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<東京怪談ノベル(シングル)>


小さな一歩、大きな一歩


 もうすぐ海の日。
 それに因んでかどうかはわからないが、東京郊外の某所にて、漁業フェスティバルが開かれる。
 海原・みなも(うなばら・みなも)がその存在を知ったのは、登録している派遣会社からかかってきた電話でのことだった。
「はい。今週末でしたら、予定は入っていません。……え? コンパニオン、ですか」
 メモを片手に受話器を耳に当てるみなもの表情が、業務内容を聞いて微かに曇る。
 アルバイトの斡旋は、予定が空いている限り喜んで受けるのが、みなもの姿勢である。しかし、またもや、コンパニオン。
 急な欠員やなんやかやで、中学生という年齢に似合わず、みなもはコンパニオンとしての経験を多く持っている。その経験を買われているのか、どうやら雑用部門だけでなく、コンパニオン部門の名簿にも名前が載ってしまっているらしい。
「あの、はい、確かに経験はさせていただいているのですが……やはりまだまだ……プロのコンパニオンの方と同じようには……」
 毎回全力は尽くすものの、やはりプロとセミプロの間の壁は分厚い。経験があるからこそ、みなもはそれをよく知っている。
「ブース案内と、迷子の保護、ですか……はい、それでしたら、なんとか」
 正規のコンパニオンよりも簡単な業務内容であると聞き、みなもはほっと肩の力を抜いた。担当者の声は、急な募集で人手に困っているらしい雰囲気で、お断りするのも心苦しい雰囲気だったのだ。
 集合場所と時間をメモして、最後の挨拶をしようという時、担当者は慌ててあることを付け足した。
「はい? お箸で豆、ですか。はい、摘めますが……?」
 漁業フェスティバルと、どう繋がるのかよくわからない内容で、みなもは受話器を耳に当てながら首を傾げた。


    ++++++++++++


 イベント当日の朝、会場の裏方スペースにはたくさんの人々が集まっていた。
 コンパニオン役の若い女性たちは、更衣室で制服に着替える。その中に、みなもも居た。
「うーん、漁業だけあって、お魚ですね」
 制服を広げてみて、みなもは呟いた。
 形状は、ワンピース。色は桜貝のような優しいピンク色だが、スカート部分に鱗を模したラメが入っていて、きらきらして派手だ。ふんわりした袖だけは半透明のシフォンでできているのが、まるで魚の鰭のようにも見える。
 実際に着てみると、ストレッチの効いた生地でできていて、ぴったりと身体に沿った。スカートも腰から脚にかけてぴったりとした、いわゆる、マーメイドライン。両サイドには深いスリットが入っている。深い、というか、深すぎる。
「これは…………」
 着てみると、スリットは腰骨近くまで。際どすぎるラインにみなもが困惑していると、隣で着替えていた女性に肩を叩かれた。
「あなた、アンダースカートを忘れてるわ」
 手渡されたのは、ワンピースの袖と同じシフォンでできたパニエだった。
「えっ!? あ、ありがとうございますっ」
 膝上20センチほどのミニ丈で、サイドにはふわふわと段フリルがついている。それをワンピースの下に穿くと、スリットの深さは実質腿の中ほどとなり、深いことは深いが過剰な肌の露出は防がれた。のみならず、パニエのフリルがスリットの上部から鰭のように覗く。位置からすると、腹鰭だろうか。
 服に使われているのと同じシフォンで作られた造花を髪に飾ると完成。
 鏡の前に立ってみると、魚というよりはもっと違った印象に見えた。
「……人魚みたいです」
 ふふ、とみなもは小さく吹き出してしまった。人魚のみなもが、まるで人魚のコスプレのような格好をしているのだ。
 ピンク色の鱗も、みなもの青い髪や眼によく映えてなかなか新鮮ではある。もちろん、本当に似合うのは、本来の色である青だけれど。
 先ほどの女性にもう一度お礼を言うと、がんばってね、と笑い返してくれた。彼女は青い人魚姿で、髪に飾っているのは造花ではなく人造真珠の小さなティアラだ。
 他にも青い服を身につけている人はちらほらと居て、彼女たちは正規のコンパニオンであるらしかった。正規のコンパニオンたちは、各ブースで専門的な解説などを行う。道案内などが主な仕事であるみなもたちとは業務内容が違っているため、制服の色で区別されているのである。
(これなら、間違って声をかけられることも少ない、かな)
 先日赴いた林業フェスティバルの際は、正規コンパニオンとの制服の違いがあまりなく、そのせいでブース内のお客から声をかけられ、製品などの詳しい説明を求められることもしばしばだったのだ。
「お箸で豆を摘める人ー! こっちに集まってくださーい!」
 スタッフの女性が、更衣室の入り口から声をかけてくる。
「はーい!」
 みなものほかにも数人が返事をして、ぞろぞろと更衣室を出て行った。違う場所で何やら説明があるらしい。
(それにしても、お箸で豆って……漁業と何の関係があるんでしょう)
 ドアに向かいながら、みなもは電話で派遣依頼を受けたときと同じく、首を傾げた。


    ++++++++++++


 天気が良く祝日でもあったため、人出は順調で、会場はすぐに人で溢れた。
 モーターショーなどにも使われる広めのイベント会場である。案内を必要とするお客も多く、コンパニオンたちは大忙し。
 ピンク色のコスチュームはよく目立つので(晒し者と同義、とも言う)、皆少しでも何かあればすぐに声をかけてくる。人の海の中を、人魚達はあちらこちらと忙しく泳いでいた。
 みなもももちろんその一人として働いていたのだが、開場から二時間ほど経ち、入場者の数が落ち着いて来たところで、それを一旦切り上げた。新しい仕事に向わねばならないのだ。
「中央特設イベント広場、ですね」
 頭にたたき込んだ地図を思い出しながら、みなもは歩いていた。少し急ぎ足で、しかし困っている人が声をかけるタイミングを外さない程度の速度で。
「――あの、すみません」
 背後からの声に、みなもは足を止めた。みなもを呼び止めたのは、小学生高学年くらいの男の子だ。妹らしき女の子の手を引いている。
「真ん中の、イベント広場ってここからだとどっちになりますか?」
 真ん中、とは恐らく中央ということだろう。みなもは頷き、男の子に手を差し伸べた。
「こちらになります。あたしも今そちらに向っているところなので、よろしければご一緒に」
「ほんとですか!? よかった、イベントの始まる時間に間に合わないかと思った!」
 男の子の顔がぱっと輝いた。これから中央広場では子供向けのイベントが開かれるのだ。みなもはイベントの手伝いをすることになっている。
 男の子に手を引かれた女の子は不満げに唇を尖らせた。
「あたし、おさかな嫌いだもん。行かなくていいよぅ」
「ダメダメ! せっかく来たんだから、行こう」
 みなもと手をつないだ男の子が、さらに女の子を引っ張って、ぞろぞろと中央イベント広場へと向うことになった。
 広場が近付くと、小さなステージの上に横断幕がかかっているのが見えてくる。
『おさかな食べる王決定戦!〜お箸、ちゃんと使えるかな?〜』
 横断幕には黒々と、イベント名が記されていた。
 みなもが男の子たちを連れて来てからしばらくで、ステージに中年の女性が立った。
 彼女は漁業関係者の妻で、夫との結婚をきっかけに漁業組合に関わる仕事をするようになったのだそうだ。開場前、彼女から聞いた話を、みなもは思い出した。


「近年、日本の漁業を取り囲む環境は著しく変化してきています。問題点も多くあります。はい、そこのお若いあなた、例を挙げて頂けますか?」
 箸で豆が摘めること、という条件で集められたコンパニオンたちは他にもたくさん居たのだが、指されたのはみなもだった。
「はい! ええと、温暖化などの環境変化による漁獲量の減少及び、獲れる魚の種類の変化、絶滅防止の漁獲量制限や、漁業器具による環境汚染とか……それから、後継者不足による漁師さんの減少なども、深刻だと聞きました」
「よくご存知ですね」
「い、いえ、全て聞きかじりです……」
 拍手され、みなもははにかんで頬を染めた。このアルバイトが決まった時から、当日困らないように色々と調べていたのだ。
「今、例を挙げてくださいましたように、漁業を取り巻く環境はけして明るいばかりではありません。消費者の皆様にそれを知っていただくことが、この漁業フェスティバルのテーマの一つです。しかしながら」
 皆に語りかけながら、女性は背筋を伸ばした。
「まずは、消費者の皆様に魚を好きになってもらって、魚が食べたい、と思って頂かなければ、漁業の衰退を止めることはできないでしょう。まずは、子供たちに食べてもらわなければ、未来は先細りです。子供たちが好きな食べ物の一位は、お寿司。つまり、お魚の味が嫌いなわけではないのです。魚が嫌いな理由の第一位は『食べ難いこと』。確かに、細かい骨のある魚は食べ難いものですね」
 昨今は骨のない加工魚などもあるが、全ての魚をそうするわけにはいかない。女性は少し言葉を切り、そして続けた。
「わたくしは、昨今の子供たちが箸使いが不得手であることにも、魚を食べ難いと感じる理由があると考えています。イベント広場では、子供たちに楽しく美味しく魚を食べてもらえるよう、お箸を楽しく使ってもらえるイベントを開催します。お箸使いの得意な方々に集まっていただいたのは、このイベントのお手伝いをしていただきたいからです――」


 イベント広場には、焼き魚の香ばしい匂いが漂っている。集まった子供たちは、手に手に鯵の塩焼きの乗った紙皿と、お箸を持っていた。
「さあ、今からお箸で、お魚を綺麗に食べてください。ピカピカにできたら、金のシール。もう少しなら、銀のシールがもらえます! お箸が上手に使えなかったら、おさかなのお姉さんたちに教えてもらってね!」
 ステージの上から、女性がマイクで声をかける。
 子供たちは意気揚揚と魚を食べ始めた。上手に食べられたらシールがもらえる、というゲーム感覚が受けたらしく、普段はあまり魚を食べないという子も参加しているようだ。
「おねえさん」
 先ほど案内してきた男の子に手招かれて、みなもは彼の側に歩み寄った。
「妹がね、上手く食べられないんだ。教えてあげて」
 見ると、男の子の隣の女の子は、箸で魚の身を上手くほぐせないようだ。男の子は自分ではできても、妹の箸使いのどこがおかしいかまではわからず、困惑しているらしい。
「あ。これはね、こっちのお箸に、中指じゃなくてお姉さん指を添えて……ほら、そうしたらお箸の先が大きく開くんですよ」
 みなもが持ち方を直してやると、女の子の顔が明るく輝いた。
「うん! できるよ!」
 きれいに骨から外した身をぱくりと口に入れ、女の子は笑顔になる。
「……美味しい!」
「よかったです」
 みなもも、自然と笑顔になった。
 小さな一歩。しかし、女の子にとっては苦手を克服した、大きな一歩だ。
 あちこちで、子供たちの歓声が上がっている。
 きらきらと光るお魚のシールを胸やおでこ、好きなところに貼ってもらって、彼らは家に帰る。
 夕食の席での話題は、きっとお魚。
 そのおうちで、お母さんがおかずをお魚にする回数が、これから先もしかすると増えるかもしれない。
(きっと、漁業にとっても小さくて大きな一歩……なのでしょうね)
 その小さくて大きな一歩を手助けできたことが嬉しくて、みなもは胸が温かくなるのを感じた。
「ううっ、小骨が取れない……」
 背後から、小さな声が聞こえる。
「どうかしましたか?」
 にっこり笑って、みなもは振り向いた。
 今日は、金色のシールをもらって帰れる子が一人でも増えるよう、がんばろう。
 そう思っていた。 
                                End.








<ライターより>
いつもありがとうございます。階です。
漁業関連イベントのコンパニオンさん。人魚のみなもさんが人魚のコスプレというところが面白くて、楽しんで書かせていただきました。
最近毎日暑いので、涼しげな印象のコスチュームで。色はどうしようかと悩んだのですが、本当に人魚の姿になった時とは違う印象にしてみようかな、とみなもさんの本来の色ではないピンク色にしてみました。
それと、なんとなくみなもさんはお箸使いが上手なようなイメージがあり、このようなオチに。
イメージと異なる部分などございましたら申し訳ありません。
楽しんでいただけましたら幸いです!