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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


●白兎の穴

 海原・みなもはアンティークショップ・レンの店内を入り口からガラス越しにそっと覗き込んでいた。
 時々訪れてはいるが、やはり中学生のみなもには敷居が高く入りにくい。
 今日はどうしようかと、黄ばんだガラスの向こうに広がる日常生活には存在しない家具や骨董の世界にみなもは見入っていた。その景色が急に陰った。
 ――カラン。
「きゃ、」
 目の前の扉が鐘の音を鳴らし唐突に開かれる。みなもは体勢を崩して一歩店内に足を踏み入れた。
「気にしなくていいから、中に入って見な」
 店主、碧摩・蓮は、みなもにそう告げると再び店の奥に消える。その後姿を見送って、みなもは辺りを見回した。
 原色の人形や用途の分からない家具、その隙間に納まるように、一台の柱時計が収まってた。
「見事なもんだろ」
 蓮は奥から本を抱えながら戻ってくる。みなもは頷く。成人男性の身長も軽々越しそうなサイズだ。
 振り子も針も止まってはいるが、ガラス戸の向こう、振り子の裏側には今にも動き出しそうな飾り人形が見え隠れしている。
「不気味な猫にドード鳥にトカゲ、ウサギ……。モデルは不思議の国のアリスだ」
 蓮はカウンターに本を置くと、みなもの前をすり抜けガラス戸を開いた。
「この時計は壊れちゃいない。止まっているのは、ゼンマイを巻く奴がいないからね」
 さらに蓮が文字盤を開けると、大小が入り組んだ歯車の隙間に小さな鍵穴のようなものが覗いているのが見て取れた。
「何度かコイツを動かそうとした奴はいたさ」
 蓮は薄ら笑むと青サビで変色したネジをみなもに手渡した。それには赤いリボンが括りつけられており、【Down the Rabbit-Hole】と書かれている。リボンに書きつけられた文字はインクに見えるが滲みもなく、柱時計自体もネジも骨董の雰囲気なのに、そのリボンだけは古さを感じさせない。
「これを動かした奴はみんな悪夢を見るんだと。そして二度とコイツの前には現れない」
 みなもは掌のネジから、もう一度時計を見上げた。
「蓮さん、ゼンマイを巻いた人が二度と現れないって、ここに来ない、って意味ですか? それとも本当にいなくなっちゃうんですか?」
 首を横に振り、蓮は目を伏せた。
「二度とここに来ないのさ。いなくなったかどうかは、私には分かりかねるよ」
「そう……ですか」
 みなもは手の中のネジをじっと見つめた。
「巻いてみるかい?」
 そう蓮に問いかけられ、みなもは自然に頷いていた。
「巻いてみます。何かの縁ですし」
 小さく空けられた穴に、手を伸ばす。みなもがネジをはめ込むと、奥でカチリと音がした。回すと一瞬抵抗があったが、あとは難なくネジは回り始めた。
 文字盤を閉じ、振り子を揺らすと、秒針が時を刻み始めた。
『――……ア、リ、ス、』
「え?」
 遠く聞こえた気がした声に、みなもが顔を上げると、分針から縞ネコの飾りが顔を出すところだった。
 まるでみなもを追いかける足音のような時計の音が大きく響き始めていた。

 その場では何事もなく、蓮に見送られてみなもは帰路についた。
 みなもが夢に落ちた夜半に、それは起きた。


●リデルの足跡

「……リス、アリス」
 みなもは誰かを呼ぶ声に目が覚めた。目を開けると、眠る直前に見ていた自室の天井はなく、立派なシャンデリアが掛かっていた。
 時計の進む音がやけに大きく聞こえるので、みなもはきょろきょろと周りを見る。音の元になりそうな時計は見当たらない。
「これ……あの時計の夢?」
 みなもは蓮の言葉を思い出した。あの時計のゼンマイを巻いた者の元に訪れる、悪夢。きっとこれがそうなのだろうとみなもは思った。
 今のところ、夢は悪夢の形をなしていない。
 みなもが身体を起こし、立ち上がったところで、バタン、と唐突に扉が開いた。
「いた。見つけたよアリス」
 外套を羽織った人が立っていた。みなもはその顔をみてぎょっとする。二本足で立ってはいるが、顔は白いウサギだった。
 何かいおうとみなもが口を開きかけたが、先に白ウサギが感嘆のため息をついた。
「ふう、よかった間に合った。アリス、今度は逃げないよね?」
 白ウサギはふわふわの手の中に収めた懐中時計をパチリと閉じ、赤い目でみなもを見た。
「え、あたし?」
 みなもの言葉に、白ウサギは長い耳を揺らして首を傾げた。
「そうだよ。キミはアリスだよ」
 白ウサギが手を上げる。途端に、音楽が鳴り始めた。余りの轟音に、みなもは両耳を押えた。地面がビリビリと震えるほど響く音楽は、それでもワルツということが分かる。
「……え、や」
 みなもの視線の先で、白ウサギが動いた。
 白ウサギの頭上に死神の持つような鎌を担ぐ。
 白ウサギが何事か口を開いた。けれどワルツに遮られ、その声は聞こえない。
 咄嗟にみなもは自分の後ろの扉から、部屋の外に飛び出す。後ろ手に扉を閉じると、先には長い廊下が広がっていた。
 相変わらず音楽は鳴り響いている。
 耳が痛むけれど堪えて手を離す。
 これがあの柱時計の見せる悪夢だとしたら、あのウサギは飾り人形のひとつなのだろう。あの白ウサギに捕まったら、あたしも新しい飾り人形にされてしまう……?
 ぞくりと背を震わせ、みなもは走り出した。

 長い長い廊下だった。みなもが走っても走っても、先は薄闇に輪郭をなくし、視界には捉えられない。ただみなもが駆けた後にだけ、壁に掛けられた燭台に火が灯っていく。
 ワルツのリズムに合わせて燭台の火が揺らめく。
 音楽に自分の呼吸や足音さえかき消され、鎌を携えた白ウサギが追いかけてきているかどうかさえも分からない。
 ああ、本当に夢みたいだとみなもは思う。
 けれどこの悪夢が、自分が頭の中に作り出しただけの夢でないことくらい分かっている。
 だって、こんなに息が上がっていて、もう脇腹も痛い。
 それでも、柱時計が原因ならきっと出口はゼンマイを巻いたあの鍵穴に違いないとみなもは駆けた。
「私たちを置いていかないで」
 不意にそんな声が聞こえて、今まで廊下の先しか見ていなかったみなもは、脇に目をやった。視界の端から後ろに消えていく場所で、柱時計で見た飾り人形たちがみなもを見送っていた。
「まって」
「僕らと一緒にいてよ」
「アリス」
「あたしはアリスじゃない!」
 声を振り払おうと首を振りながらみなもは叫ぶ。
 そこでようやく気がついた。声が聞き取れるほどには音楽が小さくなっていることに。
 代わりに、最初に聞こえていた時計の音が廊下の先から聞こえ始めていた。


●Alice's Evidence

 みなもはようやくたどり着いた廊下の突き当たりの部屋に滑り込んだ。ドアを閉めると音楽はもう聞こえず、部屋には時計の音が反響するだけだった。
 壁は全てギシギシと動き続ける歯車に埋め尽くされ、部屋の奥に黒い穴が開いているのが見えた。
「……出口、よね」
 みなもが擦れた喉でそれだけ呟く。
「そうだよ」
 穴の傍らにはウサギがいた。みなもは脱力にその場にへたりこんだ。後ろを追っていたのに、そんなの反則だ。
「ボクは白ウサギじゃないよ、怖がらないで」
 言葉に改めてその顔を見ると、白いウサギの顔ではなく、茶色いウサギの顔。助け起こすための手を伸ばされて、みなもは戸惑いがちにそれを取った。
「ボクは三月ウサギ。あんな遅刻魔と一緒にしないでもらいたいなぁ」
 時計と一緒に生きる人形とは有るまじきモノだね、と三月ウサギはこぼす。
「三月ウサギ、さん?」
 うん、と三月ウサギは頷いた。
「ここで帽子屋とずっとアリスを待ってるんだ」
 三月ウサギの視線の先を辿ると、歯車の隙間から目深にシルクハットを被った男が出てくる。
「ヤマネの野郎、またどっかに挟まってるみたいだ」
 そういった帽子屋は、みなもを気にする風でもなく、部屋の真ん中に置かれたテーブルに着く。
「そうだ、一緒にお茶でもどうだい?」
 ポンポンと三月ウサギはみなもを安心させるように頭を撫でる。
「それじゃあ、ちょっとだけ」
 少し気の抜けたみなもが答え、三月ウサギは頷いてみなものために椅子を引いた。
「間に合ってよかった。ボクらはゼンマイの動いている間しか生きられない」
 椅子に腰掛けたみなもの肩に手を乗せた。
 キィ、とみなもの入ってきた扉が開いた。
「今日も遅刻だよ白ウサギ」
 三月ウサギはそういった。みなもの向かいに座った帽子屋はお茶をすすりながら、ちらりと足元に目をやった。
 つられて、みなもも自分の足元に視線を向けた。
 手があった。
 足があった。
 解れた髪の毛、外れた眼球、それらは壊れた人形の残骸だった。
「ボクは白ウサギと違って紳士的だからね。怖がらせるなんてナンセンスなことしないよ」
 白ウサギはズルズルと鎌を引き摺りながら側によって来た。
「主人公のいない物語なんて、存在する価値があるの?」
 みなもが応えられずにいると、白ウサギは、ね、そうでしょうと囁いた。
 何時の間にかみなもの膝の上で、キャアキャアと縞柄のネコが鳴く。
「だって僕らはアリス、キミといなきゃあ」
 鈍色に光る塊が振り上げられる。
 みなもの目の前の空間は、真っ二つに引き裂かれた。


●夢の終わり

 蓮は煙管を傾けて雨の降り続ける外の様子を伺った。夜も更け、今日はもうこれ以上客も来ないだろうとドアを施錠する。
 一週間前、みなもがゼンマイを巻いた柱時計はすでに止まっている。
 まだ一週間。みなもが蓮の店に訪れるのはそう頻繁ではない。だから、気にすることじゃない、と蓮は自分に言い聞かせた。
 蓮は無言で柱時計に手を掛ける。ガラス戸の向こうの白ウサギの飾り人形の隣に、青い髪の少女の人形が寄り添っていた。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 1252/海原・みなも/女性/13歳/中学生