「わーい、サンクス、みさきちゃん」
「……ってか、それってただのオレンジジュースじゃなくて?」と夏樹の突っこみ。
「だって折角みさきちゃんが注文取ってくれてるのに、オレンジジュースってなんかかっこ悪いじゃないですか。だから、カシスオレンジ・カシス抜き」
 なんといっても未成年である。辰彦は、傘の形をしたピックつきの、みさき特製カシスオレンジ・カシス抜きのグラスを口につけた。辰彦は一瞬、動きを止めた。で、おもむろにみさきの顔を見上げると、にっこり笑う。
「みさきちゃん、気を利かせてくれてどうもありがとう」
「そのパラソルピック、可愛いでしょ? スーパーで見つけて、これお店で使ったらどうかなと思って買ってきたの」
「いや、そうじゃなくて」辰彦はグラスを弾いた。「カシス入れてくれて」
「……あ〜〜〜〜〜〜!」
 別のテーブルに持っていくはずのカシスオレンジのグラスを、辰彦のオレンジジュースと取り違えたらしい。しかし後の祭り、辰彦はあっという間にグラスを半分空けてしまった。
「辰彦君、ダメだよぉ、未成年がお酒――」
「追加注文! 冷やし中華!」
「冷やし中華ー!?」
 結局うやむやにされてしまったみさきであった。

  *

 小さなドジはかましたものの、ごくごく順調にウェイトレスの仕事を終え、ここからがみさきの本領発揮、Escher恒例の突発ライブだ。
 古ぼけたアップライトの前にマイクとアンプを設置し、簡易ステージのできあがり。夏樹ヴォーカル、みさきピアノのデュオだ。
「そんなわけで、恒例いきなりライブでーす。ヴォーカルは私こと橘夏樹と、ピアノはスペシャルゲスト! 杉森みさき!」
 客席から沸き起こる拍手。
 みさきは既に前奏を始めている。曲目は『If I Were A Bell』。みさきのクラシックらしいタッチで鐘の音が三つ鳴ったと思うと、夏樹が、早口英語で「もし私が鐘だったら」と歌い始める。オープニングに相応しいアップテンポで、演奏しているほうも聴いているほうも楽しくて踊り出したくなるような曲調だ。
 伊達にクラシックを学んでおらず、みさきのピアノのタッチは軽い。ころころと転がるような、しかし均等でしっかりとした打鍵。が、師曰く「何を弾いても可愛らしい」ピアノである。それがみさきの持ち味でもある。
 プライドの高いクラシック声楽家を伴奏するのは骨の折れる作業だが、ジャズシンガー相手だとちょっと事情が異なる。気心の知れた演奏家同士なら、一旦息が合えばあとはもうヒートアップする一方だ。
 譜面という制約から逃れたみさきは、難しいことは考えず、時には本能の赴くままに、好きな音楽を奏でる。
「ハイ、私疲れたから、みさちゃん2コーラス!」
 シンガーがソロを回してきたので、みさきは遠慮なく即興を楽しむことにした。
 速いパッセージはモーツァルトのように、和音はド派手にラフマニノフの如く。あくまでクラシックのタッチなのに、その自由奔放さと満ち溢れるエネルギーはまさにジャズ。でもなんとなく可愛らしくてピュアなみさきの演奏は、屈折した都会派ジャズばかり聴いている連中には新鮮だったらしい。
 演奏が始まってものの数分で、みさきと夏樹のエネルギーが観客に伝染してしまった。一曲目が終わると、歓声と拍手が客の間から起こった。
「あはは、一曲目から飛ばしまくり。みさちゃんのピアノ、楽しいわ。さて、次は何だっけ?」
「夏樹ちゃん、この曲目リスト、なんか凄いよぉ。一曲目『アップテンポ』、二曲目『大人のジャズ』、三曲目『なんか長調』、四曲目『渋めブルース』って書いてあるんだけど……」
「あ、そのリスト作ったの、私」
 みさきの読み上げた『曲目リスト』の内容を聞いて大ウケの観客である。
「なんちゅー適当さなんですか、夏樹さん!」と辰彦。
「いいのよなんちゃっていきなりライブだから! えーと、そんなわけで、私の作ったリストによると、二曲目は『大人のジャズ』だそうです」
「大人のジャズー?」
「そうねえ。あ、『Solitude』とかいっとく?」
 というわけで、その場のノリで『Solitude』の演奏が始まった。「大人のジャズ」のはずなのだが、どこか可愛らしくなってしまうところは、やはりみさきだ。
 歌詞を要約すれば失恋の歌なのだけれども、何しろ当のみさき自身が恋愛には鈍感なタチだから、いまいち歌詞の痛みがわからない。「みさきちゃん、大人の恋愛だから大人の恋愛! なんかこう、もっと、身を切るような感じで!」とソロの途中でなつきの突っこみが入ってしまうくらい、ピュアな音だったらしい。
 大人の恋愛? そもそも恋ってどんなものかなぁ。相手のことを思って夜も眠れないような、切ない感じ……。
 みさきの脳裏に浮かんだのは、ピアノの詩人による楽曲の数々だった。素直なみさきは、考えていることが直に演奏に出てしまうので、ピアノの詩人と連想した瞬間に華麗な装飾音が入ってしまった。
「あー、違うっ、なんか違うっ、ピュアじゃなくなったと思ったら今度は甘ったるくなってるー! ロマン派じゃないのよみさきちゃーん、なんかショパンのワルツみたいよそれ!!」
 ……まさにショパンだった。
 観客は、そんな彼女らのやり取りも含めて音楽を楽しんでいる。
 みさきの心底楽しそうな笑顔には、彼女の音楽に対する純粋な愛が満ち溢れていて、誰もが彼女のピアノを好きにならずにはいられなくなってしまう。
 夏樹のリストに従って、その後さらに数曲演奏してから、突発ライブはお開きとなった。



 客足も途絶え、そろそろ店じまいの時間だった。
 みさきのアルバイト一日目は、こうしてあっという間に終わってしまった。
「みさきちゃん、今日のライブ凄く面白かったよ」
 みさきを手伝って簡単な店の掃除をしながら、辰彦が言う。
「……『面白かった』?」
「うん、面白かった。なんか、みさきちゃんの性格が、もろに出てて」
「えー、そうかなぁ」
 みさきにとっても、色々と実験的なことができて面白いライブではあったのだが、夏樹の言う『大人の恋』とやらは最後まで良くわからなかった……、気がする。
「だからみさ、先生に何を弾いても可愛らしいとか言われちゃうのかなあ……」
「それがみさちゃんのいいところでもあると思うけどね、私は」
 はい、サービス、と夏樹はテーブルにカクテルのグラスを置いた。みさきが買ってきたパラソルピックの空色を添える。みさきは礼を言ってグラスを手に取った。カルピスを何かのアルコールで割ったものらしく、爽やかな甘さが口の中に広がった。
「だから深みを出すためにクラシックを、って言われて、みさ、クラシックの勉強してるの」
「そうねぇ、ジャズに深みは必要かもね。でも何を弾いても、結局、みさちゃんはみさちゃんじゃない。『深み』は……多分、恋愛経験にくっついてくるわよ、オマケで」
「やっぱり音楽って、恋愛経験、必要なのかな?」
「必要も必要。恋せよ乙女!」
 そんなものかぁ、とつぶやいて、みさきは甘いカクテルを口につける。
 音楽も恋愛も、このカクテルみたいなものかもしれない。甘い中にも、ビターテイストが加わった感じ。
 あんな明るい曲ばかり書いたモーツァルトの作品にだって、切なくて苦しい短調があるんだものね。みさの音楽にも、きっと必要なのだ、『陰』みたいなものが。
 でも、甘いのと苦いのが一緒って、複雑な味だ。甘くて苦い音楽って、一体どんなものだろう。
「なんか妙に忙しい一日だったけど、みさちゃん、明日もよろしくね!」
 眉間に小皺を寄せるのはやめて、みさきは元気に答えた。
「はーい! よろしくお願いしまーす!」
 難しいことは良くわからないけれど、とりあえず当面は、お仕事と、音楽を楽しむことにしよう。
 そうしたら、きっとそのうち、大人の恋愛ってやつもちょっとはわかるようになるかも、ね?



Fin.



□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

■杉森・みさき
 整理番号:0534 性別:女性 年齢:21歳 職業:ピアニストの卵

【NPC】

■橘夏樹
 性別:女性 年齢:21歳 職業:音大生

■寺沢辰彦
 性別:男性 年齢:18歳 職業:高校生


□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

 はじめまして。ライターの雨宮です。 お届けが遅くなってしまいまして申し訳御座いません。
 ジャズ好きさんということで、楽しく書かせていただきました。
 みさきさんのピアノはこんな感じなんだろうな〜とあれこれ想像してみましたが、いかがでしたでしょうか? 楽しく演奏するみさきさんは最強! ピアニストだと思います。素敵なピアニストになって下さいね!
 今回はご発注ありがとうございました!