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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


溢れ出るメロディ



1.
 その日、草間興信所の扉を叩き入ってきた依頼人がいったい何に困って此処を訪れようと思ったのか、草間にはすぐにわかったし、草間でなくともわからないもののほうが少ないだろう。
「あー……、間違っていたら悪いんだが、あんたが困っているのはそのことだよな?」
 万が一違う場合も考えに入れながら草間がそう言って指差したのは依頼人の口元だったが、その口は明らかに普通の状態ではなかった。
 その口からはずっと音楽が流れ出している。歌っているのかといえばそうではなく、口から勝手に音が溢れ出ているというほうが正しいもののようだ。
 口を開けばそれがスピーカーの代わりとなって音楽が流れ出す。どうやら依頼人はそんな状況らしい。
 呼吸に支障はないのかと最初は草間も心配をしたが、それは問題がないらしい。
 どうやら口を開けなければ音楽は流れないようだが、ずっと口を塞いでいるわけにもいかず、何か解決の手立てはないかとこの草間興信所に訪れたということのようだ。
 しかもそれは鼻歌と呼べるようなレベルではなく周囲に響くような音量で朗々と流れているので、依頼人本人もだが周囲にも少々厄介な現象だ。
『どうにかしてこの歌を止めてください』
 絶えず口から流れ出る音楽が興信所に響き渡る中、依頼人は困り果てた様子で差し出されたメモにそう書き記し、草間もまた困り果てた顔になりどうしたものかと思案していた。
 流れている音色は、草間が今まで聞いたどの音楽とも一致しないが耳に届くその音は一種独特の響きがあり、ややもすれば依頼を忘れて聞き入ってしまいたくなるような魅力がある。
 依頼人に心当たりはないのかとくどいほど尋ねても、依頼人はまったくわからないと答えるだけで、流れているメロディにも覚えがないという。
「心当たりがまったくないってことは、あんたが知らない、もしくは気付いていない何かのせいって可能性が高いな」
 その何かがわかればこの依頼は案外すんなりと解決するかもしれない。そう感じたのは草間の探偵としての勘だ。
 だが、その勘もいったいそれが何であるか、何処を探ればよいかまでは示してくれそうにない。
「……参ったな、いったい何があってこんなことが起こったんだ?」
 と、その問いに答えるかのように、その声が聞こえてきた。
「恨みを買ったのさ。悪魔のね」
 不意に聞こえてきたその声に草間が慌てて周囲を見渡せば、いつの間に現れたのか、まるではじめからその場にいたかのような佇まいのパンドラの姿がそこにはあった。


2.
 たなびく銀色の髪と見るものが魅了されそうな怪しい光を帯びた金色の左目、何より人にはない四枚の翼と蛇のような尾が、初めてその姿を見た依頼人にさえ充分にパンドラが人とは異なる存在であることを示している。
 突然現れた人ならぬものに呆気に取られている依頼人に対し、パンドラは優雅な仕草で会釈をしてみせる。
「初めまして、ボクはパンドラ。キミをいま悩まされていることから解放するために現れたものだ」
「目的は何だ」
 パンドラのその言葉にそう問い返した草間に、パンドラは笑みをたたえたまま答える。
「なに、ただの気まぐれだよ」
 パンドラの言葉に嘘はないと判断した草間はそれ以上パンドラがこの事件に関わろうとする理由を聞くことはやめた。気まぐれだろうと何だろうと、依頼人の身に起こっている怪異を解決するかもしれないというものが現れたことは幸運なのだろう。
 たとえ、パンドラがかつて『パンドラの箱』と呼ばれる災厄をこの世にもたらしたものより現れた悪魔であろうとだ。
 しかし、パンドラの言葉ではどうやらその悪魔でなければこの事件は解決できないようにも解釈できる。
「悪魔の恨みを買ったって言ったな。だが、そう簡単に悪魔が人間に恨みなんてものを持つもんか?」
 草間自身は悪魔について必要以上に詳しいわけではないが、悪魔というものが人間に対して恨みという感情を容易く抱くような存在であるとは思えない。
 その草間の問いに答える代わりにパンドラは依頼人と草間の顔を交互に見てから口を開いた。
「ボクが話すより、恨みを抱いている本人に直接聞けば良い。そのほうが話は早いだろう?」
 言いながら、パンドラはゆっくりと手をふたりの前に差し出した。
「連れて行ってあげよう、彼女の元へ」
 そう、パンドラが言い終えるのとふたりの周囲に変化が起こったのはほぼ同時だった。
 つい先程まで草間と依頼人、そしてパンドラは草間興信所にいたはずだった。だが、いま三人を取り巻いている景色は興信所のそれとはまったく違う、いやそもそも人間のいる世界とはまるでかけ離れた世界だった。
 空には怪しい色をした雲が覆い日の光はいっさい差していない。にも関わらず周囲には淡く暗い光が溢れ、何処か陰気で人を拒絶しているような、しかし何処かでは人を誘っているような奇妙な空気がふたりを取り巻いていた。
「おい、ここは何処だ!?」
「魔界だよ、言ったじゃないか彼女の元へ連れて行くと」
 困惑している草間に対しパンドラはさも当たり前のようにそう答えた。
 依頼人はといえば声を上げようにもその声は一切出ず、しかしぽかんと開いた口からはその代わりのように音楽が流れている。
「さぁ、行こうか。ボクのあとを付いてくれば良い」
 ふたりのそんな様子を気にするでもなく、パンドラはふたりを目的の地へと招いていった。
 この世界がどういうものか理解できずとも、ここで彼女とはぐれてしまえば自力で戻ることは不可能だということくらい草間にも依頼人にも理解はできたので、おとなしくふたりはパンドラの後を付いていく。


3.
 パンドラによって草間たちが導かれた場所は、濃い霧に包まれた湖だった。
 草間たちが知っているどの色とも違う奇妙な色が混ざり合っている水をたたえた湖の縁に立つと、パンドラはついとある方向を指差した。
「ほら、あそこにいるのがキミに呪いをかけた彼女だよ」
 その声が聞こえたのか、指差された場所に腰かけていたものがゆっくりとパンドラのほうを向いた。
 艶やかで海の底のような黒に近い青い髪を腰まで垂らした、それは腰から下が魚……人魚だった。
 人魚はパンドラたちの姿を認めると鋭い目を向け口を開いた。
「なんだ、貴様何用があって我の元へ来た」
「ボクが用があるわけじゃないよ、用があるのはこの人間のほうだ」
 パンドラの言葉に、ようやく人魚は彼女の傍らに人間がいることに気付いたらしくその目を草間と依頼人に向ける。途端、その目に宿っている光がいっそう鋭くなる。
「貴様、どうやって魔界へ来た」
「ボクが連れてきたのさ。キミが彼女にかけた呪いを解いてほしくてね」
「おい、勝手に話を進められてもこっちにはさっぱり意味がわからん。なんだって呪いをかけたのか説明してくれ」
 草間がそう言った途端、人魚はいまにも牙をむかんばかりに睨みすえて低い声を発した。
「貴様、それもわからず呪いを解いてもらおうとのこのこやって来たのか。我を愚弄しておるのか」
「愚弄も何も俺たちはこいつに何の説明もされてないんだ!」
 敵意をあらわにした人魚に対し慌てて草間はそう言い、パンドラもそれに加勢するように口を開く。
「キミ自身が彼女に説明したほうが良いと思って何も説明をしていないんだ。きちんとキミの口からことのいきさつを説明してあげてくれないかな」
 パンドラの言葉に人魚は「ふん」と不快そうな声を漏らしつつも敵意を抑え、じろりと依頼人をにらみつけた。
「わかった。我がちゃんと説明してやろう。もともと貴様を殺す気があって呪いをかけたわけではないからな」
 それから人魚は淡々と事のあらましを語りだした。
 依頼人の祖父は元歌手だった。その祖父と人魚は交友があり、人魚は祖父のために曲を作り与えた。その曲はいわばふたりの友情の証であり、祖父はその譜面を大切に保管していた。
 だが、本当に依頼人が幼い頃に他界した祖父が歌手であった頃を知らなかった彼女は、部屋を掃除しているときに譜面を見つけたもののそれをあっさりと捨ててしまった。このことが人魚の逆鱗に触れた。
 そして、人魚は彼女に口を開けば音楽が流れるという呪いをかけた。流れている音色は昔人魚が祖父に送り、そして依頼人が捨ててしまった譜面のものだったという。
「譜面を元に戻してくれさえすれば貴様にかけた呪いは解いてやろう。だが、それを断るというのなら貴様は一生そのままだ」
 事情がわかり、解決法もわかった上でその人魚の提案を断る理由があるようには草間には思えず、ひとまず見知らぬ祖父が悪魔と親しかったということに驚きを隠せないでいる依頼人を説得することを始めた。


4.
「どうだい、呪いは解けそうかい?」
 数日後、やはりいつの間にか興信所にその姿を現したパンドラに対し、草間は驚く様子も見せずあれ以降のことを説明した。
 事情を飲み込み、草間の説得を受けた依頼人はあれから必死に楽譜を元通り完成させようとしているらしい。
 とはいえ、依頼人自身音楽に明るいわけではないので口を開いてはその音を聞き取りながら、それを譜面に書いていくという行為はなかなか根気のいることであるようだったが、そこへ草間の予想していなかった助っ人が現れたという。
「あの人魚の声も一緒に聞こえるようになったそうだ。音を聞き違えればそうじゃない、合っていれば正解だという具合にアドバイスをくれるんだとさ」
 どうやら、人魚はかつて友情を結んだものの血を継ぐものと新たな友情を築くつもりももしかするとあるのかもしれないというのが草間の見解だった。
「じゃあ、その楽譜が完成した後、彼女は別の楽譜も新しく得た友人からプレゼントされることもあるかもしれないね」
 話を聞いたパンドラがそう言ったとき、草間はようやく気付いたようにパンドラのほうを見た。
「おい、お前まさかこうなることまで全部知ってて俺たちを魔界とやらに連れて行ったのか?」
「さぁ、それはどうかな」
 すべてがパンドラの手の内で踊らされていたのに過ぎないのではないかと疑いの目を向ける草間に、パンドラはどちらともつかない笑みを返しただけだった。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)       ■
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7374 / 魔帝龍・パンドラ / 女性 / 999歳 / 悪魔
NPC / 草間・武彦

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■         ライター通信                    ■
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魔帝龍・パンドラ様

初めまして、ライターの蒼井敬と申します。
この度は、当依頼にご参加いただき誠にありがとうございます。
怪異の原因が悪魔の呪いであり、依頼人の祖父が悪魔と友人であったということから依頼人と呪いをかけた悪魔も新たに友人になるような流れとさせていただきましたがお気に召していただけましたでしょうか。
またご縁がありましたときはよろしくお願いいたします。

蒼井敬 拝