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『邂逅』
噎せ返るような熱風が肌にまとわりつく。燦然とかがやく太陽の光が舗装された白いレンガの歩道に反射して、目も開けられないようなまぶしさだ。真吾は額に浮いた汗をぐいと拭うと、日かげを求めて表通りから裏の路地へと入っていった。空気中にこもった熱は変わらないものの、人が少ないというだけで随分さっぱりした感じを受ける。
と、ひとつ向こうの十字路を、同年代らしい少年が足早に横切っていったのが目に留まった。ふつうなら別段気にもとめないような光景だが、真吾にはその少年がふつうの人間とは違う、異質な気をまとっていることが感じられた。邪気、とは少々違うようだが、真吾の中の退邪士としての血に確実に触れるような、何か。とにかく後を追おうと、真吾は荷物を肩に下げなおして、少年の向かった方角へと足を進めた。
十数分ほど歩いた頃、少年の足がぴたりと止まった。彼の視線の先にはとおの昔に閉鎖されたと思われる古い倉庫が、付近のアパートやらビルやらに埋もれるようにして建っていた。
「何か御用ですか?」
振り返ることもないまま問われた声に、真吾はやや面食らった。気づかれていたのか。
しかしそういった僅かな驚きを表面に出すことなく、真吾は身を潜めていた壁の陰から一歩踏み出した。
「悪いな、ちょっと気になって」
そのまま少年の隣に肩を並べる。
「……あんた、普通の人間じゃないみてぇだし」
少年のまぶたがぴくりと動き、やがてその目が真吾の目をとらえた。
「そういうあなたは……?」
「俺は鬼山真吾。家業で退邪士してる」
「退邪士……」
ぽつり、と繰り返すように呟いた後、少年の目に挑むような光が差した。
「俺は工藤修といいます。お気付きのとおり、人間ではありません。魔人、とでも申しましょうか……」
それから彼は再び廃屋へと視線を向けた。
「ですが誰かに害をなす気はありません。俺はただ、ここにいるものを倒しに来ただけです」
「確かにこの中からは嫌な気が流れてるが……あんたも仕事でか?」
「いえ、俺はただ、大切な人のために動いているだけです」
「そっか。……ま、でもこういうのも俺の仕事だしな。一緒に行ってやるよ」
真吾の言葉に修は思わず振り返った。真吾は目を丸くしている修ににっと笑ってみせる。
その笑顔に修は微苦笑で返して、2人揃って廃屋の中へと足を踏み入れた。
倉庫の中に足を踏み入れると同時に、黒い影が2人を囲い、唯一の光源であった2人の入ってきた戸が音を立てて閉まった。外はうだるような暑さだったというのに、背筋を寒気が走っていった。
「こいつらは…」
「お嬢様を付け狙う不届きな輩…ということぐらいしか、俺にはわからないのですが」
「そうか。俺もこれには見覚えがある…他人のパートナーに手を出すのが好きらしいな」
影はざっと見渡した限りでも、十は超えているようだった。じりじりと間合いを詰める動きに、真吾も修も緊張を高めていく。
と、真吾は隣で急激に気が膨張するのを感じて視線をやった。堅く握られていたはずの修の拳はいまや影も形もなく、そこには刃が存在していた。僅かに真吾の眉が顰まる。
修がそれに気付いたように、ちらとこちらを見た。一文字に結ばれた唇と、その目の輝きが、彼の決意や覚悟を物語っている気がした。誰に何と思われようとも構わない、ただ大事な人を守れればそれでいい、というような、芯からの思い。そして今までも守り通して来たのだ、という自負が。
真吾は一度浅く息を吐くと、自分も拳に気を集中させた。熱が掌に集中していき、頭が冴えてくるのと同時に、自分の血の流れすら聞こえるような、そんな妙な感覚。
最早迷いのなくなった真吾に対して、修が言った。
「…頼りにしてます」
「…こっちこそ」
そうして別々の方向に駆ける。相手が多勢であり囲まれている以上、あまりに狭い範囲で戦えばこちらが不利になる一方だ。それなら相手の懐に飛び込んで掻き回してやった方がまだ戦いやすい、と踏んでの行動だった。
影の動きは俊敏で予測不可能だったが、2人は今までにないほど自身の力を感じていた。背後の心配はない、という心強さと同時に、絶対に抜かせてたまるか、という負けん気のような感情が2人を強くした。1体、2体、と傷つきながらも倒していく内に、ある種の高揚感が生まれてくる。戦いの中でリズムを掴んだ、と、そう思ったとき。
「グシャ―――――ッ」
低く鈍い咆哮が轟いた。その音が壁に反射して、倉庫が揺れたかと思うほどだった。倉庫の奥の方から巨大な影が現れて、それがこの酷く不快な音を発していたのだった。
「真打登場ですね…」
それは徐々に近づいてくるようだった。そうして驚いたことに、辺りの影を吸収して行きながら、それは更に嵩を増していった。辺りに湧いていた影が一切消えて、それひとつになった時、それの大きさはほとんど倉庫の天井に達するか、というほどだった。
「…恐らく、吸収した分力も増しているはずです。気を引き締めないと…」
「…は、俺は数をやるよりはこの方が楽でいい気はするけどな」
軽口に、修の頬がやや緩む。それを再び引き締めて、2人は目で合図を交わすと、目の前の巨大な化け物を退治するために全身全霊を注ぎ込んだ。
ギィ、と鈍い音を立てて戸が薄く開いた。風の仕業だろう。2人は倉庫の床に横たわったままそちらに目を向けた。入り込んでくる光はすっかり夕暮れの色を帯びている。
「疲れたな」
搾り出すようにして漏れた声はすっかり掠れてしまっていた。真吾はその言葉を発した途端に口の中に広がった血の味に軽く咽た。
2人の有様は、まさしくボロボロと言ってよかった。着ていた服はあちこちが破れてしまっていて、肌の見えているところには痣ができてしまっている。
倒せた、というのは奇跡に等しいんじゃないかと2人とも思っていた。口にこそ出しはしなかったが、何度もこれで終わりか、と感じた場面はあったのだ。ただ、意地に似たような気持ちで立っていただけで。
真吾は何とか腕の力で上半身を起こして、壁に凭れ掛かった。自力で立つのはまだ少し辛い。
「パンクロッカーみたいな格好になってますよ」
修がそう言って手を差し出してきた。遠慮なく掴まると、相手の膝もがくがく揺れる。多分相当無理をしているのだろう。お互い様というやつだが。
「…人のこと言えねぇだろ」
こんな格好で外を歩けば、また随分と盛大な喧嘩をしたんだろうと思われるに違いない。ジムの人間には会いませんように、と真吾は胸のうちで願いながら、立ち上がって服の埃をはたいた。
「…いい喫茶店知ってるんですよ」
行きませんか?と修が誘う。真吾はひとつ頷くことで同意を示した。とりあえず立ち上がれたし、何とか歩けるだろうが、もう少し体力を回復しておきたかった。多分修もそう考えてのことだろう。この格好、この状態で家に帰れば一体どれ程心配させることになるのか。
そういうわけで、心もち体を引き摺るようにして修オススメという喫茶店に入った。店内は空調が効いていて、体の内側に篭っていた熱を冷ましてくれるようだ。混み具合はそこそこだったので、すぐに店員がやって来て奥のボックス席に通された。注文もその場で適当に済ましてしまう。
「ようやく人心地、ってとこか」
「さっきはありがとうございました。あなたがいなかったら、俺一人では無理だったでしょうし」
急に修がそんなことを言い出すので、真吾はまたもや面食らった。
「…いや、俺のい…許婚もアレに追っかけ回されてるみたいだしな…」
「許婚がいらっしゃるんですか」
修の驚いたような声に、真吾は照れとバツの悪さが入り混じったような表情で軽く手を振った。
「あんたこそどうなんだよ。お嬢様ってのが大切な人なんだろ?」
「はい。お嬢様は俺が唯一仕える方で…大事な、とても大事な人です」
臆面もなく言ってのける修に、逆に真吾の方が照れてしまう。頼んだものはまだなのか、とはぐらかして辺りを見回すと、あちらこちらの席で自分たちの方を見ては何やら話しているのに気付いて、真吾は修の方へ向き直った。
「参った…周り見てみろよ。変な注目浴びてんぜ」
「仕方ないですよ。誰だってこんなボロボロな格好の人間がいたら怪しみますし」
修も真吾も自分たちの格好のせいで注目を浴びていると解釈したが、その実視線の主は若い世代の女性ばかりで、格好というよりも2人の容姿に注目してだということにはまったく気付いていなかった。
「お、お待たせしました」
「どうもありがとうございます」
やや緊張気味に顔を赤らめたウエイトレスに修が礼を言う。するとその微笑にさらに緊張が高まったのか、コースターにグラスを引っ掛けてしまい、中身が少々真吾の膝にかかった。
「も、申し訳ありません!!」
「いいさ。どうせ汚れもんだしな」
ぶっきらぼうだが優しい言葉をかけられて、ウエイトレスはとうとう耳まで真っ赤にして大きく頭を下げた後、早足で持ち場へ戻っていった。
「…何だったんだ?」
「さあ…動き回る仕事ですし、俺達よりもずっと暑く感じるんじゃないですか?」
そうして2人は周囲からの熱い視線に気付くこともないまま、お互いのことを話し、まるで既知の友人であったかのように打ち解けてゆくのだった。
END.
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