コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


【東京衛生博覧会 前編】



長く美しい黒髪が、真っ赤な血溜まりとなっている床に散らばり、たゆたっていた。
裸の背中をぺたりと強化硝子に預け、黄色い陰険な眼差しを虚ろに彷徨わせている姿は、哀れよりも怖気を誘う。
杭が打たれた胸からはトロトロトロと細い筋となって血液が流れ出る。

血の気をなくした唇を、薄く開いたまま浅い呼吸を繰り返す。
黒須誠は、下半身が大蛇という、本性を晒したまま強化硝子の檻の中で生死の縁を彷徨っていた。

心臓に、 杭が刺されている。

黒須は日没後、瀕死時に本性に変身するという一時的「不死」に目をつけられ、死の縁に縫いとめられたまま放置されつづけていた。

「蛇ちゃん、辛そうでしゅねぇ?」

ねっとりとした、鼓膜を蛞蝓が這うような口調。
強化硝子で出来たケースに閉じ込められた黒須の前に立つ男は、その出自も、経歴も、本名すら誰も知らず、ただ「Dr」とだけ周囲の人間に呼ばれていた。

キメラ開発の第一人者。
人間と動物の融合生物を生み出す禁忌の研究に手を染めた、マッドサイエンスト。

「うひっ、ほらご覧よぅ、狐ちゃん。 ほらね、あんな状態でも生きてる」
男がそう言う相手は、まさに狐。
Drの隣に立つ背の高い美女の耳は銀色の狐の耳に改造され、小さな形のいいお尻の尾てい骨からはふさふさとした狐の尻尾が揺らいでいる。

キメラ。
K麒麟が独自の技術として開発した、獣と人を無理矢理融合させた、歪な生き物。
女は身体をくねらせ、自分よりも頭二つ分ほども背の低いDrの腕に無理矢理絡まると、ちらりと黒須に嫌悪と侮蔑の入り混じった視線を寄越してくる。
「ずっとお薬で体を夜の状態のまま留めているから、夜行性の蛇ちゃんは眠れなくてお疲れでちょ? 大丈夫でしゅよぉ? 明日には、蛇ちゃんの新しいご主人様を見つけてあげましゅからねぇ?」

Drの言葉に億劫げに視線を上げれば、益々嬉しげに笑い「優しい飼い主さんに当たればきっと一思いに楽にしてくれましゅ」と事もなげな調子で言う。

「蛇ちゃんは、とっても醜い生き物でしゅから愛玩動物にするには適しましぇんが、その髪と皮だけは、上等でしゅ。 きっと、良い『材料』になりましゅよ。 鱗なんか、バッグにしても、良さそうでしゅねぇ」
うっとりとした目で眺められ、背筋に冷たい汗が浮かんだ。

ここは東京新名所、青山に新設された超高層ビル「メサイア」の倉庫内。
このビルの最上階フロア。 普段は、セレブリティがエグゼクティブな時を楽しむ為に利用する高級スカイラウンジとして名を知られた「背徳」にて、明日不届き極まりない催しが企画されていた。
まさに、背徳という名の会場で行われるに相応しい、新興の中国マフィアK麒麟主催「人身」のオークション、「黒花市」。
「黒花市」では、研究の産物である「キメラ」や、K麒麟が世界中から攫ってきた「人以外の知的種族」が、 年一回開催される「黒花市」にてオークションに掛けられて、余り趣味の宜しくない金持ち連中に、法外な価格にて、 不埒な目的で買われていた。

「まぁ、あの一つ目の『化け物のガキ』のように何か特技でも持っていれば、使い道もありましたが、 無芸で、研究材料としても扱い難い蛇ちゃんは、組織で飼うにしても、厄介なだけでしゅからねぇ、明日、他のキメラ達と一緒に売り飛ばしてあげましゅ」
そう言いながらペタリと硝子に手を這わせ、まじまじと黒須を覗くDrの異様に大きな目玉を見返して、黒須は凶暴な眼差しでDrを睨み返した。
Drは首を傾げ、それから笑う。
にっと唇を裂き、Drは唄うように言った。
「どっかに欲しいという買い手がいたのか、何かに使うつもりだったか知らないけど、命がけでポンコツ攫って、すぐに壊れちゃった上、こんな風に自分が捕まって…本当に蛇ちゃんは、お馬鹿さんだなぁ…。 大体、あのガキは僕が散々手術による延命処置と、劇薬の投与をし続けていて、そもそも限界だったんでしゅ。 あとは、肉食キメラの餌にでも…」
「黙れよ」
ふいに黒須は口を開いた。
平静な、全くもって平らな声だったので、Drは少し驚いたように固まって、黒須を見返す。
「どうせ、薬や、後ろ盾がなきゃ、誰ともまともに口すら利けねぇような分際で、おこがましくもべらべら人の言葉を語るんじゃねぇよ。 耳が腐らぁ」
黒須はツイと唇を片端だけ上げて皮肉な笑みを見せ、下から掬い上げるように陰惨な視線でDrを睨みつけると「気持ち悪ぃよ。 あんた、吐き気がする」と言ってのけた。
異形の不気味な生き物に、「気持ち悪い」と罵倒されDrは無表情のままヒクヒクヒクッと数度痙攣する。
「狐ちゃん…」
軋む声でDrが女を呼んだ。
「…僕の…靴が…汚れてるみたいでしゅ」
そう口にした瞬間、躊躇うそぶりもなく女は跪き、Drの革靴に舌を這わせる。
舌先で、無心になったようにDrの靴を「磨く」女の姿に、黒須が眉を顰め、視線を逸らすのを凝視しながら、錆付いた声で「ね? よく、躾てあるでしょ?」とDrは囁き、その懐から禍々しく黒光りする銃を一丁取り出した。

「すぐに、蛇ちゃんも、こうなるように、躾てあげる」

Drが黒須を見つめたまま引き金を引く。
鼓膜を凶悪に揺さぶる銃声。

「っ!」
制止の声すら間に合わなかった。
女のふくらはぎが撃ち抜かれ、悲鳴をあげながら顔を上げた額に、躊躇いなく、視線も向けず、Drは2発目の弾丸で穴を穿つ。
美しい顔を強張らせたまま倒れる女に、Drは「黒須を見据えたまま」何発も弾丸を撃ち込む。

そのヒステリックな有様、そして音に黒須は知らず目を固く閉じ、耳を両手で塞いで身体を折り曲げていた。
銃声が止み、それでもカチカチカチッと狂ったように引き金を引く音が暫らく続き、それから完全な無音になった。
黒須の微かに荒い息の音のみが倉庫内に響く。
どれ位じっとしていただろう?
薄っすらと目を見開けば、無残な姿と成り果てた女の姿が目に入り「あぁ…」と吐息交じりの声を零して黒須はずるずると背中を硝子に預けた。
「あぁ…」
沈痛の面持ち。 視界からDrの姿は消えていて、黒須は「畜生…」と小さく呻く。
そのまま、後頭部を「コン」と音を立てて後ろの硝子にぶつけた瞬間だった。


ドン!!!!!


硝子が強く叩かれて揺れた。
「ひあっ!!」
黒須の全身が跳ね、喉から絞り出すような悲鳴が洩れた。

「あーあ、結構狐ちゃんはお気に入りだったのに、蛇ちゃんのせいで、お肉になっちゃいました」

ドン!!!!!

「まぁ、いいでしゅ。 これで、ゲージが一つ空きました」

ドン!!!!!

「新しく人魚ちゃんも作れるようになったご褒美に、何か一つ欲しいものあげるってボスに言って貰ってたんでしゅよ。 僕、本当は明日搬入される『薔薇姫』を一匹貰うつもりでしたが、やめました」

ドン!! ドン!!!!

「蛇ちゃん。 僕の研究室にいらっしゃい。 僕が新しいご主人様になってあげましゅ」

全身をカタカタと震わせながら、黒須はそろり、そろりと視線を横に滑らせる。
ふいに、黒須の背後から硝子に手をつきべったりと壁面に横顔をつけ、目を爛々と見開きながら此方を見ているDrと目が合う。

血走った目。

悲鳴じみた声をあげそうになり、ヒクリと一度黒須は喉を震わせる。
硝子越しにDrは爪を立て、黒須の頬の辺りをカリカリカリと引っ掻いた。
分厚い硝子一枚挟んだ向こうに、黒須はこの世の地獄の淵を見る。

「舐めた口利きやがって。 生まれてきた事を後悔させてやるよ」と優しい位の穏やかな声で囁いて、

Drはそれから、唇をニイィッと裂いた。



SideA
【魏・幇禍 編】



「招待状? K麒麟主催のK花市…ですかぁ…?」

「そう! 最近ウチの傘下の組織に華僑絡みの変な小競り合いが多くてぇ、ちょっとどんなのか見てきてよv」

語尾にハートマーク付である。
自分の雇い主でもあり、婚約者でもある少女からの言いつけだった。
「行きたいのは山々なんだけど、ちょっち時間が取れそうにないんだよねぇ…」
そう心底残念そうに言う姿に安堵したのも真実で自分自身は危険極まりない場所にでも好奇心の赴くままに飛び込んでいく性質の癖に、大事な婚約者には危ない目に出来るだけ合って欲しくないと思う自分の男心が少しいじましい。
大体、もう、最近、ほんと、ちょっと奇跡じゃない?
この人は、天上に棲まう女神が間違ってこの世に生まれてきちゃったんじゃない?という位、綺麗になりつつある婚約者に、そんな危ない場所に行ってもらっては、胃が心配の余り爛れ尽くしてしまう自信がある。
とはいえ、その言いつけの大元は、実家が関東一円を取り仕切る大極道、鬼丸組首領であり、鬼丸精神病院院長でもあり、その上、現在海外留学中という何だか、カオスな状況な、実質的な雇用者である、彼女の父親からの伝言らしい。
だが、何にしろ、婚約者の唇から、しかもハートマーク付で告げられた言葉であるという事が何より大事で、魏幇禍にはその言いつけに従わない理由等、微塵も思い当たらなかった。


ガソリン代高騰の折。
庶民に真正面から喧嘩を売っているとしか思えないほど燃費の悪い派手な外車に乗って、幇禍は会場へと向かう。
一応、鬼丸組の賓客として顔を出す以上、組を代表しての振る舞いが求められるのだろうが、婚約者第一主義っていうか、他に大事な人って、俺にはいないね☆な愛の戦士幇禍としては、正直組のメンツとかも、余り気にしておらず、「キメラってどんなだろう?」なんてワキワキしながら車を軽快に走らせた。

いい土産になりそうなものがオークションにかけられてたら、買って帰ってもいいなぁ…と考える。
基本、通販で奇妙なものを買い漁るのがライフワークな幇禍は買い物自体が大好きで、最近は大きな買い物をすると、どんどんテンションが上るという悪癖すら身に付き始めている。
ストレス社会に悩まされてるOLか!といったところなのだが、鉄の心臓に鋼の胃、ストレス? 何それ?なフリーダムの住人幇禍といえど、婚約者の事となると、簡単に振り回され、気苦労も耐えない生活を送っている部分もあり、大きな買い物をする事で、すっきりした気分を味わっている事も否定できない。
(可愛いのがいいかなぁ? でも、案外ゲテモノ好きだしなぁ…)なんて思案をめぐらせているうちに青山の一等地に聳え立つメサイアの前に到着する。
エントランスに乗りつけて、出迎えに出てきたK麒麟の構成員らしき男に鍵を渡した。
「駐車場に停めといて下さい」と告げれば、最近の極道者は礼儀作法も仕込まれてんのねと感心したくなる程の完璧な礼を見せた後、幇禍の車に乗り込む。
そのまま、出迎えの後について、ビル内に足を踏み入れようとした瞬間、チリっとした視線を感じ幇禍は振り返った。

道路を挟んだ向かい側。
人だかりが出来ている。

疑問に思い目を凝らしてみれば、こちら側からは後姿しか見えないが、派手な赤い髪をした男が、何か演奏しながら歌を歌っているらしい。
余程実力のあるストリートミュージシャンなのか、炎天下だというのに、人だかりは、どんどん増えていっているように見えた。

「へぇ…」
もし、時間があるなら、ちょっと聞いてみたかったかも…と思いつつ、幇禍はビルの中に回転扉を抜けて進む。
先を立って歩いていた男が、エレベーター内にて待っていてくれたので、少し足を速めて乗り込めば、そこで漸く自己紹介と相成った。
お決まりの名刺交換と、軽い雑談。
ヤクザの世界も、サラリーマンの世界も、こういう部分は変わらない。
敬語が使えなきゃ、教育がなってないという事で相手に舐められるし、まぁ、他の業界に比べて話題が少し物騒だという事位だろう。

「俺、初めてキメラって見るんですけど、どんな感じなんですか?」

堅苦しい挨拶を終え、砕けた口調で幇禍が尋ねれば、相手も表情を緩め「いや、最初はうちも抗争用の兵器のつもりで開発してたんですけどね、世の中何にニーズがあるのか分からないもんで、世話になってる企業の役員がうちのキメラを見て、外見が面白いから欲しいなんて言い出したんですよ。 で、愛玩用や観賞用としてもイけんじゃないか?って考えて作ってみたら、このような盛況具合で…」と言いつつ最上階に到着したガラス張りエレベーターから降りれば、そこには、豪華なラウンジにて大勢の着飾った客がグラス片手に談笑をしてたり、カタログらしきものを熟読していた。

「政財界の大物から、大企業の重役、幇禍様のような裏組織の関係者の方々まで広くお越しくださっています。 私共と致しましても、これを機に、鬼丸組様ともK麒麟と友好的な関係を結べたらと考えておりますので…どうぞ、ごゆっくりとお買い物をお楽しみください…」
そう言いながら、傍を離れかけていく男に「あ、ちょっと…」と声を掛けたのは気紛れで「その、キメラ達がいる倉庫とか、ちょっと見せてもらえません?」と頼んだ理由は好奇心だった。

賓客であるという事と、この先大口の客になり得る可能性を考慮してだろう、「特別ですよ」と案内された倉庫は、最上階フロアと、その下にある筈の階層との間にあった。

「隠し倉庫ってやつです。 貴重品専用の特別倉庫。 うちだけじゃなくて、このビルにテナントを置いてある宝飾店や、ブランドショップも利用しているようですが、本日は、K麒麟の貸切にしてあります」

そう言いながら、監視カメラが幾台も設置されている廊下を抜け、指紋と角膜認証によるIDチェックを行う厳重なセキュリティが施された扉を開ける。
その向こうには、がらん洞のただっ広い空間が広がっていて、「では、ごゆるりと。 気に入った品があれば、是非オークションで競り落としてください」と言い、男は倉庫の外へと消えた。

ここに来たいと乞うたのは、会場内に充満していた香水や化粧の匂いに入った瞬間に辟易したのともう一つ。
ああいう、気取った立食形式のパーティが心底苦手だったからという事もある。
あの場所でオークションの開始まで時間を過ごすなんてぞっとしないと考えた幇禍は、ならば、それまでの間、品定めや、K麒麟という組織の実力を測る意味も兼ねて、キメラをじっくり見せてもらおうと考えたのだ。

蛍光灯の灯りの下、一つ一つの檻の中を見て回る。
檻の中には、様々な生き物がいて、鱗に追われたものや、羽の生えたもの、角が生えたもの等々、最初のうちこそ物珍しく見れたのだが、そのうち、段々退屈な気持ちになり始めた。

というのも、このキメラ達。
みんな、なんだか覇気がないのである。

動物園で、猛獣コーナーにわくわくどきどきしながら行ったのに、猛獣たちはみんなだらだらと眠りこけていた時に感じるようながっかり感に近い。
どれだけ奇妙な姿をしてても、生気がなければ人形と変わりない。
(こりゃ、お嬢さんのお土産になりそうなものなんて、手に入りそうにないなぁ…)と考えていると、大きな黒い檻の中に、蝙蝠の羽が生えた白い毛並みの美しい大きな虎が眠っているのが目に入った。
固く目を閉じ、眠っているのか、死んでいるのか辛そうな様子だが、「うぐるるる…」と喉の奥で唸る声には、計り知れない迫力を感じる。
「へぇ…綺麗な虎だなぁ。 これだったら、お嬢さんも気にいるかも…」と近寄れば、虎が「蘇鼓…帝鴻…」と誰かの名を呼んでいるのが耳に入る。
(蘇鼓…? 帝鴻…?)と、聞き覚えのない筈なのに、妙に引っ掛かりを覚える名に首を傾げ、更に近寄りかけ、ハッと立ちすくむ。
「いやいやいやいや? 聞こえない。 俺には、そんな動物の声なんて聞こえない。 何喋ってるか分かるなんてありえない…」と額に冷汗を浮かべつつ、幇禍は必死に自分に言い聞かせる。
大体、そんな若干ファンシーな才能に、なんで、俺みたいな人間が目覚めるんだ…。

もし、これがお嬢さんにばれたら…!

咄嗟に、大爆笑&近所中を連れまわされ、ありとあらゆる動物と好奇心のみで会話させられる情景がありありと思い浮かぶ。

いやだ! そんな動物王国いやだ!!

そう決心し「俺には何も聞こえませんでした!」と口に出して呟くと、スタスタスタと檻の前からはなれ、別の檻を覗き込む。
そこには、赤い目をし、白い肌をして天使のような羽の生えた少女が一人座り込んでいた。

今まで幇禍が覗き込もうと、何の反応も返さぬキメラばかりだったのに、彼女は幇禍の視線に顔をあげ、金色の目を見返してくる。

「あなたは…キメラじゃないの…? それとも薔薇姫?」

少女の問い掛けに幇禍は首を振り「俺は客人なんです」と答えた。
「客? オークションの?」
「はい」
「どうして、お客さんが此処にいるの?」
「オークション前に、キメラっていうのがどんなものなのか見てみたくなったんです」
幇禍の言葉に少女は首を傾げ「どう?」と聞いてきた。
「どう? キメラは」
「ううん…正直、思ったよりつまらないです。 みんな全然元気ないし」
幇禍がそういえば、少女は笑って「だって、研究所で散々酷い目に合わされて、こんな姿にされちゃって、元気なんて、出せないよ…」と俯く。

赤い目と白い肌が、自分の婚約者を髣髴させたから。

幇禍は檻の前に座り込んだ。
「研究所って言うのは…?」
「Drの」
ああ、このキメラ開発の第一人者がそう呼ばれていたっけと、事前に渡されていたカタログの内容を思い出してみる。
自分と気持ち悪い容貌の男だったが、趣味まで、どうも気持ちが悪いらしい。

「い…いっぱい、死にたくなるような事をされた…。 ここで売られるだけまだマシだって。 優しいご主人様に当る可能性があるからって…。 研究所で飼われてる子達は、もっと悲惨な生活をしてた…」
幇禍はぐしぐしと頭を掻き、マジマジと少女の姿を眺める。
「…幾つですか?」
「13歳…」

歳まで一緒だ。

「じゅ…塾の帰りだったの…。 黒い車から男の人達がたくさん降りてきて…。 口を塞がれて、車に乗せられた。 き、気付いたら、私、しゅ、手術台にいて…」
そこまで言って口を塞ぐ。
嗚咽を漏らし、少女の目から涙が止め処も泣く零れ落ちた。
「い…痛かった…。 ま、麻酔はしゅ…趣味じゃないって…Drが言って…き…気が狂う寸前まで…私は、意識を保ったまま…か、体を切裂かれた…。 お、おかあさんが…今日の晩御飯は…ハンバーグって…言ってたの…。 わ、私、わた、私…その日のす、数学のテストで…初めて…100点取ったの。 おかあさ…ん喜ぶと思って…い、急いで帰らなきゃって…わ…わた…し…」
顔を両手で覆って呻くように少女が言った。

「お母さんに 会いたいよう…」

幇禍は、もう一度ぐしぐしと頭を掻く。

柄じゃない。
人助けとかはだ。
今だって、別段同情もしてない。
そういう運命もあるって事だろう。
生まれる国によっては、おぎゃあと声をあげるより早く命を絶たれる存在も入る。
貧困の最中に生まれ、物心が付く前から飢えに苛まれ続ける命もある。

不運だった。
そういう事だ。

しかし…。
「…血液の提供と、命の危険がないと保証した上での薬物実験、それに、労働奉仕と…ああ、お嬢さんへの数学の先生と話し相手」

幇禍が並べ立てた言葉に、少女が顔を上げる。
「引き受けてくれます?」
そう問い掛ければ、少女は首を傾げた。
「引き受けてくれれば…あなたを競り落としてお母さんに会わせてあげますっていうか、自由の身にしてあげます」
幇禍がそう言えば、目を何度も、何度もぱちぱちさせて、「で…でも…私、た、高くなっちゃうかもしれない…」と不安そうに言う。
「いや、きちんと返してもらいますよ? ちゃんとあなたの仕事は考えてます」
そう言いながら、携帯を取り出す。
短縮の上位メモリーに入れてある番号を呼び出せば、程なく電話口に、望みの相手が出てくれる。
「こんにちわ〜って、今の時間だったら、そっちはおはようございますですか?」と問い掛ければ、随分早朝だったらしく、盛大に抗議されてしまう。
「あはは〜、ごめんなさい、ごめんなさい。 いやいや、ちょっと旦那様にお願いがありまして、実は今、ほら、K麒麟のオークション会場来てるんですけど、ああ、はいはい、あのK花市、招待状貰ってたやつです。 んで、ちょっと見た感じだと、やっぱ、新興のマフィアって調子乗ってるっていうか、結構、礼儀知らなくって、ええ、ええ、鬼丸組の事とかもぉ、たかが島国のお山の大将みたいな言われ方しちゃったんですよぉ。 ええ、はいはい、ねぇ? 超むかつきますよねー! ねぇ、旦那様、こんなに舐められて、あいつらの言いなりってムカつきません?って事で、俺、考えたんですけど、K花市で売られるキメラとか組予算でどーんと、買い込んじゃうって如何ですか? 買ったキメラを、病院で血液検査や、レントゲンで調べてみれば、現在K麒麟で占有されてるキメラ開発のメカニズムが解明できるかもしれませんし、単純に戦力的にも下手な構成員雇うより、ずっとアップすると思うんです。 それに、ここでどどんっとキメラを総競り落とししてしまえば、向こうに、こっちの実力を示せる絶好のチャンスだと思うんですよ。 はい? ああ、大丈夫です、持ってます。 ええ、別に100億、200億とかまではいかないと思いますんで、ええ、はい、じゃあ」
携帯を切り「いやぁ…今の携帯って便利ですよね。 国際電話もスムーズに出来ちゃう」と笑うと、「さて、スポンサーに話を付ける事は出来ました」と言いつつ、ポケットから一枚の黒いカードを取り出してみせる。
少女が「え?」と首を傾げれば「これは、戦車すら買えちゃう、上限金額のない魔法のカードです」と言って幇禍はふふんと笑った。
「最近大きな買い物してなかったからなぁ…、俺のじゃない財布で、大散財が出来るって、凄い幸せだと思いません?」と問い掛ける幇禍に「そ、そんな電化製品を纏め買いする主婦みたいな…」と慄き、「ほ、本当に助けてくれるの?」と再度少女が問い掛ける。
「助ける? いえ、役に立って貰うつもりでいるから、貴方を買うのです。 買った後の扱いは、俺の自由でしょ? っていうか、まぁ、組の金だから組の自由になるんだろうけど、別段あこぎな仕事を斡旋する事はないですし、家にだって帰れるようにはするんで…」と幇禍が言えば「ありがとう!」と言って少女は両手を組み合わせた。
「あの…名前は…?」と問われ「幇禍です。 魏幇禍」と答えれば、「幇禍さん…本当に、ありがとうございます…」と心からの声で少女が礼を述べてきた。
些かというか、かなり面映い。
幇禍は高潔な性質でもなければ、正義漢なわけでもなくただ、好奇心でこの場所に来て、キメラを品定めするつもりで、倉庫に立ち寄っただけだ。
彼女を買う気になったのも、少し婚約者に似ていたからで、境遇に同情したからでも、救いの手を差し伸べてやるといった慈善の気持ちからでも一切ない。
ただ、余りにキメラ達が無気力でつまらなかったので、こうやって生きる意志のあるキメラなら買ってやってもいいかと気まぐれを起こしたのもあるし、そういうキメラなら婚約者に見せても喜んでくれるだろうと考えたのもあった。

結局何もかも、愛しい少女の為の行動である。

「別に…あ、これ照れとかでもなんでもなくて、ほんとに役に立って貰うつもりですし、あと、お嬢さんに数学を教えてほしいのもマジなんです」と幇禍が言えば、「その、お嬢さんって、幇禍さんの大事な人?」と少女が聞いてくる。
「ええ…もう、大事な人って言うか…もう、俺の女神です」と微笑みながら言えば、少女は、少し寂しそうな、残念そうな顔を見せ「そっか…でも、幇禍さんみたいな素敵な人に、そんな風に想ってもらうなんて、きっとその子は幸せ者だね」と言って笑った。

それから、一つ一つの檻を見て周り、自由になりたい意思を持つキメラ達に落札を約束して回る。
どうせなら、大勢のキメラ達で婚約者を驚かせたい。
きっと、驚いた後は凄くはしゃいで、一緒に遊んで…そんな時の婚約者は、本当に死ぬほどっていうか、殺される!と覚悟する級に可愛いのだ。

結局、幇禍が婚約者の父親である雇用者を言いくるめ、莫大な金額を使ってまで得たいと思っているのは、彼女の笑顔一つだけだった。
だがその笑顔は、彼にとってどんなものよりも価値があり、彼女の笑顔の為になら、なんだって出来るっていう事は、唯の口説き文句や精神論等でなく、純然たる事実である事が、幇禍という人間の持つ最大の恐ろしさでもあった。

さて、そろそろ全部見て回れたかな?と思う頃、ある一つのガラスケースに目が留まり、幇禍は漫画のように硬直した。
あまつさえ「まさかね…」と苦笑を浮かべ、ケースの前を通り過ぎた後に、「ええええ?!」と叫びながら戻ってくるという、いつの時代だよ?な昭和的コント動作まで披露して、幇禍はぺたんとケースの前に膝をつく。

「く…くく…く、黒須…さん?」

自分の名を呼ぶ声に、緩慢な動作で顔を上げる男。
陰惨な顔立ち、陰険な目つき、顔に相反した美しい黒髪に、何より下半身大蛇の姿が、彼が黒須誠に間違いない事を幇禍に如実に悟らせる。

「…お…前…?」と掠れた声で黒須が幇禍の姿を見止めた瞬間、幇禍は、黒須のその姿…。

血溜まりに身を浸し、心臓に杭を討たれて弱りきっている黒須の姿に、大きく口を開けると…

腹を抱えて大爆笑した。


「アハハハハ、っぅはははははハッはあ、ヒーっヒーーっあははははははははははは!!」


地面をのたうちまわりつつ、床を叩いて笑い続ける。

「え?! え?! お、お前に人の心はあるのかー!!っていうか、超久しぶりに再会して、即座に爆笑されてる俺って何?!」
ぐったりしていつつもこの状況を見逃せないのか、そうツっ込んでくる黒須に「だ…だって…ぶぅっふ…ふはっ…うはははっ…も、ちょ…か、かんべん…あはははっ…く、黒須さん…あ、あんま…笑わせないで…ちょ…く…苦しい…っ!」と、蹲りながら荒い息で途切れ途切れに言う幇禍に、「笑わせてないよね?! ねぇ、俺、全然お前に笑いを取りにいってないよね?! っていうか、ごめん! 虫の息だよね! この姿! お、俺は…お…お前の感性が恐ろしいよ!」と戦慄きながら言う黒須に「あ、まぁ、とりあえずお久しぶりです」と呑気に挨拶して見せて、それから「じゃあ!」と片手を挙げて立ち去りかけた。

「ちょっと、待ったらんかぁぁぁい!」と渾身の声を上げる黒須に、虫の息つったって結構元気じゃんとか思いつつ「何ですか?」と面倒臭げに振り返り。
「おま…お前!この姿見て『あ、助けてやりたいな』とか思わねぇのかよ! お前の心に、なんかそういう優しさとかはないのかよ!」と言ってくる。
「あ、ごめんなさい。 なんか、忙しいんで、これで〜」と言いつつあっさり手を振れば、「だぁら、ちょっと…待てって!」と黒須が怒鳴るので「ふう」と溜息をついて腰に手を当て「ちょっとだけですよ?」と言いつつ、そのケースの前へと歩み寄った。
「うわぁ…凄いムカツク。 むかつくと鼓動って早くなるのな。 お陰さまで、今俺、超心臓痛い」
そう黒須が実感の篭った声で言うので「心臓刺され体験談なんて滅多に語れる人いませんからね。 やったぁ! 黒須さんって超ラッキー★」とウィンクをかましておく。
「あ、もう、心臓どころか、胃もムカムカしてきやがったぞコンチクショウ」
そう忌々しげに告げた黒須は、「お前、今日はどうして此処に?」と聞いてきた。
「今日は、ちょっと色んな関係でこのイベントに招待されまして、俺、賓客なんです、K花市の」
そう自分を指差し答えれば「お前…ほんと正体が見えねぇ…」と黒須は呻いた。
まぁ、自分自身でも、自身に関する事で分からない事は多々あるし、前に訳あって抉ってしまった眼帯の下の右眼も、何故か再生されてくるし、ほんと俺の正体って何なのかしら?なんて自問してしまい、「ねぇ?」と黒須に同意を求めれば、がくっと脱力したように項垂れられる。
「大体、あんたこそ、なんでこんな事に?」と問い掛けてやると、「いや…ちっとな、前に、K麒麟から異種族の子供を攫って逃げ回った事があったんだ。 その子は、寿命がきてたのもあって、結局死なせちまったんだが、どうもその際、ここのDrって奴に目を付けられちまってな…」と説明するので「でも、千年王宮にいれば、拉致られるなんて事ないでしょ?」と疑問点を口にする。
「異世界まで追っ手が掛かるわけもないし…」と幇禍が首を傾げれば「あ、いや、それは、俺がパチンコする為に、こっちに来た時にな、偶々隣で打ってた男がDrだったという、不運な巡り合わせで、こんな事になっちまったんだよ」と黒須があっさり、余りにも間抜けな経緯を告白した。
その瞬間半眼になり「はい、お疲れでーす!」と宣言して、今度こそ本気で立ち去りかける。

「っ! おいおいおい! ちょ、ちょっと待てって!」と黒須が呼び止めども、「アホか! っていうか、アホだ! そんなねぇ、マフィアに関わるような事をやっといて、ノコノコ出歩くあんたが悪い! 自業自得! ちょっと考えれば『あ、今は潜伏しといたほうがいいのかなぁ』って分かるでしょう?!」と怒鳴りつける。
「だって! 新装開店日だったんだもん! 激アツだったんだもん! 行くだろう?! 男なら! 並ぶだろう?! 男なら」
必死に黒須が訴えてくるので、「分かりました。 パチンコの為に、人生棒に振るのも、黒須さんのキャラに合ってて見事って感じですし、どうぞ、がんばって下さい」と平坦な声で言う。
「ちょっ! おい!」
そう必死に呼び止める黒須の声を背に「まぁ、オークションに出されたら、競り落としてあげますよ。 どうせ買手つかないだろうし」とヒラヒラ手を振って言ってやる。

ベイブはどうも財力がありそうだったし、黒須を買った代金の回収は早そうだなんて幇禍は頭の中で算段する。
背中で扉が閉まった倉庫内で「待て! 俺は! Drの研究所行きが決まっちまったから、オークションには出されないんだよ!」と悲痛な声で叫んでいる黒須がいる事なんて、当然、全く気付いてなどいなかった。



「1千万」

ひょいと、札を上げ、テーブルに設置されたマイクにそう告げると、周りの連中が、驚愕したような目で此方を見てくるのが分かる。
ぞくぞくぞくっと快感が走り(うおー! 俺、今、充実!)と胸中で幇禍は喜びの声を上げた。

先ほど落札を約束した、赤い目をした羽の生えた少女が、檻の中で両手を組み合わせ、祈るような眼差しで此方を眺めていた。

現在人身販売を行う組織が、女を一人売り物に仕立て上げ、相手に引き渡すとこまで請け負った際に受け取る報酬が大体300万である。
キメラ達も、モノによるが、大体一体500万円前後で取引されているらしく、相場の二倍近い値を付け、キメラ達を次々と落札している幇禍は、会場内の客たちの好奇心や、羨望の眼差しを今一気に惹き付けていた。

唯でさえ、薔薇姫級の美貌を持ち、派手な外見をしているせいで目立つのに、賓客席である黒革のソファーに一人座り、余裕の表情でキメラ達を次々と競り落としていて、注目を浴びないはずがない。

無事少女も落札でき、両手を合わせ、幇禍に頭を下げる少女にひらひらと手を振ってやると「さて、次は、鰐男だっけ? 落札約束してるのは」とカタログにつけていたチェック部分を確かめる。
(うあー、すげー、きもちいー)と満足の笑みを浮かべていると、軽い足音をさせて、スイと幇禍の座るテーブルの上に、ワインが注がれたグラスが置かれた。
「ああ、ありがとうございます」と言いつつ顔を挙げ、幇禍は表情に出さぬよう気をつけながらも驚愕する。

シュライン・エマ。

草間興信所のスーパー有能事務員が、何故か、フロアレディの格好をしてここにいた。

いや、しかし、婚約者にしか異性としての魅力を感じない、それって、もう変態の領域に突入してるよね?な幇禍ですら、見惚れてしまいそうな、姿をエマはしている。

タイトな光沢のある黒スカートにはサスペンダーがついていて、エマの美しい形の胸を強調していた。
白いシンプルな形のシャツは、ボタンの両サイドに縦フリルがあしらわれており、髪を纏め上げたエマのスッキリした美貌によく似合っている。
スカート丈は確かに凄く短かいが、体に張り付くエマのスタイルの良さが如実に分るようなデザインは、男からすれば「ありがとうございます」と無条件で礼を述べたくなるような光景を生み出してくれていた。

ああ、草間に見せてやりたいなどと、普段は滅多にっていうか、むしろ何があっても感じない友情らしき感情が、幇禍の中に芽生える。
それ程、素晴らしい格好をしたエマは無表情のまま素早く幇禍にメモを手渡すと、銀のお盆を小脇に抱えて立ち去った。
幇禍は人目につかぬよう、そっとメモを確認する。
「助力乞う。 詳細は後で」と書かれたメモに視線を走らせ、間違いなく黒須の事だろうと確信する。

さてはて、どうしたものか。

むしろ、ここで、オークションにて派手に行動し、周囲の目をこっちに向けているほうが、黒須救出も幾分楽になるのでは?と考える。
何しろ、エマの有能さは折り紙つきだ。
彼女が動いている以上、悪い結果になるまいと思いつつ、正直に意訳すれば「助けに行くの めんどい」という理由で、何とかエマの協力要請を断われないかなぁ、買い物愉しいし…なんて考える幇禍。
そんな思案に暮れる幇禍の耳に、今までとは毛色の違うざわめきが届き、幇禍は顔を上げた。


それは、この「K花市」の目玉商品お出ましの合図だった。


色とりどりの美しい花が足元に敷き詰められた鳥篭の形をした檻の中に閉じ込められた美しい男女が会場内に運び込まれる。
それぞれ、華美な衣装で着飾り、美しく装飾されて入るが、皆目は虚ろで、意識が現実にない事を如実に悟らせた。
「キメラじゃないし…いっか…」と呟けど、その華々しいまでの美しさに、幇禍は綺麗な庭を眺めるのと同じような気持ちで眺めいる。

だが、ある薔薇姫を見つけた瞬間、エマを見つけた時と同じだけの衝撃を持って固まった。

金色の髪を結われ、花をたくさん飾られ、赤いドレスを着せられている。
普段のケバく、ファッションセンスの欠片もない姿からかけ離れた美しい姿をしているが、一度素顔を拝んだ事があるので、間違いようがない。

竜子だ。
竜子が、なんでか、薔薇姫としてここに出品されている。

じっと他の「薔薇姫」達と同じく、微動だにせず佇んでいるが、血色の良い頬や、滑らかな肌、そして何より表情が、虚ろな表情を晒す者達よりも、躍動感に満ち、健康的で、華麗な色香を漂わせていた。
(エマさんもいた事だし、彼女も黒須さんの救出の為に動いているのか?)
そう推測し、他の薔薇姫の中にも、竜子と同じ目的の潜入メンバーがいないかと視線を巡らせる。
とはいえ、最近興信所の仕事から遠ざかっていた事もあって、顔見知りは見当たらず、ただ、『薔薇姫』の面々の中でも目に付くのは、黒い透かし模様の精緻なレースが施された大き目な白い立て襟のドレスシャツの上に銀色の十字架モチーフがあしらわれ、いたるところにメタルボタンが付けられているインパクトのあるデザインの、裾の長いジャケットコートを羽織った、ゴシックファッションを身に纏う無性めいたスレンダーな美青年や、黒薔薇のモチーフを濃い黒糸で刺繍で施された和洋折衷の打ち掛けを、豪奢に重ね、美しい絹糸の如き黒髪を背中に流して、十二単を身に纏い、銀色のティアラを頭に飾っている気品ある姫君の如き美少女等は、他の薔薇姫に比べても際立って容姿が美しく、その目にも光があり、幇禍は思わず視線が吸い寄せられた。

「皆様、お待ちかねの目玉商品『薔薇姫』にございます。 どうぞ、お近くで、『花』の状態を御覧になって下さい」

その言葉を合図に、客たちが一斉に立ち上がり、薔薇姫達に近寄っていく。
薔薇姫の全てを見渡す前に、人混みに視界を遮られ、少し苛立ちを感じたが、購入予定もないものの仔細を眺める必要はないかと思い直す。

だが…気になる。

竜子がいた。

エマもいる。

何か、呑気にオークションに参加し続けてなどいられないような騒ぎが起こる予感がしてしょうがない…。

どうにもじっとしていられないような気持ちになり、幇禍は席を立って歩き出す。
興味は然程なかったが、薔薇姫とやら、ちょっと眺めておこうかと、特に人だかりの多い箇所へ足を向けかけた時だった。

「…ちょっと」と言いつつ人混みに紛れ近付いてきていたエマが幇禍の腕を取る。
「エマさん、黒須さんを助けに来たのですか?」
そう問い掛ければ「…あら、知ってるのなら話が早いわ」とエマは頷き、「お願い、手伝って」と両手を合わせた。
「俺としては…愉しくなってきたとこだし、ここでオークションに参加し続けていたら、こっちに注目がきて、エマさん達にも楽させてあげられると思ってるんだけど?」と提案すれば、エマは即座に首を振り「注目なら、これから十分皆の目を引いてくれる騒動がここで起こるわ」と含みを持った声で告げる。
「竜子さん達が?」と言えば笑って頷いて「薔薇姫なんて、大人しいもんじゃないわ。 あの子達は」とエマは言った。


「達」

複数形をエマは使った。 つまり、「他にやっぱり、いるんですね? あの薔薇姫の中に、竜子さん達とチームを組んでるメンツが」と幇禍が問えば頷いて、「向坂嵐君に、七城曜ちゃん。 それから…」とそこまで言って口を噤み、マジマジとエマは幇禍の顔を見る。
「どうしました? 何か付いてます?」と口元をごしごしと擦れば、エマは青ざめながらも首を振り、「…あと舜蘇鼓さんって人も、薔薇姫メンバーよ」と掠れた声で言った。

「うううん、みんな知らないなぁ。 とはいえ、頼りになるメンバーなんでしょ?」と聞けば、エマはこくんと頷く。

「で、その蘇鼓さんは、歌で人心を操る能力を持っていて、もうじき、ここで歌を歌い、会場の人間を催眠状態に陥らせる手筈になってるの」
「え? でも、それじゃあ、竜子さん達も…」
「彼女たちは、蘇鼓さんが歌ってる間は、『千年王宮』に一時避難する。 私達は、デリクさんが作ってくれる次元の歪の中で、蘇鼓さんの歌を聴かないようにするつもりなの。 だから、幇禍さんは、私達に合流して、黒須さん助けるの手伝って頂戴。 あの人、オークションには出されずに、どうもDrの研究所行きが決定しちゃってるみたいで、時間の余裕がもうないの」
そうエマに言われ、まぁ、しょうがないなと頷いた。
ここで竜子達と一緒に暴れるのも楽しそうだが、今回はエマ達と行動を共にした方が良さそうだ。
「分かりました。 お手伝いさせていただきます」と答えれば、エマは安心したように頷いて「ありがとう。 助かる」と礼を述べた。
「いえ、礼は黒須さんから聞くんで、エマさんはいいですよ」と嘯いて、彼女の誘導に従い、あの倉庫フロアに続いているという通気口があるらしいスタッフルームの扉前まで移動した。


「えーと、魏幇禍さんって、デリクさんはお会いした事あったかしら?」
そうこちらを指し示しながら問われた男は、「お顔は千年王宮で一度拝見した事がございマスが、お名前は今、初めて知りましタ」と答え、「デリク・オーロフと申しまス」と片手を差し出す。

ああ、あの時の、魔術師!と、ベイブを発狂状態にまでおいつめた、この油断ならぬ男が、黒須の救出なんてミッションに参加している事に、意外性を感じつつも、、にっこりと笑い返し「どうも! あの時は楽しかったですよねぇ」なんて呑気に返答しておいた。
「全くでス!」と喰えない笑顔で答えてくるデリクに「この人は、ほんと、曲者だなぁ」と自分もよく思われがちな感想を抱く。
デリクと交わした会話は、あの時の騒ぎを知っているエマからすれば「冗談じゃない!」という会話なのか、「どうして、トラブルを喜ぶ人が、興信所に集まる面々には多いのかしら」と頭痛に耐えるような顔を見せた。
そしてもう一人、見知らぬ端正な顔立ちをした男が「初めまして、幇禍さん。 俺は、兎月原正嗣と言います。 えっと、興信所の関係の方で良かったのかな?」と問い掛けてくる。

まるでベルベットの肌触りに似た、心地の良い声の持ち主で、蜂蜜めいた甘い声に、幇禍は素直に「いい声だなぁ」と感じ入る。
見た目も声に相応しい格好よさと、男の色気を持っていて、この人凄いモテんだろうなぁと感じつつ、「あ…はい、初めまして。 興信所の関係っていうか、時々手伝わせて貰ったりする位なんですけど…えーと、兎月原さんも?」と、答えれ「あ、はい、先日、ちょっと、興信所に依頼のあった仕事に関わらせて貰って…」と兎月原は頷いた。
会話を交わす風景は美形二人という事もあって、女性から見れば大変眼福な光景ではあろうが、現状呑気な会話をしている状況ではない。
「…はい、えーと、簡潔に結論から述べると、今から幇禍さんは、半強制的に私達に協力してもらいます」
エマの宣言に、デリクが動揺なく即座に「よろしくお願いしマス」と幇禍に告げ、幇禍も「至らない点が、多々あるかもしれませんが精一杯頑張ります!」等と、事態が若干理解しきれてないせいもあり、トンチキな頑張り宣言を決めておく。
兎月原が、エマに「えーと、話が早いんだか、通じてないんだか、突然メンバーが増えるっていうのは、結構重大な出来事だと思うのだが、こういう感じでいいのか?」と戸惑ったように問い掛ければ「まぁ、こういうメンバーだと、大体こんな感じになるから、兎月原さんも『ああ、話が早いなぁ』とだけ思ってくれてればいいわ」と、物凄く曖昧な説明をして、何だか釈然としないように首を傾げつつも、兎月原も納得してくれた。

デリクが空間を歪め、四人の周りに「空間」のカーテンを構築する。
魔術師だとは知っていたが、こういう力の持ち主だったのかと納得していると、あっという間に四人は歪の壁に囲まれて、外部からの音が一切遮断され、外の風景がぐにゃぐにゃと歪んで目に映るようになった。
この状態になれば、外からは、こちらの様子は一切見えず、ただ、何もない壁が見えているだけになるらしい。
聴く者を催眠状態に陥らせるという歌は、敵味方関係なく、無差別に耳にするものの人心に影響を及ぼすらしいので、こうして何もかも外界を遮断した空間をデリクは作ってくれたのだが、幇禍にしてみれば、初めて見る光景に「うわ! 面白い!」と、はしゃいだ声をあげてしまう。
「こっちの声も、向こうには聞こえなくなるんですよね?」
問いかければ、デリクは笑顔で頷き返してくれ、それから、マジマジと幇禍の顔を眺めてきた。
その眼差しは、先程エマが自分の顔を凝視してきたた時と同じ温度を感じさせ、そんなに俺の顔って今おかしいのかしらん?と不安になる。
デリクは何かを言いかけて口を噤み、幇禍は自分の顔を掌で確認しつつ「どこか変なら、はっきり言ってくれればいいのに…」とちょっと落ち込む。
エマの携帯がバイブ音を奏でた。
どうも竜子と歌が終わった合図するよう約束を交わしてあったらしい。
「…行くわよ」
エマの言葉に皆が頷く。
デリクが、歪めた空間を正常な状態に戻した。

その瞬間目に入った光景は、まぁ、壮絶なものだった。

「だぁああああああらあぁぁああああ!!!」

テーブルの上に仁王立ち、竜子が深紅のドレスを翻して、意味の分からない喚き声をあげながら、派手な火花を散らす武器を両手に抱えて、そこらかしこに撃ちまくってる姿が、まず目に入った。
剣戟の音や、人だかり、何処かからぶっ飛ばされている男達の姿も見える。
そこらかしこで暴動の悲鳴や、怒号が聞こえ、幇禍は「楽しそうだなぁ」とちょっと羨ましく思う。
だが、竜子達を羨んでいる間にするりとデリクを先頭に皆、スタッフルームに滑り込んでおり、幇禍も慌てて後を追った。
外での騒ぎに、内部にいた人間全員飛び出して行ったのだろう。
誰もいないスタッフルームに足を踏み入れると、天井に監視カメラが仕掛けられてるのに気付き、面倒な事になる前にと、サイレンサーを掛けてある銃を両手に構え、視線さえ送らずに幇禍は撃ち抜く。
「プシュッ」と、消音装置独特の気の抜けた音を奏でた銃を不満げに見下ろし、「この音、気合抜けて嫌いなんですよ」と言う幇禍の腕前に、デリクが「ぶらぼー」と拍手を送ってくれた。
「あの外の騒ぎじゃ、銃声ぐらい、誰も気にしないかもな」と兎月原が言えば「いやよ、銃声って、近くで聞くと、暫く耳使い物にならなくなっちゃうんだもの」とエマが不満を口にする。
至極冷静になってみれば、「銃」とか実物を目にする事自体、結構、一般人からすれば、稀な体験になるのだろうが、この四人が、一々、発砲とかに驚くタマな訳もなく、皆、動揺など一切見せずに、速攻で、次の作業に取り掛かった。

まず、兎月原が、椅子の上に立ち、通気口の蓋を押し上げると、腕の力で軽々と、その内部に潜り込む。
続いてデリク、幇禍と続き、最後に幇禍が手を伸ばし、引き上げるのを手伝ってあげながら、エマが通気口に潜り込むと、ずるずるずると、狭く暗い通気口内を、先頭にいる兎月原が予め用意していた細身の懐中電灯の光を頼りに、先に進み始めた。

体力には自信があるので、四つん這いでの移動に然程疲れは感じなかったが、延々と続く道行に精神的な疲弊を感じ、気持ち的に辟易し始めた頃、漸く、本来の目的地である、隠し倉庫の階層の通気口に辿り着いた。
順繰りに床に降り立ち、長い間狭い通路内を固まった姿勢で移動し続けてきた体をぐきぐきと伸ばした後、ふと皆の姿を眺めて思わず噴出す。
埃や、蜘蛛の巣のようなものがみなそこらかしこに引っ掛かり、まぁ、酷い有り様だとしか言いようがない。
自分も勿論同じような状態なのだろう。
四人とも、お互いの姿を眺め、くくくっと体を折り曲げ声を殺して笑いあった後、エマが「竜子ちゃん達とか、薔薇姫とかって、凄い綺麗な姿だったのに、私たちは、こんな状態なんて、割に合わないわ」とおどけた声で言う。
「確かに…あーあ、これなんて、俺、お嬢さんに見立てて貰ったスーツなのに、しこたま怒られます」と、泥遊びを母親に見つかる前の子供のような顔を幇禍はし、デリクも、「ウラが見たら、怒るでしょうネ。 みっともないっテ」と笑った。
「まぁ、いいじゃないですか。 大人になると、中々、こんなに盛大に自分を汚す機会も少ないですから」としれっとした顔で兎月原は言うのを聞いて、本当に悪ガキにでもなった気分になり、また小さく笑うと、それから周囲を見回す。

無機質な真っ白なリノウム張りの廊下。
本日二度目のお目見えに、「黒須さんがいた倉庫は、こっちです」と幇禍は先に立って歩き出した。
皆が目を見開いて見てくるので、「俺、今日ここに案内して貰ってるんですよ。 一応、招待客だから」と言いつつ自分で自分を指示す。
「…監視カメラの位置とか、分る?」
エマに問われ、幇禍は「朧気にですが…」と言いつつ、まるで日常動作を行うが如くの滑らかな動きで、廊下に設置されているカメラを、恐ろしいほどの正確さで、連続して撃ち抜いて見せる。
「こっちに…三台と…向こう側に、二台。 倉庫内にも、幾つかありましたから、俺が先頭で入って、全部壊しちゃいます」
気軽に告げる幇禍につられたかのように、デリクも気軽な調子で頷いて「会場のあの騒ぎっぷりなラ、監視カメラの前に呑気に座ってる人間もいないでしょうガ、此方の様子を知られるのは厄介でス。 念には念を入れた方がいいですシネ」と言う。
「頼りにしてるわよ」とエマが幇禍の肩を叩き、兎月原も「凄い腕前だな」と感嘆するものだから、幇禍は何だか嬉しくなっちゃって、「あんまりおだてると、調子に乗っちゃいますよー?」なんて言いつつ、言葉通りちょっと張り切りつつ、どんどんカメラを撃ち壊し始めた。

倉庫の入り口前、厳重なセキュリティが施されている倉庫内にも、デリクが空間を歪める事によって出来た穴から易々と侵入する。
この人がいれば、銀行強盗とかも簡単そうだよなぁとか不謹慎な事を考えつつ、幇禍は暗闇の中記憶だけを頼りに倉庫内に設置されていた監視カメラを全て撃ち落とした。
暫く、「プシュッ、プシュッ」と例の「気が抜ける」音を連続して響かせ、全て撃ち落とすと音が止み、「あ、その壁の脇に電灯のスイッチがあったと思います」と、皆に告げる。
幇禍の言葉に反応して、エマが倉庫内に灯りを灯してくれた。

一度明滅し、倉庫内が照らし出される。

突然付いた灯りに怯えたように檻の隅に身を寄せるキメラ達に、エマが眉を潜めた。
幾つかの折には、プラスティック製のカードが提げられ「売却済み」の赤文字と、売却先の名前が書いてある。

「…あ…幇禍さん!」

あの、羽の生えた少女が、笑みを浮かべて幇禍に視線を向けてきた。

「あの…ありがとう…ございました。 助けていただいて…!」

そう檻を掴み礼を述べる少女に微笑みかけ、「いえいえ」と答える幇禍。
皆が首を傾げてくるので幇禍は「いえね、事前にここに案内して貰った時に、話しが通じて自由になりたそうなキメラ達に約束したんです。 競り落として、鬼丸精神病院の清掃員なり介護介助職員見りとして引き取るって。 とはいえ…」と苦笑を浮かべ、檻を見回し、「中には、生きる気力ごと失っていて、こっちの話を聞けないキメラも多かったですけどね」と言う。
蛍光灯の真っ白な光の下、兎月原が一つ一つの檻を覗き込みながら、痛ましげな表情を見せる。
幇禍の言葉通り、無気力に身を伏せたまま、こちらの存在も無視し、身じろぐ事もないキメラの姿も目立った。
「…確かに…突然攫われ、理不尽に人の身とは違う姿にされてしまえば、絶望するのも無理はない。 だけど…」
エマも頷き「…でも、このままだと、もっと辛い現実が待ってるのに」と、暗い声で言う。

顔も上げない生き物達。
不条理な現実に、全ての気力を失った残骸。

ここで、無理矢理、彼らを解放し、彼らが今、望んでない自由を与えたとて、それはただの独善に過ぎない。
生きたくない生き物は、淘汰されていくのも、また自然の摂理。
自由になりたくない者は、そのまま蹲っていればいいのだ。

これが、幇禍の下した判断だった。

だが、どうも、曲者の魔術師殿は違ったらしい。

デリクの唇が笑みの形を作る。

「…ここ、防音利いてますよネ?」

デリクの言葉に、意味が分からないながらに、エマと幇禍が同時に頷いた。

デリクは二人の仕草に満足げに頷いて、タッタッと、軽やかに歩き、倉庫の真ん中で進むと、まるで大舞台の真ん中に立つ主演俳優の如く堂々と、滑らかに動く舌先に言葉を乗せる。
圧倒的な程に、聞き入らずにいられない、稀代の名演説を。

「サテ!! さて、さてサテ! 世にモ不幸! 余りニモ悲劇! これ以上ない程ノ、理不尽に見舞われておりマス、皆々様! 大変、ご愁傷様にございまス」

両手を広げ、大音声。
まるで拡声器を通したように、倉庫内にデリクの声が響き渡る。

「人に歴史アリと申しますようニ、人の人生は千差万別。 きっト、皆々様には、それぞれが、それぞれなりの、このような事態に見舞われる経緯がおアリになる事でしょウ! ヤミ組織相手の事ですカラ、突如攫われて来た人ヤ、借金の片になんてお人。 もしかしたラ、何か弱みを握らレテ、已む無くなんてお人もいるかも知れませン。 しかし、一つ共通してイル事は、そウ、貴方方は被害者であるといウ、その事実! 人にハ、尊厳があリ、貴方方の尊厳は、現在、大いに傷付けられている、状況にあル! 大変、ご同情申し上げまス! 本当に、胸が痛いばかりダ!」

芝居がかった仕草で大げさに顔を顰め、倉庫の真ん中で大演説。
檻の中の生き物が、その声、その独特のリズム、耳元で喚きたてるようなその声に、皆一斉に、デリクを凝視する。

まるで、魔法のように。
ザッと音が聞こえる程に、同じタイミングで。

「貴方方ハ、今、虐げられていル! 物語ならバ、正義の味方ガ、あなた方を助けにきてくれるでしょウ! 罪なキ人々を救う、ヒーロー。 ただ力なく項垂れ、祈りの形に、両手を組み合わせていれバ、訪れるメシア!」

そして、デリクは、大声で笑う。
腹の底からの声で。
高らかに。

「誰が為の救世主? 救世主は誰が為ニ。 ああ、残念ながら、貴方方の救世主は、訪れはシナイ! だって、…見たコト ありますカ? そんな都合の良い 存在ヲ?」


空気が揺れた。
ゆらゆらと、温度を上げて。

「私? 違いマス。 そんなに心がけの良い存在ではナイ。 じゃあ、彼らハ? 違いまス。 彼らの主目的は、あなた方を救うコトでは、ナイ。 良いですカ? 蹲っている、方々。 私は、貴方を救いませン。 どうぞ、絶望し続けてくだサイ。 立ち上がらず、踏みしだかレ、牙を剥かズ、人間の尊厳を踏みにじられ果テ、辱めラレ、生き続けて下さイ。 貴方方を愛シテいただろう存在モ、育ててくレタ家族モ、恋人モ、友モ、何もかも、忘れ果てて下さイ! きっと、貴方方を待ち受けるのは、そういう地獄ダ! 生き地獄ダ!」

デリクが笑う。
それは、人を唆す微笑み。
騙す者の言葉。

ペテン師。
彼にぴったりな言葉が幇禍の頭に思い浮かんだ。
だが、ただのペテン師ではない。
騙されぬ者がおらぬ程の、大ペテン師だ、


胡散臭いのに惹き付けられる。
少なくとも、彼の言葉の力は、真実よりも力強く、今、キメラ立ちにとっては、どんな光よりも、眩い。


「…ど…うすれば……」

デリクの傍らにある、狭い檻の中に閉じ込められた、手足に鉤爪を生やされ、額に大きな角を生やされた男が震える声で呻くように問うた。

「どう…すれば良い? こんな…姿で、娘だって…妻だって、受け入れられないだろう?」

「そうよ…彼氏だって…きっと…私だって分んない。 お父さんも…お…お母さんも…こんな、化け物みたいな…姿で帰ってきたら…悲しむよ…」

透き通るような水色の肌と、鮮やかな黄緑の髪をした、水かきのある少女が両手で顔を覆って涙声で呟いた。

「誰にも、見られたくないの、こんな姿。 特に…大切な人には…。 イヤよ…、無理…。 どうしたって、生きてけない…」

赤い瞳に、白い肌、銀色の髪をして、兎の耳を生やした女が、か細い声で言う。

「皆さんモ、同じお気持ちなのですカ?」

デリクは倉庫を見回す。

「皆さん、同じ絶望の中にイル?」

デリクの顔に、ぞっとするような笑みが刻まれた。
幇禍の耳にデリクの幻の声が聞こえる。


It's show time!


心無い言葉を、偽りの真実を、甘やかな幻想を。


されど。

彼らの未来の為に。


「…待ってますヨ。 それでも、貴方方の帰りヲ」

デリクは言った。

「誰かガ、待っていマス。 貴方方を愛していル、人たちガ。 貴方方、だって、一人で生きてきたワケじゃないでしょウ? どんな姿になってモ、待ってくれている人がいマス。 こんな場所デ、訳も分からズ、踏みにじらレテ、これから、誰かの所有物になっテ、人並になんて、扱われない人生ヲ、貴方方が送るコトを、命を賭けてでも、止めたいと思う人がいまス」


幇禍は否定する。

それは、真実ではない。

彼らを待ち受けるのは、酷い偏見の嵐かもしれない。
孤独な人生かもしれない。
誰にも受け入れられない絶望かもしれない。

甘くない現実がある。

魔術師とてそれを知って尚、彼らを唆そうとしているのだろう。

狙いは何だ?
善意からではあるまい。
そんな清らかな性格をしているようには到底見えない。
裏がある。
先の利益を見越した裏が。

だが、同時に、どうしてだろう。
幇禍は、デリクが大層腹を立てているようにも見えた。

キメラ達が、絶望に立ち向かわない、その姿に。


突然の不幸は、誰にでも起こりうる。
自分だってそうだ。

明日の命を、誰も保証してくれはしないだろう。
いつ、事故に会い、手足を失うかだって分からない。
人と違う姿になる事だって、これ程異常な状況でなくても起こり得る。
不幸の運命は、誰にでも降りかかる可能性があるのだ。

平等に。

それは、辛いコトだろう。
ただ、ただ、嘆き、立ち竦みたくなる気持ちも分る。
幾らでも、泣いて蹲って、喚いて、怒れば良い。

でも、今はその時じゃない。

幇禍は何度だって、見てきた。
たくさんの人を見てきた。
興信所に集まる者だってそうだ。

人とは違う何かを持っている。
苦しんだ者もいるかもしれない。
受け入れ、如才なくその能力を享受し生きる者もいるだろう。
他者との差異に頓着せずに生活している者もいるかもしれない。

それでも、生きている。
皆、俯かずに。

強かで、狡猾で、エゴイスティックで、能天気で、単純で、だから、人は。

人は、多分、然程弱くないのだ。


「甘ったれてんじゃナイ!」

デリクが、震え上がるような声で怒鳴る。

「立ち上がらなけれバ! 闘わなけれバ! 誰も、貴方方を救わナイ! 貴方を救うノハ! 貴方自身でしかないのデス! 祈ったっテ、どうしようもないでショウ! 両手を組んだッテ、自由を失くす、だけでショウ! それでも、立ち上がれないと言うのナラ、私は、貴方方を見捨てマス。 サヨウナラ。 ゴキゲンヨウ。 ドウゾ、奴隷の幸せが、見つかるコトを、お祈り申し上げマス」

そう述べ、デリクが演説を終える。
自信の笑みが唇を彩っていた。
キメラ達の空気が変わっていた。

はじめは一人のキメラが、檻を揺すった。

ガチャガチャと金属質の音が倉庫に響き渡る。
そのうち、一人、二人と、檻を揺する者が増え、吼えるような怒号が入り混じり始めた。
硝子ケースの中に入っている者は、その壁を引っ掻き、獣の声で吼える者の声達が、倉庫内を揺らす。

デリクが笑う。
大声で。

幇禍は拍手を送りたいような気持ちになった。

だって これは 最早 ショーだ。
見世物だ。
金が取れる娯楽だ。

バカなキメラ共だ。
人間とは、もう、土台違う生き物にされているのに。
ペテン師の言葉にノせられて。

なんて単純!
なんて気楽な!
なんて、おめでたい連中!

嗚呼、だが、嫌いじゃない。
嫌いじゃない。

怒号が一斉に止み、また全ての生き物がデリクに注目する。

「行きましょウ。 自由の為ニ」

デリクの両手にある痣が光った。
デリクが目を見開けば、倉庫中の檻や、硝子ケースに、人一人が通れる程の大きさの穴が空いた。

空間を歪め作った通り穴を、キメラ達は驚きの声を上げながらも潜り抜ける。

幇禍から見ても大技と分かるような事をやってのけたデリクの額に汗が浮かんでいた。
そこでやっと幇禍は気付いた。

あれ、今回、デリクさんってば、結構本気?って。

黒須の為ではないだろう。
もっと他の誰かの為に、飄々としたこの魔術師が、見た目以上に真剣になっている姿を興味深く眺め、「…お見事」と、惜しみない賞賛をデリクに贈る。
「いえいエ、ご協力感謝いたしマス」
そんな幇禍にこりと笑いかけ、デリクが言ってくるので、幇禍は、「へ?」と首を傾げた。

「えート、皆さんに朗報でス! コチラにいる方は、幇禍さんと仰いまして、皆様の就職先を斡旋してくださるそうでス! ここを逃げ出した後の、社会復帰は中々難しいでしょうシ、是非、お世話になってみては如何でショウ!」

聞いてないぞ?

思わずデリクを凝視すれど、キメラ達からは、歓声のようなものが上っていた。
「いやぁ、彼らにも生活がありマスからネ」
シれっとそう告げられて、「あ、いや、そりゃ、世話はするつもりでしたけど…」と目を瞬かせ答えた後、何だか釈然としない気持ちに陥り、「うーん…」と唸って「何だか、デリクさんに、うまーく、使われてる気がしないでもないですけど、そんな事ないですよね?」と問い掛ける。

全部競り落とすつもりではいたので、良いっちゃあ、良いんだが…と思っていると、デリクは、わざとらしく瞳をきらめかせ「何言ってるんですカ! 心外ナ! 私ハ! 心から、このキメラ達の窮状を救いたいと思ってですネ!」と訴えてきた。
兎月原が、「出会ったばかりなのに、どうしてだろう。 その言葉が信頼できないのは…」と言えば、エマが「…で、本当の狙いは何?」と至極冷静に問い掛ける。
やはり、彼女もデリクの真意は別にあると察していたらしい。
「アハハハハ、酷いなァ、皆さン」と、デリクは軽い調子で言った後、即座に「という訳で、えーと、スイマセーン、はい、こっちから、コッチ側の人はデスね、はい、私の前に、ハイ、一列に並んで下さーイ!」とキメラ達に声を掛ける。

「ハイ! これからの就職先とかもですネ! 保証させては貰いましたガ! 勿論、美味しい話ばかりが続くと思ったら、大間違いダー!」
キメラ達を整列させ、そう拳を振り上げるデリクに、「え? 何、何? そのテンション。 無闇矢鱈に不安なんだけど?」と兎月原がデリクの腕を掴みつつ訴える。
「大丈夫デース! 任せて下さイ」と、大絶賛、信用ならない口調で言いつつ、「じゃあ、こちら側のキメラの方々は、えーと、今から、ちょっとパンキッシュで、リリカルで、ビビットな世界に行って貰いたいと思いまス!」と、宣言する。

幇禍の記憶にある限り、そんな出鱈目な場所は一つだけだ。

エマが戦慄く声で「え? 千年王宮行かせる気なの?!」とデリクに問い掛ける。
「ハイ。 向こうの状況は限りなく逼迫した状況のようでスシ、キメラ化するコトで、戦闘能力が増大している方も大勢いらっしゃるように見受けられまス」と、言っていて、幇禍は、ここで初めて、千年王宮もなんらかのピンチに見舞われているらしいと察する事が出来た。

と、いうより、これまでの流れで考えれば、黒須や竜子が城を離れているからこそ、千年王宮がピンチに陥っていると考えたほうが道理が通るのか。
随分と、竜子と黒須に依存しているように見られたベイブ。
彼が発狂状態になった時、城自体が激しく不安定になった時の事を鑑みるに、城の状態とベイブの精神状態に深い関わりがあると見るのが自然だ。

千年王宮にも、きっと、誰かが向かっているのだなと考えれば案の定、エマが呆れたような顔をしながら「…やっぱり、何か、企んでたんじゃない。 千年王宮にウラちゃんが行ってるから?」と、デリクに尋ねていた。

ウラ。
確か、千年王宮でデリクと酷く親しい様子だった少女の名。

これで全ての合点がいった。
デリクが真剣な様子だったのも、ウラが関わっているからか。

「アれ? ご存知なんですカ?」と笑顔で答えデリクに「…デリクさんが、こんなに解決の為に頑張ってくれてるのって珍しいし、相手が黒須さんで、やる気なんて出さないでしょ?」とエマが、幇禍が感じていた事と同じ台詞を口にして、「やっぱ、みんなそう思うんだなぁ…」とデリクの、万人に通じる普段の様子の不真面目さに、ちょっと面白いような気持ちで思いを馳せる。
エマの言葉に、「流石、エマさン」と答えれば「はふっ…」と大きく息を吐き出して「どんだけ…一筋縄ではいかない人なのよ…」と、エマが呆れたような声を出した。
「でも…私も向こうの様子、心配だし、これは、凄く良い案だと思うわ」
そうエマは言いつつ、「それに、真意がどこにあったにせよ、さっきの演説、私は好きよ」と言って笑った。
「何か、私が言いたかった、もやもやっとしてた事を言葉にしてくれた気がする。 ありがとう。 すっきりしたわ。 デリクさん…結構本気だったでしょ?」
上目遣いに、悪戯っぽくエマに問い掛けられ、デリクがはぐらかすように笑って「サテ、どうでショウ?」と返答する。

幇禍は本気だろうが、嘘だろうが、キメラ達に生きる気力を取り戻させ、こうして次の展開の為に、役立てようとするデリクの言葉の力と、その思惑の強かさは素直に感嘆できたので、真意なんてものはどうでも良いと思っていた。

「でも、やっぱり、そう簡単にはキメラさん達も切り替えが巧くいかないみたいね」
そうエマは言い、不安そうな表情を見せるキメラ達を見回す。
まぁ、無理もない。
今から、別の世界に行って欲しい等と告げられて、不安にならない者の方が少ないだろう。
兎月原が、その様子を見かねてだろう。
大声を張り上げた。

「頼む! これが、最後だ! もう、多分、今までに見たことのない状況とか、辛い目にとかあって、色々信用できなかったり、気持ちが追いついてかないかもしれないけど、とりあえず俺達を信じて欲しい!」
そう兎月原が深く、甘い、色気のある声で真摯に訴えれば、まず、女性のキメラ達が、ほわんと顔を赤らめ、小さく頷く。
エマも、「引き換え条件にするわけじゃないけど、戻ってきてからの、貴方達の生活は、貴方達がやる気さえあれば、保証されているわ!」と、そこまで言って「ってことで良いのよね?」と幇禍に確認を取ってくるので、もう、言っちゃった後に、確認を取られても…と呆れつつも、苦笑を浮かべ頷けば、「なので、就職活動と思って、ちょっとばかり、変な世界に行って貰うけど、絶対に帰ってこれるのは約束するし、どうか向こうにいる三人の女の子達…まぁ、一人は男の子みたいなんだけど…とにかく、彼女達を助けて下さい!」と言い、ぺこんと頭を下げた。

デリクの事前の扇動の効果もあり、エマと兎月原の、デリクとはまた逆方向からの、真摯なアプローチに、キメラ達の気持ちが高まったのが空気で分かる。
デリクは、そんな状況を察してだろう、懐から硝子玉を取り出した。

球体の中には、黒色の渦が浮かんでいる。

その硝子玉を地面に落とし叩き割って渦を現出させると、「はい、では、一列になって、この渦の中にお入り下さイ」と遊園地のアトラクションスタッフの如き口調でデリクは言った。

つまり、あれは千年王宮への入り口か…。
デリクは空間を操る能力の持ち主らしい。
あの城へも自分自身の力で入り口を繋ぐ事が出来るのだろう。
あのガラス玉は、渦を保存し、携帯する為のものなのだろうか?

「向こうでハ既に戦闘が始まっている事ガ予想されまスガ、とりあえず、なんか、見た目的に悪い奴だなーッテ方を、思う存分ぶっ飛ばしてきて下サイ」
そう大雑把な説明をするデリクに呆れたような視線を向け、それから「えーっと…あの、この渦…みたいなのの向こう側が、『千年王宮』なのか?」と、兎月原が問い掛ける。
「ハイ。 あ、兎月原さんは、まだ行った事がないんですヨネ? また、今の状況が落ち着いてからでモ、是非、遊びに行ってみて下サイ。 中々楽しい所ですかラ」とデリクが気楽な調子で答え、先頭のキメラが渦の中に飛び込むのを躊躇しているのを見て、エマが「うーんと…」と一度唸ると「あんまり、よくないんだろうけど、緊急事態だし」と自分に言い聞かせるように呟いた。
一体何をするつもりだろうと興味深く見守れば、エマはゆっくりと口を開く。

「さぁ、キメラちゃん達! 早く行かないと、僕がまた、檻の中に閉じ込めてしまいましゅよ?」

粘ついた、酷く胸糞の悪い声。
驚いてエマに視線を向け彼女の喉からこの声が出ている事を確認すると「声帯模写なんて、特技まで持ってたのか」と目を剥く。
いやいや、多才な人だとは思っていたが、ここまでとはと、感心しつつ、思考を巡らせ、先ほどの声は「Dr」とやらの声かと、推測する。
キメラ達に視線を戻せば、驚いたのと、反射的な恐怖心の為にだろう。
悲鳴めいた声をあげながら、皆が雪崩をうつように異空間へと身を投じ始めた。

「あ、あなた達はいいの! あなた達は!」と残す側に分けたキメラ達も、まるで逃げるかのように渦へと身を投じようとするのを見て、エマは慌てた様子でそう言い、それから再びDrの声で「待て!」と命令した。
よっぽどきつく躾られたのか、その瞬間ぴたっと動作を止めるキメラ達。
今度は渦に向かうキメラ達までも動作を止めようとするのを、「いいから、行って、行って」と促しつつ、「ふいー」と額を拭う。
「Drの声なんて、いつの間にマスターしたんです?」
幇禍の問い掛けに、「いや、役に立つかと思って、前にDrを見た時に、喉の形を観察しておいたのよ」と肩を竦める。
つまり、視認だけで、正確にDrの声を模写したというのか…。
その尋常でなさに、幇禍は(どこまで器用なんだ、この人は)と、息を呑んだ。
実際エマのお陰で、思ったよりスムーズに向こうに救援を送り込めた事にデリクは満足したらしく、「まぁ、数が多いだけでも、充分に戦力になりますシ、えーと、こちら側の人達ハ、今から、ちょっと、オークションが行われていた会場にでも突入して貰っテ、竜子さん達を手伝ってきて貰いましょウ」と提案してきた。
その言葉に、皆が頷いてからふっと、妙に不安な気持ちにさせる沈黙が落ちる。


「あれ…あの、そういえば…黒須さん…は?」


兎月原の呟きに、その瞬間、皆の間に衝撃が走った。


わ す れ て た !


うっかり、すっきり、さっぱり、何の為に此処に侵入したのかを忘れ果てていた、幇禍達。
「あ、すいません! あの、ほら、倉庫に、物凄く気持ちの悪い、不気味の具現者、周囲湿度100%強の中年下半身蛇男がいた筈なんですが、どこへ行ったか知りませんか?」
そう、幇禍がかなり酷い言い様だが、物凄い的確な表現で羽の生えた少女に問えば、「え? その人なら、確か、Drにもう、連れて行かれたような…」と答える。

遅 か っ た !

思わず皆の目が泳ぐ。
潜入したけど、ダメでしたー!という結果の場合どうすればいいのか、全然考えていなかったものだから、(まぁ、俺なりに精一杯やったって事で、成仏してくれ! 黒須さん!)と胸中で呟くって、黒須、諦められるの早!!

「…えー…残念ながら、黒須さんは、もう、私達の知っている黒須さんじゃない姿にされている可能性が大です。 ああ、黒須さんよ永遠にって事で、黙祷あたりをね、皆さんで捧げられたらと思うのですが…」
そう幇禍が提案し、思わず、皆、両手を合わせかけて「駄目だろ!!」と渾身の声で、兎月原が突っ込む。
「いやいやいやいや! 後を追おうよ! なんか、もうちょっと、頑張ろうよ!」
そう兎月原が言えば、デリクと幇禍が期せずして声を揃え、同じタイミングで「「えー、なんか…めんどい…」」と答えた。
エマが、幇禍といる時に良く見せる何かを堪えるような表情で、うんうんと唸った後、「その気持ちは良く分かるわ。 よく分かるけど、ほら、他にもね? 黒須さん救出の為に動いてくれてたり、一応あの人がいないと拙い事になっちゃう人達もいる訳だしね?」と、子供を諌めるような口調で言う。
まぁ、確かに、本丸とも言うべきこの班が、黒須攫われちゃいました!では洒落にならない。
渋々ながら、黒須の行方を追うべく、また作戦を立て直そうとした時だった。

ハッとエマが天井を見据えると「来る!」と叫んだ。
その瞬間、兎月原が無造作なくらいの手つきで右腕を振り上げ、何かを掴み、地面に叩き付ける。


「っ!」

その瞬間、兎月原の掴んだ形の手の先に突如、失神状態に陥っている男が現われた。
目が極端に離れ、こめかみの辺りに大きく飛び出してついている。
鮮やかな黄緑色の肌をして、ダラリと垂れた細長い舌を見て、デリクが呟いた。
「…カメレオンのキメラ」
つまり、擬態能力を身につけているというわけか…。

周囲に不穏な空気が満ちる。
「あーあ、ばれちゃったみたいですねぇ…」

幇禍は、あえて何でもない事のように言った。

エマがじっと目を閉じ、一瞬何かに集中するような表情を見せると、次の瞬間手を跳ね上げ「向こうに、二人! あっちの壁には、三人! それから、また、天井から一人!」と素早く指差す。
どうも音で、その存在の居場所を察しているらしい。
幇禍が、その指先の軌跡を追い続け様に銃を撃ち放す。
エマの指示は的確で、言われた場所を正確に撃ち抜けば、何もない空間から人の姿が浮き上がり、面白いように地面に落ちた。
兎月原もエマの指差す先に向かって足を高く上げ蹴り上げると、まるで相手が見えているかのように敵を叩き落していく。
キメラ達の中でも、気配に聡い者達が、牙を剥き、爪を立てて見えない敵に踊りかかっていっていた。

上出来と、キメラ達が戦闘本能を忘れていない事に満足感を覚える。

キーと耳障りな鳴き声が聞こえ、尋常でない速さで蝙蝠の羽根を生やしたキメラが鋭い牙を剥き、壁を蹴って幇禍達に向かって急降下してきたが、
デリクが「…いただきます」と呟けば、彼の影が突如巨大化し、化け物めいた姿になると一呑みに蝙蝠型のキメラを飲み込んだ。

跳躍力の高いキメラや、翼のあるキメラ達も応戦し、異形VS異形の俄には現実とは思えないような戦闘風景が繰り広げられる。

「っ! キリがない!」

聴力のみで、擬態する敵の位置を把握し、その位置をナビしていたエマが、悲鳴じみた声で喚く。
こちらもキメラの増援があるとはいえ、実戦経験は然程ない存在が多く、戦闘用ではなく、愛玩用のキメラも多く含まれる為、連携が取れずに、思うように攻撃が出来ない。
(面倒臭いな…。 もっと、固まってくれれば、話は簡単なのに…)
そう苛立ちを感じた瞬間、パン!と一回手を打ち鳴らす音が響き渡り、敵の攻撃がピタリと止まった。
ゾワリと不穏な空気が自分の周囲を押し包んでいるのを感じながら、音のした方へ視線を向ける。

パン、パン、パンと、間の開いた拍手。

「いやぁ、しゅごい、しゅごい! 面白いものを、見せて貰いました! ねぇ、蛇ちゃん、あの子達、蛇ちゃんのお友達?」

漸く、お出まし。

白衣を着た、異様に身長の低い男が緩慢な仕草で手を叩く。

Dr。 このキメラ達の創造主。
足元には、ここまで引きづられて来たのか、べったりの血の痕を床に残してきている黒須が下半身が蛇のままの姿で、ずるりと倒れ伏している。
長い髪が床に散らばっていた。
緩慢な仕草で顔を上げるも、もう声も出ないのか、唇を微かに動かしただけで、再び地に伏す。


「キメラちゃん達には、みーんな肩甲骨の下にGPS発信機を埋め込んであるんでしゅ。 何だか不穏な動きを見せているので、慌てて様子を見にくれば…よくも…やってくれましたねぇ…という所でしゅか? オークションは滅茶苦茶、その上、この悪い子ちゃん達も、逃がしちゃうつもりでしゅか?」

Drが笑う。

「あれぇ? キメラちゃんの数が、大分少ないようでしゅが、どこにやりました?」

キロリと音を立てそうな動きを見せて、Drがこちらを見た。
ざわりとキメラ達が怯え、空気が揺れる。

「檻の中の窮屈さに耐えカね、自由を求めて飛び立ちましタ。 行方は追うのも野暮というモノ。 新たな旅立ちを祝ってあげようじゃありませんカ」

デリクがそう悠然と告げれば、Drは益々首を傾げる。

「…王宮にやったのでしゅか?」

低い声。
愉悦を含んでいるかのような。

「そうでしょう? 君達の誰かが、王宮の鍵を持ってるんでしゅか? 向こうは、今、猫ちゃんが掌握しようとしている筈。 赤ちゃんの子守のお手伝いに行かせたのでしゅか?」

何を言っている?
幇禍は、言葉の意味を掴みかねて混乱する。

何故、Drが千年王宮の存在を知っているのか?

「…チェシャ猫」

デリクの呟きにDrが笑う。

幇禍はそこで、一つの事実に漸く気付いた。


マフィアとマッドサイエンスト。
全く分野の違う者同士が、協力者としてではなく、構成員として、ここまで深く組織内部に食い込み、No2なんて地位を与えられる程に、のし上がれた理由。

まるで、時が期するのを待ちかねていたかのように、反乱を起こした千年王宮の住人達。



Q.誰が、マフィアと、サイエンストを繋いだか?


ああ…チェシャ猫…。



「君が探偵役?」

Drがデリクに笑いかける。

「だったら、そちらの美しい女性がヒロインで、素敵な二人はWヒーローってとこかな? 蛇ちゃんは、哀れな怪物でしゅか? 可哀想にねぇ…」

エマが、冷静な声でDrに告げた。

「観念した方が良いわ。 この方々の反乱に加え、オークションでの騒動。 貴方の業界じゃあ、評判が何よりモノを言う筈よ? この失点は、そうそう取り返せはしない」
エマの言葉に続いて、幇禍はひらひらと手を振って満面の笑みを浮かべると「ていうか、取り返させません。 俺、鬼丸組の者なんで、揉み消そうとしても、日本ではシノギ出来ない位、同業者の間に話広めさせて頂きます」と言い、ツイと唇を釣り上げた。
「貴方達、ちょっと調子に乗りすぎましたね」
低めの凄みのある声でそう言い、ヒタリとDr狙って銃を構える。
兎月原が、Drを睨み据え、最後通告を口にした。
「黒須さんを、解放するんだ。 命までは、この場では取らない。 誰かを裁こうなんて分際でもないんでね。 この国の法律に委ねてやるよ。 大人しく、投降した方が…」
その言葉を手を振って遮り、Drは溜息を吐く。

「御託はいいでしゅ。 つまんないんだもん。 王宮やら、オークション会場やらで暴れているのは、君達のお仲間でしゅよね? 僕の邪魔をしないで下しゃいよぉ。 別にこんな、小さな国での評判も、組織の行く末も何もかも、あの王宮さえ手に入れば、どうでも良いんでしゅ。 僕の役目は、呉虎杰のあの王宮の王様にしてあげる事。 君達は、キメラちゃんにしてあげましゅ。 みんな綺麗でしゅから、とっても良い材料になりましゅ。 この子と違ってね」
蹲ったままの黒須の頭を転がすように蹴り付け、そして、ふと、キメラ達を見回した。

「お祝い…って 言ったよね?」

デリクを見る。

「この子達の門出をお祝いしてって?」

ポケットからひょいと取り出したのは、小さなスティック上のスイッチ。

顔も上げられずにいた黒須が悲鳴めいた声をあげ、Drに取り縋った。

「っ! …やめろ!」

カチッと軽い音を立てて、スイッチは押された。


「じゃあ お花を贈ってあげましゅ」

クラッカーみたいな音だった、

パンって 弾ける音が 連続して 鼓膜を揺らす。


赤い花が

たくさん 咲いた


べたりと幇禍の頬に、熱い何かが張り付いた。
幇禍は、Drを見据えたまま自分の頬に指先を伸ばした。

摘み上げたのは、血塗れの肉片。

一瞬遅れて、幇禍にも降り注ぐ生温い深紅の雨と共に、ボトボトと音を立てて、空中戦を繰り広げていたキメラ達が落ちてきた。


みんな、頭が爆ぜていた。


「紅い花でしゅ。 綺麗でしゅねぇ…」

Drが朗らかに笑う。

ずるりと何者かが幇禍に抱きつくようにして、体を寄せてきた。

ゆっくりと視線を向ければ、頭が割れた、羽の生えた少女が赤い目を瞬かせ、幇禍を見つめている。

「幇禍…さ…ん…。 おか…さ…んに…は…は…んばーぐ…食べられ…なくて…ごめ…んね…って」
そこまで言って、「あ…ああ…」と意味のない呻き声を上げると、ふっと少女は幇禍の目を見つめ「最後に幇禍さんに会えてよかった」と優しい位の穏やかな声で呟いて、小さく笑い、そのまま床に倒れこんだ。

「安全装置。 キメラちゃんが、悪い子ちゃんで、反抗してきた時に、すぐに『処分』できるようお客様にお渡ししてるんでしゅよ。 後頭部に埋め込んである爆弾のスイッチをね? これは、今回納入予定の全キメラ達の爆破スイッチ。 K麒麟の商品は、アフターケアもばっちりの、良品ばかりでしゅ。 折角たくさんお買い上げいただいてたのに、楽しんでもらえなくて、とっても残念でしゅ」

そう言いながら幇禍に笑いかけ、そして、血の雨に打たれた幇禍達を眺めて、Drは大声で笑った。

「蛇ちゃんのせいでしゅ」

転がったまま動かない黒須の体に、もう一発蹴りを入れる。

「蛇ちゃんをお友達が助けに来たから こんな事になったんでしゅ」

仰向けに転がる黒須の胸を、Drは踏み躙り、優しい位の声で言った。

「お前 そんなに醜くて こんなにたくさんの命を犠牲にして 全部 お前のせいだよ こんな事になるのなら いっそ 生まれてこなきゃ よかったのにね」

再び、気が狂ったような声で笑い、キトキトと不安定に揺れる目が、再び幇禍達に向けられた。

「さて…これから、どうしましゅ?」


〜to be continued〜





□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【3432/ デリク・オーロフ  / 男性 / 31歳 / 魔術師】
【3343/ 魏・幇禍 (ぎ・ふうか) / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
【0086/ シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【7521/ 兎月原・正嗣 / 男性 / 33歳 / 出張ホスト兼経営者 】
【3678/ 舜・蘇鼓 (しゅん・すぅこ) / 男性 / 999歳 / 道端の弾き語り/中国妖怪 】
【4582/ 七城・曜 (ななしろ・ひかり)/ 女性 / 17歳 / 女子高生(極道陰陽師)】
【2380/ 向坂・嵐/ 男性 / 19歳 / バイク便ライダー】
【2863/ 蒼王・翼  / 女性 / 16歳 / F1レーサー 闇の皇女】
【3427/ ウラ・フレンツヒェン  / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【4236/ 水無瀬・燐 (みなせ・りん)  / 女性 / 13歳 / 中学生】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
お届けが遅くなってしまい大変申し訳御座いませんでした。
今回は前編のお届けに御座います。
是非続けて後編も参加くださいますようお願い申し上げます。

それでは少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

momiziでした。