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メザニーンの闇ノ中 Part.6
もう嫌なの。
彼女はそう言って首を――。
*
じじ、じ……。
テレビのノイズのような音が響く。
「………………」
梧北斗はゆっくりと瞼を開く。
夕暮れの中、美しい保健医が目の前に居る。いつもと同じセリフを囁く。そして……。
「う……」
頭痛に北斗は眉をひそめる。
妖しく微笑む先生を見つめて、北斗は怪訝そうにした。
(俺……?)
何かを……忘れてる。大事な何かを。
(えぇっと……?)
思い出せ。思い出すんだ北斗!
(なんか、あたまいてぇ……)
思考が削られていく。何も考えるなと誰かが囁く。
だって裏切られたんだ。だから。
許さなくて――いいんだ。
「?」
北斗は混乱してしまうが、頭を振って顔をあげる。
あれ……? でも先生は俺が殺したはずだ……。殺した? 誰が?
*
青年と対峙する欠月はそこから動けない。果たしてあの男は北斗と本当にリンクしているのだろうか?
元凶を追い払えば元通りなんていうのは都合が良すぎる。コイツが北斗とリンクしているとすれば、無理やり断ち切ったらどうなる? 北斗の精神に負荷がかかる場合だってある。
(……チッ。面倒だな。だから一人でするほうが楽なんだよ)
遠逆が常に一人で行動するのはそこに由来する。人質をとられないため、足を引っ張られないため、相手のことを考えないためだ。大抵の遠逆には他人のことを思い遣る気持ちが欠けているので、人質などは意味をなさないわけだが……。
青年は手に何かを持っている。血のついたスコップだ。おぉ、こりゃやる気だな。
欠月は足を緩く動かす。背後に逃げるように、だ。
(しかも北斗のヤツ……もっとタメになる情報を集めとけってんだよ。まぁここの生徒とリンクしてるのは間違いないし……あの女かこの男のどっちかなんだろうけど)
どちらかと言えばコッチで正解だろう。
でもな〜んか……。
(ボクの勘、か。というより、遠逆の、か)
変だと告げている。
一歩後退すると相手が近づいてくる。
<彼女を泣かす者は許さない……>
口をきいたことに欠月は驚いた。そして合点がいく。『彼女』とは、先ほど見たあの女の霊のほうだろう。霊と表現していいのかわからないが。
(ん?)
北斗はこんなに献身的だっただろうか……?
(いや、北斗自身はけっこう献身的だけど……)
アッチに居た北斗は関係のあった相手を殺していたのだ。なんかイメージと違う。
*
「欠月に伝えないと……!」
思い出した北斗は立ち上がる。
「欠月っ!」
天井に向けて叫ぶが反応はない。
怪訝そうにする保健医など構ってはいられない。
「違うんだ!」
違うんだ。
「『俺』は殺される……! あいつに殺されるんだ! 首を絞められて……!」
順番が違う。
自分は幼馴染と付き合っていた。だけど、この先生とも関係があった。本当に好きだったのはこの先生だから。幼馴染の彼女はそれを納得していた。
だけど……。
俺は彼女に殺されたのだ。彼女は泣いていた。
<好きでもよかった>
<それでも付き合って欲しくて>
耳の奥でこだまする囁き。そうだ。彼女は了承していたのだ。自分が浮気をしていることを。自分が彼女を好きではないことを。
だがなぜ殺されたのだろうか……?
*
<もう二度と泣かせない>
男の囁きに欠月はイラっとしたようにこめかみに青筋を浮かべた。
「残留思念が今さら……! 切り刻まれたいのか!」
<泣かせない。永遠だ。永遠になるんだ、ずっと>
悲しみもない世界にずっと。
「…………」
欠月はハッとして指差した、その男を。
「おまえ……おまえが原因だな?」
*
じじ、じじじ……。
こめかみを刺激する嫌な音だ。
目の前には彼女が立っている。腕を伸ばす。細い腕だ。
それを見つめる自分。
なんのことかわからなかった。なぜなのだろうかと、頭の隅で考えた。
伸ばされる手は自分の喉に触れる。首を包み込むようにする。なんの疑問も抱かなかった。
急に――。
突然ぎりぎりと絞められた。強烈な力で圧迫される。
酸素を求める。いや、その前に首の骨が…………!
最後に見たのは涙を流す彼女の姿だった。
*
欠月はゆっくりと笑う。
「……なるほど。つまりは『逆』だったわけか」
<……邪魔をするな>
「残りかすが偉そうに。
つまりは」
形のいい人差し指を男に向けた欠月は、宣言する。
「おまえが『北斗』の『彼女』なわけか」
あべこべだったのだ。性別が逆転していたから騙された。
幼馴染の彼女は本当は「彼」だったのだ。北斗は「ヒロイン」に同調しているのだ。先ほど保健室を覗いていた彼女と、北斗はリンクしている。なぜなら……この男は保健室を見もしないからだ。
欠月は「オーケィ」と不敵な笑みを浮かべた。
「ならおまえを祓って、さっきのあの女も祓えばいいわけか。話は簡単だ」
神隠しになっていた理由もわかった。全ては『恋』によるもの。欠月には理解できない感情だ。
欠月はゆっくりと前に歩いていく。
「言っておくけど、人質がいるからってボクは容赦しないよ。前よりは優しくなったとは思うけど、基本は優しくないんだ。
誰がどうなろうが知ったこっちゃないし、誰が死んでも悲しくもない。たださ、北斗を返してくれないのはちょっと困るんだ」
低く笑う欠月は、持って生まれた美貌のせいもあって恐ろしく映る。
「あいつは一応特別なんでね。友達として、見過ごすわけにはいかないのさ。……このボクが人間らしいことをするなんて、滅多にないんだよ?」
底冷えのする声に青年は恐ろしくなったようだ。明らかに欠月が「おかしい」ことに気づいたようだ。
付け入る隙がない。今までの人間たちのように誰かを好きになったことがない。恋をする、しないに限らず……ここまで『心』が薄い者も珍しいのだ。
<おまえはなんだ?>
「退魔士だよ。悪いけど……北斗を返してもらおうか」
欠月の足元が光り輝く。見たこともないような文字で描かれた陣が出来上がっていた。これは彼が後退しながらつま先で描いたものだ。
「――『空間よ、曲がれ』」
*
ぐにゃ、と景色が歪んだ。
首を絞められて吊り上げられている北斗はただ何もできずに、されるがままだった。
(目がかすむ……?)
かすんでいるから、こんなに景色が曲がって……?
「北斗!」
歪んだ景色の向こうに、欠月の姿が見える。
「手を伸ばせ! 今しかない!」
差し伸べる手に、北斗はゆっくりと手を伸ばす。体に力が入らない。どうして、なんで今のこの場面なんだ。もっとマシな場面なら……。
欠月が眉を吊り上げた。
「弱気になってんじぇねぇ! 手ぇ伸ばせってんだよ、バカヤロウ!」
「ーっうるせえ!」
応えて北斗は欠月の手を掴んだ!
喉が苦しいのに。
辛いのに。
どうして彼女がこんなことをするのか!
それな、の、に……。
*
ダン! と北斗は床に衝突した。まるで落下だ。天井から落ちてきたような痛みに北斗は顔をしかめた。
「……っう」
起き上がった北斗は、目の前に足があることに気づいた。ゆっくりと視線をあげる。
濃紫色の学生服。それは……。
「か……かづき……」
「ったく、手のかかる親友だよ」
笑って言う彼の言葉と声はとても懐かしかった。なんだか、涙ぐんでしまいそうなくらいに……。
そこは欠月と二人でやって来た学校の廊下だった。あの夕暮れの世界のようなものではない。もっと荒んでいる。
立ち上がった北斗は見た。
辛そうな表情の青年が、青白く輝いて佇んでいるのを。
欠月は彼を指差した。
「キミも気づいたと思うけど、あの男が……キミを殺したんだ」
「…………ああ」
順番がチガウ。すべてがギャクだった。
北斗は思い出していた。『あの夕暮れの世界』での真実を――――。
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