コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


Lady and Saw Delusion


 苛めとは……ある一瞬の出来事から始まり、しかとや悪口、時には暴力にまで発展する“虐待の一種”であろう。それは外界、主に会社や学校で見られ、被害者に精神的な傷を植え付ける事が出来る。その傷はよほどのことがない限り永久に残り、時折気が狂うほどの痛みを伴って血をだらだらと噴出す。

「また今日も苛められた」
 彼女はぽつりと呟いた。夜、踏み切りの近くで立ち尽くしている女性。かあんかあんと鳴る踏み切りの赤いライトに照らされて、彼女は手に持った鋸をゆっくりと構えた。
「今日こそは、今日こそは……復讐する。復讐……する」
踏み切りの音。それは警告か、後押しか。鋸にもライトは当たる。もうすでに血に染まったかのような赤い鋸。
「凶器と勇気が、あれば……復讐、出来る。復讐……出来る」


 神聖都学園で、夜な夜な血まみれの死体が見つかるようになっていた。それは喉や四肢を切断され、ある教室にばらばらになったまま転がっていると言う。被害者は大抵の場合、教室内でグループを作って明るく話している女子生徒。もしくは、乱暴な素振りが多い男子生徒だ。
「本当に、信じられない」
テレビの中で――被害者の友達は、いつだってそう呟く。
「とてもいい人だったのに。なんであの子は死ななきゃいけなかったの?」


 踏み切りに立つ女性。目を閉じれば、こちらに向かって鉛筆を投げてくる男子生徒が居る。こちらを向いてひそひそ話し、にいっと口の端を吊り上げる女子生徒が居る。どこまでも黒い影にぎらぎらした赤い目を持つ悪魔。私がこんなになってしまったのは、あなたの所為なんですよ? 知っていましたか? 口を動かそうとすれば、そんな言葉ばかりが喉の辺りにまで込み上げてくる。教室の隅にぽつりと座る自分が居る。
『助けてあげるよ』
脳みその中にまで響くような声。鋸の声。
『大丈夫。僕が居れば、大丈夫。君を苛める人は、みんな僕がやっつけてあげるよ』
女性は笑った。「そうね」と、笑った。
『きっと、助けてあげるよ』
もう、自分を笑うものはいなくなる。指を差して陰口を叩く人はいなくなる。その後のことはどうでもいい。真っ白な空間で、誰にも愛されず過ごしていられればいい。傷つく側から、傷付ける側に廻るのだ。そうでなければ……心が死んでしまう、と。


 事件が始まった直後、調査依頼が誰もの耳に届くようになったのは、言うまでも無い。



 見下ろす視線、虚ろな目。じわじわと滴るは血。彼女に近づくのは小鳥のみ。細い呼吸は風に消されて、どこか遠くに染みていく。これは誰の為の復讐か。気付けば全てが色褪せる。知りながらにして認めない。許すも許さないも生まれない。あるべきものは自分の命だけ。恐れる物はなにもない。ただ、この世界を終わらせて欲しいだけ。この道に休息が欲しいだけ。誰が正しいなんて、人には決められない。いくら涙を流しても、彼らはにやりと笑うだけ。
 人は自分なしじゃ生きられないのだから……終末を選んでしまえば、本当なら何が起きたって誰にも咎められる事は無いのだ。
 つまり。勝手でない人間なんて、どこにもいるべきではない。


 夜。りいんりいんと鈴虫が鳴き、夏だと言うのに涼しい風があたりを吹き抜ける。猿渡・出雲(さわたり・いずも)は、買い物帰りの道を辿っていた。ほんの少しだけ小腹が空いたので、夜食でも食べようと、近くの店へ足を伸ばしたのだ。好きなお菓子、好きな飲み物を、予定より少し多めに買い、鼻歌交じりで道を急ぐ。肌寒い空気が頬を撫で、出雲は思わず微笑んだ。こんな過ごしやすい日が続くのなら、夏も悪いものではないな、と。
 しかし、ふと……この何も無い夜道に不釣合いな音が聞こえて、出雲は顔を上げた。
「踏み切りの、音……?」
 そう。どこかから吹くゆるゆるとした風に乗って、かあんかあんと、微かに踏み切りの音が聞こえてきたのだ。この周辺に踏み切りは無い。空耳だろうか、と、首を捻る。しかしそれは幻聴である事を否定するかのようにかあんかあんと鳴りつづけた。消えたと思ったら現れて、現れたと思ったら消える。まるで雲間の月の様に。それと違うのは一つ。どんなに音が小さくなったとしても、耳を塞いでみたとしても、翳みながらも聞こえてくるのだ。

「これはね、これからのあなたにあるべき音なの」
 出雲がぴくりと身を震わせた。不意に女性の声がしたのだ。敵か、妖怪か。神経を張り詰めて、こちらへ近寄る気配が無いか、慎重に探る。
「あなたは誰。あたしに何か用?」
「聞こえてしまうのね。鼓動と涙、憎しみ。大丈夫、いずれ終わる。歌は終わるものよ。ららら……」
 踏み切りの音をBGMに、女性の声は小さくなっていった。今にもくすりと笑い出しそうな声だった。
「どこに居るの。あたしの声に返事をしなさい」
「大丈夫、生きるべきではない。死ぬべきでもない。勝手。勝手。勝手よ。ああ、ああ……。ららら……」

 出雲は警戒を解かないまま辺りを見回した。女性の声は消えていった。踏み切りの音も、冷たいそよ風と共に消えていく。意味が解らない。一体、何を伝えようとしていたのか。こちらを敵として捉えたのか、それとも何かの助言であったのか。念のため、しばらく立ち止まったまま周囲の音に耳を澄ましていたが、あれきり踏み切りの音も女性の声も聞こえなくなった。
 突風に木々がざわざわと揺れる。雲が月を覆い隠し、あたりを暗い色に染めていく。どうしたものか。殺気に近い気配が無いのが何よりも幸いであった。今はなるべく早く帰るべき場所へ帰ることが先決だろう。出雲は歩き出した。

 暗い道を歩きつづける。街灯が音を立てて点滅している。何人もの人とすれ違い、いくつもの風とすれ違った。影は揺れる。何時の間にか鈴虫は鳴き止んでいた。あるのは、足音と自分の呼吸と鼓動と風だけだ。
「あれ」
 出雲は思わず声を上げた。目の前を歩いていた女性が、ふらりとよろめき、そのままアスファルトの上に倒れてしまったのだ。小さく呻き声を上げる彼女の元に、出雲が駆けつける。
「どうしたの? 大丈夫?!」
 肩を叩き、上体を起こす手伝いをする。女性は片手で顔を覆い、まだ小さく呻き続けていた。
「う、あ、うう、」
 添えた手に伝わってくる、細かい震え。
「の、鋸……鋸、私を……鋸が……」
「鋸……?」
 女性はそれだけ呟き、うう、と、再び呻くと、首を振った。
「いいえ、なんでもない、です。大丈夫、です……」
「本当に? 途中まででもあたしが送っていくけれど」
「ありがとうございます、でも、大丈夫です。明日もまた、学校ですし。神聖都学園は、遅刻にも厳しいですから……」
 未だ顔を押さえながらも、彼女は立ち上がり、よろめきながらも道を歩いていった。頼りない足取りに、出雲は構わず彼女を家まで送ってあげようかと思い立ったが、それで自分の帰りが遅くなってしまったら危険だと踏みとどまった。何があったのかを聞けなかったこと、助けられなかったことに後ろ髪を引かれながらも、帰り道を辿る。ただ、何かしらの悪い予感がふとよぎり……何か小さくてもいい、情報を知っておくのも悪くは無い筈だ、と、翌日に行動を起こす事を決めた。
「何かが起こってからじゃ遅いし、ね」
 腕を組み、自分の言葉にうんと頷く。無論、自分に起こった出来事、あの踏み切りの音のことも忘れることなく。



「という訳で。佐介、才蔵、頼んだよ!」
 出雲の声に、キキキッと声を上げる二人……否、二匹の猿とチンパンジー。おそらく、了解ッ! と返答したのだろう。
「神聖都学園に潜入して、鋸による事件の事をしっかり調べる事。よろしくね!」
 返事の変わりに元気な声を上げ、佐介と才蔵が走り出した。

『神聖都学園か、二人で捜索するには広い場所じゃのう』
『文句を言わず、支持は的確にこなすでごザルよ』
 キキキと猿語で喋る二匹の間には、しっかりと意思疎通が成り立っているようである。屋根と屋根を飛んで伝い、神聖都学園へと向かう。素早い身のこなしは、まさに忍者そのものだ。
『ワシが思うに、潜入は二手に分かれたほうがええと思うんじゃ、どうする』
『異論はないでごザル。学園に着いたら、どこで落ち合うか決めるでごザル』
 近づいてくる学園の影を見つめつつ、目にも留まらぬ速さで屋根を飛び移る二匹。壁の上を駆け、時には電柱をも使い、ほぼ一直線に学園へと走った。


「さて、あたしは……」
 二匹の後姿を見送った後、出雲は別の方向へと向き直った。
「あの人は神聖都学園の生徒と言うのが解っているし、やっぱりあの人から話を聞いた方が解りやすいかな」
 しかし、あの女性がどこに住んでいるのかは解らない。どうしようと首を捻り、とりあえず昨日辿った道へと出てみることにした。
 真夏の街道は、無論暑い。手でぱたぱたと風を送りながら、あついと呟きたいのを堪え、額の汗をそのままに歩く。あまりにも長く居すぎるとバテてしまいそうだ。ジワジワと鳴くセミの声を聞きながら、建物や木の影から影へと移動するように道を辿る。朝方と言うこともあって、学園へ向かうのであろう生徒も多く見かけた。一人で登校するものが多いらしく、話し声は聞こえない。
 数十分ほど経ち、流石の暑さにグロッキーになってしまった出雲は、木陰に入り木の幹に背を預けていた。思わず溜息をつき、せめて風が吹けばもう少し涼しくなるんだろうな、と、服の袖で汗を拭った。

「でさ、先生は何も言わないけど、調べると色々出てくるのよ」
「あ、知ってる。鋸でバラバラにされてるんでしょ? 昨日も怪我人出たらしいよね」
 目の前を通り過ぎた二人の生徒の声に、出雲は顔を上げた。
「こんなに何度も続くと逆に怖くなくなるよねー」
「そうそう。私のクラスなんか、事件に合ったフリしてズル休みしてるのが居るの」
 何度も鋸による事件が起きているのか。真剣な顔つきになり、考え込む出雲。
「何それ! 流石にバレるでしょ」
「バレてたバレてた。だって、怪我したら普通病院行くじゃない。生き残ってる人も珍しいけどね」
 病院か。顎に指を当て、行って損は無いだろう、と頷く。もしも学園で事件が起こっているのなら、止めるべきだろう。木陰を離れ、早足に歩き出す出雲。それにしても、何人もの犠牲者が出ている事件を、何故学園はそのままにして、生徒も普通に登校しているのだろう。普通ならしばらく学園を閉鎖して様子を見るべきなのではないだろうか。湧き出る疑問を首を振って掻き消し、今は病院に向かうべき、と自分に言い聞かせる。
「今夜は、誰が死ぬのかな?」
 生徒が放った、まるでテレビでも見ているかのような発言に、耳を傾けないまま。


『やーれやれ、広い建物じゃのう』
『早速二手に分かれるでごザル。夕方になったら、この玄関先で落ち合うでごザルよ』
 キキキキッ、と言葉を交わす二匹。直後、それぞれ方向を変えて、潜入を開始した。

「えーっ、またあのクラスで?」
「そうそう。やっぱり鋸でバラバラだって」
 佐介が廊下を通り抜けていた時。女子生徒が数人集まったグループが、事件のものと思わしき会話をしていた。佐介はピンと頭の上で電球を光らせると、キキキッ! (訳:影潜りの術!)と鳴き声を上げ、彼女らの足元の影へと同化した。女子のグループは、こう言った話題については、よく話すしそれなりに詳しい。それを見越してなのか、それとも女子生徒だからなのか解らないが、佐介はこのグループの影に潜入し情報を稼ぐ事にしたようだ。

「えっ、あいつが?! 嘘だろー、また事件の犠牲者が出たのかよ」
 同じ頃。才蔵の目の前を通り過ぎる二人の男子生徒。才蔵はふむ、と顎に指を当て、そのまま静かに影潜りの術を使った。ドロンと姿を変え、生徒の影へ忍び込む。どうやらこの男子生徒は教室に帰る所らしく、教室で情報を掴もうとしていた才蔵にとっては良い機会であったのだ。
「確かさ、そいつ、全国大会に出場決まったんだよな?」
「これじゃあきっと大会どころじゃないだろ、ただの怪我で済むはずないし」
「もしかして、死んじまったのかな……」
「朝礼で報告があるだろ。……それにしても、これで葬式何回目だよ」
 心なしか、いや、当たり前か、どの生徒も顔色が悪かった。ざわざわとする教室に流れる空気は、間違いなくまずいものだ。
「でもさ、あいつ、他の奴いじめてたりしたじゃん」
「え? そんなに悪い奴には見えなかったけど」
「いや、相談する人がいないやつとかだけ狙ってたんだよ。知ってるのは俺が同じクラスだった時だけだけどさ」
 影の中で、才蔵がほほうと眉をひそめる。他にも情報が無いかと、影から影へと移動し、囁かれる噂を聞いて廻った。

 ちなみに、その頃。
「キャーッ、覗きよ! 覗きザルよ!」
「本当だ、いつの間に?!」
 女子生徒の影に忍び込んだ佐介は、そのまま女子更衣室へと辿り着いていたのであった。
「キキキキーッ! (訳:おお、やっぱり若い女はたまらんのぉ!)」
 鼻血を文字通り大出血サービスしている佐介。ついでに、才蔵が居なかったから堪能し放題じゃ! と言ったかどうかは定かではない。
「出て行ってよ、変態ザルー!」
 きゃあきゃあと騒ぐ女子生徒に踏まれもまれ、窓の外へと放り出される。それでも更衣室の中に居た時間はそこそこになるので、どうやら佐介は満足している様子だ。逆に、あれ以上室内に居たら大量出血で失神しているはずである。
「キキキキキッ。(訳:やはり、女子生徒……やのうて、学園の平和を守る為にも、しっかり仕事せんとなぁ)」
 鼻血を拭き、胸を張る。まあ、動機も純粋な物と言えば純粋な物。才蔵は呆れるかもしれないが、やる気があるのはいいことである。すっかり納得してしまった佐介は、才蔵と落ち合う為に、玄関先へと走り出した。


 出雲が病院へと入り、学園の生徒を探して廻っているうちに、日は大分傾いてきていた。病室に入り込んで生徒を探すわけにも行かないし、廊下を歩いているくらいしか出来ない。看護婦に尋ねてみると、殆どの生徒が何かに怯えているようで、面会を拒否していると言うことだった。
「無駄足になっちゃったかなあ……」
 がっくりとうなだれ、とぼとぼと廊下を歩く。ふと顔を上げれば、向こうから歩いてくる患者が目に入った。見た目からして、学生のようだ。顔色は少々悪いが、自分の足で歩いているところを見れば体力はあるようだ。もしかしたら何か知っているかもしれない。出雲が近づくと、彼女も顔を上げた。
「ええと、ちょっと聞きたいんですけれど、いいですか」
「え……は、はい」
 腕を一瞬だけ震わせたが、彼女は視線をしっかりと出雲へ向けた。あの、と、出雲が切り出す。
「神聖都学園の……鋸を持った人に襲われる、と言う事件について、何かご存知ありませんか」
 途端、女性の顔から血の気が引いた。覚束無い足取りで一歩退き、あ、と、声を漏らす。
「何か知っているんですか」
 出雲がそう言い終わらないうちに、女性は頭を押さえ、両膝を折り、廊下へ座り込んでしまった。ああああと震える声、首を左右に振り、大きく目を見開いて。
「嫌だ! 嫌! 私は何もしてない、ただ、ただ、あの子をシカトしただけ!」
 半ば叫ぶような声。彼女を落ち着かせようと声をかけるが、尚も怯えるばかりであった。
「なのに、人殺し、人殺し、って! ああ、あああ、嫌だ、嫌だ!」
 騒ぎを聞きつけて、医者や看護婦がやってくる。
「人殺し、人殺し、人殺し、人殺し! ああ、ああ、あああ、あああ、ああ!!」
 出雲が看護婦へ事情を説明する前に、女性は医者につれられて部屋へと戻ってしまった。呆気に取られて何も出来なかった、ほんの一瞬の出来事。

「鋸を持った女性が、彼女の友達を殺している所を目撃してしまったそうなのです」
 看護婦は淡々と事情を説明する。
「神聖都学園の事件ですよね」
「ええ。毎晩のように起きるんですが、犠牲者も目撃者もみんな事件について語ろうとしないそうで」
 寧ろ、外からの接触をよしとしなくなり、全てに怯えるようになってしまうそうなのだ。事件のショックによるものだと医者が判断しているらしい。回復している者は外出くらいなら出来るようになるし、ちょっとした言葉を交わすくらいなら平気なのだそうだが。

「それなら、今日の夜も?」
 小さい声でひとりごちる出雲。それなら今晩犯人を捕まえることが出来るかもしれない。看護婦に御礼を言い、出雲は病院の出口に向かった。



 夜の神聖都学園。三人の忍は、学園に着くなり三手に分かれ捜索を開始した。情報によれば、犯人は鋸を持った女性。夜の学園は人気が無く、どこまでも暗く静まり返って居る。通り過ぎる教室すべてに目を通し、物音がしたら足を止めて耳を澄ます。息を殺し、足音を立てずに疾走を続けた。窓の外にもどの廊下にも異常は無い。廊下の角を曲がり、出雲は暗いままの周囲を見渡していた。
 突如、甲高い悲鳴が響く。すぐに耳を澄まし、どこから聞こえてきた声か判断する。おそらく、同じ階。この廊下を進んだ先。出雲は走り出した。犠牲者はこれ以上増えるべきではない。いくつもの教室を通り過ぎ、悲鳴の元へと急ぐ。廊下の一番先、奥の奥の教室。
 扉を開けると当時に、異臭が鼻を付いた。――血生臭い。灯りのついていない教室で、煌く物は一つ。もう悲鳴は無い。入り口近くにある電灯をつければ、目に飛び込んでくる景色。一人の女性……いや、男性か? 髪の長い、白いワンピースの人間と、床に首がひとつ、机の上に血をどくどくと流す胴体がひとつ。出雲は思わず顔をしかめた。鋸には血と肉片が付いている。ワンピースの裾は、飛び散った血が小さな花柄のようになって、質素なデザインに彩りを加えていた。
「こんばんは」
 女性が顔を上げ、ゆっくりと出雲の方へ向き直る。目を合わせ、両手で構えた鋸を降ろすと、にっこりと笑った。

 風を切るような音、三本のクナイが放たれる。出雲が威嚇の為に投げつけたのだ。女性はそれを鋸で防ぎ、再び笑った。
『鳥塚、鳥塚、だいじょうぶ。僕が助けてあげるよ』
 鋸がきらりと光り、血を滴らせながら声を発した。それに鳥塚が「こんばんは」と返事を返す。無論、出雲もこの会話にならない会話を聞いていた。まず、犯人はこの鳥塚と呼ばれた人間で間違いないだろう。
 廊下を走る足音が聞こえる。それはだんだんとこちらへ近づいて来て、あっという間に教室へ飛び込んできた。

「ウキキキー! (訳:おんどれ、出雲に怪我させたら容赦せえへんからのう!)」
「ウキキ、キキ(訳:佐介、熱くなるな、でごザル。確実に仕留めねばならんのでごザルぞ)」

 仕込杖を構えた佐介、刀を取り出す才蔵。それを見ても、鳥塚は表情を変えない。
「こんばんは。こんばんは。お食事ですか? いただきます」
 虚ろな目。黒い星。佐介のメンチ斬りを物ともせず、ただ笑っている。
 出雲が地面を蹴り、十字槍を振りかざした。鳥塚がそれをゆるりと避け、鋸を振り上げる。刃が出雲を捉える前に、佐介の手裏剣が鋸を弾いた。同時に才蔵が刀で斬りかかり、当たった鋸と共に金属音を立てる。二つの刃はぎしぎしと音を立てた。鋸を振り上げ、才蔵と距離を取る鳥塚。その瞬間、上空に飛び上がっていた出雲が、十字槍の柄を鳥塚の後頭部へと振り下ろした。
「あなたは今なのね」
 踏み切りの音。鳥塚がぐりんと首を回し、不自然な角度から出雲を見上げた。首を反対側に回した人形のように。
「大丈夫。あなたが心配しなくても、終わりは来る。終わらない歌など無い」
 見開かれた目には眼球があったか?

 ぱきん、と、杖が命中した音が響く。鳥塚は笑みを顔に貼り付けたまま、机に突っ伏すように倒れた。首は曲がってなどいない。出雲が地面に着地するのと、鋸が手から滑って床に落ちる音が、ほぼ同時に響いた。佐介と才蔵もすぐさま駆け付ける。
「ちゃんと気絶してるかな」
 出雲が手を伸ばし、鳥塚の肩へと手を添えようとした。
『鳥塚は元から眠っているよ。永遠の夢だよ。夢の世界に住む人間だ』
 突然。鋸が独りでに揺れ、がしゃりと音を立てた。三人は飛び退き、それと距離を取る。ふわりと浮き上がる鋸。柄にも刃にも血がべっとりと付いている。そして、鳥塚も起き上がる。くすくすくすと笑っている……どこでもないところを見つめながら。
『鳥塚は敵じゃない。ただ夢を見ているだけ。キミ達が殺すべきは僕だよ』
 そう言って、鋸はふわりと宙を舞い、窓の外へと滑るように出て行った。
「人殺し。皆皆が人殺しなんですよ。言葉の解剖刃。正義の拳。思い込みは鋭利だ。誰もが心に傷を負う。果たして死んだのはどちらか」
 鳥塚は、出雲達の目の前を通り過ぎ、教室を横切り、廊下へと出て行った。くすくすくすくすと言う笑い声を絶やさないまま。


「私は死んだ 思い出すたび 遠い空から あなたはナイフを投げる
 いなくなれるなら あの過去を消して もう死にたくない もう死ねないから
 人は 首を切り落としても 血を流しても その涙に 気付かない
 みんなみんな人殺し みんなみんな人殺し
 ほら振り向いて あなたが殺した人が 今か今かと 待ち望んでる」


 彼もしくは彼女が去り、三人は緊張を解いた。倒すべきは鋸――果たして信じるべきか。
「キキキ……(訳:あの鳥塚と言う奴からは、殺意は感じられなかったでごザルが)」
 才蔵の言葉に、二人は黙するままに同意した。ここは一階だ、窓から出れば外へ通じている。おそらく鋸もそこに居るだろう。

「もしも本当に敵が鋸だとするなら、学園の外に出すわけにもいかないよね。追いかけよう」
 窓の外へと飛び出し、辺りを見回す。しんと静まり返った中庭には、ぎらぎら光る鋸が浮いていた。
『僕はね、ただ鳥塚にしあわせになって欲しいだけなんだよ』
 言葉が終わった瞬間、鋸は三人の足元をなぎ払うように振られた。刃が倍以上に伸び、飛び上がった三人が居た場所の草を一瞬の内に斬り飛ばす。才蔵が投げた手裏剣は柄に刺さったが、元が物質の為かダメージを受けた様子は無い。すぐに鋸は浮き上がり、上空の三人に向けて今度は刃を振り上げた。校舎の壁を蹴り、追いかけてきた刃をかわす。傍にあった木に足をついたが、それはあっという間に切り刻まれてしまった。突進してくる鋸を避け、壁を登り、屋上へと着地する。出雲が十字槍で鋸を弾き、それを佐介が手裏剣で追撃する。暗闇でぼんやり光る鋸は、数発の手裏剣を打ち払い、再び刃を伸ばして三人を切り払った。それぞれ飛び退き飛び上がり斬撃をかわす忍達。
『鳥塚はずっと夢を見ている。苛められていた夢。復讐をする力なんて無いのに。僕は彼女の力になる』
 振り回される様に動き回る刃。服を掠め、時折皮膚にまで届き、鮮血を飛ばす。手裏剣が鋸を捕らえても、僅かな間の時間稼ぎにしかならない。床を切り裂くように振られても、刃こぼれ一つしない。
『愛する事も恨む事も知らない子。僕は彼女の感情になる』
 ひときわ鈍い光を放ち、鋸は突進してきた。それを避ける出雲達の背後から、刃が素早く切りつける。出雲の腕に、ぱっくりと一筋の傷が開いた。十字槍が弾き飛ばされ、出雲が短い声を上げる。佐介と才蔵の手裏剣をかわし、鋸は刃を伸ばした。
『僕は彼女を助けらるんだ』
 歳ゆかない少年のような声だ。どこかで踏み切りの音がする。くすり、と、笑い声がした。
 ぎらりと光る鋸が、振り上げられるように宙を舞う。そのまま出雲達の上空で一瞬ぴたりと止まると、落下するような速さで刃を振り下ろした。

「雷雲の術!」

 鋸の刃が獲物へ届く直前。出雲が、半ば叫ぶように声を上げた。夜空にカッと雷光が走り、大地を引き裂くような轟音が響く。他でもない稲妻が、鋸を直撃したのだ。鋸は弾け飛び、出雲達の遠い目の前へ落下した。血が焦げた、何とも言えない匂いがあたりを漂う。
「キキキキ(訳:妖気は消えたようでごザルよ)」
 黒煙を上げる鋸を見つめ、才蔵が呟く。出雲は大きく溜息をつき、「終わったぁ」と腕を下ろした。落ちていた十字槍を拾ってきてくれたたのは佐介だ。
「キキキッ、ウキキキ(訳:もしも人間が相手やったら色々戸惑ったが、無機物相手で良かったな。のう?)」
 佐介の言葉に頷き、早く帰ろうね、と笑う出雲。

 校舎の下で、未だくすくすと笑いつづける鳥塚が、屋上にあったはずの鋸をまだ持っている。
「私にもわからないもの。ねえ」
 鋸は返事をしない。





 神聖都学園にて、事件が騒がれる事が少なくなったころ。出雲と佐介、才蔵の三人が、のんびりと道を歩いていた。
「怪我もこれだけで済んだし、よかったねえ。病院に入院していた生徒も、大分回復してきたんだって」
 負傷していた腕をちょんちょんと叩き、出雲が笑う。他の二匹がキキと相槌を打ち、何より、とでも言うように頷いた。傍の踏み切りを、電車が通る。


 ――踏み切り。踏み切りの音。景色にあるのか、踏み切り。それに気付いているのは一人か、三人か。
 誰。あなたは誰。それを言ったのはどちら?
 らららと歌う、暗い影。鋸が私を殺したの。言葉の鋸。
 人殺し、人殺し! あなたはいつでも人殺し。記憶の中でも人殺し。
 いくら言っても解ってくれないね。それが人間。
 心に願うなら……誰の言葉も受け入れない壁を。
 何もかも。何もかもだ。人は何もかもを繰り返す。笑顔で放つ言葉はナイフを振り上げて――


 踏み切りの隣に、小さな喫茶店があった。吊るされた看板が風に揺れている。その壁には、鋸が立てかけられていた。少し黒く焦げた後のある鋸。開いた扉の奥にはカウンター。一人の店員が、静かにティーカップを磨いている。テレビに映るニュースは
「今月のいじめによる殺人が、今年度最高を示しました」
「いじめの存在を否定していた学園が、一転して存在を認め」
「学校も加害者も被害者もその存在を掻き消そうと必死に」
「どうせ自分の事なら気付かないでしょう?」


おしまい

------------------------------------
登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
------------------------------------

PC/猿渡・出雲(さわたり・いずも)/女性/17歳/軽業師&くノ一/猿忍群頭領
PC/ー・佐介(ー・さすけ)/男性/10歳/自称 『極道忍び猿』
PC/ー・才蔵(ー・さいぞう)/男性/11歳/自称『クールで古風な忍び猿』

------------------------------------
ライター通信
------------------------------------
猿渡さん、はじめまして。北嶋と申します。納品遅れてしまって申し訳ございません。
この度はご参加ありがとうございました!
猿語の描写など、初めてだった部分が多いので、どうかなと少し心配しています。
本当は佐介さんに「ウキキキ♪(訳:出雲よりええ体してるじゃないか)」と言わせたかったのですが
流石にだめかなあと思い、もし次があったらきっと……などと思っております。
もしもほんの少しでも楽しんでいただけたのなら幸いでございます。
では。またお会いできる日がありましたら、是非宜しくお願い致します!