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<東京怪談ノベル(シングル)>


     リフレッシュ・サプリメント

 その日、みなもは嫌なことばかり続いて、少しへこんでいた。
 テストの成績が悪かったりとか、部活でいい記録が出せなかったりとか、友達とちょっとしたことでケンカしてしまったりとか。
 1つ1つはささいなことだけど、こうも立て続けに起こると気が滅入ってしまう。
 みなもは小さなため息をつきながら、とぼとぼと帰り道を歩いていた。
 薄闇の空に街灯がぼんやりとした光を放っている。
 通いなれた道の途中で、みなもはふと、見覚えのない店を見つけた。
 いつの間にできたんだろう、全然気がつかなかったけど。
 不思議に思い、首を傾げる。
 看板には『なりきり体験〜新しい自分を見つけませんか〜』とある。
 その横に小さく『衣装貸。記念撮影有』と書かれている。
 少し怪しい気もするが、みなもは新しい自分、という言葉に惹きつけられた。
 嫌なことが続けば、別の自分になりたいと願ってしまうものだ。
 いい気分転換になるかもしれないと、その店に入ってゆくことにした。


 中に入ると、そこには大きな張り紙があった。
 色々な学校、職業の制服、色々な時代の装束などが見本として飾ってあり、それぞれの簡単な説明がある。
 なりきり体験というものはつまり、コスプレのようなものらしい。
 ただキャラクターなどではなく、実際にある衣服なので貸衣装にも近いのかもしれない。
 みなもはあまり詳しくないので、よくわからなかったが。
 みなもは、巫女の衣装に目を惹かれた。
 神職というのは、どことなく世俗を離れたイメージがあるからだろうか。
 神を第一として、神に仕える。
 そういう明確な目的があるのは、ある意味ではずっと楽なことなのかもしれない……。
「あの、巫女装束を着てみたいんですけど」
 いるのかいないかわからないような受付に向って声をかけると、衣装のサンプルの山からにょっと顔が覗いた。
「かしこまりました。5番の衣裳部屋へどうぞ」
 言葉と共に、スッと番号札が差し出される。
「今案内のものが参ります。着付けはそのものがお手伝い致します。衣装はお部屋に用意しておりますので」
 無表情と事務的に口調で言って、また奥に引っ込もうとする。
「あの、お金は……」
「お帰りの際にまたお立ち寄りください」
 何だか、奇妙な感じだった。
 大丈夫なんだろうか、変なところじゃないんだろうかと、怪しみながらもやってきた案内に従い、廊下を進む。
 通されたのは、純和風の客室のようなところだった。
 襖に囲まれ、畳の敷かれたその部屋は、ただ着替えるだけにしても妙に風情がある。
 案内人は中に入ると、衣装などが入った藤かごを取り出してきた。
「まずは、髪の毛を水引きで結わえさせていただきますね」
 黒いゴムで髪を一本にまとめ、和紙でくるむらしい。
 みなも自身は何が起こっているのかよくわからなかったけれど、合わせ鏡で見せてもらうと折り目のついた和紙に赤と白の紐が結んであった。
「それでは足袋を履いて、和装下着を身につけていただきます。今着ているお洋服をお脱ぎ下さいませ」
「あ、はい……」
 相手は女性とはいえ、目の前で脱ぐのは妙に気恥ずかしい。
 そう思っていると。
「あちらに屏風がございますので、何でしたらその後ろでどうぞ。もし着方がわからなければお申し出下さいませ」
 ためらうみなもに足袋と下着を手渡し、深々とお辞儀をして部屋の隅に戻っていく。
 みなもはせっかくだからと、屏風の陰にいくことにした。
 1枚、また1枚と、まとっていた制服を脱いでいくと、身体だけではなく心まで軽くなっていくように思えた。
 『制服』という、堅苦しい現実の象徴。学生らしさという枠組み。
 そうしたものから、どんどん解放されていく気がするのだ。
 それは、普段の着替えとはまた違った感覚だった。
 何故なら、今までの自分を脱ぎ捨て、全く別の自分になろうとしているのだから。
 和装下着や足袋なんてあまり身につける機会はないし、それだけでも十分にもの珍しいものだった。
 肌着を身につけ、その上に白く薄い絽(ろ)の襦袢をまとう。
 襦袢には赤い、半襟と呼ばれるものが縫いつけられているため、その部分だけが妙に浮き上がっているように見えた。
 腰紐で軽くウエストを締めて襦袢を固定し、伊達締めと呼ばれる柔らかい帯のようなもので更に固定していく。
 その上から更に足首まである白衣をまとい、純白の帯をつける。
 つま先まで真っ白に包まれると、何だか自分自身も清らかになったような気がしてくる。
 白衣の襟から覗く赤い襟の色がよく映えていた。
 今度は、その上に緋袴をはく。
 胸のすぐ下くらいまで前の袴を持ち上げ、左右にある紐を前から後ろに一周させ、交差させてもう一周させてから後ろで結んでもらう。
 次に後ろ側の袴を持ち上げ、後ろについている白い「へら」を結んだ紐を入れ、後ろの袴を固定する。
 それから更に後ろの袴の紐を前にもってきて結ぶ。
 見ているだけでも大変な感じがするが、さすが着付けの人は慣れているらしく、手早いものだった。
 ――これが巫女さんの衣装かぁ。
 そう思うと、何だか神聖な感じがしてしまう。
 みなもは両手を軽くまげて、白い袖の部分をちょっとだけつかんでみる。
 袂が垂れて小さく揺れた。
「この状態でも1枚お撮りしておきますか」
「え、まだあるんですか」
「礼装用の上着と、小物がございます。そちらは撮影場所まで持っていってもよろしいですが」
「あ、じゃあ……お願いします」
 とりあえず、今の姿を撮っておきたいというのもあり、みなもはうなずいた。
 着付けをした女性は衣装や小物の入った藤かごをかつぎあげ、襖までもっていくと、わざわざ床に座り、かごをおいてから襖を開けた。


 次の間も和室だったが、そこには祭壇が組まれていた。
 着付けの間に用意したのか、ここは巫女や神官専用の部屋なのかはわからないが、簡易ながらも神道系の祭壇のようだった。
 その前には立派な撮影器具がそろっている。
 榊を手にして、少しすました感じに微笑んだ姿がカメラにおさめられた。
 あまりはしゃぎはせず、清楚で真面目な雰囲気の彼女の姿は、巫女のイメージにピッタリに見える。
「よくお似合いですわ。まるで本物の巫女さんのよう」
 みなも自身、服装のせいかいつも以上に所作に気を使ってしまうのを感じる。
 頭からつま先まで、指先の一本一本にまで神経を使うのは、カメラを意識しているせいではなかった。
 それよりも、もっと別の……神様の存在を意識していたからかもしれない。
 だけどそれは重苦しい感じではなく、むしろ心地のいいものだった。
 人の目を気にして生きるのは疲れるのに、神様が見守ってくれていると思うと安心してしまうのは何故なんだろう。
 そんな風に考えながら、今度は千早という上着を羽織ってみる。
 模様の入った薄い上着は、まとってみると以外に長い。
 鮮やかな色の飾り紐を胸元で結ぶと、さっきとはまた違った雰囲気になった。
  金色の前天冠(まえてんがん)と呼ばれる冠を頭につけ、金色の鈴がいくつもついた神楽鈴というものを手にする。
 鈴には長めの柄がついていて、そこに五色に彩れた長い布が垂れている。
 その姿でも勿論写真を撮ったのだが、そのときには写真なんてどうでもよくなっていた。
 元々、記念写真よりも気分転換を目的にしていたのだ。
 そしてその目的は、見事に果たしているように思えた。
「――ご存知でしょうか。現代では巫女というのは神職の補助的なイメージが強いですが、古来は祭祀の中心だったのですよ。神がかりといって、神霊の類を口寄せしたり、神楽などで舞を奉納したりと」
 不意に、今まで必要なこと以外はしゃべることなかった女性が口をひらいた。
「確か女王の卑弥呼なんかがそうだって聞いたことは……」
「えぇ、そうなんです。神道というものが今、廃れつつあるのは、もしかしたらそのせいなのかもしれません。明治の時代に神霊の託宣を禁じられたせいです。本来の姿から変わってきているから……っ」
 急に真剣な口調で言って、彼女はグッとみなもの両肩をつかんだ。
「あなたは容姿、態度、立ち振る舞い、全てにおいて優れています。きっと清廉な魂をお持ちなのでしょう。あなたなら、あなたならば現代の巫(かんなぎ)に……っ」
「えぇ!? む、無理です。あたし、何も知らないですし……」
「お教えします! 知識などは後でも構いません。要は素質の問題で……」
 確かに、みなもは神に仕えるというのをうらやましくも思ったし、神に見守られていると思うと安心した。
 しかしその真剣さからしても、『じゃあ巫女になります』などと簡単には口に出せないものがある。
「えっと、あの……すみません。あたし、できません」
 みなもはそういって、丁重に断りを入れる。
 誰かのために何かをする。誰かのために生き、誰かのために存在する。
 ある意味では他人に依存した生き方。
 目的のあるその道は、楽に見えて憧れたけど……。
 そうした生き方は、何も巫女さんでなくてもできるのかもしれない。
 気分転換もできたことだし、もう少し楽な気持ちで頑張っていこうかな……。
 そんな風に考えながら、みなもはその店を後にするのだった。
 来たときとは違う、晴れ晴れとした気持ちで。