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+ 温度差は現無を連れ去り +
懐かしい『誰か』の思い出。
あれは誰の夢だったのだろう。
懐かしい『誰か』の記憶。
あれは誰の過去だったのだろう。
一人なのか。
二人なのか。
それとももっと沢山の……。
彼女達は追い求める。
今というこの場所で、手を繋いでいた『相手』を。
■■■■
はぁ……と熱っぽい息を吐き出しながら少女――黒崎 麻吉良(くろさき まきら)は重い瞼を持ち上げた。
全身が気だるくて指一本動かすのも億劫だと感じながらも彼女は涙で潤んだ視界を鮮明なものにしようと袖で目を擦った。
「お姉ちゃん、風邪の具合はどう……?」
不意にすぐ傍から声が掛かる。
麻吉良が横を向けばそこには黒いシャツを着た幼い少女の姿があった。銀色の髪に赤い瞳――自分によく似た少女の姿を見とめた彼女は微笑みかける。力の無い笑顔だったがそれでも心配してくれる相手を少しでも安心させたくて表情を作った。
小さな手が濡れたタオルを握り、汗の浮いた肌を懸命に拭いてくれる。
看病してくれる少女の行動が素直に嬉しくて、布団の中から手を出し相手の手を握った。
「大丈夫よ、早く元気にならなきゃね」
まだ熱は引かない。
けれど心の底から早く元気になりたいと麻吉良は思う。
自分のためにも、自分を心配してくれている少女――いや、『妹』のためにも。
「そうだね」
少女もまた麻吉良の笑顔を見てほっとしたのか胸を撫で下ろし、優しく笑顔を浮かべる。
姉と妹。
手と手を取り合いながら微笑みあった――それは幸せな夢だった。
■■■■
カタン、と小さな物音がしたのが物事の始まり――すでに夜の帳が下りた深夜のことだった。
扉が開かれ、廊下から一人の人間が入ってくる。
物音で目が覚めた麻吉良はその人間は一階で寝ている両親のどちらかだろうと熱のある頭でぼんやりしながらも考えた。だがその仮定はすぐに否定される。何故なら入ってきた人間は手にしていた凶器を月明かりに煌かせながらベットに横たわっていた麻吉良に襲い掛かってきたからだ。
「ッ……誰!? 誰、いや、お父さん、お母さ――、むぐッ……!!」
窓から入るぼやけた月の明かりに照らされた輪郭、それから悲鳴をあげさせないよう口を押さえるその力強い手が相手を男性だと教えた。その乱暴さは当然彼女が知っている父親のものではない。鼻まで押さえつけられ息苦しくなった彼女はその男の手に爪を立てながら引き剥がそうと懸命にもがいた。
だがそれが相手の不快を買ったのか、男はナイフを振り上げる。――いや、もしかしたら最初からその場所を狙っていたのかもしれない。
銀色のナイフが首の皮膚と肉に刺さる。
途端溢れ出したのは赤い血液だった。転んで作るような他愛の無い傷から出てくる可愛い量ではない。傷付けることを目的として振り上げた男の手が齎したのは死を仄めかすほどの出血量だった。
風邪で弱りきった麻吉良の首を痛みと衝撃が襲う。
反射的に身体を捻ったお陰で少しは逸れたものの、早く手当てをしなければ死は免れない。彼女は手で必死に傷口を抑えるが指先を通り抜けて首筋と鎖骨を濡らした血液はベットをも赤く染め上げていく。自身の中から失うものを感じて麻吉良は小さく嗚咽を漏らした。
両親の寝室は一階で自分と妹の部屋は二階。
男はもうすでに二階にいる。
麻吉良が男に抵抗した物音はとても大きかったはずだ。なのにそれに気付いて両親が上がってくる気配がないということは、二人はもう――――。
「お姉ちゃん、今の音、何ッ?」
隣の部屋の扉が開く音。
小さな足音が麻吉良の部屋へと近付く。
そして、その音が止まった。
見てる。
少女が見てる。
その赤い瞳で、赤い姉の姿を。
赤く染まっていくベットを。
―― 赤く狂気の色に染まった男の顔を。
「吉良乃……早く逃げて……!」
麻吉良はすでにまともに声を出せない自分の状態に衝撃を受ける。
だがそれよりも今は少女を逃がすことの方が大切だ。だが少女の方もまた麻吉良のことを助けたくて、止めていた足を室内に向かって蹴り出した。
「お姉ちゃんから、離れろぉぉぉ!!!」
普段の少女からは考えられないほどの叫び声をあげながら男に立ち向かう。
だが突然現れた幼い少女に対して男は舌打ちらしきものをすると、麻吉良の首を裂いたばかりのナイフを再び高く振り上げた。
どさりと少女が床に倒れる音。
男がゆらりと麻吉良に圧し掛かっていた身体を退け、倒れた少女の方へと歩いていく。大きな男の背中、その足元には小さく蹲る少女の身体がある。麻吉良の視界からはそれだけしか見えない。
男は笑っているのかもしれない。
もしかしたら怒りに顔を歪めているのかもしれない。
男が少女を軽く蹴り飛ばし、仰向けにさせる。心臓を狙うのか頭を狙うのかは定かではない。だが少女の息の根を止めようとしていることは確実に分かった。
「だ……め……っ」
滑る首を押さえていた手をベットにつき、渾身の力を振り絞って起き上がる。
身体の内側にある熱は風邪のせいじゃない。首を刺されたせいでもない。
ただ、少女を想った。
自分のために立ち向かってくれた最愛の妹のことを想った。
男がナイフを持ち変え、頭の上に振りかざしたその瞬間――。
「だめっ……吉良乃っ……――!!」
倒れるように身体を滑り込ませ、妹の身体を抱きしめる。
やがて訪れた衝撃に目を大きく見開いたのを最後に、麻吉良は静かに瞼を下ろした。
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「あ、目が覚めましたか?」
麻吉良が重い瞼を持ち上げた時、身体を包んでいた微振動が止んだ。
それが車が止まったことによるものだと言う事に気付くのにやや時間が掛かる。彼女は車のキーを外す青年――三下 忠雄(みのした ただお)をぼんやりと眺めた。彼女は彼に見覚えが無く、首を僅かに捻る。
何があったのか思い出そうと身体を起こせば、全身を打った痛みが襲い掛かってきた。
そこでやっと彼女は小学校の校庭である一人の女性と戦闘したことを思い出す。
銀色の髪に赤い瞳をもった女性……それはまるで先程夢の中に出てきた少女によく似ていた。
そっと額に手を置き、熱を測る。夢の余韻を吹き消すかのように額は冷たく冷えていた。
「さあ、病院に着きましたよ。立てますか?」
「あ……あ、いえ。もう大丈夫です」
「大丈夫じゃないですよ。雨の中、小学校の校庭で倒れていたんですからね」
「本当に、……本当に大丈夫です。ご心配お掛けしました」
三下が傘を差しながら助手席の扉を開き腕を貸そうとするが、麻吉良はそれをやんわりと断る。
それでも尚、三下は病院に連れて行こうと手を伸ばすが、最終的にはその手を振り払ってまでも彼女は拒絶した。立ち上がり、雨を避けるように建物の端を歩く。三下もどうしていいかよく分からず、半ば混乱しつつももう一度だけ声を掛けた。
その声に後ろ向きで手だけ振って応える。
夢を見ていた。
とても懐かしい夢を。
とても鮮明で衝撃的な夢を。
ああ、それは誰の夢なのかはっきりしている。
倒れた少女の姿。男の輪郭。自分の首についた傷。
熱。痛み。怒り。衝撃。温かい血の感触。
「……あれは、もしかして私と、『あの人』……なの?」
だから記憶を探そうとした自分を二度も襲っただろうか、麻吉良はそう寂しげに考えながらも自身の首の傷痕を指先で撫でた。
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「心配になって見に来たけど……」
病院に入らず三下を振り切って病院を出て行く麻吉良の姿を吉良乃は見守る。
どこかぼんやりと視点の定まらない様子、それから何気なく呟いた麻吉良の唇の動きを読み彼女は麻吉良が失った記憶を取り戻しかけていることを知った。
「……お姉ちゃん」
ぐっと拳を作る。
噛んでいた唇を開き、全身の力を抜くように息を吐き出す。それから解けたままの髪の毛に手を伸ばし、改めてゴムで括り直した。
―― 雨がしとしとと泣く。
全身を包むのは寒い雨の温度か、それとも温かい誰かの体温か。
麻吉良が去った後吉良乃もまた病院から立ち去る。
その痕跡すら消すかのように雨はまだ世界を濡らしていた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【7390 / 黒崎・麻吉良 (くろさき・まきら) / 女 / 26歳 / 死人】
【7293 / 黒崎・吉良乃 (くろさき・きらの) / 女 / 23歳 / 暗殺者】
【NPC / 三下・忠雄(みのした・ただお)/ 男 /23歳 / 白王社・月刊アトラス編集部編集員】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、発注有難う御座いましたv
前回の続きと言うことで自分なりにおまけ要素をつけつつ、このような形に仕上がりました。例の襲撃、麻吉良様バージョンということで視点は少しだけ弄ってます。
毎度のことながら少しでも気に入っていただけることを祈ります!
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