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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


【東京衛生博覧会 前編】



真っ黒な壁。
闇の中に閉じ込められているみたいだと城ヶ崎竜子は思った。

薔薇の花びらが。

とめどなく降り注いでいる。
金色の髪が風もないのに揺れていた。

かさかさに乾いた唇が微かに震える。
竜子の首に縋り付いているのは、灰色の王様。
本来ならば玉間となっている部屋は、「出口も入り口もない」部屋、大きな正方形の箱へと変化を遂げていた。

「ベイブ…ベイブ…いい子だから、放しておくれよ…。 あたい、誠を助けに行かなきゃなんねぇんだ」

真っ白な髪を優しく撫でながら竜子は子供に言い聞かせる母親のような口調で言う。
ベイブは何も答えないまま、竜子の体に抱きついて動かない。
ゆっくりとその頭を撫でながら竜子は、泣き出したいような気持ちになった。

いや、実際泣いたのだ、何度も。

ベイブと一緒にこの箱に閉じこもり、一体どれだけの時間が経ったというのだろう。
黒須が、中国系マフィアのK麒麟に攫われた。
まだ、ベイブの状態が此処まで酷くなく、白雪によって黒須の現状を知る事が出来ていた時は、まだ、対策を練る余裕があった。
だが、ただでさえ、普段から正気と狂気の間を行ったり来たりし、竜子と黒須の存在で辛うじて、理性を保っていたベイブのか細い神経は、突如前触れもなく、呆気ない程に壊れた。
当然、彼の精神状態を反映して様相を変える、「千年王宮」も狂った姿へと変貌し、竜子はこうして、彼の心に閉じ込められた。
ベイブの精神状態を快方に向かわせる為には、どうしても黒須の存在が必要不可欠だし、完全にベイブが壊れてしまえば、千年王宮自体が崩壊し、王宮に住む無数の住人が現実世界へと流れ出て深刻な影響を日本、もしくは世界にすら与えるかも知れない。

未だ18の少女である竜子の肩に乗っている使命は余りに重く、辛い。

竜子は自分で自分の体を抱きしめて、小さく小さく呟いた。

「誰か 助けて」

ポロリと閉じた瞼から小さな雫が転がり落ちる。

その瞬間、竜子は背後から優しい腕に抱きすくめられた。

「オーケィ。 女王様。 手を貸してやるよ」

息を呑む。
薔薇の花びらが、竜子の肩に、首に、頬に滑り落ち、その花びらの愛撫を遮るように、道化師が竜子の顔を覗きこんだ。

「ハロー? ハロー? ハロー? ご機嫌はいかが?」

道化師は笑って、ベイブの様子に視線を走らせる。

「あーあー、酷い様子だ。  ジャバウォッキーはいない。 ベイブはこんな状態。 女王様は、お疲れのご様子。 誰が、私と遊んでくれる? さぁて、さて、どうしようかねぇ?」

この部屋にどうやって入ってきたかなんて事、もうどうだって良かった。
竜子は悲鳴のような声で「助けてくれ!!」と叫ぶ。
道化師は、目を眇め、そんな竜子を見下ろして「ま、ガラじゃないんだがねぇ」と言った後、ついと、正面を見据えた。
「それでも、私は、こう見えて結構フェミニストなんで、女の子の泣き声っつうのは我慢ならないんだ」

その瞬間、黒い壁に細い隙間が生じる。
ズ、ズズズと開く壁の無効から白い光が差し込んだ。
次の瞬間「ベイブ様!!」とベイブの名を呼びながら転がり込んでくる少女が一人。
真っ白な肌、真っ白な服、白雪が一目散にこちらに駆け寄ってきた。
この部屋の外側から、なんとか此処に入ろうとしていたのか、その爪は剥がれ、指先が血だらけになっていた。
「ベイブ様! ベイブ様ぁ!!!」
何度も繰り返し名を呼びながら、膝をつき、泣き伏してベイブの体に取りすがる白雪に、竜子は掠れた声で「外の状況は?」と問い掛けた。
「城の連中はどうしてる?」
その言葉にキッと睨み返してくる白雪を、竜子は、彼女という人間の性質を考えれば異質なほどの厳かな目で見返した。
白雪は、その目に気圧されるように「…チェシャ猫が反乱を起こした。 最下層に閉じ込められていた筈なのに、あの女、この期に、この城を乗っ取ろうとしている。 既に、彼女にたらし込まれたこの城の下層住人達が、この上層を闊歩し、好き勝手に振舞ってるわ。 この部屋も危うい。 ここに踏み入れられれば…」と、そこまで言って、震えたまま竜子に縋りついているベイブに震える手を伸ばし、血塗れの指先で頬にそっと触れると「ベイブ様は、もう壊れ果ててしまう」と呻く。
竜子は、ぎゅっと目を閉じ、そして、道化師に問うた。

「どうすれば…いい?」

道化師は、二人の少女を交互に見比べると「中々の難問だ」と言って肩を竦め、それから、竜子に「三つ」の課題を与えた。




SideB

【七城・曜 編】


「…もうちょっと待っててね? あとちょっとで固まるから」
冷蔵庫を覗き込んだ後、振り返り、そう告げる興信所の事務員であるエマに、「あ、おかまいなく…」と、律儀な調子で曜は言葉を返した。
知的な美貌を和やかに緩ませながら、「今日水饅頭作ったから食べて行きなさいよ」と気安い調子で薦めてくれたのはシュライン・エマでその気遣いに、「すいません、急に寄らせて貰ったのに…」と、曜は遠慮深いところを見せる。

というのも、今日の休日。
学校の部活動の練習に向かう前に済ませておこうと、最近興信所経由で請け負って貰った退魔仕事の報告を先ほどまで行っていたところだった。

「…依頼者も、凄く感謝してるわ。 流石ってところかしら?」
今まで、一緒に事件を解決した事こそないが、大変有能であると伝え聞いているエマに、賞賛の声を贈られて、面映い気持ちになりつつ静かに微笑み「いえ…」とだけ短く答える。
そんな曜の奥ゆかしい態度に、エマがニコリと微笑んで「麦茶、お代わりいかが?」と声を掛けた時だった。
「ただいまって…あれ? …客じゃねぇのかよ」
外出から帰宅し、そうつまらなそうに言う武彦に、「随分な言い方だな。 この暑い中、仕事の報告に来てやったというのに」と曜が片眉を上げて、抗議する。
片耳を人差し指で塞ぎつつ「へぇ、へぇ…育ちが悪ぃもんで、デリカシーがなくてすいませんねぇ…」と受け流しつつエマに「変わったことは?」と問いかければ「別になぁんにも! あんまり暇だったから、水饅頭作っちゃった」とエマは笑った。
「へぇ…いいねぇ。 こんだけ暑いと、冷たいもんが欲しくなる」
武彦がそう言いつつ、ジャケットを脱ぐのをエマは手伝ってやりながら、「でも、武彦さんの分は、折角来てくれた曜ちゃんをないがしろにしたので、ありません」と悪戯っぽい表情で告げる。
途端に眉を下げて「マジで?」と、情けない顔を見せる武彦。
まるで、飼い主に叱られた犬のような、しょぼくれつつも甘えている事が分かる表情に、曜は、何だか溜息を吐きたいような気持ちにもなる。

恋人同士というものは、こういう空気になるのかと、ぼんやり眺めていると、「…んふふ、ごめんなさいは?」とエマが顔を覗きこんで嬉しそうに言えば、うーんと顔を天井に向け、それから曜に向かって「悪かった」と詫びた。

なんだろう。
この謝られているのに釈然としないムカつきは、と思い、ああ、これが「あてられてる」というのだなと納得する。
「お邪魔ですか?」と言って立ち去りたい気持ちにもなるが、エマが折角水饅頭を用意してくれているのに、ここで帰っては失礼に当ると生真面目な曜は、この一時を耐え忍ぶ覚悟を決める。
武彦に「上出来、上出来」と頷くと「もう、そろそろ冷えたかな〜♪」と鼻歌交じりに、エマは冷蔵庫をチェックしにキッチンに姿を消した。

半眼になって、曜は武彦を眺める。

「いいな。 素敵な恋人がいて」と言えば、武彦、むぐっとなんともいえない表情を見せる。
「エマさんのような人が、お前に惚れている事が信じられんというか、なんか、奇跡だろう。 お前、もう、後の人生不幸しかないぞ」と言えば、「てめぇ! それでなくとも、最近不幸続きの俺に、なんて不吉な事を!」と武彦が怒鳴る。
「ねぇ、どの位食べられる?」と言いながら、曜がいる応接間に顔を出すので、曜は思わず、エマを意味ありげな笑みを浮かべながら眺めた。
「ん? なぁに?」
首を傾げるエマに、「いや、羨ましいなと思って」と曜は言い、しみじみとした調子で「本当に、仲良いですよね」と言葉を続ける。
キョトンとした可愛らしい表情を見せた後、目を数回パチパチと瞬かせ、それから、「うーむ…」とエマが唸る。
困らせてしまったか?と危ぶめば、エマより先に、思いっきり顔を赤くして、「大人をからかうな!」と喚く武彦が目に入り、エマは「ぷふっ」と噴出すと、「ありがと」と、流石大人というべき余裕で曜に礼を述べた。
やはり、武彦には勿体ないお人だと感嘆すれば、「で? 水饅頭はどれ位食べ…られ……?」とエマが途中まで問うて、そのまま固まる。
視線の先は曜の後ろに注がれていて、曜訝しく重い振り返れば、そこにはこの暑さだと言うのに、黒いタキシードに黒い帽子を被った奇妙な男が立っていた。

「…道化師…さん?」

エマが小さく呟く。

いつの間に現れた?

気配に聡いはずの自分が全く気付けなかったその事にも、驚愕しつつ、その男の姿に目を見開いたまま息を呑む。

「ハロー? ハロー? ハロー? ご機嫌はいかが?」

ひらひらと片手を挙げてそう言う道化師とやらに、曜は跳ね起きるようにしてソファーから立ち上がり、武彦が慌てた様子でエマの傍に走りよって自分の傍に引き寄せた。
「っ! あ、ごめんなさい! ちょ、ちょっと待って、ちょっと待って!」と言いつつ、エマが道化師だとかいう男を指差す。
「知り合いなの!」というエマの言葉に、「「知り合い?」」と2人異口同音で疑問符を口にする。

確かにエマはこの道化師の事を知っているように見受けられたが、しかし、以下にも怪しい風体の、気配のないこの男を、本能がどうしても警戒してしまう。
エマが、何処か不安げに「…どうしたの? 何か緊急事態?」と道化に問い掛けた。
すると道化師が「とっても、とっても、とってもね」とふざけたような声で返し、曜は何だか脱力するような気持ちにもなる。
なぜ、こんな男にエマがこれほど焦って対応する意味が分からない。
「ジャバウォッキーが攫われて、ベイブは発狂寸前に。 チェシャ猫が反乱を起こし王宮の崩壊の危機! ベイブがぶっ壊れて、支配権が完全にチェシャ猫に移ったら、彼女が引き起こす混沌は、この世界にも多大な影響を与えてしまう! つまり、ちょっとした世界の危機が訪れっちまってるというわけ」と言う道化師の言葉は、ちんぷんかんぷんで、おとぎ話かと思えども、エマの驚きようを見れば、どうもそうではないらしい。
「それって、凄いやばいじゃない?!」と悲鳴じみた声を上げたエマを鑑みるに、この怪しい道化師が言っている事はあながち嘘とは限らなそうだ。
何しろ、エマはこの興信所の古株で、ありとあらゆる事件に関わってきたエキスパートでもある。
ただの、妄想めいた絵空事の話なら、こんなに焦ることもないだろう。

「…人数がいるの?」
「それなりに」
「黒須さんは、どこに捕まってるの?」
「メサイアビル」
「どうして?! 誰が!」
「K麒麟の連中の差し金さ」

エマと道化師が矢継ぎ早に会話を交わす。
黒須? ジャバウォッキーとは黒須という人の事なのか。
何にしろ、それは、中々物騒な話だ。
何より…。

「K麒麟」

裏の世界では有名な、新興マフィアの名前だった。
薬のシノギを手広くやっているからというよりは、やはり「キメラ」開発の代名詞として、曜も記憶している。
人の体と、別種族を掛け合わせる恐るべき禁忌の研究。
その上、そのキメラ達を「K花市」なる如何わしいオークションにて販売している事は、曜の実家でも由々しき事態として取り沙汰されていた。
曜自身、話を聞いた時には、そのおぞましさに、吐き気を覚えたのだ。

人の尊厳を、なんだと思っているんだ。

怒りに似た感情を抱く相手ではあるが、まさか、こんなところで聞くとは思わなかった。

道化師が、「あんたの力が必要だ」と告げるに至って、エマは素早く、出かける準備を始めているのを眺めていると、「…私は、黒須さんを助けに行くわ。 メサイアの内部情報なら、手に入るツテに心当たりがある」と、そう告げる。

エマは関わる事に決めたらしい。
事情はよく分からぬが、あの組織に少しでも痛手を与えられるのなら…と、曜も立ち上がり「K麒麟の名を聞いたからには、捨て置けない。 仔細を聞かせて貰えないか?」と、道化師に声を掛ける。
大体、先程の話の中に「世界の危機」等という言葉も含まれていた気がする。
ただの、この男の妄想でないのなら、これはとんでもない事態に立ち会ってるのではないのだろうか?と不安になれば、「手伝ってくれんのかい?」と聞き返され、曜は逡巡した後、慎重な声で「…いや、話を聞くまでは返答は出来ん」と答える。
まだ、詳細は分からないのだ。

いきなり現れた怪しい男に、千年王宮だの、なんだの、意味の分からない話をされて、それで協力するなどと、即座に言えるはずもないだろう。
それでも、こうして声を上げたのは、K麒麟に含む感情が多々あるからで、加えて必死な様子のエマの何か手助けになればと思う気持ちもあった。
「…だが、K麒麟は余り良い噂を聞かない組織だ。  その上、先程までの会話から察する限りじゃ、人攫いが行われたようだし、話によっては協力は惜しまん」と曜が言えば「人攫いっつうか、蛇攫いいだけどね」と言い、「あひゃひゃ」と道化師は笑い声をあげる。
その余りにも不真面目な態度に、むっと曜は苛立った。
大体素性の知れぬこの男。
千年王宮というとこが、どういう場所か分からないのも不安だが、エマの知り合いという事で、今のところは話を聞いてやっているが、困っているところを助けてやろうとしているのに、肝心の話を持ち込んできた相手がこの態度というのが腹立たしい。
その上、値踏みするようにじろじろ曜を眺めて「お嬢さんには、女王を助けにいって貰った方が良さそうだ」と呟く。
女王を助ける?という言葉に、何故か、びらびらのドレスを着た女王様が「ほーっほほほ」と口に手をあてて笑っている姿を思い浮かべると、エマは、その女王とやらも知っているのか、「女王…竜子ちゃん?! 竜子ちゃんも、こっちにいるの?」と道化師に聞いていた。
「ああ」と頷いて、それから曜に向かって「まぁ、こちらも詳しい話は女王に直接聞いてもらうとしよう。 ちょっとばかり、急いでいるもんでね。 青山のメサイアビルの周辺にピンクのジャージ姿の、弱りきった金髪の小汚い女がいる筈だ。 名前は竜子。 彼女の手助けをしてくれれば、K麒麟に自ずと辿り着くようになっている。 とりあえず、話だけでも聞いてやってくれよ」と言いウィンクをしてくる。
その仕草にも不快感を覚えつつも、のっぴきならない事態に瀕している事だけは分かっていたので、大人しく頷いて「…分かった。 メサイアビルの付近だな?」と曜は、興信所の出口に向かいかける。
「でも…今、お城の状態も、凄く不安定なのよね? その、大丈夫なのかしら?」とエマが問えば、道化師は溜息を一つ吐き、「確かに、王様は、限界間近。 完全に虫の息さ。 あの人が壊れちまったら、元も子もなくなっちまうしねぇ…」と彼にしては、暗めの答えた。

ん? 何だか知らないが、その王様が壊れて、チェシャ猫とかいう奴に、城を乗っ取られたなら、この世界にも多大な影響を与えてしまうとかなんとか言ってなかったっけ?

荒唐無稽な…と思えど、あのエマが至って本気で憂いていて、曜も、興信所のドアに手を掛けたまま、どんどん不安を募らせる。

つまり、体調が悪い王様を元気にしてやれば、まだ、なんとか状況は保つんだよな?

そう、先程の道化師の話から判断した曜は、逡巡しつつも、「その、すまん。 話が見えないのだが…なんだ、その、千年王宮だとか言う場所の『王様』という人を元気にさせる事が出来れば、その、危機状況を先延ばしにする事が出来るのか?」と、曜は道化師に聞いた。
道化師は大きく頷いて「でも、あの王様を回復させるのは、中々至難の技だと思うぜ?」と答えてくる。

いや、いる。
その至難の技を、きっとこなせるであろう人物が…。

脳裏に浮かぶは、黙って笑っていれば天使のように愛らしい、暴走甚だしい弾丸娘の姿。

「いや…一人…心当たり…が…」

と、そこまで曜が言った所で、バン!と大きな音を立てて興信所の扉が勢い良く開けられる。
「おお! やはり、ここにおった!」
そう言いながら飛び込んできたのは、まさに、先程の売りに浮かんでいた姿と一致していて、ふわふわと裾の広がったピンク色のワンピースを着て、大きなリボンで髪をポニーテイルにした少女が「曜先輩! 今日は、燐とクレープを食べに行く約束をしておったのに、忘れたのか?!」と喚くように問い掛けてくる。

水無瀬燐。

曜が通う、中高一貫性のお嬢様学校の、中等部の後輩だった。
男が眼中にないせいか、何故だか「おねーさま」等と危ない感じに、後輩たちから慕われる曜であれど、その後輩たちの中でも特に熱烈に、曜を追っかけてくれているのが燐だ。
とはいえ、燐は、破天荒な性格で、自爆行為も目立つトラブルメーカーではあるが、何だか憎めない愛らしいとこもあり、今だって、暑い中懸命に、曜を探してくれていたのだろう、「はひっ、はひっ」と荒い息をこぼしつつも、大きな目でぎゅうと曜を見つめてくる。

そういえば、そんな約束を大分前にしたような……、とすっかり忘れていた曜は、すまない事をしたと、心内で反省していると、「早う行かねば、燐の大好きなチョコバナナフレークが売り切れてしまう! あれは、是非、曜先輩にも食してもらいたい逸品なのじゃ!」と、ぐいぐいと腕を強く引っぱってくる。

しかし、何というタイミング。
望んだ人物が向こうから飛び込んでくるなんて…。

「これも、何かも導きか」と曜は目を見開きながら呟いた。
燐が「導き?」と首を傾げた後、此方に視線を向け「おお! エマ! 草間! お主らもおったのか!」と明らかに、曜しか目に入ってないんだろうなぁ…というような事をのたまう。
そんな燐の肩を掴むと、曜は身を屈め視線を合わせた。
「約束を忘れていてすまなかった。 この埋め合わせは、必ずする」
そう心からの詫びの言葉を口にすれば、燐は、間近に曜の凛々しい顔を眺めているせいもあるのだろう。
頬を少し染めながらも、コクンと素直に頷いてくれる。

「…だが、また、それとは別に、一つ、燐に頼みたい事があるんだ」
そう曜が言えば、燐は大きな目をパチパチパチッと瞬かせ「頼み? 曜先輩が?」と首を傾げた。

「ああ、そうだ。 勿論嫌なら断わって欲しいし、無理強いをする気はない。 だが、燐にしか出来ない事なんだ」と曜は静かな口調で言った。
燐はその、曜の姿に魅入られるように、曜の目を凝視する。
「…と、その前に、まず、燐。 悪いんだけど、血を一滴くれないか? 酷く弱っている人がいるそうなんでね?」と言いつつ手を差し出す曜に、普段やたら態度のでかい振る舞いが目立つ燐が、逆らう素振りも見せず恭しく、曜の手の上に自分の掌を乗せる。

確か、あの道化師は、女王竜子が、酷く弱っているとか言っていた。
どんな人かは知らないが、これから一緒に行動する可能性のある人物が、息も絶え絶えでは、此方の行動にも支障が出る。

曜が細い針でチクリと指先を刺し、脱脂綿にその血液を含ませるのを、燐がうっとりと眺めていた。

彼女の血は、万能の奇跡の薬だ。
どんな怪我や病とてたちどころに癒し、強力な呪いさえ霧散霧消する。
弱っているという竜子とて、この血を飲めば、すぐに回復するだろうと思い、「…ありがとう。 痛くなかった?」と、曜が問いかけ「ちっともなのじゃ」と笑い返す燐。
その笑顔が健気で、「いい子だ」と頭を撫でてやると、それから再び、燐の肩にや優しく手を置くと、「…さて、私が今からキミに頼みたい事と言うのはね? 千年王宮という場所に住んでいる王様が、チェシャ猫という敵に襲われて凄くピンチらしい。 王様は、今、体調が悪く、チェシャ猫に負けてしまいそうなんだ。 王様がやられてしまったら、その城は大変な事になってしまい、この世界にまで良くない影響を与えるんだ。 私は、王様の仲間を手助けに行こうと思う。 だから、燐は…」と、曜がそこまで言った所で、分かっているのかいないのか、なんだか夢中な様子で曜を眺めていた燐は、大きく頷き、その手を取ると、「燐は…燐は…曜先輩に、こんな風に頼られて、今、猛烈に感激しておるのじゃ! 大好きな曜先輩の頼み、燐が断わる筈なかろう! 任せておいて下され! 燐が、その千年王宮とやらに参って、邪悪なるちぇしゃ猫を討ち滅ぼして見せましょうぞ!」と、力強く宣言する。

あ、いや、まずは、千年王宮という場所が、どういう所なのか聞いてから、判断をして貰おうと思っていたのだが…。

曜が「早まるな。 もうちょっと落ち着いて説明を聞いてくれ」と頼む前に、「で! その千年王宮とやらには、如何にして向かえば良いのじゃ?」と、燐が問い掛ける。
すると、道化師が近付いてきて、「この薬を飲んで、鏡の中に飛び込めば、たちまち千年王宮へと辿り着くよ」と言いつつ、紫色の液体が入った小瓶を見せた。

(鏡の中?! なんだ、その場所は。 こちらとは異なる世界に、千年王宮とはあるのか?!)

そう驚き、そんな怪しい場所に燐を行かせていいものか、曜は心底不安になる。
だが、彼も、燐の様子に危うさを感じたのだろう、「さてはて、それでは、千年王宮に行ったことのないお嬢さんに、今の千年王宮について簡単に説明を…」と道化師が説明を始めようとしてくれて、曜が安心しかけたその時に、道化師の話を全く聞くつもりもないのか、ひったくるようにして薬を手に取り、「では、早速、千年王宮に行ってくるのじゃ!」と燐は宣言する。

「へ?」と、曜が小さく呟けば、勇ましいというか無謀というか、全く躊躇なく、燐はあっという間に、薬を飲み干した。
そして、「曜先輩! 燐の活躍に乞うご期待なのじゃ!」と張り切った声で叫び、「アデュー!」と皆に手を振ると、事務所の玄関脇にかけてある姿見に勢いよく飛び込む。
その瞬間燐の姿は掻き消えて、曜は呆気に取られたまま、暫く動けなかった。

燐が現れてから、消えるまで約5分。

ちょっと色々早すぎやしないか?と思いつつ、突如嵐のように現れて、あっという間に消え去った、燐の様子に、エマが「え? よ、良かったの? なんか、若干、色々分かってなさそうなんだけど」と曜に問い掛けてくる。

曜は心配と不安がない交ぜになった気持ちで、「あ…いや、世界の危機だという事だし、燐の血は一滴でも摂取すれば、病や外傷、呪い等もたちどころに癒す効果があって、その王様に血を飲んで貰えれば、元気を取り戻してもらえるかと思ったんですが…」とそこまで呟き、ゆっくりと道化師に視線を向ける。
「ただ…燐と一緒に聞きたかったのだが…その…今の千年王宮の状況というのは…?」
そう曜が問えば、道化師は、真顔のまま「超ヤバイよ。 かなり危険地帯」と答えてきて、曜はざーーーっと全身の血の気が引いていくのを実感した。

曜の想像では、ベイブに血を提供したら、たちどころに支配権がベイブに戻り、燐には何の危険も及ばないだろうと勝手に予想していたのだ。

なのに、そんな、危険な場所なんて…!

先程までの冷静な様子は何処へやら。
曜は鏡に飛びつくと、「燐!!!! ダメだ!!!! 戻って来い!!! りぃぃぃぃん!!!」と叫んだ。
 

さて、その後、口が酸っぱくなる程に、道化師に燐の無事を念押ししまくった後、竜子にも、くれぐれも、くーれーぐーれーも! 燐を無事に帰してくれ!!と、頼み込もうと心に決める曜。
本当は、千年王宮に自分が追っかけて行って、彼女を連れ戻したかったのだが、あの薬は相当貴重な品らしく、余裕はないと言われてしまい、泣く泣く、興信所を後にしたのだ。
不安の余り落ち着かないが、とにかく、その竜子とやらの手助けをしてやることが、燐がいる千年王宮の安全を保つ為にも、最も有用な手段であるらしいし、やはり、任侠の世界に住む曜にとってはK麒麟の横行を、このまま野放しにしておくわけにはいかない。
この国の極道には、この国のルールがある。
新参者のよそ者が、我が物顔で荒らしていいものではないのだ。

「小汚い…金髪の…ピンクのジャージ…」と周囲を見渡せど、青山のこじゃれた街並みの中に、そんな場違いな存在を見出すことが出来ない。
かくいう、曜も、学校の制服姿という事で、かなり浮いてはいたのだがそんな事には構ってられない。
道化師曰く、曜は、華美に着飾った「薔薇姫」という売り物としてK花市に潜入する事になるらしいという事だった。
普段は、出来るだけ簡素で、鬱陶しくない格好を好む曜ではあったが、必要とあらば、着飾るだけの用意は持っていたし、家を出る前に家人に携帯で、先日祖父より送られた、豪奢な黒薔薇をイメージした黒い十二単を持ち出せるように準備しておく事を指示しておいた。

嬉しげに見せられた時は、このように絢爛な衣装、何処で着るやら等と少し呆れたものだが、まさかこんな機会に恵まれるとは思ってもみなかった。

まぁ、とにかく今は、竜子を見つけなければと、キョロキョロ見回す曜の目に、メサイアビルの一階にある、バーガーショップの店内のよう眇めに入る。
ガラス張りになっている店内の左端、山と机の上にバーガーを積み上げて、貪るように齧り付く、女の姿が目には言った。

薄汚れたピンクのジャージ。
安っぽい金髪。
汗やら、涙やらでアイラインが滲んだのか、狸のように目の周りを真っ黒にした、おかしなご面相。

「…間違いない」

曜は呟き、マジマジとその様子を眺めて「あれが…女王…?」と少し幻滅したように呟く。
まぁ、あだ名など、付けられた経緯によっては大変間抜けな理由で大げさな呼ばれ方をする場合もあるが、それにしたって余りにも、呼び名を外見が裏切り過ぎている。

店内に足を踏み入れて、「キミが竜子か?」と女に問い掛ければ、「んあ?」と唇の周りをケチャップでべとべとに汚しつつ顔を上げ、それから竜子は「そうだけど…お前誰だ?」と外見に相応しい、下品な口調で曜に問い掛けた。

その顔をマジマジと見れば、黒い隈が目立ち、かさかさに荒れた肌や、唇も気になる。
これから、彼女も薔薇姫として潜入するらしいのだが、こんな状態では絶対無理だ!と、曜は確信し、燐から先取してきた、脱脂綿に含ませた血液を、竜子に渡した。

「この赤い部分を唾液で湿らせて吸え」
そういきなり訳の分らないことを言う曜に「は?」と首を傾げる竜子。

「私は、興信所で道化師に話を聞いてきた。 キミから、今回の件についての詳しい話が聞きたいんだ。 だが、まず、その前に、この血を摂取して欲しい」
そう曜が言葉を重ねれば「うぇ…これ、血なの?」と不安そうな顔をする。
「大丈夫。 この血は万能薬に等しい効果をキミにもたらす。 かなり疲れてるみたいだからね。 とにかく、飲めば効果が分かるんだ。 だから…」と曜が言い募る言葉に、竜子は、曜の顔をじっと見つめ、それから一度素直に頷くと、パクンと脱脂綿を咥えた。
チュウッと、子供のような、あどけない仕草で、脱脂綿を吸った竜子の体に、目覚しい程の効果が現れる。

ぼさぼさだった髪に艶が戻り、荒れていた肌は滑らかに、唇もつるんとした輝きを取り戻していた。
濃い隈は消え去り、びっくりしたように顔を上げた竜子が存外に長い睫を、しばたかせ「すげぇ! なぁ! すげえよ! なんか、すげぇ元気出たんだけど!」と頬を薔薇色に染めつつ叫ぶ。
「おーまえ、うるせーよ! 向こうまで声が丸聞こえだったぜ?」と言いつつ、ポテトの山を運んできた青年が、「んあ?」と首を傾げて、曜を見た。
「えーと…」と指を指してくれば、「なんか、血くれた!」と、見事に誤解を招きそうな事を竜子が言ってのける。
「血ぃ?」
そう語尾を上げながら言い、疑わしげに此方を見てくる青年。
姿、格好こそ、自分に無頓着なのだろうな…というような、適当な服装をしているが、目と髪が赤茶したその青年は、大層端正な顔立ちをしていた。
(この人も、薔薇姫として、潜入する人なんだろうか?)と思いつつ、「あのな! あのな! なんか、その血を飲んだら、すげぇ元気になったの! ほら、凄くね? 凄くね?」と自分の顔を指示す竜子に、その顔を覗きこみ「おお…ほんとだ、お前、血色良くなってんじゃん!」と青年も嬉しそうな声を上げる。
「すげぇなあんた、何者なんだ?」と問うてきた青年に名乗ろうとした時だった。

ハンバーガーを咥えたまま、竜子がポカンとした表情でカウンターの方を凝視した。

何か変わったものでも見つけたのかと振り返れば、黄色い生地に赤いハイビスカスを散らしたプリントが施された、派手なアロハシャツのボタンを腹の近くまで空けて着用し、ダボンとした短パンを辛うじて腰骨に引っ掛けて穿いている、大層だらしのない
男がジュースと再度メニューの野菜サラダをトレーに載せて歩いている。
目深に被った麦藁帽子を、ひょいと片手で上げ、じいいいいっと凝視している竜子を、男が見返した時、竜子がポトリとハンバーガーを落とし、突如大声で叫んだ。

「やっぱりそうだ! 幇禍! お前、幇禍だろう!」
そう、男を指差しながら叫ぶ竜子に知り合いだったのかと合点する。
とはいえ、突如耳元でがなりたてられた大音量にキーンと鼓膜が痺れるのを感じ、燐の血液を与えたことを、少し後悔してしまった。
何だかきょとんとしている男に、「てっめぇ! あたいの事忘れやがったのかよう! 竜子だよ! 竜子! ほら、あの、探偵事務所で、中華料理食わせてくれたり、王宮におでん持ってきてくれたりさぁ! んだよぉ! 忘れんなよ! 久しぶりだなぁ」と言いつつ、ぽてぽてと向こうに向かって歩いてくる。
「探偵事務所…? という事は、草間興信所の関係者か?」と曜が呟けば、隣に立っていた青年が「あれ? あんたも、興信所知ってんの?」と問い掛けてくる。
その言い方は、この青年もという事だろう。
珍しい。
そんな偶然あるものなのだろうか?と思いつつ、境偶然望んだ時に、燐が現れたことを思い出すと、そういう導きなのだろうと考える。
とはいえ、燐を行かせてしまった事は、現在大きな後悔の種の一つであり、ここでの出会いも後悔に繋がらなければ良いのだがと、曜は胸中で祈った。

「何だ? 髪の色変えたのか? その色も似合ってんな」と竜子が世間話めいた事を言いつつ、「にしし」と笑う。
そんな呑気な事を言ってる場合なのかと横目で睨めば、「お…おう、久しぶり。 そっちこそ、元気にしてたかよ」と、なんだかキョドったよ様子で幇禍と呼ばれる男が返事をした。
「うおぇ? 幇禍って、そんな口調だったっけ?」と竜子が首を傾げる。
「あいつがいないからか? ほら、雇い主の…」
竜子がなにやら、幇禍という男に関わるらしい事を口にすれば、「っ! お! おお、そうなん…で…するよ。 やはり、主人がいないと…なかなか、こう、敬語って…ね? 難しいのでするよ」と、え? 何処の国出身?な言葉の不自由っぷりを見せた。
「ええ? だからって、そこまで不自然?! でするって、滅多に聞かないぞ?!」
思わずと言った調子で突っ込む青年も、幇禍を凝視している。
なんだか、明らかに使い慣れてない!といったような口調で、「マジでするか? いやいや、ワシは、昔から、このような喋り口調でござ候。 竜子殿は些か勘違いをしていると見受けられる」と、明らかに生まれた時代を間違ってるよね?な口調になり、なんだか、見ているのが辛くなって、「キミ。 無理しないほうが良い」と冷静な声で告げてやった。
その瞬間「無理! 敬語超っ無理!」と幇禍は喚き、「大体、なんで、俺より遥かに年下のテメェらに敬語を使ってやんなきゃなんねぇんだ!」と「いや、頼んでないですけど…?」な事を理不尽に怒鳴る。
「俺は! プライベートと、仕事を分ける男だ!」そう叫ぶ幇禍を、「お、おお! 分った! 分ったから、落ち着け! 落ち着けー!」と竜子が宥め、「お前、ほんと、暫く会わないうちに、かなりキャラ変わったよなぁ」としげしげと眺めた。
そんなに、昔から変遷があったのかと思えど、昔を知らない身にしてみれば、正直、そんな話はどうでも言い。

「大体、ソレ、ずっと気になってたけど、何よ?」と竜子が指差すので、視線の先に目を向ければ、まるで肌色の妙にツルツルした肉団子に手足と小さな羽根が生えているかのような姿をした生物が、ふよふよふよと飛んでいる。
「俺の幼馴染の帝鴻!」という、幇禍に、「え? 何、その画期的な幼馴染?!」と驚けど、竜子は「おお、そうか! ヨロシクな、帝鴻!」と言いつつ、その手を握って、ブンブンと上下に振る。
曜も、燐が、自宅にて奇妙奇天烈な妖怪達と共に仲良く暮している影響もあってか、奇妙な生物は見慣れていて、然程動揺せずに帝鴻の存在を受け入れる事が出来た。

とはいえ、で、帝鴻ってどういう生き物よ?という疑問は解けはしていないのだが、無害ならば、まぁ、何でも良い。

「んで、えーと、肝心のそちらさんは?」と、青年が幇禍を指し示してそう問うのを見て、曜も頷くと「えーと、こっちは、魏幇禍、あたいのダチ。 色々、昔世話になったんだ」と幇禍を指し示して言う。
「んで、こっちは、向坂嵐と…」と、赤茶色の髪の青年を紹介し、そこまで言って「ありゃ? 名前なんだっけ?」と問うてくる竜子に、「そういえば、名乗っていなかったな…」と呟くと、「七城曜だ。 以後、よろしく」と素っ気無い位の口調で挨拶する。

しかし、まぁ、周囲からはどういう集まりに見えるのだろう?
派手なアロハの男に、美形だが無愛想な青年と、ピンクのジャージのヨレヨレ金髪女。
その上、セーラー服の自分が加わっているのだから、何にしろ、得体の知れない四人組に見えている事だろう。
「んで? お前は休暇中なの?」
そう問う竜子の問い掛けに頷き、幇禍は、暫くこっちを順繰りに眺めた後、「あー、まぁ、じゃあ、お前らも良い休暇を」と適当な事を言いつつ、傍を離れようとしてくる。
面倒の気配を感じ取ったらしいと、曜は認識し、賢明な判断だと賞賛した。
何しろ、曜も、まだ全貌を理解してないが、マフィアと係わり合いになるような話には、カタギは首を突っ込まない方が良い。
だが、竜子はそうは思わなかったのか、「ていうか、お前ってさぁ、ナニゲにすげー強かったよな…」と呟いた。

その瞬間、曜は、先ほどまでの考えをコロリと翻す。

剣の腕前には自信があるが、多勢に無勢の状況で、戦力の足しになりそうなものならば、正直なんだって、助力を請いたい。

そこで、「んあ? まぁ…な…」と気のない返事をしたのが幇禍の運の尽き。

多分同じような事を考えていたらしい嵐が、がしっと突如、幇禍の腕を掴むと、タイミングを打ち合わせしたわけでもないが、曜は立ち上がり、その顔をマジマジと覗きこむ。
だらしのない格好をしているから気付かなかったが、よくよく見れば、肌も透けるように白く、ハッとするほど顔立ちが美しい。
「…これは…充分合格点だろう」
そう言いながら、嵐と竜子の顔を交互に見る曜に二人が同じタイミングで頷く。
「幇禍はすげえ腕も立つし、度胸もあるし、信用できる奴だ。 あたいが保証する」
そう竜子が言い切るのを呆然と聞きながら、幇禍が三人の勢いについていけない様子で、「いや、俺忙しいんだけど…」と、断りかける。
だが、それより早く「頼む! K麒麟から、誠を助けんのに協力してくれ!」と幇禍を竜子が拝むと、竜子の台詞の中のどこかが、彼の琴線に触れたらしい。
「話、聞かせてもらおうか?」と幇禍は答えてくれた。

「…へぇ…んじゃあ…その、黒須を、助けねぇと色々世界もドえらい事になるからつって、薔薇姫とやらになって潜入する…と…いうことか」
幇禍がそう呟くのを聞きながら、竜子の説明してくれた話を頭の中で整理して、これは、自分も協力せざる得ないと判断する。
詳しい話を聞くまでは…と自分の参加の決定を先延ばしにしてはいのだが、燐が千年王宮に向かった以上9割以上、竜子に協力するつもりでいたし、人身販売やキメラ開発等天に唾棄する横暴を行うマフィアを潰す事に、何の異論もなかった。

「千年王宮」という異世界で暮しているらしい竜子は、異世界に住むものとは到底思えない程に、神秘とは程遠い佇まいをしていたが、自分とて、お嬢様然として、学校に通っているものの、その正体は実は、「鬼姫」と裏の世界では畏敬の念を込めて呼ばれる女傑である。
千年王宮を救わねば、燐が無事に帰る事は叶わないし、その為に黒須という男を救わねばならないらしいという事も分かった。
それが結果的に、K麒麟を潰す結果に繋がるのなら、一石二鳥といった所ではないか。
幇禍が「いいぜ。 面白そうだし、乗ってやるよ」と、笑って言えば、「サンキュー! 助かるよ! 幇禍」と竜子は感激したような声をあげた。
一瞬、何故か、竜子の呼んだ名に反応が遅れたように見えた幇禍は、ガリガリと頭を掻いた後、「蘇鼓って呼んでくれ」と告げる。

蘇鼓? どっから出たんだ、その名前は。

「は? なんで? っていうか、何、その名前?」
そう竜子に問い掛けに、「俺のラジオネーム」と幇禍は笑顔で答える。
「ラジオネーム?」
嵐が素っ頓狂な声をあげれば、「おお、俺、ラジオ番組に投降するのが趣味でな。 もう、あれだぞ? 職人とか呼ばれる採用率だぞ?」と、真顔で説明してくれる。

若干マニアックな匂いを嗅ぎ取り、へぇ…と、とりあえずだけ頷いてみれば、「特に、声優の夢花ハニーがMCの『リリカル☆ハニーのはっぴーらじお♪』には、毎週100通以上ネタを投降していて、最早番組内ではフレンドリーに『蘇鼓にゃん』呼ばわりだぜ! という事で、プライベートでもある事だし、ハニーたんにも呼んで貰えているラジオネーム呼びで、是非宜しく!」と、想像以上に、マニアな趣味を披露してくれた。
「あー、まぁ…趣味は人それぞれだし…」と曜は、目を逸らしつつ、とりあえず、頷いておく。
「俺も…別に、初対面だし、ラジオネーム呼びに抵抗はないが…」と、俯きつつ嵐が言えば、やはり昔とは、全く変わってしまっているのか「…ていうか、お前、何があったんだよ! 悩みとか、あんのか? 彼女と巧くいってないのか? あたいで良かったら、相談乗るぞ?!」と、竜子が蘇鼓に訴えていた。
だが、美しい顔にニコリと艶やかな笑みを浮かべ、「悩みは、ハニーたんに乗って貰っているから、大丈ブイ☆」とウィンクしつつ、ペロっと舌出しまでしてみせる蘇鼓に、「あ、手遅れだ」と曜は心中で呻く。
「「「うわぁ…」」」という、三人揃っての抑えきれない呻き声まで上げつつ、とてもそんな趣味があるとは思えない風貌なのになぁと、曜は何だか勿体無くさえ思えてしまった。
さて、もうこうなってくると、この人昔はどんな人だったのか知りたい!という機運がひしひしと高まる中、蘇鼓の幼馴染な帝鴻は涼しい店内で、のびのびと両手両足を伸ばして、テーブルの上にへばりついている。
「…ていうか、今更だけど、お前、面白い生き物だなぁ。 鳴いたりしてぇの?」と言いつつ、ペタペタと帝鴻を触りまくる竜子。
それからサラダばっかりをつついている蘇鼓を見て「肉食わねぇと、力出ねぇだろ」と、自分の目の前に積んであるハンバーガーの内から一個手に取ると「ほい」と蘇鼓に差し出し、にまっと笑う。
「いや、俺ぁ、肉が苦手だから、いいや」と蘇鼓が手を振りつつ断わるのを見るに至って、一瞬だが、この男、本当に竜子が思う幇禍という男なのだろうか?と曜は疑った。

趣味が違う。 髪の色が違う。 口調が違う。 食の趣味が違う。

だが、それでも、竜子がこれ程確信を持って幇禍だと思い込んでいるのは、外見がそれ程一致している事という事か?

まぁ、そもそも、蘇鼓と幇禍が別人だったとしたら、これから大きな面倒毎に関わる男を、蘇鼓が装う理由も分からない。

「? あれ? お前、一緒に事務所で、餃子喰ったじゃん。 自分で作ったヤツ」と竜子に言われても、平然と「食の好みが変わったんだよ」と答える蘇鼓に、まぁ、彼の正体が実際は何だろうが、今回の件の助力となるなら何でも良いと曜は思い、「そうなのか…ここのバーガーすっげぇ旨いのに…」と残念そうに言う竜子を見て、蘇鼓が本物だろうが、偽者だろうがこんな女を騙すのは訳もないだろうな…と項垂れたいような気持ちになった。
そんな竜子からひょいと嵐がバーガーを取り上げて、一個齧り付くと、「おお、ほんとだ」と感心し、「お前も、喰う?」と曜に薦めてくる。
竜子の食べっぷりをみて、げんなりしていた曜は「いや、私は遠慮させて貰う。 竜子を見ているだけで、何だか胸焼けがしてきたよ」と肩を竦め、「私も、協力をすると決めたからには、四の五の言うつもりは毛頭ないが、しかし、潜入すると簡単に言ったとて、どうやって薔薇姫として潜り込むんだ? 私達の今の様子は…」とそこまで言って、順繰りに三人を見渡し、「…お世辞にも姫等という風体ではないぞ?」と苦笑する。
怪しい風体の面々は、なんていうか、姫って言うか姫って言うか…「…社会落伍者の集まりのようだな」と冷静な声で、そう評す曜に誰もグウの音も出ない。
「…あ、いや、それは…な」と言いつつ、竜子が取り出したるは、一枚のカードキー。
「これ、道化師…って、幇禍…っとと、蘇鼓は知ってたっけ? えーと、『千年王宮』の住人っていうか同居人でいいのかな? まぁ、そういう知り合いがいるんだけど、今回色々助けてくれていて、そいつが用意してくれた。 んで、あたい達の為に、なんか、ホテルの部屋用意してくれてるみたいで、そこに、着替える服もあるからって…」
そう言う竜子に「うお! すげ、これ、メサイアの中にあるホテルのカードキーじゃん」と嵐が目を見開く。
「え? 何? そんな凄いホテルなのか?」と蘇鼓が問えば「凄いも何も、一泊、4、5万位する宿だぜ?」と嵐が言い、曜は組の会合の関係で、何度か宿泊した事を思い出すと、「私も何度か利用した事があるが、清潔で広いし使い勝手は良い」と、太鼓判を押す。
「うお! すげえ! 曜ってお嬢なんだな!」と驚く竜子に、「いや、お嬢様じゃなくて、極道関係の仕事で利用したんだ…」とはいえず、一瞬言葉につまった後、「いや、まぁ、それほどでもないが…」ともごもごと答える。
そして、その場を誤魔化す為にも、「では、キミのお腹も、そろそろ満たされただろう? その部屋に移動しよう」と言いつつ、颯爽と立ち上がると、先に立って曜は歩き出した。



高さ200メートル強。
ビル内でも超上層に位置する、スイートルームの一室に足を踏み入れた曜は、相変わらず無駄に広い部屋だなぁと苦笑する。

正直畳の部屋の方が落ち着く曜なので、なんだか、むずむずとこそばゆいような気持ちにもなった。
高い天井には、花を模した照明器具が取り付けられ、キングサイズのベッドは天使の羽がつまっているかのようにふかふかしており、早速、パフンと帝鴻が飛び込んで、ころころころと転がっている。
有名なデザイナーがデザインを手がけたという部屋内の調度品の数々は確かにセンスの良い、高価な品ばかりだったが、そんな事よりも気にすべき事が今はあるとばかりに、「んで! 衣装ってどれよ?」と蘇鼓がぽかんと口を空けて、部屋中を見回している竜子に声を掛けた。
「んあ? ああ! えーと、確かクローゼットにあるって…」と言いつつ、広い部屋内を勝手が分らぬのか、うろうろとうろつき、一旦部屋を出て行く。
クローゼットを探しに言ったらしいが、曜はベッド脇にある取手のついた収納を眺め、多分アレだろうと判断した。
「ったく、大丈夫か? あいつ」
そう言いながら腰に手を当てる嵐に、「まぁ、確かに、無駄なほどに広い部屋だからな」と苦笑して見せ「だが、こんな部屋を即座に用意できるとは、道化師とは何者なのだろう」と曜は思案する。
この部屋は、一ヶ月以上も前から予約が必要な特別室の筈だ。
すぐさま用意できるような部屋ではない。
「いや…つうかさぁ、そもそも、竜子自体、俺あんま知らねぇしなぁ…」と蘇鼓が言うので、やはりおかしいと訝しみつつ曜は蘇鼓に「…以前からの知り合いじゃないのか?」と問うてみた。
「いや、知り合いは知り合いだが、それ程、俺も相手の事情とかって聞く性格じゃねぇかんな、あいつがどういうヤツなのかは、今いち掴めてねぇんだよ」とそれらしい答えが返ってきて、やはり考えすぎか?とも曜は思う。
「っつうか、まぁ、あんだけ単純で、アホそうなら、別にこっちからわざわざ聞かなくても、そのうち分るんじゃね? 隠してる訳でもなさそうだし」と蘇鼓が言えば、二人顔を見合わせ「まぁ…」「そうかな?」と若干竜子に酷い納得をしつつ、それから「ていうか、竜子遅くね?」と嵐が呟いた。

その一瞬後「うぎゃー! ここ、どこだぁぁ?! 迷ったぁぁぁ!!!」と信じ難い声が聞こえてくる。
「っ…マジかよ…」と嵐が頭痛を堪えるような顔をして、竜子を迎えに出ていくので、「というか、クローゼットなら…」と言いながら、ベッドの横にあるスライドドアを引いた。
中には衣装の山があり、「…大体、ベッド脇にあるよな」と曜は少し目を剥き、蘇鼓を振り返る。
「…庶民はねぇ、クローゼットとかじゃなくて、四個セットになってホームセンターとかで売ってるような衣装ケースとかに服を入れがちだから、普通はどの場所にあるかなんて分んねぇんじゃねぇの?」と曜に答えつつ、クローゼットに顔を突っ込んで「ひやー! なんだ、この数!」と蘇鼓は、その品揃えに声を上げた。

しょぼんとした顔で帰ってきた竜子や、呆れ顔だった嵐もクローゼット内の衣装の山には驚いている様子を尻目に、そろそろ自分の分の衣装もホテルに届いた頃だろうと、エントランスまで迎えに出た、
「姐さん…ご指示いただいた品。 こちらに…」と頭を下げ恭しく錐の箱を持ってきてくれた男達に「ありがとう。 すまないが、部屋の前まで頼むよ」と告げ、ホテルのエレベーターを登る。
一体何に着物を使うのか、一切余計な事は問われず、部屋の前まで運んでくれた家の者に「ご苦労だった」と礼を述べると、静かに一礼して去っていくのを見守り、ずっしりと重い箱を抱え上げる。
そのまま部屋に戻れば、竜子を締め上げるようにして、抱きしめている道化師の姿が目に入った。

驚き、箱を放り出して部屋に走り込むと「貴様、何をしている?」と、剣呑なほどの目つきで男を見据え、曜は道化師に問い掛ける。
「いやいや、お嬢さん。 そんな怖い目で見なくとも、何にも悪さはしちゃいないよ。 驚かせたお詫びの印に薔薇はどうだい?」
そう言いながら、パッと竜子を解放し、何処からともなく取り出した一輪の薔薇を胡乱気に眺め、それから、細い指先を伸ばして受け取る。
「花に罪はないからな」
そう言うと、竜子を眺め「信用は出来るんだな?」と問うた。
竜子は道化師に視線を向け、それから「おお、心配してくれてありがとう。 でも、信用できるよ。 とりあえず、今回に限ってはね」と請け負う。
今は、竜子への助力が請け負った仕事だ。
その竜子が、信用している相手なら、四の五の言う必要もあるまい。
そう判断し、「了解した」と、頷き、それで、道化師に対する疑いを、とりあえずは捨て置く曜。
しかし嵐はそうはいかなかったらしく、「だが、何にしろ、突然こんな風に現れられると心臓に悪い。 きちんと挨拶はしてくれないか」と、もっともな事を言う。

すると、男は「成る程! 道理だ! 初めまして、お兄さん。 女王から聞いているだろう? 私が道化師という者さ。 神出鬼没が、トレードマークでねぇ。 いやいや、びっくりさせて申し訳ない。 以後よろしく頼むよ」
道化師が軽い態度でそう挨拶すれば、蘇鼓は「いいねぇ。 中々のフザケ具合だ。 出鱈目で、面白ぇ」と言い「ケケケッ」と鳥のようなけたたましい声で笑うと、ひょいと傍に寄ってその肩を抱いた。

「んでぇ…その、道化師は、何の目的で、ここに来てんだよ。 竜子に、どんなドレスが似合うか見立てに来たっつう訳じゃねぇだろ?」
そう言えば、にいっと笑って「勿論! そこまで私も暇な身じゃないよ。 君達に、新たな情報を提供に伺ったのさ」と言い、それから、不意に蘇鼓の顔を覗き込む。
「時に、君、初めまして、だっけかね?」
そう問われ、意味ありげな問い掛けに「…いんや? 前に、会った事、あんだよ…な?」と、蘇鼓が告げればうっそりと笑い「まぁ、いいや!」と道化師は顔を正面に向ける。

「ジャバウォッキーの救出には、シュライン・エマ、デリク・オーロフ、兎月原・正嗣の三名が向かう事になった。 また連絡を取ってみると良い」
「じゃば うぉっきー?」
道化師の台詞に、嵐が素っ頓狂な声を上げれば「誠のあだ名みてぇなもんだ」と竜子が軽く答え「ていうか、なんか、曲者!って感じのラインナップだな」と明るく笑う。
聞き覚えがある名は、エマのみだが、曜は他のチームの心配をする程、自分達に余裕があるとは思えない現状を自覚する。
「何にしろ、心強いメンバーだ。 ありがと、道化」
そう竜子が礼を言えば、皮肉な笑みを唇に刷いて、「さぁて、私に出来るだけの事はさせて貰ったからね。 あとは、君達次第さね」と言う。
「あと役に立ちそうなもんは、全部クローゼットの中。 本来持ち出し厳禁な品々だが、まぁ、今回は仕方ないだろう。 変わり身薬も、白雪に言って貰ってきた。 今回は、あの強情娘も大人しく差し出したよ」
意味の分からない会話を繰り広げているが、つまりは、全て「千年王宮」の話だったりするのだろう。
道化師の出で立ちを見て分るように、どうにも尋常な者じゃないし、尋常な会話でもない。
(ということは、やっぱ『千年王宮』という場所自体尋常な場所じゃないという事か)と察し、燐のことを考えてキリキリと胃が痛むような気持ちになる。
もし、彼女の身に何かあれば、冗談でも何もなく、腹を気来る位の覚悟を曜は既に決めていた。
一通り、何某かの説明を竜子に行った後、「では、私はそろそろ…」と立ち去りかける道化師に、慌てて曜は声を掛ける。
「っ! 待て!」
そう呼び止め、それから、一瞬目を泳がせて、「…その、キミは今から王宮に、戻るのか?」と問い掛けた。
「ああ、そのつもりだが? 中々に、向こうの状況も悲惨でね。 私は、今日限りは売れっ子さ」
そう、道化師が答えれば、曜は真剣な眼差しで「興信所でも言ったが、燐の事、くれぐれも頼む。 彼女は、サポート役としては、これ以上ない程打ってつけの能力を持っているが、自身は何の力も持ってない、唯の子供だ。 私にとって…とても大切な子なんだ。 こちらで、私は、私に出来る限りの全力を尽くす。 だから…彼女の事…守ってくれと…、頼むと、向こうに集まっている者達に告げて欲しい」と、頼んだ。
道化師は、ちょいっと帽子のつばを触り、それから竜子を見る。
「…分かった。 『女王』として約束する。 あんたの大事な子、何があっても、ちゃんと無事に帰すよ」
ふいに、静かな、波のない湖の如き声で竜子は請け負い、それから、道化師に「白雪と…ベイブにも伝えてくれ」とだけ言った。
道化師は、ツイと頭を下げ、クルリとベッドの傍にあったドレッサーの鏡に飛び込む。
その瞬間、道化師の姿は吸い込まれるように鏡の中に消え、竜子は曜を振り返ると「悪ぃな。 そんな大事な子、こんな事巻き込んじまって」と詫びてきた。
目を見開き、鏡を見ていた曜は、その言葉に竜子に視線を向ける。

竜子が女王の名を出して、約束してくれた。

どれ程の権限があるのかは知らないが、なんだか、竜子のあの声は信頼に値する気がした。

「いや…関わらせると決めたのは私だ。 すまない。 女々しい事を言った。 だが…約束してくれて安心した。 これで、思う存分私は私の仕事に打ち込める」
晴れ晴れとした表情で曜は言い、鏡に何か仕掛けでもないか鏡面を叩いたりして調べていた蘇鼓は、「んじゃ、そろそろ、用意するか」と皆に声を掛けた。

とりあえず、ドレッサーの前に立ち、さて、どれを着るべきかと三人並んで考え込んでいる。
曜の自分の衣装の用意を進めつつ、興味深く、その様子を眺める。
「私は、自前のを持ってきているからいいが…キミ達は大変だな」
そう同情するかのような声で言う曜を羨ましげに嵐は見て「っつうか、自前で、そんな大層な服があるっつうのが、すげぇよ」と肩を落としてきた。

確かに…と、十二単を、曜は見下ろす。
まぁ、一般家庭ではまずお目にかかれない品だろうとは分かっているが、されど、そんな家が、殊更誇らしいかと言えば(まぁ…色々しがらみもあるしなぁ…)と遠い目になる。
「…も…わかんね…あたいの一張羅は特攻服だけど、んな格好では、姫さんっつう訳にはいかないよな」
そう既に疲れた口調で言う竜子に「大体…その、姫っていう事は、女ばっかじゃねぇの? そのオークションに出されるのは?」と、そういえばの疑問を嵐が口にする。
「いんや。 白雪っつう、まぁ、千年王宮の情報通が調べてくれたトコによると、便宜上『姫』って読んでるだけで、男も売りに出されてるらしい。 見目が良けりゃあ、どっちだろうと、買い手はつくんだと」
竜子の答えに「だったら、なんか、男用の呼び名もあってもいいよな」と、どうも「姫」呼ばわりに不満を覚えているらしい嵐が、顔を顰める。
そんな嵐の物言いに蘇鼓が物凄く冷静な声で「え? じゃあ、何が良いんだよ。 薔薇王子?」と聞き、嵐は更に顔を顰めて「薔薇王子…って、そんな、IQが20位のネーミング、尚イヤダ…」と首を振った。
「…ならば、薔薇殿はどうだ」
嵐の否定の言葉に咄嗟に脳裏に浮かんだネーミングを、さも良い事思いついた位の声で曜が提案すれば、「薔薇なのに殿って…凄く気持ち悪いからいや」と否定され、竜子が「んじゃ、薔薇薔薇マンは?」と問えば、突っ込む気力も失せたのか「もう…良いです。 俺、観念して、姫で良いです」と項垂れる。
「べっつに、女装しろってぇんじゃねぇんだし、呼び名位我慢しろ、我慢」と竜子が言いながら「とりあえず、あたいは、これにしよう」と一着服を選び出したって、お前、それ女子プロの試合用のレオタード&マスクやんけ。
嵐は嵐で、「お、これ、すっげぇ、かっけぇ!」と目を輝かせながら選び出したのは省エネスーツって、もう、懐かしすぎて、説明するのもかなりだるいのだが、今ほど、エコエコと騒がれるよりも前の時代に、先見の明があったある政党の政治家が「時代は省エネ☆」って事で、夏も涼しく過ごせるようスーツを大胆に軽量化したファッションを提案し、世のサラリーマン達を震え上がらせたのだが、うん、スーツの半そで。 半そでスーツ。 大の大人が、着ている姿は間抜けすぎて、もう、ちょっと白目剥く級のスーパーファッション。 もう、斬新過ぎて、永遠に、時代は追いつけないよ!的そのスーツを初めて見た時、日本の将来を皆が憂いまくったとか、そんな話はどうでも良く、今、問題にすべきは、そんなトンチキスーツを片手に「超かっこよすぎる! やべぇ! 新しい! 多分、パリコレとかで、新作としてもうじき発表されんぞ!」と騒いでいる嵐のファッションセンスである。
あまつさえ、竜子とお互いに「お、それいいじゃん! なんか、最先端モードって感じだぜ」とか「お前、センスあんなぁ。 あたいのも、かなりイケてっだろ?」とか褒めあっている訳で、曜は、余りと言えば余りのその有り様に、何か、もう、全部投げ出して家に帰りたくなった。


突如、蘇鼓全身がブルブルと震えだす。
当然だ。 余りにアホらしい、嵐と竜子のやり取りが腹に据えかねたに違いない。
蘇鼓、握りこぶしをぎゅっと固め、息を大きく吸い込む「バッキャローー!!」と青春漫画の熱血コーチもかくやというような怒鳴り声をあげた。
「てめぇら…てめぇら…ふ…ふざけやがって…」
そうわなわなと二人を交互に指差す蘇鼓を、曜は「蘇鼓…」と名を呼びつつ、さぁ、言ってやれ! この二人のセンスのなさを、思う存分指摘してやれ!と、頼もしげに眺める。

「仮装大会なら! 最初っから、そう言えよ!」

物凄い勘違いを、蘇鼓がそう大声で叫んだ瞬間、曜が見事なまでにガクリと膝から崩れ落ちた。

「もう、俺、超KYな衣装選ぶとこだったじゃねぇか! 超空気読めてない、マジ衣装、セレクトするとこだったじゃねぇか! 仮装大賞的、赤ランプが15個以上ついたら合格なイベントだったなら、俺だって、それ用の衣装を選んでやるさ!」

そう地団太を踏んで訴えつつ、返す刀で手を伸ばし、クローゼットの中から「俺、セクシー大臣」と書かれた帯がたすきがけをされた豹柄の全身タイツをチョイスする。

「どうよ、これ!」
思いっきり誇らしげに示せば、「せーくしー!」「超せーくしー!」と、意味の分からない褒め言葉と共に、嵐と竜子が拍手を送っていて、益々蘇鼓が胸を反らしている。

あ、もう、私限界。


「貴様ら まぁ ちょっと そこに並べや…」

地獄の釜の蓋開いてんじゃねぇの?的、ドスの効いた声を喉から搾り出し、ゆらりと曜は立ち上がる。
その迫力に、思わず三人固まって、それから、そろり、そろりと振り返ってきた。

曜は王立ちになりながら、下から掬い上げるような剣呑な眼差しで三人を順繰りに、睨め付ける。

「ここ 並べ」

自分の目の前を指示し、もう一度低い声で言う曜の姿に、一瞬顔を見合わせた後、慌てて、言われたとおりに、横一列に整列する。

「こちとらな? 後輩には、千年王宮とかいう意味の分からん場所に行って貰ってるし、他にも色々事情はあるし、引き受けた以上の任義もあるしで、かなり真剣なわけだよ」
そう、半眼になったまま言い募り、それから、三人の手から、アホアホ衣装を没収すると、「こ ん な 衣 装 で 薔 薇 姫 に な れ る か ぁぁぁぁ!!!!!」と床に叩きつけ、更に重ねて、ダン!と、思いっきり踏みつける。
その足音に、ピョン!ベッドで眠りこけていた、帝鴻が飛び上がった。

「あ…ああ、カッコいいスーツが…」
「あたいの素敵レオタード…」
「これでセクシー度アップの筈だったのに…」

ふらふらと亡霊の如く手を伸ばし、哀しげに呟く竜子達の手を「ええい! 鬱陶しい!」と払いのけつつ、「私が、選ぶから、キミ達はもう、何も選ぶな!」と曜は宣言する。
(最初から、私が選んでやれば、話は早かったんだ!)と、曜は柳眉を逆立てて、クローゼットからポイポイポイと衣装を放り出すと、「まず、竜子は、これと、これと、これ!」と言いながら、薔薇の飾りがあしらわれ、裾の広がったゴージャスな赤いロングドレスと、華奢なハイヒールに、豪奢な薔薇モチーフの髪飾りを押し付ける。
「それから、嵐はこれだ」
そう言いながら、またもや、何やら物々しい衣装を一式纏めて嵐に渡すと、それから「蘇鼓には…」と、何もしなくとも充分派手な蘇鼓には何が似合うか悩む曜を遮って、「俺は、これがいい」と言いつつ、背中の大きく開いた大胆なデザインの金糸で見事な龍の刺繍が施された光沢のある中国服を引っ張り出してくる。
蘇鼓の顔をその服を交互に見比べ、この衣装なら蘇鼓自身の派手さに負けまいと判断した曜は、「まぁ、いいだろう」と頷いてみせた。
正直他人の服など然程選んだこと等ないが、三人に任せておくよりはナンボかマシな結果が出るはずだ。
「んじゃ、嵐、向こうのメインルームで着替えて来ようぜ?」と蘇鼓が嵐に声を掛けるのを見て、「あ、その前に、ちゃんとシャワーを浴びる事。 ちゃんと、ブラッシングしながら、ドライヤーをかけるんだぞ?」と注意し、「スイートルームには確か、浴室が二つあった筈だから、竜子、背中を流してやろう」
と曜は誘う。
「おお! いいな! 汗で、もうベタベタなんだ!」と竜子が手を打って喜ぶが、男性陣はというと「…まぁ…俺達は別々で」と、男二人で背中流し合いっこもなかろう言い合っており、衣装と、ベッドに沈んでいた帝鴻を抱えて、ベッドルームを後にしていった。

大理石で出来た豪奢な風呂場で、ごしごしと、竜子の背中を擦っていると、「あんな…大丈夫だかんな」と言って竜子がにひひと笑った。
「何がだ?」と曜が首を傾げれば、「千年王宮に行ってくれた、あんたの大事な子の話だよ」と竜子は言う。
「いや…もう…それは…」、キミが約束してくれたから、もう良いんだと言うより早く、「翼って言う、男みたいな見た目の、すげぇ強い女が、あの城を今守ってくれている。 私は、あいつを信じて託した。 あいつは、守るつったら、全部守る女だ。 だから大丈夫」と、確信に満ちた声で言う。

竜子が絶大な信頼を寄せているらしい女の名を、曜は胸に刻み込むと「そうか…じゃあ、安心だ」と笑い、その背中にお湯をかけてやった。
さて、その後竜子にも背中を洗ってもらったのだが、その時、何度か押し当てられた。竜子の胸が子供のような言動ばかりの癖に、自分より大きかった事に、かなりショックを受けつつ、バスルームを後にする。
ショックと言えば、竜子の顔立ちもショックで、今の顔立ちなら女王と言われても納得できるような美貌を濃い化粧の下に隠していた竜子に、何て色々勿体無い娘なんだと、項垂れるような気持ちになった。

竜子がドレスを着込むのを手伝ってやった後、自分の選択が大正解であった事を確信する。
それ位、豪奢な赤いドレスは、竜子にとてもよく似合っていた。
ほあーと口を開けて、手早く十二単を着付けだす、曜を眺めながら竜子が「曜は…すげーなー」と呟いた。
「ん? 何がだ?」と問い返せば、「だって、着付けが出来て、てきぱきしてて、美人で…あたいとは大違いだ」と笑う。
「竜子も綺麗じゃないか」と曜がお世辞抜きで言えば、首を振り「一番言ってほしい奴に、言って貰えないからね。 あたいは美人じゃないんだろう」と寂しそうな声で言った。
黒薔薇のモチーフを濃い黒糸で刺繍で施された和洋折衷の美しい打ち掛けを羽織り、ドレッサーの前に座ると、「お姫様みてえ…」とうっとりした声で竜子が言う。

一番いって欲しい人に、美人と言ってもらえないなら、美人じゃない…。

ならば、私もそうなのだろうと、ふと苦い経験が蘇り、今はそれど頃ではないと首を振ると、普段は滅多にしない化粧で、顔の印象を変える事に専念した。
何しろ、K花市には、裏稼業に従事する人間が多く顔を見せるらしい。
下手に顔見知りに気付かれて、鬼姫が売りに出されていた等と風評が立てば、えらい騒動になってしまう。
いつもは凛々しく、きりっとした顔を、柔らかな印象の清楚系へなるよう化粧を施す。
し慣れてはいないが、いずれは多くの人前に立つ身と、みっともなくないように家の者に化粧技術も仕込まれていた経緯もあって、望みどおり、一目見て、曜だとは分からぬほどに、印象を変えた。

髪も、竜子に頼んで丁寧に透いて貰い、銀色のティアラを頭上に飾る。
鏡の中には、気品高い姫君が大人しそうな顔をして映っていて、自分でもよく化けたものだと自画自賛した。

竜子もちゃんとドレスを着込めたのを確認し、男性陣を呼び込む。


「うひゃあ! 見違えたなぁ!」

そう声を上げる竜子に、曜は心底同意した。

曜のセレクトが素晴らしいというべきか、黒い透かし模様の精緻なレースが施された大き目な白い立て襟のドレスシャツの上に銀色の十字架モチーフがあしらわれ、いたるところにメタルボタンが付けられているインパクトのあるデザインの、裾の長いジャケットコートを羽織り、ゴシックファッションに身を包んだ嵐は、デコラティブで着る人を大いに選びそうなその衣装を完璧に着こなし、スレンダーな美青年になりおおせている。
蘇鼓も、あの派手な中国服をまぁ…と驚きたくなるほどの似合い具合で、ああ、よかった。
なんとか様になってくれてよかったと、曜は心底安堵した。
竜子の変身っぷりは、男性陣にとっても驚愕だったらしく、「「…お前…誰だよ…」」と、蘇鼓と嵐が声を揃えて唸る。
「いや、普通に竜子だけど」と首を傾げ「畜生、ヒールって歩き難いな。 靴擦れが出来っちまいそうだ」と顔を顰めた。

「…いや、一時はどうなるかと思ったが…」と言いながら、満足げに三人の姿を眺め回すと「とりあえず、これなら大丈夫だろう」と笑う曜に嵐が、口を開けたまま、ポカンと曜に見惚れている。
その反応も嬉しくて、曜は殊更澄まし顔を装った。

皆、薔薇姫として潜入するだけあって、それぞれが、それぞれ異なる美しさを存分に生かした姿になっている。
これで黙っていれば、一枚の絵の如き面々であるのに、既に限界を迎えているらしい竜子が「重い…鬱陶しい…足痛ぇ…」とうめき声を上げ、嵐が「着慣れないものを着てるからか、なんか、全身痒くなってきた…」と弱音を吐いている。
一人元気な蘇鼓とて、「とりあえず、苛々抑える為にヤニ入れてくるわ…」と部屋を出かけた嵐の首根っこを捕まえて、「てめぇ! 愛煙者か! この鬼畜野郎! 俺の目の黒い内は、煙草の匂いなど漂わせねぇ!」と、どうも重度の嫌煙者らしい事を、かなり必死に怒鳴りつつ、何処から取り出したのか、消臭スプレーを「煙草臭 滅殺!」と喚きながら、嵐に大量に噴射している。
「てめっ! ばか! 何しやがんだ! あと、なんか、殺虫剤みたいにそういうのを吹き付けられると、なんだか心が痛いんだぞ!」と怒鳴る嵐に「うるせぇ! 煙草なんか吸おうとする方が悪いっ! ほんと、煙草とか、とっとと千円になればいい!」と、時事ネタを織り込んだ悪態をつけば「やめてっ?! 今でさえ超苦しいのに、そんな事になったら、俺死んぢゃう!!」とこれまた必死に嵐が主張する。
その光景は、「見苦しい」の一言で切り捨てられそうな醜態であり、折角の素敵な衣裳も完全に台無しにしてしまっていた。

ああ…なんて、みっともない…と、衣装を選びプロデュースした身の上で、余計にがっくりくる光景に、沸々とまた怒りが湧き上がる。

一向に治まる気配のない騒動にとうとう曜は、青筋を立てながら「…どうでもいいから、ドレッサーの前に座れ」と限界間近の声で言った。
再び、その迫力にぴたっと騒ぎを止め、大人しくドレッサーの前に座る嵐と、竜子。
「…へアセットやら、メイクなんぞ、キミ達が出来るとは思えないからな。 大人しくしてろよ? 下手の動いたら………」と、言葉を切った後の沈黙を続ければ、「え? どうなんの?」「な、何されるの?」と、嵐と竜子が震え上がる。
しかし、蘇鼓は曜の申し出を断わると、「俺は、メイクとかして貰わなくても、自前でなんとかなるんだよ」と言った。
不思議そうな顔をする三人を他所に、「さぁて、巧くいくかねぇ?」と呟いて、蘇鼓は「ふっ…ふっ…ふぅっ…」と独特の呼吸を始める。
そして、静かに目を閉じた。


蘇鼓の周囲に、金色に光る空気の対流が曜の目には見えた。

ツと目を見開くと、蘇鼓の黄金の眼が、一際爛と光る。
顎を仰け反らせ、蘇鼓は凄絶なまでに艶やかな笑みを紅い唇に浮かべる。


その瞬間、蘇鼓の真っ白な首筋や、腕から指先にかけ黄金の鱗が浮かび上がった。
髪の色が、竜子の染めた紛い物とは明らかに違う、輝くような黄金色に変化して波打ち、金色の細い角が二本秀でた額より生えた。
金の燐粉を振りまいているかの如く、その身の周囲がほんのりと黄金色に輝く。

目を見開く曜達を他所に、次の瞬間大きく開いた、その白い背中から色鮮やかな極彩色の大きな羽が広がった。
指先の爪が黄金色に染まった所で、蘇鼓は不意に両手を広げ、「どうよ?」と首を傾げてくる。

三人は、これ以上ないってくらいの驚きの表情で蘇鼓を眺めた。


畏怖の念を抱かざる得ない程の輝きに満ちていた。た、異形の生き物。

しかし、それ故に美しい。



「ケケケッ」と蘇鼓は鳥のように笑った後、帝鴻を抱え直し「こういうのも、毛色が変わってて良いだろ」と問い掛けてくる。
目の前で見た、その変身に三人それぞれ呆然と頷いて、竜子が、目を輝かせながら「すっげぇ…綺麗…」と溜息混じりに言った。
すると、蘇鼓は「ケケケッ」ともう一度嬉しげに笑うと、ぎゅうと、抱えている帝鴻を締め上げた。

さて、竜子も嵐も曜の手から綺麗にメイクを施して、へアセットも完了する。
シャワーを浴びる前にしていたような狸みたいな酷いメイクとは全く違う、正しい化粧を施された竜子は血色の良い頬や、滑らかな肌が、健康的で華麗な色香を放っており、金色の髪を纏められ薔薇の髪飾りで留められたいる事で露になった細い首筋も美しかった。
嵐も、本人大層、大層嫌がったのだが、有無を言わせぬ曜の迫力に負け、毛先を遊ばせるような今風の髪型にセットされ、メイクもされてしまっている。
紅まで薄く引かれた姿は、無性別めいた妖しい魅力すら感じさせ、曜は三人に対して、口が酸っぱくなる程に「良いか? 薔薇姫でいる間は、大人しく、黙ってるんだぞ? 口を開かなければ、ちゃんと薔薇姫に見えるからね?」と言い聞かせた。

正直、いい年した面々相手に情けない。
言ってる自分が情けない。

されど、若干悲しみさえ漂う注意事項だが、全くもって正しい物の言いだと曜は確信する。
竜子達は子供のようにコクンと頷いて、蘇鼓がそれからひょいと手を挙げる。
「あと、提案なんだけどよぉ、…俺さぁ、ちょっと楽器と歌には自信があって、歌で聞いてる者を催眠状態に陥らせたり、心を操ったりって出来んだけどな? もし、『K花市』の会場で巧く連中の前で歌を歌えたら、これって結構役に立たねぇ?」と提案すれば、「…結構どころか…それ、すげぇ、助かるぞ?」と嵐が嬉しげに言った。
曜も、心が浮き立つような気持ちになりながら、「確かに、初動のイニチアシブを完全に掌握できる。 数では間違いなく此方が劣っているが、最初にある程度の人数を行動不能に陥らせる事が出来れば、かなり戦況を有利に運ぶ事が出来るな」と、期待に満ちた声で言う。
そして蘇鼓に対し、「しかし、その変身といい、凄い特技を持ってるじゃないか」と感嘆の声をあげた。
「いやいや、どうも、どうも…」とへらへらっと蘇鼓は答えたあと「たーだーし! ネックが2つ!」とブイサインをぐいっと突き出してくる。
「まずは、どうやって、オークションに出品されてる身の上で人前で歌わせて貰うよ?っつうのと、もう一つ! 俺の歌ってば、諸刃の刃っつうやつで、例え耳を塞いでてもその場にいる奴の脳に直接響いちゃって、俺以外誰彼構わず、作用しちまうんだよ。 つーまーり、てめぇらも操っちゃうの」
そうあっけらかんと告げる蘇鼓の言葉に、見る見るうちに三人とも意気消沈し「駄目じゃん…」と肩を落とす。
「んー、やっぱ無理かねぇ?」と蘇鼓ががっかりしたように言うし、やはり惜しい能力ではあるように思え、何とかならないか思案を巡らせると「あ…」と嵐が口を開けた。
「ん?」と竜子がその顔を覗き込めば「最初のネックなら…相談に乗ってくれそうな心当たりがあるぞ…」と考え、考えしているようにゆっくり言う。
「誰? 誰、誰?」と、竜子が勢い込んで尋ねれば「エマさん」と呆気ない位の速度で嵐は草間興信所のスーパー事務員の名を口にした。

「あの人、今回おっさんの救出チームのメンバーなんだろ? それこそ外側から手を回すなり、内側に潜り込んで操作するなり、エマさんなら蘇鼓に歌を歌わせるよう取り計う位はやってくれそうな気がする」

そう言う嵐に、思わず頷く曜。
彼女の人脈や情報網は確かに尋常じゃない域に達しているし、頭の回転の速さもピカ一だ。
そういった裏工作なら、一番の相談相手だろうと納得すれば、蘇鼓も竜子も同じ心境らしく、大きく頷き、竜子が「なんにしろ、こっちが囮役で向こうが潜入組っつう連携とってる以上連絡は一度取らなきゃなんないしな。 ちっと、話してみる」と答えた。
「そしたら、あとは、その歌の効果から、あたい達がどうやって逃れっかだよなぁ…」と頭を抱え、それから不意に竜子が顔を上げる。
「…なぁ、あのさ、その効果が現われるのに、大体どの位の時間がいる?」
「んあ? あー、そうだなぁ…計った事ねぇから、大体でしか言えねぇけど、一曲歌い終わる頃にはみんなイかれちまってっから、3分位だと思うぜ? え? なんで?」と蘇鼓が答えつつ、質問の意図を問い返す。
曜も一体竜子が何を考えているのか気になれば、「…三分か…厳しいな…」と竜子はくぐもった声で呟き、それから「…なぁ、なんとか二分にならねぇか?」と言った。
「…そんな、値切るみたいに……」と呆れ声を出しつつも、「二分で、蘇鼓の歌の効果が会場の連中に表れる事と、私達が彼の歌の効果から逃れる方法と、何か関係が有るのか?」と曜が問えば、竜子が頬を掻きながら「いや…な? つまり、蘇鼓の歌は『その場にいなければ』効果が及ばないんだよな?」と念押しするように蘇鼓に聞いた。
「とーぜん! もし、その場にいない連中まで操れたら、俺ぁ、この世界の王様になっちまうよ」と、酷くつまらなそうに言う。
「…だから、蘇鼓が歌い始めてから、その効果が現われるまでの間だけ、何とか別の場所にいけねぇかって考えたんだ」
竜子の言葉に「いや…んな事が出来りゃあいいけど…方法あんのかよ?」と嵐が問えば頷いて、竜子はクローゼットへと走りより、その中から小さな小瓶を幾つか持ってきた。
「…これは、白雪秘蔵の秘薬、『鏡渡り』。 なんか、精製に滅茶苦茶時間がかかるとかで、普段だったら絶対に渡してくれないんだけど、今回は王宮自体が危ういっつう事で、道化師にすんなり託してくれたらしい。 これは、白雪が鏡と鏡の間に作った経路を通り抜けられるようになる薬で、こっちの『オレンジ』の薬を飲んで鏡に飛び込めば薔薇姫達が待機させられている部屋の鏡から出られるようになってるそうだ」
竜子がそう言いながら、一人に一瓶ずつ小瓶を渡す。
これは、道化師から燐が受け取っていたものに間違いはないだろう。
あの時、道化師に譲ってくれと頼み込んでも手に入らなかったものが、今手元にあるという皮肉な現実に曜は、苦笑を浮かべてしまう。
「…そういえば、いざ薔薇姫になったとて、どうやって潜入するつもりか気になっていたのだが」と、曜が言えば、「おう。 そこら辺は抜かりなしさ」と、竜子は曜に向かって得意げに鼻の下を擦り「…そんで、こっちが、『千年王宮』の白雪に繋がる経路を通れるようになる薬だ」と、紫色の液体が入った瓶を示して見せた。
「…白雪に?」
「ああ、白雪っつうのは、まぁ、鏡の化身なんだ。 だから、自分自身に経路を繋ぐ事も出来る。 こうやって鏡と鏡を繋いだり、鏡を使って他人とコンタクトを取ったり、気難しい奴なんで、ベイブの頼みでもなきゃ聞きゃあしねぇんだが、中々便利な奴なんだよ」
そう、自分の事のように自慢気に語る竜子の言葉を遮って「つまり、お前、俺達を一時『千年王宮』に避難させるつもりか?」と嵐が言えば、話の主題を思い出したのか、「おお!」とポンと手を打った竜子が流れるような動作で「そのとおり!」と嵐を指差した。
なんとまぁ、大胆なと呆れども、確かに、いかな歌声とて、異世界にいる者に届きはしない。
「本当は、誠が無事逃げ出せた後、これを使って千年王宮に脱出する予定だったんだけど、蘇鼓の歌で相手の行動を封じる為に使う方がなんか良いような気がするし…」と竜子が言えば、蘇鼓も頷いて「逃げ出す時には、俺が龍の完全体になって、追手が追いつけねぇとこまで運んでやるよ」と軽く請け負う。
「…ていうか…色々見てきたし、今日も一生分位驚いたから、もう、驚かねぇけど…お前龍になれんのかよ…」と嵐が呻き、竜子も「歌が得意とかさぁ…、変身できるとか…何で、前に教えてくれなかったんだよ。 そういう、かっちょいい特技をよぉ!」と文句を言っている。
曜は、もう、蘇鼓に何が出来ても驚くまいと思っていたので、然程表情を変えずにはいたが、メサイアビルの最上階から龍に乗って脱出する自分を考えてみると、とても現実とは思えなくて、何だか、他人事のようにさえ聞こえていた。
だが竜子にしてみれば古い知り合いの、新たな一面というのは新鮮な驚きに値しているらしく、「でも、料理も巧いし、喧嘩も強ぇし、特技のたくさんある奴ぁ、いいなぁ…」と呑気に褒め言葉を口にしている。
だが、竜子が褒めるたびに、どんどん不機嫌そうな顔になっていった蘇鼓は、突然「やぁ!」と叫ぶと、ばさっと体を振って、翼を竜子にぶつけだした。
「あぶっ! なんだよ! 褒めてんじゃねぇか!」と怒鳴る竜子の抗議を無視して、蘇鼓はばっさばっさと羽を数度叩きつけ続ける。
何を遊んでいるのだろう…と呆れて眺めていれば、そのうち多分鼻を羽がくすぐったのが「ぶぇっくしょん! くっしょん!」とくしゃみが止まらなくなった竜子を腰に手を当て眺めつつ「幇禍って名前の時の話をすんじゃねぇよ。 今の俺は、蘇鼓だ」と強い語調で蘇鼓は言った。
「うっ、ふぶぅえっくしょん! …なんだっ…その、こだわりは!」と喚きつつ、それでも「わぁったよ。 お前は、蘇鼓だ」と竜子が言うと、何だか満足感を覚え「よし! 許す!」とえらっそうに言う。

それで、意味の分からないやり取りが終了したらしい。 結局蘇鼓が何で怒ったのかは分からず仕舞いではあるのだが、別段興味のある事でもないので、曜はあえて追求しないでおいた。


「…んじゃ、脱出&最初に向こうにかます役目は蘇鼓頼んだ! あ、ただし、さっきも言ったけど、何とか二分で、歌の効果を発揮してくれないか? この薬の効き目が、そんなに長くないんだよ。 一旦、千年王宮に行ったは良いが帰れなくなっちまう。 いつもなら、あたいの持ってる王宮の鍵で、自由にコッチの世界と向こうを行き来出来んだが、普段の状態でも、こっちの出口を思い通りに定める事は難しいし、今の状況だと、向こう側から出てくることさえ難しいんだ。 だから、どうしても、薬の効果がある間に、こっちのカタをつけて欲しい。 頼むよ。 蘇鼓」
竜子の頼みに、蘇鼓は暫しの逡巡の後「分かった。 やってやるよ」と請け負ってくれる。

しかし、中々危険な賭けに出ることになったものだと胸中で一人ごちる曜は、二分以内で巧く、蘇鼓が歌の効果を発揮させられるよう祈りつつ、同時に千年王宮に向かった際、どうか、どうか燐が無事な姿でいますようにと強く祈った。
薬を飲んで、鏡に飛び込んでいた燐の姿を思い出し、「千年王宮へ行くには、鏡が必要なのだろう?」と言いつつ、曜はドレッサーから手鏡や、化粧に使ったファンデーションやアイシャドウの鏡付きケースを、竜子と嵐に渡し、代わりに薬を受け取る。
「この紫の薬が、千年王宮とやらに行ける薬か。 間違えないようにしないとな? 嵐」と、若干心配だったので、あえて嵐に確認する曜に、「何でだろう…こう、すごーく馬鹿にされたような気がするのは…」と項垂れつつも、竜子から受け取った薬を物珍しげに眺める。
「あ…じゃあ、あの道化師って男が鏡に飛び込んで消えたのも、この薬の力か…」と嵐が言うのに竜子は頷いて「まぁ、あいつは、ちょくちょく、あたいの知らないルートを使って、こっちに遊びに来てるみたいだけどな…」と呆れたような声で言う。
「んじゃ、ちょっと、今から姐さんに電話いれてくるわ」と言いつつ携帯を取りに、メインルームへと赴いた竜子の「姐さん」という呼び方に、一瞬、実家の影響もあって、ピクっと反応してしまう曜。
蘇鼓が「誰の事だろ?」と首を傾げれば、「あいつが呼んだ、姐さんてエマさんの事だから」と、小さな笑いを含んだ声で、嵐が教えていて、曜は知らず、実感の篭った声で、「姐さん…なぁ…」と呟き、複雑な表情になってしまった。
「…まぁ…ぴったりじゃね?」
そう蘇鼓が言えば、「まぁ…な」と、彼女が理知的に見えて、かなりの度胸者であるという噂を聞いている曜も同意し、「…ああ、やっぱり、ここでも誰も否定しねぇんだなぁ」と嵐は遠い目をしつつ、意味の分からない事を言った。


エマとの打ち合わせを終えた竜子を交え、四人それぞれ鏡の前に立つ。
蘇鼓の歌に関しては、彼女が出来るだけの事をやってみると請け負ってくれたらしく、こちらが騒ぎを起こす直前に、竜子が携帯のバイブ機能を使って、彼女に知らせ、此方からの知らせを受けて、エマ達は黒須の救出の為の行動を開始するそうだ。

「ま、向こうは向こうで、かなり強力なメンバーが揃ってるこったし、俺らは、俺らの出来る限りの事をやろう」と嵐が言い、曜も「人の尊厳を無視したK麒麟の行い、このまま捨て置く訳にはいかない。 全力を、尽くす」と宣言する。
蘇鼓が帝鴻を肩に乗せ、へろよんっと軽く笑い掛けて「さて、楽しんでくるか」と言い、薬を飲もうとした瞬間だった。

「あ!! 忘れてた!!」と竜子が突然大声をあげた。
今まさに、薬瓶に口をつけようとしていた所だったため、驚きの余り手が滑り、瓶を取り落としそうになって、心臓を押さえる。
「んだよ! まだ、何かあんのかよ!」と蘇鼓が文句を言い、嵐も、曜も「びっくりさせんなよ!」「驚いて、薬を落とす所だったぞ!」と口々に抗議する。
「悪ぃ、悪ぃ」と詫びながら、「はい! 集合!」と竜子が手を挙げた。
一体、何があるのか、訳がわからぬまま、傍に寄れば、ひょいと手を下に向けて差し出し「円陣、やろうぜ?」とにかっと笑う。
「はぁ?」と嵐が疑問の声をあげる隙もあればこそ。
「んじゃ、作戦の成功と、みんなの無事を祈って、いくぞー!!!」と竜子が勝手に叫ぶものだから、ノせられ慌てて、手を重ね、四人揃って「オー!!」声を合わせてしまっていた。

「…うわぁ…俺…初体験かも…しんねぇ…」と嵐が何だか気恥ずかしげに言い、曜も頬が熱くなってるのを自覚しながら、「青春ドラマや、スポーツ中継でしか見たことがなかったが…」と呟く。
「おあー、すげー、ノせられたー! 否応なく波にノせられたー! 円陣のノせ力すげー!」と、蘇鼓は、ちょっとはしゃいだ声で言い、それから、竜子が「気合入んだろ?」と笑うと「うし! 行こう!」と告げた。

薬の味は、蜂蜜を更に煮詰めたように甘ったるく、思わず吐き出しそうになるのを堪えて何とか飲み干した。

間髪いれずに鏡に飛び込めば、全身を冷たい手が撫でるようなゾッとした感覚が走りぬけ、次の瞬間、薄暗い控え室のような白い壁の部屋に降り立つ。

他の三人も、無事辿り着いており、キョロキョロと周囲を見回している。
「…この子達が…薔薇姫」
ふと、虚ろな眼差しでソファーに座らされている数人の男女の姿が目に入り、思わず痛ましげに呟いた。
それぞれ、とても美しい容姿をしており、中にはまだ、あどけないと言っても差し支えない年齢の子供も混じっている。
十代から二十代前半の、若い者達が生気をなくした様子で、微動だにしない姿は、精巧なマネキンが並んでいるようにも見え、不気味でもあり、帝鴻がパタパタと傍によって、ちょん、ちょんっと恐る恐る、その頬を突いているのを傍目に眺める。
それぞれ、綺麗に飾り立てられ、殆ど裸同然のような格好をさせられている女性もいたが、余りに人形めいているせいか、視線のやり場に困るような気持ちも起こらず「やはり…人は動いてこそ美しいのだな…」と一人ごちた。

突如、蘇鼓が「っ! 大五郎!」と、誰かの名を呼びながら走り出した。

「おい! 一人で行動すると危ねぇぞ!」と声を掛けつつ嵐は蘇鼓の後を追う。

蘇鼓が走り出て行ったのは部屋の隅にあった、鉄製の殺風景な扉からで、慌てて曜は取り残された帝鴻を抱え、竜子と一緒に、蘇鼓達を追えば、そこには真っ暗なだだっ広い空間が広がり、所々に檻や、ガラスケースが点在しているのが目に入った。
檻の中には、奇妙な生き物達が閉じ込められていて、ふと視線を彷徨わせれば、蘇鼓は、黒い鉄格子の檻の中に入れられた、白い毛皮の美しい虎の前に座り込んでいた。
虎は、キメラとして体を既に弄くられているらしく、背中に蝙蝠の大きな羽が生えている。

「…やぁっぱそうだ。 大五郎だ。 んだよ、てめぇ、なんかしくじったのか? この野郎。 ケケケッ、似合いもしねぇ、そんなトコに入れられっちまってよう」

そう声を掛ける蘇鼓の顔を見つめた後、虎はフイと顔を背ける。
再度「大五郎? だーいごろーう。 俺の事忘れたのかよ? 色々一緒に悪さしたじゃねぇかよう!」と声を掛けている蘇鼓に、先に蘇鼓に追いついていた嵐が、「知り合いかよ?」と言いつつ、ポンとその肩を叩いた。
「ああ、大五郎っつう幼馴染なんだ」と振り返りつつ蘇鼓が紹介してくるので、蘇鼓が連呼していた時から若干気になっていたのだが、「なんで、お前は中国名なのに、幼馴染が、そんな純和風な名前なんだよ…っていうか、そもそも虎が幼馴染って、お前、どんな環境で育ったんだ…」と、嵐が気の抜けたような声で、されど曜が是非問い掛けたかった事を的確にツっ込む。

「だけど、こいつ、俺の声に反応しねぇんだ。 変な薬打たれてんのか、そもそも、脳を弄られたか…もう、自我がないのかも知れねぇな…」
そういいながら、蘇鼓はふいと脇に視線を送り、部屋から曜が連れてきた帝鴻を見ると、蘇鼓はなんだか、ふんわり優しく微笑んで……


帝鴻を ぷぎゅっと 檻の中に 押し込んだ。


「………えええええええええ???!!!!」


思わず絶叫しながら、蘇鼓と帝鴻を交互に指差す嵐。

「ん?」

にっこりと笑いながら蘇鼓が嵐に視線を向けると、「お、おま、おおお、おまっえっ、さっき、大五郎の自我はもうないかも…とかい、言ってなかったっけ?」と問い掛けている。
「うん、そうなんだよなぁ。 俺の事は忘れる筈がねぇのに、完全シカトだぜ? もう、こいつは、見た目こそ、大五郎だけど、頭の中は違うのかもしれねぇな…」
そうしみじみ答える蘇鼓に、「いや? いやいやいやいや? え? ちょっと、待って、え? 俺、蘇鼓の考えてる事がさっぱり分からねぇんだけど、それは、俺の頭がおかしいからなのか…な?」と竜子と曜に、嵐が縋るような視線を向けてきた。
意味の分からなさのあまり、呆然としていた曜だったが、嵐の視線に我に返り、竜子と二人は揃って首をぶんぶんと打ち振ると「「…こいつがおかしい」」と蘇鼓をきっぱり指差す。
「お前らなぁ…、友情っつうのを…信じねぇのかよ」
そんな三人に対し、言い聞かせるような静かな口調で蘇鼓が語りかける。
「帝鴻はな…大五郎とは、マブダチを超えた、心の友同士だったんだよ…。 俺は、帝鴻に会わせてやる事で…大五郎が正気を取り戻せると信じて…こうやって、あえて、あいつを檻の中に送り込んだんだ。 この関係は、他人には分かんねぇよ。 まさに、俺とお前と大五郎…な関係なんだよ」
そう言い終えた蘇鼓を前に、皆一瞬黙り込み、そして曜が呆然とした口調で「ま…まさか、とは、思うが『俺とお前と大五郎』っていう、いつの時代かも思い出せないような古いフレーズネタの為だけに、その虎の名は大五郎という名になったのではないだろうな…?」と誰に向けてか分からない問いかけを行う、うん、正解!(by天の声)
「大体、帝鴻を大五郎に会わせたいんだったら、檻越しでいいじゃん! 充分じゃん!」と竜子が喚くも、「いや、だって、あいつが、今正気かどうか確かめるのに、この方法が最適だろ!」と蘇鼓があっさり、本音を笑顔で告げて「「「…思いっきり、リトマス試験紙代りじゃないか!!」」」と渾身の声で三人は突っ込んだ。
あまつさえ「あとさぁ、折角だし、大五郎が正気かどうか、賭けしねぇ? 俺は、大五郎はもう正気じゃなくて、帝鴻がパクっとヤられっちまうに500円な?」と蘇鼓は笑顔のまま提案して、「賭けるんかい! どんなイベント感覚だ! しかも、食べられる方に賭けんのかよ! さっきの友情の話とはなんだったんだよ! っていうか、帝鴻もお前の幼馴染じゃないのかよ!!」と嵐が矢継ぎ早に突っ込む。
こ、こいつ人間じゃない…と慄きながら蘇鼓を眺めれば、蘇鼓はクリンと首を傾げ「そんなにいっぺんに喋ると、苦しくなっちゃうぞ?」と、嵐に対し、見当外れな心配の仕方をしていた。
両手で顔を覆い、「もーやだ、俺、こいつとまともに喋れる自信が、一切ねぇ」と、嵐はさめざめとした声で言うが、気持ちは分かる。
曜は、阿呆なやり取りにさっさと見切りをつけ、果敢にも檻の中に手を差し入れると、帝鴻の体に手を伸ばし「こっちへ来い! なんとか引っ張り出してやるから!」と呼びかけた。
帝鴻は、何が起こったのかわからず暫し呆然としていた様子だったが、漸く状況が掴めたのか、途端に右往左往と短い手足や小さな羽根をぱたぱた、ばたばた慌てだし、曜の声もとんと耳に入っていないようで、そんな帝鴻に気付いた大五郎が、のそりと身を起こし、のそり、のそりと近付いてくる。
ぷるぷるぷると身を震わせ、何かを訴えるかのように、忙しなく手を振る帝鴻を暫く見下ろしていたが、大五郎は喉の奥で「うぐるる」と低く唸ると、突如鋭い爪を光らせて、帝鴻にその腕を伸ばした。
(っ!)と、咄嗟に目を逸らした曜だったが、その後惨劇っぽい物音が聞こえてこない為、恐る恐る視線を向ければ、大五郎はくるんと所謂猫の手にして爪を引っ込め、丸めた足先でころん、ころんとを帝鴻突いている。
ぷるぷると震えていた帝鴻は、それから、数度撫でるように突かれ「うにゃん」と大五郎が猫の鳴き声のような声をあげるに至って、漸く、彼が自分に危害を加えようとしている訳でない事に気付いたのか、ぱたぱたぱたと飛び上がると、大五郎の顔の周囲を飛び回り、それから、蘇鼓に顔を向けると、抗議するかのように、短い手をきゅっきゅと振り上げた。
そんな帝鴻の様子に、「ハハッ☆」といつになく爽やかな笑い声をあげ、さらりと髪を掻き上げると「俺は信じてた・ぞ? 俺達の友情ぱわぁを…な?」と朗らかな声で蘇鼓が言う。
そんな蘇鼓から一歩引いた遠巻きから眺めていた曜は、顔を強張らせながら「こんな白々しい嘘は、初めて聞いた…」と呻かずにはいられなかった。
檻の中の帝鴻を何とか引っ張り出し蘇鼓が「…正気があるなら何よりだ。 てか、なんで、無視したんだよ」と大五郎に文句を言えば、「ぐる、ぐる」と低く弱弱しい唸り声で返してきた。
どうやら、様子を見る限り、薬で意識を朦朧とさせられているらしい。
どうも、蘇鼓は大五郎を解放してやろうと目論んでいるみたいで、「悪ぃ、付き合わせた」と曜達に声を掛ける蘇鼓に問い掛ける。
「いいのか?」
「ああ、今の時点では、逃がすのは難しいからな。 一暴れする時に、何とか檻から出してやる」
そう答え、蘇鼓が「…まぁ、もうちょっと待ってろ」と大五郎に言い聞かせた。
大五郎は、「ぐるぅ」と一度応え、再び、床にだらりと寝そべる。

「さて、そろそろ薔薇姫になりきらねぇと、不味いんじゃね?」と蘇鼓に言われつつ、先程の部屋に戻り、ソファーに座っている薔薇姫たちに混じって座る。
暫し後、がやがやとした足音が聞こえ、乱暴に先ほど倉庫に繋がっていたドアが開けられた。

ヒュウと口笛を吹いた粗野そうな男が数人、どやどやと部屋に雪崩れ込んでくる。
「今回は、また、特に上玉揃いじゃねぇか」
そう一人の男が言えば「確かに、しかも、いつもよりも数も多い。 知らされてた人数より増えてねぇか?」と別の男が問い掛ける。
薔薇姫達を舐めるような目で見回していた男が、「確かに、人数は違うが、直前になって良いお姫さんが手に入る事なんざザラだし、減ってんなら大問題だが、増えてんだから、まぁ、いいだろ」と適当な事を言いつつ、不意に曜の顎を掴みあげてきた。
「おらぁ、こういうねぇちゃんが好みだなぁ…。 こんな別嬪な娘、どの店行っても絶対にいねぇぜ? 清純そうなとこが、余計ソソんじゃねぇの」と言い、下卑た声で笑う声に、咄嗟に、物凄い静かな気持ちで「こいつは、斬る」とその顔を覚えこむ、別の男が蘇鼓の顔を覗きこみ「…俺は、こいつがいいな。 多分、天然物だろう? Drの飼ってる異形の女共も、色っぺーが、こんな極上なのはいないぜ?」とニヤニヤ笑いかけてくる。
だが、蘇鼓の喉仏に気付いたのだろう。
「…んだよ、男かよ」と毒づき、「…こっちは?」と言いつつ、嵐に視線を向けて「まじかよ! こいつも、男か、つまんねぇな!」と文句を垂れる。
竜子も、髪を撫でられ、にやけた男達に眺められてはいたが、それぞれ、然程忍耐強いとは言い難い性質なれど、この時ばかりは「今動いたら、今までの準備が、全部パーになる!」という強迫観念にかられ、皆、驚くほどに微動だにしない。
「おら、こいつらは大事な売り物なんだから、とっとと『籠』に詰めろ!」と男の一人が声を荒げ、ばらばらと覇気のない返事をしつつ、漸く男達が動き出す。

彼らが、薔薇姫を中に納め始めたのは、無骨な檻とも、ガラスケースとも違う、銀色の美しい鳥篭を模した容れ物だった。

鳥篭の中には、色鮮やかな花が敷き詰められ、柵に凭れさせるようにして座らされ、台車に乗せられた曜は、微かに瞬きながらも、これからどういう展開になるのか、不安に思う気持ちを抑えきれない。
とにかく計画を実行する段になるまでは…と、動かぬよう気をつけて、会場へと運ばれて行く。

会場の中は、驚くほどの人混みでごった返していた。
薔薇姫が運び込まれると、そこらかしこでどよめきが起こり、我先にと駆け寄ってくるものもいる。

(目玉商品って事ね…)

そう判断し、澄まし顔のまま薔薇姫に徹する。
瞬く間に、周囲に人だかりが出来、男女問わず、曜の、その美しい姿に見惚れ、感嘆の溜息を漏らしていた。
「まるでお人形ちゃんみたい」
「この子が手に入るのなら、幾ら払ったって惜しくはないな…」
「遊ぶのが勿体無い位の上玉だ。 飾っておくだけでも価値がある」
そう感想を漏らす声を聞きながら、そのどれもがちっとも嬉しくない自分に気付く。
当然だ。
こんな風に人間の商品価値を評す言葉で、賞賛されようと屈辱が募るだけだ。

それからどれ位の時を経たのか。
たくさんの欲望に満ちた人目に晒される事に、そろそろ耐え切れなくなってきた頃、漸く、蘇鼓の鳥篭が開けられた。

中から出された蘇鼓の前に、派手な色に染めた長めの髪を、後ろに撫でつけ、オールバックにした、精悍な男が立っている。

他の面々とは一味も、二味も違う、ヒリヒリとした危険を感じさせる男は、蘇鼓を値踏みするように眺めていた。

間違いない。
あれが呉虎杰。

暫く、蘇鼓と何か言葉を交わしているようであったが、交渉が纏まったのか、瞬く間に、会場の真ん中にスペースが作られ、ハープが設置される。

そろそろだ。
曜は懐に仕込んだ薬の小瓶を握り締める。

観客たちが、何が始まるのかと、固唾を呑むのを感じながら、そろりそろりと、小瓶の蓋をあけ、コンパクトを開いて床に置いた。

蘇鼓が用意された、西洋音楽の独奏やオーケストラの合奏などに使用される、大きなダブル・アクション・ペダル・ハープの、その優雅な姿に歩み寄り、ハープの側面に設置された華奢な椅子に腰掛、ハープを抱え込むようにして弦に指を滑らせた。

その瞬間、曜は素早く薬を飲み下し、前のめりに倒れるように小さな鏡に向かって倒れこむ。

控え室へと飛び出した時と違い、随分と長い距離をつめたいトンネルを飛ぶようにして駆け抜けさせられた。
眩い光が射して来て、光の中に大きな扉が浮かんで見えた、竜子と嵐が、その扉を懸命に開こうとしている。
曜も、すぐさま扉に駆け寄って、二人と同じく、扉を開ける為に力いっぱい、腕に力を込めた。

「竜子!」

男が竜子を呼ぶ声が聞こえた。

竜子は、その声に聞き覚えがあるのかにやっと笑い「あいよ!」と元気な返事を返した。



光のドアを抜け、這い出るようにして、その外へと飛び出す。

そこには、亜熱帯の如き風景が広がっていた。

南国の如き奇妙な植物が生い茂りじわっと額に汗が浮かぶような、湿気を含む蒸し暑さに包まれる。
鮮やかだか、悪趣味な色合いの花々がそこらかしこに生い茂り、息苦しいような圧迫感を与えてきた。

そして、夥しい数の魔物、魔物、魔物。

自分が降り立っている場所が、銀色の結界の中と知り、周囲に視線を走らせる。
白髪の虚ろな表情を見せている男がいて、真っ白な肌の女がいた。

そして、「曜先輩! 曜先輩!」そう名を呼びながら、腰にしがみついてくる感触に知らず「ああ」と安堵の溜息をついて、その体を受け止める。

「燐は! 燐は、頑張ったのじゃ! 曜先輩の為に、頑張ったのじゃ!」と喚く燐の体をしっかりと抱きしめ「ああ。 よくやった。 えらいぞ、燐」とその頭をくしゃくしゃと撫でた。
そして、曜は銀色の結界の向こう側に立つ金髪の美少年めいた美貌を持つ少女の姿を見止め、「貴方が、翼さんか?」と、問い掛ける。
少女は、曜の問い掛けに頷きで答えた。
曜は、結界の向こうの翼に大声で語りかける。
「この状況を見る限り、この子を、連れて帰りたい所だがそれも叶わぬ身の上。 だが、竜子がこの子の無事を請け負い、何があっても無事に帰してくれると約束してくれた。 竜子が言ってたんだ。 貴方がいるから大丈夫だと。 頼む…この子を…」とそこまで言ったところで、燐が曜の着物の袖を引いた。
「曜先輩。 燐は…燐は大丈夫なのじゃ」
曜を見上げ、泣きそうな顔を無理矢理のように笑顔にして、燐は言い募る。
「燐は…実は、そんなに怖くなかったのじゃ。 燐は、守られる為に此処に来たのではないのじゃ。 翼と、ウラの力になり、この城をひいては、世界を守る為に来たのじゃ。 大丈夫。 燐は逃げ足が早いのじゃ。 いざとなれば、誰も追いつけはせぬ。 だから…」
ぎゅうと曜の袖を皺になりそうなほどに強く強く握り締め、「…翼は…全部守ろうとしておる。 それでは、余りに、翼が辛い…。 燐は…己が身は、己で守る。 翼の重荷にはなりとうないのじゃ」と燐は言った。
曜は燐の顔をじっと見下ろし、ああ、この子は、この場所で驚くべき成長を遂げたのだと悟り、一度コクンと頷く。
「…キミに、此処に行って貰ってよかった。 今、やっと心から思える。 でも、キミが無事に帰ってこなければ、私は即座に後悔する事になる。 だから…」
そう言う曜に向かって、燐は「燐は自分の身を守る実力にかけては天下逸品じゃ! 安心するのじゃ!」と明るい声で答え、燐はドンと胸を叩いて請け負った。
薄く笑い、それから翼に視線を向け「この子がキミに会えた事が何よりも、この件に関わって良かったと思える成果になりそうだ。 どうか、他の誰かだけでなく、キミ自身も無事で…」と曜が心からの祈りを込めて言えば、翼が「お互いに…ね?」と答えて笑う。

竜子が信頼を寄せるはずだと、その笑顔に感じ入り、
曜も美しく微笑み返すと、さっと蝶が羽を広げるように着物を脱ぎ捨てた。
内掛けに縫い付けておいた札により、封じてあった七星剣を呼び出す。
着物の下に、下着として着込んでいた出入り用の小袖姿に変じると、鮮やかな椿の柄があしらわれた着物姿に、下ろしていた髪を素早く纏め上げ、簪で留めた姿は、十二単姿とはまた違う凛とした美しさを露にした。

脱ぎ捨てた着物を、燐に渡す。

「…キミに預ける。 大事な着物なんだ。 よろしくな?」
曜の言葉に感激したように頷いて、それから燐は着物を抱え、深々と頭を下げた。

「…御武運を」

竜子が、ベイブから受け取ったらしい大きなマシンガンを二つ抱えて、白雪に走り寄る。
嵐も、薄紅色の美しい剣を片手に白雪の元へ向かっており、不意に竜子が翼に、大きく手を振り、それから親指を立てた。
燐が、ついと人指し指に貼っていた絆創膏を剥がし、曜に向かって差し出す。
何も言わずとも、燐の意図を理解した曜は、その人差し指に口付けて、燐の血の雫を舐め取った。

たちまち、体中に力が漲ってくるのが分かる。
「じゃ行くぞ!」と竜子の掛け声を聞き、また白雪の胸の鏡に三人は飛び込んだ。

ついと、七星剣の朱色の下諸を口に咥えて引き解くと、一閃、居合いの要領で抜き様に、籠を斬り裂く。
すると一瞬の間の後、ずらりと鳥篭は綺麗な斬り痕を見せつつバラバラと崩れ、籠内から脱出した曜は同じ要領で、竜子と嵐も救い出した。

燐の血の力が効いている。
体の奥底から力がわきあがってくるようだ。

打ち合わせどおり、客たちや、キメラ達会場内にいたものは皆ぐっすりと眠り込んでおり、これで無益な殺生を行わなくて済むと、蘇鼓に感謝する。

「さんきゅ! 曜! っていうか、すっげぇな、お前」

褒められども、表情を緩ませず、「第二陣、間もなく来るぞ…」と曜は告げる。
すると、言葉どおり、会場の異変を察したらしい、K麒麟の連中が、一斉に会場内に飛び込んできた。
皆、どこか、異様な姿をしており、どれもこれも、キメラである事を、曜は察し更に気を引き締める。

その瞬間、曜は、大量の死の匂いを曜は察知した。
もとより備わった、死を予見する能力。
だが、誰という訳でもなく、ただただ、この部屋一杯に死の予感が充満しているのを感じる。
(っ…不吉な…)
そう思えど、雪崩込んでくる敵の勢いは止まらない。

曜は、意識を集中し、無数の鬼を召還する得意技「百鬼夜行」を行使する。
現れたのは、大小様々な、鬼達
キメラ達とはまた、違う異形の存在が大量に群れ、敵に喰らいついていっている。
その鬼の群れの先頭に立ち、七星剣を片手に、次々と敵を切り伏せて行くと、「背徳」の入り口に、背後に大勢の部下を従えた男が立っているのが目に入った。

「呉虎杰…」

唸るような声で、曜がその名を呼ぶ。
確か、会場にいた筈なのに、何故眠っていないのか、曜が疑問を抱けば、空中に浮かぶ蘇鼓を見上げ「いやいや、素晴らしい歌声だった。 情けない事に、俺も前後不覚の状態にされたんだがね、うちには優秀な『Dr』がいてね、彼の処方してくれている『気付け薬』のお陰で、漸く意識を取り戻すことが出来た」と両手を広げた。

ケケケッと、蘇鼓は笑い「馬鹿な野郎だ。 そのまま眠っていた方が、なんぼかマシな死に方が出来たぜ?」と高らかに告げる。
曜が剣を構え、「…キミ達は、こちらのシマを荒らしすぎた。 余りに無法が過ぎる、外道振り。 カタギに迷惑掛けるなんて、無粋の極みってものだよ。 同じ裏稼業で偉そうな事は言えた筋ではないが薬と人買いは許さん。 女・子供に手を出さないっていうのが、この国の任侠人の決まり事だ」と、地の底から響くような声で並べ立てる。
「生憎、大陸では、なんだって儲けた者勝ちでね、この国の、しみったれた任侠道など、一切聞く耳なんざ、持ってないんだ。 さて、お嬢さん? どうするつもりだ?」
虎杰が愉快気に笑いながら問いかけてくる。
「知れたこと…。 呉虎杰、その首もらいうける!」と、酷く迫力のある声音で声を荒げ、曜は凄まじい眼力でもって虎杰を睨み据えた。
「…お前…何者だ?」
虎杰の問い掛けに、静かに笑って答えぬ曜。
そして、どちらとも無く、剣を構え、まるで計ったように同じタイミングで打ち合いは始まった。
キメラ達を鬼を使って足止めし、青竜刀を操る虎杰と一合、二合と激しく打ち合い、更に激しく曜は敢に攻め立ていく。
胴、首、足首。
容赦なく急所を狙い、変幻自在に剣を操る曜の頭上を、何かがポンと飛んで来た。
訝しみ、見上げる間もなく、虎杰が腕を伸ばして、その物体を受け止める。

それは、ホテルから、薔薇姫の控え室へと潜入した際に目にした、まだ、幼い、美しい少女。
虎杰は腕を伸ばして、少女を受け止め、その喉に刀を突きつける。

卑怯な!
そう思えども、曜は動作が止めずにいられなかった。
無辜の命を犠牲にしてまで、果たすべき大儀など、どこにもないというのが曜の信念でもある。

「…甘いな。 『鬼姫』」

曜は、虎杰のその呼び掛けに、「…知っていたのか」と呟く。
「いや、つい先ほど気付いた。 だが、有名人だよ、お前は。 俺も、その評判は散々聞き及んでいる。 とはいえ、冷酷非情で有名な『鬼姫』がお前のような娘とは想像もしていなかった」と虎杰が答えた。
「…お前も、組織を率いる身の上。 人質などという卑怯な真似をせず、正々堂々と私と立ち合ったらどうだ」
冷たい声でそう告げる曜に、虎杰は優しい程、穏やかに笑いかけた。

その場違いなまでの笑い顔に、背筋が凍りつく。
一際濃い、死の匂いが、曜の鼻腔を擽った。

「人質? 違うよ。 ただ…」

その瞬間、虎杰の抱えていた子供の頭が


パンって 鮮やかに弾けた。

「この花を鬼姫に特等席で見せてやりたかったんだ」

笑いながら、血飛沫を浴びた虎杰が言う。

その瞬間、パン! パン! パン!と弾ける音が連続して響き、曜の体にその血が浴びせかけられる。

御覧
薔薇姫は綺麗だった顔が全部飛び散って、オークションに出されていたキメラ達も、みんな、首がない。

「安全装置。 キメラや、薔薇姫が不要になったり、危険な反抗に及んだ際に、すぐに『処分』出来るように、客に渡して合ったんだ。 Drに、キメラ達の後頭部に埋め込ませた爆弾のスイッチをな? Drが、今回納入予定の全キメラ達の爆破スイッチを持っていてねぇ。 肩甲骨の下に埋め込んだ、キメラ達のGPS発信機の反応が不穏だったから、おかしな事をしていれば、すぐにスイッチを押すよう言ってあったんだが…」

そう言いながら、キメラ達を眺め回し「こりゃあ、中々爽快な光景だ」と虎杰は大声で笑った。

頭の おかしい 笑い方

「…赤い花の、花畑みたいだな」


そう言う虎杰に震えながら「お前…どいうつもりだ…。 キメラ…達は、大事な売り物なんじゃないのか?」と曜が問う。

「どうせ、こんな騒ぎを起こしてくれたんだ。 『K花市』は今回で仕舞いになるし、お陰さまで、K麒麟の評判も地に落ちるだろう。 この業界、評判が何より大事…なんて事は言わずとも分かるだろ? だが、良いんだ。 別に、こんなもの。 組織だって、本当はどうでも良い。 俺には、もっと大事なものがあってねぇ、『女王』」

そう、虎杰が竜子に呼びかけ「俺の目的が、あの城だって言ったら、驚いてくれるかい?」と穏やかに告げた。


竜子が息を呑み立ち尽くす。


千年王宮とK麒麟の首領、虎杰が繋がった。


意外な展開に、曜は、呼吸すら止まる心地を覚える。
目の前で死んだ少女の血液が、顎先から滴り落ちた。

一体、これは、どういう事なんだ。

曜の抱いた疑問に呼応するかのように、虎杰が問い掛けてきた。


「さて、お前達、これからどうするね?」


〜to be continued〜



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3432/ デリク・オーロフ  / 男性 / 31歳 / 魔術師】
【3343/ 魏・幇禍 (ぎ・ふうか) / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
【0086/ シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【7521/ 兎月原・正嗣 / 男性 / 33歳 / 出張ホスト兼経営者 】
【3678/ 舜・蘇鼓 (しゅん・すぅこ) / 男性 / 999歳 / 道端の弾き語り/中国妖怪 】
【4582/ 七城・曜 (ななしろ・ひかり)/ 女性 / 17歳 / 女子高生(極道陰陽師)】
【2380/ 向坂・嵐/ 男性 / 19歳 / バイク便ライダー】
【2863/ 蒼王・翼  / 女性 / 16歳 / F1レーサー 闇の皇女】
【3427/ ウラ・フレンツヒェン  / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【4236/ 水無瀬・燐 (みなせ・りん)  / 女性 / 13歳 / 中学生】

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■         ライター通信          ■
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お届けが遅くなってしまい大変申し訳御座いませんでした。
今回は前編のお届けに御座います。
是非続けて後編も参加くださいますようお願い申し上げます。

それでは少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

momiziでした。