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秘めたる主従
人知れず生息する獣達の僅かな気配だけが存在する夜の公園に、およそ不釣合いな少女──白樺雪穂の姿があった。
愛らしい淡いピンクのロリータファッションに身を包み、日傘を差してベンチに腰掛けている様をもし見るものがあれば、今が深夜であるということを忘れてしまうだろう。
だが、美しく映える銀髪と白い肌が、辺りが闇であるという事実をいっそう強く知らしめていた。
規則正しく配置された外灯の光を映して輝く青い瞳が、静かに辺りを見つめている。少女の肩を左右で陣取る白虎の子の『白楼』と黒豹の子の『正影』も同じように、闇に覆われた公園を見つめていた。
昼と夜とでは、世界はまるで違う。
雪穂にとって、夜こそが自分を取り巻く世界といえる。呼吸するように自然に魔道の世界に馴染む雪穂には、生命溢れる昼間よりも、力の満ちる夜の方が行動しやすい。
無明の闇。その中に潜む者の存在を知らぬ者の方が幸せなのかもしれない。
雪穂は公園から視線を外し、膝に置いたスペルカードを見つめた。タロットカードと見紛うそれには美しい絵が描かれているが、今は伏せられ、闇の中に白い蝶とクローバーが浮かび上がっている。
何かを待つように見つめる雪穂の視線に応えるように、スペルカードが一枚、ふわりと浮かび上がった。
大鎌が描かれたカードが、雪穂の顔の位置程まで何者の干渉もなく移動する。
その動きを追って視線を動かした雪穂は、その瞬間でスペルカードの持つ独自の『スペル』を読み取った。可憐な唇から常人では聞き取ることすら不可能な速さで言葉が紡がれていく。
カードの持ち主にだけ読み取れるその魔法字には一つ一つ意味がある。独特の韻を踏んだ詠唱でそれを展開すれば、意味は形を成す。
果たして、雪穂の前にはスペルカードより召喚された者の姿があった。
季節外れといえる黒いコートに身を包んだ青年は、その酷薄な印象を受ける目をまっすぐに雪穂に向けている。
冷たい視線に晒されながら、動じることなく雪穂は微笑んだ。
「珍しいね、君が僕の前に現れるなんてね」
──ダルク、とその青年の名前を雪穂が呼ぶと、青年は自らの名を味わうように目を細めた。
幾度、その名前を他人に伝えただろう。
雪穂は中身を失ったカードをそっと掌で包んだ。
この大鎌──魔法具を作ったのは、他でもなく雪穂自身だ。
元々依頼されて作った物なのだが、月の満ち欠けにも似た形が災いしたのか、なかなか難しい人格を宿してしまったようだ。
元来、雪穂の作る魔法具は、それ自身が主を選ぶ。
当然主になるべき器を持たない者の依頼は受けないのだが、こうして与えられた主を拒む魔法具が無い訳でもない。
たった一人、すべてをささげる主の存在を願っているのだろう。
その中でもこの大鎌に宿る人格である青年は、その傾向が強い。自分の気に入らなかった相手はことごとくその刃の犠牲にしてしまうのだから。
今まで何度望む者の元へと送り、送り返されてきただろう。
そうなると、魔法具としては失敗作と言わざるを得ない。そうした場合、通常の魔術師ならば自らの手で無へと帰すのだが、雪穂はそれを自分のスペルカードに封印するという形で手元へと残していた。
青年の視線が、雪穂の持つスペルカードへと移動する。
「何故、私を壊すことをしなかったのか?」
不意に青年の唇が言葉を紡いだ。
雪穂は僅かに目を見開き、改めて青年の表情を眺めた。自らの『命』の問いであるにも関わらず、その表情は仮面のように変わる事はない。
雪穂は唇の端を吊り上げ、笑みを浮かべた。
「僕は、君みたいな子がほっておけないんだよ」
計り知れぬ力を宿した青年をまるで子供の様に眺めやりながら、どこか楽しげに、悪戯っぽく言葉を返す。
自らの欲望に従順でまっすぐな『意思』を持つ故に、他人を、自分をも傷つける──性格。
何者にも束縛されない異形ゆえの奔放さと、弱く思い悩む人間とが、交じり合ったかのような性質。それこそが雪穂が彼を手元から放さない理由なのかもしれない。
仮面のように動かない青年の顔を見つめていた雪穂は、公園の入り口へと視線を走らせた。雪穂の『場』を汚す無粋な闖入者の気配を感じたのだ。
空気の読めない酔客の登場に、雪穂は指でカードを挟み、青年へと突き出した。
「カードに戻って」
勿論雪穂が『力ある言葉』を放てば、再び封印する事は容易い。だがあえてそれをせず、ただの言葉を発する。
その命令とも、お願いともつかない言葉を、青年は恭しく頭を垂れて受け入れた。
「我が主の思し召すまま」
唯一、自分が主と呼ぶ者の求めを。
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